2018年04月07日 (土) | Edit |
今年に入ってから拙ブログではパワハラクソ野郎関連エントリをアップしていたところですが、その後の動きをフォローしておきますと、大相撲方面ではとりあえず決着がついた形のようですね。

一定の区切りも予断許さず=貴乃花親方、5階級降格 時事ドットコム

 元横綱日馬富士による暴行問題が公になったのは、九州場所中だった昨年11月。弟子の貴ノ岩が被害を受けた貴乃花親方(元横綱)は、日本相撲協会との対立姿勢をかたくなに貫いてきたが、さまざまな違反、責任を問われ、3カ月足らずで「理事」から「年寄」まで5階級降格した。この大騒動の渦中にも不祥事が相次いで発生、発覚した中、同親方への新たな懲戒処分で一定の区切りはついた。

貴乃花親方、辛くも残った「徳俵」

 貴乃花親方は、弟子の十両貴公俊が春場所中の支度部屋で付け人の序二段力士に暴力を振るったことを受けて「全面降伏」。28日に開かれた臨時年寄総会では、謝罪を繰り返した。懲戒を科された29日には「真摯(しんし)に処分を受け止め、鍛錬に励む」との談話を出した。
 公益財団法人の相撲協会は2月に受ける予定だった内閣府の監査が先延ばしになったという。貴乃花親方が騒ぎを大きくしたために、角界はさまざまなところでダメージを受けている
 相撲協会は暴力問題の再発防止に向け、全力で取り組んでいくが、貴乃花親方と近い関係とされた元顧問と係争中。まだ火種が残っているともいえる。貴乃花親方は「今後は自分に与えられた職責を果たしながら、弟子の育成と大相撲の発展のためにゼロからスタートしてまいります」との姿勢を見せているものの、ある協会幹部が「また何かあるかもしれない」と声をひそめるように、予断は許さない。(2018/03/29-20:25)

※ 以下、強調は引用者による。

記憶では、当初貴乃花親方への同情的な記事もそれなりにあった気もしますが、自身の弟子が暴力事件を引き起こしたということですっかり悪役扱いのようですね。まあ弟子の指導に対して責任を取るというのはそれはそれとして必要なことだとは思います。とはいえ、相撲協会が「現場のエリートとそれを擁護する上層部に敵対的な行動を取った幹部については、現場のエリートを支える体制を維持するため上層部から排除する必要があると、理事会・評議員会ともに判断した」通りの結果となったわけでして、このことの是非は、貴乃花親方の弟子の暴力事件を含めて対応が適切であったかどうかの検証も必要だろうと思うところです。

と言っているそばからネタを提供するのが相撲協会の凄みでして、

救命処置の女性に「土俵下りて」、相撲協会が「不適切」と謝罪 CNN 2018.04.06 Fri posted at 17:12 JST

(CNN) 日本相撲協会は、京都府舞鶴市で春巡業を行った際、土俵上でのあいさつ中倒れた同市市長の応急処置にかかわった女性に対し、土俵から下りるよう促したことを謝罪した。大相撲では伝統的に女性が土俵に上がることを禁じているが、人命にかかわる状況でそうした価値観を優先させようとするのは不適切だとの批判が噴出していた。

(略)

日本相撲協会の八角理事長は談話を発表し、今回の問題について「行司が動転して呼びかけたものでしたが、人命にかかわる状況には不適切な対応でした。深くおわび申し上げます」と謝罪した。

行司の独断の行動かのような謝罪ではありますが、まあ不適切との認識はあるようですので、それはそれとして評価するべきでしょう。しかし、前回エントリで指摘したような「制度の不備は職員個人の心がけや自助努力で防ぎなさいという責任転嫁」をよしとする組織の体質はここでも健在なようでして、この国の組織行動を変えることの難しさを痛感します。

という最中、レスリング方面でもパワハラの告訴状が内閣府に提出されたとのことで、レスリング協会では第三者委員会を設置してパワハラがあったかどうかの検証を行ったそうです。拙ブログのスタンスは、以前からパワー(指揮命令権)とハラスメントは区別するべきと考えていますので、この報告書の定義はよく考えられているなと思います。

