2018年02月25日 (日) | Edit |
ただの雑感です。

前回エントリで、「「よくやった」という一言が大事ですよね。そこで「次へ、次へ」と休み無くやっていると疲れちゃうし、組織としての「遊び」が無くなって行ってしまう」というゆうきまさみ先生の言葉から関連して、「世の中には、思った以上に「激励のつもりで罵倒しか出来ていない人」が多いんじゃないか」という指摘を取り上げたところですが、奇しくも今日閉幕する平昌冬季オリンピックでは日本から出場した選手の獲得したメダル数が過去最高となり、たいそう盛り上がりを見せているようです。

私自身は、商業的に成功したと言われる1984年のロサンゼルス夏季オリンピックから記憶があるもので、こうしてメダル獲得に沸いている界隈が、オリンピックの興奮が冷めた途端にプライベートを詮索されてマスコミのバッシングを受けたり、国の強化策に対する批判(多くても少なくても批判されますね)等々が沸き起こることを経験的に知っています。寒いところに住んでいますので、トリノ冬季オリンピック以降、カーリングが(興味本位でおやつタイムとかかけ声が話題になって)ブームになっては下火になり、その都度選手たちが興味本位で翻弄され、活動場所を求めて奔走している姿を見ている者としては、男女を通じて初めてメダルを獲得したこの後の周囲の反応が気になるところです。

個人的にスポーツに特段思い入れがあるわけでもなく、テレビで中継があればそれなりに盛り上がって観る程度ですが、もちろん世の中にはスポーツそのものに関心がなかったり、ましてやオリンピックなんて商業主義のイベントに対する反感を持つ方もいらっしゃるわけでして、それはそれとして尊重すべきとは思いますし、特に後者についてオリンピックが商業主義で歪められているという指摘はその通りだとも思います。ただし、そうした反感をスポーツという活動やオリンピックというイベントに向けるのみではなく、スポーツの世界で結果を残すために努力した方々、さらにその努力が実って結果を残した方々までに向けてしまって、一緒くたにして批判してしまうことは避けるべきと思います。



スポーツで結果を出した個々のプレーヤーやその支援者を称えることもせず、まして経済的な面で報いることができないこの国で、その中ですら結果を出した方々には私なりの最大の賛辞を送りたいと思います。その一方で、「世の中には、思った以上に「激励のつもりで罵倒しか出来ていない人」が多い」というこの国で声の大きい方々とその意を受けたマスコミは、容赦なく彼らに刃を向けていくことでしょう。歯がゆいのは、私の資力では個人的に称えることはできても報いることはほぼできませんので、政府支出として個々のプレーヤーの活動を支援することに期待したいところですが、これもまた上記のとおり批判の対象となります。

というようなこの国の状況を見ていると、オリンピック憲章の高邁な精神を改めて確認することはそれなりに意味のあることではないかと思います。

Fundamental Principles of Olympism


  1. Olympism is a philosophy of life, exalting and combining in a balanced whole the qualities of body, will and mind. Blending sport with culture and education, Olympism seeks to create a way of life based on the joy of effort, the educational value of good example, social responsibility and respect for universal fundamental ethical principles.
  2. The goal of Olympism is to place sport at the service of the harmonious development of humankind, with a view to promoting a peaceful society concerned with the preservation of human dignity.
  3. The Olympic Movement is the concerted, organised, universal and permanent action, carried out under the supreme authority of the IOC, of all individuals and entities who are inspired by the values of Olympism. It covers the five continents. It reaches its peak with the bringing together of the world’s athletes at the great sports festival, the Olympic Games. Its symbol is five interlaced rings.
  4. The practice of sport is a human right. Every individual must have the possibility of practising sport, without discrimination of any kind and in the Olympic spirit, which requires mutual understanding with a spirit of friendship, solidarity and fair play.
  5. Recognising that sport occurs within the framework of society, sports organisations within the Olympic Movement shall have the rights and obligations of autonomy, which include freely establishing and controlling the rules of sport, determining the structure and governance of their organisations, enjoying the right of elections free from any outside influence and the responsibility for ensuring that principles of good governance be applied.
  6. The enjoyment of the rights and freedoms set forth in this Olympic Charter shall be secured without discrimination of any kind, such as race, colour, sex, sexual orientation, language, religion, political or other opinion, national or social origin, property, birth or other status.
  7. Belonging to the Olympic Movement requires compliance with the Olympic Charter and recognition by the IOC.

