2019年07月25日 (木) | Edit |
前回エントリで「障害者が選良として議会の場に参加することそのものについてはまた別途」と書いたところ、早速こんな増田がアップされていました。

社会が重度障害者を理解し、サポートできるようにするため、社会の代弁たる国会から変えていきたい。という希望論は理解できます。

ですが、船後氏のような重度ALS患者は喋れないので、特殊な機器や透明な文字盤を目で追うことで伝えるしか無く、1つ文章を作るだけでも数分かかってしまいます

さらにALSはどんどんと筋肉が低下していくので、文章を作る時間は伸びていき、やがて目や指さえも満足に動かすことができなくなり、意思疎通が大変困難になります。

質問も反論もすぐに出来ないのに、国会で十分な議論に参加出来るでしょうか?


それこそ、社会がサポートして代弁するべきです。


私の家族も、どんどんと意思疎通が出来なくなり、特殊な機器で打っていた文章にも誤字が多くなり、目の筋肉が低下して文字盤を追うことも出来ず、最後の半年には文章や文字盤での意思疎通が出来なくなりました。

十分な意思疎通が出来ず、涙を流していました。それを自分で拭くことも出来ませんでした。

そのようなことを、国会でやるのは、ALS患者やその家族遺族に希望を与えるというより、やるせないふがいない気持ちを与えることになると思います。


船後氏や山本氏は、そのようなことを分かっているのでしょうか?

現実的ではない希望論や、行き過ぎた正義を、振りかざしているだけではないでしょうか?

2019-07-22 ■ALS患者のれいわ・舩後氏の参議院選当確について
※ 以下、強調は引用者による。

私自身も重度障害者の家族として、ここに書かれたALS患者のその通りだろうと思われますし、遺族の方がその思いを吐露して疑問を呈することは正当な行為として認められるべきと考えます。その疑問に対してどのように応えていくのかについて、具体的な行動が社会に求められているわけですが、その「社会」にはもちろん、ALS患者を参議院議員候補として擁立した政治団体も含まれていますし、当選したこの方を受け入れることになる国会も含まれています。そしてその国会とは、「国権の最高機関であつて、国の唯一の立法機関」(日本国憲法第41条)であり、かつ、まさに今回の選挙で有権者によって選ばれた選良の方々によって運営されるものです。

その運営方法については、一部は日本国憲法によって定められた手続きがありますが、合議体としての国会が自らの運営そのものを合議によって決めているわけでして、具体的には議院運営委員会で決定された先例によって運営されています。その運営に現れる議会の役割を理解しなければ国会の機能とか議員の役割を議論することはできませんので、実務担当者による説明を参照してみましょう。

…つまり、会議というのは、純粋に構成員が自由に考え、発言して何かを作り上げていくというのではなく、リーダーの考えを公表し、それをオーソライズさせるためのものと言っていい。こう考えると、少数の人たちの合議の場合も、結局は一人の人が判断していく形に収斂していくと考えていいだろう。
 これは、統治の場面も同様で、統治者の数によって、「王政」、「貴族制」及び「民主制」に分けられたけれども、実際には、いずれの場合も実質的統治者(意志決定者)は一人に収斂していくのである。このことに気づくことは、政治学研究の上でももっとも大事なことである
p.11

 だが、われわれがもう一度よく考えなければならないことは、近代デモクラシーとは、つまるところ、国民の普通選挙であって、国民は自分の幸福を考えるから、彼らに自由に選択させると、その方向に向かっていくと結論づけるのは、あまりに短絡だということである。ヒットラーが登場したのも、実際、デモクラシーからであった。選挙は結果を保障するものではない。単に、自分たちもそれに参加したのだから、そこから生まれる果実は受け入れなければならないという「自己責任」なのである
p.27

 これまで述べてきたように、議会は、統治の主体ではなく、統治者たる政府の外にあって、統治者の判断や行動が間違わないように、あるいは間違った場合に、それを修正したりその責任を追及したりするための統治の最適化を職責とする政治的機関なのである。これは議会の歴史にも即したものである。
 そして、議会は、主に三つの権能によって、これを実行してきた。第一は、立法権であり、これは、政府が統治するにあたっての基準や根拠、方法等を定めるものであった。
 当たり前のことだが、もともとイングランド議会には立法権はなかった。議会は、騎士や商人等から臨時税を徴収するために招集され、これが課税承認権を持つようになり、さらに財政全般のみならず国政全般についての実質的な承認権を持つことになって、これでもって、国王の統治を制約・是正するようになった。これが具体的な形となったのが、共通請願を源とする立法権だったのである。
p.32

