2020年05月24日 (日) | Edit |
世の中は公務員の定年延長が話題になっていますが、そもそも定年という仕組みがなぜジョブ型で規定されている国家公務員法に適用されなければならないのかという点の議論が必要と思われるところ、まあメンバーシップ型のいんちきネオリベしかいないこの国では、公務員の定年延長が恣意的だの何だのという観点からしか批判されないわけでして、内閣人事局を設置したときの議論を思い起こすと遠い目になってしまいますね。

 しかし、公務員改革の方向性をめぐる経産省と人事院の対立が激しくなっていくと、企画官は徐々に情熱を失っていく。省庁間の縄張り争いを「戦争」と表現し、最後には「私には公務員の相応しい人事制度とはどのようなものなのかついに分からなかった。しかし、もう時間が尽きてしまった」という言葉で回顧録を締めくくる。
 「これからどんなことが起こるのか、背筋が凍るような思いがした」。回顧録を読んだある民間職員は振り返った。
p.97

民党と公務員制度改革
(2013/07/17)
塙 和也


※ 以下、強調は引用者による。

(略)
世の中の利害当事者の立場を代弁するのが国家公務員ではあるのですが、その国家公務員自身が利害当事者となる公務員制度改革について、公務員なら当事者だから何でも言えるということではありません。業界なら業界団体が、消費者なら消費者団体が、民間の労働なら労働団体(労働組合)がそれぞれの立場を取りまとめるという過程が必要なのと同様に、国家公務員という労働者の利害をとりまとめるのは国家公務員の労働組合であるべきでしょう。そこに割って入ったのが、法律によって設置された事務局でもなく労働組合でもない一省庁の「裏部隊」であったら、その政策提案なるものが何を目指しているのか不審に思うのは当然のことだろうと思います。そういうことを平然とやってのける経産省の作法の悪さには辟易とするところですが、まあ集団的労使関係の再構築が課題とすらされないようなこの国の状況では、むしろ「民間感覚のカイカク!」を気取る経産省のやり方の方が好意を持って受け止められるのでしょう。引用部で事務局の対立を生んだとされる古賀氏が、一時メディアでもてはやされていた状況がそれを物語っていると思います。

でまあ、本書で記述されているような状況を踏まえると、真に必要な改革を阻んでいるのは人事院をはじめとする複雑怪奇に入り組んだ公務員の人事制度であることは言を俟たないと思うのですが、この点においても重要なのは、この国の集団的労使関係の再構築と並行して公務員の労働基本権を回復させることにあるはずです。人事院の言い分の不自然さは本書で指摘されているとおりであるとして、そうであればこそ、人事院の設置根拠となっている公務員の労働基本権の制約を取っ払うことが人事院の息の根を止めるクリティカルな方法です。そこには手をつけずに「カイカク」ばかり叫んでいるから実現すべきことも実現できないのではないかと思うところです。

一括採用の幻想(2014年02月23日 (日))

官僚の人事に政治家が関与すべきという風潮に乗った経済産業省の「裏部隊」によって、公務員の人事制度はどうあるべきかという議論を深めることもなく設置された内閣人事局が喝采をもって賞賛される一方で、職能資格給制度の終着点である定年という一点において政府の関与はけしからんという「民意」が政府を動かしているというのが、ずぶずぶのメンバーシップ型の日本型雇用慣行が広く浸透したこの国の現状ということなのでしょう。

前々回エントリでも、

一点目はジョブと定数を連動させることとし、単に前年度比いくら減ったと一喜一憂するような定数管理をやめるということですし、二点目はジョブに従事するための専門職型公務員の導入ということで、前回エントリの付記2で引用したhamachan先生のご指摘を具現化したものといえます。まあまっとうな考えができればそうなるわけですが、個人的にはもう一点付け加える必要があると考えています。

つまり、これまでの繰り返しになりますが、

日本の現場では長らく「全体最適」がマジックワードとなっていて、「それぞれが自分の担当に閉じこもってしまう部分最適ではダメだ。全体最適を目指すべきだ!」といえば、何か言った気になることができる風潮があります。おそらくそこには、専門的な見地は局所的な視点に陥りがちだから、全体を俯瞰して判断しなければならないという、それ自体は誠にもっともな理屈があるのでしょうけれども、その裏には「職能資格を積み重ねた上司の判断に従う」という日本型雇用への信頼があるものと思われます。しかしそれは、専門性を軽視し、「全体最適」なる合理主義にお墨付きを与え、「合理主義自体が深いところで持つ志向が、グロテスクに拡大された」全体主義体制に容易に通じてしまうという危険性を孕むものと思われます。

「全体最適」なる合理主義(2020年02月27日 (木))

というように、組織規範としての職務遂行能力を身につけ、組織内政治に長けて職能資格給制度を昇進していった上司は、「専門性を軽視し、「全体最適」なる合理主義にお墨付きを与え、「合理主義自体が深いところで持つ志向が、グロテスクに拡大された」全体主義体制に容易に通じてしまうという危険性を孕」んでいるわけでして、専門性を持ちながらジェネラリストよりも賃金水準が低い職員のいうことを素直に聞き入れるとは限りません。というより、そうした組織規範に則った意思決定が是とされる風潮が変わらなければ結局、役所という組織の公共サービスの質が向上することはないでしょう。

ジョブ型でサービスが回り始める(2020年05月05日 (火))

と指摘しておりましたが、公的サービス(検察庁人事は公的サービスの中でも高い専門性と刑法の適用という特殊性があるものの)の質をどのように確保して実効性のある行政を確保するかという観点からいえば、定年で有無を言わせず退職させることの是非を問うことが前提ではないかと考えます。そして、年功的に運用される職能資格給制度において組織を維持するためには、職務無限定で新卒を一括採用し、アサインするために上位の職を順番に空けて…、という玉突きにより、全職員を対象に人事異動する仕組みが必要であり、定年はその終着点となりますので、定年の是非はメンバーシップ型の職務無限定の新卒一括採用や人事異動の是非とも直結します。

もちろん、そうしたずぶずぶのメンバーシップ型の人事制度が当然とされる風潮が日本型雇用慣行の堅牢さを物語ってはいるのですが、日本の労働組合やその支持を受ける日本型リベラル政党が、ことあるごとに「戦時体制」を引き合いに出して政府を批判する一方で、戦時体制の賃金制度を継承している職能資格給制度を金科玉条の如く護持しようとするのはどのように理解したらよいのか、不思議に思いますね。

(1) 生活給思想と賃金統制

 明治期の流動的な労働市場では、勤続年数に応じた年功賃金制など存在しなかった。日露戦争や第一次大戦後、子飼い職工たちを中心とする雇用システムが確立するとともに、長期勤続を前提に一企業の中で未熟練の仕事から熟練の仕事に移行していくという仕組みが形成され、それに対応する形で定期昇給制が導入された。これが年功賃金制、年功序列制の出発点となる。しかし、これは大企業の基幹工にのみ適用された仕組みで、臨時工や請負業者が送り込む組夫はそこから排除されていたし、多くの中小企業も労働移動が頻繁な流動的な労働市場で、年功的ではなかった。
 1930年代には、政府の中から、賃金制度を合理化して、職務給に一本化すべきだという思想が出てきたが、日中戦争から太平洋戦争へと進む中で、賃金制度は全く逆の方向、すなわち全員画一的な年齢給の方向に向かった。
 生活給思想を最初にまとまった形で提唱したのは、呉海軍工廠の伍堂卓雄である。1922年に彼が発表した論文は、従来の賃金が労働力の需給関係によって決まり、生活費の要素が考慮されなかったことを、労働者の思想悪化(=共産主義化)の原因として批判し、年齢とともに賃金が上昇する仕組みが望ましいとしている。…この生活給思想が、戦時期に賃金統制の形で現実のものとなる。
pp.626-627

(2) 電産型賃金体系とその批判

 賃金制度は、戦時中の皇国勤労観に基づく政策方向が、戦後急進的な労働運動によってほとんどそのまま受け継がれていった典型的な領域である。
(略)
 このように、当時占領軍や国際労働運動の勧告は年功賃金制を痛烈に批判していたのだが、労働側は戦時中の賃金制度を捨てるどころか、むしろそれをより強化する方向で闘い、年功賃金制度が普及していった。これに対して、政府や経営側は「仕事の量および質を正確に反映した」職務給制度の導入を訴えていた。実際、1948年の国家公務員法では、この考え方に基づいて職階制が導入されているが、これは実際には骨抜きになった。
p.628

日本の労働法政策
定価: 3,889円+税
2018年10月30日刊行 A5判 1,074頁
濱口桂一郎[著]
ISBN978-4-538-41164-4

「戦前の日本軍が暴走したために戦争へ突き進んだ」というのはほぼ共通認識といっていいと思うのですが、その軍隊組織の人事制度を頑なに受け継いで、労働者の思想悪化(=共産主義化)を阻止する意図を持って提唱された生活給思想を護持しているのが日本的リベラルの方々なんですよね。

 これまで述べてきたように、職能資格制度は、軍隊の制度と似ていた。そして、この報告書(引用注:1969年の日経連『能力主義管理—その理論と実践』)を書いた大企業の人事担当者たちも、それに自覚的だった。巻末付録の匿名座談会で、彼らは以下のように話し合っている。

