2019年11月18日 (月) | Edit |
国会方面では相も変わらず与野党の攻防が繰り広げられているわけですが、こちらも相変わらず周回遅れながら質問通告をめぐって一悶着あったようですね。

「官僚ブラック労働」は置き去り 森裕子氏の質問通告問題(2019.10.25 20:19 産経新聞)

 国民民主党の森裕子参院議員が、15日の参院予算委員会に向け提出した質問通告が外部に「漏洩」したとして政府を追及している。野党は内閣府からの漏洩を疑うが、所管する北村誠吾地方創生担当相は流出を否定する。逆に、当初森氏が内容を聞き返さなければならないような簡潔な通告しか行わず、官僚が長時間の残業を強いられた問題は置き去りになりつつある。

 発端は台風19号の本州上陸を控えた11日夜。ネット上で「森氏の質問通告提出が遅れ、役所で深夜残業を強いられている」という趣旨の匿名投稿が相次いだ。

 実際には質問通告は期限内の11日夕に提出された。ただ、当初は「質問要旨」として「現下の経済情勢と消費税増税、金融政策について」などと簡潔な内容にとどまった。森氏はその後も断続的に質問詳細の「追加ペーパー」を役所側に渡し、省庁は深夜まで対応に追われた。

 国会対応で官僚が「ブラック労働」に追われる実態は、かねて問題視されてきた。森氏の対応がネットで炎上する中、旧民主党政権で官房副長官を務めた松井孝治氏が、ある資料をツイッターに投稿した。

 資料は政府内のシステムの画面を印刷したもので、15日の参院予算委に関し、省庁が質問内容を把握した日時などが読み取れる内容。松井氏は次のようなコメントを付していた。

 「官僚の相当数が連休中に働いていることがうかがわれる。きちんと正規の情報を開示した方が健全だ」

 騒動は16日に様相が一変した。森氏や野党幹部が記者会見し、森氏の質問通告が質疑前に外部へ「漏洩」したとして、調査チームを設けて追及すると表明したのだ。森氏はこう訴えた。

 「憲法に規定された国会議員の発言の自由、憲法そのものに対する挑戦だ」


一か月前の騒動なのですっかりほとぼりが冷めてしまっていますが、ネットで読める続報は同じ記者によるものしかなさそうです。

【野党ウオッチ】「通告漏洩」問題はフェードアウトなのか(2019.11.12 01:00 産経新聞)

 不発なら知らぬ間に撤退してもかまわないのかもしれない。しかし、役人に深夜労働を強いたと指摘されるや「逆ギレ」して粛清に走った、という悪印象だけはしっかり残る。

 「次に漏洩問題調査チームの会合をいつ開くのか」。チーム関係者の野党議員に尋ねたところ、時期は未定で、開催にも乗り気でない様子だった。理由を尋ねると「不毛だから」という答えが返ってきた。

(政治部 千葉倫之)


まあ国会というか日本の議会というのはかくも「不毛」な応酬が繰り広げられる場となっておりますが、そもそもなぜそうなったかという背景について、以前のエントリで取り上げた刊行当時現役の衆議院事務総長による解説を参照してみましょう。

 我が国国会が独特なところは、質疑というプロセスがあること、そして、それが審査の太宗を占めることである。他の国では、基本的に討論という形で審議が進められる。無論、我が国にも、議員間で議論を闘わせる討論のプロセスはあるが、各党の意見表明といったもので、議員間議論という要素は少なく、かつその時間も短く、採決の前に行われる一プロセスといった儀式的な性格を強く持ったものである。
(略)
 なぜ質疑が審議の中心になったのかというのは、帝国議会初期の政治状況が大きく影響したと言っていいだろう。我が国の統治のシステムは、天皇が統治権を総覧し、内閣は天皇を補佐するものであった。議会は天皇の立法権を協賛するものであり、それは具体的には、民の代表として、政府が進める政策に意見を述べることであった。
(略)
 しかし、政党、とりわけ野党的立場の政党からすれば、政府の政策を質し、その問題点、ひいては政府そのものを攻撃したいわけで、そうなると、大臣らを質疑の場に呼ぶしかなかった。
(略)
 だが、その後、内閣の方も議会の重要性を感じるようになる。(略)こうして内閣と野党双方の思惑が一致して、質疑の場が拡大し、審議の太宗を占めるようになったと考えられる。
pp.163-165


