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2008年10月24日 (金) | Edit |
ここ数回のエントリで「不正経理」騒動について長々と書いてしまいましたが(全部読んだ奇特な方はいらっしゃるんでしょうか?)、今回はさらに長いです。というわけで前後半に分けてみます。

『ESP』という旧経済企画庁(現内閣府)の外郭団体が発行している雑誌があって(超能力とかギターの記事は載ってません、為念)、まあ普通に読まれる雑誌ではないので、ちょっと大きめの図書館に行けばおいてあると思います。一流の経済学者の論評が載ってたり、毎年夏ころには「経済財政白書」なんかの解説をしていてそこそこおもしろかったりするんですが、10月号を見てびっくり。

特集:地方分権へ向けて」ですって。

その冒頭に座談会が組まれていて、メンツは次のとおり。

片山善博氏
(地方制度調査会副会長、慶應義塾大学法学部教授、前・鳥取県知事)
露木順一氏
(地方分権改革推進委員会委員、神奈川県開成町長)
西尾勝氏
(地方分権改革推進委員会委員長代理、財団法人東京都市制調査会理事長)
滝本純生氏
(内閣府大臣官房審議官(経済社会システム担当)(司会))

「座談会 地方分権へ向けて」(ESP '08.10)p5


ガクブルもんのオールスターということで、今回は地方分権教の皆さんの発言をメモっていきます(強調はすべて引用者によります)。

西尾:
 この広い意味での関与にも大きく分けて、いわば通達で縛り上げている通達行政といわれたものと、それから各種の機関を必ずつくりなさいという「必置規制」という言葉が使われていますが、必置規制の見直しという問題と、それから、お金に伴って縛っているという補助金行政といわれた3つの側面があったわけで、そのどれに対しても挑戦をしたのですが、できばえから言えば、中では通達行政の縮小が一番成果を上げて、必置規制の廃止のほうは中程度の成果で、補助金行政にはほとんど成果を上げることができなかった、こういう順序になっていたかと思います。
 どうしてこういう序列になったかと言えば、簡単に言ってしまえば、相手側の国の各省庁の抵抗の壁の厚さの問題が1つ、それから地方六団体がどこまで結束できたか、足並みがそろったかという2つの要因でこういう結果になったのではないかと思います。(p6)


「各省庁の抵抗」とか「地方六団体の足並み」って、ちょっと何言ってるかわかんない。というか、反省されているようにみえるわりに、自己分析が甘いんじゃないですかね。

たとえば、三位一体の改革のときには、「骨太の方針2006」で地方六団体に補助金改革の具体案をまとめるよう要請して、その地方案について「国と地方の協議の場」で協議した結果、

地方6団体は、当初提案した改革案3兆2,282億円に対し、達成したものは3,893億円で12.1%、義務教育を含めると1兆2,393億円で38.4%と計算しています。

地方案の実現度」(岡本全勝のページ


となりましたが、それとは違う意味のようです。西尾先生は、地方分権推進委員会のときに各省庁と膝つめ談判して機関委任事務廃止を勝ち取った自負がおありなので、補助金改革も直談判すれば解決するとお思いのようですが、「不正経理」についての一連のエントリで示したとおり、政府間財政移転というのはそんな単純な話ではないですよ。

片山:
 私は鳥取県では原理主義を貫きまして、そういう違法な通達とか違法な関与については峻拒してきたのですけれども、いかんせん他の自治体の皆さんは従来どおりなのですね。(pp8-9)

 夕張市がなぜあんなひどい状態になったかというと、肝心の住民がほとんど無関心であったり、議会が機能していなかったり、貸し手の金融機関にリスク感覚がなく脳天気だったりしたからです。つまり主権者やステークホールダーが本来の機能や責任を果たしていなかったということです。そこが私は一番のポイントだろうと思います。反面、国は夕張市の地方債発行などに関与してきています。道庁も関与していました。ならば、あの失敗を踏まえて新しい法律をつくるのであれば、無責任な国の関与などはこの際撤廃して、ステークホールダーが関与する仕組みに変えるのが分権改革的な立法のはずです。ところが、結局、新しい法律によれば、相変わらず住民も金融機関も蚊帳の外なのです。住民はこれまで同様惰眠をむさぼっていていいし、金融機関は貸付先の自治体が財政破綻に陥っても、最優先で返済してもらえる仕組みができたので、これまで以上にリスク感覚を持たないで脳天気に貸し込んでもいいという法律なのですね。これは明らかに分権逆行型なのですね。(p9)