オリンピズムの根本原則


  1. オリンピズムは肉体と意志と精神のすべての資質を高め、バランスよく結合させる生き方の哲学である。オリンピズムはスポーツを文化、教育と融合させ、生き方の創造を探求するものである。その生き方は努力する喜び、良い模範であることの教育的価値、社会的な責任、さらに普遍的で根本的な倫理規範の尊重を基盤とする。
  2. オリンピズムの目的は、人間の尊厳の保持に重きを置く平和な社会の推進を目指すために、人類の調和のとれた発展にスポーツを役立てることである。
  3. オリンピック・ムーブメントは、オリンピズムの価値に鼓舞された個人と団体による、協調の取れた組織的、普遍的、恒久的活動である。その活動を推し進めるのは最高機関のIOCである。活動は5大陸にまたがり、偉大なスポーツの祭典、オリンピック競技大会に世界中の選手を集めるとき、頂点に達する。そのシンボルは5つの結び合う輪である。
  4. スポーツをすることは人権の1つである。すべての個人はいかなる種類の差別も受けることなく、オリンピック精神に基づき、スポーツをする機会を与えられなければならない。オリンピック精神においては友情、連帯、フェアプレーの精神とともに相互理解が求められる。
  5. スポーツ団体はオリンピック・ムーブメントにおいて、スポーツが社会の枠組みの中で営まれることを理解し、自律の権利と義務を持つ。自律には競技規則を自由に定め管理すること、自身の組織の構成とガバナンスについて決定すること、外部からのいかなる影響も受けずに選挙を実施する権利、および良好なガバナンスの原則を確実に適用する責任が含まれる。
  6. このオリンピック憲章の定める権利および自由は人種、肌の色、性別、性的指向、言語、宗教、政治的またはその他の意見、国あるいは社会的な出身、財産、出自やその他の身分などの理由による、いかなる種類の差別も受けることなく、確実に享受されなければならない。
  7. オリンピック・ムーブメントの一員となるには、オリンピック憲章の遵守およびIOCによる承認が必要である。

「オリンピック憲章 Olympic Charter 2017年版・英和対訳 (2017年9月15日から有効)」
※ 強調は引用者による。


スポーツの政治利用やら商業主義とかその一環としてのマスコミによるバッシングは、いずれも人間の営みの中から生み出されるものである以上、こうしたFundamental Principles of Olympismの実現は困難だろうとは思いますが、だからこそ常に意識しなければならないものなのでしょう。

(付記)
言わずもがなですが、カーリング女子に出場したロコ・ソラーレ北見が使う「そだねー」が流行しつつあるそうですが、組織の意思決定を考える上でもとても参考になります。外科医であるハーバード大のアトゥール・ガワンデ氏が「チェックリスト」の有用性をこう指摘しています。

 多くの外科医は怒鳴ることで物事を解決しようとする。当初はテールマン医師もご多分にもれず、関係者全員に気合いを入れなおすように怒鳴った。だが、結果は改善されなかった。そこで彼は同僚と協力し、別の方法を試みることにした。チェックリストを作ったのだ
 彼らはあえて権限の弱いレスキュー隊と電話オペレーターにチェックリストを与え、手順を一つ一つ丁寧に説明した。レスキュー隊はできるだけ早く、たとえ事故現場にまだ到着していなくても、病院に人工心肺の手配と患者を温める用意をするように連絡すること。連絡を受けた電話オペレーターはチェックリストに書いてある順番通りにスタッフに電話し、機器などを準備して待機しているように伝えること。
 その結果、ついに初の蘇生に成功した。それがあの少女だった。直後にテールマン医師はウィーンの病院に移ってしまったが、クラーゲンフルトのチームはその後も二人の命を救った。
pp.55-56

(略)

 新しいプロジェクトを始めるときは、まずチェックリストが作られるそうだ。16の業種の代表者が話し合い、各業種の仕事をまとめた大きなチェックリストを作るのだ。今回のプロジェクトでは、サルビア氏の会社からも代表者が一人参加し、構造設計に関連した手順をチェックリストに加えた。そうしてできあがったチェックリストは下請け業者と各分野の専門家に送られ再度確認される。
 完成品は見事だ。数百人から数千人の知識をそれぞれ適切な場面で、適切なタイミングで、適切に活用する、詳細なチェックリストができるのだ。
pp.73-74

