2018年10月28日 (日) | Edit |
定期的に発生するデスマーチで心身ともに疲弊しきっておりまして、この間ずっと権丈先生の『ちょっと気になる政策思想』を読み進めていたものの、一度Webで読んでいる内容が多いにもかかわらず1か月以上かかってしまうところに疲弊ぶりを痛感するところですが、何とか読み終えたので感想など。

まあ拙ブログではhamachan先生や権丈先生をはじめ、海老原さんなどその分野の専門家の言説をほぼそのままトレースしているだけなので、これらの諸賢の方々の著書の感想は拙ブログで書いていることを改めて確認するという作業になりがちなのですが、ご多分にもれず本書も改めて確認させていただいたという感想が正直なところです。ただし、これまでの(権丈先生が言うところの)へのへの本と大きく異なるのが、タイトルにもあるように「医療と介護」→「社会保障」という個別の分野から、最終的に「政策思想」という大枠の思想にまで拡大された点にあります。つまり、これまでの議論の大本となる「政策思想」そのものをテーマとしているだけに、個別の分野を考える際の思想的基盤を改めて確認できる点が大きなメリットといえるでしょう。

というわけで、本書を手に取って権丈節で畳みかけられる政策思想を熟読玩味するのが本書との向き合い方として望ましいと思うのですが、学校で先生が繰り返していうことは大事だと教わりましたので個人的な備忘録として。

…ここで今,左側の経済学の視点から見れば,市場による所得の分配が,過少消費に陥っていると判断される状況にあるとする.この時,左側の経済学の立場からは,雇用を生み,富の増加をもたらす政策は,高所得者から低所得者への所得の再分配や,安定した生活を送ることができる自立した雇用者,すなわち中間層の創出を促すための労働市場の補整ということになる.そして,所得分配のあり方については,比較的,社会全体の消費性向が大きくなるように,ある程度の平等な分配は望ましいというストーリーでまとまる.このストーリーは,「資本の成長は個人の貯蓄動機の強さに依存しており,しかもこの資本成長のかなりの部分について,われわれは富者の有り余る所得からの貯蓄に依存しているという信念155」,つまりはケインズが闘わなければならなかった右側の経済学の信念,そして今なお支配的な考え方とは真正面から対立している.
(略)
 学問の怖いところである——人が,手にする学問によって,政策解がまったく異なってくる.そういうことはまったく知らない人たち,特に社会的弱者は,経済学の中での思想の闘いの流れに翻弄されてしまうことになる.
(略)
 まさに,左側の経済学の観点に立てば,ケインズの言う,「消費性向を高めそうな方向での所得の再分配政策」を展開するのが,社会保障なのであり,「個人の創意工夫がうまく機能するための条件」として,資本主義経済の下では,所得再分配政策としての社会保障が確固たる地位を得ることになる.

完全雇用が達成されるまでは、資本成長は低い消費性向に依存するどころか,かえってそれによって阻害され,低い消費性向が資本成長に寄与するのは完全雇用状態の場合だけだ…….そのうえ経験の示すところによれば,現状では,諸機関の貯蓄および償還基金という形をとった貯蓄は適量を超えており,消費性向を高めそうな方向での所得の再分配政策が採られれば,資本成長に断然有利に作用することになろう157

消費性向と投資誘因とを相互調整するという仕事にともなう政府機能の拡大は,19世紀の政治評論家や現代のアメリカの金融家の目には,個人主義への恐るべき侵害だと映るかもしれないが,私はむしろそれを擁護する.現在の経済体制が全面的に崩壊するのを回避するために実際にとりうる手段はそれしかないからであり、同時にそれは個人の創意工夫がうまく機能するための条件でもあるからだ158


pp.152-155

155 ケインズ(1936)/間宮訳(2008)『一般理論』下巻、176−179頁.
157 ケインズ(1936)/間宮訳(2008)『一般理論』下巻、179頁.
158 ケインズ(1936)/間宮訳(2008)『一般理論』下巻、190頁.


