2016年02月28日 (日) | Edit |
すでに一部では批判されているのではないかと思うのですが、先週のNHKの朝のニュースで18歳選挙権特集が組まれていて、これは経済学方面の方々の過敏な反応が予想されますのでメモしておきます。

授業は、岡さんたちが考えた架空の2人の候補者の演説から始まります。
この日のテーマは、消費税増税か減税か。

架空の候補者(増税派)
「増税した上で社会保障サービスの向上を目指します。
また、多額の借金の返済にもあてていきます。」

架空の候補者(減税派)
「減税することで皆さまの負担を減らします。
増税されると、低所得者の方々の負担がより一層かかってしまいます。」

生徒たちは訴えを聞いて、どちらかに投票します。
授業のメインは、投票後の話し合いです。
岡さんは、国の借金返済について問いかけました。

山梨学院大学 岡勇太さん
「ひとつ考えてほしいのは、『1年間で2兆円返せます』と言っていた。
1,000兆円の借金を2兆円、毎年返済しますというのは、何年単純計算でかかると思う?」

高校生
「確かに思った、2兆円しかって…。」

岡さんは、候補者が訴える政策のメリットとデメリットを考えてほしいと伝えました。

2016年2月16日(火) シリーズ“18歳選挙権” 同世代が伝える“政治”とは

メリットとデメリットという言い方になるのはやむを得ないと思うのですが、メリットが増税派の「借金の返済にもあてていきます」という部分にフォーカスした形になっていて、経済学方面の方々からは「政府の借金は国内債であって借金じゃない」とか「増税による景気への悪影響こそデメリットだ」という懇切丁寧な反論がありそうです。

でまあ、この特集の主役である18歳(はもちろん、議論を誘導している大学生)というと現在世代の社会保障費のために積み上げられた公債を返還するための公債費を負担する世代でして、そのことを我がこととして考えることは決して間違ったことではないと思うのですが、経済学的な思考方法をお持ちの方々にとっては許されざるべき議論の誘導なのでしょう。さらにいえば、世代間対立を煽る方々と経済学方面の方々が重なることもよくある話ではありますが、たとえば年金の受給と負担が世代間で不公平であるため負担ばかり強いられているという「現在の現役世代」の方は、「将来の現役世代」の有権者の負担となる公債費(の元となる財源)で社会保障費などのフローの公共サービスの恩恵を享受している現実を踏まえ、「将来の現役世代」からの世代間対立攻撃を自ら率先して受けるお覚悟があるとお見受けします。いやまあいつもながら見事なブーメランですね。

と思っていたら、先にこっちが話題になったようです。
http://soradamari.tumblr.com/post/139966117752/highlandvalley-%E9%9B%AA%E4%B9%8B%E4%B8%9E%E3%81%95%E3%82%93%E3%81%AFtwitter%E3%82%92%E4%BD%BF%E3%81%A3%E3%81%A6%E3%81%84%E3%81%BE%E3%81%99
記事の写真がそのままアップされていて、発言している高校生の氏名(実名かはわかりませんが)が見えるので直接引用はしませんが、引用された方ご自身は「面白い」というだけでどのような評価かよくわからないものの、それに対するコメントにいろいろな考え方が透けて見えて面白いですね。
  • 新聞も未だに国の「借金」なんて書いてるんで、女子高生(本当にそうかどうか疑わしいが)ならこういうトンチンカンな疑問持ってもしょうがないでしょうな。借りてるのは政府、貸してるのは国民。どちらかと言えば女子高生は債権者側。
  • 色々突っ込みどころだらけだけど特に「総理大臣で1000兆円を自由に使えたら」にひっかかったなあ。総理大臣は自由に予算を使えると高校になっても思ってるのはどうかと思う。
  • この子が借金してほしいとは頼んでないけど、親世代が政府にアレやれコレやれって頼んだ結果の政府の借金だからね
  • 15歳にもなってこの認識だとちょっと痛い子だし勉強してないんだなあって。
    そもそも政府には通貨発行権があるから民間人の感覚で考えられないって何で周囲の大人が教えないんだろう。

ということで、いろんな観点から論じることができるのが政府債務というものであることがよくわかるコメントになっていますが、どうやら私が上記で想像したようなお覚悟をお持ちの方はあまり多くなさそうです。

