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2019年02月12日 (火) | Edit |
前回エントリで「最近働く現場での問題が相次いで明るみに出ている」と書いたのは、いわゆるバカッターとかバカバイトとか言われるSNS上の炎上も話題となっていますが、千葉県野田市での児童虐待死事件での教育委員会や児童相談所の対応も同じ側面を持っているのではないかと考えております。というのは、虐待していたとされる父親が学校に乗り込んでアンケートを開示するよう要求し、その要求が通らないからと市の教育委員会に乗り込んで、子供の同意書まで用意して開示させたという経緯を見ると、プロフェッショナリズムの欠如を感じてしまうからです。

「いじめ」回答、父に渡す 野田市教委、保護抗議受け 小4死亡「配慮欠いた」(日経新聞 2019/1/31 11:11 (2019/1/31 12:38更新))

千葉県野田市立小4年の栗原心愛(みあ)さん(10)が自宅浴室で死亡した事件で、心愛さんが2017年11月に「父からいじめを受けている」と回答した学校アンケートのコピーを、市教育委員会が父、勇一郎容疑者(41)=傷害容疑で逮捕=に渡していたことが31日、市教委への取材で分かった。虐待を調べていた県柏児童相談所には事前に相談していなかった。

野田市教委は取材に、心愛さんが児相に一時保護されたことに対し、容疑者から学校側に激しい抗議があり、それを抑えるために手渡したと説明。「配慮を著しく欠いていた」と陳謝した。

野田市教委などによると、心愛さんは当時通っていた別の市立小で実施されたいじめに関するアンケートの自由記述欄に「父からいじめを受けている」と記載。児相は17年11月7日、虐待の可能性が高いとして一時保護した。

容疑者は一時保護解除後の18年1月12日、心愛さんの母(31)と共に学校を訪れ、「暴力はしていない」「訴訟を起こす」などと抗議。学校側が回答内容を口頭で伝えると「実物を見せろ」と要求した。学校側から相談を受けた市教委が同月15日、コピーを容疑者に手渡した。

市教委は2月20日、市や柏児相、野田署などで構成する「市要保護児童対策地域協議会」で、回答を渡したことを事後報告した。柏児相は「事前に児相に相談すべきで、不適切だったと考えている」としている。

児相は17年12月27日、親族宅での生活を条件に保護を解除。18年1月18日、死亡時の学校に転校し3月に自宅へ戻った。〔共同〕


私がこれまで経験した職場でも、要求が通らないと大声を上げて職員を恫喝する方が定期的に訪れるところがありました。幸い(?)その要求内容は法令上応じる必要がないことが明らかなものだったので、ガス抜きと割り切って対応しておけばよかったのですが、中には一線を越えて職員に暴力を働く方もいて(私は直接の担当ではありませんでしたが)、そうした役所のセキュリティの低さにはいつも辟易しているところではあります。まあその問題はそれとして、今回の件のように明確に法令に抵触するかどうかが不明な場合に、恫喝に屈して要求に応じる可能性はゼロではないだろうとも思います。

というのも、親権を有する親がその子供の同意書を持って本人の個人情報開示を請求してきた場合に、それを拒否する権限が役所にあるかどうかは、思うほど明確ではないように思われるからです。

野田市個人情報保護条例(平成12年野田市条例第25号)
(本人開示請求権)
第15条 何人も、この条例の定めるところにより、実施機関に対し、当該実施機関の保有する自己に関する個人情報(指定管理者に公の施設の管理を行わせるときは、当該管理の業務に関するものを含む。)の開示を請求することができる
2 未成年者若しくは成年被後見人の法定代理人又は本人の委任による代理人(以下「代理人」という。)は、本人に代わって前項の規定による開示を請求することができる

(本人開示請求の手続)
第16条 前条の規定による開示の請求(以下「本人開示請求」という。)は、次に掲げる事項を記載した書面(以下「本人開示請求書」という。)を実施機関に提出してしなければならない。
(1) 本人開示請求をする者の氏名及び住所
(2) 本人開示請求に係る個人情報を特定するに足りる事項
(3) 前2号に掲げるもののほか、規則で定める事項
2 前項の規定により本人開示請求書を提出する際、本人開示請求をしようとする者は、実施機関に対し、自己が当該本人開示請求に係る個人情報の本人又はその代理人であることを証明するために必要な書類で規則で定めるものを提出し、又は提示しなければならない
3 実施機関は、本人開示請求書に形式上の不備があると認めるときは、本人開示請求をした者(以下「本人開示請求者」という。)に対し、相当の期間を定めて、その補正を求めることができる。この場合において、実施機関は、本人開示請求者に対し、補正の参考となる情報を提供するよう努めなければならない。

