2020年04月20日 (月) | Edit |
海老原さん関連で引き続きとなりますが、ニッチモの『HRmics vol.35』をご恵投いただきました。いつもありがとうございます。hamachan先生ブログでもご紹介されていた通り、テーマが「あいまいな、日本の、労と使」ということで、いよいよ海老原さんも集団的労使関係に本格的に取り組み始められたのかと感慨深く拝読しました。

もちろんそこは海老原さんのことですから、拙ブログのような労働組合法が複数組合を認めているから交渉力が低下しているとかの細かい話ではなく、欧米で産業をまたいだ横の仕組みとして労働組合が形成され、企業内の立野仕組みとして「従業員代表制」や「経営協議制」が形成された歴史を踏まえ、現在の日本でそれらをどのように組み合わせるべきかを検討されており、集団的労使関係の再構築をお題目のように唱えている者としても蒙を啓かれる思いで拝読した次第です。

という本誌では、冒頭でhamachan先生のこれまでの連載を振り返り、労働組合と従業員代表制の関係という視点でドイツ、フランス、スウェーデンの集団的労使関係の制度と実態についての考察が続きます。この部分は、hamachan先生が「そこにいろいろと情報を注入しているのはJILPT軍団です」とご紹介されている通り、JILPTの研究成果が基になっているだけに、制度とその実態がいかにうまく機能し、いかに制度の趣旨と乖離しているかが丁寧に説明されています。その部分は本誌をご覧いただくとして、その各国の現状を踏まえた海老原さんの結論部分にはなるほどと唸らされました。

 従業員代表制がどういうものか、未だに理解ができない読者が多いのではないか。とりわけ、従業員代表と使用者とで「共同経営(意思決定)する」という言葉が気にかかるだろう。
 欧州の労働環境は日本と大きく異なり、こうした言葉が必要な社会的素地がある。…
(略)
 飜って日本においては、末端社員に至るまで経営のあれこれを進んで理解しようとし、社内に閉じる組合も協調路線で経営に寄り添っている。解雇なども組合が対応をする。就業規則の変更や労働基準行政、各種委員会開催も「過半数組合」があれば、それで何とかうまくいく。つまり欧州の従業員代表制の多くを労働組合が代行できている。
 この上さらに常設型の従業員代表委員会のようなものがなぜ必要なのか。機能論に走る前に、その根本を考えないといけないだろう。

HRmics vol.35』p.25

その根本について、海老原さんは日本の労働組合の問題を、加入率が低いことと賃上げが進まないことの2点に集約されます。一見単純化されすぎていてもっと深い問題があるのではないかと思ってしまいますが、その先を読み進めると、複数の組合が企業内で多層的に活動することによって組合間の競争を促し、加入率を高めることが一つの方策として示されます。つまり、複数の組合がそれぞれの分野で競争し合い、加入率を高めることで交渉力を上げて賃上げにつなげるという経路で、2点の問題が一本に繋がるわけですね。私などは、労働組合が複数組合に分裂することで交渉力が低下すると単純に考えてしまうのですが、そこに従業員代表制を組み込むことで、逆に交渉力を高める方向に展開させるという構想に唸らされた次第です。

とはいえ、この多層的な役割を果たせるだけの組合が現状でどの程度あるのか、特に当方のような地方ではナショナルセンターに名を連ねる単組のレベルに違いがありすぎて、うまくいくところとそうでないところの差が大きくなりそうな気もします。まあそれは私の個人的な印象ですし、本誌で示されている海老原さんの提言は生々しい現実を反映した内容となっていますので、私も参考にさせていただきたいと思います。
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2020年04月19日 (日) | Edit |
ここ半年ほどのいろいろなことですっかり不義理してしまいましたが、海老原さんが権丈先生とタッグを組んだ年金本が出版されていましたので拝読いたしました。本書の成り立ちについては、「おわりに」で

