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2016年06月25日 (土) | Edit |
前回エントリでちらっと触れた伝左衛門先生のtweetがtogetterでまとめられていましたので、こちらに貼っておきます。

伝左衛門 @yumiharizuki12 2016-06-06 03:16:38
リフレ派の本質は、日本の茶会運動。敵は今のところ消費税で、消費税率をゼロにすればすべて良くなると思ってる人たち、ということでよいだろう。
ですよね。消費税を廃止すれば日本経済は回復するんですよねw

伝左衛門 @yumiharizuki12 2016-06-06 03:23:56
日銀が国債をすべて買い取り、名目金利をゼロに抑え込むことが出来れば、自然利子率がプラスとして、フィッシャー方程式から、自然利子率分のデフレが発生する。経済が消費税率ゼロで活性化すれば、デフレでもプラスの名目成長は可能。つまり、元々、インフレかデフレかはどうでもよかったのですw

伝左衛門 @yumiharizuki12 2016-06-06 03:26:38
@myfavoritescene リフレ派が、財政政策で何か具体的提案を、バラバラでなくやってる印象がないんですがw
要するに「税金減らせ、社会保険料減らせ」しか聞こえて来ないのでw

伝左衛門 @yumiharizuki12 2016-06-06 03:33:28
@myfavoritescene だからマネタイズはどうぞやってくださいw
何でもいいから財政政策やれには、あまり賛成しません。内容によります。社会保障充実なら賛成しますが。
クルーグマンを信用するのそろそろやめようという心境です。

「東京財団モデルに不満のある人は、、、」(togetter)
※ 以下、太字下線の強調は引用者による。

その他の細かい部分には思うところもありますが、まあ概ね賛同いたします。一部のリフレ派と呼ばれる方々やその主張を賛同・支持されている(た)方々は、総需要不足こそを最大の問題点と認識し、その原因を消費税率引き上げに代表される重税によって、あるいは構造改革による規制緩和によって、可処分所得が減少したことに求める点でのみ一致しているのであって、その原因さえ克服できればインフレだろうがデフレだろうが実際は関係ないように見受けます。実質の購買力の低下こそが悪なわけですから、それが増税によるものであってもインフレによるものであっても、忌避すべきであることには変わりありませんよねえ。

でまあ、総需要という言葉で連想される支出が個人の耐久消費財とか食費とかになるのは、通常の生活をしている方々にとっては致し方のないことだろうとは思うのですが、人は病気にもなるし不慮の事故で障害が残ることもあるし先天的に重い障害を持って生まれてくる場合もあります。一般的な社会人が決まった日時・時間帯に就労している現代にあっては、親に代わって(の保育を補完して)社会が子供の出産から就学までの保育を確保する必要がありますし、その子供が就労するまでには親はもちろん社会が学習の機会を提供することによって稼得能力のある社会人として成長させなければなりません。さらに、稼得能力が衰えてしまった(を得ることができない)高齢者や障害者にはその生活を保障するために公的な支援が必要となる場合もあります。

これらの財・サービスへの需要も当然総需要に含まれるわけでして、その需要が供給側の未整備や不足によって制限されるようなことがあれば、それも総需要不足の大きな原因となります。その公的支援の供給を第一義的に支えるものが税収であることからすれば、税収を確保して供給体制を整備することが総需要不足の解消につながると考えるのがスジと思われるのですが、いやまあ茶会運動の方にこの理屈が通じるはずはありませんね。

ついでに、上記の引用部分で伝左衛門先生が「クルーグマンを信用するのそろそろやめようという心境です」とおっしゃるように、拙ブログでも「国際経済学者であるクルーグマンは「アメリカン・ケインジアン」な主張から「ソーシャル」な主張まで幅広く論じているのですが、それぞれのモードに限ればそれなりに整合性があるものの、トータルで見るとあちこちで齟齬を来しているように見受けます。特に日本では、どマクロな「「アメリカン・ケインジアン」のしかも金融政策に偏った主張をしてきたために、かえって「ソーシャル」な政策についての日本における理解を妨げてしまったのではないかと思うところ」でして、クルーグマンの言説を見るときには、アメリカ国民向けのアメリカ的「ソーシャル」モードなのか、他国向けのアメリカン・ケインジアン的な「リベラル」モードなのかを十分に吟味する必要があると思います。

まあ拙ブログでもこの読み方を習得するまでにかなりの時間を要しましたし、通常はこちらのブログ主さんのように、

最低賃金制の有害性としてクルーグマンが挙げる具体例はこんな感じ。

  • ファストフードの店長が従業員をクビにして、自分の息子を代わりに使った。(タダで、という意味でしょう)
  • 最低賃金を上げると職が少なくなるので、職探しが長期化する。
  • 非合法な仕事がはびこる。
  • 政府の検査官に賄賂を贈る。
  • 若年労働者の失業が発生する。
  • 一定以上の事業所に最低賃金規制がかかるため、規制を避けるために零細企業が増加する。(非効率になるでしょうね)
こんな感じ。
ほかの教科書と本質的に同じですわ。
読んでみて思ったのは、日本にはクルーグマンのファンが数多いて、クルーグマンによる最低賃金上げの政治的言説を信じ込んで飛びついていたりするので、「きっとクルーグマンの本しか読んでいないからなんだろう」と考えていましたが、私は間違っていましたね。
彼らはクルーグマンの教科書すら読んでいません。
クルーグマンは日本では芸能人と看做した方が良いのでしょう。

「2015-11-28 クルーグマンの教科書も認める最低賃金の有害性」(Maddercloud)

と教科書を読んで理解しようとされるだろうと思います。この『ミクロ経済学』でクルーグマンは、「政府の役人はしばしば下限価格規制の帰結に関する警告を無視するが,その理由は供給と需要のモデルが彼らの関係する市場を満足に記述していないと信じているからか,あるいはもっとありうるのは,彼らがそのモデルを理解していないからだ(p.112)」と最低賃金で規制する政府(役人)を批判していますし、リフレ派と呼ばれる方々の領袖とエースによる岩田・飯田(2006)で「政策当局が経済学の分析を無視することによって、社会に不必要な負担をもたらしている例」とおっしゃるのも、こうした世界標準の経済学の考え方(棒)に則ったものでしょう。

ところで、クルーグマンの『マクロ経済学』にも最低賃金の項がありまして、

 一般的に,拘束力を持つ最低賃金は構造的失業をもたらすものだ.だったらなぜ政府は最低賃金を課すのだろう,と思うかもしれないね.その合理的根拠は,最低賃金は働く人々が最低限の快適な生活様式を維持するだけの所得を得る助けになる,というものだ.だがこれには代価がある.もっとも低い賃金で働いてもいいと思っている労働者たちから仕事の機会を奪うことになるのだ.図15-2は,労働の買い手より売り手のほうが多いだけでなく,最低賃金で働く労働者数(QD)は,最低賃金がなかった場合に働く労働者数(QE)より少ないことを示している.
 ここで注意しておくべきことがある.図15-2で示したように,高い最低賃金が雇用削減効果を持つことには経済学者の間で広い合意があるが,それがアメリカで最低賃金がどう作用するかを示すふさわしい説明かどうかには若干の疑問があるということだ.(中略)だがほとんどの経済学者が,最低賃金を十分に高くすれば構造的失業が生じるということに同意している.
pp.431-432

クルーグマン マクロ経済学クルーグマン マクロ経済学

クルーグマン,P.著/ウェルス,R.著/大山 道広訳/石橋 孝次訳/塩澤 修平訳/白井 義昌訳/大東 一郎訳/玉田 康成訳/蓬田 守弘訳

ISBN:9784492313978
旧ISBN:4492313974
サイズ:B5判 並製 664頁 C3033
発行日:2009年03月20日

※ 太字強調は原文。


汎用性を最優先すべき教科書において自らの見解を書かないのはそれはそれで公正な姿勢だとは思いますが、それによって「教科書嫁」厨を喜ばせるだけになってしまっては教科書の汎用性よりも重大な問題を孕むものと思われます。とはいえクルーグマンは、『マクロ経済学』で「十分に」と絶妙な留保をつけている通り、

Until the Card-Krueger study, most economists, myself included, assumed that raising the minimum wage would have a clear negative effect on employment. But they found, if anything, a positive effect. Their result has since been confirmed using data from many episodes. There’s just no evidence that raising the minimum wage costs jobs, at least when the starting point is as low as it is in modern America.

