2009年01月30日 (金) | Edit |
前回エントリはちょっとマニアックな視点になってしまったためか、あまり一般的に興味のある話ではなかったようで、hamachan先生に飛ばしたトラバも反映されませんでしたので、何かと話題の日比谷公園ネタから。

「派遣村」騒動について、いくらか落ち着いた記事が載るようになってきていて、日経新聞で今日から始まった厚労省叩きの連載シリーズでもその舞台裏が取り上げられていました。ただ、この「派遣村」騒動を厚労省の労働行政がテーマの連載で取り上げるということは、まさに論点が「派遣村」騒動の生活保護獲得闘争に引きずられてしまっていて、マクロ経済政策にまで議論が進まないことになるんではないかと危惧するわけです。

 世界を覆う経済危機。今と未来がかすんできた。未曾有の危機モードに厚労行政は立ち向かえるか――。

異例の救済措置
 霞が関の厚生労働省講堂。新任の大臣は壇上から800平方メートルの道内を埋め尽くす職員を見下ろしたときに人員5万人、予算25兆円の巨大組織を実感する。年明け、その権力の舞台が「派遣村」に開放された。
 「なんで受け入れたかというと彼を信頼したから。そりゃ現場で活動しているんだから情報は正確だよ」。派遣村が野営した日比谷公園を見下ろす厚労省の副大臣室で大村秀章(48)は言う。
 今年の日比谷が注目を集めたのは「派遣村」という名称に負うところが大きい。だが大村が信頼した「彼」。湯浅誠(派遣村村長、39)は「実際に昨秋から派遣契約を切られた人は2割。その他は日雇い派遣で収入が減った人や野宿の人など」と言う
 生活保護を申請した200人を超す「村民」は直ちに認定を受けた。資産や収入の調査を簡略化し、十日以上かかる認定を人により一五分の面接で済ませた審査は「異例中の異例」(社会・援護局)。一方でハローワークが臨時窓口を設けて紹介した約4000件の寮つきの求人紹介に大きな成果はなかったという。
 「自立や就業の支援ではなく生活保護でよかったのか」。厚労省の幹部は生活保護の審査など現場を熟知した活動家の前に労働行政が屈したことを認める。生活保護は最後の安全網。働く環境づくりが労働行政の本業だ。そもそも派遣など非正規労働の問題を騒動の延長戦で議論し続けていいものか。
(略)
270人が寝泊まりした講堂は今、なにごともなかったかのように静まりかえる。事務次官の江利川毅(61)は「いろいろな事情を含めた中での一つの緊急対応だった」と位置づける。一方で間近にある新たな緊急事態。政府の見通しでは09年度の失業率は0.5ポイント上昇の4.7%。無味乾燥な数字の向こう側で「0.1ポイント」ごとに7万人が職を失う

「ザ厚労省 第3部 危機の渦中で(1)」(日経新聞2009年1月30日)
※ 強調は引用者による。


最後の部分では一応「失業率」というマクロ経済の話を始める気になったように見えますが、日経新聞のことですから、またぞろ明日の連載からは「政府のムダを削れ!」だの「天下りを禁止してコームインカイカクしろ!」だの「地方分権しろ!」って展開になるに1000点。

で、朝日新聞には記事そのものが矛盾しまくっている地方分権ネタが連載中でした。

 宇都宮市に住む荻野夏子さん(44)には、自治体との協働に失敗した苦い経験がある。
 ざっと振り返れば、こうだ。10年ほど前、栃木県内のある町にマイホームを建てた。子育てをしながら、積極的に「まちづくり」にかかわった。
 町の総合計画の策手に携わったとき、町職員から言われた。「これからの分権の時代は、政策作りに住民の参加が欠かせない。行政と住民の橋渡しをNPOに託したい」。これを機にNPO法人をつくった。01年春のことだ。行政から設立を促されてのスタートだった。
 いきなりIT講習会(500万円)とITネットワークづくり(500万円)を委託された。だが、日を追うごとに、町が用意した結論に誘導されている気がしてきた。「素人のくせに」といった態度の端々に、「委託の契約金でNPOを買った」という町の本音が見えた。
 これって、住民参加のアリバイづくりじゃないの――。そう思うと手も足も止まった。結局、ひとつの事業は中途で契約を解除し、02年にNPO法人を解散した。
 あれから考えた。町は、NPOを使えば「公益」を強調しやすい。民意の反映も装える。田舎町だけに、住民は役場に反論しにくい。こんな関係での委託は、町が政策を行う際に責任を回避する手段に見える。
 つくづく思う。委託の現場は「派遣切り」の構図に似ている。自治体の事業は、いつ予算が打ち切られるかわからない。予算が着られた途端、NPOが集めた職員は行き場を失う。「こんなはずじゃない」と思いながら働くNPOの、なんと多いことか。
 それでも、荻野さんはNPO活動をあきらめてはいない。新たに設けたNPO法人で、カード会社と連携して、失効するポイントを寄付できる制度などに取り組む。「NPOは無名の市民の意見を社会に伝える装置」と信じているからだ。

