2019年12月05日 (木) | Edit |
既に2か月前の記事ですが「ジョブ型公務員」という言葉が入った記事を見かけまして、拝読してみました。

私の問題意識はこちらの記事から大きく変わっていないので割愛しますが、地方公務員は「ゼネラリスト」として3~5年に1度くらいのペースで部署異動を繰り返していきます。配属部署の希望を出すことはできますが、「揺りかごから墓場まで」と言われるように事業領域が広範な自治体では当然部署・仕事の種類も膨大で、希望が叶う率は低いです。また、配属決定プロセスがブラックボックスで、「なぜ自分がこの部署に配属になったのか?」その理由・根拠もわからないので、何を、どれだけ努力または達成すれば自分の希望するキャリアを手にできるのかがわかりません。
(略)
もちろんゼネラリスト型のジョブローテーションにもメリットはあり、それを全て否定したい訳ではありません。ただ、今の人事のあり方は画一的過ぎないでしょうか?得意分野でプロフェッショナルな公務員として生きていく、主体的にキャリアをデザインしていく、そんな選択肢を増やすことで、公務員としての働きがいを高めることができるのではないかと思います。
(略)
その特徴は、ジョブ型の地方公務員制度であることです。ちなみに日本の多くの企業・公共団体が古くから採用している「年功序列」「終身雇用」を前提として一括採用する方式はメンバーシップ型雇用システムです。ジョブ型とメンバーシップ型の違いについてはこちらの記事で紹介されていますので気になる方はどうぞ。
ジョブ型公務員で、生きていく(蒲原大輔 / Daisuke Kambara 2019/10/03 01:31)


とうことで気になったのでそのリンク先の記事を拝読すると、

・メンバーシップ型雇用のデメリット
メンバーシップ型雇用の大きな課題として度々挙げられるのが、大前提となる「年功序列」や「終身雇用」の存在が揺らいでしまっている点にあります。

つまり、仮に会社から社員に対して、突然の転勤が命じられるような場合でも、「年齢と共に昇給していく」点や「自分から辞めることがなければ雇用は守られる」という分かりやすいメリットがあったため、社員もそれを甘んじて受け入れることができていたのです。

しかし、時代が変わりこれらの見返り見えにくくなった現在、デメリットの部分だけが強調され、時代にそぐわない雇用の形として、度々指摘を受けるようになっているのが現状です。
欧米のジョブ型雇用と日本のメンバーシップ型雇用の違いってなに?(Fledge 2017/12/08 written by たくみこうたろう)


???いやまあ、職能資格給制度に支えられたメンバーシップ型の世界そのものがトートロジカルなので、その解説がトートロジーに陥るのはある意味やむを得ないのですが、課題が「大前提となる「年功序列」や「終身雇用」の存在が揺らいでしまっている」であれば、その存在が揺らがなければやはり「メンバーシップ最&高!」と言いたいのだなあと、その堅牢さを思い知らされるところです。で、結局このライターの方が考えるメンバーシップ型のデメリットは何でしょうね。

「できる社員は出世コースを異動する」というトートロジカルな現象が発生するのは、昇進や昇給の対象となる者を厳選する必要があるからですが、結果的に組織運営自体が自らの組織に忠誠な社員によって占められるという状況に至ることになります。そうなった組織が主要な産業を主導し、その雇用慣行が社会規範化しているのがこの国の現状なのですが、「なぜ日本ではペイジとプリンやジョブズやザッカーバーグやベゾスが出てこないんだ」という声を聞くと、まあそうでしょうなという感想しかありませんね。

日本の労働者が理解した戦後民主主義(2019年09月29日 (日))


個人的にメンバーシップ型のデメリットは、上記のように「組織規範に忠実な社員」によって公的機関や主要な産業が組織されるというトートロジカルな雇用慣行が社会規範化することで、技術革新的なビジネスモデルが日の目を見ることなく、専門性に裏打ちされた政策が採用されることもない社会となっていることだと考えておりますが、まあこういう危機意識を持つと「組織規範に忠実ではない社員」としてオミットされていくわけです。