Liberals and Wages Paul Krugman JULY 17, 2015

「少なくとも現代のアメリカくらいに低い最低賃金からスタートするなら、最低賃金の引き上げがジョブと引き換えになる(失われる)証拠はない」と言い切っていますね。岩田・飯田(2006)のようなおっちょこちょいを巧妙に避けているところこそが「世界標準」ではないかと思うところでして、maddercloudさんの言葉をお借りすればそれがクルーグマンが一流の芸人たる所以でしょう。

真面目にいえば、最低賃金を引き上げることによって労働市場に影響が出るのは、そもそもの賃金水準が最低賃金の網にかかるくらいに低いような低所得国であって、日本やアメリカのような先進国では『ミクロ経済学』のような極端な例は生じないという趣旨で『マクロ経済学』の説明を理解すべきだろうと思います。事ほど左様に経済学の理論やモデルというのは制度などの前提条件で結論が変わるものでして、高橋是清とか石橋湛山とか引き合いに出して現代の日本にそのまま当てはめようとするおっちょこちょいな方々も多いようですが、まあそういうことですね。

(追記)
ぶくまいただいたのですが、

API クルーグマンのモデルも東京財団のモデルと同じく、非現実的だしね。
リンク 2016/06/25

経済学のモデルっていうのは非現実的でもいいからベンチマークを提供するという程度のものではないかと思うところでして、飯田先生もお気軽なライフハックの思考法をオススメされていますね。

 大変便利な「その他」ですが、一つだけ気をつけて欲しいことがあります。それは、重要な項目を「その他」に入れないことです。自分が考えたいと思っている項目を「その他」にいれて、関心度の低い項目とごちゃまぜにしてしまうと、せっかく問題を整理しようとしているのに、意味がなくなってしまいます。まずは、今自分が考えたいことをしっかりと羅列したのちに、「その他」を使うようにしてください。
 余談ですが、本書で登場する思考に関する例が非現実的だと感じるとすれば、その理由の一つは、あなたの興味において重要なものが、本書にとっての「その他」に入ってしまっているからだと考えられます。しかし、あなたと私が一心同体でない以上、これは避けることができない事態です。
p.66

思考の「型」を身につけよう
人生の最適解を導くヒント
飯田 泰之
ISBN:9784022734808
定価:821円(税込)
発売日:2012年12月13日
新書判並製 232ページ 新書380

(略)
そりゃまあ、当面は困らない範囲なら深淵に見える問題をいったん脇においてもいいでしょうけれども、特にマクロの政策はあらゆる利害関係を調整しなければ実施できません。飯田先生が提唱される「思考の型」では、そのいったん脇に置いておいた問題について、現在の経済学が有効な政策を導くことはできないことを自ら示しているものと思います。

「陰謀論とレッテル貼り以外の道(2013年06月15日 (土))」

お気軽ライフハックですべての問題が解決するならそれはそれで素晴らしいだろうと思いますが、「モデルに現実性がない」という批判をされる方の経済学に対する考え方はなかなかに理解しがたいものがあります。

まあ以前は「売文家」を自認されていた飯田先生のライフハックはともかく、経済学におけるモデルの位置づけはマクロ経済学を専門とされている研究者の評価を参照するのが吉かと。

3. 将来の消費税率を変更した時に、経済成長率が影響を受けないことが、「非現実的」だと批判する人もいるらしいが、この仮定は中立的だという意味でリーズナブルだと思う。消費税率(あるいは一般的に経済政策)を変えた時に経済の動きがどのように変わるかということを考え出すと、どうしてもモデルの結果が恣意的になるので、経済政策が経済のパフォーマンスに影響を及ぼさないという仮定をきちんと明示した上で使う限り、この仮定でいいと思う。

4. 例えば、himaginaryさんがこのエントリで、消費税が引き上げられた時に経済成長率が下がる方が「現実的」(ブログのエントリのタイトルでは「もっともらしい」といっている)だと主張して、そのような要素を加えたモデルを考察しているが、こんなもん、現実的でもなんてもない、(もっともらしく見せた)恣意的な議論の好例である。消費税(あるいはVAT)が高い国は経済成長率が長期的に低いというような証拠は見たことがない(あったら教えて欲しい)。いわゆる(経済の構造が比較的似通っている)「先進国」の歴史を見ると、消費税の税率は国ごとに異なっているし、税率も時とともに変化しているけれども、経済成長率が消費税率と強く相関しているような話は聞いたことがない。(長期的な経済成長率が外生の)普通のモデルで考えても、消費税率を上げるとGDPの(成長率ではなく)「レベル」が下がることは考えられるけれども、その効果は一時的であり、成長率は長期的には元の外生的に設定されたものに戻るだけである。日本のデータにおいてこのようなモデルのインプリケーションが正しいかどうかは、期間が短い上に様々な要素をコントロールしなければならないので、良くわからないというのが正直なところだが、消費税率を上げると必ず経済が(長期的に)停滞するような証拠も乏しいと思う。

「Random Thoughts on a Model by Tokyo Foundation (Sunday, June 05, 2016)」(unrepresentative agent)

中立なモデルを「非現実的だ」と批判される方には、「あなたの興味において重要なものが、本書にとっての「その他」に入ってしまっているからだと考えられます。しかし、あなたと私が一心同体でない以上、これは避けることができない事態です」という飯田先生のライフハックをオヌヌメいたします。
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2016年06月21日 (火) | Edit |
まあ自分でもよくわかっていない戯れごとだと思うのですが、需要が不足してデフレになっているというのは理屈としては理解できるものの、そういう事態が引き起こされている理由の説明がいろいろありすぎてなんでもありじゃね?とも思うわけです。総需要が不足しているのはバブル崩壊後に企業の人件費(労働分配率)が低下しているからとか、そのために所得が減ってデフレスパイラルに陥っているとか、さらにデフレで流動性(貨幣)選好が強くなっていて貯蓄に回って消費が減っているとか、政府の緊縮財政によって総需要が減らされているとか。

でまあ、ティンバーゲンなのかマンデルなのかわかりませんが、その定理によればそれぞれに政策が割り当てられるのではないかと思うところ、一部のリフレ派と呼ばれる方々にかかると「金融緩和(利下げ)汁! 減税汁! 財政出動汁! 国債発行汁!」が不動の4点セットになっているようにお見受けします。

浅学非才な実務屋である私にとって、インフレというのは、個々の財・サービスへの需要が高まって異時点間で価格が上昇するというミクロの価格決定過程をアグリゲイトしたものというイメージが強くあります。アベノミクスというか黒田バズーカ砲が発動されて既に3年以上が経過した現時点では、貨幣供給(政府紙幣なのか国債発行で非不胎化なのかわかりませんが)で2%のマイルドインフレを達成するという政策手段の有効性に全幅の信頼を置くわけにもいきません。

というところで、インフレは金融政策でしか達成できないのかと考えてみると、上述の通りミクロでの需要の高まりによる価格上昇のアグリゲーションであるならば、増税でもインフレーションと同じ状態になるように思います。財政出動汁!という方がそれほどまでに財政出動を求めるのなら、その財政によって供給コストが賄われる公共サービスの需要が高まっているはずですから、それに伴って公共サービスの価格としての税率が上がりそうなものです。

なんてことをいえば、ミクロの価格上昇とマクロのインフレの違いもわかっていないというどマクロなご批判をいただきそうですが、消費税なんてのはミクロどころではなくマクロな価格上昇ですし、これまでの税率引き上げ時に将来の増税を予定して駆け込み需要が生じる事実からしても、現状が流動性選好が強まっているという状態であるならば、少なくとも増税までに消費を拡大する効果はあるといえるでしょう。

あるいはインフレ予想があれば流動性選好が緩和されて貯蓄から消費に回ってデマンドプルのインフレになるが、増税はコストプッシュ型だから、たとえインフレと同じ効果があるとしてもけしからん!という方もいらっしゃるかもしれません。その主張の適否はわかりませんが、増税がコストプッシュだというなら確かに上述したような公共サービスに対する需要の高まりによるデマンドプルなんてものはありえないのかもしれません。

