2018年05月02日 (水) | Edit |
この時期はメーデーやら憲法記念日やらがあるので、拙ブログでも労働基本権についてのエントリをいくつかアップしているところですが、かねがね感じていた違和感をこれまで書いていなかったので、メモ代わりに。

高度成長期の日本的労使関係におけるメインイベントはいうまでもなく「春闘」でしたが、これは略称ですので、正式には「春季闘争」(連合は「春季生活闘争」と呼んでいますが)です。その経緯についてはいつもの通り菅野『労働法』から引用しておきます。

(ⅱ) 春闘争議の時代

…1960年代半ばから高度経済成長が本格化し、組合運動も生産性向上に協力して企業収益のパイを大きくしたうえ、その分配に預かる路線が主流となった。かくして、労使対決の大争議はほとんど発生せず、代わって高度経済成長の成果を社会全体に分配する「春闘」が発展し、そのなかでの賃上げ争議が典型的な労使紛争となった。(中略)また国鉄、郵政などの組合が春闘で相場確定の役割を担うに至り、争議行為が盛んに行われるようになった。1960年代後半から1970年代半ば過ぎにおける春闘では、産業間・産業内の賃上げ交渉を連携させるための交渉スケジュールに従って、鉄鋼、電機、自動車などの基幹金属産業における交渉=ストライキが行われ、最終段階で私鉄総連と公労協が組んだ「交通ゼネスト」が行われた。
p.803

法律学講座双書 労働法 第十版
定価: 5,724円(5,300円+税)
著者名:菅野和夫 著 出版社:弘文堂

注 以下、強調は引用者による。


菅野先生が「交渉=ストライキ」と指摘されるように「春に闘争を行う」というなんとも物騒な呼称が採用されたようでして、いや待てよ、ストライキには労組法、労調法で「同盟罷業」という訳語が与えられているのではないかとも思うところですが、マルクス主義の影響を強く受けていた戦後の労働組合からすると、「階級闘争」(日本大百科全書(ニッポニカ)によると英語ではclass struggle、ドイツ語ではKlassenkampfだそうですが)の意を込めて「闘争」という言葉を使う方がしっくりきたのではないかと推察するところです。

春闘が始まった当時の「闘争」の使用例について、金子先生の著書からも引用しておきますと、

春闘のはじまり

 …1954(昭和29)年に総評の事務局長戦で高野実と太田薫(合化労連)が争い、かろうじて高野が再選を果たした。太田は、政治的要求を経済的要求より優先させ、労組本来の闘争を地域住民全体に解消させている高野の「ぐるみ闘争」を批判し、「産業別統一闘争」を主張した。翌年の事務局長選では高野は岩井章に敗れ、あわせて賃金担当の副議長の太田薫が再選されたことで、いわゆる岩井・太田ラインが完成し、春闘を先導していくことになる。1954年末、産業別統一闘争強化をはかるため、炭労、私鉄、合化労連、電産、紙パ労連による五単産共闘会議が設定され、翌年の春には全国金属、化学同盟、電機労連(総評には未加入)が加わって八単産共闘が組織された。これを受けて1956(昭和31)年には総評は「春季賃上げ合同闘争本部」を設置し、組織的に春季賃金闘争を指導する体制が構築された。折からの神武景気のもとでの賃金闘争だったこともあり、平均10%の賃上げを獲得した。
p.155-156
日本の賃金を歴史から考える
著者 金子良事
ジャンル 単行本
■社会・労働・法律
■社会・労働・法律 > 労働
出版年月日 2013/11/01
ISBN 9784845113378
Cコード 0036
判型・ページ数 4-6・208ページ
定価 本体1,500円+税


いやまあ「闘争」のオンパレードですが、こうした用語法を持つ組織ならむしろ「闘争」でなければ違和感があるくらいですね。ちなみに、「strike」に同盟罷業という訳語を当てるのは1886年6月の雨宮製糸場の労働争議を伝えた山梨日日新聞の当時からのようですので、由緒正しい言葉のようですが、これを言い換える必要性は、ストライキ自体が風化している現代ではよく理解できないのが正直なところです。というより、労働組合が「闘争」するのが世界的に共有された用語法なのかよくわかりませんし、そもそもGHQ草案での憲法第28条では、

Article XXVI.
The right of workers to organize and to bargain and act collectively is guaranteed.


となっていたところでして、団結権や団体交渉権、さらに団体行動権にわざわざ「闘争」という訳語を当てるのはそれなりに思想的な背景があると考えたほうが自然なのではないかと思います。

そうした日本的ポツダム組合の歴史を描いた牧久『昭和解体 国鉄分割・民営化30年目の真実』を題材にして、hamachan先生はこう指摘されています。

全てをトップで決めて下に従わせるのではなく、現場に権限を下ろし、現場でヒラの労働者も管理職と同様に創意工夫をこらして、現場レベルで自主的に仕事を進めていくから、日本型労使関係は強いのだ、日本型雇用が強靱なのだ、というのは、ある時期までの日本型雇用礼賛における定番の議論の筋道でしたが、その「現場の強さ」「現場力」が、経営体、事業体としての国鉄にとってかくも逆機能的に作用してしまったことの皮肉の意味は、実は今日に至るまで必ずしもきちんと総括されきっているわけではないように思います。

これは、日本型雇用システムの本質としての「職務の無限性」について、ややもすると一定の方向性でのみ理解する傾向が強いことととも関わりがあります。職務記述書に示される「職務の限定」とは、いうまでもなく、「これ以上の仕事はやらなくてもいい」という意味と、「ここまでは仕事をしなければならない」という両方向の意味があります。というか、欧米の人事管理の本には必ず書いてある常識ですが。

