2005年05月28日 (土) | Edit |
実は以前bewaadさんの所http://www.bewaad.com/にメールしたことがあって、一応取り上げてももらったんであるが、あまりにとりとめもなく長いメールだったため、bewaadさんに論点を整理させてしまうという迷惑千万な次第。
さらにいろいろと言い足りないと気がはやって再メールさせていただくという暴挙に出たものの、さすがに2回も取り合ってくれるほどbewaadさんも甘くはなかった。

というわけで、このブログに全文曝しときます(決してネタがないからじゃないんですけど次の展開への伏線にでもなろうかと)。あまりに長いので今回は初めてメールしたときのものの前半をアップ。次回は後半、さらに次々回にその再メールを曝す予定。


・・・恥さらしとはこのことだよなぁ。



今年2月ころ
初めてメールいたします。ハンドルネームをマシナリとさせていただきます。よろしくお願いいたします。

私はとある県の地方公務員です。ご多分に漏れず疲弊しきった地元経済について考えているうちにリフレ派の考え方に興味を持ち、Hotwiredの稲葉振一郎さんの連載からたどって貴サイトを発見し、圧倒的な量と質を兼ね備えた思索に感服しながら拝見させていただいております。
さて、キャリア問題についての議論を拝見させていただいた際、人事に関する社会的な知覚の乏しさがこれほどよく表れている文章も珍しいと感じたので、ちょっと話に絡ませていただきたくメールいたしました。冒頭のご挨拶は決して当てこすりではなく正直な感想として書かせていただいておりますが、このキャリア問題については、議論の質の高さとは別の次元で貴サイトに通底する「実践的な視点の欠如」がもっとも集約された議論となっているのではないかと感じております。以下、そのような視点から、webmaster様の主張について思うところを指摘させていただきます。なお、言葉が至らない点やお気に障るような記述があるかもしれませんが、webmaster様も「高付加価値産業の地域分布:地方分権を考える際の材料の1つとして」でご指摘されていらっしゃるように、地方在住者の低付加価値に免じてご容赦いただければ幸甚に存じます。

まず、webmaster様がキャリア問題について議論する際の進め方についてですが、巷間よくあるような下世話な議論をキャリア反対派の論理として一定程度体系立たせて設定されていらっしゃいます。自説と対立する立場の主張をある程度の形にすることは、ブログのような場で自説の正当性を主張する際には必要な作業ではあるものの、その設定の仕方にバイアスがかかったり捨象が行われることもまたやむをえないことはいうまでもありません。[共有地の喜劇]:第 8幕での4点程度の整理までは妥当かもしれませんが、その後第9章から第12章までの各点についてのブレイクダウンがあまりに浅薄な印象を否めません。

順番に見ていきますが、まず第9章でwebmaster様は天下りを廃止した場合の対案を示してそれぞれの弊害を検証されています。しかし、天下りがキャリア官僚の退職後の待遇に関わる問題である以上、人員の退出・受入を通じた組織の維持・運営の問題としてとらえることが不可欠であり、そのためには天下りと新規採用とをリンクさせて考える必要があるのではないでしょうか。すなわち、一定の年齢で早期に退職することが、それに続く世代のキャリア官僚のキャリア形成にどのような影響を与えているかという視点が、webmaster様の議論には欠けていると思います。キャリア官僚であるwebmaster様がそのような視点をもてなかった理由を邪推するに、キャリア官僚の年次を決して逆転させない(最近はそうでない事例も増えつつあるようですが)ことが不文律となっていることとも関連しますが、出世欲以外のモチベーションしか持ち得ないカルチャーが、中央省庁の「組織の記憶」として脈々と受け継がれていることが問題なのだと考えます。カルチャーという漠然とした言い方になってしまいますが、ここでは理論化できない感情レベルの要素を持つ価値体系程度に定義させていただくとして、そのような制度に対応する態度決定が行動様式を規定するという点において、キャリア形成のモチベーションの一つとして看過できないものです。webmaster様のような議論の進め方では往々にして切り捨てられがちな部分ではありますが、そのような議論は、官僚であるwebmaster様が職務を通じて会得したであろう「理論のみで考える」という官僚の作法に則った思索の結果であると評価することが可能であり、さらにそれが冒頭に指摘した「社会的知覚」の欠如が感じられる遠因ともなっております。

その証左として、早期退職を維持することのデメリットとしてwebmaster様が指摘されている「老害」とは、いったいどのような弊害を指しているのかが不明です。同期採用が自分の上司になったり、自分が出世するポストがなくなることで、仕事へのモチベーションを失ってしまうことが問題なのでしょうか。それとも、仕事を続ける気がないのに仕事をさせられてしまうことがイヤなのでしょうか。そしてそのような官僚によって政策決定過程がゆがめられてしまうのでしょうか。いずれにしても、長年の経験で高度な政策形成能力を培ったいい年の大人が考えることにしてはあまりにナイーブに過ぎますし、政策形成を旨とする組織の運営としてもあまりに稚拙といわざるをえません。官僚であり続けるというモチベーションが国家の運営というような省庁の本来の設置目的から乖離していないのなら、同期採用の後塵を拝することになろうと、そのために低い役職に甘んじなければならないとしても(その役職がよっぽどの閑職なら話は別ですが)、与えられた職務の範囲で尽力するでしょう。やや脱線しますが、i種採用のキャリア官僚とはじめから幹部になれないii種・iii種採用の最大の違いは、決して「能力」の差ではなく、そのような諦観を所与のものとできるかどうかです。あるいは、意志決定過程の上層部に、定年間近の「感覚の古い」官僚がいて賞味期限の切れた政策を好むという問題があるのであれば、そもそも年功序列で昇進して同期採用の生き残りがトップに上り詰めるという前提から否定しなければならず、その場合天下りの問題は生じないことになります。また、官民問わずある程度の規模の組織において総合職や事務職といった職責上の区分があるにせよ、そのような組織すべてに上記のようなカルチャーがあるとは限りません。逆に言えば、(webmaster様が示された内容は不明ですが)「老害」等による弊害が発生すると組織運営が滞るので、それを未然に防ぐためのモチベーションを従業員に与え(若手の登用や中高年の専門職化等)、さらに「老害」を生むカルチャーが形成されないような組織運営上の措置(分社化や権限の現場への付与等)を講じるはずです。

天下りの禁止を求める背景には、天下り先に政府の予算がいびつな形で優先的に配分されたり、退職金などで私腹を肥やすという「いいとこ取り」に対するやっかみもありますが、「老害」を防ぐような組織運営もしないで「天下りしないとやっていけない」というような理論を持ち出す感覚や、それを醸成する官僚組織のカルチャーに対する不信感があります。経済学の言い振りを借りて「カルチャー」を「期待」と言い換えるなら、デフレ期待がデフレを招くように「天下り期待」が天下りを必要とするともいえましょう。多少逆説的ではありますが、天下りを当然視するカルチャーを廃し、天下りを前提にしたキャリア形成を否定して初めて、それぞれの職員が各々の持ち場で力を発揮するモチベーションを与える組織運営が可能になるのではないでしょうか。


(次回に続く)
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