2008年11月02日 (日) | Edit |
いやまあ、経済学にもいろいろあって、一応主流といわれている新古典派の周辺にも行動経済学とかの新しい流れがあったりするわけで、現在でも新たな理論が構築されているのが一般の経済学に対する印象を複雑にしてしまっているんではないかと思います。大恐慌という大事件の発生に伴ってケインズが不完全雇用を前提としたマクロ経済学を提起したり、古くはコースやヴェブレンにまでさかのぼる制度派経済学なんてのもあれば、毛色の変わったところでは統計学の手法を取り入れてデータマイニングから理論の裏付けを得ていく計量経済学も現代の経済学では重要な研究分野です。現実に対するアプローチというだけでもこれだけの多様性があって、さらにこれらの「主流派」のバックボーンを共有する経済学者によっても言うことが違っているんですから、ある経済学者がまともなことを言っているかどうかは、ちょっとやそっと経済学を勉強したくらいでは理解できるわけではありません。

でも、これって経済学に限ったことでもなんでもなくて、法律の世界でも、例えば「整理解雇の4要件」か「4要素」かで判例が揺れていたりしていて、それはオイルショック後の部門整理を巡る判例(※1)に現れた「整理解雇の4要件」が、近年の労働市場の流動化などの変化の中で判断基準が変わっていくことを反映したものだったりするわけで、まあ世の中が変われば、それを説明して考えていくための理論というのは移ろっていくわけです。

経済学の話に戻すと、俺自身は新古典派方面しか勉強してないんですが、経済学に特有の事情として「経済学部」とか「経済学者」という肩書きを持つ方の中には未だに○系をまじめに議論している集団もあったりするわけで、そこまでいくと現実に対するアプローチの違いどころじゃなく、世界観とかイデオロギーまで超えていかないといけないので、そういう世界観を持つ方でない限りなかなか理解が難しい。

前置きが長くなりましたが、こういう俺自身のバックボーンもあって、基本的には新古典派経済学の研究者の方々であればまるで正反対のことを言っていてもそれぞれの立場なりを理解できないわけでないものの、やっぱり信頼度というものはある。その中でもかなり信頼度が高いのが、拙ブログでもちょくちょく引用させていただいている権丈先生(ご本人は制度派だとおっしゃっていたような)で、ここまではっきり言ってもらえるととても心強いです。

成長のためには労働の移動とか産業構造の転換、いろいろなものを国全体で考えていかなければいけないと思っております。ただ、そうなってくると、移動や転換のコストの負担をどこに負わせるかというところで、一国全体で経済全体のことを考えていくのであれば、そこで生まれたパイというのは国全体で分配するのが当然だと思いますし、地方分権という名のもとに成長のためのコスト面を余り地方に負わせない形にしておかないと、コストは地方が負担したけれど果実は中央が得るのみというのでは、地方にはちょっとつらい状況が生まれてくるな、いや、現実にそうなっていると思っております。
(略)
私は、最後のラストリゾートとしての公助のところに多くの人たちが入っていかないような仕組みを何とかしてつくることが一番大事で、そういう根本的なところの年金の制度、そして医療保険制度というものの費用負担問題のところをしっかりとやり、そして雇用をしっかりと全国に……。もうはっきり言って、「地方を活性化する」とか、「中産階級を生む」とかというのは、意図的にやらないとできっこないんです。中産階級をこの国でつくるぞとか、地方に雇用をつくるぞということを意図的にやらないとできるわけがない。それを意図的にやるということはある意味規制をすることなんですけれども、規制をどんどんと撤廃していったりすると、中央に資本や人とかいろいろなものが集まった社会になり、その一方で地方分権という形で財政の負担を地方に回すというのは、私はちょっと理に合わない動きがここ数年というか、ずっと続いているのを感じております。
勿凝学問190 「地方を活性化する」とか「中産階級を生む」とかというのは意図的にやらないとできっこないんです――社会保障国民会議第7回議雇用年金分科会(9月8日開催)での発言(2008年10月29日)(注:pdfファイルです)」(Kenjoh Seminar Home Page
※ 強調は原文。