C われわれの職能資格制度、私は旧陸・海軍の階級制というのはまさにそれじゃなかったかと思うんです。少尉、中尉、大尉という階級は職能的でしたよ。

(略)
 だが、彼らは、重要な点を見落としていた。彼らが軍隊にいた時期は、戦争で軍の組織が急膨張し、そのうえ将校や士官が大量に戦死していた。そのためポストの空きが多く、有能と認められた者は昇進が早かった。彼らが述べている「10年たってまだ中尉の人ももう少佐の人もいた」「同じ少尉でも中隊長もいるし、大隊長もいた」という事態は、戦時期の例外現象にすぎなかったのである。
pp.486−487

製品名 日本社会のしくみ 雇用・教育・福祉の歴史社会学
著者名 著:小熊 英二
発売日 2019年07月17日
価格 定価 : 本体1,300円(税別)
ISBN 978-4-06-515429-8
通巻番号 2528
判型 新書
ページ数 608ページ
シリーズ 講談社現代新書

『能力主義管理』はいうまでもなく日本型雇用の1960年代の到達点ですが、その中において、軍隊組織との類似性が当事者によってはっきりと語られていたわけですね。そしてそれは、戦前の軍隊組織の例外的な時期と高度経済成長の終焉が間近に迫った1960年代後半という時期の時代的背景との類似性でもあったわけで、その後両者がたどった道も類似しているといえそうです。

日本の労働者が理解した戦後民主主義(2019年09月29日 (日))

戦時体制を批判する方々は「新しい生活様式」にも異を唱えているようなのですが、

 ぼくは以前から「日常」とか「生活」という全く政治的に見えないことばが一番、政治的に厄介だよという話をよくしてきた。それは近衛新体制の時代、これらのことばが「戦時下」用語として機能した歴史があるからだ。だからぼくは今も、コロナ騒動を「非戦時」や「戦争」という比喩で語ることの危うさについても、一人ぶつぶつと呟いているわけだが、それは「戦争」という比喩が「戦時下」のことばや思考が社会に侵入することに人を無神経にさせるからだ。例えばコロナへの医療対応を「コロナとの戦争」と比喩した瞬間、そこには「前線」と「銃後」のような構図が成立し、「#医療関係者にエールを」と呼びかけるのは正しいことなのかもしれないが、そこに「兵隊さんありがとう」に似た不穏な響きをぼくは感じてしまう。

 と、このように書き始めれば、何でも戦争に結びつけいかがなものかと言う、サヨクのいつもの手口だろうと反発する人々も少なからずいるだろう。しかし、このような「非常時」の「日常」、「銃後」の「生活」を政治が言い出すとき、碌なことにはならない。そのことはやはり歴史を振り返れば明らかなのだ。

大塚 英志「ていねいな暮らし」の戦時下起源と「女文字」の男たち(2020年5月22日更新)」(webちくま)

現状において、「「非常時」の「日常」、「銃後」の「生活」」であった賃金統制が生活給思想を現実のものとし、戦後の労働運動がそれを保持し、労使の合意により職能資格給制度として「日常化」しているわけでして、それを批判するサヨクがいらっしゃるのであれば、それはそれで一貫した考え方だと思います。まあソーシャルに欠ける日本的リベラルとしてのサヨクの方々は、その存在そのものが一貫性を欠いているわけでして、それもまた日本型雇用慣行の堅牢さを支えているのでしょうけれども。
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2020年05月12日 (火) | Edit |
hamachan先生が意味深なエントリをアップされていて、

政治家ってのはお互いに殴り合うのが商売だから大いにやればいい。それが民主主義。

でも、たまたまその時政敵の下に仕えているからといって、役人を同じくらい激しく殴ると、その恨みは残る。もっとも、君、君たらざるも臣、臣たるべしという吏道が身についた者であれば、いかに殴られた相手であろうが新たなご主人様に同じように真摯に仕えるかも知れない。スレイブ道。

でも、たまたまその時政敵に三顧の礼で迎えられたからといって、学識者まで同じくらい激しく殴ったりすると、そんな者から三顧どころか百顧の礼を尽くされても、うんとは言ってくれないでしょうね。

たぶん、自分が将来その学識者に三顧の礼でお願いに上がる立場になることなんか絶対にないと割り切っているからできるのかも知れませんが。

「殴る相手(2020年5月12日 (火))」(hamachanブログ(EU労働法政策雑記帳))

何のことかと思ったら、おそらくこれのことではないかと。

尾身副座長への国会質問に疑問続出 「#福山哲郎議員に抗議します」もトレンド1位に(J-CASTニュース 2020年05月12日20時16分)

政府の専門家会議の尾身茂副座長に対し、立憲民主党の福山哲郎幹事長が国会質問で答弁内容にクレームを付けたことについて、医療関係者らからツイッター上で批判も出ている。
(略)
感染者が10倍以上かどうかを、あくまで聞きたいという姿勢のようだ。そして、無症状や軽症の人たちまで捕捉しないと感染の全体像が見えないと強調していた。

このやり取りをテレビなどで見ていた医療関係者からは、福山氏の質問ぶりや野党からのヤジに対し、ツイッターで疑問の声が次々に出た。

ある内科医は、「話聞くために専門家を呼んだんじゃないのか?」と疑問を呈し、ヤジについては、「せめて文字化して記録に残してほしい。議事録に残さず、誰が言ったかも特定されず、好きなだけ悪口を叫べるのは、文化じゃない」と指摘した。

こちらの記事のある内科医がおっしゃったという言葉は、「議論」というものをその目的に沿って理解すれば当たり前のように思われそうですが、ところがどっこい、特に日本の国会(地方議会もそれを真似してますのでほぼ同じですが)ではそういうものの道理が通らない現状があります。

まあ国会というか日本の議会というのはかくも「不毛」な応酬が繰り広げられる場となっておりますが、そもそもなぜそうなったかという背景について、以前のエントリで取り上げた刊行当時現役の衆議院事務総長による解説を参照してみましょう。

 我が国国会が独特なところは、質疑というプロセスがあること、そして、それが審査の太宗を占めることである。他の国では、基本的に討論という形で審議が進められる。無論、我が国にも、議員間で議論を闘わせる討論のプロセスはあるが、各党の意見表明といったもので、議員間議論という要素は少なく、かつその時間も短く、採決の前に行われる一プロセスといった儀式的な性格を強く持ったものである。
(略)
 なぜ質疑が審議の中心になったのかというのは、帝国議会初期の政治状況が大きく影響したと言っていいだろう。我が国の統治のシステムは、天皇が統治権を総覧し、内閣は天皇を補佐するものであった。議会は天皇の立法権を協賛するものであり、それは具体的には、民の代表として、政府が進める政策に意見を述べることであった。
(略)
 しかし、政党、とりわけ野党的立場の政党からすれば、政府の政策を質し、その問題点、ひいては政府そのものを攻撃したいわけで、そうなると、大臣らを質疑の場に呼ぶしかなかった。
(略)
 だが、その後、内閣の方も議会の重要性を感じるようになる。(略)こうして内閣と野党双方の思惑が一致して、質疑の場が拡大し、審議の太宗を占めるようになったと考えられる。
pp.163-165

議会学
向大野新治(衆議院事務総長)著
ISBN:978-4-905497-63-9、280頁、本体価格:2,600円

私自身も諸外国の議員制度を実際に見聞きしたわけではなく、最近だとイギリスのBrexitとかアメリカのロシア疑惑とかのニュースで見る程度の知識しかありませんが、国会議員が与党の閣僚を通じて行政(の職員たる役人)をつるし上げる日本とはだいぶ異なる印象ですね。しかも、日本では政権交代があってもこの構図は変わりませんので、民主党政権時には自民党が同じようなことを繰り広げていたわけでして、まあこの国では役人が一方的に攻撃されるのが民意ということなのでしょう。
(略)
そして、諸外国では政策決定が主に討論で行われるのに対して、日本のように質疑が中心であれば、政策や制度の詳細について知らなくても(誤った解釈によっても)質問ならいくらでもできるし、政権批判につながりさえすれば政策以外のことも質問できます。合理的無知な有権者によって選ばれた国会議員にとって、政策や制度の詳細について知らなくても発言できる質疑中心の国会の方が都合がいいわけですね。

質疑中心の議案審査構造の「不毛」(2019年11月18日 (月))

いつもは「与党の閣僚を通じて行政(の職員たる役人)をつるし上げ」ている方々にとっては、「いつもどおりやって支持層にアピールすりゃいいんだろ」ということで、与党の閣僚を通じて世界的に顕著な実績を有する学識者をつるし上げただけなのでしょうけれども、そんなことをされる立場だということが周知されれば、普通の感覚をお持ちの学識者なら二度と関わりたくないと考えるのが道理でしょう。そしてそうした普通の感覚をお持ちで世界的に顕著な業績を有する学識者が政策に関与する道を閉ざすことが政治の目指すところならば、それは一体誰のための政治なのだろうと思わずにはいられません。