という記事を参照されている冒頭の元区役所職員の方の「ジョブ型公務員」の説明は、次のようになっています。

前項で記載したように、ジョブ型の雇用制度においては、あくまでも地方公務員みずからが仕事を選択していきます。

そのため、人事部門による部署異動の命令は基本的にありません。現在の仕事に満足していれば、その職で長く務めることも可能です。また、経験を積んで同一分野でより上級職の募集があればそこにエントリーしてステップアップを狙うこともできますし、他分野へチャレンジすることも可能です。

キャリアデザインの主体性という観点では、日本よりも選択の自由度が高いと言えるでしょう。

ジョブ型公務員で、生きていく(蒲原大輔 / Daisuke Kambara 2019/10/03 01:31)


この後に「フランスにおける地方公務員のキャリアデザイン」という図が挿入されているわけですが、うーむ、ジョブ型とは全く逆の説明となっていますねえ。。

ジョブ型の社会においては、使用者が職務記述書を作成し、それに記載された職務に従事する労働者と雇用契約を結ぶのが原則ですが、その職務に従事できる労働者であるということを示すのが学歴です。特にフランスにおいては、専門的な教育を受けた証としての学歴が基準となるという意味での「学歴社会」であって、職務に従事していたという「経験」が評価される仕組みはうまく機能していないとされます。

 フランスでは学校教育において修了した課程の水準に沿って職業資格がレベル分けされ、その保有する資格が労働者のキャリア形成を決定づけることになる。すなわち、学校教育の修了年次によって取得できる学位や職業に関する職業資格のレベル分けが明確になっており、その水準に応じて就職(再就職)可能性を決定づけることになる(図表4-6参照)。
 学校教育を修了して取得できる資格は主に国家資格であるが、国家資格以外に産業別の職業資格も設けられている。労使での協議に基づいて資格が設定され、職業資格を管理する国家機関、職業資格国家登録機関(RNCP)に登録されることによって公認された資格となる。だが、体系化やレベル評価が十分にされているとは言えず、資格間の重複やレベルの相対的な評価ができない問題とともに、その結果として企業関係者に周知されておらず十分に活用されていないといった問題が指摘されている(第2節4.参照)。
 フランスでは国家資格が職業能力を測定する従業な指標となっており、資格の取得を推進する施策がとられている。教育機関における課程の修了することによる資格取得以外に、一定の職業経験に基づく資格認定があることも特徴の一つと言える。

資料シリーズ No.194 諸外国における教育訓練制度―アメリカ、イギリス、ドイツ、フランス―第4章 フランス(PDF:1.7MB)


やはり、メンバーシップ型という雇用慣行が社会規範化した日本において、ジョブ型をイメージするのはなかなか難しいということなのでしょう。それはこの方に「フランスの公務員はジョブ型だ」と教えた総務省職員のせいなのかもしれませんが。

というように根本的なところで反対の方向を向いているように見受ける「ジョブ型公務員」ですが、具体的には、

だとするならば、民間の活動として実験的にスタートするのが良いのではないかと考えています。やりたいことは至ってシンプルで、地方公務員が登録できる審査制のプラットフォームを作ります。誰がどうやって審査するのか?など方法論の部分でクリアすべきポイントは色々出てきますが、目指す姿としてはプロフェッショナル志向の地方公務員かつ、既にスペシャルな実績・スキルを持っている方が登録されているイメージです。

ジョブ型公務員で、生きていく(蒲原大輔 / Daisuke Kambara 2019/10/03 01:31)


とのことでして、まあ仕組みとしてその辺りからスタートするしかないのではないかと思うのですが、ご本人も書かれている通り「誰がどうやって審査するのか?など方法論の部分でクリアすべきポイントは色々出て」くるわけでして、地方公務員の一担当として3年程度経験したくらいで「スペシャルな実績・スキルを持っている」とみなされるのかと考えると、少なくとも10年単位の従事経験が必要に思われるところ、300万人の地方公務員の1%に当たる3万人が該当するのはかなりハードルが高そうではあります。