 この本は、私が編集長を務める人事・経営誌『HRmics』の27号(2017年8月1日発行)特集に大幅に筆を加えて一冊にまとめたものだ。同誌特集の制作時からお知恵を借り続け、論旨の構成にかかわり、新書化でもお力を貸していただいた、慶應義塾大学商学部教授の権丈善一先生に、心から感謝の気持ちを記したい。最後の最後に、つけたし程度で本当に恐縮だが、先生の著作、刊行物やホームページ、フェイスブックなどへの寄稿を、随所で拝借させていただいた。先生なしではこの本は到底、日の目を見ることがなかったことを、重ねて申し上げておく。
p.204
年金不安の正体
海老原 嗣生 著

シリーズ:ちくま新書
定価:本体780円+税
Cコード:0236
整理番号:1448
刊行日: 2019/11/05
判型:新書判
ページ数:208
ISBN:978-4-480-07265-8
JANコード:9784480072658


ということで、『HRmics vol.27』を大幅に加筆した内容となっておりまして、拙ブログでは、『HRmics vol.27』発行当時のエントリで、

この文脈で考えたときに、権丈先生が提唱される「子育て支援連帯基金」について「「「本来」とか「そもそも」に続く話で、世の中、役に立った話は聞いたことがない」とまで言い切る権丈先生は、ここで勝負に出たのかもという印象」でしたが、改めてその趣旨を考えさせられました。端的には、現状の政治状況を考えれば、権丈先生が「これだけ増税の実現が難しいお国柄では、次善の策としてしばらくの間、社会保険ベースで国民負担率を上げて、速やかにとりかかるべき重要施策を開始するしかない」と指摘されるような現実を前にする限り、それに対処するならこうするしかないということなのでしょう。

タダで決まること(2017年09月10日 (日))

と書いておりましたが、本書を拝読して改めて、増税忌避の強いこの国で目的を明確にした財源を確保することの困難さと、保険財政をいったん基金にプールすることによって支払に基づく権利をいったんチャラにする方法しかないのだなと考えさせられます。

という本書では、年金を政争の具にして政権交代を果たした旧民主党はもちろん、昨年6月に「老後資金2,000万円問題」で騒ぎ立てた政治家たちが丁寧に批判されていて、デマを煽るのは簡単でもそれを逐一否定するのは労力を要するのだなと改めて感じた次第です。

1 常識に噛みつく質の低い国会論戦


恫喝、天つば、確信犯


 老後に公的年金以外に2000万円以上が必要——令和元年6月3日、金融審議会「市場ワーキング・グループ」がまとめた報告書にあったこの趣旨の記載が、またまた年金問題に火をつけた。折から、7月の参院選に併せて衆院を解散しW選挙が行われるのではないか、と騒がれていた中で、この報告書は野党からするとまさに、天の恵でもあっただろう。
 年金問題で再び与党攻撃を行い、野党共闘が難しいW選挙を阻止し、差し迫る参院選でも追い風を起こすために、「老後2000万円問題」は連日国会答弁等をにぎわし、マスコミはそれを取り上げた。
 以下、その主なものを見てみよう。
(略)
「…100年安心だと言ってたのが、いつの間にか人生100年の時代だから年金当てにするなと、自己責任で貯金せよと。「国家的詐欺」に等しいやり方ですよ!」(2019年6月10日参院決算委員会、共産党 小池晃)
p.166-167

続いて2004年、件の「100年安心プラン」(何度も言うが政府はこの名称を公式に使用していない)発表時を見てみよう。以下は当時の首相、小泉純一郎氏が、老後2000万円問題でも登場した共産党の小池晃氏の「公的年金の水準をここまで引き下げてどうやって生きていけと総理おっしゃるんですか」との質問への答弁だ。
「公的ね菌だけで全部生活費を見るということとは違うと思うんですね。大きな柱の一つになってきているというのは事実でありますが、そのほかに日ごろの備えをしていかなきゃならないという点もあるでしょう」(2004年5月31日参院決算委員会)
(略)
 どうだろう。このやり取りの一方の当事者である小池氏は、上記のように15年前にはっきりケリのついた問題を、今更ながらに持ちだしていたのだ。本章の冒頭で小池氏の発言を引いた私が「確信犯」と書いたのは、こうした事情があったからだ。女優出身の某代議士ではないが「恥を知りなさい」といいたくなる一幕だった。
p174-176
海老原『同』

