2008年09月28日 (日) | Edit |
前々回のエントリにいただいたすなふきんさんのTBですが、そこで指摘いただいた点は重要な論点だと思うので、遅ればせながら少し深掘りさせていただきます。

そもそもキャリア官僚と木っ端役人(失礼)のリテラシーに差異を見出さない人は国の機能を地方にそのままコピーしても大丈夫ぐらいに思ってるんだろうな。そこらへんになると非常に怪しいと私も思う。というかそれって国の行政にせよ地方行政にせよバカにしてるとしか思えない発想なんだよな。何かあると「民間では」という決まり文句が飛び出してくる公務員批判だが、だったら何でそんなボンクラぞろいの公務員たちに自分たちの運命を委ねるようなこと(地方分権)を正当化するのか?ということも考えてみれば矛盾だらけの話だ。信用してるのかしてないのかどっちなんだよ。
■[世相その他]自己目的化した地方分権志向の危うさ(2008-09-25)」(すなふきんの雑感日記


以前「世間知」とか「専門知」とかの議論が盛り上がっていたころに、「ある分野について専門知を持っているにもかかわらず、他の分野へのリスペクトが足りない人も多い」というような指摘があって、ものすごく納得した記憶があります。いろいろググってみたものの該当するエントリを発見できません(bewaadさんのところだったような・・)でしたので、ちょっと違うトピですが稲葉先生のこのような指摘が重要ではないかと思います。

クレクレ厨が嫌われるのは、ただ単に、自分からは何も有益な知識を提供せず、他人の知識にただ乗りしようとするからではない。他人の知識を尊敬していないからだ。断片的な情報・知識の背後にある知恵への尊敬を欠いたままで、ただただ情報の表層的な効用だけを追い求めるからだ。
■[論点]29日に出さなかった「教養」という論点について(2006-05-02)」(インタラクティヴ読書ノート別館の別館


同じことは地方分権改革推進委員会の委員長さんの講演のときにも感じたことではあるけど、簡単に言えば、他人の仕事の現場に対する想像力のなさに尽きるんだろうと個人的には考えています。

たとえば、最近マスコミとかネットとかでよくある論調をデフォルメしてみると、

研究者なら、
「自分の専門分野以外のことについて、専門じゃない自分がわからないのは当たり前なんだから、わかりやすく答えられないオマエが悪い。つか、そんな研究分野イラネ」とか、

経営者なら、
「現場のことはよくわからないけど、俺は会社を経営する責任があるから、なんだかよくわからない仕事している奴は辞めてくれ」とか、

国会議員なら、
「公務員がどんな仕事しているかわからないけど(※1)、不祥事が起きているのは既得権益にしがみついているからに違いないから、ガンガン懲戒処分して給料下げてやれ」とか、

民間感覚あふれてしがらみのない知事なら、
「キャリア官僚がどんな仕事しているか知らないけど(※2)、地方が疲弊しているのは官僚が自分の省益しか考えていないからに違いないから、霞ヶ関を解体しろ」とか、

ワープアとか騒いでいる人なら、
「経営者が何をしているかしらないけど、労働分配率が低くて低所得者層が増えて格差社会になっているのは、経営者が労働者から搾取した利益で贅沢したりしているからに違いないから、経営者からもっと税金を取って再分配しろ」とか、

・・きりがないですね。こういう意見を聞いてそれぞれのメンツを立てた政策をつくるときに必要とされるのが、キャリア官僚に特に重視される利害調整能力だったりするんですけど、少なくとも俺にはこれを大過なくこなす自信はありませんよ。

一つ一つ反証する気力も能力もないので、ryozo18さん経由で読んだ本から引用してみます。

中級者から上級者に脱却したとき、「脱却した」という実感を持つのがふつうである。同じ技能をやっていて、昨日とは見えるもの、見え方が異次元に違うという状態を経験するはずである。
それを経験することによって、その特定の技能を超えた自信ができる。
(略)
それを経験した人は、その技能で、上級に達していない人からは見えないもの、納得できないものがあり、自分にはそれが見え、納得もできるということが実感としてわかるようになる。すると、その他の大部分のことでは、自分も中級者以下だから、自分にはかんたんにわからないものがあるということも納得できる。そういう意味での謙虚さのようなものが身につく。
(pp127-128)


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(引用者注:念のため、ここでいう「上級者」は、「ふつうの生活をしている私たちが、人並みの適性のある技能に、そう無理ではない練習量でまあまあ一人前のレベル(p23)」に達した人であって、職業の貴賎とか所得の多寡とは関係ありません。)


職業的なスキルを身につけたときには、誰でも「仕事について自分のスキルが上がって、仕事について一家言もてるようになった」ことに気がつくのではないかと思います。そのとき、他の職業人についても同じことが起きていていると想定するのが自然なはず。しかし、それは職業特殊なものであることが多いので、簡単には互いにそのスキルをわかち合えないどころか、そういう想定さえされないことになってしまいます。

ここで、引用のように、他の分野や仕事については「自分も中級者以下だから、自分にはかんたんにわからないものがあるということも納得できる」と思うかどうかが分かれ目になるんではないでしょうか。そう思うことができなければ、稲葉先生が直截「他人の知識を尊敬していないからだ」と指摘されたように、他人の仕事が自分にはわからないという前提で、他の仕事の現場を尊敬する理由を見失ってしまうのではないかと。そして、現在のところはそれがかなりのところまで浸透してしまっているように思います。

まあ、こんなめんどくさい書き方するまでもなく、役所が民間企業の活動を規制しようとしたりすると「民間感覚もわからないくせに」とか言われるのに、民間の方々はいとも簡単に「役所を改革しなければダメだ」とか「公務員制度改革だ」とかいえてしまうのはなぜなんだろうということです。他の分野の現場を理解していないってことはお互い様なはずで、もちろん、この点については役人も大いに反省すべきところはありますが、かといって、一方的に公務員が民間の現場を理解して、民間と同じ行動を取ればいいということでもないんですよね(※3)。民間の方々にも、キャリア官僚の上記のような利害調整なり、地方公務員の法の執行とかいう仕事の現場を理解していただけるとありがたいです。

お互いにお互いの仕事をわかってないという前提で、それでもなお、それぞれの仕事や活動の現場をリスペクトし合いながら、公的部門(その中での国と地方の関係もある)と私的部門が役割分担していくことが重要なんじゃないかなと思うんですが、こんなこと書いても民間感覚がわかってないとか言われちゃうんでしょうな。


※1 国会議員の少なくない割合は官僚出身者ですが、仕事を知っていたとしても公務員はスケープゴートにもってこいですからね。わかってて批判する脱藩官僚の方もいらっしゃいますが。
※2 知事の半分もキャリア官僚でできているので、大半は改革派としてのポーズか霞ヶ関に対するコンプレックスかどっちかなんですけどね。
※3 そもそも公的部門と私的部門は非対称であって、それぞれ違う体系のものということはジェイコブス『市場の倫理 統治の倫理 (日経ビジネス人文庫)』(2003、日本経済新聞社)が指摘するとおりでしょう。
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