というより、10年単位で従事経験がある地方公務員は既に職能資格給制度の中でも何らかの役職を得ているでしょうから、結局はある自治体の職能資格給制度の中で評価された地方公務員が、他の自治体の職能資格給制度の中で相当の職に処遇されることが想定されます。上記の記事の中では「既存の給与テーブルに乗せざるを得ない一般職ではなく、特別職公務員が良いのではないか」との考えも示されていますが、地方公務員の特別職は選挙で選ばれる首長や議員、議会の同意で選任される各種行政委員会の委員を除けば、いわゆる非正規公務員となってしまうのが現行制度ですので、それもまたハードルが高いと言わざるをえません(正規職員で高い給与水準となるのは、地方公共団体の一般職の任期付職員の採用に関する法律3項1項の特定任期付職員や同2項の一般任期付職員くらいですが、その名の通り有期雇用となりますので、おそらく目指しているものとは違いますね)。

とまあ否定的なことばかり書いてしまいましたが、私もこの方の問題意識にはある程度共感します。ただしそれは、専門性を評価できない日本型雇用慣行についての問題意識であって、地方公務員のキャリアデザインはそのコロラリーとして実現すべきものと考えていますので、やや手法の違いがありそうです。特に専門性の証としての学歴か、あるいは職業資格を国家的に認定する制度が社会的規範として定着しなければ、ジョブ型の労働市場は形成できません。日本ではこの点を補うべく、イギリスに倣って職業資格を公的に保障する日本版NVQを導入しようとした時期もありましたが、労働組合が支持する政党が政権下で立ち消えになってしまいました。まあそれはともかく、専門性の問題はまた拙ブログでも改めて取り上げたいと思いますが、こちらのジョブ型公務員の取組についてもどのような展開を辿るのか見ていきたいと思います。
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2019年12月01日 (日) | Edit |
増税を容認するとどこからともなく「緊縮派」だの「財政破綻論者」だのとレッテル貼る方々が現れては消えていくわけですが、増税を容認しても「緊縮」ではなく「財政破綻」でもないということがMMTerに問われ始めてきたようで、誠に喜ばしいですね。


どこかで見た風景だなと思ったら、拙ブログで3年ほど前に繰り広げられた風景ですね。

まあ望月夜さんは私の考えるところなど関心はないようですので、こちらから示していても詮無いことでしょうから、これ以上の説明は不要ですね。

> おそらく、マシナリさんは「政府が積極的な役割を講ずるには、その分の税収・増税が必要だ」という命題を前提にしているため、私のような「十分に大きな政府が望ましいが、少なくとも現時点において増税は望ましくない」という考え方の存在を、全く認めることができないということなのだと推測する。

私がこれまで論じてきたことを全くトレースできていない。
おっと、これは望月夜さんの言葉をパクってしまいましたね。申し訳ございません。

繰り返しで恐縮ですが、
> 望月夜さんに当初から「現代社会にあって従来の家族機能を社会化するために必要な公共政策の「具体的実務的形態」」についてのご見解を伺っているものの、それについてのご回答はいただいていない状態です。
> 2016/12/29(木) 09:51:13 | URL | マシナリ

望月夜さんは「俺の理論を理解しない奴には何度でも同じことを繰り返して説明してやる」というような傲慢な方ではないとお見受けして、なんとか議論を理解できればとそれなりに関連エントリなどを参照しながら、議論が共有できないと思いつつコメントしてまいりましたが、まあ私の見る目がなかったということなのでしょうから、改めて「望月夜さんの行為を容赦する必要性」は全く感じません。続きはご自身のブログやTwitterで存分に展開していただき、賛同者の増加に邁進されることをご祈念申し上げます。
2016/12/30(金) 03:25:13 | URL | マシナリ #-[ 編集]


ということで、「賛同者の増加に邁進されることをご祈念申し上げ」たところ、順調に賛同者を獲得されて「MMT四天王」の称号まで得られたようでそのご努力には敬意を表する次第ですが、やっていることはこれっぽっちも変わっていないわけですね。その一貫した姿勢には改めて敬意を表します(棒)。