5 パワーハラスメントへの該当性の判断基準


 以上のような特色を有する協会において,オリンピックへの参加を目指す選手の強化体制を担う理事や本部長と,協会登録者たる選手及びコーチの間には,オリンピックその他の競技大会に参加する選手あるいはコーチとしての選任につき,協会の理事や強化本部長が優越的な地位を占めていることは明らかである。
 また,検討会報告書における②の「業務の適正な範囲を超えて行われること」との要素については,倫理規程第4条によって,本組織の上記特色を反映して,「フェアプレーの精神」や「公平性及び公正性」の観点に立脚して「スポーツの価値を損なう不適切な行為」か否かをもって判断基準とすることが,とりわけ「パワーハラスメント」については明示されているところである。
 こうしたことから,当委員会は,D及びDに関連する人のB・Cその他の者に対するパワーハラスメントが問題とされる行為につき,パワーハラスメントへの該当性を判断する際の基準は,「フェアプレーの精神」や「公平性及び公正性」の観点に立脚して,「スポーツの価値を損なう不適切な行為」であるか否かという基準をもって臨むべきと考える。
 そして,この判断には,パワーハラスメントが相手の尊厳や人格を傷つける許されない行為であることに鑑み,「敬意と思いやり」を考慮すべきである
pp.10-11

調査報告書 公益財団法人日本レスリング協会 第三者委員会(平成30年4月5日)


個人的には、引用した部分の最後の言葉だけあれば十分ではないかと思うところですが、この言葉につなげるためには、日本レスリング協会の既存の倫理規程と組織の特色を検証した形にすることが必要だったということでしょう。ちなみに倫理規程第4条はこうなっています。

(遵守事項)
第4条 本協会の役職員および登録者等は、フェアプレーの精神を尊重し、公平性および公平性を確保するため、スポーツの価値を損なう次の各号に定める不適切な行為を行わず、強要せず、黙認せず、許さず、その根絶に努めるものとする。
また、相互を尊重し、個人の名誉を重んじ、プライバシーに配慮しなければならない。
(1) 暴力、各種ハラスメント(セクシュアル・ハラスメント、パワーハラスメント等)、不合理な差別(人種、性別、障害の有無等)等の行為
(2) ドーピングや勝敗に関わる意図的な捜査等の不正行為
(3) 薬物使用乱用(大麻、覚醒剤など)や違法賭博等の反社会的行為
(4) 暴力団等、反社会的勢力と関わる行為

倫理規程 公益財団法人日本レスリング協会(25.4.1)

2013年の時点でここまで網羅的に遵守事項を定めているということは、それだけ社会的問題となっていた事情があるわけでして、積極的に規定していたことは評価されるべきです。そして、パワハラに関して、「フェアプレーの精神」や「公平性及び公正性」の観点に立脚して「スポーツの価値を損なう不適切な行為」か否かをもって判断基準とするということそのものが、調査報告書で指摘される「経緯と思いやり」を考慮することに他ならないはずです。

そのような観点からしても、この調査報告書の最後の部分は、すべての組織関係者に熟読玩味していただきたと思うところです。

6 最後に


 当委員会の委員は,いずれも,これまでの人生において,レスリングという競技とは何の縁もゆかりもない生活を送ってきた。レスリングについては,全くのズブの素人である。しかし,当委員会における活動を通じ,レスリングに関わる競技者,コーチ,監督など多くのレスリング関係者からのヒアリングを重ねるうちに,次のような思いを抱くに至った。すなわち,レスリングは対人競技であり,しかも柔道や相撲などと異なり,競技相手との対戦において,柔道着や廻しのような相手を掴まえるもの(手段)がない。強いて言えば,レスリングにおいて互いに掴み合っているのは,互いの魂であり,まさに人格と人格がぶつかり合っているのである。そうした場においては,互いに,相手に対し,「敬意と思いやり」を抱いてこそ初めて競技が成立するのだと思う。そうしたレスリング競技における崇高さ,潔さが見る人に感動を与えるのである。そして,そうであるからこそ,第3で引用した倫理規程は,レスリング競技に関わる人々に向けて,あえて,「フェアプレーの精神」や「公平性及び公正性」という概念を引き,こうした魂を掴み合い,人格と人格をぶつけ合うレスリングという「スポーツの価値を損なう」ことのないように戒めているのである。そうであるとすると,この倫理規程の下で,レスリング競技に関わる人々が常に心すべきは,相手に対する「敬意と思いやり」であることは論を俟たない
 そこで,振り返って本件をみると,いろいろな人が自分の思惑の下に行動し,互いに軋轢を生じさせている。どれ一つをとって見ても,小さい,せせこましいというのが正直な感想である。一人ひとりがレスリング競技の原点に立ち戻り,「敬意と思いやり」の心を取り戻してもらいたい。競技において勝つことが重要であることはいうまでもない。しかし,昨今,余りに勝つことにのみ眼を奪われ,勝つことのその先にあるものが見失われているように思う
 協会がレスリング競技の原点に回帰し,メダルの数によって国民からの賞賛を得るだけでなく,これまで以上に,レスリング競技そのものへの感動と感激を伝えることによって,国民からの信頼を獲ち得ることを切に望む次第である。
pp.36-37

調査報告書 公益財団法人日本レスリング協会 第三者委員会(平成30年4月5日)