 そして、この三つの中では、当然、統治者を選ぶことがもっとも重要となってくる。その結果、立法権や国政調査権は、そのための手段と化していくのである。こうしたことは、議院内閣制の国ではごく自然に進んでいく現象だと筆者は考えている。
(略)
 そもそも、議会は国家意思の決定機関であって、議案提出権を唯一付与されている議員は常に大局に立って統治のあるべき姿を考えて行動しなければならないというのは、建前、あるいは理想的・楽観的な見方であって、彼ら(引用注:アメリカ議会)は、基本的には、自分や自分の支持者の関心のあるものについてのみ立法化を図るものだと認識しなければならない。だから、実体とすれば、アメリカの議会は昔の請願・陳情実現のスタイルを色濃く残した機関にすぎないわけで、政争になりそうなものは、行政(統治)の方が大統領令等を駆使して自己完結的に遂行するのである。こうした状況だからこそ、党議拘束の必要性もないし、与野党の衝突もほとんどなかったのである。
p.34−35

 実は、こうした弱者や敗者に対する配慮が、今でも政治の現場で行われているのである。国会で与野党が厳しく対立する法案を審議するとき、よく識者やマス・メディアが言うのは、与野党が、どちらも十分と言うくらい時間をとり、自由闊達に議論し、最後は強硬手段に訴えたり、議事妨害することなく、粛々と採決し、多数決で決めることがもっとも大事だということである。
 しかし、筆者は、こうしたことは形式的なことで、もっとはるかに大事なのは、結論を受け入れがたい少数者や弱者、あるいはそういう人たちを代表する少数党に、どれほどの配慮がなされ、彼らもどこまで甘受するかということだと思っている。議会で議論されるのは、学生の討論会の議題のようなものではない。法律は、人々の権利・義務を定めたり、何らかの便宜を与える一方で、何らかの負担を強いたりする。つまり、人によっては、自分の命や財産、生活がかかっていたり、自分の引けない感情にからむものだったりするのである。そうした場合に、十分な議論をして多数決で決めたことであれば、本当に誰もが納得し、受け入れるのだろうか。一般的に、人は、自分に犠牲を強いるようなものであれば、まず第一に廃案を望むだろうし、次善の策としては、修正を求めるだろう。それでだめなら、何らかの手当や償いを求めるに違いない。それも無理で、一方的に犠牲を払う側にいなければならないときに、果たして、善処をお願いしている議員が淡々と質疑を行い、採決のときにただ反対として自席に座っていることを容認できるだろうか。場合によっては、自分たちの怒りをその場で見せてほしい、身体を張って阻止してほしいと思うのが人情ではないだろうか。少数者も、自分たちの要求が認められない客観的事情は当然のごとくわかるわけで、それでも自分たちの思いをわかってくれた、それを国会の場で他の議員にわからせてくれたということでもって、その嫌な結果を受忍してくれるのである。それゆえ、筆者は、一定程度の議事の騒然さには寛容であっていいと思っている。
 ただ、先に述べたように、議会は権力闘争の舞台でもあり、こうした弱者配慮の手法が権力闘争に結びつくのも必然的と言わざるをえない。このことが、少なくない国民の反発を醸成し、結果的にいわゆる「政治」そのものに対するネガティブが評価につながっているわけで、その加減が難しいことは言わずもがなのことであろう。
pp.40-41

議会学
向大野新治(衆議院事務総長)著
ISBN:978-4-905497-63-9、280頁、本体価格:2,600円

後半に行くにつれて引用部が長くなってしまいましたが、これは、筆者の経験を通して得られた洞察と思いがこの引用部に向けてどんどん凝縮されていると感じたからです。ちなみに、筆者の向大野氏は、東大法卒後に衆議院事務局に採用され、本書が発行された2018年は現職の衆議院事務総長でしたが、今年6月に退任(本書p.265によると、事務総長は本会議における選挙で選ばれる政治的任命職のため、本人が適宜辞任を申し出て本会議で許可されると退任となるとのこと)されています。