そのご努力で獲得された賛同者の方々も当然、MMTerの方々のお作法を踏襲されるわけでして、


ご自身の議論で何が批判されているのかという点には思いが至らないように見受けます。拙ブログでは先ほどの3年前のコメントの翌日のエントリですが、

まあ、順番からいえば、先人達が歴史的経緯の中で築き上げてきた交渉や取り決めが制度化され、その制度化された世の中を主に行動の面から、時に数理的な手法を用いて分析するのが経済学という学問であることからすると、経済学が制度分析に理論を提供することはあっても、理論に基づいた制度設計が功を奏するのは、その理論がそれまでに築き上げてきた交渉や取り決めに匹敵するだけの利害調整機能を持っていることが必要条件となるはずです。つまり、いかにこれまでの制度が理不尽で整合性のないものであっても、その裏に営々と積み上げられてきた交渉や取り決めを取っ払うような制度改正は関係当事者の合意を取り付けることはできず、逆に制度として不都合であっても、当事者が合意している限りは制度として機能することになります。

制度をどのように変えるべきなのか(追記あり)(2016年12月31日 (土))

複式簿記にしても中央銀行制度にしても、人間が経済的活動を行う上で利害が衝突したり、当事者の利害は一致するものの社会への影響が芳しくない場合にそれを調整した結果が、営々と制度として積み重ねられたものであって、アプリオリに定まっていたわけではないのですが、「その社会を構成する人間の行動を金銭面のみから記述することをもって「具体的実務的形態」であるぞという方がいらっしゃるのもまたこの世の習わし」ではあります。


信用もないのに賛同者をいくらでも増やせるというわけではないことは、はしなくもMMT四天王と呼ばれる方々が実践されているようでして、私のような浅学非才な者にも貴重なサンプルを提供していただいるものと感謝すべきなのでしょう。

2019年12月01日 (日) | Edit |
9月の拙ブログでも取り上げておりました佐野SAの労働争議ですが、

あっせんを申し立てた先が栃木労働局ということは、個別労働関係紛争として処理しようとしているようでして、労働組合が主体となって行うストライキ事案でありながら、栃木県労働委員会に対する労働紛争の調整(あっせん、調定、仲裁のいずれか)の申請でもなく、不当労働行為の救済申立てでもないというのが、集団的労使関係の現状を物語っているというところでしょうか。
(略)
しかし、ストライキが長引いて集団的労使関係の紛争処理が喫緊の課題となっているこの段階においては、集団的労使関係の構築を通じた労使関係の正常化が求められているというべきであり、まさにそこが労働委員会に求められる役割だと思うのですが、そういう話が当事者からもほとんど聞こえてこないところが、事態の深刻さを表していると思われます。

「「個別労働関係紛争と集団的労使関係紛争」再論(追記あり)(2019年09月23日 (月))」


社長交代で一応の決着が見られたと思われていたものの、新体制となっても結局使用者側の態度は変わらず、いよいよ労働委員会に対して不当労働行為の救済申立が行われたようです。

 一昨日、佐野SA上り線の従業員の労働組合(以下、佐野SA労組)が、使用者である株式会社ケイセイ・フーズが「組合つぶし」(労組法上の「不当労働行為」)を行っているとして、栃木県労働委員会に不当労働行為救済申し立てを行った。

 佐野SAは今年の夏にストライキで大きな話題となったが、いまだに労使紛争が続いている。佐野SA労組によれば、その原因が会社側の違法な「組合つぶし」にあるというのだ。

 実は、労働組合法では使用者側から労働組合に介入し、例えば金銭を支払って脱退を迫るなどの行為を禁止している。会社の組合への介入が禁止されていることや、それがどの程度であるのかは、ほとんど知られていないだろう。

出勤停止や損害賠償請求…違法性は? 佐野SAで「組合つぶし」についての救済申し立て(11/30(土) 12:00 Yahoo! Japan ニュース)