(略)

 「じゃあ、いったいどうするんですか?」と私は聞いた。するとオサリバン氏は会議室の左側の壁に張ってある(ママ)、大きな紙を見せてくれた。右側の壁の工事スケジュールと一見そっくりなのだが、これは「提起スケジュール」と呼ばれるものだ。これもチェックリストなのだが、工事の予定ではなく、コミュニケーションの予定が書かれている。「○月×日までに関連分野の専門家が集まり、△という工程について話し合うこと」といった具合にだ。専門家たちに確実にコミュニケーションを取らせることで、不測の事態に対応しているのだ。各専門家はもちろんさまざまな決断を下すのだが、個人として決断するのではない。お互いの懸念を考慮し、問題について話し合い、すすむべき方向性に合意したチームの一員として判断を下す。起こりうる全ての問題を事前に予測するのは不可能だが、問題が発生しやすそうな工程や時期は予想できる。だから事前にコミュニケーションの予定を入れておくことで、問題が発生しても対応できる。提起スケジュールには、いつまでに誰と誰が何について話し合うのか、次の工程にすすむ前にどの情報を「提起」しなければいけないのかが記されている。
p.77


『アナタはなぜチェックリストを使わないのか? 重大な局面で“正しい決断”をする方法』
定価: [本体1600円]+税
発売日: 2011.06.18
ISBN: 978-4-86391-280-9

本書では、医療の現場は未だに「ご多分にもれず、関係者全員に気合いを入れなおすように怒鳴った」というような状況にあり、テールマン医師はそれをチェックリストによって解決したことをヒントとして、チェックリストの有用性を探っていきます。その中で著者のガワンデ氏は、建築業界で「お互いの懸念を考慮し、問題について話し合い、すすむべき方向性に合意したチームの一員として判断を下す」ことがよい結果を導くことを経験し、業界全体でそれをシステム化していることを知り、有用なチェックリストの作成、運用を追求しているわけです。

カーリングでも、刻一刻と変化するストーンの位置を把握し、氷の状況を読むアイス・リーディングを磨いて状況を判断し、相手が打ってくる手を想定しながら、自ら複数のパターンを想定するという判断を制限時間内に行う必要があります。一人では判断が難しくても、役割分担をした4人が話し合うことでより多くの問題について確認し、チームとして意思決定を行うことができるようになります。おそらくストーンの位置や氷の状況についてチェックリストがあり、それを各選手が確認しているからこそ、それぞれが現状とこれからの問題を話し合うというやり方が定着しているのだろうと思われます。その観点で見ると、ブームに終わらないカーリングの面白さが認識されるのかもしれませんね。
スポンサーサイト

2018年02月11日 (日) | Edit |
実質的な今年最初のエントリで「明日から仕事始めということでヘタをするとまた数か月放っておきかねない」とか書いておきながら1月はパワハラクソ野郎関連でいくつかエントリをアップしつつ、その後やはり1か月ほど放置してしまいました。国会審議が滞っているものの、今回の労基法改正で(一定の条件で)月80時間を超える超勤には罰則が適用される見込みとなっておりまして、まあここ数か月は改正法適用後には罰則が適用されるような働き方をしていたところですので、早いとこ法改正して罰則を適用してほしいものだなあと思うところです。

という働き方をしている中で、これも繰り返しになりますが日本型雇用慣行での業務効率化の難しさを改めて実感したところでして、TLで流れてきた3年前の記事でゆうきまさみ先生がその本質を指摘されていましたのでメモしておきます。

ゆうき:そう。たぶん日本人が苦手なのは目標設定なんですよ。そりゃ、会社とかでも売上目標とかはありますよ。でも、それが本当に達成すべき目標なのか?取り敢えず10億って言っておけば、半分くらいは達成できるだろう、的なことになっていないか(笑)。その辺が曖昧なんじゃないですか?

2002年に「パンゲアの娘 KUNIE」が打ち切りになってしまって、することがなくて日本で開催されたサッカーのワールドカップをずっと見てたんです(笑)。その時、日本代表がどこまで行けるか?ということにみんな不安だったはずなんですよね。その前のW杯では一勝もできなかったんですから。当初、監督や協会はグループリーグ優勝までを目標として体制作りをしていました。で、グループリーグを突破して目標は達成したんです。

――そうでしたね。

ゆうき:本来であれば「よくやった!」と監督やチーム、関係者を褒めるべきだったのに、その後トルコに負けて、ベスト8まで行けなかったので、叩かれてしまったんですよね。あれはおかしいんですよ!