一応俺も実務家の端くれとしてhamachan先生にもかなりの信頼度を置いているわけですが、そのhamachan先生も呼応されているように、国全体で考えなければいけない規制の問題が単にそれを緩和して分権化させるだけで解決するわけがありません。

念のため、俺も分権化がすべて悪いといいたいんじゃなくて、分権化するための移行プロセスの問題とか、そのための手続きをどう設定するかとか、政府間財政移転が効率的であるためにはどういうインセンティブを与えるべきかとか、そういった分権化することで生じる新たな問題をすべて考慮した上で、それでもなお地方分権が何らかのメリットをもたらすなら、当然進めるべきでしょう。でも、今の議論が全然そうなっていないから、特に現場でその辻褄合わせをさせられる身としては黙っていられないのです。

なんというか、ある制度が別の制度に移行するためには、その移行プロセスや最終目標に至る手続きというコストがかかるもんですが、その点についての考慮が全くないんですよね。コーゾーカイカクとかチホーブンケンは保守政党である自公政権によって進められましたが、その一方でリベサヨがそれを支持したのもよく知られたこと。あくまで管見ではありますが、そういった移行プロセスのコストを過小評価したのが○系で、東欧諸国が最終目標に達する前にその移行プロセスのコストでつぶれてしまったのが20世紀の最大の教訓ではないかと思います。ところが、そういった陣営自体がまったくそれを学んだ形跡がないというのがhamachan先生の嘆きではないかと。

10年前、現実の経済危機に対する感性と認識において、右側の方が状況を鋭く受け止め、問題の捕捉が正確であり、対応策においても社会科学的な説得力が旺盛だった。左側には危機に対して社会科学的に対応する論壇がなく、それを期待されたアカデミーは、米国資本による日本侵略にも無頓着で不感症であり、全く関心を払っていなかった。
(略)
左側(岩波アカデミー)の脱構築言説は、単に思想オタクが趣味で遊興するための薀蓄玩具となり、現実の社会問題や経済問題に対応する有効な社会科学の実質と性格を失い、そのため、一般大衆は現実問題に向き合ってメッセージを届ける右側の説得力に包摂された。これが石原都政と小泉改革を媒介した日本の思想的真実である。左翼は社会に無関心だった。
石原慎太郎『NOと言える日本経済』 - 十年前の右側の説得力(2008-10-16 23:30)」(世に倦む日日

(追記)念のため、上記引用部分、とりわけ赤字強調部分についてはまったく「異議なしっ!」なのですが、他の部分や、当該ブログの他の記事等については、いささか党派性が強く感じられます。それらの部分についてまで私が同意しているという趣旨ではありません。
左翼は社会に無関心だった(2008年10月21日 (火))」(EU労働法政策雑記帳
※ 強調は原文。

この記事で挙げられている他の記事から具体的に引用させていただくと、

で、こういう市民的近代化主義者たちは、(後藤氏の言うところの)開発主義国家体制を、前近代的で非市民社会的なものとみなして目の敵にしたわけです。また、(同じく後藤氏の言うところの)企業主義統合、つまり日本型雇用による企業内労働市場への労働者の包摂を、前近代的な集団主義と個の未確立の悪用だと考え、これを西欧の福祉国家型と並ぶ独自の階級馴化と大衆社会統合の一類型と把握することがなかった、と批判します。