「職務の無限定性」とは、その両方の意味において限定性が曖昧化するということを意味します。それがどういう風に現れるかは、経営側と労働者側の信頼関係と力関係によるとしか言えません

(略)

日本的労使関係が素晴らしいというその代表選手のはずの現場レベルの労使協議制と、国鉄の現場をずたずたにしてしまった現場協議制は、一体何がどう違うのか、どこで歯車が狂ってこうなってしまったのか、同書は当時の国労や動労の使っている言葉に沿って、それを簡単に「階級闘争主義」と称していますが、そういうできあいの言葉で簡単に理解してしまってはいけない何かがあるように思います

実は、日本型雇用の原点の一つには終戦直後の生産管理闘争があります。日本の労使関係を深くその本質まで突っ込んで考えるということは、実はそれほどキチンとされてきていないのではないか。というようなことまでいろいろ考えさせられました。

戦前から経営家族主義の伝統を持ち、民間企業に先駆けて工場委員会を設置するなど、日本型雇用のある意味で先進選手であった国鉄の労務史は、もっといろいろなことを検討すべきではないかと語りかけているように思われます。そういう感想を抱かせてくれた本書は、やはり名著と言えましょう。

牧久『昭和解体 国鉄分割・民営化30年目の真実(2017年7月 9日 (日))』(hamachanブログ(EU労働法政策雑記帳))

戦後の日本的ポツダム組合が掲げた「階級闘争主義」というのは、上記の通り言葉としては間違いではないと思うのですが、その「階級闘争主義」が一方では「現場レベルで自主的に仕事を進めていくから、日本型労使関係は強い」という日本型雇用慣行礼賛を巻き起こし、その一方では「国鉄の現場をずたずたにしてしまった現場協議制」を生み出したことは、歴史の事実として銘記すべきなのでしょう。

そして、hamachan先生が上記エントリで「ブラック企業を、その形は全くそのままでその主体だけ見事に入れ替えて作ったフェッセンデンの宇宙という感じ」とおっしゃるような職場環境から始まった国鉄の分割・民営化は、それをきっかけに連合の結成など日本全体の労使関係を変化させ、1990年代以降経営者が主導する形でさまざまな改革が進められていきます。その流れの中でバブル崩壊も相まって、非正規雇用への置き換えだったり、1995年に日経連(当時)が公表した「新時代の日本的経営−挑戦すべき方向とその具体策」における雇用ポートフォリオだったり、成果主義型賃金体系の流行などを経てブラック企業花盛りの時代を迎え、やっと長時間労働是正を主眼とした「働き方改革」が政治的イシューになったというところでしょう。

そしてそれは、hamachan先生が現代から当時の国鉄の現場を評して「主体だけ見事に入れ替えて作ったフェッセンデンの宇宙」とおっしゃる状況を、現代に戻ってもう一度180度ひっくり返して(元に戻して)、職務無限定で長時間労働も転勤も厭わず働く(男性型)正社員をデフォルトスタンダードとした日本型雇用慣行の堅牢さの基礎ともなっているわけです。そうした状況にあって、労働者のミカタと称する方々や「経済左派」を自称される経済学通な方々が「可処分所得を増やすために正社員化を進めろ!」とか「景気がよくなればブラック企業が淘汰されて賃金も労働条件も改善されるから財政出動を強化しろ!」とかおっしゃる風景は、まさに「逆機能的に作用してしまったことの皮肉の意味は、実は今日に至るまで必ずしもきちんと総括されきっているわけではない」ことの現れなのですね。

こうした状況については、牧久氏があとがきで述べていることが象徴的です。

 しかし、150年近い日本の鉄道史にとって、「国鉄解体」は新しい時代への出発点にすぎなかった。「国労、総評、社会党潰し」を狙った中曽根政権にとって、「分割・民営化」は大成功であったが、新しく発足した六旅客会社や貨物会社にとっては、多くの経営課題を残したままの“見切り発車”でもあった。新会社の経営陣や、それぞれの会社に“採用”された社員たちの悪戦苦闘が始まった。幸い本州三社ははやばやと上場を果たしたが、JR九州は上場(2016年10月)までに30年近くを要し、JR四国、JR北海道の二社と貨物会社の鉄道事業部門は、今なお赤字に苦しみ続け、ことにJR北海道では全路線の半分が「維持困難」に陥っている。また、コペルニクス的転回を遂げて分割・民営化に協力した松崎明が率いた「動労」は、分割・民営化後もJR東日本を中心にその影響力を発揮し、経営にさまざまな影響を与え続けている。「分割・民営化」という国鉄改革は今なお“道半ば”なのである。JR各社それぞれの「三十年史」が、新たな視線で書かれることを期待したい。
p.499
製品名 昭和解体 国鉄分割・民営化30年目の真実
著者名 著:牧 久
発売日 2017年03月16日
価格 定価 : 本体2,500円(税別)
ISBN 978-4-06-220524-5
判型 四六変型
ページ数 520
ページ

日本型雇用慣行が逆機能的になった組織は解体されなければならなかったとしても、その組織が担っている(公共交通機関としての)役割も同時に維持しなければならない場合に、その手法として「分割・民営化」が適切であったかどうかはまた別問題のはずですが、当時はそれしか選択肢がなかったという事情も理解できないではありません。労使双方が採りうべき選択肢が狭まっていった経緯もまた、上記のような「階級闘争主義」の結果であるならば、現代の日本の選択肢が狭まっていないかを検証するために、「現場の強さ」に重きをおいた日本型雇用慣行を「総括しきる」ことの重要性が依然増しているといえるのではないでしょうか。
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