2019年01月03日 (木) | Edit |
新年早々から昨年度の積み残しで恐縮ですが、プライベートでなかなか辛い時期が続いていた(2017年からのエントリのほとんどがパワハラ関連だったのでお察しというところですが)中で、hamachan先生も取り上げられていた「荻野勝彦×倉重公太朗」対談の最後の部分に思うところが多々ありましたので、去年の振り返りを兼ねてメモしておきます。

倉重:それは面白いですね。なるほど。ありがとうございます。じゃあ最後に、大学でも教えてらっしゃるということですんで、これから世に出ていく、あるいは社会人キャリアが浅くてこれから日本型雇用を進んでいく若者に向けて、キャリア的な観点で、ぜひ思ってらっしゃることがあったらお願いしたいんですけれども。
(略)
倉重:確かに。その仕事なりの、やっぱり意味があるから、そういう仕事があるわけだし。

荻野:そこは強調しますね。個人的な経験からも、それは言えますから。

倉重:そうなんですか。それは最初に人事に就いたときですか。

荻野:どれとは言いにくいですが、長い間にはちょっと気が進まないな、という仕事も何度かありました。まあでもせっかくやるんなら楽しくやらないとつまんないよねと思って、現場に足を運んだりして勉強をしている間に、だんだん面白くなってきて。それがキャリア的に有利だったかというと、まあそうでもなかったわけですが、でもそのほうが幸せに過ごせますよね。これは学生さんとかにはよくお話しします。

倉重:でも、それは結構、キャリアの本質的な話だと思うんですよね。やっぱりキャリアって、私のように結果的にできているものなので、例えば配属になった時点で、俺はこういうキャリアを歩んでいくんだ!なんて分からないじゃないですか。

荻野:分かんないですね。

倉重:そこでちゃんと、やっぱりとことん勉強をして真正面から仕事をやった人と、なおかつ嫌な仕事だなというふうにだらだらやっていた人では、当然、キャリアのでき方に違いというものが出てくると思うんです

荻野:特に日本企業は、仕事は会社が決めるし、転職をすると賃金が下がることが多いし。これもどうしようもないことなんです。それだけ賃金が高いんだと考えなくちゃいけない

倉重:その仕事を選べない代わりの対価として。

荻野:仕事を選べない代わりに。仕事を選べないし、会社の外に出ていたらそのままでは通用しないような能力をたくさん蓄えているわけですから。

倉重:社内スキルが。

荻野:社内スキルが。でも、それに対しても給料を払われているから、転職をすると給料が下がるんだと思えばいいんです。そういった中で、自分で選択をするわけではない形で担当業務が変わることも多いですね。それにいかに柔軟に適合していくかというアダプタビリティーというものはすごく大事なんでしょう

「【荻野勝彦×倉重公太朗】「日本型雇用はどこへ行く」最終回(若者と高齢者と日本型雇用)(2018/12/30(日) 6:00)」
※ 以下、強調は引用者による。

引用部の最後で語られている「それにいかに柔軟に適合していくかというアダプタビリティーというものはすごく大事」という人材育成の考え方こそが、日本型雇用が「メンバーシップ型」である所以ですね。もちろんそれは、何の職業的レリバンスも持たない新規学卒者を一括採用して職場の中で次々に仕事をアサインしながら人材育成しなければならないという現状において、最適化された行動であることは間違いありません。しかし、そうして「最適化された行動」自体がいろいろな問題を内包していて、そのことにそのメンバー全員がわかっていながら、その問題が放置されている原因ともなっているのが実態でしょう。

繰り返しになりますが、私が「パワーの行使がハラスメントとなる源泉は、実はパワーそのものではなく、OJTにおける試行錯誤にあるのが日本的雇用慣行の特徴だろう」と考えるのも、メンバーである限りはどんな仕事でも「柔軟に適合していく」ことが求められていて、それに「柔軟に適合」できない(とみなされる)労働者が非人道的な扱いを受けてもやむを得ないという組織風土が、(多くの方が内心では疑問に思いながらでしょうけれども)受け入れられる現状があるからです。

