2016年08月15日 (月) | Edit |
既に旧聞に属する通り、何回か取り上げていた都知事選が誰得な結果に終わりましたが、その感想戦がいろいろ出されている中で、拙ブログで取り上げていたやまもといちろう氏の記事がアップされていたので、こちらでも簡単に振り返っておきます。

坂本「そこは、私もおおいに反省するところなのですが、借金倍増知事批判にせよ、東京一極集中問題にせよ、増田さんの弱点はだいたいが政策論や哲学のところなんです」

山本「そうですよ。だから、私も増田さんは優秀な学者かもしれないけど、都知事には考え方として全く向いていないだろう、と思っていたわけです」

坂本「はい、そこは正論です。なので、ホームページやツイッター、フェースブックで、しっかりと彼の政策について説明できるようにし、いろんな批判に対しても整合性のとれる形で反論できる仕組みを用意したかったのです。寄せられる質問にはほぼ全部答えました」

山本「しかし、時間がなかった」

坂本「そうですね。山本さんが一連の記事を書いてくださって、逆に言えば政策論のところでの批判が中心だったので、まあ、ほとばしる無能はきつかったですが、ならば、その政策で増田さんの反論をしっかりできれば、政策で困っている都民にとっては増田支持にできるチャンスだったんじゃないかと思いました」

(略)

山本「政策という点でいうと、そもそもその安倍政権自体が与党に返り咲くときのスローガンが『TPP 断固反対』だったじゃないですか。あんまり自民党の選挙で政策を前面に立てると、あとで問題になったりしませんかね」

坂本「はい。政策で勝負するのは本当はリスキーです。増田さんにしたって、東京一極集中を批判してきた人ですから、その人が肝心の都知事になって前言どうするの、っていう整合性は、必ず取らなければなりません

山本「単に政策主張してきただけじゃなくて、増田さんの場合は総務大臣として地方交付税特別枠の創設に深く関与し、現在の東京の法人二税では累計一兆円近い都民の税金が地方経済の財源不足の名目で流れ出たわけですよね。その結果として、顕在化しているだけで8,000人以上の待機児童に4万人あまりの特養待ち老人の列じゃないですか。あの金があれば、ひょっとしたら待機児童の問題はなかったかもしれない。都民としては、都民として納めた税金は都のために使ってほしいと願っていると思いますよ

坂本「そういうお話も踏まえて、政策パッケージを作る時間や要員があれば、もう少し増田寛也さんと自民党公明党でできる都政もイメージしやすいような論点整理ができたんじゃないかと思います」

山本「つまり、増田陣営はかなり本気で政策論で選挙を勝ちに行ったんですね」

坂本「増田さんは知名度もそこまで高くない、演説も岩手県知事経験者の割には必ずしもパッとしない、ならば実績と知識、政策論で勝負する、都民が本当に困っている問題に迫れれば、浸透もできると」

「山本一郎「増田寛也敗戦」で自民党都連は何を反省し、どう立ち直るか(2016年8月12日 22時53分配信)」(Yahoo! JAPANニュース)
※ 以下、強調は引用者による。


いやまあ、やまもといちろう氏が「借金倍増でほとばしる無能」というあまりフェアではない政策論で盛大に叩いたことが、自民党都連にとっても相当な痛手になったとのことですが、かといってそのフェアでない政策論そのものにはあまり言及も反省もないあたりがやまもといちろう氏の持ち味なのだろうとは思います。とはいえ、「増田さんは優秀な学者かもしれないけど、都知事には考え方として全く向いていない」というやまもと氏の指摘に対して、自民都連の板橋区議が「はい、そこは正論です」と答えるというのもなかなか味わい深い光景です。

それにしても、拙ブログでは

地方分権の論議が盛り上がっていた当時は財源が東京に集中する東京問題こそが地方財源論の焦点だったわけでして、東京からの財源配分を声高に主張していた元カイカク派知事の皆さんがこぞって東京都知事を目指すというのは、東京問題を是正するためにその本丸に乗り込むぞ!ということならその意気やよしとしないでもありませんが、上記の浅野氏のような発言を見ていると、その真意がどこにあるのかはよくわかりません。まあ東京都民の方にとってはそんなことどうでもいいでしょうから選挙の論点になるとも思えませんが、地方在住者にとしては元カイカク派知事同士の選挙戦というのも、怖いもの見たさで興味のあるところです。

元カイカク派知事同士(2016年07月02日 (土))

なんてことを書いていましたが、やまもといちろう氏にとってはまさにそれが争点だったわけでして、地元の財源は地元で使うべきという小学生のような論理の根強さにはこれからも十分に注視しなければならないと改めて認識いたしました。
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2016年08月15日 (月) | Edit |
震災後は毎年この時期にお盆のエントリをアップしておりましたが、戦後70年の節目とも重なった去年に比べて、報道での取り上げ方もだいぶ落ち着いてきたようです。

「息子よ、今どこに」 東日本大震災6度目の盆(2016/08/13 岩手日報)

 13日は盆の入り。被災地は東日本大震災から6度目の供養の時期を迎えた。釜石市大只越町の仙寿院(芝崎恵応住職)では12日、同市小川町の平松郁男さん(72)が行方不明の長男聡さん=当時(34)=の冥福を祈った。震災から5年5カ月。「今、どこにいるのか」。強い日差しの中、思いをめぐらせた。