国会でもっとも貴重な資源は時間です。現在日本で施行されている法律は約2000あって、国会では新規の法案に加えて既存の法律の改正案も頻繁に改正されていて、法案と同じ扱いの予算審議にも多くの時間が充てられているのが実態であり、一つ一つの審議に充てられる時間はほとんどありません。そこで、日本の国会では委員会主義をとって、各法案の審査を委員会に分かれて行い、本会議では基本的に討論と採決を行うのが例とされています。その中でも「人によっては、自分の命や財産、生活がかかっていたり、自分の引けない感情にからむものだったりする」ような案件があれば、それに対する反対の意を徹底して示すため、その案件を所管する各委員会や、総理大臣の出席を求めることができる予算委員会の場において、「弱者や敗者に対する配慮」を求めて質疑や討論を行い、支持者の「自分たちの怒りをその場で見せてほしい、身体を張って阻止してほしいと思う」人情に訴えるために、強行採決された体をとることが重要な役割となります。もちろん、委員会から本会議に報告されてからも、採決に先立つ討論や採決そのものを遅延させる行為(牛歩戦術など)によって貴重な時間という資源を巡って攻防を繰り広げるのもまた、国会議員の役割となります。

さて、ここで冒頭の話に戻しますと、私自身は、ハードとしての国会議事堂がバリアフリー化することは当然のことと考えますが、上記のような国会議員の役割を踏まえると、その任に重度障害者をもって充てることの必要性を感じません。むしろ、代議士が代議士たる所以は、その支持者が時間的・物理的・金銭的制約で表明できないことを、国会の場で主に言論を通じて、ときに行動によって体現するからであって、「身体を張」ることが命の危険に直結するような方がその任に相応しいとは到底思えません。「危険がないようなサポートをした上で国会議員として行動できるようになればいい」という方もいらっしゃるかもしれませんが、医療や福祉の現場を踏まえれば、「危険がないようなサポート」が本当に可能かどうかは誰にも断言できないでしょうし、仮に万が一の不測の事態が生じた際に、「国会がバリアフリーではないことがその原因であって、それを明らかにすることを目的として、本人の意志で人柱となり命を削っているのだ」などと他人事をこれ幸いとうそぶくような言説があれば、それは人として許されない態度と考えます。

さらにいえば、国会でもっとも貴重な資源は時間であるということからすると、意思表示にこれまでよりも時間を要することになる以上、国会という機関で審議できる案件が減る影響が予想されます。有権者の代表が共有する貴重な資源としての審議時間を削りかねず、さらに本人の命の危険を冒してまで、重度障害者に国会議員の役割を負わせることには賛同できないというのが私の考えです。もちろん、そうして時間をかけることも重要だという意見はあり得るでしょうけれども、時間をかけることそのものにはあまり意味はないと考えます。霞ヶ関の長時間勤務の原因の大きな部分となっているのが国会対応であることが知れ渡り始めている現状において、霞ヶ関の官僚のマンパワーそのものが拡充される契機となるなら別ですが、重度障害者の方を擁する政治団体も官僚を増やすことには積極的ではないようです。国会をバリアフリー化するというのは、一部に負担をしわ寄せすることではなく、全体の負担を減らしつつ、それぞれ少しずつ負担し合って個々の負担を減らすことであるべきと考えますが、そこまで議論がすすむのかは極めて疑わしいと思われます。

まあそもそも、今回当選された方を擁する政治団体の代表は、他の政治家の失言を批判しながら「人を生産性で判断するのは間違っている」と主張する一方で、

れいわ 重度障害者2人国政へ(東京新聞 2019年7月22日 02時46分)

 今年四月に山本太郎さん(44)が代表となって立ち上げた政治団体「れいわ新選組」は、比例代表で二議席を獲得した。いずれも新人で、難病の筋萎縮性側索硬化症(ALS)患者の船後靖彦さん(61)と、重度の障害がある木村英子さん(54)。国会は議員活動を保障するため、幅広いバリアフリー化が求められる。
(略)
 二人に出馬を要請した山本さんは、船後さんを「体は動かなくても頭脳は明晰。国会に入り、本当の意味の合理的配慮が行われたら障害者施策を前進させることができる」。木村さんには「攻めの姿勢で理路整然と官僚とやり合う方。ぜひ一緒にやりたいと何年も前から思っていた」と話す。議場での質問や採決方法などで「国会が柔軟に対応していくこと」も求めた。

当選された方を障害者の中でも特に優れていると主張しているわけでして、どの口がそれを言うかという思いもあります。国会議員としての役割をどう考えているのか判然としませんが、頭脳が明晰でもなく、理路整然でもない障害者は結局、彼の眼中にはない、少なくとも「一緒にやりたい」と思う相手ではないのでしょう。

(参考)
お手軽社会保障論とかお手軽労働政策(2018年10月28日 (日))

制度設計の困難さと増税することの政治的困難さ(2017年07月04日 (火))

他人の人生に過剰な「感動ポルノ」を求める土壌(2016年08月28日 (日))

障害者の家族・支援者の思い(2016年08月04日 (木))

