2017年07月04日 (火) | Edit |
相変わらず乗り遅れ気味ですが、一部では障害者のLCC利用の是非をめぐって議論が盛り上がっているとの由。公的セクターの中の人としてみてみると、経済合理性と普遍的社会サービスの両面を追求しなければならない公共(交通)機関のジレンマが集約された問題のように思います。公的セクターの所得再分配機能の貧弱さが問題であるとすれば、それはその財源が貧弱であることの裏返しであって、それは公的セクターに経済的合理性を求めるあまりに、その拠出である増税への忌避がもたらした社会を反映したものといえます。

これと同様に、LCCが経済的合理性を追求すれば、その名のとおりローコストキャリア(Low-cost carrier)として差別価格により低サービスを低料金で提供することにより、それを選好する顧客を取り込むというビジネスモデルが成り立つとしても、公共交通機関としては、「選別的」の対象語としての「普遍的」な意味で、社会サービスとして安全の確保や交通弱者に対する配慮が求められるわけです。その線引は結局、その社会がどの程度の安全や配慮を「普遍的」に求めるかによって決まることになり、明確に決めることはほぼ不可能だと思います。

今回の件で障害者の行動とLCCの対応それぞれを批判する立場では、その依って立つ社会のあり方自体が異なるため、水掛け論に終止してしまっているように見受けます。障害者の行動を批判する方が思い描く社会では、サービスしてほしければその受益者がそれ相応のコストを負担することが求められているのでしょうし、一方、LCCの対応を批判する方(障害者に対する批判を批判する立場もこれに含みます)が思い描く社会では、LCCが障害者が利用するにあたって必要なサービスを提供しないのは公共(交通)期間として不公正な対応とみなされ、そのコストを会社が負担することが求められていると思われます。

では、どちらの認識が現状を捉えているかというと、2006年に採択されて2008年に発効された障害者権利条約に合わせて、障害者差別解消法が施行され、障害者自立支援法が改正されて障害者総合支援法が施行されています。この現状においては、公共交通機関が「合理的配慮」をしないことは許されないと解するのが妥当でしょう。

とはいえ、その「合理的配慮」を実施するためにも、人件費やら設備費やらのコストがかかるわけでして、そのコストを賄う財源をどうやって調達するかまでは明確な規定があるわけではありません。そのコスト(障害者が事前連絡するというコストも含みます)の負担について、受益者である障害者当事者が負担すべきとする立場と、会社が負担すべきという立場がそれぞれのお好みの社会像を基に論争するのですから、水掛論に終止してしまうのもやむを得ないのではないかと。

つまり、ここで対立しているのは、障害者に対する合理的配慮の要否ではなく、障害者に対する合理的配慮は、経済合理性を追求することによりカットするべきコストなのかどうか、もしカットすべきではないと判断された場合に誰がそのサービスに要するコストを負担するのかという、コストの範囲とその負担の帰結に対する考え方ではないかと考えます。

こうした財源問題といえば所得再分配政策に行き着くわけですが、LCCで障害者が自由に搭乗できないのはけしからんとして、国が必要なコストを賄うべきだという議論もあるようです。とはいえ、LCCは経済合理性を追求して低価格に抑えることに存在意義があるはずでして、その利用者にとっての低価格を維持するために他の国民の富の一部を投入するというのはいかにも筋が通らない話ではありますが、まあそれを主張するのが左派と呼ばれる方々の流儀のようですから、それはそれとして主張自体はご自由にというところですね。

まあこれは公共交通機関とはいえあくまで私企業の話ですから、その財源は営業による収益で賄うべきでしょうけれども、所得再分配政策については、より繊細な議論が必要だろうと思います。

公共政策は繊細な議論ですので危険ではありますが、あえて模式化してみると、再分配や雇用・労働の制度に関する問題をAとして、Aの制度にまつわる問題をどのように解決すべきかという議論をしているのが拙ブログのスタンスでして、そのための財源の制度に関する問題をBとすると、本エントリで書いたような制度の裏付け(交渉と取り決めによるフロー支出はフロー財源で賄うという原則)を踏まえつつ、Bについては増税の必要性があると考えています(その理由は本エントリや上記エントリの参照先をご笑覧ください)。

(略)

私はBの議論に特化してその是非を論じているわけではありませんので、Aの問題が解決なり改善するのであれば、Bに関して増税にこだわるものではありません。そもそも増税が景気後退させることまで否定していませんし(中里先生がおっしゃるナローパスが重要だと考えています)、増税と現物給付との差引においていかに安定的に社会全体の消費を確保するかという経路が制度によって担保されることが重要と考えています。つまり、現状において制度による裏付けが弱いAとBの紐付けをいかに強化するかという点が私の関心なのですが、世の中にはBさえ何とかなればAは自動的に改善するとお考えの方がいらっしゃって、もしかするとそっちの方が多数派だというのが実態なのでしょう。