労組法上の不当労働行為に関する規定については今野氏の説明のとおりだと思いますが、こちらの説明はややミスリーディングではないかと思われます。

 だが、不当労働行為を禁止する法制度や運用には、実効性に欠けるという課題もある。

 不当労働行為は、たしかに労働組合法によって明確に禁止されているが、罰則が設けられていないからだ。したがって、不当労働行為によって直ちに経営者に刑罰を科せられることはない。

 とはいえ、不当労働行為救済申立制度(都道府県が実施主体)を設けられており、審査の結果として不当労働行為が認定されれば、救済命令が出ることになっている。

 だが、これも審査には約1年を要するという課題がある。命令が出る頃には、“時すでに遅し”ということになりかねないのだ。そのため、海外では不当労働行為に罰則を設けている国もあり、日本でも法規制を強めることを検討すべきという議論もある。

出勤停止や損害賠償請求…違法性は? 佐野SAで「組合つぶし」についての救済申し立て(11/30(土) 12:00 Yahoo! Japan ニュース)


不当労働行為に罰則がないのは、労働(雇傭)契約はあくまで民法の典型契約であって、民法における「契約自治の原則」の労使関係版として「労使自治の原則」に基づいて刑法上の刑事罰が適用されないからではないでしょうか。海外では罰則を設けているというのも、集団的労使関係紛争についての労働裁判制度があることが前提となるので、その審判を経ずに罰則が適用されることはないものと記憶しております。日本の裁判所では、労働契約法に基づいて個別労働紛争についての労働審判は行われていますが、集団的労使関係紛争に特化した労働裁判制度はありませんので、訴訟が提起されると通常の民事訴訟手続きによって裁判が行われることとなります。労働委員会の不当労働行為の審査も民事訴訟法に準じた手続きとなるため、不当労働行為の審査には、通常の裁判でも労働委員会の不当労働行為審査でも同じように1年程度かかってしまうわけです。

でまあ、そうした制度の限界はあるにせよ、労組法の規定によって労働組合は労使自治の原則に基づいて団体交渉を行い、不調に終われば労働争議を行う権利が認められていて、それに伴う不当労働行為と思われる事案があれば、労働委員会に救済を申し立てることもできますし、その損害について民事訴訟を提起することもできます。これに対して、争議行為によって使用者側に損害が発生しても、それが正当な行為である限りにおいて刑事罰が適用されませんし、使用者側が損害賠償請求することもできません。

という制度からすると、報道や今野氏の記事から読み取れる限りでは、労使ともに争点が混乱しているように見受けます。使用者側は争議行為(スト)による損害賠償を求めるとしていますが、労組法上の資格審査を経ない争議団に対するものであっても、その争議行為が正当である限りにおいて労働組合法違反であって、使用者側がそこで勝負するとなると、違法な損害賠償請求を適法であると使用者側が立証しなければならないので、わざわざ手がかかるやり方をしているなあという印象です。

労働者側も、使用者である株式会社ケイセイ・フーズが相手ではらちがあかないとして、「業務委託元であるネクスコグループのネクセリアに問題の解決に向けて動くように働きかけている」とのことですが、直接の雇用関係にある使用者に経営実態がないとか人事権がないというような場合は法人格否認の法理が適用される余地がありますが、使用者に経営実態がありながら上記のような無理筋の主張をして話が進まないのでその親会社とか委託元に働きかけるというのは、労働組合としては搦め手からの戦略にならざるを得ません。要は世論を味方に付けるという戦略なのですが、慎重に事を進めなければかえって労働組合に対する印象を悪化させかねない懸念もあります(今のところお客様アンケートは組合を応援する声が多いようですが)。

集団的労使関係の再構築の重要性を指摘している拙ブログとしては、こうした泥仕合を何とか終息させ、健全な労使関係構築に向けて、労使双方のみならず上部団体や労働委員会などのバックアップが望まれるのですが、労働組合の組織率の低下に徴表される集団的労使関係の衰退が衰退しているのは、そうしたバックアップ体制が衰退していることの表れでもあるわけでして、前途は多難と言わざるをえませんね。