まあ、日本的選良の方々にとっては、誰がどうやっても答えられない質問とか政策以外の質問を投げつけて、それに答えない姿を衆目に晒すことが重要なアピールポイントでしょうし、「政策や制度の詳細について知らなくても(誤った解釈によっても)質問ならいくらでもできる」以上は、この構造は変わらないでしょうね。

2020年05月05日 (火) | Edit |
ここ数か月アップできていなかったエントリをCOVID-19関連の話題にかこつけて一気にアップしたところですが、実は最初にアップしようとしていたのは『POSSE vol.44』の非正規公務員の記事でした。というのも、前回エントリの付記2でちらっと指摘した会計年度任用職員を含めて公務員の意思決定が歪んでいる実態がありまして、それについて記録しておくことでこの頃流行りの退職エントリとしておこうかという魂胆です。

その題材として『POSSE vol.44』の上林氏の記事に大変示唆的な記述がありまして、

現場を知らない正規と、決定権限のない非正規への二分化

 非正規化や民営化が進むことで、「正規公務員の仕事は公権力行使の仕事」というように発想が転換していきます。つまり、決定や処分をすること、生活保護なら支給を決定するとか廃止するのが公務員の仕事であって、支援対象となる住民と直接接触するのは公務員の仕事ではないとなっていきます。住民と直接かかわることは民間ないしは公権力行使に携わらない身分である非正規にやらせておけばよいとなるのです。新自由主義化と公権力行政化は同じトラックを走っています。
 一例を挙げると、生活保護の申請者の状況を一番知っているのは非正規ケースワーカーなのに、彼らはケース判定会議には参加させてもらえていないのです。それから婦人相談員の例でも、DVに遭って逃げてきた女性に面接をしてアセスメントしているのは直接接触している女性相談員なのですが、いざ一時保護の決定をするための会議には参加できない。
 このように、現場の業務と決定・処分が分離してくることによって、正規公務員が現場の様子を知らない、わからないという状況が広がっています。
(略)
 …ある児童相談所の課長からうかがった話によると、正規として公務員に入ってくる人で、児童相談所を希望する人はまずいない。あるいは、ケースワーカーとして福祉事務所に来るという人はまずいない。難しい公務員試験のために予備校にまで通って入ってくる人たちのなかには、「貧乏人を世話するのは自分たちの仕事じゃない」と本当に思っている人も多いのでしょう。
 だから、「三年経ったら必ず他に異動させるから」という約束がなければ人が入ってこない。そうすると、生活保護受給者や生活困窮者に対応するケースワーカーや、児童虐待に対応するソーシャルワーカーのようjな臨床経験を必要とするところは、業務経験が三年以下の正規公務員だけだと「素人」ばかりになってしまうので、資格があり長い経験を持つジョブ型雇用の非正規の人たちが重宝されるのですね。だから雇い止めもできない状態になっている。さりとて正規化もできない。
pp.31-33

上林陽治「公務員の非正規化がもたらす行政現場の歪み」

POSSE vol.44
発行:堀之内出版
A5判 168ページ 並製
価格 1,400円+税
ISBN978-4-906708-83-3CコードC0036
初版年月日2020年4月3日


役所というところは「理屈」がなければ動けないところですので、非正規を増やして仕事を割り当てるためには「正規公務員は公権力の行使という地方公務員法24条に規定する「職務と責任」を持ち、それによって職務給の原則の建前の下、職能資格給制度の適用を受ける必要があり、従って職務と責任に職務遂行能力を獲得するため異動する」という理屈によって、正規公務員と非正規公務員の処遇の差を説明してきました。これを突きつめていくと、役所の現場では上林氏が指摘するような事態が発生します。つまり、正規公務員は公権力を行使するための職務遂行能力を獲得せねばならず、その職務遂行能力は異動によって複数の部署を経験することによって獲得されるのだから、真に対象者と接する現場を知る必要なんかないわけです。メンバーシップ型がトートロジカルに運用されていることは以前も指摘しておりましたが、

4 長期雇用と「職務遂行能力」

ここで注意が必要なのは、組織の規範とは別に独立しているスキルに習熟した労働者が、積極的に「職能資格」の枠の外に置かれたということです。それは長期に固定化する人件費を抑制したいという使用者側の思惑に応えると同時に、テンポラリーな労働者と常用労働者との代替を防止するというメンバーシップ型労働者(とそれを維持したい日本的左派の方々)側の思惑にも応えるものでした。
(略)

5 「職能資格」と規範の内部化

さらに注意が必要なのは、「職能資格」は採用時から連綿と積み重なるものであって、メンバーシップにおける管理職としての適性はその「職能資格」によって裏打ちされるという運用になっていることです。「運用」という言葉を使ったのは、結局「青空の見える労務管理」とは上層部にいたる道を通すだけで、その道を通る資格は労働者が自ら獲得するという建前は堅持しているからです。つまり、制度として道は通すが、そこを通るための「職能資格」を獲得するためには、労働者自らがメンバーとしての規範を身につけなければならないということです。

もちろん「職能資格」が同一組織内でのみ獲得されるものであるため、少なくとも採用時のスタート時点ではすべての正規労働者に等しく与えられますが、それを「長期雇用による経験」によってどこまで積み重ねられるかは正規労働者個々の適性と成果に応じて決まるわけです。しかもその「長期雇用による経験」は強大な人事権として使用者の裁量に任されているわけですから、積み重なる「職能資格」がつまるところジョブローテーションによって獲得される以上、人事異動を含むジョブローテーションによってどれだけ組織の規範を内部化するかが重要になります。平たくいえば、「デキる社員は出世コースを異動する」ということですが、これはメンバーシップ型がトートロジーによって成り立っていることを見事に示した言葉でもあります。

労働史観の私的推論(前編)(2018年11月10日 (土))

トートロジーを通り越して本末転倒な運用がされているのが役所の実態といえそうです。もちろん、役所と同様にメンバーシップ型が高度に発達した大企業では多かれ少なかれ生じている現象だろうと思いますが、民間の労働法規が適用除外された非正規公務員が従事する業務にそのひずみが集約されているということかもしれません。

この状況に対して上林氏が示す処方箋は、

 正規公務員の皆さんから猛反発を受けることを覚悟で申し上げると、まず定数管理をやめてしまうということです。…新しい行政需要が生じたら、人件費の範囲内で正規として雇っていくというようにしないと、いつまでも新しい行政の仕事や新しい需要に対して対応できず、定数外の非正規公務員や低賃金の民間委託労働者に丸投げすることになる。
 もうひとつは、正規化するにも一工夫必要で、異動が前提のジェネラリスト型公務員をいくら増やしても公共サービスの質は上がりません。ジョブ型の正規公務員、つまり異動限定の専門職型公務員の採用類型を本気で考えるべきです。
(略)
 でも、これを本気でやろうとしたときに最も抵抗するのはおそらく正規公務員組合でしょうね。正規公務員という身分に賃金が支払われていた状態から、異動をせず一つの仕事に従事して、その分だけ賃金水準が低い人を使った方が公共サービスが回り始めるのですから。
p.36
上林陽治「公務員の非正規化がもたらす行政現場の歪み」POSSE vol.44

一点目はジョブと定数を連動させることとし、単に前年度比いくら減ったと一喜一憂するような定数管理をやめるということですし、二点目はジョブに従事するための専門職型公務員の導入ということで、前回エントリの付記2で引用したhamachan先生のご指摘を具現化したものといえます。まあまっとうな考えができればそうなるわけですが、個人的にはもう一点付け加える必要があると考えています。

つまり、これまでの繰り返しになりますが、

日本の現場では長らく「全体最適」がマジックワードとなっていて、「それぞれが自分の担当に閉じこもってしまう部分最適ではダメだ。全体最適を目指すべきだ!」といえば、何か言った気になることができる風潮があります。おそらくそこには、専門的な見地は局所的な視点に陥りがちだから、全体を俯瞰して判断しなければならないという、それ自体は誠にもっともな理屈があるのでしょうけれども、その裏には「職能資格を積み重ねた上司の判断に従う」という日本型雇用への信頼があるものと思われます。しかしそれは、専門性を軽視し、「全体最適」なる合理主義にお墨付きを与え、「合理主義自体が深いところで持つ志向が、グロテスクに拡大された」全体主義体制に容易に通じてしまうという危険性を孕むものと思われます。

「全体最適」なる合理主義(2020年02月27日 (木))

というように、組織規範としての職務遂行能力を身につけ、組織内政治に長けて職能資格給制度を昇進していった上司は、「専門性を軽視し、「全体最適」なる合理主義にお墨付きを与え、「合理主義自体が深いところで持つ志向が、グロテスクに拡大された」全体主義体制に容易に通じてしまうという危険性を孕」んでいるわけでして、専門性を持ちながらジェネラリストよりも賃金水準が低い職員のいうことを素直に聞き入れるとは限りません。というより、そうした組織規範に則った意思決定が是とされる風潮が変わらなければ結局、役所という組織の公共サービスの質が向上することはないでしょう。

ということで、私なりの退職エントリの結論は、日本型雇用慣行にどっぷり浸かった組織である限りにおいて役所のサービスの質が下がることはあっても向上することは望めないだろうという点にあります。現在の職場がモノカルチャーのサービスを提供していることもあって、まさにジョブ型雇用の世界となっておりまして、現状でも地場ではかなりサービスの質が高いほうだと認識しておりますが、これをさらに向上させることが私のMissionとなっています。メンバーシップ型にどっぷり浸かって仕事をしてきた身としては慣れない部分もあるのですが、このMissionを実践していきたいと考えています。