「制度をどのように変えるべきなのか(追記あり)(2016年12月31日 (土))」
※ 以下、強調は引用時(者)。

というようなことを考えていたところ、権丈先生が「子育て支援連帯基金」なるものを提唱されていました。

 その時、財源はどう調達するのか。先にも述べたように、医療、介護、年金保険の将来の給付水準は、将来の労働力の量と質に依存する。ゆえに、これら三つの制度にとって、次世代育成、子育て支援施策が極めて重要になってくる。だから3者が連帯して応分の責任を引き受け、子育て支援連帯基金に拠出することにより支える──という考え方もあっていいようにも思える。
 それは今後、消費税を予定通り引き上げ、さらにはその後も引き続き財政が健全化するまで税の問題を直視していく姿勢と矛盾する話ではない。ただ、現下の政治状況では、子育て費用の社会化が税財源をもとに進むのを待っていては、その間に高齢期の社会保障への攻撃が強まるのみならず、子どもたちへの投資が過少であり続け、そして少子化も進みかねない

「年金・医療・介護で「子育て基金」 老後を左右するのは次世代」『週刊エコノミスト』2017年7月4日号


しかも、自民党の小泉進次郎議員が中心となって取りまとめた「こども保険」について、「財源調達のあり方を検討するというのはうなずける 」と一定の評価をしていらっしゃっていて、これは正直なところ驚きました。

hamchan先生も紹介されていましたが、東京新聞の記事ではもう少し権丈節が顔をのぞかせています。

 少子高齢化への対応策として、小泉進次郎氏ら自民党の若手が提案した「こども保険」構想が注目を集めています。これをサポートする形で、権丈善一慶応大商学部教授は同党特命委員会で公的年金、医療保険、介護保険の三つの制度から拠出する「子育て支援連帯基金」創設の話をしました。子育て支援策の財源確保はどうあるべきか考えました。

(略)

権丈 僕は説得力を高めるためにそう言ったのではなくて(笑)、単なる制度上の事実を言っただけ。構想自体は簡単な話で、公的年金保険、公的医療、公的介護という、主に人の生涯の高齢期の支出を社会保険の手段で賄っている制度から、自らの制度における持続可能性、将来の給付水準を高めるために子育て支援基金に拠出し、この基金がこども子育て制度を支えるという話です。
 よく、子育て支援は、本来、税でやるべきだという声もあるけど、「本来」とか「そもそも」に続く話で、世の中、役に立った話は聞いたことがない

「子育て支援の財源、誰が負担? 上坂修子論説委員が聞く」(東京新聞 TOKYO Web 2017年6月24日)


こうした提言に至る背景には「現下の政治状況では、…子どもたちへの投資が過少であり続け、そして少子化も進みかねない」という危機感があって、それは私も共感するところですが、「「本来」とか「そもそも」に続く話で、世の中、役に立った話は聞いたことがない」とまで言い切る権丈先生は、ここで勝負に出たのかもという印象です。私が上記で書いたような「筋が通った」話が通る政治状況ではなく、そのままである限り財源が調達されることはないという現状において、保険の紐付けを基金という形でいったん断ち切るというのは一つの方策だとは思います。

つまり、社会保険に財源を求めつつ、その保険料に貼り付いた給付の請求権をいったんチャラにしたうえで、その使途を子育て支援連帯基金として主に現物給付により制限するというのは、制度として成り立つ考え方だろうと思います。特に、保険料に貼り付いた請求権をいったんチャラにする点で、自民党の委員会が提唱した「こども保険」とか、拙ブログで諸賢のみなさんと議論させていただいたような年金を狙い撃ちにした保険に比べても、その弱点が幾分解消されるだろうとも思います。しかし、保険料から拠出した財源を基金化するというのは、保険財源の流用に当たるのではないかとか、保険請求が想定を超えた場合のリスクヘッジなり再保険制度の構築など、その実現に当たって制度上検討すべき課題はいろいろあると考えます。まあ最終的には、その検討に要する制度設計の困難さと増税することの政治的困難さを比較してどちらが実現可能性が高いかという判断によることになるのでしょうけれども、私にはなかなか先が見通せないイメージがあるというのが正直な感想です。
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2017年07月02日 (日) | Edit |
テレビでは大都市選挙の狂騒ぶりが面白おかしく報道されていますが、その地方自治体職員にとっては前々回エントリで取り上げた地公法改正がけっこうなインパクトを持っているもののいまいち盛り上がりませんね。