さらには、企業は収益を上げなければ人件費を賄えないが、政府は中央銀行に紙幣を刷らせることによってシニョリッジ益を得ることができるので、紙幣を刷ることによっていくらでも公共サービスの財源を賄えるという主張もよくありますね。特にデフレ下では日銀の国債引受で利子負担もなく国債を発行できるので、積極的に国債発行して財政出動汁!という主張も聞かれるところですが、ではOECDでトップクラスの公債費残高をたった20年程度で積み上げてきたこの国で、デフレを解消することもできず、「現金給付・公共サービスの対GDP比がフランスやスウェーデンの6割程度しかない中で、高齢化により高齢者向け支出(年金)がその約半分を占める」状況にあるのはなぜなんでしょうね。というか、政府の歳入としての国民負担率がOECDでも下位グループに位置するこの国で、経済成長で税収が増えたところで貧弱な公共サービスが飛躍的に伸びるはずなどないのですが、それも国債で賄えばいいとおっしゃるならば、リフレーション政策が奏功してマイルドなインフレになった後の国債発行の可能性は持続するとお考えなのでしょうか。

まあそう考える方がいらっしゃるのも気持ちはわからないではありませんが、いやそれにしても賃上げしないから所得が増えず、そのため消費が伸びないのでデフレになるという主張があるかと思えば、デフレこそが悪であってまず貨幣現象であるデフレを解消するために金融緩和汁!という主張もあり、それらを主張される方が口を揃えて増税なんてしたら可処分所得が減少して景気を後退させてしまうからけしからんので財政出動汁!と主張されているようです。私のような凡庸な頭ではなかなか整合性がとれませんねえ。

伝左衛門先生のTwitterがいつのまにか鍵垢になってしまったので直接引用はできませんが、拙ブログでも一部のリフレ派と呼ばれる方々は結局「増税忌避の隠れ蓑としてのリフレ派」だったのだろうと考えております。権丈先生が「構造改革の名の下に、社会保障を抑制しては国民の不安を煽り、彼らの消費を萎縮させておいて、内需主導の成長など起こるはずがない」と指摘される通り、増税忌避によって小さな政府を目指す方向性へ着実に歩を進めているのがこの国の現状であるにもかかわらず、その財源を確保するためであろうが何だろうが増税だけはまかり成らんという強固な信念に支えられた方々が一部のリフレ派と呼ばれる方々ですね。

一部のリフレ派と呼ばれる方々に賛同されていた方の多くはだいぶ雲散霧消したようですが、増税忌避だけは堅持されている方も見受けられるところでして、もはやリフレ派という隠れ蓑を取り払って単なる増税忌避派というのが実態に合っていそうです。増税忌避こそが経済学的に正しいという強固な信念に支えられた彼らにとって、私のような増税容認派は財務省に取り込まれた陰謀脳だから度し難いとして、軽蔑の対象でしかありません。来月の参院選挙では「連合するなら共産党が主張する消費税率引き下げ(廃止)の一択」かと思っていましたが、さすがにそこまでではないものの、すでに2度目の引き上げ延期は既定路線になっていますし、すばらしき経済学的思考の成果ですね!!!(棒)

2016年06月19日 (日) | Edit |
最近は人事ネタが続いていますが、先日のエントリで「日本型雇用慣行に関するこのような思い違いが前提となっているため、個々に見ればそれなりに有効そうな提言もあるものの、トータルではそんな虫のいい話はないよなあとしか思えない仕上がりになって」いる本を取り上げたところでして、では日本の人事は思い違いをしていないかというと、必ずしもそうとはいえないところが歯がゆいところです。いやもちろん、日本型雇用慣行の功罪をきちんと踏まえて実務に当たっている人事もいる、というか典型的な日本型雇用慣行となっている大企業では、その慣行を踏まえていかに日々の実務を円滑に進めるかに腐心しているのが実態です。そうした人事労務担当の皆さんが参考にしている、その名も「日本の人事部」というサイトで、拙ブログでも取り上げさせていただいた中澤二朗さんのインタビュー記事が掲載されていました。といいながら、「日本の人事部」は会員登録しなければ2ページ以降が読めませんが、読めるところだけでも十分に示唆的な言葉が並んでいまして、人事担当は中澤さんが目を見開かされたとおっしゃるこの言葉を肝に銘じるべきでしょう。

―― 著著の『働く。なぜ?』でも触れられていますが、中澤さんが“働くこと”に目覚められたきっかけは、「人生初めての上司」との出会いだったそうですね。

それに尽きます。大江暢博さんという方ですが、姫路で、しかも最初に彼と出会っていなかったら、私はまったく違う人生を歩んでいたように思います。いま振り返ると、よけいにその感を強くします。本にも書きましたが、あれは暮れなずむ仕事帰りのときでした。事務所を出たあとすぐ、夕もやに包まれた溶鉱炉の方角を見やりながら、大江さんは、こう私に問いかけました。「おい、中澤よ。みんな、あんなに頑張っているけれど、本当に幸せに近づいているのかなあ」と。“みんな”とは、他でもありません。4組3交代、昼夜兼行で働いている鉄鋼労働者のことです。あのひと言が、私の目を見開かせてくれました。?

あるべき未来像から「仕事」を考え、「働き方」を語る それが企業社会を支える人事パーソンの使命(前編)[ 1/3ページ ] 新日鉄住金ソリューションズ株式会社 人事部専門部長/高知大学 客員教授 中澤 二朗氏 2016/6/8(日本の人事部)
※ 以下、強調は引用者による。

「大企業は労働者を使い捨てしてけしからん」とか「非正規に置き換えて私腹を肥やしている」とか声高に主張される方の目には入らないでしょうけれども、大企業の人事労務担当は、ヒトの処遇という切れば血が出る現実と日々向き合いながら実務をこなしています

まあもちろん、中澤さんやその上司であった大江さんほどの覚悟と深い考察をもって実務に当たっている担当者ばかりではないでしょうけれども、特に日本型雇用慣行においては、少なくとも原理的には長期雇用を前提として全人格的に人事労務管理しなければなりません。よく言われるように「クビがかかっている」問題で軽率な判断や処遇をしてしまうと、直接的な訴訟リスクのみならず、社員のモチベーションの低下による業績の悪化という影響まで生じるリスクがあります。もちろん経営上は外部的なリスクも大きな影響がありますが、内部的には人事労務管理で対応を誤ると取り返しのつかない事態に陥るわけでして、人事担当にはそうしたリスクをマネジメントするためのノウハウが蓄積されており、その人事労務管理の実務の積み重ねが日本型雇用慣行を形作っているわけです。

その中澤さんも、日本型雇用慣行の例に漏れず人事労務担当以外の業務も経験しながらキャリアを積まれたとのことですが、その経験も踏まえて日本型雇用慣行についてこう指摘されます。

―― 若いうちに異動を重ね、失敗をも織り込みながら、多様な仕事経験を積ませることで知的成熟者を育成する。それを可能にしたのが、長期観察・長期育成・長期雇用の日本型雇用システムでした。しかし昨今、「日本型」への風当たりは強まるばかりです。

そうした風潮の一つに、「日本的雇用は年功序列で時代遅れ」という決めつけがあります。しかし、そうした主張は既に1970年代からありました。それ以降、この国が年功序列から脱皮しようと、過剰なほどに成果主義に傾斜していったことは、多くの方がご存じのはずです。

その歴史的分水嶺は、1969年に旧日経連から刊行された『能力主義管理-その理論と実践-』という本でした。その冒頭では高らかに、「日本はこのままではダメだ。年功主義から脱皮し能力主義に変わらなければ未来はない」とうたっています。その結果、いまや大企業の9割近くが職務遂行能力をベースにした「職能資格制度」を取り入れています。新卒一括採用を入口とし、定年を出口とした年次別選抜管理がそれです。すなわち、すべてが「査定」です。日本的雇用は、単なる年功序列ではありません。日本は、世界に先駆けてブルーカラーにも「査定」を導入した国。職場の実態を踏まえ、歴史の経緯をたずねれば、そうした論調がいかに的外れかは明らかでしょう。

