2017年04月16日 (日) | Edit |
さて、再び1か月以上間が空いてしまい、過労死認定レベルの超過勤務ですっかりネタが貯まってしまっていたところではありますが、実はこの間に私淑している某先生にお会いする機会があるなどありつつも、この社畜ライフの中ででいろいろと考えたことがありましたので、忘れないうちにメモしておきます。

というのは、その過労死認定レベルの超過勤務が許容される日本型雇用慣行では、その大きな特徴としてOTJ挙げられるところでして、今更ではありますが、そのOJTが日本型雇用慣行における長時間労働の根源ではないかと思うわけです。もちろん、こうした指摘はこれまでにもhamachan先生や海老原嗣生さんをはじめ、日本型雇用慣行の実態を踏まえた議論をされている方々から散々されていたものではありますが、「働き方改革」をめぐる議論を見ていていると、その辺は華麗にスルーされているのだなあなどと思うところです。まあ簡単に言えば、現在の長時間労働を削減しなければならないとなったときに、どんな業務が真っ先に削減されるかと考えれば、自分以外の従業員に業務を教えたり指導したりする業務だろうと。

日本型雇用慣行はメンバーシップ型だからとか欧米ではジョブ型だからとか単純な切り分けはできないとしても、大雑把に言えば、「白地の石板」たる無垢な新卒採用による正規労働者が基幹業務を担うメンバーシップ型と、ある程度の職業能力を前提に入職するジョブ型を比較すれば、入職後にその職業能力を高めるための労力は前者の方が多く必要となるはずです。つまり、「白地の石板」が職務遂行能力を身につけていっぱしの業務を担える「メンバー」になるためには、通常の労働時間に加えてその職務遂行能力を身につけるための追加的な労働時間が必要となる場合が多くなるわけです。

この点不利だと言われるのが、結婚前なら気を遣って時間になれば早く帰れと言われ、結婚して育児が始まると否応なく早く帰らなければならない女性労働者であったり、何らかの事情や疾病などの影響により、8時間を超えて(場合によっては8時間以内でも)就労することが難しい障害者や難病患者であって、そのために就労支援などが行われているのですが、hamachan先生の言葉をお借りすると、その就労支援はあくまで追加的な「第2次ワークライフバランス」でしかありません。日本型雇用慣行で必要とされる職務遂行能力そのものには全く手がつけられておらず、従ってその習得に必要な労働時間が組み込まれた正規労働者の「第1次ワークライフバランス」は相変わらず長時間労働を前提としたままとなっています。

結局のところ問題は、正規労働者の「第1次ワークライフバランス」が実現できない要因であるところの職務遂行能力の習得のための追加的な労働時間と、主に正規労働者とはみなされない「第2次ワークライフバランス」で支援されている追加的な労働時間短縮が対応していない、言い換えるなら、メンバーシップ型のメンバーとなるためには労働時間短縮による「第1次ワークライフバランス」なんかやれるはずがないという点にあります。そして、正規労働者の「第1次ワークライフバランス」が実現できないまま労働時間短縮が強制されたときに、肝心の職務遂行能力の習得に必要な追加的労働時間が削減される可能性が高く、そのことに危惧を抱くメンバーシップな正規労働者(その中にはなんとか正規労働者として認められたいと考える女性労働者や何らかの事情により長時間労働しなければキャッチアップできない労働者も含まれるでしょう)からは、労働時間削減に対する反対の声があがるという、何重にも倒錯した事態が生じることになるのでしょう。

このような現実を前にしてどのような実務的対応が可能なのかは、我々のような現場の下っ端労働者が考える羽目になるわけですが、現状に対する慣性の力というのは想像以上であることが多いわけでして、「働き方改革」の前途は多難と言わざるを得ませんね。

(2017/04/19追記)
このエントリをアップしたタイミングを計ったかのようなエントリを発見しましたので、こちらに貼っておきますね。

理由1: 一定の知識と技術がなければ、NZではプログラマになれない

まず、「プログラマ」という職業に求められる要素が、日本とNZでは大きく異なる。

日本では、学問的なバックグラウンドや経験の有無を問わず、誰でもプログラマになれる。文系出身で1行もコード書いたこと無いけどプログラマになりました、という人は珍しくない。また、人材派遣の世界では「簡単な研修を受けただけで経験1年のプログラマとして派遣された」なんて話もある。
(中略)
一方でNZでは、情報系の学部を卒業していなければプログラマになるのは難しい。また卒業しているだけでは不十分で、企業でのインターンを中心に、ある程度の経験を積む必要がある。採用の過程では、NZ国内の学生だけでなく、世界中からやってくる移民たちとの競争にも勝ち抜かねばならない。

(中略)