でまあ、この様々な観点からのコメントそれ自体が政府債務が多様な機能を持つことを示しているわけでして、まさに群盲象を撫でる(Wikipedia:群盲象を評す)状況にあります。せっかくなので、私もその一人になってみますと、日本国憲法では83条で「国の財産を処理する権限は、国会の議決に基づいて、これを行使しなければならない」という財政民主主義が規定され、84条で「あらたに租税を課し、又は現行の租税を変更するには、法律又は法律の定める条件によることを必要とする」という租税法定主義が規定されています。そのほか85条で「国費を支出し、又は国が債務を負担するには、国会の議決に基くことを必要とする」、86条では「内閣は、毎会計年度の予算を作成し、国会に提出して、その審議を受け議決を経なければならない」と規定し、87条では予備費についても規定があります。ということで憲法上の規定からすると、国費の支出や予算の議決は国会の議決を必要とするので、総理大臣が自由に使うものではないという二つ目のコメントは正しい指摘と言えましょう。まあ高校の政治・経済で憲法は習うと思いますので、高校生の発言として「痛い」とまでいえるかはわかりませんが、もう少し勉強が必要とはいえそうです。

このように財政民主主義と租税法定主義が規定されているという状況をよくみてみますと、国家の財源確保手段たる租税については、「代表なくして課税なし」という政治思想や財産権への国家の恣意的な介入を防ぐ見地からも国会の議決を要する法律によって規定されるのに対し、86条で予算についての国会の議決があれば、支出については85条で「国会の議決に基づくことを要する」のみで、個別の事業の実施やそれに伴う一個一個の物品購入まで、個別に国会の議決を得る必要はありません。この状況を見て、ある方は「支出にだけ大きな裁量が認められているから国が無駄遣いしてけしからん」というかもしれませんし、ある方は「総理大臣になれば自由に予算を使える」と考えるかもしれません(後者の立場から女子高生の発言を「このレトリックにはあまりこだわらない方がいいと思います」と擁護してくれる大人がいるかもしれません)。

確かに、財源確保は法律でがっちり規定する代わりに、支出(を要する事業の執行)については内閣(とその補佐機関である役所や公務員)にその実務をまかせているわけでして、一見自由に支出しているように見えるかもしれませんが、その執行の現場にいるものとしては、歳入制約に縛られて歳出を編成することが難しいというのが実態と言えます(もちろん投資的経費についての公債発行は財政法で認められています)。つまり、いくら行政需要が大きくなって支出の増加が見込まれても、法律が変わらなければ財源を確保することができず、したがって(支出の増加を伴う)行政需要に対応できないのが現実です。87条には予備費の規定もありますが、その予備費にも財源が必要ですので、結局行政需要の増加に対応するための財源が租税によって確保できなければ、租税以外での財源を確保しなければなりません。となると、公債発行により財源調達することになるわけでして、上記の三つ目のコメントの「親世代が政府にアレやれコレやれって頼んだ結果の政府の借金」というのは、その理由として正しい指摘と言えるでしょう。

さて、公債発行で財源調達する場合、自国内の国民(とか投資機関)が貯蓄等の投資と公債を比較して公債を選択する余地があるうちは国内債でそれを賄うことができますので、上記の一つ目のコメントはこの考え方に基づいたものと思われます(四つ目のコメントについては…他人のふんどしで恐縮ですがドラめもんさんのこちらの解説をどうぞ)。しかし、事業執行の現場にいるものとしてはそれはあまりに一面的な評価と感じるところでして、公債を発行するとその元利払いのための公債費を歳出予算に計上しなければなりません。債務残高が増えれば元利払いは当然増えますが、歳入は租税法律主義で相変わらず制約されていますので、元利払いのための借入(借換)をしても、歳出予算に占める公債費比率は租税による歳入確保ができなければどんどん上昇していきます。ということは、その公債により確保した財源がたとえば「現在の現役世代」を支援する社会保障費に充てられ、それによって「将来の現役世代」に還元されるとしても、「将来の現役世代」はそのための経費とされた公債費も引き続き負担しなければならないということになります。