余談ですが、以前、野中郁次郎先生(一橋大学名誉教授)から、こう言われたことがあります。「中澤さん、あなたの先輩たちはもっと仕事していましたよ」と。これは、こたえましたね。そう言われれば確かにそうです。周りには、そういう先輩がたくさんいて、まさに時代と戦っているようでした。前回ご紹介した大江さんも、もちろんその一人です。

(略)

日本型雇用が採用から退職までを丸ごと包含したパッケージであれば、つまみ食いをすることは許されません。修正をする際は、部分最適ではなく全体最適を行う必要があります。つまり、あそこがいい、ここが悪いという批判ではなく、どうしたらいいのか、全体を見渡した上での代案が必ずいるということです。あらためて言うと、まずはあるべき未来像を描く。その未来像に照らして良いものであれば続け、悪いものであれば捨てる。逆に、いま良くないものでも、未来にとっていいものであれば敢然と使う。

あるべき未来像から「仕事」を考え、「働き方」を語る それが企業社会を支える人事パーソンの使命(後編)[ 1/3ページ ] 新日鉄住金ソリューションズ株式会社 人事部専門部長/高知大学 客員教授 中澤 二朗氏 2016/6/15(日本の人事部)

日本型雇用慣行としてのメンバーシップ型を支えるのが職能資格給であることは拙ブログでも何度もしてきしておりますし、それが実態として年功的に運用されている面はあるものの、少なくとも制度上は「職務遂行能力」を査定した結果として運用されているのであって、それを中澤さんは「すなわち、すべてが「査定」」と指摘されています。これも実務の現場で積み上げてきた人事担当者としての矜持が表れた言葉ですね。

その意味で、野中郁次郎先生の「あなたの先輩たちはもっと仕事していましたよ」という言葉は、中澤さんにとって「今の人事担当は先達の作り上げた制度の運用に汲々としていているばかりではないのか? きちんと査定しているのか?」という戒めに感じられたのでしょう。野中先生ご自身も富士電機製造株式会社で人事労務管理を担当されたご経験があるからこそ、こうした言葉をかけることができたのでしょうし、そこには日本型雇用慣行への深い理解がありますね。

この次のページは会員登録しなければ読めないのですが、社会保障と雇用・労働が主な関心分野である拙ブログにはちょっと耳の痛い指摘があります。興味のある方は会員登録してご覧いただければと思うのですが、かいつまんでいえば、個々の企業の人事労務管理はアプリケーションなので企業が自由にカスタマイズして構わないが、文化や風習などによって規定される社会保障などの制度はハードウェアであり、この部分の議論は壮大になるため、その中間の「OSにあたる日本統一の雇用インフラをメンバーシップ型からジョブ型に変えるか」の議論が求められているとします。

拙ブログでは仕事上の問題意識もあってハードウェアの部分の議論をしがちなのですが、現実の職場では、いかにOSに当たる雇用インフラを時代にあったものとするかという問題に向き合わなければならないと思います。それは何も人事担当の専売特許ではなく、働く一人一人の労働者が我がこととして考える必要があります。そのための社会インフラが集団的労使関係のアクターである使用者団体と労働組合なのであって、職場で話し合う場が団体交渉であるはずなのですが、昨今の使用者団体や労働組合の言動を拝見すると、これもまた難しい問題ですね。

2016年06月13日 (月) | Edit |
ということで、前回に引き続いて今年の3月に向けて出版された震災関連本の一つですが、こちらは現役の復興庁事務次官(付記:福島復興再生総局事務局長への就任が6/14発表されました)である岡本全勝氏の編著となります。岡本氏については拙ブログでも何度か取り上げさせていただいているところでして(「岡本全勝」でググると上位に拙ブログのエントリが表示されるのは勘弁してほしいのですが)、その岡本氏は震災発生から1週間後に政府に設置された被災者生活支援本部の事務局責任者に任命され、そのまま審議官を経て2016年6月までは事務次官を務められています。被災された地域のために粉骨砕身ご活躍される姿勢には、心から感謝申し上げるとともに改めて敬意を表するところでして、本書ではご自身が陣頭指揮を執ってこられた官民の復旧・復興の取組が体系立てて整理されており、この5年間の動きを把握することができる内容になっています。

岡本氏がそのような要職に任命された理由についてのご自身の分析は、

 「岡本なら、この危機に対処できるだろう」と考えた人がいたのでしょう。(略)この仕事において、これまでの自らの経験を活かすことができた事項を列挙しておきます。
 私は旧自治省に採用され、自治体の現場を何度も経験してきました。(中略)
 政府では、総理大臣秘書官として霞ヶ関全体を見たことで、様々な指示や以来をどの役所にすれば効率よく動くか、見当がつきました。(中略)
 2001年に行われた中央省庁改革を担った、中央省庁等改革推進本部での勤務も、有用でした。そこで全省庁と付き合い、各省と民間からの混成部隊を動かす経験を積むことができました。
p.35
東日本大震災
復興が日本を変える
―行政・企業・NPOの未来のかたち
編著者名 岡本全勝/編著  藤沢 烈、青柳光昌/著
判型 四六判
体裁 単行本
定価(価格) 2,160円(税込み)
本体 2,000円
ISBN 978-4-324-10127-8
図書コード 5108234-00-000
発行年月日 2016年03月11日

※ 以下、強調は引用者による。

とのことで、自治体から霞ヶ関、民間まで一緒に仕事をしてきたという経歴が被災者支援にうってつけだったわけですね。そのような経歴を生かしてご活躍をされている岡本氏の編著になる本書を批判的に取り上げるのは、再び心苦しいものはありますが、霞ヶ関的に言えば、上記引用部で挙げられている1点目より2、3点目の方が評価されていそうな気もします。特に次のような記述を拝見すると、3点目の省庁改革の経験は、岡本氏の行政機構に関する視点に大きな影響を与えたのではないかと推察されます。

 先に1(1)(273ページ)で述べたように、西欧近代国家は、安上がりの政府から出発しましたが、都市化や産業化による社会問題が発生し、19世紀後半に社会問題に取り組む積極国家、サービス国家に転換しました。さらに生存権を保障することが国家の責任となり、20世紀半ばには福祉国家と呼ばれるようになりました。
 福祉国家は、次に「安心国家」に変化しつつあると、私は考えています。教育、衛生、公共インフラ、福祉など、国民の要望をひととおり充実させたら、違った不安と不満が見えてきたのです。それは先ほど述べたように、古典的なリスクが深化したり再発見されたりしたものや、新しく出てきたリスクです。すると政府の主たる任務が、サービスの提供から、安心の提供へと変化しているのです。

岡本ほか『同』pp.290-291

なにやら頭がクラクラしてきましたが、福祉国家が提供するような社会的インフラとしての社会資本とか各種の給付金や医療福祉などの現物サービスはすでに国民の要望を充実させているから、あとは「安心」を保障するのが政府の役割だとおっしゃるわけですね。うーむ、現金給付・公共サービスの対GDP比がフランスやスウェーデンの6割程度しかない中で、高齢化により高齢者向け支出(年金)がその約半分を占める日本で政府の役割が充足しているというのは、日本国民はなんて慎ましやかなんでしょう!