いやまあ、調査報告書はレスリング競技に敬意を表してレスリングに特化した書き方になっていますし、個別の事実認定は細かすぎていまいちピンとこないところはありますが、個々で指摘されているように、私自身の狭い見識でも、パワハラ案件というのは小さくて、せせこましい話が多いんですよね。上司に限らず、同僚でも何でも、「お前の顔つきが気にくわない」とか「そんな態度で許されると思うのか」とか「俺はそんなことくらいすぐできたぞ」という気持ちが発端となって、細かいことに口を出すようになり、そのイライラが募って怒鳴りつけることは、組織で仕事をしている方には思い当たる節があるだろうと思います。組織の偉い方々は、「生産性を上げろ」とか「残業を減らせ」とか怒鳴りつける前に、「勝つことそのその先にあるもの」が何なのかぜひこの調査報告書を読んで考えていただきたいものですね。

(追記)
タイトルが中途半端な引用となってしまいまして、意味が変わってしまいましたので、修正しました。
調査報告書では「勝つことのその先にあるものが見失われている」と指摘しており、「小さい,せせこましい」問題が生じるのは、その「勝つことのその先」にあることが意識されていないからですね。「小さくて、せせこましい話の先にあるもの」ではなく、さらにその先にあるものが重要ということで、タイトルを「小さくて、せせこましい話の先の先にあるもの」と変更しました。
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2018年04月07日 (土) | Edit |
相変わらず更新が滞りがちのまま新年度を迎えたところですが、例年通り役所というのは年度末と年度初めに仕事が集中するもので、3月中旬から5月のGW明けまでは連日の超勤と休日出勤に追われる日々が続くことになります。まあ役所といっても、いわゆる事業をもっている部署にその傾向が顕著でして、そういった仕事が比較的少ない部署や霞ヶ関のようなところはいつも通り年中忙しいわけですが。

という日々を送っている中で国会では公文書の管理が問題になっているようでして、ことの是非でいえばもちろん由々しき事態だろうと思います。とはいえ、個々の事案についての評価は別として、公文書というのは例えば課とか係という組織単位で作成して管理するものであるところ、人件費削減の声に押されたそうした組織に公文書管理の担当者を割り当てる余裕は当然ありません。さらにいえば経費削減のため天井が低く空調も後付けのような古式ゆかしい建物で仕事をしている者としては、意思決定資料であるところの公文書を定期的に破棄しなければ建物に入ることすらできなくなるような状況で、ではあるべき公文書管理とは一体何だろうなと思わないでもありません。

というよりむしろ、現場の感覚からいえば、公文書管理は余計な仕事とみなされていて、そのための人件費や施設建設の費用は「行政のムダ」として削減されてきたのではないかというのが正直な思いですね。その点は牧原先生がこちらの記事で指摘される通りだろうと思います。

だが、公文書を研究してきた行政研究者としては、こうした状況に強い違和感がある。忘れることができないのは、政府の研究会の一員としてフランスの公文書館へのヒアリングに行ったときのことである。「科学的な文書管理が重要だという主張だけでは、各省を説得することはできない。各省が説得されるとすれば、そうした文書管理こそ各省にとって利益になるという言い方だ」というプラグマティックな発言であった。

つまり、公文書における記録保存の正当性だけでなく、その利益を各省の側に了解されてこそ、公文書管理制度が成り立つというのである。しばしば、欧米では公文書は文化遺産とされているといった主張が日本でなされているが、それはあくまでも行政の現場の執務と折り合いがつくからこそ成立するものなのである。

「牧原 出:東京大学教授 「廃棄した」は通用しない 森友公文書改ざん問題 全面保存を前提とせよ(03/31号, 2018)」(週刊東洋経済Plus)

有料記事のため冒頭しか見られないんですが、公文書管理が適切に管理されてシステム化されていれば、当然その公文書を日常的に使用する行政の現場でこそ、必要な情報が必要なときに取り出すことができるというメリットがあるわけですから、公文書管理に反発する役人は多くはないでしょう。まあ誰がその担当になるかでは評価が分かれるかもしれませんが。


牧原先生が指摘されるフランスの担当者の発言を日本の役人が言おうものなら、「身内のお手盛りでラクをしようとしやがって」とか「公文書管理なんて普通の業務なんだからヒトもカネもかけずにやれ」という声がマスコミを中心に巻き起こるんでしょうねえ。