ちょっと気になる政策思想 社会保障と関わる経済学の系譜
権丈 善一 著
ISBN 978-4-326-70106-3
出版年月 2018年8月
判型・ページ数 A5判・376ページ
定価 本体2,300円+税


「左側の経済学」「右側の経済学」については、権丈先生のホームページに公開されている資料では、拙ブログでも取り上げた「権丈善一「社会保障—— サムエルソンと係わる経済学の系譜序説の経済学系統図と彼のケインズ理解をめぐって——」(三田商学研究 第55巻 第5号 2012年12月)」の、ヘッダーの頁番号では75〜76頁あたりをご高覧いただきたいと思いますが、大きく分けると、需要によって決まると考えるのが「左側の経済学」、供給によって決まると考えるのが「右側の経済学」ということになります。

で、引用した部分には、本書で繰り返し出てくる「社会全体の消費性向の大きさ」「所得の平等な分配のための政府機能の拡大」「資本成長が所得からの貯蓄に依存しているという(右側の経済学の)信念」に対するケインズの疑念、「貯蓄は適量を超え」ることへのケインズの懸念が凝縮されています。政府の機能拡大に要する財源を求める際に、通貨発行や国債にそれを求めるのは「資本成長を所得からの貯蓄に依存」することに他ならないと思われるわけですが、それを唱道する方々が「我こそは需要を重視するケインズを継ぐ者であるぞ!」と声高らかに宣言されるのでややこしくなりますね。

ここで注意していただきたいのは、「左側」「右側」という言葉が出てきますが、世にいうような左派、右派という枠組みとか、資本主義が発達して崩壊すると共産主義に移行するするというような唯物史観とは一切関係ありません。マンデヴィル、マルサス、マムマリーの系譜に連なり、ケインズが理論化して現在に至るまでの社会科学を考察することによって、アダム・スミスを無邪気に引き継いだ古典派や新古典派の経済学が資本主義のサブシステムとしての社会保障をまともに扱うことができない現状を鮮やかに描き出すのが、「左側の経済学」「右側の経済学」というタームなのですね。

という点では、hamachan先生が職務無限定性、内部人材育成、使用者側に与えられた強大な人事権という日本型雇用慣行における行動原理を、欧米型の雇用慣行と対比させて「メンバーシップ型」「ジョブ型」というタームで説明して世のお手軽労働政策論をあぶり出しているように、社会科学を論じる経済学がどのような政策解を持っているのかを判別するツールとして、権丈先生の「左側の経済学」「右側の経済学」が活用されることを期待する次第です。とえはいえ「政策は、所詮、力が作るのであって正しさが作るのではない。」とおっしゃる権丈先生は、そんな期待はせずにこの状況を面白がっていらっしゃるのでしょうけれども。
スポンサーサイト

2018年10月28日 (日) | Edit |
さて、気がついたら9月の更新が落ちてすでに10月も終わろうとしておりまして、定期的に発生するデスマーチの対応で精一杯になっている自分に歳を感じるところではあります。という中でいくつか書きかけのエントリがいくつかありまして、これもすっかり時期を逃した感がありますが拙ブログでは継続的に取り上げているテーマでもありますのでなんとか片付けてしまいます。

まず一つ目は、障害者雇用について国の府省庁や地方自治体で「水増しがあった」という問題を受けて各方面からこれ幸いとご自身の意見が表明されたところで、いやまあいつもながらここに至った経路依存的な状況を認識できない方がしたり顔で発言される光景が繰り広げられていましたね。








法律の多くは原則を定めてそれによりがたい場合の例外を慎重に規定するのが作法となっておりまして、最低賃金の適用は労働者性の根拠となる使用者の賃金の支払い義務があることを第一段階の要件とし、第二段階の例外としてその「最低賃金において定める最低賃金額から当該最低賃金額に労働能力その他の事情を考慮して厚生労働省令で定める率を乗じて得た額を減額した額」を適用することができるとしているのが最賃法第7条です。その中に「精神又は身体の障害により著しく労働能力の低い者」が規定されているところでして、これを高齢者にも拡張する意図をもって玉木氏は「最低賃金以下でも働けるような労働法制の特例も必要」とされているわけですね。さらにそれに対してツッコミが入るとベーシックインカムを提唱するというお手軽社会保障論が持ちだされるところでして、まあカイカク好きの皆さんの最新流行は社会保障論に行き詰まったら「とりあえずBI」というところでしょうか。