つまりは、JCPの面々は政府が使用していない「100年安心プラン」の言葉尻を捉えて、ことあるごとに「政府は年金を出し渋っている」という印象操作に余念がないわけですが、制度上「年金では生活できない」ことが当然であるべきところ、じゃあ年金財政上どの程度の額を出せるのか、どの程度の額を出せば「年金だけで生活」できるのかということは決していわず、政府と年金制度への不信感を煽るだけで、まあどちらが公的制度を不安定にしているのか分かりませんねえ。

本書が発行されたのは昨年11月(取り上げるのが遅くなり改めて恐縮です…)ですが、厚生年金の適用拡大や受給開始年齢を75歳まで引き上げる内容の年金改革法案が先週審議入りしました。

年金制度改革関連法案が審議入り 短時間労働者の加入要件緩和(NHK NEWS WEB 2020年4月14日 19時25分)

働き方が多様化する中、パートなどで働く短時間労働者が厚生年金に加入しやすいよう、企業規模の要件を緩和するなどとした年金制度改革関連法案が、衆議院で審議入りしました。

年金制度改革関連法案は、パートなどで働く短時間労働者が厚生年金に加入しやすいよう、企業規模の要件を緩和し、従業員「501人以上」から「51人以上」に段階的に引き下げることなどが柱となっています。
(略)
一方、共産党の宮本徹氏は、「新型コロナウイルスの爆発的感染を阻止できるかの重大局面であり、法案審議を先送りすべきだ」とただしたのに対し、安倍総理大臣は「全世代型社会保障改革は待ったなしの状況で、年金制度改革にしっかりと取り組んでいきたい」と述べました。

この期に及んで「新型コロナウイルスの爆発的感染を阻止できるかの重大局面であり、法案審議を先送りすべきだ」という政党がいることに頭がクラクラしますが、あちらの界隈は、本書の言葉で言えば「確信犯」としてとにかく負担増に反対するのが至上命令となっているので致し方ないのでしょう。

2020年04月17日 (金) | Edit |
ということで、とりあえず拙ブログは存続させることとして、最近の動きについて考えたことをメモしておきます。COVID-19感染拡大に対する政府の対応について、さまざまな立場から「検査をしないのは隠ぺいだ」とか「日本の対策はうまくいっている」とか賛否の議論が巻き起こっているわけですが、まあそんなこと議論をしている間にも着実に感染者が増えております。市井の我々は、まずは個々人が外出を避けて人との接触を減らす努力をして、就学者については学校などの教育機関、労働者には企業がそれを可能とするように対応しなければならなず、政府はそれらの行動を粛々と支援しなければなりません。

というある意味で誠にシンプルな方策が求められている現状において、その対象とか範囲とか支給する金額でもめにもめており、どうやら一律一人当たり10万円を支給することで政治的には決着する見込みとなっています。

「緊急事態宣言」全国拡大決定 10万円給付も検討 新型コロナ(NHK NEWSWEB 2020年4月16日 21時07分)

新型コロナウイルス対策の特別措置法に基づく「緊急事態宣言」について、政府は今夜開いた対策本部で、東京など7つの都府県以外でも感染が広がっていることから、来月6日までの期間、対象地域を全国に拡大することを正式に決めました。また、安倍総理大臣は、すべての国民を対象に、一律で1人あたり10万円の給付を行う方向で、与党で検討を進める考えを明らかにしました。