言い方を変えてみましょう。「現在の現役世代」の時代に景気が低迷して経済成長が鈍化したために、それを財政支出によって「短期的」に補うため公債発行により財源調達した場合、その財源が経済成長や景気回復によって「短期的」に償還されるのであれば何も問題はありません。しかし、それが「短期的」に償還されず、「長期的」に行政需要が見込まれる社会保障費などのフローの公共サービスの財源として恒常化され、その元利払いのための公債費が増嵩していくと、租税法律主義に基づく租税政策に変化がない場合、「現在の現役世代」の経済成長はもちろん、「将来の現役世代」の経済成長の結果としての税収増もその公債費の財源として消えていくことになります。「現在の現役世代」はそれも「短期的」な景気回復のためだと割り切ることができるかもしれませんが、「将来の現役世代」がそのツケのために自らの経済成長の恩恵にあずかれないのであれば、声をあげてしかるべきでしょう。「将来の現役世代」がいくら頑張っても、過去の行政需要の財源となった公債費が歳出の大きな割合を占めてしまっているため、それにクラウディングアウトされて自分たちの行政需要に充てることができないわけですから。

経済学方面の方々はよく「国家の借金と家計の借金は違う」とおっしゃいますが、この点でも大きく異なるわけでして、親が借金を返済できなくなってもその親が自己破産してしまえば子供に引き継がれませんし、相続もある程度コントロールできますが、国の借金は世代間で負担を先送りするとその次の世代がそれを逃れる術がありません。また、歳入については租税法定主義により国会で議決する法律で厳格な手続きが定められてGDPに対する規模が固定されている一方で、歳出についてもその根拠となる予算と法律について国会の議決を要し、特に社会保障制度については法定することによって制度的安定性を確保しなければなりません。

久しぶりにボーナスが上がったからといって「よーしパパ来月から田舎の両親に5万円仕送りするぞ」といっても、ご両親は「あんたホントに大丈夫なのかい?」と不安がって貯蓄するでしょうし、「よーしパパこれから毎月保育園児のいる姉の保育料を肩代わりするぞ」といっても、お姉さんは「人のことより自分のことを心配しなさい」といって逆に心配されるでしょうし、何よりご家族が「いつまた給料が減るか分からないのに、いくら世話になったからといって親とか姉さんに金を払い続けるなんてできるわけない」と言われるのが関の山でしょうけれども、最終手段としてパパが勝手に決めて勝手に支出しても家庭内の問題ですみます。しかし、国(や地方自治体)でそれはできない相談でして、公債については「国と家計は違う」と声高に主張する方が、一方では「政府が判断して財政出動すれば景気回復するのにそれをしない政府は云々」とあたかも国と家計の支出を同列に論じるのも、この国の大人の作法なのかもしれません。

(付記)
ちょうど御大のところでも権丈先生の新著を取り上げていたようですが、

 そもそも、少子化に備えて、貯蓄を増強することには矛盾がある。少子化で人手を減らしてしまうと、いくらお金があっても、サービスを増やせなくなる。供給力が伴わなければ、人件費が高騰し、せっかくの貯蓄も価格の上昇で実質的に失われる。このように、お金だけでなく、実体で経済を眺めるのが、権丈教授も強調するアウトプット・セントラルの考え方である。東日本大震災では、巨額の予算を用意して、復興事業を進めようとしたが、人手不足で執行不能に陥った。将来、同様のことが起こり得る。

 さて、今回の権丈教授の御著書では、終始、うなずきながら、あるいは、ニヤリとしながら、読ませていただいたが、一点だけ、意見を異にするところがある。それは、「財政赤字は世代間の不公平になる」という下りである。アウトプット・セントラルの考え方を敷衍すれば、年金積立金の増強が虚しいなら、公的債務の削減もまた同じと言い得る。一般政府で括れば、それらは一つのものである
(略)
 アウトプット・セントラルの考え方を使えば、「世代間の不公平」とは言っても、将来、生産されるものを、今、消費しているわけでないことは、すぐに分かる。それは、タイムマシンでもなければ無理だ。本当に将来を損なう行為は、少子化で人口を減らしたり、労働力を使い切らないままムダにしている「設備投資の乏しさ」であって、財政赤字や政府消費の多寡ではない。巨額の公的債務は、緩やかなインフレの中で徐々に解消するほかない。愚かなのは、財政赤字の抑制を最優先にして、緊縮財政で投資不足を起こすことである。

 考えてみてほしい。公的債務は少ないが、人口減で弱体化した社会と、公的債務の始末に難渋しつつも、生産力は保持している社会と、どちらが良いか。将来において、前者は解決不能だが、後者には、まだ希望がある。「政策は、所詮、力が作るのであって、正しさではない」としても、「正しさ」さえ、出来上がっていないように思う。