震災の記録(障害者編)(2015年05月04日 (月))

長期雇用されない障害者(2015年02月22日 (日))

役所の障害者雇用を阻むもの(2014年04月12日 (土))
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2019年07月21日 (日) | Edit |
だいぶ放っておいてしまったところですが、午後8時から各局で選挙特番が始まっておりまして、まあ報道で見ていた事前の予想に概ね沿った結果となっているようです。で、6年前の参議院選挙の後にこんなことを書いておりましたが、

その林内閣はわずか4か月で退陣し、昭和12年4月に総選挙が行われることとなりますが、そのような生活を実感している中下層に支持を訴えた社会大衆党の選挙スローガンについて、坂野先生はこのように引用されます。

 山川菊栄の一文を念頭に置くと、社会大衆党が選挙運動中に公表した選挙スローガンの意味がよくわかってくる。それは次のようなものであった。

「選挙スローガン
一、まず国内改革の断行!
一、国民生活の安定!
一、広義国防か狭義国防か!
一、政民連合か社会大衆党か!
一、議会革新の一票は社会大衆党へ!
一、大衆増税絶対反対!
一、勤労議会政治の建設!
一、国民外交の確立!」(内務省警保局『社会運動の状況・昭和12年』)


 「選挙スローガン」などは単に美辞麗句を羅列したものにすぎないと思われがちであるが、政治が大きな岐路にさしかかっているときには、各陣営とも意外に率直に自ら信ずる方向を国民に訴えるものである。そういう岐路においては、今日流行の「マニフェスト」はおのずから明示されるのである。すでにたびたび指摘してきたように、この時の日本の岐路は、「反ファシズム」か「改革」かにあり、「反ファシズム」の側には社会の上層が(財界と二大既成政党支持者)、「改革」の側には社会の中下層が支持を与えていた
 そして、大規模な軍拡を目指す陸軍内部にも、それを社会上層の「反ファッショ勢力」と結んで実現するか、ようやく議会にも勢力を増大しようとしていた社会の中下層の「改革」勢力と組んで行おうとするかの、二つの勢力があった。この二つの方向を理解すれば、ここに紹介した社会大衆党の選挙スローガンが、後者の途を率直に提示していたことがわかるであろう。
 社大党にとって第一に重要なのは対外政策ではなく「国内改革」であり、「国民生活の安定」だった。そしてそれを実現するためには、「反ファッショ」と軍拡を結びつけた「狭義国防」ではなく、「改革」と軍拡を組み合わせた「広義国防」路線が必要であり、それを政党界で実現するのは、既成の二大政党が結びついた「政民連合」ではなく、「改革」をめざす社会大衆党だったのである
坂野『同』pp.159-160
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いわゆる中下層の方の支持を得ようとする政党は、いつの時代も変わらず「増税反対」と「改革」を唱えるようですが、裏返していえば、中下層の方は自らの境遇に満足しない限り「増税反対」と「改革」に期待するものと考えるべきかもしれません。結局、社会大衆党は昭和12年4月の総選挙で議席数を20から36へと倍近く伸ばし、その躍進の要因について、特高警察が「国民の政策批判力の増進」を挙げたとのこと。「政策批判力」というのは今でいう「熟議」とかになりそうですが、まあ「熟議」の結末がどうなるかを示唆するものともいえそうです。

(略)

経済学の教義に忠実なあまり増税忌避という思考停止に陥ることは十分にあり得ることでしょう。そのとき「増税反対」と「改革」を主張する勢力が、「付加価値税が生み出す恩恵−−無料の診療、高等教育、公共交通費や住宅取得の補助など−−をもっとも受けるのは、それらを払えない貧しい人たち」の期待を取り込んでいく様子が見られるのかも知れません。

トッププライオリティの置き方(2013年08月15日 (木))


今回の参議院選挙では、ナイーブさに定評のある松尾匡先生をブレーンに据えた政治団体(今回の結果で政党要件を満たしそうですが)が議席を確保したとの由。

政権とったらすぐやります
今、日本に必要な緊急政策

れいわ新選組は、
ロスジェネを含む、
全ての人々の暮らしを底上げします!