 やはりこの先分権を進めていこうと思ったら、本当のステークホールダーである住民が主体意識を持たなければいけない。そのためには住民自治の強化というテーマが取り上げられなければなりません。今、住民自治が機能していない面が多いですから、その機能不全を回復する作業をしなければ、いつまでたっても分権改革というものが本来の受益者である住民の皆さんからほとんど認識も評価もされないという状態が続くと思うのです。(p10)


「原理主義」宣言いただきました。
いまの地方自治制度だって、首長と議員をそれぞれ直接選挙で選ぶという「住民が主体意識を持たなければいけない」ほどに民意を反映する仕組みになっていますが、片山氏はそれでも夕張ショックが防げなかったとおっしゃるわけですよね。それでさらに「住民自治の強化」って、どんだけ住民に負担かければいいんでしょう。

というか、民間の方々は「肝心の住民がほとんど無関心であったり、議会が機能していなかったり、貸し手の金融機関にリスク感覚がなく脳天気だった」といわれるほど、自分の身の回りことにかかりきりだったんです。これは皮肉でも何でもなく、普通の人が常に地域全体のために活動したり発言できるわけではなくて、かといって自分の選好のみで発言されたら公共財の過小供給に陥ってしまうので、だからこその「間接民主主義」という制度が採用されたり「地方自治体」というエージェンシーが設置されて「補助金」が与えられているんですよね。

確かにいろいろと問題があるかもしれませんが、かといって、「肝心の住民がほとんど無関心であったり、議会が機能していなかったり、貸し手の金融機関にリスク感覚がなく脳天気だった」なんてことが許されない社会が理想像だというなら、おちおち民間活動(?)もできないんじゃないでしょうか。さぞかし日常生活が窮屈で余裕のない「地方自治」になってしまうと思いますよ。

露木:
 さきほど片山さんが言われたように、対等協力というのは分かるのですが、そんなことより、まず目先の金をいかに引っ張ってくるか。決して卑屈になっているわけではなくて、したたかに振る舞わないと、小さな町ですからなかなか生きていけない。それと企画段階で多少鉛筆をなめて企画を膨らませてまでお金を持ってくる。そのためには多少国に媚びへつらわざるを得ないというところが率直に言ってありました。
(略)
 これは私の町にかなり特色的なのですが、小さくて真っ平らで非常に開発がしやすい町でしたので、開発しようと思うと乱開発が幾らでもできてしまうようなところでした。そこで、今から40年近く前の、いわゆる都市計画法の施行以来、かなり厳格な開発の規制を敷いて、それを40年近く一貫して続けてきたわけですが、この続けることができた1つの理由は、国の基準がこうなっているからとか、県の指導がこうなっているからというのをかなり巧妙に使って、住民との利害調整の1つのルールにしてきたことは偽らざるところなのです。それが全面的に悪い方向に転換したかというと、私の町の現状から言うと、そのときの住民の対立をそういう手段を使ってまで押さえた結果が、今も人口増が着実に続いていて、子どもの数が大変増えているという都市計画の成功をもたらしたわけなので、全面的に国のそういった基準があることがマイナスというわけではなくて、それを有効に使えたという歴史的な背景もあって、国と地方が対等だというふうに、思いがなかなかいたらなかったというのが実態としてあります。(p10)


すがすがしいほどのぶっちゃけぶりです。そうそう、「国とか県で決められているんです」ってマジックワードは地元の利権が絡んだドロドロの利害調整には役に立つんですよね。というよなことをおっしゃりながら、露木氏が地方分権改革推進委員会でされていることは恩を仇で返しているようにしか思えませんけど。