(開示しないことができる個人情報)
第17条 実施機関は、本人開示請求に係る個人情報が次の各号に掲げる事由(以下「不開示事由」という。)のいずれかに該当するときは、当該個人情報を開示しないことができる
(1) 法令等の定めるところ又は実施機関が法令上従う義務のある国等の機関の指示により、本人に開示することができないとき。
(2) 個人の評価、診断、判定、選考、指導、相談等に関する個人情報であって、開示することにより、事務の適正な遂行に著しい支障が生ずるおそれがあるとき。
(3) 監査、検査、取締り、争訟、交渉、契約、試験、調査、研究、人事管理、市が行う事業経営その他実施機関の事務又は事業に関する情報であって、開示することにより、当該事務又は事業の性質上、当該事務又は事業の適正な遂行に支障を及ぼすおそれがあるとき。
(4) 第三者に関する情報を含む個人情報であって、開示することにより、当該第三者の正当な権利利益を侵害するおそれがあるとき。
(5) 未成年者の代理人により本人開示請求が行われた場合であって、開示することが当該未成年者の利益に反すると認めるとき。


野田市個人情報保護条例施行規則(平成13年野田市規則第3号)
(本人開示請求書)
第6条 条例第16条第1項第3号に規定する規則で定める事項は、次のとおりとする。
(1) 希望する開示の実施方法
(2) 代理人が開示を請求する場合にあっては、当該本人開示請求に係る本人の氏名及び住所
2 条例第16条第1項に規定する本人開示請求書は、個人情報本人開示請求書(別記第3号様式)とする。
3 条例第16条第2項(条例第27条第2項及び第30条第2項において準用する場合を含む。次項において同じ。)に規定する本人であることを証明するために必要な書類で規則で定めるものは、次のいずれかとする。
(1) 運転免許証
(2) 旅券
(3) 健康保険被保険者証
(4) 個人番号カード
(5) 前各号に掲げるもののほか、当該請求に係る本人であることを確認することができるもの
4 条例第16条第2項に規定する代理人であることを証明するために必要な書類で規則で定めるものは、当該代理人に係る前項各号に掲げる書類のいずれか及び次の各号に掲げる書類とする。
(1) 未成年者の法定代理人にあっては、戸籍謄本その他法定代理人であることを証明する書類
(2) 成年被後見人の法定代理人にあっては、当該成年後見に関する登記事項証明書その他代理人であることを証明する書類
(3) 本人の委任による代理人にあっては、委任状


おそらくどこの自治体でもほぼ変わらない標準的な規定だろうと思いますが、野田市の条例では未成年者を含む何人も、教育委員会を含む実施機関に対して、自己に関する個人情報を開示請求することができるとされています。その具体的な手続きは条例とその委任を受けた規則で定められておりまして、野田市の場合は条例15条で本人開示請求権が規定され、16条でその手続き、さらに17条でその請求権に対して開示しないことができる事由が規定されています。規則では、本人開示請求する場合に必要な書類等が規定されていまして、未成年者については、代理人の運転免許証等の本人確認できる書類と戸籍謄本があれば請求できるということになっています。

今回の事件では、親権者である父親は法定代理人となりますから、父親が運転免許証と戸籍謄本を持ってくれば、形式上はその子供の本人開示請求をすることが可能となります。報道によればおそらくこれらの書類は整っていたと思われますので、問題となるのは、条例17条5号の「未成年者の代理人により本人開示請求が行われた場合であって、開示することが当該未成年者の利益に反すると認めるとき」に該当するかの判断が適切だったかどうかということになります。

私自身は学校現場や児童相談所での勤務経験がないので以下は推測に過ぎませんが、公務員というのはこうした条文解釈が仕事ですので、おそらく学校の事務でも、その相談を受けた教育委員会事務局でもこうした形式が整っている請求への対応について検討が行われ、条例17条5号に該当するかどうかで判断が揺れていたのではないかと推測します。

日常的にこうした親権者とのトラブルに対応している学校現場と教育委員会事務局では、いったん要求に応じてその場を納めて、それから対応するという手法がとられることもあるのではないでしょうか。学校というのは問題が起きたときに一定の期間で子供と接するのではなく、長い年月をかけて子供と向き合う現場ですので、トラブルそのものを解決するというより長期的な解決を志向する傾向があるように思います。これに対して、児童相談所は問題を抱えた子供を一時的に保護する施設ですので、そうした緊急の場合には「開示することが当該未成年者の利益に反すると認めるとき」と判断されることが多くなると思われます。ここで学校(教育委員会事務局)と児童相談所の判断が(結果として)分かれてしまった可能性が考えられます。