ということで、政治的には決着したように見えますが、実際に給付されるまでには次のようなロジスティクスが必要となります。

既に中の人ではないのですが、こうした手作業をせざるを得ない状況こそが行政の怠慢だといわれるなら、それはご指摘の通りというしかないものの、マイナンバーの普及を妨げていた自称人権派の方々もご自身の胸に手を当てて考えてみるきっかけとなるなら望外の喜びではあります。

そもそも、一律に現金を給付すればよいというのも随分と「経済学的に正しい」議論だなあと思うところでして、拙ブログでは以前から「人手はストックできません」と申し上げておりますが、

「共同体の構成メンバーは連帯して共通の規範を守るべきであり、メンバーの中に苦境に立たされる者がいれば協力して支えなければならない」というsocialな考え方を理解できるか、「効率的な現金給付」で事足りるとする経済学的な議論の問題点を理解できるかというのが、労働政策に裏付けされた現物給付による社会保障や再分配を議論する上で、問われているのではないかと思います。その上で、「人手」がストックできないという現実をどう考えるべきかについては、太田啓之さんの『年金50問50答』から的確なたとえ話を引用させていただきます。

クマゴロー (略)お金っていうのは金魚すくいの網のようなものなんだよ。生活にとって本当に大事なものは金魚(生産物)で、網(お金)はそれを獲得するための手段に過ぎない。現役世代が社会全体のメンバーを養うのに十分な量の金魚を作り出せている時には、十分な大きさの網を持っていれば必要な数の金魚をすくうことができる。でも、必要な量の金魚をつくり出せなくなってしまうと、いくら大きな網を持っていても十分な数の金魚はすくえない。水槽の中の金魚の数自体が減ってしまうわけだからね。年金を積立方式にしてお金をいっぱいためておけば、いくら少子化が進んでも老後はだいじょうぶ、なんて考え方は幻想に過ぎないのさ。
ヒヨコ 私たちはモノがいっぱいあって、「お金があれば何でも買える」という生活に慣れ過ぎているから、お金さえあれば安心と思っている。でも、日本全体の「ものやサービスをつくりだす力」が衰えてしまうと、いくら老後のためにお金を貯めておいても安心できない、ということね。
p.182

いま、知らないと絶対損する
年金50問50答 (文春新書)

(2011/04/19)
太田 啓之

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「人手」はストックできません(2013年07月07日 (日))

ということで、野川忍先生が指摘されるsocialという概念は、結局のところ日本人は受け入れていないのだなあと改めて思い知らされますね。

その一方で、

かつてイギリス保守党のマーガレット・サッチャー首相は、「社会なんてものはない」(There is no such thing as society.)という名言(迷言)で世を感心(寒心)させましたが、その40年後の後継者であり、EU嫌いという点ではまことに共通点のあるボリス・ジョンソン首相は、「社会なんてものはあるんだ」(There is such a thing as society.)と、真逆のことを語ったようです。

https://www.theguardian.com/politics/2020/mar/29/20000-nhs-staff-return-to-service-johnson-says-from-coronavirus-isolation

Boris Johnson has stressed that “there really is such a thing as society” in a message released he is while self-isolating with Covid-19, in which he also revealed that 20,000 former NHS staff have returned to help battle the virus.

The prime minister chose to contradict his Conservative predecessor Margaret Thatcher’s endorsement of pure individualism made in 1987, when the then PM told a magazine: “There is no such thing as society.”

In his video message, Johnson said: “We are going to do it, we are going to do it together. One thing I think the coronavirus crisis has already proved is that there really is such a thing as society.”


「社会なんてものはないのかあるのか(2020年3月30日 (月))」(hamachanブログ(EU労働法政策雑記帳))

世界を席巻したポピュリズムのヨーロッパにおける雄が、ご自身が新たな感染症に罹患して病院での手当によって回復できた上で、退職した医療従事者が現場に復帰したことに対して「社会なんてものがある」と認識を改めたとのこと。

やはり人というのは自分の身に降りかかるまでは、「経済学的に正しい」とか「マクロで考えればミクロの問題は解決する」というような「どマクロ」思考から抜け出すことは難しいようです。

「なんだか怖いウイルスが流行しているらしいよ.知らんけど」
っていう感じで1年間を乗り切れば,過去記事に書きましたけど最悪でも死者は5000人程度で済ませられるかもしれなかったんです.
日本で風邪をこじらせて死ぬ人は1年間に3万人ほどいるので,5000人くらいなら普通の風邪として誤差範囲になります.

