2009年01月06日 (火) | Edit |
だいぶ乗り遅れてしまいましたが、

ぼくは、「現実を見ていない」という批判に、「いや、ぼくも現実を見ている」などという反論をするつもりは全くないよ。「現実を見ていない」で結構。ぼくは、「現実を見ろ」という説教をする人を絶対信用しないことにしている。このことは、このブログを読んでいるとりわけ若い人たちに対して、老婆心ながら、人生の先輩としてアドバイスしておきたい。二言めには「現実を見ろ」という人には、多くの場合、裏腹がある。そんな手にはまっちゃいけない。実際ぼくは、子供の頃から、いつも「現実を見ろ」と説教されてきた。まず、父親に、次に教師に、そして、学校の先輩に、はたまた政治活動家に、さらには会社の上司に。でも、あとでわかったことは、そういう人たちのいう「現実」は、その人たちが色眼鏡をかけて見ている彼らに都合のいい「現実」であって、ちっとも本当じゃないってことだ。そういう人々は、人を理詰めで説得して自分の意のままに操縦することに失敗したとき、えてしてこのことば「現実を見ろ」を使う。ぼくは、そういう人々のいう「現実」よりも、むしろ、「数学」のほうを信じている。数学は、少なくともFirst orderの論理の上では矛盾をしていないし、かなりな精度で、惑星の運行や地上の多くの現象と整合的だからだ。
YUIとネットで傷ついている人たちに贈るスレッサーの小説(2008-12-26)」(hiroyukikojimaの日記
※強調は引用者による。

についての騒動がどうもよくわかりません。

一応流れを整理してみると、事の発端はおそらく、arnさんのところでの銅鑼衣紋氏のこの発言ではないかと思いますが、

銅鑼衣紋 2008/12/21 18:05
言っては悪いが、想像力が欠如してるのよ、こういう人は。事件は会議室で起こっているわけではないという名文句(笑)があるが、まさにそれで、数学的に美しい体系を弄るのが経済学だと思いこんでいるものだから、現実に起きている、あるいは起きる可能性のある現象に対する想像力が全く欠如している。数学は人が自らの内面を探求する科学の一種であり、経験とは無関係でありうるが、実証科学の一部である経済学は、とにかく「ここにある現実」から出発しなければならない。もちろん、凄い現象は個人が生きている間に何度も起こらないのだから、過去に起こった事例を歴史に学ばなければならない。だが、理論なしに断片化した事実の集積としての歴史をいくら眺めても何も分からない。つまり、事実と理論の間の無限の往復運動の中にのにみ科学は存在する。
■[経済] 天然素材(2008/12/21 (日))コメント欄A.R.N [日記]
※強調は引用者による。


という指摘があって、田中秀臣先生が「小島さんが「現実をみてない小島」の類の批判をされたら、100%の確率で小野先生の理論を持ち出すと予想したのですが、その通りでした 笑。」としたため、これに対して小島寛之先生が応答されたのが冒頭の引用部分という流れだと思います。

俺自身はこの論争の適否を判断できるだけの能力はないので、議論の中身についてとやかくいうことはできません。ただ、個人的にはこういうリフレ派の方々のやりとりを見ていると、どうにもダブルスタンダードに見えてしまうので、リフレ政策は支持するもののリフレ派(と呼ばれる)方々とはやはり与しがたいものを感じてしまうのです。

というのも、ちょっと古くなってしまいましたが、「日経ビジネス Associe」という雑誌で「暗黒卿」こと高橋洋一氏*1のインタビューが載っていて、小島先生とほぼ同じことを言っているからです。
日経ビジネス Associe (アソシエ) 2009年 1/6号 [雑誌]日経ビジネス Associe (アソシエ) 2009年 1/6号 [雑誌]
(2008/12/16)
不明

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たとえば、

ただ、そもそも官僚になりたいと思って財務省に入省したわけではありません。もともとは数学者になりたいと思っていました。大学卒業後は大学院への進学を考えていたので、官僚にはたまたまなってしまっただけ。数学科を出て財務省に入ろうとは思いませんよ。(略)
ある国会議員から「高橋は政策をすべて数式で語っているよな」と指摘されたことがあります。振り返ると確かにそうなんです。私の場合、「こういう条件の場合はこういう結果になります」と全部数字で検証し、議論の裏づけをすべて数字で考えてしまうのです。
「ロングインタビュー 高橋洋一」(日経ビジネス Associe (アソシエ) 2009年 1/6号 [雑誌]
※強調は引用者による。