ただ、どんな職場であってもクレーム処理とかトラブル対応というのは通常業務に加えて多大な人的・時間的リソースが必要な業務でして、そうしたリソースに余裕のない組織が十分に対応できないというのは前回エントリでも指摘した通りですが、そこにはさらに、冒頭で指摘したプロフェッショナリズムの欠如もあると思います。学校(教育委員会事務局)と児童相談所で「開示することが当該未成年者の利益に反すると認めるとき」の判断に揺れがあったということは、それぞれのプロフェッショナリズムによる適切な判断が現場でできていなかったということを意味します。学校教育の面での問題、児童の保護の面での問題、行政対象暴力の面での問題には、それぞれ学校(教育委員会事務局)、児童相談所、警察がプロフェッショナルですが、個人情報保護条例に基づいて開示しないという判断は、学校ではなく児童相談所が行うべきところ、学校が学校のプロフェッショナリズムによって判断し、その判断そのものも行政対象暴力の恫喝により錯誤の状態にあったと言えるのではないでしょうか。

特に教育委員会事務局では、学校の先生が配属されているポストもありますが、いわゆる首長部局の一般的な公務員が占めているポストも多くあります。もしかすると、「開示することが当該未成年者の利益に反すると認めるとき」という判断ができないような一般的な公務員が、形式的に整った請求に対してその開示の判断を行い、その結果が今回の事件につながったのかもしれません。「プロフェッショナリズムの欠如」というのは、こうした専門的知識を持たないで判断をすることが常態化している組織の実態にも現れているのではないかと思います。。

さて、前回エントリで指摘した通り、統計部門の職員がこの10年程度で3分の1以下に削減されていて、今回の統計の不正処理が脈々と受け継がれた実態があります。2005年の報告書の「統計関係府省・部局間で一層活発にかつ継続的に人事交流を行うべき」という提言に基づいて頻繁に人事異動している職員は、プロフェッショナリズムを獲得する機会にも恵まれず、不正があってもそれはそういうものと認識することになります。学校(教育委員会事務局)では、児童虐待についてのプロフェッショナリズムがありませんから、その判断が結果として不適切なものとなる可能性も高まります。バイトが店の評判を落とすような行為をするのは、そのバイトが低賃金で雇われていていてプロフェッショナリズムとはかけ離れた立場にありながら、安全管理が必要な業務に就いてしまい、その行為のリスクを適正に評価できないからではないでしょうか。

つまり、プロフェッショナリズムというのは、その特定の業務におけるリスクやプロ・コンを適正に評価し、判断するために必須の「能力」といえます。この「能力」と「職能資格給制度」における「職務遂行能力」が一致していればいいのですが、こと公務員については、それが乖離する方向で法改正が進んでいまして、さらにそれを「職務給の原則」として「給与は職務と責任に応ずるもの、すなわち、地方公共団体に対する貢献度に応じて決定されなければならないとする原則」と解説しています。

地方公務員法の有権解釈として参照されている逐条解説において、「職務といい、責任といっても、実質的には同じことを指しているといってよいであろう」と断言されている地方公務員については、職務と責任はセットで考えられているわけでして、職務と責任によって給与を区別されている地方公務員が「同一労働同一賃金」で給与水準が等しくなるためには、職務と責任もセットで変わらなければなりません。とりわけ給与水準が上がるならば、その根拠となる職務と責任についても「難易と複雑さの程度」が上がらなければならないということになります。

職務と責任(2017年07月02日 (日))


プロフェッショナリズムに裏打ちされた「能力」もないまま、「職務遂行能力」で処遇されて判断する責任を負わされるのが公務員の組織であるならば、野田市のような事例はこれからも続いていくのかもしれませんね。
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2019年02月11日 (月) | Edit |
最近働く現場での問題が相次いで明るみに出ているようでして、国会では政府の統計調査がやり玉にあがっていますが、経済財政諮問会議では政府の統計部門の職員を一貫して減らすべしとの論陣を張ってきたところでして、厚生労働省での不適切な取り扱いが始まったとされる2000年代初めには「内閣府経済社会統計整備推進委員会」というところで報告書がまとめられています。