議会学
向大野新治(衆議院事務総長)著
ISBN:978-4-905497-63-9、280頁、本体価格:2,600円


私自身も諸外国の議員制度を実際に見聞きしたわけではなく、最近だとイギリスのBrexitとかアメリカのロシア疑惑とかのニュースで見る程度の知識しかありませんが、国会議員が与党の閣僚を通じて行政(の職員たる役人)をつるし上げる日本とはだいぶ異なる印象ですね。しかも、日本では政権交代があってもこの構図は変わりませんので、民主党政権時には自民党が同じようなことを繰り広げていたわけでして、まあこの国では役人が一方的に攻撃されるのが民意ということなのでしょう。

この点に関しては、本書では次のように指摘しています。

 なお、質疑中心の議案審査構造に関連して言及すると、かつてこれを「官僚主導」のシステムとみなし、「政治主導」に転換すべきだとの主張がなされたことがある。
(略)
 しかし、ここには、どこの国も議案審査の方法はほぼ同じという誤解があるようである。先ほど述べたように、質疑というステージは我が国独特のものであり、他の国は、内容に違いはあれ、討論という形をとっていることを理解しなければならない。実は、我が国にも討論はあり、それは構成員たる議員のみに発言が許されたものであり、極端に言えば、質疑というものを廃止して、討論だけにすれば、諸外国と同じように、議員だけの議論になるのである。それを転換せず、単なる質問に対して、大臣が答えたら政治主導、同じことを官僚が答えたら官僚主導というのは、合理的な解釈とは言えないと、筆者は考える。
向大野『同』pp.166-167


結局やっていることは、大臣が答えようが官僚が答えようが、行政(の職員である役人)をつるし上げることが目的であって、それを民意が望む以上、政治家同士が政策について討論するような国会は「見世物」として成り立たないわけで、質疑そのものを見直すという議論には進まなそうです。

霞ヶ関の国会対応で野党から非常識な時間に通告があるのは常識と化している(民主党政権で首相を経験した方の中には、代表質問が月曜日のときは日曜日の夕方に通告するという御仁もいらっしゃいましたね)ところでして、今回は台風という自然災害への対策が迫っている中だからこそ問題になったわけですが、いやまあ台風が迫ろうがなかろうが、深夜に答弁作成しなければならないような仕事がデフォであるような職場において日本の各種制度が決定されること自体が問題なのだろうと思います。

そして、諸外国では政策決定が主に討論で行われるのに対して、日本のように質疑が中心であれば、政策や制度の詳細について知らなくても(誤った解釈によっても)質問ならいくらでもできるし、政権批判につながりさえすれば政策以外のことも質問できます。合理的無知な有権者によって選ばれた国会議員にとって、政策や制度の詳細について知らなくても発言できる質疑中心の国会の方が都合がいいわけですね。

形式的な話でいえば、実は日本の国会の本会議ではほとんど質疑は行われず、ニュースで報道される質疑はほとんどが予算委員会での質疑となりますが、これも質疑中心の議案審査構造が故のものといえるでしょう。だいぶ古いですが、国会の議事についての説明を参照すると、

 現在の本会議は審議時間が極端に短いため、ほとんどアリーナとしての機能を果たしていないが、予算委員会の総括質疑や一般質疑(後述するように、正式な用語では質問ではなく「質疑」という。なお、2000年の第147回国会から衆議院の総予算審査方式が変更され、総括質疑は「基本的質疑」、一般質疑は「質疑」と呼ぶことになった)はその機能の一部を代替してきたと考えられる。そこで、何も本会議にこだわらず予算委員会の質疑を充実させればよい、本会議の形骸化をとくに問題にすることはないという意見も出てくるだろう。しかし、本会議の機能を予算委員会に代替させている現状には、いくつかの難点がある。
 第一に、予算そのものを議題とする審議の重要性である。(略)現在の予算委員会では国政全般にわたる質疑が展開されるため、本来の任務であるはずの予算審議にあてる時間は限定されてしまう。
p.125
大山礼子 著  (品切)
2,200円 四六判 280頁 978-4-385-31398-6
1997年11月20日 初版 発行
2003年 3月15日 第2版 発行

引用注:上記引用部で「一般質疑は「質疑」と呼ぶことになった」とありますが、現在は「一般的質疑」と呼ばれます。


質疑中心の審査構造において、全閣僚が出席する予算委員会は本会議に代わって政府追及の場として活用(?)されるのが現状でして、予算委員会の開催をめぐる攻防もよくある風景であすが、まあ「不毛」な国会が変わることはなさそうですね。
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