2008年10月11日 (土) | Edit |
自分で書いておいて手前味噌ではありますが、このコメントって意外に射程が広いかもと思いましたんで、ちょっと話を広げてみます(まあもともと独り言みたいなブログですし)。

2008/10/06(月) 23:44:31 マシナリ
> 地元はそんな空気があんまり無くてね。
それが地方分権の本質ではないかと思います。国全体のことを考える官僚とその組織を貶めて、地方(自分の身の回り)のことしか考えない政治家とか地方自治体とかNPOを褒め称える風潮というのは、体のいいクーデターのようなものかもしれません。
(あ、念のためgruza03さんの地元に限った話ではないですよ。)

善意と熱意の地方分権(2008/10/05(日))」コメント欄


天下国家を論じることに輝きが無くなったとか宮台真司が言い出したのがオウムのころだったと思うけど、輝きなんてものはおそらく官僚の世界にはとっくの昔から無かったんだろうと思う。城山三郎『官僚たちの夏』で取り上げられた「ミスター通産省」こと佐橋滋だって特振法を実現させることはできなかったし、その弟子の平松守彦も「一村一品運動」以外ではその大分県政が評価されているわけではないんですよね。

特にWikipediaで指摘されている「平松の地域論」なるものは、

平松の地域論は、国がやるべきは「通貨、国防、外交」で、福祉、教育、農業などは地方に任せればよいとするもので、さらに地方の中でも地域、コミュニティは「一村一品」運動のように地域が主人公として特徴を出せばよい、行政は黒子、知事の役割はトップセールス、国は法や規制をかざして制約すべきでないという主張であった。

さらに、地方はまとまり、道州となり自主運営力をつけ、その一つである九州は地理的な強みを生かしてアジアとの交流に取り組むべきとするものである。実際、平松はローカル外交にも取り組んだ。いかにも、通産省の官僚出身らしいスケールの大きな発想であった(一方、その発想、考え方には官僚臭を感じるという指摘もある)。

平松守彦」(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


だそうで、これってまさに今流行のチホーブンケンなわけです。通産官僚が従来考えられていた影響力を持っていなかったことが明らかになるにつれて、その通産官僚自体が「国の役割なんか限定してしまえ」という詭弁を弄し、しかもそれが「一村一品運動」として地域活性化の切り札的に各地でもてはやされるという構図。

序に車中で喰おうと買った甘酒アイスは、そのまんまの甘酒テイスト。

師匠とその娘のアイスは、醤油がマーブル状にたらしてある。

アイスクリームメーカーに甘酒や醤油をぶち込む、恐れを知らぬその勇気に乾杯だ。旨いけど。

んで、帰り道。師匠から「これどうよ」と渡されたチラシ。

何でもこのGW中、埼玉B級ご当地グルメ決定戦なるイベントが大宮で開かれているらしく、その広報チラシなのだが・・。

そのラインナップが凄い。

ダメな師匠のお蔭様で俺もだいぶ埼玉のB級グルメ事情には詳しくなってきたのだが、そんな俺でもひっくり返る様な、そのエントリー。

(略 ぜひ本文をご覧ください

以上、パクリと無茶無謀のオンパレード

埼玉県民のこうした中学生的センスには、底知れないパワーを感じるね!

さすが、「梅を切り倒して今から桜を植えます」と宣言する知事が居た関東最後の秘境は、一味違うぜ。

■[日常]一村一品運動のためなら、剽窃をも辞さぬ! それが日本最強のフリーダム都市・埼玉!(2008-05-05)」(tetu-oの日記


世の中にフリーランチなるものはないというのは経済学の中でも重要な概念ですが、「一村一品運動」を先駆者たる大分県がやってしまった後に、フォロワーが同じ戦略でマーケットを獲得できるわけがありません。ちょっと前なら3300、今ですら1800もある市町村が全部これをやって成功するなんてことはありえません。無理矢理それをやろうとすれば、すぐにアイディアが枯渇して「パクリと無茶無謀のオンパレード」になるでしょうし、さらに無理を通せばマーケットが市町村規模に応じて細分化された場合にしか可能にならないわけで、そんな矛盾を糊塗するかのように今度は農水省が「地産地消」とか言い出す始末。