2020年05月05日 (火) | Edit |
前回エントリでマクロの定員抑制について取り上げましたが、一応備忘録として地方公共団体の定員管理の考え方についてメモしておきます。

とはいえジョブに応じて人員体制を整えるという考え方が希薄な日本型雇用においては「考え方」というほど大したものではないのですが、総務省の「地方公共団体定員管理研究会」で毎年モデルを示しています。このモデルというのも現状の組織体制を基準として地方公共団体を比較しているだけなので、そもそも「必要な定数」というものを示しているわけではありません。

という代物ですが、平成23年度以降は毎年モデルが示されておりまして、最新版の資料は昨年9月のものとなります。
令和元年度地方公共団体定員管理研究会(第1回)資料
こちらの2ページ(pdfでは4ページ。以下pdfのページとします)に職員数の推移が掲載されていますが、

○ 総職員数は、対前年比で5,736人減少し、273万6,860人。平成6年をピークとして対平成6年比で約55万人減少。
〔対平成6年比で約▲55万人(▲17%)〕

と大々的に記載さています。下のグラフを見ると「(H17~H22) 集中改革プランにより約23万人の減」と特出しされていまして、6ページの「地方公共団体定員管理研究会の経緯」では、平成17年度から平成22年度は、地方の側からモデルを示す必要はないとして示されていなかったとのことですが、この期間をよく見ると、集中改革プランの時期と重なります。いやまあすごいぐうぜんですね(棒)この集中改革プランは、具体的には平成17年11月に経済財政諮問会議で決定された「総人件費改革基本指針」と平成17年12月に閣議決定された「行政改革の重要方針」を指しているのですが、「国と地方の行革コンペ」の見事な成果といえましょう。

この資料では30ページから埼玉県資料が掲載されているのですが、これによると埼玉県では「平成30年4月時点で県民1万人あたりの職員数(一般行政部門)は「11.2人」であり、全国最小を維持している」とのこと。その2枚目(31ページ)に県民一人当たりの都道府県職員数(定数管理調査一般行政部門)のグラフがありまして、1位の埼玉県が11.2人、2位の千葉県が13.2人、3位の大阪府が14.0人、4位の東京都が14.2人、5位の兵庫県が14.5人となっています。もちろん人口が大きいほどスケールメリットが働くので職員数の削減効果は大きいのですが、現在のCOVID-19の人口10万人当たり感染者数と比べてみると、職員が少ないという上記の4府県はすべて上位10位にランクインしています。一方で、職員数の多い方からは鳥取県51.0人、高知県47.1人、島根県47.2人、徳島県40.7人となっておりまして、なかなか興味深い結果となっていますね。
20200503チャートで見る日本の感染状況新型コロナウイルス
チャートで見る日本の感染状況新型コロナウイルス(5月3日時点)
https://vdata.nikkei.com/newsgraphics/coronavirus-japan-chart/#d5

ちなみに33ページに埼玉県の過去5年の部門別職員増減状況が掲載されており、保健所が含まれる民生部門では67人増加となっています。なるほど保健所は体制強化したのかと思いきや、増要因として民生部門では「児童虐待件数増加への対応 (+71) 発達障害総合支援センター設置 (+10)」と81人増員したとしておりますので、保健所の検疫部門はむしろ減らされている可能性も考えられます。いやもちろん、非常事態にあって児童虐待担当も発達障害担当も総出で対応しているものとは思いますが、PCR検査に対応できる人員が増えるとは考えにくい状況だろうと思います。保健所が含まれる衛生部門では17人増加となっており、増要因として医師確保・感染症対策強化(+8)が掲げられていますので、一定の体制強化が行われていると考えられます。ただし、だからといって今回のCOVID-19感染拡大局面において即座にPCR検査に対応できる人員を増やせるとは限らないわけで、保健所が厳しい状況に置かれてしまう一因となっているのではないかと考えます(5/6修正しました。大変申し訳ございませんでした)。

さらについでに病院の病床数や職員については、小泉内閣に至るまで医療費削減の大義名分の下で人員削減が進められた経緯があり、福田内閣以降は、病床が急性に偏っている現状から地域包括ケアを中心とした体制へと移行させ、医師不足、看護師不足、コメディカル不足をいかに解決するかについて連綿と取り組んでいる分野でして、緊縮財政で病床削減ガーというのは勉強不足の誹りを免れないでしょうね。

(付記)
本エントリをアップして数時間後にこんな記事がはてブで話題になっていましたが、

…非常勤だが仕事ができる有能なスタッフは重宝され、任期明けのたびに別の部署で再任用を繰り返す。こうしたかたちで「非常勤のベテラン」が長く働き続ける例が、各地でけっこうみられている。細かい相違はあれど、この構図自体は非正規化が進んだ民間企業と何ら変わらない。

今回、コロナ禍に端を発した緊急対応とはいえ、こうした慣行とは全く異なる建て付けで、若者を期間限定で地方自治体に登用し、雇用創出・人手不足解消の両立を図ろうとする試みは、大変注目に値する。過去に資格試験スクールの講師として公務員採用試験対策に関わってきた筆者から見ると、大きな可能性を秘めているように思える。

なぜなら、この仕組みは少しでも運用を誤れば、「任期付き公務員」という、常勤職員と比べて著しく不安定で差別的な雇用形態を常態化・増加させる結果に終わりかねない一方で、神奈川県の黒岩知事が、この緊急対策で採用した職員について「優秀な方はそのまま県職員に登用する道もつくっていきたい」と発言しているように、公務員の採用に一石を投じうる力をも秘めているからだ。

大原 みはる 行政評論家「コロナでわかった、やっぱり日本は公務員を「減らしすぎ」だ 「ヒマで安定」の時代は終わったのに」(2020.5.5 現代ビジネス)5

いやまあリーマンショックや東日本大震災の際の緊急雇用創出事業はすっかり過去のものになってしまったのだなあと遠い目をしてしまいますね。もちろん、この間に法の趣旨を逸脱していた臨時的任用職員や一般職非常勤職員の制度が「会計年度任用職員」という弥縫策によって鞍替えされた経緯もありますが、リーマンショックの際東日本大震災の際も、国の基金を財源とする緊急雇用創出事業として、各自治体が地方公務員法に基づく臨時的任用職員や一般職非常勤職員を大量に直接任用した実績があります。特に東日本大震災時には、リーマンショック時から引き続き拡充された緊急雇用創出事業に加えて、地方公共団体の一般職の任期付職員の採用に関する法律に基づく任期付職員を任用しており、その任期付職員から地方公務員法に基づく選考による採用も行われています。
(補足しておくと、地方公共団体の一般職の任期付職員の採用に関する法律第3条第1項の特定任期付職員、同条第2項の一般任期付職員、第4条第1項の各号で「一定の期間内に終了することが見込まれる業務」と「一定の期間内に限り業務量の増加が見込まれる業務」に従事する4条任期付職員として任期を定めた職員を採用することができます。任期付職員は任期が定められている以外は基本的に正規職員と同じですので、定数管理の対象となりますし、適用される給料表も正規職員と同じです。したがって、任期付職員に限っていえば、ジョブに応じて正規職員が採用されたといえる場合もありますが、特に4条任期付職員の実際の配属は○○課の業務一般となることが多く、メンバーシップ型の仕事がメインとなります)

ということで、「神奈川県の黒岩知事が、この緊急対策で採用した職員について「優秀な方はそのまま県職員に登用する道もつくっていきたい」と発言しているように、公務員の採用に一石を投じうる力をも秘めている」といわれましても、既に実施していますが何か?という感想しかありません。まあ一般的な「公務員採用試験対策」は地方公務員法に基づく競争試験による採用の(いわゆる)正職員を対象としているでしょうから、選考採用といってもピンとこないのかもしれません。

念のため、地方公務員法上の競争試験採用は、18条の2で「採用試験は、人事委員会等の定める受験の資格を有する全ての国民に対して平等の条件で公開されなければならない」とされているため、医師等の資格を有する者を対象として受験者を限定することができません。逆に資格を有する者を採用する場合は、21条の2に規定する選考による採用によって採用しますので、例えば保健所の医師や保健師のような有資格者を採用する場合は選考採用することになります。まあ重箱の隅をつつくような指摘ですが、ご参考までに。

(付記2)
本エントリの冒頭で「ジョブに応じて人員体制を整えるという考え方が希薄な日本型雇用においては「考え方」というほど大したものではない」と書いておりましたが、付記で取り上げた記事についてhamachan先生が本質をズバリと突いていらっしゃいます。