で、とりあえず上記の通り最賃法が適用されるための第一段階の要件は労働者性を有する労働者に対して使用者に賃金の支払い義務があることなわけですが、それに該当しないために最賃法が適用されないのが請負です。これを高齢者の就労機会確保のために制度化したのが高齢者雇用安定法(高年齢者等の雇用の安定等に関する法律)に規定するシルバー人材センターなんですね。

なお、余談ではありますが、臨時的かつ短期的に低い賃金で就労する場は震災前からすでにあります。それがシルバー人材センターでして、請負により会員に支払われる配分金は賃金に該当しませんので、最低賃金の縛りを受けません。まあ、シルバー人材センターのそもそもの出自が国に対して団交申し入れまで行われた失業対策事業であったことを考えれば、失業対策事業ではないというCFWがシルバー人材センターの就労形態と類似するのは必然なのかも知れません(現全国シルバー人材センター事業協会の初代会長が大河内一男先生で、2代目が氏原正治郎先生ですし)。

CFWはその枠を越えるべきか(2011年10月12日 (水))」


引用元のエントリでは「賃金で就労する」と書いてしまいましたが、正確にはシルバー人材センターからは会員に対して成果に応じた「配分金」が支給され、これは請負に対する報酬であるため「賃金」には該当しません。まあ、お手軽社会保障論を持ちだすような方にはお手軽労働政策を展開する傾向が強くあるようでして、最賃法の適用を除外して就労機会を確保する仕組みとしてシルバー人材センターが昭和の時代に法律に規定されたものの、その存在を無視しながらドヤ顔で「高齢者の最賃法の適用をなくして雇用拡大を!」とか叫ぶのがカイカクであるならば、この国でお手軽社会保障論とかお手軽労働政策が大手を振って繰り広げられるのもやむを得ないのでしょうね。

今回高齢者雇用のとばっちりを受けた形の障害雇用については以前書いた通りですが、障害者を雇用するためには障害に応じて可能な従事が可能な範囲での業務の切り出しが必要となるものの、それを阻むのが日本型雇用における「職務無限定性」です。

障害者雇用というととかく特別な美談として語られがちですが、もっと汎用性の高い問題でして、海老原さんが指摘されるように、育児・介護など、自分自身に障害がなくても仕事をするうえで制約がある方はいくらでもいるはずですし、むしろすべての労働者に個人の生活がある以上、そこには制約がなければなりません。それを無限定に広範な人事権を認めてきたのが日本型雇用慣行のもう一つの側面ですので、障害者雇用を考えることは、そうした日本型雇用慣行が等閑視してきた制約を意識的に考えることにつながると考えます。

(略)

上記の通り、日本型雇用慣行では個人の事情に配慮することは特別なことですので、逆にいえば採用されてしまえば同じスタートラインに立つことが要求されてしまいます。移動や事務作業に「障害」がない健常者ですら、課外活動や保護者の対応、業績評価など本務の教育業務以外の業務で忙殺されるわけでして、障害を持ちながらそれらの業務をこなすことは極めて困難になります。

役所の障害者雇用を阻むもの(2014年04月12日 (土))


さらにそこに「公務員の人件費を増やすことは無駄遣いでありまかりならん!」という民意が加わると、切り出された業務に障害者が従事するのではなく、外部の安価な人件費でまかなえる民間にアウトソーシングすべきということになります。その結果として、

冒頭の障害者雇用の話に戻りますと、障害者雇用は公的機関が率先すべきとの考え方により法定雇用率が民間よりも高く設定されていますが、上記のようなアウトソーシングと指定管理者制度によって定型的な業務を行う部署が大きく削減されてしまい、障害のある方を職員として配置できる部署が少なくなっていることが大きな壁として立ちはだかっています。公的機関が率先すべきというのは趣旨は理解できるものの、特に法律上はジョブ型の雇用を前提としている地方公務員の採用に当たって、業務がなければ雇用できないのは当然の成り行きでして、障害があっても業務遂行できる職務内容や職場環境を外部化してしまった役所には、そもそも障害者を雇用する余地がなくなってしまっているわけです。



長期雇用されない障害者2015年02月22日 (日)

こうして素晴らしく少人数の公務員によって運営される政府が現出している状況において、障害者をどのように雇用するべきとカイカクを叫ぶ方々はお考えなのか興味深いところですね。