 「ここ10年、協働の現場で試行錯誤が続いている。そして『協働疲れ』が広がっている
 立教大の萩原なつ子教授(市民活動論)はこう指摘する。
 全国の自治体での件数など協働の全体像は不明だが、確実に広がりつつある。ただ、現場では、協働のなかでも委託に課題が多いといわれている。
 委託が増え始めたのは04年ごろだ。政府が分権と称して三位一体改革の旗を振りながら、自治体への支出を大幅に切り込んだ時期と重なる。一方で、荻野さんの挫折例のように「行政から設立を持ちかけられたNPO」ができてきた。行政(government)が主導するNPOだから「ゴンポ」(GONPO)と呼ばれる。こんな名前ができたこと自体、行政の下請けのようなNPOが増え続けている実情を物語る
 協働は、「下請け」の別名になっていくのか。行政と住民が手を携えて地域を自立に導く手段として進化していくのか。
 分かれ道は「住民が主権者である」という認識を、行政と住民が共有できるかどうかだ。主役は住民なのだから。

「公貧社会 支え合いを求めて 「自治」をめざして(7)」(朝日新聞2009年1月30日)
※ 強調は引用者による。



公共サービスというのは、その経費を誰かに負担させる仕組みのなかでやっと提供されるものであって、その仕組みこそが市民の方々が毛嫌いする「行政」なわけです。ということは、それを協働と呼ぼうと何と呼ぼうと、行政が公共サービスの提供をやめたときに誰がその経費を負担するかという新たな仕組みづくりが必要なわけで、それがNPOへの委託だったり指定管理者制度という制度の実態でもあります。それを「住民参加」という意志決定のシステムの面だけとらえてしまうと、NPOのほうでは荻野さんのような「やらされ感」に苛まれてしまうし、行政のほうも「経費削減できてよかった」というだけで終わってしまいます。

厳しい言い方になりますが、経費削減をしたい行政の側と、「住民参加」というクリームスキミングしか頭にないNPOの側と、それぞれの思惑が当初は一致していたからこそGONPOなるものができるわけで、経費負担の割り当てやその仲介という誰もがいやがる場面にNPOが直面して、やっと目が覚めたというだけのこと。そりゃ、「協働づかれ」もしますよ。荻野さんもその点に気がつかれて、「政策作り」なんて大仰な目的ではなく「NPOは無名の市民の意見を社会に伝える装置」だと考えを改めたのでしょうね。

結局はその利害調整なり経費負担の割り当てというドロドロしたところは職業コームインが担うしかなくなるわけでして、そんな汚れ役に対してはマスコミも市民の皆さんも「汚らしいわね~」と言わんばかりの仕打ちをなさいます。それが汚れ役の使命と言えばそうなんでしょうけど、汚れ役にもそれなりのスキルとリテラシーが必要とされるんで、あまりコームインのなり手がいなくなるような叩き方ばかりされていると、クオリティの低い汚れ役しかいなくなるんですが、そんなことはお構いなしですかそうですか。

ところが、相も変わらず地方分権教の方々はこういう「住民参加」のクリームスキミング的な幻想を振りまくことに余念がありません。同じ紙面でのこのコメントですが、

穂坂邦夫・NPO法人地方自立政策研究所理事長(前埼玉県志木市長)
 人口7万人のベッドタウンは右肩下がりの経済のもとで、少子高齢化が進んで独居老人が増え続けていた。税収は縮むのに、福祉などへの出費は一気に膨らむ。そんな成熟社会が加速する時代に、これまでの行政では対応できない
(略)
 協働によって行政サービスに住民が介在すればするほど、内容はきめ細かくなり、住民本位になる。その積み重ねが、中央集権型の全国一律の行政より優れているのは当然だろう。
 そんな住民参加を促すのが、政府の地方分権改革推進委員会の勧告だ。市町村への思い切った権限移譲や、自治体の仕事の基準を法律で定める「義務づけ・枠づけ」を廃止・縮小し、地域の実情に合った対応を可能にする方向性を示した。実現すれば、自治体や住民の工夫で協働の現場は大きく変わる。だから、自治の確立のために分権改革が欠かせない
 首長が代われば施策も変わる。私が市長を退いた後、市民委員会は形式が変わったし、公共事業関連の条例は廃止された。でも残念だとは思わない。既得権益を壊して自治の現場を根本から改革するのだから、曲折はあるでしょう。こういう難事業は、本当に資金が尽きなければ進まないもの

「公貧社会 支え合いを求めて 「自治」をめざして(7)」(朝日新聞2009年1月30日)
※ 強調は引用者による。


だーかーらー、「税収は縮むのに、福祉などへの出費は一気に膨らむ。そんな成熟社会が加速する時代に、これまでの行政では対応できない」って結局、経費削減のために委託しないと予算が足りなくなるってことでしょ? 荻野さんのような方をどれだけ再生産すれば気が済むというのでしょうか。まあ、地方分権教の方々は基本的に「こういう難事業は、本当に資金が尽きなければ進まないもの」というシバキ主義全開なわけで、「住民が参加すれば景気だって回復する」とか言いそうだし、「改革なくして景気回復なし」の亜種というだけのことなんでしょうけども。

そんな穂坂氏というお方は、wikipediaによると、

2001 年には、志木市市長選に無投票当選した。志木市長時代に全国で初めて公立小学校に25人程度学級(小学1・2年生限定、上限29人)やホームスタディ制度を導入し、さらに市の職員を20年かけて半減させ(2002年当時の619人から301人に)、業務量の削減で不足する分は市民のボランティアなどに任せるという計画を立てるなど、画期的ともいえる施策を次々打ち出したが、やがて議会の反発を招くようになった。2005年3月、市議会の議場で1期限りの勇退を表明し、6月に任期満了を迎えた。つまり、市長としては一度も市民の審判を仰がなかったことになる。職員半減計画は翌2006年に中止された。
穂坂邦夫 - Wikipedia
※ 強調は引用者による。


だそうで、ご自身の経歴のどの辺が住民参加なのか教えていただきたいところですな。
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