「ちょっと気になる社会保障と経済政策(2016年02月28日)」(経済を良くするって、どうすれば)
※ 強調は引用者による。

うーむ、現物給付を中心にするという「アウトプット・セントラル」の考え方は、権丈先生の新著ではニコラス・バー教授の言葉として引用されているのですが、それを敷衍すると年金積立金と公的債務は一般政府で一つに括れるからどちらの増減も問題ないというのは、私のような浅学の実務屋にはなかなか理解が難しいご高説です。いやまあ、「少子化で人手を減らしてしまうと、いくらお金があっても、サービスを増やせなくなる」というのは太田啓之さんの『年金50問50答』でも的確に指摘されていることですので、それはそのとおりだと思うのですが、その帰結が「公的債務は少ないが、人口減で弱体化した社会と、公的債務の始末に難渋しつつも、生産力は保持している社会と、どちらが良いか」という究極の二者択一になるというのは、何がどうしてそうなるのかちょっと理解できません。

そういえば、太陽の寿命は約100億年とされていますが、「最終的に太陽は現在の200倍から800倍にまで巨大化し[51]、膨張した外層は現在の地球軌道近くにまで達すると考えられる」(Wikipedia:太陽)とのことで、地球から見て遠くにあるからいつまでも大丈夫と思っていたら、いつの間にか膨張した太陽の表面が目の前に迫っていたなんてことになるのかもしれません。まあ、そんな先の自然現象に気をもむ必要はないでしょうけれども、公債費が国や地方自治体の財政を硬直化させていくという予想も杞憂に終わればいいですね!(棒)
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2016年02月21日 (日) | Edit |
増税の必要性を指摘すると、往々にして緊縮派とか財政均衡派というご批判をいただくところですが、まあ家計から政府への所得移転で家計の可処分所得が減ることがけしからんという立場を堅持される方からすればそのように反応せざるを得ないのでしょうから、それはやむを得ないのでしょう。

所得再分配の重要性を認識されているのであれば、問題は可処分所得ではなく再分配後の再分配所得になるはずなのですが,特に経済学方面の方は「ドマクロな方々の「税金はビルトインスタビライザーとして景気を悪化させる」という理論と、基礎的ミクロな方々の「死過重を生じさせる課税は非効率だ」という理論」でもって可処分所得を死守しようとされますね。理論としては理解できるものの、それは同時に「再分配を拡充させるべき」とおっしゃる方が深刻な自己矛盾を抱えることになるわけでして、あまりその点は認識されていないように見受けます。

権丈先生の新著から、この辺の整理をしておきますと、

 そう言えば,2015年の経済財政諮問会議(5月19日)「“経済財政一体改革”の実行に向けて(有識者議員提出資料)」の中に,「「経済・財政一体改革」個別改革の目標(1)社会保障(保険料)負担率(対国民所得比)の上昇に歯止めをかけ,実質箇所文書を区の目減りを抑制する」という言葉がありました.当初所得から税金・社会保険料を引いて現金給付を加えたものを「可処分所得」と呼び,可処分所得プラスの現物給付を『所得再分配調査』の中では『再分配所得』と呼んでいます.ですから,可処分所得という指標は,社会保障が行っている「医療,介護,保育などの現物給付」を無視した指標なんですね.そうした可処分所得の目減りを抑制するという話は,なんとなく聞こえはいいのですけれど,要は,ここでみた,社会保障の所得再分配機能を縮小するという話につながることです.

pp,102-103

権丈善一 ちょっと気になる社会保障

※ 以下,強調は引用者による。

つまり可処分所得に現物給付を加えた「再分配所得」の拡充のためには、(言葉の厳密な意味での)再分配に必要な財源を一次分配の給与等の稼得所得から一旦政府に預けて、それにより必要原則に応じて分配するという恒久的な仕組みを構築する必要があります。その財源確保のために増税が必要だと申し上げているところでして、「可処分所得を減らして何が何でも財政均衡を達成しなければならない」というようなことは考えておりません。

いやもちろん、本書で権丈先生も指摘されているように社会保障というのは市場システムのサブシステムですので、一次配分の適正化が大前提ではあります(そのため集団的労使関係による人件費の配分交渉が重要になります)が、それに現物給付による再分配を加えて生活を保障するには、一旦政府に預けるという過程が必ず必要になります。ところが、日本的左派の皆さんには政府に対する徹底的な不信感がありますし、一般の方々にもそれはかなり深く浸透しているとは思いますので、「再分配」というなら政府を利用するのが効率的だというのはなかなか受け入れられる考えではないだろうとは思います。