片山:
 だから、勧告の内容と実施内容とに多少の齟齬があってもいいわけです。その点は実効性が危ういという面がもちろんありますが、勧告はできるだけ理想に近い形で行えるといういい面があったのだろうと思います。私は今のやり方のほうがいいと思います。
 それから、やはり自分で自治体の首長をやっていて思いましたのは、実は前から権限移譲ももちろん必要ですが、むしろ関与をなくすことの方に全力をあげていただきたいということです。なぜかといいますと、正直言って今でも自治体の事務はかなり多いと思うからです
(略)
 今必要なのは、自治体が本当に自立するということではないか。自立というのは、自分で考えて自分の権限を自らの判断で行使する。これが一番重要なのではないかと思います。権限移譲ももちろん重要ですが、むしろ関与の廃止を徹底して、自治体が国にお伺いを立てたり意向を伺ったりしなくても自分で判断できる環境をつくってあげることが一番重要ではないかと思うのです
(略)
 ただ、そういう文脈の中では、実は一番肝心な関与の問題が欠落している。それは何かというと、自治体の起債に対する国の関与の廃止ということです。この関与は私が知事をやっているときに最も屈辱的な関与でした。自分の判断と自分の責任でお金が借りられない。そういう存在は我が国では未成年者でなければ成年後見制度下にある人と地方自治体だけなのです。(pp11-12)


総務省の理想主義と改革派知事の露出狂ぶりについてはだいぶ前にも指摘しているけど、自治体の事務が多すぎるんだから、権限委譲なんてもってのほかですよね。

というか、片山氏の屈辱なんてどうでもいいです。こういうのって「自分の善意を否定されて激高した差別発言」という善意と熱意で理想に燃え過ぎた人によくある風景ですな。

西尾:
 私たちは大きな改革をしたのだけれども、自治体が変えようとしないだけなのだ、何も変わらなかったのではなくて自治体が変えようとしていないだけなのだ、そのことが皆さんによく理解されないのが非常に残念なのです。
 しかし、自治体に自由を与えるという基本的な考え方で進んでいるのですが、何も変えないのも自由のうちなのですね。自由を与えるというのは何も命じていないのです。(略)これはそうしたらほとんどの自治体がそのままやる。これは非難すべきことなのか。非常に悩んでいます
 私は地方分権改革というのはあくまで自治体に自由を与えていくことが、これからも基本路線であるべきだと思っていますが、そういう改革を幾ら積み重ねてみても変わらないという批判をいただく。そうすると、今度やっているような都道府県から市町村へというのは、仕事をおろしてくださって誠に結構と評価してくださる方もいらっしゃるんですが、実はあれは義務づけなのですね。片方で法令による義務づけ、枠づけをできるだけ縮小しようということを課題に掲げているのに、その委員会が義務づけを新しくやっているわけです。義務づけを直したのです。ですから市町村にとってみれば、やりたくなくてもやらされるという事態なのです。国から強制される。やらなかったら法令違反ですよと責め立てられる立場に置いているということなのです。これは明治以来ずっとそういうことを繰り返してきたわけで、ぶつぶつおっしゃている市町村はたくさんある。とられる都道府県もぶつぶつおっしゃっている。でも、これは法令が改正されれば従いますよ。全自治体が粛々と従って変わるのですね。今度の分権改革は現実を変えたと言ってくださるかもしれない。でも、それでいいのでしょうかという大問題なのだと思います。義務づけがなければ変わらないのですかという問題があるわけです。私はそこは非常な悩みだと思います。(p14)


さすが西尾先生、よくお分かりじゃないですか。でも、お悩みの割に最後は粛々と従えばいいとあっさりおっしゃるわけですかそうですか。
というか、この座談会を通じて、西尾先生はかなり地方分権に懐疑的になられている様子がうかがえます。かといって、第一次地方分権改革で機関委任事務廃止をやりとげて「西尾私案」によって市町村合併を推進した当事者として、もう引っ込みはつかないんでしょうねえ。どこかで落としどころを探っていらっしゃるといいのですが、それに比べて片山氏の原理主義ときたら・・・orz

この後、「霞ヶ関叩きの勢いが余って自ら墓穴を掘る片山氏」など波乱の展開がありますが、長くなったのでまた次回。
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