これは,通常時においては風邪程度で病院に駆け込む人がいないからです.
風邪をひいたとしても普通に通勤通学してるだろうし,自宅療養するでしょう.

ところが,今回のコロナ騒動では「コロナ感染者」だということになったら,誰も彼もが入院したり隔離することになります.
そんなことできる余裕は日本の病院にありません.
どこかで必ず溢れ出します.

そうなったら最後,軽症者も重症者もごった煮になるので,肝心の重傷者に手が回らずに死んでしまう事態を招きます.
イタリアとかアメリカがそんな状態です.

「コロナで緊急事態宣言するってさ(- 4月 06, 2020)」(Deus ex machinaな日々)

こちらの元大学教員の方は、「大学は職業訓練校ではない」という信念の下で大学教育を批判されていましたが、まあそうした「日本的教育論的に正しい」議論でしかものごとを判断できない性が今回のCOVID-19感染拡大の事態に遭っても抜けないようですね。上記は10日前のエントリですが、今週のエントリでも、

極論,何もせず放置していれば,経済へのダメージも,ストレスかかえて悩む人も,仕事を失って路頭に迷う人も少なくて済んだと思います.
しかし,そうはいかないのが世界というもの,
自分の周囲だけそうしても,他の人がこれに同調・納得してくれません.

「今のコロナの話に飽きたから,来年のコロナの話をしよう(- 4月 13, 2020)」

と書いていて、ボリス・ジョンソンのように認識を改めるのはまだまだ先、というより全くその気はないようです。いうまでもなく、イタリアやアメリカで起きていることは、「軽症者も重症者もごった煮になるので,肝心の重傷者に手が回らずに死んでしまう事態」ではなく、新型である故に治療薬も治療法もない現状で急激に重症化する方や、その中で死に至る方が数万人規模で発生していることによる医療崩壊です。

インフルエンザや風邪のように広く免疫が獲得されて、治療法が確立している感染症と同列に扱うことの是非はともかく、ただでさえ不足している人的医療資源の中から、医師はもちろんのこと、検査を行うために熟練した臨床検査技師が駆り出され、治療薬も治療法もない現状でECMOなどの高度な医療技術のために熟練した看護師や臨床工学技士などの医療従事者が数人がかりで治療に当たることで、他の(特に救急)医療の現場で人的医療資源が枯渇することになります。「日本で風邪をこじらせて死ぬ人は1年間に3万人ほどいるので,5000人くらいなら普通の風邪として誤差範囲になります」というその誤差の5000人(現状で3万人を治療するのに一杯一杯なのにその6分の1が誤差というのもどうかと思いますが)に至る期間が短ければ短いほど、これだけの医療資源が一斉にその重症者に充てられるわけですから、医療崩壊せずに乗り切ることなんて不可能なんですが、まあ人は見たいことだけを見るのだと放っておくしかないのでしょう。

もう少し影響力のありそうなところだと、

小林よしのり氏「自粛を止めて、経済を回す」と持論(日刊スポーツ [2020年4月12日9時32分])

小林氏は11日、「自粛を止めて、経済を回すべし」のタイトルでブログを更新。国内では新型コロナウイルスについて調べるPCR検査の実施件数が少ないことが問題視されているが、「PCR検査なんか何の役にも立たない。医療崩壊を招くだけだ。医療関係者は重症患者だけに全力を注いでくれればいい。死者数だけが重要であり、現在の日本の死者数88人、例え100人以上になっても、この増加ペースの遅さは、海外に比べて驚異的である!」と指摘し、「コロナの死者数が世界一少ないとなれば、日本の快挙である。医療スタッフに表彰状をあげたい」とした。