このような政府に対する不信感が深く浸透しているのにも当然歴史的経緯があるわけでして、雇用とか労働の分野であれば、戦後の荒廃の中で政府が十分な財源を調達できない中で,労働組合の要求によって政府ではなく企業が生活給を支給することが求められ、その見返りとしてメンバーシップ型雇用で全生活を企業に捧げるという働き方が一般的になったのと同じように、戦後の医療政策も政府主導ではなく民間主導で進められた経緯があります。

 西欧や北欧では,病院は国や自治体や宗教団体のような公的なところが主導して整備が進められました.日本でも戦後の占領期職には,病院は公的な形で整備すべきということがGHQの方から言われていましたしかしながら,日本は戦後の窮乏期にあって国民はみんな貧しかったために,税収も極めて少ない状態にありました..それでも医療制度を整備しなければならなかったのですけれど,国も自治体もそんな余裕はありませんでした.そこで民間にお願いして,民間に協力してもらいながら提供体制の整備を進めていくことになりました.民間が診療所から初めて,近隣の病院と競争しながら規模を拡大して病院になっていく.そういう制度でしたから,民間の活力が活かされ,民間であるがゆえに他の国よりも低い医療費ですむようになり,世界的にも高く評価される医療システムを築くことができました.でも,提供体制の主体が民間であったために,医療提供体制の整備に「計画化」というものを導入することは実に難しい状況が生まれてしまったわけです.

権丈『同』pp.146-147

まさに雇用や労働の分野で、民間主導で形成された日本型雇用慣行が機能不全に陥って同時に集団的労使関係が崩壊してしまっている状況で、働き方の改革を進めようとしても民間の労使自治の分野に政策が介入する余地がないというのと同じように、日本の医療政策も民間が主導して整備したがゆえに政府が政策的に強制力を持ち得ない状況にあるわけです。もちろん、権丈先生が指摘されるように日本の医療制度は世界的にもトップクラスの技術水準とサービス提供のシステムを有しているのでその成果を否定する必要はありませんが、制度の見直しが必要な場合にはそれが大きな壁となって立ちはだかるのも事実です。

いやまあこういう事実は公的セクターの外にいる方にはピンとこないでしょうし、「官僚主導で国民のことを考えない政府はけしからん」という強力な信念をお持ちの方には想像の及ばない範囲とは思います。とはいえ、公的セクターで仕事をしているとこうした再分配の拡充もそのための財源確保もままならない目の前の現実に対応しなければならないわけで、そのような現実に対応するために「増税が必要」と申し上げているつもりではあるのですが,まあそんな戯言には「財政均衡脳」というご指摘をいただくのがこの国の現実と認識しなければならないのでしょう。

2016年02月20日 (土) | Edit |
最近民主主義という言葉がもてはやされているようでして、松尾先生も「民主主義」と題した新著を出されていましたので拝読しました。拙ブログは左派的と思われているようですが、日本的左派の主張には、特にその政策実現手段においてほとんど見るべきものはないと考えておりましてて、改めて松尾先生のご主張には肝心の部分で賛同できませんでしたので、以下その理由をメモしておきます。

本書を書いた経緯は「むずびにかえて」に書かれていますが、

 それで、別の出版企画を2冊抱えつつ、勤め先の労働組合役員の仕事の合間をぬいながら、一夏かけてこの本を書き上げました。安倍政権の弱点は福祉だとみて、少子高齢化する将来を見すえ、金融緩和マネーを介護や教育や子育て支援につぎ込んで雇用を拡大させる対抗景気対策を打ち出したわけです。
 この本では、安部さんのやっていない政策として、最低賃金をインフレ目標と同じ課それ以上で引き上げていくスケジュールを示すという景気拡大策を書きましたが、校正段階になって、安部さんは毎年3%の最低賃金引き上げを言い出しました。
 まるでこちらの手の内が全部読まれているかのような展開に、正直たじろいでいます。しかし、だからといってこれからの政策を提唱しないなら、負けは確実です。もっと大規模にやるぞということでしか、突破口はありません。
p.238-239

松尾匡 この経済政策が民主主義を救う 安倍政権に勝てる対案
※ 以下、太字強調は原文、太字下線強調は引用者による。

私も「アベノミクスを論じるのであれば、野党に責任を押しつけるのではなく与党としての所得再分配政策そのものを論じる必要があると思う」ところですので、「安倍政権の弱点は福祉」というのはまあその通りだと思います。ただし、福祉を含む社会保障の財源は安定していなければ十分にその機能を果たすことができませんので、現状において十分に機能していないのであればそれは政府の財源調達能力の貧弱さに起因するものであり、この点までは松尾先生の問題意識に全面的に賛同いたします。しかし、「もっと大規模にやるぞ」というバナナの叩き売りのような安直な物言いにはまったく共感できません。