このような人員体制やシステムを度外視した職員任せの業務改善については、12年ほど前に岐阜県の不正資金問題に関連して書いたことともつながっていますね。

しかし、2は制度上の運用の問題なので少なくとも制度上の改正は可能だろうが、1を根絶することは制度上も実務上もそう簡単ではない。1の内訳については12ページ以降の「費消内容」にまとめてあるが、「(2)職員の費消」は問題外として、「(1)業務に関連した費消(通常の予算では支出しにくいもの)」は、その標題のとおり通常の手続きでは支出しにくいか、緊急を要するのに支出に時間がかかりすぎるパターンがいくつか列挙されている。たとえば、(1)の10、11、12、18といった施設の細かい修繕費や、紙が足りなくなったり会議で使う封筒が足りなくなったりしたときの補充、さらには研究機関で必要になる研究資材や参考文献のような、事前に予測できない経費を予算化することに根元的な困難さがあるのである。組織別にみたときこの傾向がはっきりするが、学校や農業試験研究所のような小規模な組織において、所管の施設を持ちつつ研究したり会議を開催するとなるとどうしても不確定要素が大きくなるにもかかわらず、予算規模は組織に比例して小さくなるので、十分なバッファを確保することができない。その予算上のバッファの代替機能を裏金に負わせることになるのである。

ところが、この報告書での「第9 再発防止に向けての提言」ではそういった制度面に踏み込んだ記述が一切ない。かろうじて「4 内部チェック機能の強化・充実」という項があるが、あくまで平成13年9月の「会計事務改革に関する基本的な方針」を前提とした審査・確認体制の強化、検査体制の強化といった会計事務のチェック機能と監査業務の充実という程度にとどまる。つまりここでいっているのは、制度の不備は職員個人の心がけや自助努力で防ぎなさいという責任転嫁である。すなわち、再び裏金問題が発生したときに組織としての責任が回避できるのである。困ったもんだな。

裏金問題とはいうものの(2006年09月09日 (土))


まあ拙ブログでは同じようなことばかり繰り返しているところですので、ネタには事欠かないところでして、こんなのもありますね。

前回エントリで取り上げたようなトランプ氏に対する支持は、「素人崇拝」が高じて、素人の意見を素人として発言する候補者に支持が集まったという面もあると思いますが、アメリカにはそれでも政策決定とその執行が円滑に進むような制度を作り上げてきたという自負があるのかもしれません。

翻って日本の政策決定過程を見ると、「猖獗を極めたカイカク病」を支えたのもまた「経済学的な正しさ」であって、そこにはチェックアンドバランスなどが機能する余地はないように思われます。「財政的な措置をしなくてすむように医療費を削減するための「経済学的に正しい」処方箋は、治療に高額の医療費を要するような疾病に罹患した患者には治療しないこと」というのは、こちらの本で指摘されている研究結果ですが、本書冒頭の青木昌彦先生の推薦文に続くこの序文がアツいんですよね。

 3つ目の提言は、日本の政策の形成・執行の各過程で評価を行うチェックアンドバランス機構を強化しなければ、改革は一度限りの打ち上げ花火で終わってしまうということです。日本での通説とは逆に、筆者の目には「米国の医療制度改革は非常に『慎重』であるのに対し、日本の改革は非常に『大胆』」と映ります。米国を含めた多くの先進諸国は、「政策は誤る可能性が高い」ことを前提に、制度改革には、「大失敗」を未然に予防するため幾重にもチェックアンドバランス機構を組み込んでいます。それに比べ、日本では欧米におけるようなチェックアンドバランス機構がきわめて貧弱です。(中略)このような政策上の失敗にブレーキを踏めるインフラを整備しない限り、3章で紹介する政策提言・評価のための経済学理論・実証分析手法も、日本では単なる絵に描いた餅に過ぎません。言い換えれば、政策の方向性・進捗状況すら判断できないままブレーキ・安全装置を外せば、とりあえず速度だけは上がることに嬉々とする類の大胆な改革が繰り返されるおそれがあります。

pp.006-008

「改革」のための医療経済学
ニューヨーク州ロチェスター大学助教授 兪炳匡 著
定価 : 2,052円(本体1,900円+税)
発行 : 2006年08月
在庫 : 在庫なし(申込不可)
サイズ : 四六判 264頁
ISBN-10 : 4-8404-1759-8
ISBN-13 : 978-4-8404-1759-4
商品コード : T560090



認知的不協和の行き着く先(2016年11月15日 (火))

役人の政策形成能力に対する疑念が深まっているのには、今回問題となっているような公文書管理の問題ももちろんあるとは思いますが、そもそもこの国の政策形成過程は、「政策の方向性・進捗状況すら判断できないままブレーキ・安全装置を外せば、とりあえず速度だけは上がることに嬉々とする類の大胆な改革が繰り返される」状況にあるわけでして、その背景には上記のような「制度の不備は職員個人の心がけや自助努力で防ぎなさいという責任転嫁」をよしとする組織の体質があると思われます。まあこれは、役人に限らず日本型雇用慣行で意思決定を行う日本の組織に特徴的なことなのかもしれませんが。