はじめに
「統計の整備は、日本再建の基礎事業中の基礎事業である」
これは、終戦直後から我が国の統計の立て直しに尽力し、昭和 24 年に吉田茂内閣総理大臣の命を受けて統計委員会の初代委員長に就いた大内兵衞氏の揺るぎない信念であった。
以来約60年、国民挙げての努力によって戦後の焼け野原は遠い記憶となり、我が国の経済社会は目覚ましい発展を遂げた。この間、様々な分野で整備され た統計は、過去を振り返り、今を知り、未来を見通すための指標として、政府の政策決定はもとより、事業者や国民の意思決定に幅広く利用され、まさに社会の発展を支える基礎となってきた。

(略)

本報告は、「経済財政運営と構造改革に関する基本方針2004」に掲げられた既存統計の抜本的見直しや統計制度の充実についての一つの具体案として提言するものである。時代の変化に対応した経済社会統計の整備に向けて、本報告の内容が近く策定される予定の「経済財政運営と構造改革に関する基本方針2005」に反映され、内閣府、総務省その他の関係府省等による今後の取組の礎となることを期待したい。

内閣府経済社会統計整備推進委員会「政府統計の構造改革に向けて(平成17年6月10日)」(PDF)


大変に高邁な巻頭言ではありますが、ではどんなことが提言されているかというと、特に職員体制については、

ウ 統計に携わる人材の育成・確保等
<取組に当たっての考え方>
 中央において「司令塔」機能が強化され、地方において実査組織の整備が進んだとしても、その運用に当たる職員の資質や能力、絶対数が伴わなければ、我が国の統計が大きく改善されることは期待できない。実際に、主要国の統計組織における職員数や構成をみると、我が国とは行政や人事の制度が異なり単純な比較は難しいものの、経済規模や人口に比して統計関係職員が絶対数で多いだけなく、その内訳においても大学等で統計に関わる専門課程を履修したスタッフの占める割合が高いことが見てとれる
 現在、統計を作成する主な府省は、府省全体の広範なローテーションの中で、それぞれの職場でのOJTや統計研修所(総務省)を始めとする専門の研修機関の研修課程等を活用して人材の育成に努めているが、統計を主要なキャリアパスとする専門的な人材は極めて限られており、裾野が広く厚みのある専門スタッフを確保・育成するには至っていない。
 統計は、その企画立案、設計、実査、集計・加工、審査、分析といった個々のプロセスにおいて、理論的にも技術的にも、あるいは実務の面からも、他の行政分野に比して高度の専門性が求められる。国際社会では、統計を一層発展させるための様々な取組が行われており、それらの動きを的確に把握し 国内にその成果を反映させることはもとより、より積極的に我が国としてそうした取組に貢献していくためには、国際会議等を舞台にした専門的な議論に積極的に参画してそれら諸外国の統計専門家に伍して議論をたたかわせることのできる人材を確保・育成していくことが不可欠である。

(略)

<具体的な取組>
 統計に関わりの深い関係府省においては、もっぱら統計に携わる職員について、政策担当部局や事業実施部局において一定の経験を積ませつつ、その育成方針・研修計画を策定するなどして、一次統計作成部局、加工統計作成部局、調整・審査部局、調査実施部局それぞれにおいて高度の専門性を身につけることができるような任用を計画的に行うとともに、それらの統計関係府省・部局間で一層活発にかつ継続的に人事交流を行うべきである。

内閣府経済社会統計整備推進委員会「同」


という次第で、さすがに当時の小泉-竹中の構造改革路線において「公務員人件費削減」の象徴としての「郵政選挙」が繰り広げられた2005年の報告書らしく、職員を増やすなんてことはせず、人事交流で経験を積めば高度な人材が育成できるという日本型雇用にどっぷり浸かった提言となっていますね。いやもちろん、現状の国家公務員の雇用慣行がメンバーシップ型である以上それに従って人材育成するしかないのですが、職員を増やすことはまかりならんという制約の中でなんとかひねり出したというのが実情かも知れません。

というか、この委員会の本当の目的は、報告書の参考資料6ページ(全体では41ページ目)をご覧いただくとお察しの通り、農林水産省の地方支分部局の統計職員が4351人と突出して多すぎるから削減しろということだったわけでして、その後経済財政諮問会議には「より正確な景気判断のための経済統計の改善に関する研究会」が設置され、その資料でその後の状況を確認できます。

資料1 統計リソースの現状と統計調査の質の確保について(PDF形式:795KB)