いやもちろん、岡本氏の主張は政府がすべての国民の要望をかなえるわけにはいかないという趣旨であって、そりゃまあそうだろうと思いますが、では(岡本氏の主張によれば国民の要望はすでに充実されているそうなので、もし仮にではありますが)満たされない国民の要望があった場合はどうなるかというと、例のアレが登場します。

 サービス提供がひととおり整備されたので、サービス提供という視点自体が、時代遅れになっています。これは、サービス提供が不充分で、それを充足するにはどうすれば効率的かという問題意識からの発想です。そのために行政自らがサービスを提供するほか、企業や提供者(例えば私立学校や保育園)に補助金を出し、業界団体を指導しました。これは提供者を育てる発想です。
 すでに提供する仕組みをつくり上げたのなら、これからは、サービスの受け手(顧客)である住民や生活者の立場に立って考えるべきです。例えば、提供者に補助金を出すのではなく、サービスの受け手の人に補助金を出して、サービスを選択させる方法が有効になります(バウチャー制度)。医療や介護の保険制度では、受給者が病院や介護書を選び、一定の負担をしてサービスを受けるという仕組みができています。

岡本ほか『同』p.295

政府の事務方トップからこんな言葉が発せられるとは、ミルトン・フリードマンも草葉の陰で泣いて喜んでいそうです。とはいえ、確かに医療や介護では既にそうした制度もあるにはあるのですが、政府の再分配政策としての介護従事者や保育従事者の低賃金が問題となっている現状を踏まえると、バウチャー制度がその解決策になるというのは私のような実務屋にはあまり想像がつきません。そんな実務屋の見ているようなせせこましい世界ではなく、政府の事務方トップには光り輝く未来が見えていらっしゃるのですね。

当然のことながら、本書の著者の皆さんは岡本氏と共通のご認識をお持ちのようでして、岡本氏のパートではありませんが、日本財団ソーシャルイノベーション本部上席チームリーダーの青柳光昌氏のパートでもこのような記述があります。

 「失われた20年」と言われて久しいですが、NPO法が誕生する前後から、社会の状況も大きく変化をしてきています。経済成長の鈍化と超少子化・高齢化の進展による人口減少などにより、政府の財政状況が切迫してきていました。こうした背景から、行政自身で提供する公共サービスを縮小し、小さな政府を目指す方向性になっていきます。そこで具体的に実現したことは、行政が提供するサービスの民間への外部委託です。この民間には、企業だけでなく、当然NPOも含まれています。NPOに予算を提供し、政府よりも効率的にサービスを提供してもらうことで、小さな政府を実現しようというわけです。先述したように、行政組織は機動性・効率性に欠ける傾向があります。そこで、専門性が高く、機動力のあるNPOへの委託が増加してきました。小さな政府を目指すことは、非営利セクターの発展にとっては、一つの転機であったともいえます。ちなみに、この状況は、日本だけではなく、欧米をはじめとして先進国においてはおおむね同じ傾向でした。
 そのような方針を進めていくなかで、社会的なニーズは増大し、NPOの数もそれに従って増加していきました。一方で、行政の財政が逼迫している状況が、中長期的には好転することはありませんでした。そのため、限られた財源の中で、多様化・増大するニーズに、行政やNPOは今後どのように対応していくのかが課題となっています。

岡本ほか『同』pp.215-216

うむむ、さらに頭がクラクラしてきますね。「失われた20年」では確かに「行政が提供するサービスの民間への外部委託」が進められましたが、そこで進められた「効率化」というのは、公的セクターの業務をより低賃金の労働者に担わせることで低賃金労働化することではなかったでしょうかと小一時間問い詰めたくなってきます。

ただ、私自身も、「「小さな政府」で縮小した事業分野に民間事業者を進出させようという思想が透けて見える」と考えていますので、青柳氏のご指摘は素直に現在の日本の現状を言い表したものといえましょう。そして、岡本氏のような考え方が政府内に浸透している事態こそが、この本から読み取るべき最大のメッセージだろうと思います。安定した収入を確保できなければ、将来の固定費となることが予想される人件費や回収に時間のかかる公共投資を削減しようとするのは民間も役所も変わるところはありません。いつもの繰り返しですが「リスクをプールするために、景気が減退しても国民の消費を下支えするように税金を誰のためにどれだけ使うかということが重要」です。まあこういう話をすると増税忌避という思考停止に陥った方々から一斉に批判をいただくわけでして、その状況を骨身に染みて痛感している政府の事務方トップからすれば、「安心国家になれば、あとは民間で自由にやれるからいいでしょ」と言いたくなるのも宜なるかな。

ということで、福祉国家なんて古くさいものは捨て去って、「安心国家」へ転換して「民間に任せれば万事うまくいく」というメッセージに敏感に反応する方もいらっしゃるわけでして、あのイケダハヤト氏が絶賛されていました。

昨日「国・政府は「最低限」何をすべきなのか?」という記事を書いたところ、助けあいジャパンの野田さんから素敵な記事を教えて頂きました。

被災地から見える「町とは何か」 ~NPOなどと連携した地域経営へ~ 岡本全勝・復興庁統括官(2012/08/31 13:11 【47行政ジャーナル】 )

国家の役割は、サービスの提供から安心の保障へ

記事を書かれたのは岡本全勝さん。復興庁統括官を務める官僚の方です。

(略)

今はとにかく何でも「行政・政治頼み」な構図がある気がしますが、政府がプラットフォームとしての側面を強めていけばいくほど、行政は何もしてくれなくなります。Appleに「こんなアプリつくってよ!」と言っても、Appleが相手にしてくれないのと同じです。サービスを提供するのはプラットフォームではなく、基本的にサードパーティのプレーヤーなのです。

こういう時代になると、「行政は何をしているんだ!」的な批判は意味をなさなくなってくるでしょう。行政が行うべきことは変質していきますし、財政事情も考えると、提供サービス自体も減少していくでしょう。「何をしているんだ!」と怒る暇があるぐらいなら、自分で何かをはじめるべき、という当事者性が求められる社会になるということです。

「「政府のプラットフォーム化」と当事者意識(2012年11月12日)」(まだ東京で消耗してるの?)

なるほど、財政事情があるから政府ではなく国民が自ら行動しなければならないよね行動しないような国民のことなんてしらないよ行動してうまく立ちまわった奴が勝者なのにそれもわからずにまだ東京で消耗しているの?プゲラ …と見えてしまうのは私の心が汚れているからですかそうですか。

いやまあそれにしても素晴らしき「小さな政府」礼賛者同士の邂逅でして、実は本書の第4章は、イケダハヤト氏が「素敵な記事」としてリンクしている47ニュースの記事を加筆修正したものとなっていますので、是非リンク先を開いてそのエッセンスをご堪能下さい(47ニュースでは図表がリンク切れになっていますが、イケダハヤト氏のブログに一部再掲されています)。そして、増税忌避が「行政自身で提供する公共サービスを縮小し、小さな政府を目指す方向性」を促進している現状に思いを馳せてていただきたいと思います。

2016年06月12日 (日) | Edit |
日付が変わりましたが、昨日で震災から5年3か月が経過しました。いま現在の国内の震災と言えば熊本震災になりますが、東日本大震災から5年程度で最大震度7を記録するような直下型地震が発生する地震大国であることを、改めて認識しなければなりません。その熊本震災からの復旧・復興はこれから本格的に動き出さなければならない段階に入りますので、その意味でも東日本大震災の経験を伝えていくことは重要な取組です。

(私の同業者ではないものの)私の周囲に熊本県の現地で支援活動をしてきた方がいらっしゃって、その話を聞く機会があったのですが、東日本大震災とは異なる直下型地震のため、被害の発生状況がまだら模様になっており、通常営業しているコンビニの隣に潰れた家屋が並んでいるなど、支援が必要な人とそうではない人の扱いが難しいという状況もあるそうです。そして、避難所の運営や物資の供給などでは東日本大震災の経験はほとんど活かされてないという印象で、これまでの自分たちの取組は、やはり遠くの土地の方にとっては他人事だったんだなと無力感を感じたとのこと。いやもちろん、私自身も阪神・淡路大震災や中越地震などは他人事に感じていましたし、初めて経験するような非常事態にすべてのことが円滑に進むという方が無理な想定でしょう。さらに、5年という時間の経過も微妙に影響しているかもしれません。

ということで、震災の経験を伝えていき、現時点でその経験がどのような形に表れているかを折に触れて確認することは、被災された地域かどうかに関わりなく重要なことだろうということで、例年3月頃に向けて発行される震災関連本を3冊ほど読んでみました。拙ブログの主な関心分野が社会保障や労働の分野ですので、どうしてもそこに注目してしまうのはご容赦いただきたいところでして、読んだ本すべてで「人材育成」とか「教育」に震災の経験を活かそうとすることが強調されているのが気になりました。まずは前回エントリでもちらっと取り上げた陸前高田市出身の元国連職員による活動報告ですが、