実際、本書の第1章は安倍政権攻撃に終始していて辟易とさせられますし、結局政府の財源調達手段は中央政府による公債引受でしかなく、社会保障を拡充させるための安定的な財源確保とのその支出分野をどうするかなどの技術的な政策については一切触れられていません。まあそれは拝読する前から予想していたところですのでそんなものだろうと読み進めていくと、第4章でヨーロッパの左翼政党などの主張によって松尾先生の主張を補強されているのですが、私にはむしろ、松尾先生(とリフレ派と呼ばれる方々の一部)の主張との乖離が目につきました。

本書ではヨーロッパの様々な国や政党、労働組合の主張を引いていて、それはそれで勉強になるのですが、たとえばスペインのポデモスの主張はこのようなものだそうです。

 スペインの新興左翼政党「ポデモス」は、2014年に結成された直後、いきなり欧州議会選挙で同国第4党になり、2015年には地方選挙で大躍進しました。もちろん、反貧困・反緊縮の主張がウケているのです。
 そのポデモスの綱領では、欧州中央銀行の金融政策について、次のような主張を掲げています。
〈1・3 欧州中央銀行を諸国の経済発展のための民主的な機関に転換します。
 欧州中央銀行を議会による民主的なコントロールのもとにおくことで、それを政治的権威のもとに従わせるしくみをつくりだします。
 定款を修正し、中央現行の優先的な目的として、EU全体にまっとうな雇用を創出すること投機的アタックを防ぐこと国債を発行市場で無制限に直接買い入れることで諸国の公的資金調達を助けることを書き入れます。
 諸国の社会的な支出のための資金や、再分配メカニズムによってなおさら不利益をこうむった社会的・地域的な領域のための資金を優先的に支えます。そして必要があれば、欧州社会債をつくることによってこれらを支えます
 通常の商業銀行と投資銀行の監督ルールを区別し、後者の投機的活動を規制します。〉
 つまり、これまで当然視されてきた、中央銀行の独立(中央銀行が政府から独立していること)を否定し、政治に従わせるというのです。そして、雇用の創出や、政府の財政資金調達を助けることを、中央銀行の目的にするというのです。そのために中央銀行が国債を無制限に直接買い入れることを求めています。特に「社会的な支出」、つまり福祉や医療や教育などのための支出を、欧州中央銀行がつくったおカネで支えるべきだと主張しています。

松尾『同』pp.138-139

なるほど、スペインの新興左翼政党は、雇用の創出と投機的アタックを防ぐことと並べて中央銀行が国債を直接買い入れることを主張しているようですが、その次の段落で「社会的な支出のための資金や、…社会的・地域的な領域のための資金を優先的に支えます」という資金との関係は不明確に思われます。また、松尾先生は「「社会的な支出」、つまり福祉や医療や教育などのための支出」と読み替えていますがその根拠はよくわかりませんし、「欧州社会債」を発行するのが政府かどうかはこの文章からは読み取れませんので、政府が発行する公債を直接買い入れるという前段の主張との関係がはっきりしないように思います。こうした政治的文書は前後の文脈はあまり重視せずに箇条書きで項目を並べたものが多いので、各項目間の関係は曖昧なんですよね。

ちなみに財務省がまとめたOECDの資料(2015年度版)では、日本で40.5%の国民負担率は、スペインでは46.3%となっていますね。
OECD諸国の国民負担率(対国民所得比)
その上の順位に位置するイギリスではどうでしょうか。

 そのコービンさんの唱える経済政策は、イギリスのマスコミから「コービノミクス」と呼ばれていますが、緊縮財政に反対し、エネルギー産業や鉄道の国有化、大学授業料の無料化、大規模な公的住宅供給等を唱えています。その財源として、富裕層のへの課税、課税逃れの捕捉、大企業免税・補助金の他に、イングランド銀行が「人民のための量的緩和」をすることを掲げています。
 すなわち、量的緩和でつくりだしたおカネで「国立投資銀行」をつくり、住宅やエネルギー、交通、革新的産業などのためのインフラ投資を行うというのです。