日本では、公務員減らしを主張する人が、少なくとも筋金入りの一部の立派な欧米風のネオリベを除けば、それによって当該公務員の遂行するジョブが減るのであり、即ちあんたが享受しえた公共サービスがその分だけ減らされるのだよという、ジョブ型社会であればあまりにも当たり前の事実が脳みそから完全に消え失せてしまって、その極限まで減らされた公務員が、なぜかもっといっぱいいた時と同じくらいの、あるいはむしろそれ以上のサービスを提供してくれるのが当たり前だと、悪意などこれっぽっちもなく、ほんとに素直に、それのどこがおかしいの?と稚気愛すべきほど無邪気に、思い込んでいるんですね。
(略)
本ブログで何回も繰り返してきた気がしますが、わたしは、筋の通ったネオリベは好きです。筋の通ったというのは、公務員減らせということは、自分が享受できる公共サービスをその分減らせと言っているということをきちんと理解して言っているということです。そういう人は尊敬します。

しかし、残念ながらこの日本では、論壇で活躍する評論家にしても、居丈高な政治家にしても、みんなずぶずぶメンバーシップ型のいんちきネオリベでしかないのです。居丈高に公務員を減らしておいた上で、いざというときに公共サービスが足りないと、赤ん坊のようにわめきたてるのです。いや、それお前のやったことだろ。

ジョブなき社会の公務員減らしの帰結(2020年5月 5日 (火))(hamachanブログ(EU労働法政策雑記帳))

特に付け加えるべきことはありませんが、さらに絶望的なのは当の地方公務員法の所管大臣とか各自治体の首長とかその指揮命令下にある所管課を含めて「メンバーシップ型のいんちきネオリベ」しかいないということでしょうか。

2020年05月05日 (火) | Edit |
正式に緊急事態宣言の延長が発表されまして、総理会見の中でPCR検査数について尾身先生からも説明がありましたが、その後の新型コロナウイルス感染症対策専門家会議でPCR検査数が諸外国に比べて低い理由が示されていました。

〇 日本の感染症法対象疾患等の感染症に対するPCR等検査体制は、国立感染症研究所と地方衛生研究所が中心となって担ってきており、COVID-19の国内発生に当たっても、既存の機材等を利用した新型コロナウイルスPCR検査法が導入された。また、国内においてSARSやMERS、ジカ熱のなどの新興感染症のPCR等検査を用いた病原体診断は可能となっているが、国内で多数の患者が発生するということはなく、地方衛生研究所の体制の拡充を求める声が起こらなかった
〇 なお、韓国・シンガポールに関しては、SARS・MERSの経験等を踏まえ、従前から、PCR等検査体制を拡充してきた。この差が、これまでの経過に影響している可能性がある。
○ 加えて、地方衛生研究所では、麻疹やノロウイルス、結核など、感染症法で規定されている疾患の検査を主として実施している。しかし、今回のような新しい病原体について、大量に検査を実施することは想定されておらず、体制が十分に整備されていなかったことも影響していると考えられる。
(略)
〇 しかし、3 月下旬以降、感染者数が急増した大都市部を中心に、検査待ちが多く報告されるようになった。PCR等検査件数がなかなか増加しなかった原因としては、①帰国者・接触者相談センター機能を担っていた保健所の業務過多、②入院先を確保するための仕組みが十分機能していない地域もあったこと、③PCR等検査を行う地方衛生研究所は、限られたリソースのなかで通常の検査業務も並行して実施する必要があること、④検体採取者及び検査実施者のマスクや防護服などの感染防護具等の圧倒的な不足、⑤保険適用後、一般の医療機関は都道府県との契約がなければPCR等検査を行うことができなかったこと、⑥民間検査会社等に検体を運ぶための特殊な輸送器材が必要だったこと、またそれに代わることのできる輸送事業者の確保が困難だったこと、などが挙げられる。
p.18-19

「新型コロナウイルス感染症対策の状況分析・提言(5月4日)」(新型コロナウイルス感染症対策専門家会議)PDF

どう見ても人手不足と器材不足が原因なんですが、経済学的に正しい思考をされる方々は
「有事の際の切り替えプラン」とかいうものがあれば、「さあ有事だぞ」といえば人も器材もわさわさ湧いてくると思っているのでしょうけれども、だから人手はストックできませんてば。
@synfunkさんのツッコミにすべて集約されるわけですが、とはいえ、これは必ずしも大阪府や大阪市に見られた現象ではなく、特に2000年代は全国の地方公共団体が人員削減を競っていた実態があります。

専門調査会情報等 国と地方の行革コンペ

公務員の総人件費改革を断行するには、従来の延長線上の増減主義によらず、抜本的な手法により改革を実行する必要があり、平成17年11月に経済財政諮問会議で決定された「総人件費改革基本指針」及び平成17年12月に閣議決定された「行政改革の重要方針」において、国・地方を通じた優良な取組事例を国民の前でオープンに披露し合い、その効果を前向きに競い合う 「行革コンペ」の実施により競争的環境の醸成に取り組むこととされました。
このため、出先機関の廃止を含めた抜本的見直し、事務の大胆なアウトソーシングなどによる定員の純減などの取組事例なども含めた、総人件費改革のための優れた取組事例を国の行政改革担当者や県知事等が発表し合う「国と地方の行革コンペ」を開催しています。

専門調査会情報等 国と地方の行革コンペ(内閣府)

このおどろおどろしい取組は結局2年間しか継続しませんでしたが、記念すべき第1回には当時の太田大阪府知事が登壇して「大阪府総務サービスセンター」で400人、「府立の3大学の再編統合と公立大学法人化」で教員定数236人、職員44人を削減したと報告されています。まあ内閣府主催の取組なので「国にいわれて地方が仕方なくやった」と見えなくもない(ちなみに第1回で地方行革を誇らしげに報告しているのは当時の総務省大臣官房審議官だった久元喜造氏、現在の神戸市長です)ですが、全国知事会でも「先進政策バンク」なんてサイトで人件費削減を競い合っていました。

ただし、総務省も嬉々としてこんな資料(注:pdfファイルです)まとめちゃってるし、全国知事会の「先進政策バンク」なるものをみても、岡山県とか徳島県とか京都府とかでも「総合的な出先機関」なんて話をしているんだけど、それぞれの個票をうすーい目で見てみると、共通して見えてくるのは「組織のスリム化」っていう人員削減が目的というところ。結局は、国が地方分権改革推進とかいって「中央政府を小さくする代わりに地方政府を大きくしちゃえ」ってやってるのと同じように、都道府県の出先をスリム化して市町村に人と財源を移しているに過ぎないんですよね。それが所得再分配機能だったときには深刻な問題が発生するわけで、そういうコストを織り込んだ議論もしないで「効率的」とか言っちゃう地方自治体が地方分権を担えるのか?というのはいつもの疑問。

地方分権と二重行政(2008年07月31日 (木))
※ 原文のリンク先はすべてリンク切れしています。そういうところだぞ。

この時期の地方公共団体の人員削減には、上記の内閣府のサイトの説明にある通り、平成17年11月に経済財政諮問会議で決定された「総人件費改革基本指針」と平成17年12月に閣議決定された「行政改革の重要方針」が大きく影響しているわけですが、そもそも定員抑制自体は1960年代から始まっていました。

 以上の検討に従えば,日本における公務員の人件費の特徴は,その財政的な統制の難しさにあった.公務員は,身分が保障されているだけではなく,給与も財政当局との交渉とは独立に決まる.それは,自民党政権の「利益配分体系」の外から働く支出拡大の圧力であり,景気と連動するものではあっても,必ずしも長期的に政府の財政規模を拡大させ続けるわけではない.しかし,公務員の給与が民間部門に合わせて設定されるということは,政府が人件費を有効にコントロールできないことを意味していた.こうした性質ゆえに,公務員の人件費は1967年9月に始まる財政硬直化打開運動の標的になったのである.
p.98

市民を雇わない国家
日本が公務員の少ない国へと至った道
前田 健太郎 著
ISBN978-4-13-030160-2
発売日:2014年09月26日
判型:A5ページ数:328頁

身分保障は雇用保障ではないと何度言えば…、というのはとりあえず措いといて、政治学的な描写としては指摘される通りでしょうけれども、この時期は高度経済成長に対応するため日本型雇用慣行が形成された時期でもありまして、民間では人材確保と給与原資の管理が問題となっていた時期でもあります。そして技術革新に応じた配置転換を円滑に進めるために、年功制を基本とした職能資格給が民間で採用され、民間準拠する人事院勧告を通じて公務員の賃金体系にも影響が現れたというのが実態と言えるでしょう。

市民の生活を保障しない国家(2018年07月21日 (土))

専門家会議資料では、「「新しい生活様式」の実践例」にも注目が集まっていますが、コロナ後にはこうした公的サービスの供給体制についての考え方も変わるのだろうかなどとも妄想しますが、まあ望み薄ですね。
ここで言及されている磯田氏の発言は、この番組内でのものです。

「緊急対談 パンデミックが変える世界〜歴史から何を学ぶか〜」

パンデミックとなった新型肺炎。人類はいま大きなチャレンジを突きつけられている。これから社会はどう変わるのか。ウイルス学、感染症史、日本史、世界史など各人が独自の考えとフィールドを持つ識者たちが集い、人類の今と明日についての思索を披露しつつ徹底的に対話する緊急特番。【出演】ヤマザキマリ、磯田道史、山本太郎、河岡義裕 初回放送2020年4月4日