いつもなら地方の惨状を指摘した後で、「地方よりは国のほうがまともなことをしている」ということを書くところですが、通産省(経産省)とか農林省とかの流通に関係する省庁は、実際のところ結構前からしょーもない「活性化策」を推進しています。ただ問題は、そういうしょーもない「活性化策」を鵜呑みにして金科玉条のごとく信奉している地方自治体が後を絶たないということなわけで、こんな風潮だからこそ国全体の視点で考える組織はますますその重要性を高めるはずなんですけどね。

うがった見方をすれば、通産省とか農水省という存在意義が崩れまくっている省庁が自身の生き残りを図るためには、国という組織からどんどん権力を分散させていって、その細切れになった領域を個別に囲い込んでマーケットをつくるしかないという事情があるのかもしれません。経産省があらゆる政策に口を出したりするのは生き残り策というよりカルチャーといったほうがよさそうですが。

蛇足ながら、こうした考えに立脚すれば、しばしば「お行儀の悪さ」として語られる経済産業省(旧通商産業省を含む)関連の縄張り争い(webmasterもそう思ってきましたが(笑))は、基本的に市場の失敗に対する政府介入を存在理由とする他省庁に対する、市場を擁護する経済産業省という価値観の争いの顕現化であったことでしょう。無論それ以外の省庁同士でも価値観の違いはあったわけですが、その大きさが経済産業省においては有意に異なっていた可能性があります。

本書のpp136,137に9つもの旧通産省関連の「官庁摩擦」が紹介されていますが、そこでも旧通産省の使命はいずれも財界の代弁であったでしょう。逆に、最近経済産業省が従来のような摩擦を引き起こさなくなったのは、財界が政策決定プロセスへの直接のアクセスを確保したがゆえに、代弁者としての存在意義が薄れてきているということではないでしょうか‐にもかかわらず、火のないところに煙を立てるカルチャーは今なお残り、ネタとして妙な構造改革を振りかざすのは勘弁して欲しいものですが(笑)。

#旧通産省は市場介入において財界と対立的であったのではとのご指摘もあるかと存じますが、財界に対しては政府を、政府内では財界を代弁するとの振る舞い方は仲介部門にありがちなことであり、矛盾するものではないとwebmasterは考えています(総務省(旧自治省)の地方公共団体に関わる振る舞いもまたそうでしょう)。
■ [government][book]今村都南雄「官庁セクショナリズム」(2006-09-11)」(archives of BI@K


国全体のことを専門で考えるはずの中央政府の中でもそのミッションに濃淡があるのは事実でしょうし、それによってインセンティブが変わるのもわかりますが、本来そういった事情を踏まえるべき地方分権改革推進委員会がまったく逆のことを主張するというのは、なんとも怖いものです。

はじめに
(当委員会の認識)
こうした厳しい状況の下で、わが国の地域社会を持続的に発展させていくためには、国と地方のこれまでの役割分担を徹底して見直すことによって、行財政をめぐる国と地方の不明確な責任関係がもたらす両者のもたれあい状態から早急に脱却し、機動的かつ効率的な行財政システムを構築していくことが急務である。地域のことはその地域に暮らす住民自らが判断し、実施に移すことができる行政体制を整え、個性豊かで活力に満ちた多様な地域社会、地域の住民が誇りと愛着を抱く地域社会を再構築していくことが肝要である。そして、これこそが、生活者の視点に立った行政を実現する地方自治の本来の姿であり、成熟した民主主義社会の基盤である。この理想像に近づくために欠くことのできない構造改革が地方分権改革にほかならない。これが当委員会の揺るぎない信念である。

平成20年5月28日 「第1次勧告 ~生活者の視点に立つ「地方政府」の確立~」本文(注:pdfファイルです)」( ■ 地方分権改革推進委員会 委員会の勧告・意見等)p3