その4ページ(全体で6ページ目)によると、先ほどの2005年の報告書では2004年4月1日時点で本省庁1755人、地方支分部局4517人で合計6272人いた職員数が、2016年4月1日時点で本省庁1402人、合計1886人ですので、全体で3分の1以下、地方支分部局に至っては484人と10分の1近くまで、12年間で削減されているわけです。2016年の地方支分部局の内訳は不明ですが、まあ増えるわけないので、農林水産省だけで4000人程度削減されたと考えるのが自然でしょう。そして本省庁でも農林水産省で94人削減されていますが、厚労省も同程度の93人削減されているわけでして、その結果はご存じの通りです。とはいえ、今回の騒動のきっかけとなった毎月勤労統計調査の不正とされる処理は2005年の報告書がまとめられる前から行われていたようですので、上記の資料に示される人員削減がどの程度影響していたかは不明ですが、とはいえ、この国の人員削減は高度成長期から行われていたわけでして、無関係ではないでしょう。

さらに、人事院勧告によって民間の給与体系に準じることとしたために、民間企業で1960年代に普及した日本型雇用慣行としての職能資格給制度が、法に規定された職階制(2016年に廃止されましたが)に代わって適用されることになりました。つまり、GHQはあくまでアメリカ型のジョブ型雇用を国家公務員法・地方公務員法に規定したものの、官公労の労働争議の激化に業を煮やしたマッカーサーが公務員のストを禁止して人事院勧告を導入させたところ、結局ジョブ型雇用によって給与が決まるのではなく、メンバーシップ型雇用によって年功的に給与が決まる仕組みが定着してしまいます。このため、公務員の任用という行政処分における賃金決定は、民間より厳格な年功制に基づくことになり、公務員の年齢構成が高齢化すると自動的に給与原資が増加する仕組みとなっていたわけです。

そして、総定員法が制定された1969年は、民間企業が職能給に舵を切った時期でもありました。

市民の生活を保障しない国家(2018年07月21日 (土))


という状況を踏まえてみれば、少ない職員数で統計にかかる手間をできるだけ簡素化しようというのも自然な流れですし、「公務員人件費が多すぎる!職員を削減しろ!」と声高に主張されていた方々は、統計的手法によって悉皆調査による結果に近づけようと抽出調査したことそのものは、2005年の報告書で「高度の専門性を身につけることができるような任用を計画的に行う」とした具体的な取組に沿ったものと賞賛されても良さそうなものですが、いざその統計手法が明るみに出ると「不正な手段による統計調査を行うなんてけしからん!」と批判されるわけでして、まあいつものこの国の光景だなあと遠い目をするしかなさそうです。

後期高齢者医療制度の是非は措きます。仮に後期高齢者医療制度が批判されるべきものであるとして、であるならばそれが向けられるべきは小泉元総理であり、竹中元経済財政担当大臣であり、経済財政諮問会議でしょう。厚生労働省に対しては批判よりもむしろ、「あなたたちの見通しが正しかった。あのときに抵抗勢力扱いして、あなたたちの声に耳を傾けなかった自分たちが間違っていた」といった謝罪があってしかるべきです(後期高齢者医療制度が批判されるべきならば、という前提に立っています。為念)。しかるに現実は反対で、小泉元総理や竹中元大臣には依然として改革の推進者として賛辞が寄せられ、批判の矢面に立つのは厚生労働省なのですから、やってられなくなるのも無理はありません。

「厚生労働官僚のモラールが崩壊しかかっている件(2008-06-25)」(BI@K accelerated: hatena annex, bewaad.com)※リンク切れ



2019年02月10日 (日) | Edit |
一昨年から拙ブログでは日本型雇用慣行におけるパワハラOJTを継続的に取り上げてきたところですが、役所のパワハラ事案で山本一郎氏が典型的なダブスタを披瀝されていました。

 でもですね、全文読むと、市長の真意は「道の狭い角で交通事故があり、女性が亡くなったから、道路の拡幅をしなければならないのに、明石市役所の担当者が7年近く放置してきたので、市長がブチ切れている」のが分かります。ブチ切れて暴言を吐くのはいかんと思いつつ、その目線は「市民の安全のために、役人が働かないことに対する怒り」である以上、これってむしろ素晴らしい市長さんなんじゃないの? 市民の安全のために役所がしっかり動くよう激励してブチ切れてとにかく仕事を進めようという気魄さえ感じるわけですよ。

(略)

 その割には土下座する相手の物件を「きょう火付けてこい。燃やしてしまえ」とか言っているあたり市長の前のめり感もあるわけですが、これ、あくまで市民目線、市民の安全のためにこの拡幅工事が必要だ、用地買収を早く進めなければならないという責任感によって出た言葉だとするならば、むしろ人間臭く、明石市民のために働く市長と言えるんじゃないでしょうか