 インフラの復興も、産業の復興も、コミュニティの復興も、それを担うのは人です。全国、全世界から集まってくださった“人”の力、寄せられた“人”の思いで、陸前高田は絶望の深い闇を乗り越え、前に進むことができました。
 そう考えると、これから10年後、30年後、100年後の復興を可能にし世界に恩返ししていくためには、この岩手の地から“人”を育て、世界から“人”を集めることこそ眼目となるでしょう。
 思えば、私が外資の世界や国連でやってきたことの一つも「人事研修」という、いわば教育の仕事でした。それで、2014年4月に岩手大学の地域防災研究センターと人文社会科学部それぞれの客員教授に就任し、あわせてグローバル教育センターのアドバイザーもお引き受けすることにしました。
pp.187-188
陸前高田から世界を変えていく
元国連職員が伝える3.11
■ 著者名: 村上清
■ カテゴリ名:書籍/単行本
■ 発刊日:2016年03月05日
■ 判型:四六判
■ ページ数:224
■ 税込価格:1,620 円(本体 1,500 円)
■ ISBNコード:9784267020476
■ Cコード:0095


※ 以下、強調は引用者による。

「人事研修」が「教育」というのは、英語でいえばtraininingとeducationなのでかなり強引な結びつけではないかと思うのですが、村上氏ご自身も日本型雇用を前提にしている節があるので、ここでいう「人事研修」は全人格的なコミットメントを求める日本的な人材ということのようです。いやもちろん、村上氏ご自身がアメリカでは「ホワイトカラー・エグゼンプション」に該当する働き方をしていたわけで、それがある程度の長期雇用によるスキル習得を必要とする雇用形態であれば、ある程度は日本型雇用慣行に接近するのでしょうけれども、少なくともそれは、特定の「職務」に必要とされるスキル習得のためのtrainingではないだろうと思います。

たとえば、最近自治体が自衛隊での研修を取り入れて一部で批判を受けているようですが、

加東市の新人職員、自衛隊で研修 規律意識向上へ(2016/5/25 05:30神戸新聞NEXT)

 兵庫県加東市の新人職員11人が24日、研修の一環で、小野市桜台の陸上自衛隊青野原駐屯地で体験入隊した。25日までの日程で、屋外での集団行動などを通してチームワークや規律意識の向上に努めた。
(略)
 職員たちは、開講式に続いて、災害時の地方自治体と自衛隊の連携の重要生などについて講義を受けた。その後、屋外グラウンドに移動して、「気をつけ」「敬礼」などの動作を身に付ける「基本教練」に挑戦。隊員から「共に行動することで団結力が強まる」などと指導を受けながら、きびきびと縦列行進した。

「災害時の地方自治体と自衛隊の連携の重要生(ママ)」はまだしも、「「気をつけ」「敬礼」などの動作を身に付ける「基本教練」」は自治体職員の「職務」はほとんど関係ないですね。いやまあ、「公務員の接遇はなってないから厳しく指導されるべきだ」というならまだわからないでもないですが、それを研修する場所が自衛隊なのかというのは大いに疑問です。

本書で村上氏が指摘されるように、復興を担う人材が必要というのはその通りだと思いますし、その取組は学校教育の段階から行われるべきだとは思いますが、役所や企業の「研修」で行うというのは、職務に関係する以外は自己啓発とかボランティアの範疇にどこまで関与するか整理しておく必要があると思います。もちろん、自己啓発やボランティアに積極的に取り組むことで仕事の進め方にもいい影響が出る可能性があり、それを役所や企業が期待して「研修」として実施するということはありうると思いますが、そうであるならその目的をはっきりさせないと、引用した新聞記事のように目的が曖昧な「研修」になってしまうことが危惧されます。

現役の朝日新聞記者が岩手県大槌町駐在として取材した手記では、学校段階の取組が取り上げられています。

 伊藤教育長は1996年から3年間、米・ワシントンで日本語学校の校長を務めたことがある。「人としてどうあるべきか」を教えようとする日本に対し、米では「自分とは何か」に迫る教育をしようとしていた。目からうろこが落ちた。大槌に帰り、子供たちに昔話を聞きに行かせたり、田を一年中借りて農作業をさせたりして、自分の生まれたふるさとを実感させる授業を採り入れた。
 震災を経て、その気持ちはさらに強くなった。「まちづくりは人づくり。今こそ『3.11』まであったふるさとの継承と、新しいふるさとの創生。両方をしっかり教えないと」。
 震災3カ月後、伊藤教育長は武藤美由紀指導主事を教育長室に呼んで提案した。
「『ふるさと科』というのをつくってみたい。教育復興の柱にしたい」
 伊藤教育長は、小中合同の仮設校舎ができるのを前向きにとらえ、小中一貫校にする構想を立てた。9年間を通す軸に、これを据えようと思った。
p.97

理念なき復興 新刊
岩手県大槌町の現場から見た日本
東野 真和 著
ISBN 9784750343174
判型・ページ数 4-6・312ページ
出版年月日 2016/03/11

大槌町内の学校再開については以前取り上げた本が詳しいのですが、「「人としてどうあるべきか」を教えようとする日本に対し、米では「自分とは何か」に迫る教育」というのは大変示唆的な言葉ですね。学校が「社会人」を準備する機能を有するとすれば、「人としてどうあるべきか」は「社会人としてどうあるべきか」ということであって、その「社会人」がメンバーシップ型の日本型雇用慣行を前提とする以上、「メンバーシップとして働くためにはどうあるべきか」に容易に転化していくわけです。これに対して、ジョブ型の働き方を前提とするアメリカでは「自分とは何か」に迫ることで、自分が就くべき「職務」を意識せざるを得ないものと思われます。つまり、自分がこれからどのような形で社会に参加していくかを考える場が学校であり、そのために必要なスキルを身につけるのが学校の重要な機能であるのは日本でも欧米でも共通しているはずですが、その目指すところの違いが、日米の教育の違いに現れているといえるのではないかと。

その「ふるさと科」では、地元の若手自営業者がさんかする「はまぎく若だんな会」が作成した「117選 大槌お宝マップ」を教科書代わりにしているとのことで、内容は郷土料理や伝統行事などがメインのようですが、若手自営業者が自らの職域についても語ることができれば、まさに「職務」を通じて社会に参加する一助となるのではないかと思います。新しい取組が復興を担い、地域を担う人材を育成する新たなルートとなることが期待されます。

ただし、本書もさすがの朝日新聞クオリティで、

 2016年1月、おおつちさいがいエフエムは、3月末で閉局することを正式に決めた。2012年3月から4年間、町民に親しまれてきた。碇川豊前町長当時、国に要望し、災害FM局の経費に国の緊急雇用創出事業の助成金が継続してあてられるようになり、来年度までの予算を確保していた。しかし、平野公三新町長が事業見直しをした結果、「一定の役目を終えた」と判断し、打ち切った。

東野『同』p.161

いやだから緊急雇用創出事業は委託事業であって助成じゃないと何度言えば…。まあ制度のことは知らなくても記事は書けるわけですから新聞記者はお気楽な仕事ですなあなどと嫌みを言いたくなるのをぐっとこらえて、本書の記述自体は、冒頭で筆者が「この本は「税金の無駄だ」と告発する本でもないし、「被害者は可哀想」と同情心をあおる本でもない」という通り、中立的に書こうとしている意思は感じます。とはいえ、特定の立場や団体に肩入れしている雰囲気はかなり感じるところでして、情報源には批判を抑えているのではないかと思われる記述が散見されますので、その点には注意が必要ではないかと思います。

で、3冊目があの岡本全勝氏の編著による本なのですが、…さらに長くなりそうなので次のエントリに続きます。

2016年06月05日 (日) | Edit |
前回取り上げた「そんじょそこらのマネジメント解説書」は、日米で人材コンサルタントとして活動する方の書でしたが、そこでは日米(というか日本とそれ以外の世界)の雇用慣行の違いについて根本的な思い違いが前提となっているという状況でした。では、本場アメリカではジョブ型雇用で問題がないのかといえばもちろん話はそう簡単ではないわけでして、「労働環境を見るとアメリカが日本の後追いをしているようにも見え」たりとか、アメリカで活躍するコンサルが「マネジメントや人材管理の分野で職務記述書によるジョブ型の働き方を徹底的に批判してい」たりとか、むしろ日本型雇用に対する「憧れ」のようなものも感じるところです。