まとめ ー 技術を磨けば定時で帰れる! ー

NZのプログラマが毎日定時で帰れるのは、必要な知識と技術を身に着けており、かつ企業がそのスキルにじゅうぶんな給与を払っているからだ。NZの社会や文化に関係なく、残業せずに仕事が終わるのには、それなりの裏付けがあった。

これは、とても希望の持てる結論だと思う

日本に住んでいても、技術さえあれば毎日定時帰りの生活を手に入れることができるのだ。

残業がなかなか減らないのは、あなた自身の技術力が不足しているか、もしくは、技術に見合った職場で働いていない可能性が高い。

「ニュージーランドのプログラマが毎日定時で帰れる本当の理由(2017-04-17)」(NZ MoyaSystem

こちらのブログ主さんは「まとめ」の部分で「これは、とても希望の持てる結論だと思う」と指摘されていますが、「白地の石板」として新卒で入職してから日本型雇用慣行で働いている我々にとってみれば。むしろ希望どころではなく絶望しかないような気もします。

まあそれはそれとして、入職した時点でそれなりのスキルを持った労働者が仕事をすれば、当然のようにはじめから仕事は効率的に進むでしょうけれども、日本型雇用慣行はそうした効率性ではなく、仕事を知らない新卒学生上がりが試行錯誤する中で経験を積むことに重きを置いているわけです。つまり、非効率な試行錯誤のために労働時間を費やし、その試行錯誤の経験が職務遂行能力として評価されて職能給が上がっていくというのが日本型雇用慣行である以上、試行錯誤する時間を有することこそが正規労働者としての資格を意味します。

そしてその試行錯誤の結果、運良く効率的な業務の進め方が構築されたならそれはそれでラッキーですが、場合によっては試行錯誤の結果が極めて非効率的なやり方になる可能性もあります。そしてその非効率なやり方が一度定着してしまうと、そこには制度の慣性の力が働いてしまい、次の担当者はそのやり方を改めるために新たな試行錯誤を繰り返し、さらに次の担当者がその試行錯誤を再現しつつそのやり方を身につけていく…という無限ループをこなして初めて、正規労働者として認められていくことになります。時間がいくらあっても足りないわけです。

さらにいえば、上記エントリで

あるエンジニア情報サイトが実施した「残業に関するアンケート」では、「残業する主な要因」として最も多かった回答は「残業費をもらって生活費を増やしたいから」で、「非常に当てはまる」「やや当てはまる」の合計が34.6%だった。*1

という記述があり、その参照先を見ると確かに、

 エンジニア情報サイト「fabcross for エンジニア」は3月2日、会社員・公務員1万145人を対象にした「残業に関するアンケート」の調査結果を発表した。調査期間は2017年1月12~19日。

 調査によると、「残業する主な要因」として最も多かった回答は「残業費をもらって生活費を増やしたいから」で、「非常に当てはまる」「やや当てはまる」の合計が34.6%だった。次いで「担当業務でより多くの成果を出したいから」(29.2%)、「上司からの指示」(28.9%)、「自分の能力不足によるもの」(28.9%)という結果になった。

(中略)

 「日本は残業が多過ぎるか」という問いには77.9%が賛成する一方で、「社会人として成長するためには、残業が必要なときもある」という考えにも52.5%が賛成している。また、「自分の勤めている企業・団体で残業を減らすのは無理だと思う」という考えには賛成が45.9%、反対が20.5%と、長時間労働を認識しながらも、問題の解消は容易ではないという考えが多くを占めるようだ。

1万人に聞いた「残業する理由」、1位は「残業代がほしいから」[ITmedia]2017年03月02日 12時21分 更新

という記事が掲載されていました。残業代がほしいといういわゆる「生活残業」というのも、「賃金の上方硬直性」がある日本型雇用慣行ならではのものでしょうし、本エントリの趣旨を裏付けるように、「自分の能力不足のために残業せざるを得ないが、それは社会人として成長するために必要なものだ」という認識が根強いのも日本型雇用慣行のなせるワザなのでしょう。

さらに問題を難しくしているのは、そうした残業に対する認識が根強い状況においては、取引先から「こんなんじゃ使い物にならないからもっと勉強してくれよ」とエキストラな対応を求められても、「社会人として乗り越えなければならない貴重な成長の機会だ」などと美化されてしまうことになり、結局お互いがそれを押し付け合うことで際限のない残業が発生してしまうという状況です。制度というのはその趣旨を超えて都合のいいように活用されるのが常でして、誰かが抜け駆けすればそれがスタンダードになっていくわけですから、「働き方改革」によって日本型雇用慣行を改めるとしても漸進的に進めるしかないだろうと思います。その過程では悲喜こもごもありつつも、その方向性が示されただけでも大きな前進と捉えて、しゃかいじんとしてせいちょうしていきたいとおもいます(棒)
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