その一方で、「柔軟に適合していく」労働者は人事や上層部の覚えもめでたく出世街道をひた走るわけですが、そこにも「パワーの行使がハラスメントの源泉となる」一因があります。上記で荻野さんが「せっかくやるんなら楽しくやらないとつまんないよね」とおっしゃるような態度は、実務上必要な仕事であればもちろん有用ですが、問題は理不尽な仕事にまでその姿勢で取り組んだ場合です(おそらく荻野さんもそうした場合があることも認識されているとは思いますが)。つまり、理不尽な仕事といえども自分自身を錯覚させて前向きにこなした労働者にとっては、その前向きな姿勢や労苦が評価されるという効用がある一方で、その他の労働者にとってはその理不尽な仕事が標準の業務として定着するという副作用がもたらされかねません。

いやもちろん、目の前の苦難を楽しむことはサヴァイヴするための重要なスキルではあります。

・・・ユダヤ人が「ショア(大虐殺)」と呼ぶあのホロコーストは、あまりにも非道だった。それゆえに、重苦しく厳粛なトーン以外でその体験が語られることはほとんどない。たしかに、ホロコーストを題材にした笑いは今もなおタブーとされている(メル ブルックスの『プロデューサーズ』のようにヒットした一部の例は除いてだが)。だからといって、ホロコーストのさなかに笑いが皆無だったわけではけっしてない。現在は心理学者としてホロコースト生存者を支援しているチコヴィッツは、こう話してくれた。「最悪の状況でも、私たちは笑っていたわ」。強制収容所のバラックでは、夜、近くで寝ている元売春婦の女性たちが交わす下品なジョークに興味津々だった。強制労働の現場では、同じ製造ラインに立つほかの女の子たちとおかしな歌や馬鹿みたいな話でクスクス笑い合った。それに、今から思えば恥ずべきことだけれど、他人の災難をこっそり心のなかで笑ったことも—。「地獄みたいな飢えに苦しんでいたけれど、それでも私たちは笑っていた」彼女は言う。「きっと、笑いはひとつの解放だったのね」
 解放、癒し、しばしの休息—多くの人が、ホロコーストのような恐ろしい苦境で生まれるユーモアをそう解釈している。「ホロコーストにおけるユーモアは、楽しむためでなく、人生を肯定するためのものだった」『地獄のなかの笑い ホロコーストにおける笑いの効用(未訳: Laughter in Hell: The Use of Humor During the Holocaust)」の著者であるスティーブ・リップマンはそう指摘する。「それは対処ツールであり、逃避であり、一歩引いて小さなことから状況をコントロールしようとする手段なのだ」と。同じことが、いわゆる「絞首台のユーモア」にも言えるだろう。絶望的な状況で自らの運命を笑うそのユーモアは、フロイトに言わせればこう解釈できる。「人間の自我は、現実がもたらす刺激に苦痛を感じるのを嫌い、苦しみを強いられることを拒む。外界からのトラウマに影響されるなどあり得ないと主張したがる。だから、そんなトラウマは自分にとっては笑える程度のちっぽけなものだと身をもって示そうとするのだ」
p.48
世界"笑いのツボ"探し
ピーター・マグロウ/ジョエル・ワーナー 著
柴田さとみ 訳
ISBN978-4-484-15112-0 C0098
2015.4発行



目の前の苦しみがどうしても回避できない場合に、それをユーモアに変えて楽しむことでサヴァイヴする可能性が高くなることはありうるでしょう。しかし、仕事においてどうしても回避できない苦難はあるでしょうけれども、それを楽しんで乗り越えるようなサヴァイヴァーばかりではないはずです。ましてその苦難が「柔軟に適合」できない(とみなされる)労働者が非人道的な扱いを受けてもやむを得ないという組織風土」に由来するものであるならば、その組織風土を受容しているメンバーがそれを楽しむというなかなかにグロテスクな光景が広がることになります。昨年頻発した企業の不祥事の多くがここ数年ではなく数十年にわたって現場で引き継がれてきたのも、こうした背景があるのではないかと思うところです。