というところなど、高橋洋一氏小島先生も同じ東京大学理学部数学科出身(1955生まれの高橋洋一氏が1958年生まれの小島先生の先輩に当たる)なわけで、とかなり似通った経歴をお持ちのように見えます。
もちろん、高橋洋一氏は官僚としてのキャリアを積まれていて、

私はテクノクラートなんです。政治家から「こういうことをしたいんだけど」と言われたら、要望を聞いてベストなプランを作り、法案まで書いてあげる。でも、そこまで。そこから先は政治家の仕事。政治決定にまで官僚が首を突っ込むべきではないというのが私の考えです。
政治家にしてみれば、したいことを言えば、ポッと政策が出てくるんだから便利だったと思います。おかげで「ドラえもん」と呼ばれることもありました。

※強調は引用者による。

というスタンスの方なので、高橋洋一氏は政治家からの要望とそれに対するプランの提示という「現実」に日々接してこられた方ですから、塾講師をされていた小島先生が接してこられた「現実」とは相容れないのかもしれません。

と思ったら、

そもそも他人が他人を評価すること自体、かなりの無理があるんですよ。評価というのは自分の枠内でしかできません。誰もが自分の世界を持っていて、その中からしか外を見ることができない。私のような人間が「変人」に見えるのもそれと同じ原理ですよ。数学科の人間から見たら、私だって普通の人ですよ

※強調は引用者による。


・・あれ? 数学科同士なら普通の人に見えるのなら、高橋洋一氏も小島先生もお互いに普通の人に見えるんですよね。まあとにかく、数学科でもない他人がとやかくいうべきことではないということなんでしょう。

そんな高橋洋一氏は、地方分権についてももちろん数字で考えるそうで、

年金はその性格上、皆年金という形で全国民が加入するため、どうしても国がやらざるを得ない。一方で、地方分権をするには15兆円の税源移譲が必要です。そして、その税源には消費税が一番ふさわしい。当然、消費税が地方税化されれば、それを年金に充てることはできなくなります。逆に、消費税を社会保障の目的税とするなら、地方税にすることはできなくなり、地方分権は頓挫します。

―「二兎を追う者は一兎をも得ず」ですか。
私は計算することで、長期的に必要な金額を把握できるから、年金に消費税を充てると地方分権ができなくなることが分かります。しかし、一部メディア*2は地方分権を主張しつつ年金の財源として消費税を活用しろなどと主張しています。これは矛盾した主張ですし、両立するものではありません。数字の論理としてどちらかを諦めないといけない。

―数字をもって説明されると反論の余地も少なくなりますね。
私の場合、年金の政策一つを取っても、大きな数字などのイメージが頭にすぐわくんです。私はこれを数字の感覚ということで「数覚(すうかく)」と呼んでいます。味覚や聴覚などの五感と同じで、第六感として私には備わっているようです。

※強調は引用者による。


とのことで、「数覚」と呼ぼうが何と呼ぼうがそれってただの計量経済学じゃね?というツッコミは野暮というものです。そんなモデル化された世界は俺が日々現場で見ている「現実」とはかなり違うようにも思いますが、数学科出身でもなく「数覚」も備わっていない俺なんぞが見ている「現実」なんてものは、高橋洋一氏にとっては「現実」ではないんでしょうね。

というわけで、リフレ派(と呼ばれる)の方々が高く評価される高橋洋一氏の「現実」と、田中秀臣先生に「小島寛之さんだっていま総叩きの刑wですが、実物はふつうのおっさんですよ。」と言われる小島先生の「現実」の違いってのがよく分かりません。

いやあ、「現実」っていったい何なんでしょうか?




*1 前回エントリで取り上げた『「空気」の研究』の著者にちなんだ山本七平賞を受賞されているのも何かの縁。
*2 「日本」とか「経済」という言葉が名前についている「新聞」ですね。
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