というところで、先週の総理の働き方改革についての発言が一部で問題とされていたようで、上西先生の重厚な反論と提言を拝見しました。

 最後に1つ、提案をしたい。
 安倍首相は座談会の時から、このイケアの事例に強い関心を示している。強い関心を持っていたからこそ、講演でもこの事例を取り上げたのだろう。
 このイケアの事例は、上記【反論4】に記したように、有期労働契約から無期労働契約への変更を含んでいるという点が重要だ。
 なぜなら非正規労働者(その多くは有期労働契約)は、処遇が低いという問題だけでなく、雇用が不安定であるという問題を同時に抱えているからだ。
 また、その2つの問題は絡み合っている。処遇が低いことに不満があっても、「声をあげれば契約の更新がされないかもしれない」という恐れから、声をあげることが難しい状況に、非正規労働者は構造的に置かれている。
(略)
 さしあたり、研究会の設置も法改正も必要とせずにすぐに行えることがある。
 有期労働契約で同一の使用者との間で反復更新されて通算5年を超えた場合、有期契約労働者の申込みにより、期間の定めのない労働契約(無期労働契約)に転換されるという「無期転換ルール」による無期転換権が、改正労働契約法によって2018年4月1日から発生する。
 そのことを安倍首相には、率先してPRしていただきたい。使用者には不当な雇止めをすることがないように、また労働者には積極的に権利行使するように、呼びかけていただきたい。
 賃上げには強いメッセージを出してきた安倍首相なのだから、無期転換にも強いメッセージを出すことはできるはずだ。

上西充子「安倍首相の「非正規のときにはなかった責任感」発言を「批判する方がおかしい」とする菅官房長官への反論」(Yahoo!ニュース 6/30(金) 14:01)
※ 以下、強調は引用者による。


やたら長い記事(人のことはいえませんが)ですが、安倍総理と菅官房長官の発言に反論しつつ、労契法の無期雇用規定が2018年4月1日から適用されることをPRすべきという比較的穏当な提言に収まっていて賛同する点は多いものの、後述するとおり法律で職務と責任で任期や給与などの処遇に差を設けると規定している公務員の世界もあるわけでして、話はそう単純ではありません。

上西先生は上記の記事の中で

 ここでは「やる気」が「大きく変わりました」と語られている。しかし、従来の働き方では「やる気がなかった」とは語られていない。
 また、ここで言う「正社員と同じ待遇」とは、給与面だけでなく、上記(C)の発言に見られるように、「有期から無期の契約に変わった」という変化を含んでいたことも見過ごすことはできない。
 安倍首相が進めようとしている「同一労働同一賃金」政策では、有期から無期への転換(非正規労働者の正社員化)を進めることはねらいとして掲げられていないが、この女性の場合は、賃金などの処遇の改善と、有期労働契約から無期労働契約への転換が同時に行われた例外的な事例なのだ。この点については、後述の【反論4】で改めて触れる。
 まとめると、この女性の場合、確かに短時間正社員に変わったことにより、責任のとらえ方ややる気に変化は見られたようだが、従来のパートの時に責任感がなかったとか、やる気がなかったとかと語っているわけではない

上西充子「安倍首相の「非正規のときにはなかった責任感」発言を「批判する方がおかしい」とする菅官房長官への反論」(Yahoo!ニュース 6/30(金) 14:01)


とおっしゃるわけですが、それはあくまで労働契約により働く労働者としての意識の話であって、労働契約の一方の当事者である使用者からすれば、労働契約の内容を改善した以上、その対価としてより一層の「責任」を求めることも無理からぬことです。

今回の地公法改正でも、常勤を要する職とそれ以外の職を区分する基準は職務と責任とされていまして、その具体的な基準は、期間と(1日当たりの)業務量であるとされています。したがって、地公法で想定している常勤と非常勤の区分は、職務と責任によって期間と業務量が決定されるという理路を前提としているわけで、その具体的な内容としてはこの報告書を踏襲することになります。

Ⅱ 基本的な考え方
④ 職員の任用については基本的には各地方公共団体において判断されるべきものであるが、その際には、就けようとする職の職務の内容、勤務形態等に応じ、「任期の定めのない常勤職員」、「任期付職員」、「臨時・非常勤職員」のいずれが適当かについての判断が必要となる。特に、今回提案する一般職非常勤職員制度の新たな仕組みにおいては、その職務の内容や責任の程度は、 任期の定めのない常勤職員と異なる設定とすべきである。

「地方公務員の臨時・非常勤職員及び任期付職員の任用等の在り方に関する研究会報告書(平成28年12月27日)」(PDF)


ふむふむなるほど、新設される一般職非常勤職員である会計年度任用職員は、職務と責任は任期の定めのない常勤職員と一緒にしていけないとおっしゃるわけですね。ところが、地公法で職務と関連して責任を定義しているのは第24条の給与原則のみでして、その帰結として、地方公務員に関しては常勤と非常勤の職員との「同一労働同一賃金」は現行の法律上は不可能ということになります。