松尾『同』pp.142-143

こちらでははっきりと、量的緩和によって生み出される財源は公共的投資に振り向けられるべきと主張していますね。これはスティグリッツの「多年にわたって使用される道路,学校,また産業計画の資金を調達するために借入れを行うことは,まったく妥当なものである.完成しない(または開始さえされないような)計画の支払いのための借入れや,今年の役人の給与支払いの資金を調達するための借入れは,実質的な問題を引き起こすことになる」との指摘に沿ったものですので、だからこそ経済顧問に就任したのだろうと思われます。

次に、欧州左翼党の2013年の最終政治文書を見てみましょう。

〈他方でまた、われわれは民主的に運営されコントロールされる全欧的機関を創立することを提案する。それは、各国の公共支出や、きっちりとした社会的エコロジー的な基準のもとで雇用を増やす条件での企業の投資に対して、非常に低い利率で、ゼロ金利であっても、資金を融資するためのものである。これは、欧州中央銀行の資金的貢献(リスボン条約123・2条)と、トービン税の受け取りによってまかなわれる。このことは、欧州公共銀行の創設につながることになろう。(後略)〉

松尾『同』p.145

この欧州公共銀行は、政府の公共支出がどのようなものかはこの部分からは不明ですが、企業の投資と並列されている点からすると、公共的投資を想定していると考えるのが妥当ではないでしょうか。中央銀行はその資金の貸し手として想定されているのであって、公共サービスの財源を担うものとしては想定されていない(投資的な意味合いをもつ教育には融資してくれるかもしれませんが、本人が返済するのであれば日本的な貸付型の奨学金ですね)と思われるところでして、これもスティグリッツが指摘する公共的投資への公債負担に沿ったものと思われます。

続いて欧州左翼党や社会運動団体や労働組合が2015年1月の「第1回南欧フォーラム」で採択した「バルセロナ宣言」です。

〈早急に、大規模な雇用創出計画を立てることが必要である。欧州中央銀行によって支えられた、ヨーロッパあるいは各国の、ねらいすました公共投資によって、何百万人ものヨーロッパ人に、安全で安定してかつ尊厳のある雇用と、明るい人生の見通しを創出しなければならない。特に、無惨に虐げられ社会的排除へと追いやられてきた若者、女性、移民たちのために。〉

松尾『同』p.146

私にはこの宣言では「欧州中央銀行が「公共投資」のための資金調達の機能を担うべき」と主張しているようにしか読めないのですが、松尾先生はこう評されます。

 トロイカの緊縮財政で福祉も医療も教育も切り詰められたうえ、財政縮小のせいで不況で失業があふれ、ヨーロッパの多くの庶民は痛めつけられてきました。左翼たるもの、彼らの願いに応えて、福祉や医療や教育等々への政府支出を拡大し、財政拡大で景気も刺激して失業を解消することを唱えないわけにはいきません。
 でも財政赤字の中、どこにそんな財源があるのだ? 企業や金持ちに課税するのはいいが、そこまで巨額の財源をそれでまかなおうとしたら、企業が逃げ出してたり事業を縮小したりして、もっと不況になってしまうぞ。どうするのが——こう問われたときに、財源は「無からおカネをつくればいい」と平然と答えればいい。そのためには、中央銀行の独立を否定し、財政ファイナンスを公然と要求しないわけにはいかない、というわけです。

松尾『同』p.147

うーむ、「でも」の前後が対応してないように思われます。「左翼たるもの、彼らの願いに応えて、福祉や医療や教育等々への政府支出を拡大」しなければならないというのは、松尾先生の個人的な心情としては理解できないでもないものの、「だから欧州の左翼中央銀行の公債引受で社会保障を拡充すべきと主張している」というのはやや飛躍があるように感じます。上記のとおり、本書で掲げられているヨーロッパの左派政党や労働組合は、スペインのポデモスを除いて「医療や福祉や教育等々への財政出を拡大」するための財源として中央銀行の公債引受を主張していないのではないかと思われます。

松尾先生は財源調達のただ一点のみにおいて「無からおカネを作ればいい」と答えればいいとお考えなのかもしれませんが、それはまさにワンショットの財源であって、社会保障をさせる財源としては極めて不安定であるといわざるを得ません。この点は前回エントリのコメントに書いたことにも関連することでして、