このブログが書かれた時点で88人だった死者は、NHKによると4月16日午前10時半時点で179人となり、既に100人を超えて倍増しています。「検査をしないのは隠ぺいだ」とか「日本の対策はうまくいっている」とかの議論にかまけている暇があったら、まず個々人が認識と行動を変えることを老婆心ながらお勧めする次第です。まあ、個人的にも日本型雇用慣行において退職した地方公務員には出る幕がないでしょうから、粛々と行動を変容させるだけですね。

2020年04月16日 (木) | Edit |
前回エントリで現下のCOVID-19の感染拡大対策によって東日本大震災の追悼式が軒並み延期または中止となったことを取り上げておりましたが、ついに本日、緊急事態宣言の対象が全国に拡大される事態となりました。そんなこんなで世の中が大変なことになっている一方で、ここ数回のエントリで申し上げておりました通り公私ともにいろいろありまして、その公の方面の動きとして、今年3月をもって地方公務員を退職いたしました。

ということで、「ほかでは言えない地方公務員の胸の内をひっそりと」書き散らしておりました拙ブログは、大きく方針転換することといたします。今後は一民間人として思うところを発信したいと思いますが、とはいえこれまでの人生の半分近くは地方公務員だったことからすると、急に民間っぽいことをいえるわけでもありませんので、徐々にシフトしていくこととなると思われます。

というより、正直なところ新しい職場でもCOVID-19対応のため4月以降も余裕がなく、拙ブログも基本ほったらかしの状態となっており、突如閉鎖するかもしれませんし、別の場所で発信を続けるかもしれません。それもこれもCOVID-19対応が落ち着いてから考えるしかないと思いますが、まずはご報告まで。

2020年04月05日 (日) | Edit |
プライベートというか公私ともにいろいろありまして3月の更新が飛んでしまいましたが、先月11日で東日本大震災から9年が経過し、10年目に突入しています。発災当時からすると2010年代から2020年代へ、元号も平成から令和へと変わった節目となるはずでしたが、現下のCOVID-19の感染拡大対策のため、各地の追悼式は軒並み中止か延期ということになってしまいました。7年目までは政府主催の追悼式での秋篠宮さまのお言葉を引用していましたが、今年はその機会もありませんでした。

そんな最中ではありましたが、これまで触れられていなかった避難所の暗部を取り上げた番組があったとのこと。

「災害時の性暴力」の本格的なドキュメンタリーをNHKが放送した

 3月1日(日)の午前中に放送された「明日へつなげよう 証言記録『埋もれた声 25年の真実~災害時の性暴力~』」。

 48分の長編ドキュメンタリーだ。 

 被災地で子どもや女性たちにこうした問題が起きているらしいことは、2011年に東日本大震災が起きた直後、筆者も取材で訪れた避難所などで耳にしたことがあった。しかし関係者も固く口を閉ざし、当時は取材を進めることはできなかった。

 テレビでは非常にデリケートすぎて扱うことが難しかったこの問題をNHKは今回、取りあげた。そこに紹介されたケースは被害者の壮絶な体験談がベースになっている。

「避難所でのレイプ」災害時の性暴力に光を当てたドキュメンタリーの教訓(反響追記あり)(Yahoo! JAPANニュース 3/6(金) 0:30)


実は私も避難所支援で被災された地域に入った際にも、思い当たる場面に出くわしたことがあります。といっても、避難所が地元の高校の体育館だったので、昼夜を問わず定期的に校舎や校庭を見回るという役目があり、夜中2時くらいの見回りの際に校舎の一室に入っていく(高校生らしき若い)男女二人を見かけたという程度です。状況としては、町が津波と火事で壊滅して帰る家もないという極限状態で避難所性活が既に4、5日経過していた中で、その瞬間は気まずい雰囲気もあり、お互いに(だと思うのですが)見て見ぬ振りをして通り過ぎました。が、通り過ぎてからしばらくして「もしかして同意のないまま脅されていないか」とか「何か取引を持ちかけられたのではないか」など、いろいろな思いが交錯したりもしましたが、結局何もせず見回りを続けた記憶があります。