ということで24条に関する逐条解説を確認してみますと、

…ここで「職務に……応ずる」とは職務内容の難易あるいは複雑さの程度に応じて差をつけることであり、「責任に応ずる」責任の軽重によって差を設けることである。職務といい、責任といっても、実質的には同じことを指しているといってよいであろう。この職務給の原則の趣旨は、できるだけすみやかに達成されなければならないものとされている(本条2)。この規定は地方公務員法が昭和25年に制定され、その当時は我が国の経済は未だ安定せず、生活給の考え方が支配的であった事情を反映しているものである。経済が安定し、国民全体の生活水準が著しく向上した今日では、この本条第2項の使命は、既に達成され、職務給の原則をいっそう強く貫徹すべき時代となっていると考えられる
 職務給の原則は、具体的には各給料表における級の区分によって実現されている。たとえば、9級は部長、6級は課長、4級は課長補佐というように(第25条の〔解釈〕3(1)参照)、職に応じて給料の級を異にすることによって職務給の原則を具体化しているのである。各級内の号給の区別は、生活給の要素を考慮したものであると同時に、同一職務における能率の向上に対応するものであるから、ここにも職務給の原則が一部反映されているといってよいであろう。(略)このように、現行制度の下では、職務給の原則が主であり、生活給の要素は従たる地位を占めている

橋本勇『新版 逐条地方公務員法 第3次改訂版』pp.357-358


ということで、「職務と責任」は実質的には同じという抱き合わせ販売をしているわけです。

余談ですが、この部分で「国民全体の生活水準が著しく向上した今日では、この本条第2項の使命は、既に達成され、職務給の原則をいっそう強く貫徹すべき時代となっている」としているのは、職能資格給が普及する前の1960年代ころであれば、政府や使用者側が推進していた職務給についての説明として妥当でしょうけれども、実際にはその後職能資格給が広く普及し、それが日本型雇用慣行として労働法全体の規範になって現在に至っていることからすると、いかにもお為ごかしな説明ではありますね。

余談ついでに、この職務給の原則の趣旨を説明した部分では、

  給与は職務と責任に応ずるもの、すなわち、地方公共団体に対する貢献度に応じて決定されなければならないとする原則である。これに対立する考え方として生活給の原則(給与は勤労者の生活の維持に必要な額を決定すべきであるとする原則)がある。給与は、勤労の正当な対価であることおよび労働力の継続性を維持するためのものであることを考えると、給与が生活の資として労働力の再生産を賄うに足るものでなければならないとする考え方も説得力のある見解であろう。我が国の場合も、戦後の経済の混乱期には民間の資金はもとより、公務員の給与も生活給の色彩が濃厚であった。その後、経済の発展と賃金水準の上昇につれて職務給、職能給の考え方が強まり、公務員についていえば、昭和32年の給与制度の大改正によって、それ以前の通し号俸的な給与体系が等級別の給与制度に改められたことに伴い、職務給の基礎が確立され、法律が要請する原則に適合する制度となって今日に至っているということができる。

橋本『同』p.352


とのことで、電産型給与体系からの転換を図るための職務給の原則だったものの、昭和32年の改正後に結局実現したのは職能資格給だったということでしょうか。

閑話休題。今年5月に成立した改正地公法では、第24条の規定の改正はありませんでしたので、この職務給の原則は文言上変わっていません。したがって、その内容は前々回エントリで指摘したような「会計年度任用職員の新設による常用代替防止の強化」ですので、冒頭で指摘した基準によって常勤を非常勤を区分することとされています。

地方公務員法の有権解釈として参照されている逐条解説において、「職務といい、責任といっても、実質的には同じことを指しているといってよいであろう」と断言されている地方公務員については、職務と責任はセットで考えられているわけでして、職務と責任によって給与を区別されている地方公務員が「同一労働同一賃金」で給与水準が等しくなるためには、職務と責任もセットで変わらなければなりません。とりわけ給与水準が上がるならば、その根拠となる職務と責任についても「難易と複雑さの程度」が上がらなければならないということになります。

という次第ですので、もしかすると今回の総理の発言は、普段ご自身の周辺で業務に当たる国家公務員を見ているために、こうした職務と責任をセットとした「任用」の理屈に感化されたのかもしれませんが、まあそんなこたぁない。むしろそれは、上西先生が指摘されるように公務員の世界が民間に先駆けて職務分離を率先していることの現れでして、それに違和感を感じることそのものはまっとうだろうとは思いますが、法律に規定されているものは運用ではいかんともし難いところです。公務員の世界が率先する職務分離が浸透するのか、民間の後を公務員が追うのか、興味深いところではあります。