で、80年代には知識人の間で階級闘争の視点がどんどん後退し、90年代になってそこにソ連の崩壊がきて、ますます「市民」志向が強まり、結局「マルクス主義的知識人の少なからぬ部分がそうした実体として市民タイプの主張に共感し、新自由主義との共闘をためらわない「左派」が広く出現した」「彼らの中心的関心は開発主義国家体制の破壊に向けられており、それが実際に可能であるならば、保守派との連携を含めたいていのことには目をつぶるという感覚であったと推察される」という事態になったわけです。あえて人物論的に言えば、アルバイトスチュワーデスに反対した労働者にやさしい亀井静香を目の仇にし、冷酷な個人主義者小泉純一郎にシンパシーを隠さなかったということですな、日本のサヨク諸子は。
リベじゃないサヨクの戦後思想観(2006年11月30日 (木))」(EU労働法政策雑記帳
※ 強調は引用者による。

ということになるんではないかと思います。

ただし、このhamachan先生の指摘をよく見ると、その理論的な背景に経済学の理論が見え隠れしていることに気がつきます。これも権丈先生の指摘ですが、

そして口にするのも憚られることなのであるが、かつて世界を東西の真っ二つに分けて、今につづく人類同士のいがみ合いの思想的基盤を与えたのも、やはり経済学だったのである。
勿凝学問20 ノーベル経済学賞と学問としての経済学、そしてノーベルが思いを込めた平和賞(2004年10月26日脱稿)」(Kenjoh Seminar Home Page

こういう対立の根底に経済学の思想があって、それが社会のあり方を大きく左右することが事実である以上、「経済学なんて机上の空論」とか「数式のモデルで社会を分析するなんてできるわけがない」とか「アメリカ型資本主義の破綻」なんて批判する暇があったら、まともな経済学を勉強することが大事なんではないかと思う次第。権丈先生の経済学者としての矜持はこういう言葉に表れるんですね。

「平等・格差は問題だ、貧困問題は深刻だと言うくらいで、世の中動くもんじゃない。18 世紀の半ばに産業革命が起こってすぐから、深刻な貧困問題を訴える社会運動家は、ずっといた。だけどな、格差問題、貧困問題を解決するためには、所得の再分配が必要なわけで、その再分配政策が大規模に動きはじめるのは、高所得者から低所得者に所得を再分配するその事実が、成長や雇用の確保を保障するということを経済理論が説明することに成功したときからだ。現状の所得分配に対する固執はいつでもどこでもとてもおそろしく強く、格差は問題だ、貧困問題は深刻だと言うくらいで、所得分配のあり方が大きく動くほど、世の中は甘くないんだよ」
勿凝学問189 「乏しきを憂えず等しからざるを憂う」ようなできた人間じゃないよ、僕は 日本財政学会シンポジウムでのワンシーン(2008年10月29日)(注:pdfファイルです)」(Kenjoh Seminar Home Page
※ 強調は引用者による。





※1 東洋酸素事件(東京高判昭54・10・29)で示された判断ですが、この判例では一切触れられていない労働組合の対立が裏にあるという点で、労働運動には示唆的な判例です。
資料シリーズNo.29 『解雇規制と裁判』(2007年6月11日)」(独立行政法人 労働政策研究・研修機構
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コメント
この記事へのコメント
丹羽さん含め何が何でも地方分権を進めたいんですね。かなり凹みました。むしろ現在は一時棚上げするかと思っていたんです。それだけ都市市民は地方市民を疎ましい存在だと思っているんでしょうか?
こんなに「公共」というものが薄れて市民が生きて行けると信じているのか・・・。
2008/11/08(土) 20:39:37 | URL | gruza03 #DgdRcaA.[ 編集]
> gruza03さん

HALTANさんのところで取り上げていただきありがとうございます。このエントリも多少はあちらの話題にインスパイアされたものですが、個人的に両陣営とも多少の違和感を感じるのでTBしてませんでした。

麻生・丹羽会談については、「地方分権」が選挙対策になる現状ではさもありなんというところかと思います。関連してエントリをアップしたのでご覧いただけると幸いです。
2008/11/09(日) 03:56:38 | URL | マシナリ #-[ 編集]
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