「明石市長・泉房穂氏の暴言をよく読むと、市民の命を守るための正論である件(1/29(火) 18:12)」
※ 以下、強調は引用者による。


用地交渉における事業の進捗度合いの問題というのは、傍目に見ると時間がかかるように見えるのですが、

そんな利他的な方ばっかりなら用地買収交渉担当が生活保護と徴税と並んで「三大異動したくない部署」になんかなりませんけど。もちろん、地元の方の多くは協力的ですが、新幹線というのは沿線住民にとっては振動やら騒音やら電磁波やらで典型的な迷惑施設なんですよね。さらにいえば、土地は分筆して相続されるものでして、地元に残った本家の人が持っているのは実は元あった土地の数十分の一で、ほかは進学とか就職とか結婚で地元を離れた子息たちの所有になっていたりするので、そういう方々にとってはできるだけ高く売りたい資産でもあります。その用地買収の補償交渉で難航するのは日常茶飯事だということは原田氏には想像できないのでしょう。しかも、日本が第二次世界大戦中に占領したタイとビルマの例を持ち出してもっと早くできるはずって、どこまで用地買収の現場を踏みに(ry

利権陰謀論という結論を書きたくて(2012年07月10日 (火))


という形で、用地交渉を行う対象の筆が細分化されて交渉に時間を要するのはもちろん、用地買収する予算そのものに制約があって複数年で進めざるを得ない場合が通常であるため、進捗を確実に進めるために容易なところから手を付けていって、買収に応じた方々の相場を実績として難しいところの交渉に当たるというような手法がとられることもあります。そうした事情がこの件にもあったかどうかは不明ですが、この前明石市長の発言がそのような事情を汲んだものかは大いに疑問ですね。

ところが、冒頭で引用した山本一郎氏のように、そうした事情を考慮した形成もなく発言そのものを評価するような声が多いんですね。と思いきや、その山本一郎氏がそうした事情を考慮しない方を批判していらっしゃいます。

 頑張っても、できないんだよ。ゴロを落としてしまう、変なところに投げてしまう。みんな、どうやったらちゃんとしたところにボールを投げられるの。コーチからはさんざん「頑張って真面目にやれば投げられるようになる」と言われたが、結局できなかった。どうすればできるようになるのかを教えてくれなかったから、できないまま、少年野球をやめて中学受験に走った私を、少年野球を続けているクラスメートが「あいつはできないから『逃げた』」と教室で煽り、激烈にムカついたので隙を見計らって廊下で後ろから全力ライダーキックして、学校の中で問題になって親と一緒に校長とその子の保護者に謝りに行った、悲しくも香ばしい、秘められた個人の思い出。

感情でも理性でも受け入れられない

 頑張ったつもりなのにできなかったというのは、ない才能と向き合う度量がなければ無理だと思うんですよ。子供のころは、私もできる他の子たちと自分を見比べて、ああ、スポーツの才能がないんだと自信を持てないでいました。いまでこそ、頑張ってもできないことがある、やり方を掴めなければ努力してもできないことは知っています。いろんな経験を積んで、客観的に自分を観られるようになり、やがて大人になって初めて「逆立ちしてもできないことはあるんだ」とか続けていても無理を悟る瞬間というのはあります。

少年野球の練習風景で思い出した「頑張れば、できる」という亡霊のような何か なんだろう、この胸の痛みは - 山本 一郎 2/2

私のような実務屋からすると、世の中に「頑張れば、できる」と言い切れるものがどれだけあるのだろうかと思うところですが、山本一郎氏もご自身の野球経験から「頑張っても、できないんだよ」という思いを強くされたようです。そして「頑張ったつもりなのにできなかったというのは、ない才能と向き合う度量がなければ無理だ」とおっしゃられるように、制度や予算や人員の制約の中で「頑張ったつもりなのにできなかった」ということは日常茶飯事ではないかと思うところ、ことそれが役所の仕事になると、同一人物から「市民の安全のために役所がしっかり動くよう激励してブチ切れてとにかく仕事を進めようという気魄さえ感じる」という言葉が発せられるわけですね。

野球つながりというわけではありませんが、気概があればどんなに相手の人格を否定しようが暴力行為を働こうが問題ないという世界がこの国にはあるようでして、

ところがことはそう簡単ではないのは、上記の記事で球界OBなる方が「それは期待されている選手だけだったし、理不尽ではなかった」とおっしゃるように、パワハラ上司の周囲には「期待しているからパワハラも鉄拳制裁も理不尽ではない」という取り巻きがいるために、パワハラやら鉄拳制裁に抗議の声をあげた方が「大人数」になるとは限らず、むしろパワハラに抗議する方が「理不尽だ」となってしまうことが往々にしてあるからですね。人格否定して罵倒するような暴言を吐いたり、身体に傷害を負わせるような暴力行為を行うことは、いかなる理由においてもそれ自体が理不尽であるはずであって、あくまで契約の範囲内で業務に従事する職場関係においてそうした行為を行う人物は、無条件に「パワハラクソ野郎」と呼ぶに相応しいクソ野郎なわけですが、それを反転させてしまう力が組織にはあるわけです。