消費税は廃止


物価の強制的な引上げ、消費税をゼロに。
初年度、物価が5%以上下がり、実質賃金は上昇、景気回復へ。
参議院調査情報担当室の試算では、消費税ゼロにした6年後には、
1人あたり賃金が44万円アップします。

れいわ新選組 政策

まあ、今回消費税率引き上げ反対を含めれば、与党以外はほぼ消費税を目の敵にしていたようですし、上記の政策を掲げた政治団体からは障害者が当選された(障害者が選良として議会の場に参加することそのものについてはまた別途)とのことで、6年前の予想も当たるものだなと自分を褒めてあげたいと思います。

ついでに、3年ほど前には

権丈先生の新著から、この辺の整理をしておきますと、

 そう言えば,2015年の経済財政諮問会議(5月19日)「“経済財政一体改革”の実行に向けて(有識者議員提出資料)」の中に,「「経済・財政一体改革」個別改革の目標(1)社会保障(保険料)負担率(対国民所得比)の上昇に歯止めをかけ,実質可処分所得の目減りを抑制する」という言葉がありました.当初所得から税金・社会保険料を引いて現金給付を加えたものを「可処分所得」と呼び,可処分所得プラスの現物給付を『所得再分配調査』の中では『再分配所得』と呼んでいます.ですから,可処分所得という指標は,社会保障が行っている「医療,介護,保育などの現物給付」を無視した指標なんですね.そうした可処分所得の目減りを抑制するという話は,なんとなく聞こえはいいのですけれど,要は,ここでみた,社会保障の所得再分配機能を縮小するという話につながることです.
pp,102-103

ちょっと気になる社会保障 権丈 善一 著
ISBN 978-4-326-70089-9
2016年1月
A5判・240ページ
1,800円+税


※ 以下,強調は引用者による。


つまり可処分所得に現物給付を加えた「再分配所得」の拡充のためには、(言葉の厳密な意味での)再分配に必要な財源を一次分配の給与等の稼得所得から一旦政府に預けて、それにより必要原則に応じて分配するという恒久的な仕組みを構築する必要があります。その財源確保のために増税が必要だと申し上げているところでして、「可処分所得を減らして何が何でも財政均衡を達成しなければならない」というようなことは考えておりません。

いやもちろん、本書で権丈先生も指摘されているように社会保障というのは市場システムのサブシステムですので、一次配分の適正化が大前提ではあります(そのため集団的労使関係による人件費の配分交渉が重要になります)が、それに現物給付による再分配を加えて生活を保障するには、一旦政府に預けるという過程が必ず必要になります。ところが、日本的左派の皆さんには政府に対する徹底的な不信感がありますし、一般の方々にもそれはかなり深く浸透しているとは思いますので、「再分配」というなら政府を利用するのが効率的だというのはなかなか受け入れられる考えではないだろうとは思います。

可処分所得と再分配所得(2016年02月21日 (日))


というようなことも書いておりましたが、この点を政策の最初に持ってきた政党は苦戦したようです。

「家計第一」の経済政策


アベノミクスの最大の弱点は、家計消費が伸びないことです。企業収益は増えましたが、一部の経営者の富の増加にしかつながっていません。一方、国民の実質賃金は低下しています。年金だけでは満足な生活ができないことも政府は認めました。生活は悪化し、消費は低迷し、経済は停滞しています。さらに、大規模財政出動により、国の借金は増え続けています。

国民民主党は、「家計第一」。家計を支援し、消費を活性化させます。人への投資で、一人ひとりの能力が存分に生かせるようになれば、家計も企業も豊かになります。「地域活性化」により、地方が立ち直れば、都市も豊かになります。

消費税

約束した議員定数削減も果たされていません。高所得者が得をする軽減税率や、一部の人だけが得をするポイント還元を伴う、今回の消費税引き上げには反対します。『家計支援こそ成長力』。社会保障財源の確保は必要ですが、消費拡大による景気回復を十分に果たさなければ、消費税引き上げを行うべきではありません。引き上げの前に、先行して子育て支援拡充を行うため、「子ども国債」を発行します。

所得再分配機能の回復

一般の家庭が少しでも余裕を実感できるようにする一方、富裕層には応分の負担をしてもらい、そのお金を社会に還元します。NISA等の拡大により、家計の金融資産形成を応援します。同時に、高所得者層は金融所得の割合が高いことから、金融所得課税により所得再分配機能を強化します。

「所得控除」から「給付」(給付付き税額控除)へと税体系を大きく変えていきます。給付を社会保険料の支払いと相殺すること等により、実質的な可処分所得を底上げするとともに、無年金者、生活保護世帯を減らします。

「GAFA」と呼ばれる巨大IT企業などがビジネスを展開し利益を上げている国でほとんど納税していない実態を踏まえ、国際社会と協調して課税を強化していきます。

国民民主党 政策index 2019

まあ、この分野の政策では「消費税廃止」のインパクトには敵わなかったというところでしょうか。