それぞれの立場から政府の取組を批判するのはもちろんかまいませんし、その批判が当事者の利害に基づいたものである限りにおいて政策決定に有用となり得ると思いますが、1960年代以降粛々と進められた人員削減の結果を誰が引き受けるのかは、コロナ後の利害関係において十分に議論される必要があると思います。

2020年05月04日 (月) | Edit |
Covid-19感染拡大による緊急事態宣言が5月末まで延長されるとのことで、この間の政府の意思決定において存在感を示しているのが「新型コロナウイルス感染症対策専門家会議」です。常々「日本型雇用慣行がしみついた組織規範では専門性が評価されない」と指摘している拙ブログでも、3月の時点で

(追記)
…確かに専門家の高度な説明では一般に理解されにくいとしても、総理会見は、今回の措置の趣旨を理解して現場で実践し、患者や生徒でその説明が求められる立場にある医療従事者も学校関係者も聞いているわけでして、現場の彼らの作業を説明できるくらいの内容は必要だったと思われます。この程度の説明では結局、現場の医療従事者や学校関係者が総理の説明の不足分を現場で補わなければならず、現場の説明は往々にして理解されないという負のスパイラルを生んでしまうわけですが、まあ経産省的には「所管官庁で説明しとけ」ってなもんでしょう。

「組織規範」では評価されない専門性(追記あり)(2020年02月29日 (土))

と指摘しておりましたので、専門的見地からの政策決定が行われて誠に望ましい状況…といいたいところですが、なんか様子がヘンです・・・

と思っていたら、牧原先生が詳細に解説されておりました。

 なぜ、こうした状況が生まれたのであろうか。実際、感染が広がり始めた当初、政権は感染症対策の専門家にそれほど重きをおいていたわけではなかった

牧原出「前のめりの「専門家チーム」があぶりだす新型コロナへの安倍政権の未熟な対応」(2020年05月02日 WEB論座)2


 政権がここまで専門家に頼り切るようになった背景には、政権内に分裂が生じ、決定と責任の分担があいまいになっている状況がある。

 2月27日に安倍首相の判断で決まった「全国一斉休校」には、菅義偉官房長官が反対だったと報じられた。実際、その後の一連の新型コロナ感染症対策には、菅官房長官ではなく、新たに特措法担当に任命された西村康稔経済再生担当大臣があたっている。
(略)
 本来、官邸に期待されているのは、感染症対策と経済政策との総合調整である。それは、公衆衛生行政と景気振興策の二つを軸に、医療、福祉、教育、産業支援など広範囲の政策を視野にいれて、緊急事態宣言を発令したり、それを徐々に解除したり、あるいは感染者数が増えれば強化したりといった、ブレーキとアクセルを小刻みに使い分ける高度な政治判断を続けることに他ならない

 ところが、これまでの官邸は、単に「後手後手」に回っただけではなく、こうした総合調整から逃げ回ってきたようにみえる

牧原出「前のめりの「専門家チーム」があぶりだす新型コロナへの安倍政権の未熟な対応」(2020年05月02日 WEB論座)4
※ 以下、強調は引用者による。

牧原先生は現政府の「専門家依存」が生じる理由として政権内の分裂を指摘されているのですが、その大本は、官邸に「ブレーキとアクセルを小刻みに使い分ける高度な政治判断を続ける」ことができるだけの専門性を持つ閣僚も官僚もいないことが大きな原因ではないかと考えます。要すれば、政策を決定して実行するためには、専門家が示した方策について専門的見地から理解し、それを現場の実働部隊が動けるまでの解像度を持って制度に落とし込み、実際の制度として施行するというプロセスが必要となるものの、現状では専門家が示した方策、制度への落とし込み、制度の施行のいずれのプロセスも統合されていないように見えます。

という観点から見たとき、専門家会議が政策を主導している(ように見える)現状は、専門的見地からの政策が実施される可能性が高いという点では一歩前進なのかもしれませんが、これまで専門的見地からの政策決定を組織として行ってこなかった日本型雇用慣行において、専門的見地をどのように政策に落とし込んだらいいのか皆目見当もつかないという状況なのかもしれません。牧原先生はこの点について、

 一点目は、感染症対策の“司令塔”を内閣のスタッフにすることである。厚労省医務技監は現在も官邸の会議に出席しており、本来もっともそれにふさわしい。そうでなければ、内閣補佐官・参与に、諸会議の主要メンバーである感染症専門家を起用し、内閣スタッフとして積極的な広報に務めるべきである。

 こうすることで、内閣に入った感染症専門家は政治的責任を一身に負うが、各種会議で提言をする専門家チーム全体はこれと区別される。政策の説明と、科学的判断の仕分けを、政権内の専門家と、諸会議の委員としての専門家との間に明確な線を引くことで確保するのである。いわば、専門家と政治の間の距離をとる、「ポリティカル・ディスタンス」が必要なのである。

牧原出「前のめりの「専門家チーム」があぶりだす新型コロナへの安倍政権の未熟な対応」(2020年05月02日 WEB論座)6

として、専門家を内閣スタッフとすることによって、政権内の専門家と諸会議の委員としての専門家の間に線引きすることを提言されていて、さすがに問題の所在については的確に把握されていると思います。ところが、日本型雇用慣行においてそれができるかというと、組織における決定権はライン上の幹部(霞ヶ関でいえば指定職以上)の専権事項であって、そこにポッと出の専門家が紛れ込んだところで、組織規範を使いこなす組織内政治に負けてしまう可能性が高いのではないかと危惧されるところです。

つまるところ、結局日本型雇用慣行においては、専門的見地からの意思決定は好まれず、組織内政治に長けた(そのための人的・時間的リソースを持ってインフルエンス活動ができる)一部の集団に意思決定の権限を握られる危険性が常につきまといます。そしてそれは、現状の官邸の姿でもあるのではないかというのが個人的な印象です。

という官邸の姿が想像される中で、先日和歌山県知事のメッセージが話題になっていました。

 そのいずれも、国には感染症対策の専門家が居るはずなのに、感染症対策の当局の対応についてアドバイスをしているかというとあまりなく、あっても後手に回り、言っていることは、別に専門知識が無くても政治家が考えつきそうな人々の行動の自粛ばかりを言っていて、それがメディアでとても大きく報じられる、それが現状のようで、私も思わずうらみ節を言いたくなるのです。そう言えば最近は疫学的調査というちょっと難しい専門用語も政府からも聞こえてきません。それこそ、和歌山県でまだ必死に展開している辛い作業なのですが。専門家は主として医学と医療の専門家ではないのでしょうか。その本当の専門分野で我々を導いてくれることがないのでしょうか。
(略)
…この献身的な営みに、果たして情報発信力のある政府はエールを送り、マスコミはことの重要性を認識して、その重要性のメッセージを送り続け、そして、医学の専門家は各段階毎に必要なアドバイスを個別に、あるいは、全国的にメディアを通じて送り続けないといけないのではないでしょうか
 しかし、現実になされていることは、逆です。先にも言いましたように疫学的調査の言葉すら消えてしまって、自粛自粛の大合唱しかありません。大活躍しておられるのは統計学の先生で、何十%の接触低下で発症者がこうなるというような話(それはおそらく真実だと感じますが)ばかりが舞っています。これでは防疫を必死で頑張っている多くの保健当局者や医療関係者に対するエールにもなりません。ひょっとしたら闘志を削いでいるのではありませんか。我々和歌山県当局はローカルな専門知識だけで必死にコロナと戦っています。それぞれの県もそうでしょう。段階が進んでしまった県の苦悩はいかばかりかです。しかし、それぞれの段階の中にあっても具体的な対策の中でベターなものとベターでないものがあるはずです。それをアドバイスするのが、医学の専門家なのではありませんか

知事からのメッセージ 令和2年4月27日(和歌山県)

一部で絶賛されていたので元通産官僚として官邸の現状に苦言を呈しているのかと思ったのですが、単に専門家を批判しているだけですね。いやもちろん、「ローカルな専門知識だけで必死にコロナと戦って」済生会病院のクラスターを封じ込めるなど実績を上げていて、そのご努力には敬意を表するところですが、専門的見地からの意思決定を妨げているのが仁坂知事の後輩に当たる官邸の経産官僚であることについて何も言及がないのはいささか他人事が過ぎるのではないかと。

こうした一部の知事が持ち上げられる一方で一部の知事がしょうもないことを言い出したりするのを見ていると、戦前の官選知事から戦後の民選知事への改革のコストをここで払わされているような気がしないでもありません。役所の中の人ではなくなった者からすれば、役所の組織内政治に住民を巻き込むのは勘弁してほしいところですが、これもまた民主主義のコストなのでしょう。

2020年05月04日 (月) | Edit |
前々回エントリで取り上げた橋下氏に対して、江川紹子氏の反論がやり玉に挙げられていましたが、江川氏の「公務員のやる気をそいで、どうする?」というのもかなり的外れでして、そんな反論をするから「きれいごと空論者」などという反応を引き起こすような気もします。橋下氏本人は公務員叩きでやる気を削いでいるつもりは(少なくとも表面上は)ないでしょう。つまるところ、いわゆる「結果の平等」に対する根強い反発を持つ層からの支持を見込んだデマゴギーなわけで、そのアジテーションに対して「やる気を削ぐ」と批判したところで「それがどうした、「結果の平等」が問題なのにわかってねえな」という反応しか返ってこないのも当然ですね。