で、Googleの人事制度を紹介した本をしばらく前に読んでいたんですが、あのGoogleですら、どちらかというとジョブ型を徹底するより日本型雇用慣行に近づけようとしているようです。

 研究者や上級幹部が、あなたや周囲の人々を成長させる環境を整えるには、まずその環境に対して責任をとる必要がある。職務記述書に記載されていようといまいと、許されていようといまいと、これは事実である。
p.55

ワーク・ルールズ!ワーク・ルールズ!
ラズロ・ボック著/鬼澤 忍訳/矢羽野 薫訳
ISBN:9784492533659
旧ISBN:4492533656
サイズ:四六判 上製 560頁 C3034
発行日:2015年07月31日


※ 以下、強調は引用者による。

Googleの人事トップが「労働者は経営者目線たれ」というところは、全員が幹部候補となるメンバーシップ型そのものともいえそうです。ただし、さすがにGoogleともなると、ただいいとこ取りをするのではなく、メンバーシップ型雇用らしく長期雇用にコミットメントするような人事制度をとっているとのこと。

 私たちは人材斡旋会社と契約した。だが、そうした企業がこちらの求めるものを理解するのは難しかった。というのも、私たちが雇いたかったのはエキスパートではなく「聡明なジェネラリスト」だったからだ。自分が携わっている仕事を熟知している人より、賢明で好奇心旺盛な人を雇いたがっていることに、人材斡旋会社は当惑した。彼らの混乱がフラストレーションへと移行したのは、私たちがこう主張したときのことだ。殆どの顧客企業がしているように顧問料を支払うのではなく、採用が成立した場合にのみ料金を支払うと。それだけではない。私たちは数十回の面接を要求し、求職者の99%を不採用とし、たいていの場合、求職者が現に手にしている金額よりも低い報酬を提示した。
p.124

 私の知る限り、業績評価や昇進審査にグーグルほど時間をかけている組織は、大学のほかはパートナーシップ的に経営される企業しかない。両者とも、昇進は結局のところ、就寝教授や共同経営者として家族の永続的メンバーになることを意味する。長期的な約束をするのだから、細心の注意が払われるのだ。
p.283

 そんなわけで、「業績不振」の社員を解雇するという従来のやり方とは違う手段をとることにした。私たちの目標は、底辺の5%に該当する全社員に、その事実を伝えることだ。だが、そのときにこんなメッセージを伝えれば多少やりやすくなる。「あなたの成績はグーグル全体でしたから5%です。そう聞いて気分がよくないことはわかります。わざわざ私がそれを伝えるのは、あなたに成長し、向上してもらいたいからです。
(略)
 実のところ、グーグルは採用時に役割に関係した知識をあまり重視しないため、こうした問題には弱い面がある。仕事の進め方を知らない人を雇いたいからだ。ほぼ全員がいずれはそれを理解するはずだし、その過程で「経験済み」の人間よりも斬新な解決策を編み出す可能性が高いと信じているのである。
p.296-297

ボック『同』

最後の引用部は、いわゆるPIP(Performance Improvement Program)に類似した内容だろうと思いますし、PIPそのものの実態は自主退職を促すという面もあるわけで、解雇回避努力義務というまでのものではないかもしれませんが、そうはいっても、本書で引用されているようなジャック・ウェルチ流の「Up or Out」(「down or out」ともいいますね)とは明らかに違う方向を指向しているものといえましょう。

つまり、ゼネラリストを採用して長期雇用しようとすれば、内部で人材を育成しながら昇進させる必要があり、その一方でローパー社員をいちいちクビにしていたら採用コストばかりかかって内部での人材育成の効率も悪くなるため、その育成に資源を投入する必要も生じます。Googleでは外部労働市場のみではなく内部労働市場も重視しているということになり、金子先生が指摘されるような「ジョブ型もまた、クラフトタイプの内部労働市場」ということの現れなのかもしれません。

実は、復興関連で読んだ中で、アメリカでキャリアを積んだ方が被災地支援に当たられた方の本でも、日本型の長期雇用を前提とした異動のメリットが強調されています。

 国連というのは、いわば「人類の議会」です。国際社会の課題を解決し、よりよい世界を築いていくうえで非常に重要な役割を担っています。そのためにも、そこで働く一人ひとりが最優秀でなければなりませんし、よりよい世界を作っていくのだという強い意志を伴っていなければなりません。
p.61-62

 もちろんUNHCRスタッフにもさまざまな国の人がいますが、やはりそういった過酷な現場で生活しながら働くというのは苦しい。豊かな国の人であれば、そのストレスは大変なものです。赴任が長期化すれば精神的にも危機が生じます。
 これを回避するために、一つには公正で適切な配置換えが必要です。もう一つは専門家による精神的なカウンセリングです。これらの人事制度システムを整えなければなりませんが、簡単な話ではありませんでした。
(略)
 ジュネーブやニューヨークのような“良い場所”と、紛争地帯のような過酷な場所では、当然ですが「任期」も変える必要があります。前者が5年なら後者は1年とか2年にしてあげないと負荷が大きすぎます。公正さを保つため、昇格・昇任するためには、厳しい環境での勤務を一定年数やらなければいけないというようなルールも考えました。
 人事の公正なシステムがないと、別の悪い問題も生まれます。地域の人事を決めるレップたちが、能力ではなく情実や縁故で採用をし、自分が選抜した人間を子飼いにして不適切な利害関係が生じかねないのです。上の人間が別の地域に移動すれば、いつのまにか仲間も一緒について回るというようなことも珍しくありませんでした。
p.76-77


陸前高田から世界を変えていく
元国連職員が伝える3.11
■ 著者名: 村上清
■ カテゴリ名:書籍/単行本
■ 発刊日:2016年03月05日
■ 判型:四六判
■ ページ数:224
■ 税込価格:1,620 円(本体 1,500 円)
■ ISBNコード:9784267020476
■ Cコード:0095

著者の村上さんは高校まで岩手県陸前高田市で過ごし、アメリカの大学を卒業して、ジョブ型雇用のアメリカでキャリアを積んだ方なのですが、そのような方であっても公正な人事制度として構想するのは「コンピテンシー」を取り入れた日本型の長期雇用だったわけですね(なお、本書は出版社が気になるところでしたが、少なくとも本書からはあまりそうした雰囲気は感じませんでした)。

まあ、こうした人事制度は法制度もさることながら、組織の業種とか組織形態によって決まる面も大きいわけでして、日本型雇用慣行としてのメンバーシップ型が長期雇用維持するために特化した雇用形態であるならば、長期雇用によるメリットがある企業においては、日本型雇用への接近が見られることになるのでしょう。

2016年06月04日 (土) | Edit |
前回取り上げさせていただいた海老原さんの新著は「そんじょそこらのマネジメント解説書よりも現実に即したもの」でしたが、それでは「そんじょそこらのマネジメント解説書」はどんなものかというと、「日本型雇用だからモチベーションが維持できる」という海老原さんのご指摘とは真逆のタイトルの本があって、内容を見てみると日本型雇用慣行についてのよくある思い違いを前提にして論じていました。

日本企業は労働法によって厳しく規制されており、社員の解雇は非常に困難である。

位置201/3383

日本企業の社員は、なぜこんなにもモチベーションが低いのか?
著者:Rochelle Kopp
定価:本体1680円(税別)
発行日:2015/1/23
ISBN:9784844373957
ページ数:304ページ
サイズ:四六判(mm)
発行:クロスメディア・パブリッシング
発売:インプレス


※ 位置はKindle版の表示によるため、端末の表示方法によって異なります。

もうおなじみの思い違いですが、日本の実定法としての労働契約法には極めて限定的な解雇権濫用法理が規定されているのみであって、いわゆる正規労働者の解雇が難しいのは、使用者側に一方的な超勤命令やら異動やらの強大な人事権が与えられていることとの均衡を確保する必要があるからですね。そうした労使間の「バーター」が存在しないジョブ型雇用においては、労働者の解雇はそのスキルとジョブとの関係で行われるわけでして、本書でもそのような事例が紹介されています。