――たしかに。想定外のラッキーだったわけですからね。

ゆうき:目標を立てて達成したら、そこで一回リセットというか、そこからは違う世界、予定外なんだという見方をしないと、ああいう事が起こっちゃう。一番良くない事として、目標を達成して欲をかく、ということが起こりがちなんですよね

(略)

――後藤さんなんかもそうですよね。目標達成したらさっさと撤収みたいな(笑)

ゆうき:とりあえず、もうそれで「お疲れさん」なんですよ。まあ、W杯の場合はそれで終わりって訳には行かないとは思いますけどね。それにしたってね。大会前とグループリーグ突破後の世間の掌の返しっぷりといったらね・・・・・・。

――それも、目標が軽く扱われているというか、単なるお題目に普段からなっているからかも。後藤さんは実は何が重要で何がそうでないかを明確に見定めている

ゆうき:そうかもしれないですね。マンガの終盤で泉がシリーズ終盤の敵となったレイバー「グリフォン」に対して「逃がさなければ勝ちだ」と喝破するシーンを用意したんです。それは彼女が後藤イズムを体得したことの現われだったわけです。 

――なるほど!でもそういう後藤さんのもと、目標を達成し続けるチーム第2小隊は組織としては傍流に置かれ続けるというのは皮肉ですね。

「負けた人列伝」を僕は描きたい

ゆうき:目標をきちんと定めて共有する。所与の目標が達成されたら、そこでちゃんと1回評価しましょう、ということですね。もっと小さなレベルで言えば、「じゃじゃ馬グルーミンUP!」で主人公の駿平が「親父が褒めてくれたことがない」って言い放つじゃないですか。あれですよね。

――父親は「お前はもっとできるはずだ」という信念のもと、良い成績を取っても褒めてくれないんですよね。そんな駿平にとって、牧場は馬を育てあげるという目標がとても明確で心地良い場所だった・・・・・・。小さなレースに勝っても、その度に祝勝会を開く様子が繰り返し描かれてましたね。

ゆうき:そういう場での「よくやった」という一言が大事ですよね。そこで「次へ、次へ」と休み無くやっていると疲れちゃうし、組織としての「遊び」が無くなって行ってしまう。あの牧場の目標はダービー馬を出すことじゃなくて、もっともリアリティのある目標として、生産馬を競馬場に送り出すことなんですよ。

――そこから先は主に調教師の仕事ですしね。

ゆうき:そうなんですよ。

――少年マンガにありがちな敵を倒したらまた更なる強大な敵が、という展開をある意味僕たちは刷り込まれて、望んでしまっているのかもしれないですね。

ゆうき:もちろん、そういう局面とか野望、野心も大事なことではあるとは思うんですけどね。後藤隊長みたいな人が主人公だと少年マンガとして成り立ちませんから(笑)。「オラもっと強い奴と戦いたい」と言う風に、自分が定めた目標なら良いんですよ。でもそれを評価する側は違う視点をもたないといけない

――でも、現実に次から次へより大きな敵(目標)を求めちゃうと。

ゆうき:疲れ果てちゃう人の方が多いでしょうね。どんな社会でも勝つ人よりも負ける人の方が圧倒的に多いんですよ。だから、負けたときどうするか、というのを僕はずっと考えているのかもしれない。

「日本の会社には「遊び」がない–パトレイバー作者・ゆうきまさみ氏が語る組織論(2015年07月30日)」(HRナビ)
※以下、強調は引用者による。

いやもう、首肯しすぎて首が痛くなるかと思いながら拝読して長々引用してしまいましたが、第二小隊の隊員のモチベーションの高さとそれに由来するパフォーマンスは、具体的な個々の目標達成を的確に評価するという上司の存在が大きいのだろうなと改めて認識した次第です。組織のパフォーマンスを確保するためには、組織の目標を具体的な行動にまで落とし込み、それを構成員全員が的確に理解して実行できるように伝えるマネージャー(上司)の存在が決定的に重要です。第二小隊では、そのようなマネージャーを通じて、構成員が組織の目標把握の考え方(ゆうき先生がいう「後藤イズム」ですね)を体得し、それによってその組織が果たすべきパフォーマンスが確保され、その経験や課題を基にして次の具体的な行動につなげていく…という好循環が回っているわけです。『パトレイバー』という作品が、歩行式の作業機械を駆使する警察部隊という(企画された昭和の時代では)荒唐無稽な設定でありながら、警察という組織においてその構成員が仕事を遂行するという点でリアリティを獲得しているのは、こうした組織マネジメントの要諦が織り込まれているからなのかもしれません。

