2008年11月09日 (日) | Edit |
いよいよ旧自治省ラインが始動したようです。これが岡本氏を総括秘書官に抜擢した理由だったんでしょうか。

 もともと、分権委は2次勧告に向けて、都道府県と業務が重なる「二重行政」として8府省15系統の出先機関の統廃合を検討している最中だった。とくに、道路特定財源の無駄遣いが明るみに出た整備局や、事故米の不正転売事件で業者の不正を見逃した農政局は「問題ある出先機関」(分権委関係者)の象徴的存在になっていた。

 一方、首相としては先月下旬に衆院解散の先送りを決断したことで、9月の所信表明演説で主張した「霞が関の抵抗があるかもしれない。私が決断する」を実行に移す必要が出てきた

 首相周辺は「役所はどんな理屈を作ってでも抵抗する。トップがはっきりと宣言するしか方法がない」と、首相の指導力を見せる意義を解説する。総務省関係者も、指示のタイミングを、分権委の今後の議論を考慮し「2次勧告の約1カ月前」に設定したという。
Yahoo!ニュース「首相指示 整備・農政局の統廃合を トップダウン演出(11月7日8時3分配信 産経新聞)
※ 強調は引用者による。

二重行政とかに対する批判の矛盾は拙ブログでも以前指摘しておりますが、実務上の制度的な問題としてはsunaharayさんが指摘されるとおりだと思います。

しかしこれまで出先機関が担っていたものというのが,第一次分権改革のときに限定されたはずの「国の直接執行事務」で,現在義務付け・枠付けの緩和でかなり苦労している自治事務よりも義務付けが厳しい,ということを考えると,これを自治体に権限移譲しても自由度が増えるわけでもないし,また誰が責任を取るんだという問題も不明確になってしまうのではないかと思われます。出先機関が非効率,というかきちんと機能していない,という問題があるならば,それはまさに「国の責任」で解決するべき問題だと思うわけですが。
(略)
勧告を12月にまとめるってまぢですか。まあ人の移行や財源については読売の記事にあったとおり別に委員会なんかを作って議論する,ということなんでしょうけど。しかし自治体にとって規模の経済も範囲の経済もないような仕事が法定受託事務として激増するということは避けるべきではないかと。それは別に自治体の裁量が増えるわけでもないし,効率化に資するわけでもないので,そういうのを分権って言ってみても仕方ないのではないかと思うのですが…。「都道府県でも同様の仕事があり」とあるのと同じように都道府県や市町村がやってない仕事もたくさんあるわけで,もしこれが既定方針として動かないのであれば,せめて両者を切り分けて,後者については出先機関を統合してみるなり,国の責任で効率化するべきだと思ったりするところです。
■[研究][観察]原則廃止へ…?(2008-11-06)」(sunaharayの日記
※ 強調は引用者による。

行政学者であるsunaharayさんですらこういう経済学的な疑念を持たれるようなことがまかり通るのも、選挙で不利だという政権与党の事情があるんでしょう。

昨今の「改革ブーム」を正しく把握するためには、細川・村山の非自民政権が打ち上げた「保守政権の既得権益の打破」とか「政府の過剰な規制を緩和して民間活用」という流れがバブル崩壊後に世論の支持(※1)を得てしまったため、橋本内閣で政権を取り戻すために自民政権もその流れを継承せざるを得なかった、という経緯を踏まえる必要があると思います。そのような理解に立っていえば、非自民政権から続く流れを何とか「構造改革」として形にしなければならなかった自民党にとって、まさに「小泉改革」なるものが必要だったんだろうと。

ただし、これについて見方を変えれば、「小泉改革」は結局「改革ブーム」の後始末に過ぎなかったともいえるように思います。政府の本来の役割は、市場の効率性と公平性を確保するために民間セクターに対する規制を通じた政策を行うことですが、規制緩和の流れの中でそれが否定されてしまいました。さらに日銀は、手段のみならず目的についての独立性までをも手に入れてしまい、ワケのわからない利上げを繰り返しています。しかし一方で「改革ブーム」だけは現在に至るまで持続しているという状況で、政権与党には公的セクターをいじるしか手段は残されていないのです。

で、結局小泉政権が最後に何をしたかというと、

「小泉改革の総仕上げ」っていうことになってるけど、そもそも「小泉改革」ってなんだったのよ?ってのがきちんと整理されているとはいえない中で、その総仕上げとしての「行革推進法」だって中身は整理されていない。
(略)
思い起こしてみれば、新規国債30兆円以下を掲げながら政権を執り、竹中・木村ショックといわれる金融不安を引き起こし、郵政民営化で貯蓄離れを促進し、公務員5%純減ときて、行革推進法案が総仕上げって、結局民間に手を入れようとしたらデフレ下で不況が促進されてしまったので、これ以上民間の「構造改革」はマズイということで最後は公務員を叩いておいて格好をつけただけですな。
食う寝るところに住むところ(2006/03/12(日))
※ 強調は引用時。

ということなんですよね。これを引き継いだ安倍政権が地方分権改革推進委員会を設置したり、福田内閣が国家公務員改革を断行しようとしたのも、政府本来の「市場システム維持のための規制」が封印されているという流れで理解するとわかりやすいと思います。

