2017年08月06日 (日) | Edit |
10年ほど前に拙ブログで取り上げた香西先生の著書についてのこちらのtweetを見てピンときましたのでメモ。


画像部分のテキストを起こしておくとこんな内容です。

…だが、議論に世の中を変える力などありはしない。もし本当に何かを変えたいのなら、議論などせずに、裏の根回しで数工作でもした方がよほど確実であろう。実際に、本物のリアリストは、皆そうしている。世の中は、結局は数の多い方が勝つのである。
 論理的思考力や議論の能力など、所詮は弱者の当てにならない護身術である。強者には、そんなものは要らない。いわゆる議論のルールなど、弱者の甘え以外の何ものでもない。他人の議論をルール違反だの詭弁だのと言って避難するのは、「後生だから、そんな手を使わんで下され」と弱者が悲鳴を上げているのだ。そして、そのような悲鳴にすぎないものを、偉そうに、勝ち誇って告げるのも、また弱者の特徴である。


香西秀信『論より詭弁 反論理的思考のすすめ』 pp,8-9

私も実務屋の端くれを自認しておりますが、実務の世界の「論理」とはまさにここで指摘されるような世界ですね。「本物のリアリスト」というとちょっとカッコよくなりますが、実はそれこそが「力にものをいわせる」上司のやり方でもあって、香西先生がこの後の部分で「いかに「発生論的虚偽」と非難されようとも、こんな場合には、邪悪な動機とともにその忠告を葬り去って、それで何ら生き方を誤ることはない。…もし人が非論理的な判断をして、それで痛くも痒くもないというのであれば、そのときは論理的思考の方が何か大きな間違いを犯しているのである」(p.22)と指摘されるように、現実とは往々にして論理的ではないといえましょう。しかし、場合によってはそれがクラッシャー上司となって組織を壊死させることもよくある話でして、それがパワハラの弊害といえます。

でまあ、パワハラを駆使するクラッシャー上司で、特に上層部まで昇進するような上司の多くはサイコパスであり高度に合理的であるのですが、だからといって常に論理的かというと必ずしもそうではありません。というより、出世するクラッシャー上司ほど論理的な場面とそうでない場面を使い分けるんですよね。松崎一葉『クラッシャー上司』でも紹介されているクラッシャー上司はこんな方だそうです。
基礎的な能力は高く、入社後から実績を上げ順調に昇進し、同期の中では最も早く管理職に登用された。しかし、仕事は確かにできるが、部下が業務上の失敗をすると、自室に呼び出し、2時間近くも「ネチネチ」と部下の失敗を遠回しに非難する。決して明らかなパワハラにならないように、初めは優しい口調で対応するが、部下が弁解をすると論理を構築して弁解の余地のないところまで心理的に追い詰める。部下が疲れ果てて「自分が全て悪かった、申し訳ありません」と平謝りするまで、非難は延々と続く。

しかし、部下に営業上の失敗があったとしても、最後は自分が直接に乗り出して、クライアントにうまく対応して商談をまとめる。本人は、気分の上がり下がりが激しく、時に、部下を引き連れて自分の好きな飲食店に連れて行き、ワインの蘊蓄を傾け大盤振る舞いをしたり、その一方で、原因もなく、何を言っても取り付く島のないほど不機嫌であったりする。そのため部下たちも、本人に対しては面と向かって本音が言えず、「しかたがない。逆らわずにいこう」と諦めていた。

引用元: 部下を潰して出世するクラッシャー上司は「人格の未成熟さ」を抱えた危険な存在 | 「会社のワガママちゃん」対処法 | ダイヤモンド・オンライン(2009.10.15)
※ 以下、強調は引用者による。
いやまあ身近にもよく似た行動をとる方がいて、特に本書37〜39ページに採録されたような決して答えが出ることがなく、上司が一方的に雪隠責めするやりとりはうちの職場では日常茶飯事でして、まあ働き方改革とか業務効率化なんてどこ吹く風ですかねえという思いを強くするところです。

とはいえ、そもそも上司はパワー(指揮命令権)を持っていますので、上司によるパワー(指揮命令権)の行使は通常の職務遂行にほかなりません。ただし、その行使の仕方がハラスメントになったときにはパワー・ハラスメントとなるわけです。そしてそのパワーの行使がハラスメントとなる源泉は、実はパワーそのものではなく、OJTにおける試行錯誤にあるのが日本的雇用慣行の特徴だろうと思います。

拙ブログでは、公務員の人事労務管理は民間のそれからはるかに遅れているという指摘をしてきているところでして、それはまあ私が総務省が所管する地方公務員法適用の地方公務員だからでして、つまり総務省の人事労務管理が稚拙であるという趣旨なのですが、国家公務員法を所管する人事院はさすがにそこまで稚拙ではなく、『平成28年度公務員白書』で日本型雇用慣行についても鋭い指摘をされています。

(3)OJTを取り巻く問題

 係員級職員や係長級職員を中心として、仕事のやりがいを高め、仕事を通じた能力開発や専門性習得を十分にフォローアップするためには、OJTの充実・強化が不可欠である。

(略)