「公共財の過小供給」と「外部性」と「独占」と「情報の非対称性」という市場の失敗のオンパレードが地方自治であり、成熟した民主主義なのですね。わかります。
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コメント
この記事へのコメント
ご指摘しているそれは「クーデター」です。

「成熟した民主主義」が求める、地方分権の地方自治のためには、集約型都市構造にし、「限界集落」を消滅させるため「中心市街地活性化整備事業」で移住させ、「公共性の限定」「公共財の制限」「公共投資範囲の制限」を制定すること。

「公的サービス」はアウトソーシング。維持補修は「シルバー人材センター」を活用し材料費+労務費のみ支給。人件費抑制のため「公務員のワークシェアリング導入」、正規は企画管理・法務部門のみ。

市民に陳情に来るな。かわりに「町内会・自治会に年間活動費50万程度配布」足りない分は手弁当。ゴミ処理の分別・収集を自治会・町内会に委託し売却代金+委託費配布し、清掃事業所整理。

大体こういう流れかな。

2008/10/13(月) 22:54:31 | URL | gruza03 #DgdRcaA.[ 編集]
> gruza03さん

> 「成熟した民主主義」が求める、地方分権の地方自治のためには、集約型都市構造にし、「限界集落」を消滅させるため「中心市街地活性化整備事業」で移住させ、「公共性の限定」「公共財の制限」「公共投資範囲の制限」を制定すること。

これはいつの時点を基準にするかで考え方が変わるように思います。明治から昭和にかけて国土を開墾しながら人口は倍に増えているので、明治期の人口分布に戻すということなら、「限界集落」が無くなる地域もあり得るんじゃないでしょうか。

また、「中心市街地活性化」は、中心地に商用の不動産を持ちながら商売を拡張できない/する気のない地主の利益誘導という側面もあるので、限界集落の話とはダイレクトにつながらないような気がします。

あと、人件費を削ると、政治家首長にとってはウケがいいし、住民からすれば諸悪の根源の公務員を痛い目に遭わせて気が晴れるでしょうけど、その分政府支出が減って地域経済にはマイナスだということには気がつかないようでorz
2008/10/15(水) 00:12:06 | URL | マシナリ #-[ 編集]
ありがとうございます。
「田舎幻想がぶつぶつ・・・」「江戸時代がぶつぶつ・・・」とかの前に、「江戸のエネルギー消費に学ぶ:石川英輔」や「連携・協働で実現する持続可能な未来:崎田裕子」を読んでて気がめいっていたので、都市市民が望む地方の在り方は、どの時代?地方から公共性を喪失させたいの?というのがありました。
限界集落はおっしゃるとおりです。問題は地方市民の所有権・居住権よりも都市市民達が、税金のムダを重視していて、「移ればいいじゃん」と簡単にいうんですよね、自分達が都市開発で立ち退きを求めたときの権利要求と態度を思うとorz。
公的支出を減らすことがマイナスなのにそれを望むことが縮小をさらに後押ししているのに気づかないのも困ったもので、以前共産系の方と官官接待や虚礼廃止は経済にマイナスなんじゃないですか?といったこともありましたが、まあ笑われましたけどね。
2008/10/15(水) 07:41:02 | URL | gruza03 #DgdRcaA.[ 編集]
> gruza03さん

> 「田舎幻想がぶつぶつ・・・」「江戸時代がぶつぶつ・・・」とか

すなふきんさんとHALTANさんのところで話題になっていましたね。前回のエントリで「江戸時代を引き合いに出して地方分権とかいう人」と書きましたが、実例には事欠かないようで。

「限界集落は中心地に移住すればいい」というのは、ある種のパターナリズムが背後にあるために簡単にいえてしまうように思います。私はHALTANさんほどには都市対地方の対立に幻滅していないのでそう思う(思いたい?)だけかもしれませんが。

> 以前共産系の方と官官接待や虚礼廃止は経済にマイナスなんじゃないですか?といったこともありましたが、まあ笑われましたけどね。

相手が悪かったですね・・・
2008/10/16(木) 08:02:27 | URL | マシナリ #-[ 編集]
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