やられたほうも愛情の裏返しだと好意的に捉えることが不文律(2018年01月08日 (月))


特にパワハラOJTが職場の当たり前の風景になっている現状では、山本一郎氏のような発言のほうが支持を得やすいということなんでしょうね。

2019年02月10日 (日) | Edit |
すっかり更新が滞っておりましたが、こうしているうちにもいろいろなネタが転がっているもので、人の世は無常なものですなあなどと感慨深く見守っているとネタが貯まる一方です。ということで、前々回に引き続き倉重公太朗弁護士の対談シリーズにhamachan先生が登場されていまして、特に集団的労使関係についてのhamachan先生のご指摘に首がもげるほど首肯したところです。

濱口:ちょっと話は飛んでしまいますが、今回の同一労働同一賃金に限らず、前々から企業の意思決定の安全性、言い換えれば、何をどういうふうにしたら合理的だと認めてもらえる可能性が高くできるのかという問題意識は、もう10年以上前から論じられています。十数年前の労働契約法制研究会の時に出された過半数組合や労使委員会を使う案です。あのときは労働条件の不利益変更の問題でしたが、過半数組合や労使委員会がそれを認めた場合には、その不利益変更は合理的と推定しようという案でした。あれは結局実現しなかったのですが、少なくとも、一つの合理的な制度設計のありようだったと思うのです。ところが、あれをつぶしてしまったために、何をどうやっても、例えば多数組合とじっくり協議して納得させたけれども、一部に文句を言うやつが出てきて、裁判所に持って行ったら、文句を言ったほうが勝つという可能性は、常にあるのです。

倉重:そういうことですね。よく分かります。

濱口:私は一連の話だと思っているのです。私が同一労働同一賃金について、労使団体などいろいろなところでお話をさせていただく時に、必ず言っていることがあります。それは、何が合理的で、何が合理的でないかという判断基準は、やはり集団的な労使関係の枠組みで決めるべきだということです。まずはそこで働いている人たちの多数が合理的だと認めることが重要です

もちろん、それが最終的というわけにはいきません。司法が最終判断を下すわけですが、司法が判断するときに、労働者の多数が納得しているのだから、それは合理的だと認定することが望ましいのです。個人的には、十数年前に挫折したこの問題を、今回やる機会だったのではないかと思っていました。

【濱口桂一郎×倉重公太朗】「労働法の未来」第2回(「日本型」同一労働同一賃金の欺瞞(後編))(1/21(月) 6:00)
※ 以下、強調は引用者による。


この辺の感覚は労務の実務の現場を見ているかどうかで変わってくるかもしれませんが、最終的な裁判所の判断に委ねなければ賃金制度一つも使用者として安心して規定できないような法制度は、あまりに紛争リスクが大きすぎるわけでして、その紛争リスクを根源的に軽減するための方策が、労使の団体交渉による労働協約や過半数代表者との労使協定による合意形成です。民法における私的自治の原則は、労使関係においては憲法第28条に規定する労働三権とそれを具現化した労組法・労調法によって労使自治の原則が保障されているところでして、実際に労使の団体交渉による労働協約の効力は法令に準じ、個別の労働契約や就業規則にも優位するとされているわけです。

という日本における現行の法令に基づいて考えれば、労使の団体交渉(それがない場合の過半数代表者との労使協定)が労使自治を担うのは本来の役割なのですが、そこにはスポットが当たらず、「労働者が個々に経営者と交渉できるように労働者自身がスキルを身につけなければならない」という意識高い言説が支持を得るのが、日本型雇用慣行の隘路を端的に示しているように思います。職能資格給制度によって処遇される正規労働者にとっては、自分の処遇に反映されるのは年に1回程度の人事考課による職務遂行能力の査定であって、集団的労使関係で労働者側の取り分を増やしたところで他の誰かのメリットになるなら所詮他人事なんですよね。これが隘路たる所以は、次の回でhamachan先生が指摘されています。

倉重:多分大学だけではないでしょうね。中高ぐらいから、関係しているのかもしれないです。中高大学、今の日本の教育システムと、新卒採用の方式が、ガッチリかみ合ってしまっています

(中略)