飜って周りを見渡してみると、「目標が軽く扱われているというか、単なるお題目に普段からなっている」光景ばかりが目につくところでして、その象徴が年始以来拙ブログで取り上げているパワハラクソ野郎なわけです。ということを考えていたところで、ゆうきまさみ先生つながりで興味深い記事がありました。



(略)

勿論、ファンの声というのは創作者にとってエネルギーの源泉です。そして、悪評というものも、時には創作の糧になり得ます。それは間違いないんです。

ただ、ゆうき先生の発言に対して、冒頭まとめで時折みられる

「世に作品を出すなら叱咤激励を受けるのは仕方ない。」とか、

「(褒め言葉ばかりでは)いい漫画家が育たない。」

といった反応には、正直なところ「うーーん」と思うところがありまして。

というのは、世の中には、思った以上に「激励のつもりで罵倒しか出来ていない人」が多いんじゃないか、と私は感じているんですよ。

(略)

ただその時、「こういうのって嫌がらせみたいなものなんですかねー?」と言ってみたら、「いや、これで応援のつもりの人も結構いるんだよね…」という言葉が編集さんから返ってきて、それは結構私の頭の中に残っているんです。

つまり、それこそ「悪評が漫画家を育てる」的な信念の元、いわば愛の鞭のようなつもりで罵倒を投げてきている人もいるんだ、と。



そして、そういう人たちは、自分の罵倒が「創作の参考になる批評」だと考えているんだ、と。

はー、と思いまして。

例えばブラック企業では、パワハラ上司の言葉がしばしばやり玉にあがります。徹底的に新人を追い詰めて、辞めさせたり鬱にしてしまったり。ああいう話、結構みますよね。



ただ、ああいうパワハラ上司的な人達も、多くの場合「自分が単に罵倒をしていて、相手を精神的に追い詰めている」とは思っていないんですよね。少なくとも本人の主観的には、あれ、「叱咤激励」のつもりなんです。

自分の言葉を糧にして、相手が強く成長することを願っていたりする。で、言われた方が耐えかねて辞めちゃったら、「なんであれくらい耐えられないんだ」と首をひねったりするわけです。

「「激励のつもりで罵倒しか出来ていないファンの人」と「パワハラ上司」は同じ構図。(2018/2/10)」(BOOKS&APPS)

「世の中には、思った以上に「激励のつもりで罵倒しか出来ていない人」が多い」というのは、「パワーの行使がハラスメントとなる源泉は、実はパワーそのものではなく、OJTにおける試行錯誤にあるのが日本的雇用慣行の特徴だろう」と考える拙ブログの立場からしてもしっくりくるところです。ここ数回のエントリではサイコパス傾向とか一定の性向をもつ方に限定的なような書き方になっていましたが、日本型雇用慣行そのものが上司が職場で部下を指導するOJTを必須とするためにパワハラを誘発しやすい環境にあり、そうしたパワハラOJTで仕事を覚えてきた上司の多くはパワハラOJTでしか部下を指導できないことになってしまうわけですね。

上司-部下の関係における指導ではなく、組織のパフォーマンスを上げるためのマネジメントこそが組織にとって必要なことであって、だからこそ上司はマネージャーと呼ばれます。そのマネジメントに必要な理論をまとめたのが、海老原さんの『マネジメントの基礎理論』と『即効マネジメント』でして、こうしたマネジメントの理論を学んで指導とマネジメントの違いを改めて自問しなければならない方は多いのではないかと思います。まあ有り体にいえば、自分の部署の従業員が期待された成果を挙げていない場合には、その従業員のスキル不足やら姿勢やらを批判して罵倒するだけでは問題が解決しないということですが、さて日本型雇用慣行にどっぷり浸かった現在の上司の皆さんが自らそれに気が付くのはいつのことなのでしょうか。