 しかし、「OJTにおいては一般的に、部下に試行錯誤をさせて、その結果に対して上司が助言・指導を行うことから、その分、業務量が増加することは否めない」とされる。この点、「業務量の許容度」については肯定的な傾向が見られるものの、「業務量に応じた人員配置」については否定的な傾向が見られ、職員自身は何とか業務を処理できているが、これ以上の負担は許容できず、OJTを行う余力に乏しいという状況にあることが推測される。これは、平成27年度の年次報告書において指摘した国家公務員の年齢別人員構成の偏りによる若年層の能力開発不足と相談相手の不在等の問題の存在を示すものとなっている。したがって、業務量に見合った人員配置がなされない場合には、中長期的に見て、OJTによる職場における人材育成力を損なうおそれがあり、このことは、将来にわたる行政のパフォーマンスを維持する観点からも重要な問題である。

引用元: 平成28年度公務員白書(2017年6月9日)【第2部】魅力ある公務職場の実現を目指して(PDF形式:1,936KB)

つまり、OJTが試行錯誤をさせてその取組の中で職務遂行能力を向上させるものであることを目的とするものであることから、当然の帰結として、部下はかなりの割合で「錯誤」することになります。それに対して上司は、試行錯誤の「錯誤」の部分について助言・指導を行う必要があり、その際に、人格を否定して人権を侵害するような暴言を吐いたり、ときには暴力を振るったりしてその「錯誤」を攻め立てることがハラスメントになるわけです。

ところが、中には人格否定・人権侵害的な暴言・暴力で指導する方法しか知らない上司も存在するところでして、そうした上司の指導方法そのものが、さらにその上司から過去に受けたOJTによって獲得されていることが多く、それが「社風」とか「組織文化」となると負の連鎖が続くことになります。そうして形成された「社風」とか「組織文化」が、「厳しい上司だったけどそのお陰であの厳しい状況を乗り切れた」などの武勇伝とともに何らかの業績につながっていたりすると、その「社風」とか「組織文化」を修正することは著しく難しくなります。一度そうなってしまえば、かつての平社員であった新しい上司にも制御・介入はできず、パワハラが厄介な問題となっているのはそうした事情が背景となっているといえましょう。

まあここまでは、日本型雇用慣行におけるパワハラの発生過程やその対処方法が難しい要因の説明としてよくある話だと思いますが、問題はそれにとどまりません。そのOJTによる試行錯誤を上司が指導・助言するという日本型雇用慣行にいては、そのOJTにおける上司・部下の関係そのものが企業や官庁の意思決定にも影響しています。実務屋を自認する私からすると、人格否定・人権侵害的な暴言・暴力で指導する方法しか知らない上司によって、理論やデータではなく、その場の雰囲気で物事が決まるというのは前述の通り日常茶飯事だろうと思います。上記ダイヤモンドの記事にあるような「本人に対しては面と向かって本音が言えず、「しかたがない。逆らわずにいこう」と諦めていた。」という状況ですね。

そしてさらに、そうした状況を活用してパワハラ的な言動を意識して行う上司がいるのも事実でしょう。つまり、自分の経歴に傷がつく場面ではパワハラ的言動を封じ、自分の経歴に傷がつかない場面でパワハラ的に振る舞うことによって、周囲に対して恐怖による支配を徹底しようとする場合です。なんでそういうことをしようとするかといえば、自分の経歴に傷がつかない場面でそのパワハラ的言動を示しておくことで、「あの人の逆鱗に触れたら大変なことになる」という見せしめとすることができ、結果としてパワハラ的言動の対象となっていない部下までを支配することができるからです。

ここで冒頭のtweetに戻りますと、クラッシャー上司は論理的に見えても、上記のようなパワハラ的言動の使い分けを行うことが往々にしてあります。そして普段(自分の経歴に傷がつかないところで)論理的に振る舞うことで、パワハラ的な言動が非論理的であっても、「本人に対しては面と向かって本音が言えず、「しかたがない。逆らわずにいこう」と諦め」ざるをえないという状況が生まれます。その結果、その上司の下での意思決定は非論理的なものとなっていくという悪循環が生じることとなりますが、私見ではこうした環境は伝統的な日本企業や官公庁に特徴的ではないかと思います。

誤解を恐れずにいえば、中小企業の業務ではそれほど厳密な論理構成は求められないとしても、大企業や官公庁では関係者が多方面に及ぶために厳密な論理構成による業務遂行が求められることが、その要因ではないかと思います。つまり、大規模な組織において「論理的」なるものは、実は誰にとっても都合よく読める程度には玉虫色のものにせざるを得ないわけでして、その玉虫色の決着を有利に形成する際には、「あるときは徹底的に論理的に、あるときは表向き論理的に」という使い分けが有効ということになります。

そしてこの状況で最も事を有利に進めることができるのが、まさに論理的と非論理的を使い分けてパワハラを駆使するクラッシャー上司であり、だからこそクラッシャー上司は高評価されて出世もするのですが、その結果として、一見論理的に見えてもその実上司が自分の思い込みで判断した結果にすぎないということが頻発し、その組織における「論理的」なるものが内実を失っていくのではないかと思います。というか、大企業病とか役人病というものの大半はこれで説明可能ではないかとも思うところでして、この国の意思決定をまともな方向へ進めたいと思う方々は、まずパワハラを駆使するクラッシャー上司という社会的害悪を何とかしないといけないのではないでしょうかね。
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