濱口:鋭いといいますか、実は戦後日本の雇用問題の鍵になる言葉は「能力」なのです。先ほども同一労働同一賃金のところでお話しましたし、高齢者のところでも出てきました。つまり、全ては、「能力」という融通無碍(むげ)でいわく不可解な概念の中にあるのです。いろいろな人が「能力」という言葉の中に、いろいろな、自分が読み込みたいものを読み込むことができます。それはもちろんメリットもあって、何でも全部「能力」ということにできるから、物事がうまく回る面が間違いなくあったのは確かでしょう。ですけれども、逆に言うと、その「能力」という言葉に振り回されて、何をどうしたら「能力」があると認めてくれるのか分からないというのが、若者が置かれている状況です。もっと言うと、能力を見て採用を判断しているはずの企業側が、「あなた一体何を見て判断しているのですか」と言われても、思わず絶句してしまうわけです

【濱口桂一郎×倉重公太朗】「労働法の未来」第5回(若者の雇用と「能力」)(1/24(木) 6:00 )


いやまあ企業内の人事であれば「職務遂行能力」という融通無碍なタームに全てを放り込んで、それに基づいて給与を決めてしまえば「何でも全部「能力」ということにできるから、物事がうまく回る面が間違いなくあ」るということになるのですが、それはやはり高度経済成長期に組織が拡大し、労働力人口も増えている時期に「うまく回る」ものであって、総人口が減って役職で処遇することが難しくなっていくこれからの社会で、それが「うまく回る」可能性は今後さらに低くなっていくものと思われます。ところが、「職務遂行能力」なるものが企業内で機能しなければならないのは、入社する前の段階の教育で「職務」に必要な専門能力を身につけていないことの裏返しであって、それが変わらない限りは「職務遂行能力」に頼らざるを得ないというジレンマがあるわけですね。

ということで最終回につながるわけですが、最後にhamachan先生のご発言からトリビア的な話を取り上げたいと思います。

倉重:全くですね。よくこういうことを、例えば、解雇に関する解決金みたいな制度のこと、法制化のことを言うと、「じゃあ、そのお金はどうやって払われるんだ」みたいな議論も結構あるのです。この技術的な点は置くとして、例えば、「何ならもう労基署がいったん払いますよ。それから事業主に対して取り立てる、そういう仕組みにすれば誰でも簡単に受け取れるだろう」と思っているのです。あくまで技術的な問題は置いています。例えばの話です。

要するに取り立ての手間を本人に与えるなという話です。あとは、設計的には、雇用保険などから徴収してしまえばいいだろうというふうに個人的には思っております。そうなってくると、やはりわざわざ訴えて、また、今の制度であればなおさらです。仮に、例えば「何カ月分支給する」みたいな制度になったとしても、その履行を求めて提訴するみたいなことは、手間であることには変わりません。その手間を何とかしてあげないと意味がないでしょう。それが面倒くさいから、「もういいよ。さっさと転職する」、「泣き寝入りする」など、そういう人が一定数どころか、むしろ大多数います。それをなんとかできないかなと、個人的に常に考えています。国がそこを、支払いに関しては失業保険的に、労働者のためにやってあげようとできないかと思います

濱口:その発想は未払い賃金の立替払いみたいな話ですね。

倉重:正にそのイメージです。

濱口:今聞いていて、そのような感じがしました。

倉重:おっしゃるとおりです。それを拡大してできないかと思うんですよね。そうすると、労働者は何も手間なく、解雇の保証金的なものを受け取れます事業主に対する徴収もよいでしょう。もし回収できないで倒産してしまったところがあれば、それは税金負担になります。それは国として雇用社会を支えるのだということでいいのではないかと、個人的には思っているところです。

濱口:今初めて聴いたので、法技術的にどこがどういう権限でもって、何をどういうふうにやるのか、なかなか難しいかもしれないです。しかし面白い話です。

【濱口桂一郎×倉重公太朗】「労働法の未来」最終回(労働法は何を守るのか?)(1/25(金) 6:00)


hamachan先生は「初めて聴いた」とのことですが、実を言えば拙ブログではおよそ10年ほど前に

追記:
念のため、個別労働関係紛争処理の経費を労働保険特別会計で負担することの是非はよくわかりませんが、さらに議論を進めて、労働局による個別労働関係紛争処理に係属した場合に限り、解決金の一部を労働保険特別会計で負担するというような話になれば、それはそれで興味深い論点のように思います。

知らないもの勝ち(2009年11月15日 (日))

というようなことを書いておりまして、制度設計としてはだいぶ異なりますが、労働保険特別会計で解雇の金銭的解決に要する財源を確保しよう点では私も議論の進展に注目したいところです。

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