これに対して、

みんな新型コロナ禍という史上稀に見る災害のなか、不安で毎日を過ごしている。

そんななか、あいつに配れ、こいつには配るな、という分断、敵対感情を煽るのではなく、みんな一律で受けて、早く一体感を持って収束を待とう。

お金がある人は寄付をするなり、地域経済に還流するなり、何に使ってもいいだろう。

橋下徹さん、もうこれ以上、不毛な対立や分断を煽るのは終わりにしよう。静かにしていてほしい。

「橋下徹氏「給料、ボーナスがびた一文減らないことが確実な人には給付する必要なし」発言(藤田孝典 | NPO法人ほっとプラス理事 聖学院大学心理福祉学部客員准教授)(Yahoo!ニュース 4/22(水) 18:16)

という反論もあったようなのですが、うーむ、この藤田氏もこれまで散々行政に対する対立を煽るような言説を振りまいてきた方でして、どの口がそれを言うかと思うわけです。前回エントリで引用したスピーナムランド制度や地方分権の議論とも関係しますが、

自己責任論が一方ではボランティアの働きを促進し、一方では公的セクターの動きを阻害するというのは大変興味深い現象ではありますが、この流れを突き詰めていくとNPO法人ほっとプラス代表理事の藤田氏が、

藤田:もう行政はだめだと思うんですよ(笑)。小さな政府になっていますし、公務員も減らすことしか考えてないのが大きな流れですので、行政にやれと言っても難しい。かといってあまり企業に求めてもしょうがないと思っているので、自前の市民が動きやすいようにお金の回りを作らないといけないと思っています。要は寄付してくれって話なんですよね。

『POSSE vol.13』p.54

とおっしゃるような話になってしまいます。震災後の行政機能の低下は小さな政府を推し進めた結果であることには異論はありませんが、このように公的セクターの機能不全を所与のものとしてしまうことは大変危険な議論だと思います。たとえば、中央政府がやらないから地方政府が所得再分配をやるべきだという地方自治体が、負担増を伴うことなく老人の医療費を無料化するという老人医療費支給制度を始めてしまい、それが全国に波及して保険財政が逼迫するという事態を招いたわけでして、その轍を踏んでしまいかねません。あるいは2世紀近く前のイギリスのスピーナムランド制度が同じような結末を迎えたことからも、適切な規模の政府を持たなければ所得の再分配は実現しないという歴史の教訓を学ぶ必要があると思います。

自己責任論の二面性(2012年01月10日 (火))

どちらも都合よく行政を味方につけようとされているようにしか見えないんですよね。という思いを持つ者としては、hamachan先生のこの言葉はまったくもって同意しかありません。

公的年金をつかまえて、あたかも私的な取引に基づく積立貯金であるかの如く「返せ」などという言語を発すること自体が、脳内主観では敵対していることになっているホリエモンと全く寸分違わない立場に自らをおいているという基礎の基礎すら理解できていないような人間は、やはり最小限のことを勉強してから発言したり行動すべきなのです。

同じ社会保障制度で例を取れば、健康保険で医者にかかって本人負担分の高さに逆上して、「健康保険料返せ」とわめき散らして、公的健康保険を破壊し、市場ベースの医療保険だけの、ムーア監督の「シッコ」の世界を求めるかの如き無知な「庶民の怒り」を、褒め称えるようなことを言ってはいけないのです。

「無知がものの役に立ったためしはない(2019年6月20日 (木))」(hamachanブログ(EU労働法政策雑記帳))

※ 強調は引用者による。

ということを思っておりましたら、早速また藤田氏が自ら「分断」をつくり出していたようですが、ご本人にはそうした認識がまったくないところがまさに「ブーメラン」と呼ぶに相応しいわけでして、その点において橋下氏と変わるところはないように見受けます。

つまり、岡村氏には早く混乱期から立ち直り、謝罪の意識をどう次の言動につなげていくのか、ということが問われている

この間、岡村隆史のオールナイトニッポンのファンから色々な声や要望、抗議や罵詈雑言があった。

ファンやリスナーも辛い思いをされ、混乱されていることだと思う。二度とこのような思いはさせないでほしい。

岡村隆史氏のラジオ番組内の謝罪「変わらなければならない」について(藤田孝典 | NPO法人ほっとプラス理事 聖学院大学心理福祉学部客員准教授 5/1(金) 12:01)
※ 強調は原文。

騒ぎが大きくなった時点においても相手にのみ変わることを求める点で、文体は幾分丁寧ではありますが「俺が指摘したことが絶対正義だからお前が従え」という意図が見え隠れしているように感じます。まあ個人の感想ですから藤田氏ご本人にはそのつもりはないのかもしれませんが、藤田氏が味方をしたつもりの当事者から突きつけられている言葉を真摯に受け止める必要があると思います。

以上述べてきたように、藤田氏は、性風俗で働く人々を風俗から解放しようとは本気で考えてはいない。それくらいは当事者は見抜く。彼は貧困問題における政治や資本家の不作為や搾取の問題を追及したくて「性風俗で働くかわいそうな女性」を印籠のように使いたいだけだ。米軍基地問題で我が国の婦女子が米軍によって性犯罪の被害に遭っている!買春相手にさせられている!と米軍反対を言いたいがためだけに、ここぞとばかりに性被害者の悲惨さ、売春婦の悲惨さを政府に向かって錦の御旗のように振りかざす日韓の左翼男たちと同じ類だ。それがいかに当事者に対するスティグマを強化・助長するかまったくわかっていない。既に多くのフェミニストが指摘していることだが、藤田氏はもうジェンダーや性に関する言及は控えるべきだろう。いい加減気付いてほしい。悪いけど、かわいい藤田少年のロマンチックな闘争幻想につきあってる暇はない。

岡村叩きにみる正義を語る悪魔(要友紀子 2020/05/03 07:41)note
※ 強調は原文。

気に入らない主張を批判するために分断を指弾したつもりが自ら分断をつくり出し、そのことに無自覚であることを指摘されるとさらにその指摘した側への批判を強めていく…というのは、要氏が列挙した日本型左派によく見られる現象ですが、とはいえ左右問わずにそうした言動を繰り広げる方はいらっしゃるわけでして、コロナ禍によってこうした分断が可視化されることがいいことなのか悪いことなのか、これもまた注視することが必要ですね。

2020年05月04日 (月) | Edit |
さて、一律10万円給付については経済学的に正しい議論としてすんなり決まってしまい、この機に乗じて「すわ、ベーシックインカム待ったなし」と盛り上がっている方面もあるようですが、すっかりほとぼりは冷めてしまったものの、こんな発言もありましたね。

広島県知事 「県職員の10万円活用」を撤回 新型コロナ(2020年4月22日 16時09分 NHK NEWSWEB)

広島県の湯崎知事は、10万円の一律給付をめぐって、県職員が受け取った分を県の新型コロナウイルス対策の財源に活用したいとしたみずからの発言について、「適切なことばではなかった」と述べて、事実上、撤回しました。

現金10万円の一律給付をめぐって、広島県の湯崎知事は21日、県職員が受け取る分は寄付してもらい、県の新型コロナウイルス対策の財源に活用したいという意向を示し、「職員の財産に手を突っ込む行為だ」などと批判が高まっていました。

これについて湯崎知事は、22日午後、記者団に対し「国の給付金を強制的に提出させるかのように受け止められているが、それは誤解だ。給付金は、もともと職員が受け取るものだと思っている。撤回というか、適切なことばではなく、まさに私のことばが悪かった」と述べて、事実上発言を撤回しました。

そのうえで、湯崎知事は、発言の真意について「感染拡大の防止など、やらなければいけないことが山積し、さまざまな事業の見直しなどで財源を確保する必要があり、県職員にも協力をお願いすることも、選択肢の1つになるという趣旨だった」などと述べ、今後、給与削減も含めた広い意味で職員に協力を求める可能性に触れたものだったと釈明しました。

※ 以下、強調は引用者による。

撤回かと思いきや「今後、給与削減も含めた広い意味で職員に協力を求める可能性」とのことでより踏み込んでいますね。というわけで、ベーシックインカムといえばスピーナムランド制度の歴史について、権丈先生のご指摘を改めて熟読玩味する必要がありそうです。

週刊東洋経済2010年3月6日号

 1790年代,革命後のフランスとの戦争の最中,イギリスでは,凶作とインフレが農村の困窮と社会不安を高めていた.そこで1795年,バークシャー州の治安判事たちはスピーナムランドにあるペリカン・インという宿屋で総会を開き,貧困と低賃金をめぐる斬新な対策を全会一致で採択した.その対策とは,パンの価格と世帯の規模に反応するスライド規定を用意して,働いていても最低所得を下回る家庭には,教区(キリスト教会を通じた行政単位)が最低生活費の不足分を自動的に支給する制度であった.この制度は,人々の大きな期待を受けて翌年には各地に拡がっていく.
 ところが,この制度の現実の機能を見ると,善意と誠意に発した立案者たちの主観的意図から大きく外れ,いたずらに救貧地方税の負担を膨張させてしまった.さらに企業側からは単なる賃金補助と受け止められて低賃金が温存され,労使間にあった細々とした紐帯をも断ち切ってしまう.…
 さて,善意が裏切られたときの,納税者たちの反応はどうであったか.「補助金によって増大する人口」を攻撃したマルサスの「人口論」が初版(1798年)以来,広範囲に支持されていく.そしてスピーナムランド制度が誕生して39年後の1834年,この制度は廃止され新救貧法——保護される者は自立して生きる労働者の最下層の生活よりも劣るべきとする「劣等処遇原則」と,労役場の中だけでしか貧民に対処しないとする「院外非救済原則」を徹底させた制度——が誕生する.これはスピーナムランド制度以前の救貧法より貧困者に厳しいものであった.
p.308-9