 市内中心部を望む高台にある同寺院。港から海風が吹き抜ける。平松さんは娘夫婦らと本堂奥に安置されている聡さんの位牌(いはい)の前に線香を立て、深く、静かに手を合わせた。大槌町の医院に歯科技工士として勤めていた聡さんは、車で避難途中に津波に巻き込まれたとみられる。その後、火災で焼失した車は発見されたが、どの安置所を訪ねても、会うことはかなわなかった。

 芝崎住職(60)の下で葬儀を執り行い、遺骨を入れる箱には「せめて、気に入っていた物を」と本人の衣服を納め、本堂に安置している。今も週に一度は妻と足を運ぶ。「来年は七回忌になる。お墓に納めなくてはならない気持ちもある」と胸中を語る。

 本堂奥には、震災で犠牲になった同市の身元不明遺骨9柱も安置されている。引き取り手がいなかったり、墓地のかさ上げ工事のため納骨できない遺骨もあり、故人と向き合う場所にもなっている。

【写真=長男をしのび手を合わせる平松郁男さん(左)。被災地は犠牲者を供養する時期を迎えた=12日、釜石市・仙寿院】

(2016/08/13)

早いもので、東日本大震災で命を落とされた方は来年で七回忌となることもあり、特に遺体の見つかっていない遺族にとっては、警察などによる遺体の捜索に期待を寄せるしかない状況があります。このため、地元警察では月命日の集中捜索を継続しています。

家族の願い胸に懸命に 震災5年5カ月で集中捜索(2016/08/11 岩手日報)

東日本大震災から5年5カ月を前に、久慈署(及川哲也署長)など沿岸3署は10日、行方不明者の集中捜索を行った。署員は手掛かりを求める家族の願いを胸に、懸命に活動した。

 同署では、署員6人が普代村と久慈市の計4カ所を捜索。同村馬場野の堀内漁港海岸では、署員4人がとび口を手に岩や漂流物を動かすなど入念に捜索した。

 同署地域課の村上和之警部補(34)は「行方不明者の家族の気持ちに応えたい。捜索を続けていれば、手がかりの発見につながるはずだ」と力を込めた。同署管内の行方不明者は同日現在、同市2人、同村1人。県内は1123人。

 同日は大船渡、宮古の両署でも捜索を実施。11日は釜石署が17人態勢で釜石市の海岸線と海上で捜索する。

【写真=とび口を使い、岩の間の漂流物などを入念に確認する久慈署員=普代村馬場野】

(2016/08/11)

「遺族の気持ちに寄り添う」とか「被害に遭われた方の思いを尊重する」というと聞こえはいいのですが、当然これらの活動には金銭的・人的なコストが必要となります。もちろん、私自身はそうした当事者の意向は最大限尊重すべきと考えていますが、一方では被災した港湾の復旧や新たな市街地の整備が進む中で、捜索が可能な区域は限られてきています。経年変化によって物理的にも遺体を発見することが難しくなることも踏まえると、どこかの時点でその実施方法などを見直す時期も近くなっているのではないかと思います。

熊本・大分の震災では最後の行方不明者が見つかったとのことですが、

熊本地震 遺体は不明の大学生と確認(NHK NEWSWEB 8月14日 18時42分)

熊本県南阿蘇村の崩落した阿蘇大橋の下流で、今月11日に収容された遺体について、警察がDNA鑑定を進めた結果、一連の熊本地震でただ1人、行方不明となっていた阿蘇市の大学4年生、大和晃さんと確認されました。
阿蘇市の大学4年生、大和晃さん(当時22)は、4月16日に地震で崩落した南阿蘇村の阿蘇大橋付近を車で走行していたとみられ、行方が分からなくなっていました。
熊本県などが捜索した結果、阿蘇大橋の下流で10代から30代とみられる男性の遺体が見つかり、今月11日に収容して警察がDNA鑑定を行いました。
その結果、大和晃さんと確認されたということです。
大和さんの父親の卓也さんは、「晃しかないと思っていましたが、少し不安もあったので鑑定で間違いないことが確認できて安心しました。あとは手元に帰ってくるのを待つだけです」と話していました。
熊本県などによりますと、これで一連の熊本地震で亡くなった人は災害関連死と認められた人などを含め72人となりました。

父 卓也さん「これでやっと終わってくれる」

大和晃さんの両親の元には、14日午前11時前、熊本県の担当者から「晃さんと確認された」と連絡があったということです。両親はこれまでほぼ毎日、阿蘇大橋の下流などで手がかりを捜し、乗っていた車も両親などによる捜索で見つかりました。
父親の卓也さんは「鑑定の結果を聞いて、これでやっと終わってくれると安心しました。望むことは晃を引き取って供養するだけです」と話していました。

母 忍さん「どうやって温かく迎え入れるか考えています」

母親の忍さんは「地震から4か月がたって、やっと帰りたかった家に帰ってくる晃をどうやって温かく迎え入れるかを考えています。ただ『お帰り』と言うだけでなく、ふだんの生活とは違った形で迎え入れることができたらいいなと考えています」と話していました。

熊本・大分の震災が内陸の直下型地震であることも理由の一つかもしれませんが、何とかお盆中に遺体を確認できたとのことで、警察をはじめとする捜索関係者のご尽力に敬意を表します。お盆で休暇中の身としても、先祖の供養ができることとその影にある関係者の働きに思いをはせたいと思います。