 更にネットフリックスでは、過去に優秀な業績を上げていても、現在組織が必要としているスキルを社員が持っていない場合、その社員を解雇することも必要であるとしている。パティ・マッコードはネットフリックスの簿記係であったローラを例に挙げて、この状況を説明している。彼女は「頭脳明晰で勤勉で創造性のある」人材で、映画のレンタル数を正確に把握するシステムを考案し、会社の初期成長に非常に貢献した。しかし2002年の上場後、公開企業として「公認会計士など正規の資格を持ち経験豊富な会計の専門家が必要となった」が、ローラはコミュニティカレッジの準学士しか持ち合わせていなかった。並外れた勤務意欲と社内での業績に加えて昔から好かれていた彼女ではあったが、仕事が必要とするスキルを持ち合わせていなかったのだ。「応急措置として彼女に新しい職務を与える」ことも話し合われたが、それでは会社の信念に相違があるように思われた。そこでマッコードはローラを呼んで状況を説明し、「彼女の素晴らしい貢献に対して、素晴らしい解雇手当で報いる」ことを伝えた。

カップ『同』位置885/3383
※ 以下、強調は引用者による。

いやまあ、見事な「会社都合による解雇」であって、ジョブそのものが不要となれば、そのスキルで対応できるジョブに対応して雇用されている労働者は解雇されるわけでして、正当な手当を支払って解雇するという手続きはまさに正当な解雇です。ところが、もしこのローラがメンバーシップに対応して雇用されいてる労働者であれば、一方的に超勤命令ができ、異動も命令できるような強大な人事権を持つ使用者側に「応急措置として彼女に新しい職務を与える」義務が生じます。これが整理解雇の4要件でいう解雇回避努力義務でして、日本の解雇規制がジョブ型雇用に比べて厳格であるのはこの点においてであって、実定法の解雇規定ではありませんね。

本書は日本企業の社員(もちろん労働者の意です)の「エンゲージメント」が欧米に比較して低いことを取り上げて、その「エンゲージメント」を高める方策を提言しているのですが、日本型雇用慣行に関するこのような思い違いが前提となっているため、個々に見ればそれなりに有効そうな提言もあるものの、トータルではそんな虫のいい話はないよなあとしか思えない仕上がりになっています。

その「エンゲージメント」というのは、本書によると、

 社員のエンゲージメントとは、社員の企業に対する関与の度合いと、仕事に対する感情的なつながりを表現するものである。社員のエンゲージメントは、社員が組織とその目標に対して抱いている感情的なコミットメントである。
 これは「活力、献身、没頭などに特徴付けられる、仕事に関連するポジティブで充実した精神状態」と表現することができ、エンゲージメントの高い社員は「仕事にエネルギッシュで効果的なつながり」を持っている。エンゲージメントの高い社員は、より深いレベルで仕事に関心を持ち、仕事への関与のレベルが高く、仕事に対してポジティブな感情を抱いている。もちろん職場の環境、給与、福利厚生などに対する社員の満足度も含まれるが、それ以上の、仕事に対して社員が感じている包括的な情熱というレベルにまで焦点をあてているのが、エンゲージメントの特徴である。

コップ『同』位置395/3383

とのことですが、これに対して、「複数の外資系企業の日本法人で人事部長を務めてきた経験豊かな日本人の友人」から「日本人の調査への回答の仕方は他国人と違うことを把握していないと意味がないから」と指摘されたそうです。本書ではその理由について、

 しかし、面白いことに、この友人の経験は社会科学の分野で立証された現象に基づいている。日本人は「肯定的感情表現の抑制」と呼ばれる行動を取る傾向が強い。子供の頃から日本人は、他人と上手く付き合っていくには、自慢話をしたり物事が自分にとっていかに順調に進んでいるかを吹聴しないようにと教育されてきている。これが先天的特性のようになり、非常にポジティブな感情を自分自身に帰することに違和感を感じるようになる。従って、社員のエンゲージメントに関する調査など、自分に関するポジティブな記述にあふれた質問に回答する際、他の文化圏の人々と比較して日本人は、自分自身を低く評価する傾向がある。

カップ『同』位置481/3383

としているのですが、それはあまりに一面的な評価だろうと思います。文化の違いが影響している可能性は否定しませんが、労働者と使用者の労働契約において、両者の明確な合意の上で特定の職務にアサインされているジョブ型雇用と、そもそも労働者と使用者の労働契約を規定する法律が制定されて10年程度で、労使の合意の核となるものは白紙の石板のみしかなく、(正規)労働者として採用された後は使用者側の命令でどんな職務にもアサインされうる日本のメンバーシップ型雇用では、その職務についての満足度が異なるのは当然でしょう。

なんなら、メンバーシップ型雇用で現に仕事をしている(正規)労働者のうち、自らの希望する職務に就いている割合なんて一握りであって、「銀行に入って地域経済を活性化させるぞ」と思っていたら為替の担当になったり、「商社に入ってグローバルに日本技術を展開するぞ」と思っていたら国内の食材の担当になったりというのが、メンバーシップ型雇用では大半ではないかと思います。さらに、ある程度の規模の企業組織を運営するために間接部門を置く必要があり、日本の学生の中に「会社に入って人事労務を担当するぞ」とか「経理部門で企業会計の精査を極めるぞ」と意気込んで入社する人はごくわずかでしょうけれども、実際にはそれらの間接部門が企業経営の根幹を握っている場面も多くあります。日本型雇用慣行における人事異動は、労働者側にとって「住めば都」というか「働けば都」となり、それらの部門に精通して「背番号」を背負っていくことが期待されていることも多く、結果的にそう思えるようになる前の(正規)労働者にとっては、希望する職務に就いた一握りを除いて、「エンゲージメント」の評価は低くなるものと思われます。

で、その人事異動について本書では、

人事部が社員に仕事を割り当てるプロセスは、全くのブラックボックスであると言ってよい。大抵の場合、割当の理由は不明瞭で、個人の興味、願望、才能、家庭の事情が考慮されることは殆どない。偶然興味がある仕事を割り当てられることもあるが、それは決して保証されているものではない。企業に命じられた仕事を、何であっても喜んで引き受ける態度が不可欠とされ、就職の時点でもそれが期待されている。

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というのもあまりに大雑把な批判ですね。「「異動」が会社内部の手続きとなるのは、定年退職とセットになった新卒一括採用のため、定年退職で空いたポストに順次「昇進」させながら、上から末端までの中間のポストに空きを作らなければならないという物理的な必然性があるから」であって、退職者と新採用の間に無数に発生する空きポストに玉突きで人事を割り振っていくのがすなわち「人事異動」です。日本型雇用慣行の運用の中では、大多数の「普通」の職員は空いたポストにある程度機械的に割り当てざるをえないわけでして、そうした「普通」の職員にとってはどこに飛ばされるかわからないという印象になるのもある程度やむを得ない面はあります。とはいっても、一定の「有望」な職員は上層部が意図を持って引き上げていくので、「全くのブラックボックス」というのは言い過ぎですね。

でまあ、こうした職能資格給制度に裏打ちされたメンバーシップ雇用では、雇用慣行を見直すということは給与を含む社内の「資格」を見直すということに他ならないわけで、労働者側も使用者側もそれを受け入れる覚悟はほとんどないのが現状でしょう。という意味では、本書で

 多数の発展途上国が電話サービスの普及を試みるにあたって、従来の有線電話システムのインフラが存在していないことから、その段階を飛び越えていきなり最新の技術を導入することを行っている。この劣等で効率が悪く割高なシステムを飛び越えて最先端技術を利用することを「リープフロッギング」という。
 日本企業は、人事管理の仕方に関してまさにこのリープフロッギングを必要としているのかもしれない。「典型的」な欧米の企業を模倣するより、最先端を行く例から学んだ要素を取り入れることは、一考に値する。

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と指摘される点は大いに賛同します。メンバーシップ型とジョブ型のいいとこ取りをうまく着地させることが、当面の課題なのではないかと思うところです。

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