私自身はその数日後に避難所を離れましたので、その後の経過など詳しいことは分かりませんし、もしかすると弱い立場の女性が厳しい状況に置かれていたりするのではないかということは心のどこかにひっかっかっていましたが、少なくとも私の周りではそういう話が表立ってされることはありませんでした。9年目を迎えるこの時期にテレビ番組で取り上げられたということで、個人的には「やっぱり」という思いもありながら、一方ではこれまで声を上げられなかった方々の心情を考えると胸が痛みます。実は「番組があったとのこと」と書いた通り、この番組自体は未見です。というのも、あのとき私が遭遇した場面こそがまさにその現場だったのではないかという思いがどうしても拭えず、救えなかった女性に対して申し訳ない気持ちが呼び起こされて見るのが怖いというのが正直なところです。

ただし、この番組で取り上げられた報告書と、NHKの取材班が引用する「スフィア基準」とが微妙にすれ違っているのが気になるところです。

報告書には国に対する提言も盛りこまれている。

 同じような被害が繰り返されないために。調査チームがまとめた報告書には、次のような具体的な対策案や提言が盛り込まれ、国へ届けられました。

  • 災害直後からの暴力防止の啓発・相談支援の充実
  • 避難所の改善(プライバシーの確保等)
  • 被害者への支援・連携体制づくり(行政・警察・医療・女性支援センターなど)
  • 防災・災害対策における女性の参画と男性との協働(意思決定の場の男女平等)


出典:NHK「クローズアップ現代+」番組ホームページ

「避難所でのレイプ」災害時の性暴力に光を当てたドキュメンタリーの教訓(反響追記あり)(Yahoo! JAPANニュース 3/6(金) 0:30)

として、取り上げられているのは主にソフト面だけのように見受けられるのですが、

「災害時の性暴力」取材班 2020年3月5日 プロデューサー
みなさん、コメントをありがとうございます。支援者への共感の声、加害者や暴力への怒り、対策を求める意見など、こうした声こそが、勇気を振り絞って証言してくださった方々にとって大きな力になると思います。

災害時の人道支援に関する国際的な「スフィア基準」では、避難所の場所や物資の確保等について「最低限の基準」を定めています。さらに、女性や子ども、障害者など、声をあげにくい人たちの意見の尊重や、性暴力・DVの防止と支援についても明文化。支援者が暴力に加担しない、見過ごすことも許さないなど、暴力を根絶する強い姿勢を求めています。現在、国内の自治体でも、地域の「防災計画」を見直し、女性たちの意見や参画を促進する取り組みが少しずつ進められています。皆さんが住む町の防災計画に、そうした視点が欠けていると感じたら、ぜひ声をあげてみてください。

こちらのコメントで取り上げられている「スフィア基準」は、人権を守るための最低限のハード面の整備がその内容となっていると思われます。そもそも体育館という建物は大人数が寝泊まりする想定では作られていませんし、学校という施設は体育館だけではなく多数の仕切られた閉鎖空間で死角を有する巨大な施設です。もし私が遭遇した男女に対して何か声をかけることができたとして、その死角にはもしかすると複数の共犯者がいて、私自身が身の危険にさらされた可能性も十分に考えられます。そもそも避難所生活自体が誰にとっても不自由なものである限り、身体的な苦痛だけではなく精神的なストレスによるトラブルも誘発することになります。

公的施設のハード面の整備が忌み嫌われれるこの国では、非常事態にあっても苦痛に耐えることが美徳とされてしまう風潮があり、それは現下のCOVID-19対応にも如実に現れているように思います。