そして、その組織風土の中で「柔軟に適合していく」と評価される労働者が、その組織の中で重要なポストを占めるようになっていくわけですが、人事評価の基準となる職能資格給制度においては、実はキャリアの途中まではそれほど明確な処遇の違いはありません。というより、「柔軟に適合していく」労働者には微妙な昇進の違いやいわゆる花形といわれる部署への異動によって徐々に組織風土になじむキャリアを積ませていき、40歳を過ぎた頃からその差を踏まえて役職に登用するなどにより明確にコースを分けていくことになります。

まあそもそも上記で引用した荻野さんのアドバイスは、倉重氏が「これから世に出ていく、あるいは社会人キャリアが浅くてこれから日本型雇用を進んでいく若者に向けて」と振っているように、あくまで将来の幹部候補たる正規労働者として採用され、当面は微妙な差しか付かないような概ね30代前半以下の方に向けてのものです。つまり、40歳を過ぎて「柔軟に適合」できなくなった労働者、もっといえば出世街道からはずれて「柔軟に適合」する必要がなくなった労働者にとっては、このアドバイスはあまり参考にならないということになります。えーどうしようという私のような中高年労働者の皆さんにも、荻野さんは最後にアドバイスされています。

荻野:・・・逆に、しょうがねえなと思って諦めたっていいんですよ。いまの日本の正社員なら、それで失うのは将来のキャリアだけ。それにどれだけ価値があると思うかですね。それは案外、あまり意識されていない、日本の人事管理のいい面かもしれないんですよ。

倉重:ということですよ。結局、その会社での出世争いが全てじゃなくて、自分が納得する人生を送れるかですから。

荻野:まあそうなんでしょうね。日本の正社員は全員社長候補かもしれないけれど、実際に全員が社長になるわけじゃない。海老原嗣生さんの本によれば、ある企業に入社すれば、まあ2割か3割は部長クラスになれるそうですが、まあ、どこかでは天井を打つんです。そのときにどうするかですよね。そこから、仕事も大事だけれど、もっと家庭を大事にしようとか、地域とつながってみようとか、仕事以外のことに目を向け始めても、たぶん遅くはないと思うんです。

倉重:だから、そういうやっぱり仕事の外のつながりとか関係性というものは。

荻野:それはとても大事だと思います。

「【荻野勝彦×倉重公太朗】「日本型雇用はどこへ行く」最終回(若者と高齢者と日本型雇用)(2018/12/30(日) 6:00)」

もしかするとそれこそが海老原さんが「「ある年代までは日本型、そうして習熟を積んだあとは欧米型」という接ぎ木型」として提唱された働き方につながるのかもしれませんが、それを荻野さんは「日本の人事管理のいい面かもしれない」と指摘されるわけです。つまり、わざわざ法制化などの対応をしなくても、現行の日本型雇用管理の枠の中で可能との見立てではないかと見受けるのですが、「出世争い」から降りるという選択肢がどのように実現されるのか、それに対して職能資格給制度はどのように変容するのか、考えるネタはいろいろありそうですね。
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2019年01月03日 (木) | Edit |
昨年中は多くの方々にコメント、拍手、ぶくま、tweet等々いただきありがとうございました。
本年も引き続きご愛顧のほどよろしくお願いします。

というわけで初詣しておみくじ引いてみました。

【吉】 (No.65402) モナー神社
願事 : 遅かれど思う通りになるべし
待人 : 思う日までに来るべし
失物 : 高き処にあり
旅立 : さわりなし
商売 : 物の価下がる買うは悪し
学問 : 困難 勉学せよ
争事 : 勝てど難有り
転居 : 急がず行えばよし
病気 : 少々悪し 信心せよ
縁談 : 人に頼めば早く調う ひそかにして宜し

昨年までの戦績が大吉→吉→吉→吉→大吉→大吉→大吉→大吉→末吉→大吉→吉でしたので、2年連続の吉で通算戦績は大吉6回、吉5回、末吉1回となりました。flash廃止の2020年末までですのでモナー神社詣でもあと1回を残すのみとなりまして、大吉5割超えは来年に持ち越しのようです。

ということで、今年も無事これ名馬を心がけて参りたいと思います。