で、今回の麻生内閣も、リーマン・ショックで景気が悪化する中で、政権を維持するためには景気対策を打ち出しなければならず、限られた政策手段をフルに活用した姿勢を見せるためにも、公的セクターをいじっておかないと格好がつかないんでしょう。地方分権のコストは公的セクターだけじゃなくて民間セクターにもかなりの負担をしていただく必要があるんですが、選挙対策でやっているだけの政治家がそんなこというはずありませんし。地方分権って、国と地方両方の公務員をいじめることができて、その上「二重行政の排除で効率化」して税金も減って(※2)、選挙対策としては一石三鳥ですね。

戦前強大な権力を誇った内務省の本流の流れをくむ旧自治省(都道府県幹部)は、日本を解体して自分のグリップの効く地方に権限を移したくてしょうがないところですから、政治がタッグを組むには最善の相手なんでしょうなあ。




※1 「世論が『実現されるべき』と考える世界」にデフレの解消というようなマクロの金融政策が含まれていなかったことからも明らかなように、「世論が『実現されるべき』と考える世界」そのものが妥当性を持つという保障保証は一切無いという、いわゆる世間知の問題も大きいでしょうけど。
※2 効率性重視のはずのアメリカが二重行政を容認していて、政府支出の対GDP比も日本と変わりないんですけど。
第2-1-1図 OECD諸国の一般政府支出の規模(対名目GDP比)(2004年)」(平成17年度版 年次経済財政報告書
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コメント
この記事へのコメント
国家が滅んでいく歴史的瞬間に立ち会える喜びを噛み締めろと言うことなんでしょうか。そもそもの淵源が「細川・村山政権」にあるのは間違いが無いのですが、「二重行政」がそれほどに非効率であったとは思えないんですよね。ただ、いまの市民は「公務員叩き」に喜びを感じているのは、会話していると実感するんです。
パンとサーカス(公務員叩き)を市民に提供して目が向いている内はいいですが、現実の社会そのものを見た時に「市民だけで何でもやる、素晴しく自然豊かな世界」を用意し、感動で身動きすら出来ない感銘をどのように表現してくれるのでしょう。
これほどまでに「公共という概念」を喪失させるために費やす必要があったのかどうか。また「よき全体主義」「コンプライアンス社会」「希望学による市民の思想統制社会」が、行動指針として示されるんでしょう。
2008/11/09(日) 15:52:44 | URL | gruza03 #DgdRcaA.[ 編集]
> gruza03さん

> パンとサーカス(公務員叩き)を市民に提供して目が向いている内はいいですが、現実の社会そのものを見た時に「市民だけで何でもやる、素晴しく自然豊かな世界」を用意し、感動で身動きすら出来ない感銘をどのように表現してくれるのでしょう。

金融政策も左右できず、有効な規制すら打てない政治が提供できるサーカスは結局、公務員・霞ヶ関叩きと、規制緩和の究極の姿としての地方分権という絵空事しかないわけですから、そういう政策を支持する有権者のために国を解体するという、本末転倒な倒錯しきった状況になるんですね。

かといって、取り得る政策が選挙のために限定されてしまうという政治状況を嘆いてしまうと、民主主義の否定とかいわれかねませんし、チホーコームインなんぞがこんなこと言っても、既得権益のために抵抗しているとか叩かれるのが関の山です。

権丈先生が「政策は、所詮、力が作るのであって、正しさが作るのではない」とおっしゃるとおりなんですが、なんとも虚しいものです・・・
2008/11/09(日) 22:35:02 | URL | マシナリ #-[ 編集]
すなふきんさんにTBいただいたんですが、またもやタイポしてしまいましたので訂正いたしました。

脚注1は「保障」ではなく「保証」です。こんな大事な間違いをしてしまうなんてお恥ずかしい限りです。
2008/11/09(日) 22:37:55 | URL | マシナリ #-[ 編集]
「市民が愚劣になった」というのは口に出したくないことなんですが、「生きるコスト」が地方分権や国家解体で下がる訳が無いんです。
むしろ大幅な増加をもたらすと考えるのが一般的な感覚だと思っていましたが、最近の「カイサン、カイサン、センキョ、センキョ」は愚劣極まる所業で、「任期を全うする」ことが信任するものとされるものの「行動の自由」を確保するとは考えないのか?
自分が思っている以上に、都市市民の「既得権益」という言語アレルギーが凄く、「日本」という国家そのものを維持運営する共同体の一員とは考えていない。
地域生活圏で「生きるコスト」とは何か、という議論など皆無の状態で、HALTAN言うところの、都市市民の「田舎者は死に絶えろ」は地方の中核市民とそれ以外の市民の関係も同様なんですよ。
労働をすることで「自己実現の欲求」を満たしていた日本の市民感覚が、消費することでしか「自己実現の欲求」が満たされないということでしかなく、消費者が市民の条件である世界には「日本語」も「日本国」も必要ない。バーコードと英数字を認識する程度の知性があればいいのだろうか。
2008/11/10(月) 05:47:18 | URL | gruza03 #DgdRcaA.[ 編集]
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2008/11/09(日) 20:15:11 | すなふきんの雑感日記