ちょっと気になる政策思想
社会保障と関わる経済学の系譜

権丈 善一 著
ISBN 978-4-326-70106-3
出版年月 2018年8月
判型・ページ数 A5判・376ページ
定価 本体2,300円+税


スピーナムランド制度の行き詰まり後に実現した新救貧法は、「必要な人にだけ必要な分を支給すればよい」という選別志向が徹底され、スピーナムランド制度以前の救貧法よりもより厳しくなったわけですが、2世紀以上も前のこととは思えないほど同じような議論が聞こえてくるのは気のせいでしょうか。

とまあ、スピーナムランド制度当時の使用者と同じ発想をする方が県知事を務めるという現状において、緊急事態宣言に基づく具体的な措置は知事の権限とされているわけですが、さて彼ら(橋下氏の政治家としての活動は大阪府知事から始まっていますし、広島県知事はあの通産省出身ですね)が唱える「補完性の原理」に基づいてどのような結末がもたらされるか、注視する必要があるといえましょう。

一部で地方分権問題の関連でEUの補完性原理が取り沙汰されているようですが、

http://sonicbrew.blog55.fc2.com/blog-entry-92.html

ヨーロッパの文脈で言う限り、補完性原理をかざして地方分権を主張し、中央集権に否定的なのはキリスト教的保守勢力の側で、労働組合や社会民主党といった陣営はおおむね中央集権派です。地方なんかに任せたら地方のボスが勝手なことをするから、ちゃんと国がコントロールしなくちゃという発想。

「補完性の原理についてごく簡単に(2008年5月20日 (火))」(hamachanブログ(EU労働法政策雑記帳))

まあ、この国で地方分権やら地域主権やら地方創生を熱烈に支持するのは労働組合やそれに支持される日本的左派政党であるところからすると、地方のボスが勝手なことをするほうがウケがいいのかもしれませんね。

2020年05月04日 (月) | Edit |
コーエー三國志世代としては「乱世の奸雄」といえば曹操ですが、COVID-19感染拡大の事態にあってメディアへの露出が高まっているのが大阪維新の会を立ち上げた弁護士さんですね。

橋下徹氏が『公務員10万円受給禁止案』を巡って江川紹子氏と大バトル「給料もボーナスも100%保障…それ以上何を望むの?」(中日スポーツ 2020年4月22日 19時9分)

 元大阪府知事の橋下徹氏(50)が22日、公務員に対する10万円現金給付の受け取り禁止の提案をジャーナリストの江川紹子氏が批判したことについて自身のツイッターで大反論した。

 「今のご時世で給料もボーナスも100%保障されて、それ以上に何を望むの?それでもやる気が出ないってどういうこと?」と異を唱えた。さらに大阪府の吉村洋文知事が22日の記者会見で、民間の医療機関に勤務する医療従事者を含めた独自の手当を支給すると表明したことを強く支持し、「リスクある人たちにはしっかりと報いる。これが組織運営。江川紹子はもっと勉強しろ」と名指しで注文をつけた。

 橋下氏は21日に「給料がびた一文減らない国会議員、地方議員、公務員は受け取り禁止!となぜルール化しないのか」と持論を展開したが、江川氏からは22日のツイッターで「こんな状況で働いている人たちがいるのに、1人10万円の給付金を『公務員に払う必要がない』など、またぞろ公務員叩きをしてスポットライトを浴びている著名人がいる」と批判の矛先が橋下氏であるとにおわせた上で「今、公務員のやる気をそいで、どうする? 公務員も国民。国民の分断をけしかけて、どうする」との見解が示された。

 橋下氏は21日に「最前線で頑張っている公務員には特別手当の支給」との提案もしているが、その理由について「最前線の公務員とそうでない公務員をきっちり分けて評価するのが組織の人事評価というもの。それができなければ組織なんて成り立たない」とつづり、「リスクある者もない者も同じ評価ならリスクある者のモチベーションはかえって下がるわ。現実を知らないきれいごと空論者の典型」と逆批判した。

手当というのはその業務の特殊性とか危険度とかに応じて支払われるものでして、人事評価そのものとは別枠で支給されるものなんですが、まあ、この弁護士先生は労働法方面にはあまり詳しくないと思われる方ですので、そもそも人事とか労務とかはその程度の認識なのでしょう。

もう一度確認しておきますと、国家公務員法も地方公務員法もいずれも「職務給の原則」を掲げています。これに対して、19年の閣議決定では「職制上の段階の標準的な官職と、その官職に必要な標準職務遂行能力を明らか」にするとし、13年の閣議決定では「職務(官職)を通じて現に発揮している職務遂行能力に応じて職員を等級に格付ける能力等級制度を設け」るとしていますね。それでは、職階制を廃止した国家公務員法と地方公務員法の改正は、「職務給の原則」を徹底しているといえるのでしょうか?

…結局、国家公務員法と地方公務員法の「職務給の原則」が、その言葉とは正反対に「職能資格給」として機能している現状を追認したのが、国家公務員法から地方公務員法に連なる改正の内容ということになります。だからこそ、「職務給の原則」を支える(はずだった)職階制は廃止されなければならず、その代わりに能力に応じて官職を割り当てるための人事評価を規定しなければならなかったわけです。

職務給の原則と職能資格給制度(2016年04月10日 (日))

ということで平成26年の改正後の地方公務員法の規定では、

第二十三条 職員の人事評価は、公正に行われなければならない。
2 任命権者は、人事評価を任用、給与、分限その他の人事管理の基礎として活用するものとする。

第二十四条 職員の給与は、その職務と責任に応ずるものでなければならない。
2 職員の給与は、生計費並びに国及び他の地方公共団体の職員並びに民間事業の従事者の給与その他の事情を考慮して定められなければならない。

地方公務員法 - e-Gov法令検索 - 電子政府の総合窓口(e-Gov)

となっておりまして、改正によって第23条で「人事評価を任用、給与、分限その他の人事管理の基礎として活用する」と規定された一方で、第24条の「職員の給与は、その職務と責任に応ずるものでなければならない」という規定は改正されませんでした。この第23条は、改正前は職階制を規定していた条文でして、一応その時点では職階制によって職務と責任が規定されるという建前で第23条と第24条は連動していたのですが、職務と責任の根拠となる職階制を人事評価に入れ替えてしまったために、この連動が失われてしまっています。結局、給与は職務と責任によって決まるのか、それとも人事評価によって決まるのかは、「任命権者は、人事評価を任用、給与、分限その他の人事管理の基礎として活用する」という規定上は、明確に読み取れなくなっているわけです。ちなみに蛇足ながら守秘義務は退職後も課せられるところではありますが、職務給の原則と人事評価の接合をどう考えるべきか某中央省庁の所管課に確認したことがありまして、「23条までと24条以降の担当が違うので分からない」と回答されたときは軽くめまいを覚えたものです。

で、日本において「手当」というのは福利厚生としての役割を持つものが多く、それが戦時体制下における生活給制度につながり、戦後の職能資格給制度へと発展していった経緯があります。

3 諸手当の誕生

 今日のわが国賃金制度の特色の一つは,様々な手当の存在である。諸手当は大正時代からすでに見られ,その頃から賃金制度が複雑化してきたといわれる。前掲図表2の様々な手当は,一部の企業にしか存在しない手当であっても掲げられている。今日の基準からすると,賃金というよりは福利厚生費とみるべき項目も含まれている。
p.36(PDFファイルで5ページ目)

笹島芳雄「日本の賃金制度:過去,現在そして未来」(経済研究』(明治学院大学)第145号 2012年)PDF

職務給制度であればそもそも職務に対して給与が支払われているはずですから、「橋下氏は21日に「最前線で頑張っている公務員には特別手当の支給」との提案もしている」ということ自体が、公務員が職務給ではないことの証左ではあるのですが、まあご本人は地方公務員法の規定と実態が乖離していることを指摘しているなんて意識はないでしょう。もちろん、通常の職務において一時的に業務の難易度や危険度が増したときに、その対価として「一時金」を支給することは職務給においてもありうるでしょうけれども、それはあくまで職務に対して支払われるものであって、橋下氏がいうような「組織の人事評価というもの」ではないわけです。まあ「リスクある人たちにはしっかりと報いる。これが組織運営」という発言をしているところを見ると、おそらくは「組織運営のための処遇」という程度の認識で発言されているだろうとは思いますが、それを人事評価とごっちゃにしてしまうところにも日本型雇用慣行の堅牢さが現れていますね。