社会保障は恒久的な安定財源があるからこそ再分配として機能します。ワンショットの税収上振れに一喜一憂しながら社会保障政策を実施するというのであれは、逆に税収が下振れすれば即座にその社会保障政策が実施されなくなることを意味します。そのような政策が再分配として生活の安定とか社会全体の限界消費性向の向上につながるのかは大いに疑問です(やらないよりはやったほうがいいでしょうけれども)。「経済成長で再分配拡充を」というのは経済学方面の方々には受けがいいのですが、それは「景気が低迷すれば再分配が縮小するのもやむを得ない」という抗弁を容認するロジックでもあり、それに再抗弁する用意がなければうかつに使うべきロジックではないと思います。

2016/02/06(土) 15:59:23 | URL | マシナリ

「経済成長で再分配拡充を」というのと同じように、「国債の中央銀行引き受けで再分配の拡充を」というのは、ワンショットの財源としては有効ですが、それが持続可能でないのであれば生活の向上はおろか社会全体の限界的消費性向の向上も見込めない(従って総需要拡大によるインフレも見込めない)ということになると懸念されます。

なお、スペインのポデモスを除いて、ヨーロッパの左翼政党や労働組合が中央銀行の財源を公共的投資や社会的な企業活動支援と位置づけているのは非常に示唆的ではないかと思うところです。OECD加盟国の比較では、EU加盟国(とアイスランド、ニュージーランド、イスラエル、カナダ)はいずれも日本より国民負担率が高い国でして、少なくとも医療や福祉、教育などのフローの公共サービスを賄うフローの財源は、世界に冠たる高齢化社会でありながら、日本的雇用慣行によりワークライフバランスが崩れて少子化が進んでいる日本よりも高い水準で確保されている国です。そうした諸条件を勘案することなく、経済学の理論でもって制度を説明できると考え、その理論を海外の著名な経済学者が支持していることをもって「だから日本の政策はかくあるべし」という言説には、残念ながら私は全く説得力を感じません。

いやもちろん、ヨーロッパの左翼政党や労働組合が、景気後退の局面にあっては政府が公債を発行して一時的に景気を下支えするべきと主張することは、経済学の理論からも実証面からも妥当な政策だとは思います。ただし、それで社会保障制度が維持できると考えるほどには、ヨーロッパの左翼政党や労働組合はナイーブではないのではないかとも思います。松尾先生が「再分配拡充のためにも景気回復を」と主張されることには私も異論はありませんが、ヨーロッパの左翼政党や労働組合と比較するとそのナイーブさが際立つように思うところです。

(追記)
権丈先生のホームページに岡山大学の姜克實先生による『週間東洋経済』の記事がアップされていましたので,引用させていただきます。

 確かにアベノミクスは、金融緩和、公債発行による景気刺激の点で、石橋積極財政論と原理的、方法的に似通った点は認められる。一方、時代背景と経済環境が違うので同じ土俵では論評できない難点もある。
 湛山の経済学は恐慌対策(昭和恐慌)、混乱対策(敗戦初期)からスタートし、資金繰りがうまくいかず一時的に大量失業、生産縮小となった非正常な経済状況に対応する応急手当ての性質を持つ。現在のような正常状態化の慢性的デフレ現象と違い、政策の内容、方法も違う。
(略)
 次は目的の違いである。湛山の公債論には明確な目的があり、すべては生産活動を起こすために使う。無関係の部分を「非生産公債」と定義しその不可を主張する。戦時中では軍事費がその代表であり、現在ならば社会保障費、地方交付税の支出などがそれに当てはまると思われる。
 しかし、アベノミクスの借金をみるとその明確な政策志向が確認できない。現在、公債額は国家予算の4割程度を占めるが、歳出の配分をみると生産につながる公共事業と科学振興の部分はわずか12%にすぎず、大半は国債費(25%)、福祉、社会保障、地方交付税(50%)に消える。つまり生産を起こすための借金ではなく、借金を返すための借金(利払い)、生活維持のための借金、福祉や社会保障を約束するための借金なのである。このような用途で返せない借金を膨らませていくやり方は、生産を起こす湛山のリフレ論から見れば本末転倒ではないか
 よく湛山思想には時代を超える価値があるというが、それは湛山の哲学と思想をいうもので、経済政策の万能をいったものではない。湛山の時代には恐慌からの脱出、戦争の回避が課題であり、現代社会のような福祉、社会保障、公害などの問題がまだ現れていない。生きるか破滅かの時代からよりよく生きる時代に変わってきた今、安易な政策の転用ではなく思想の継承こそが必要なのではないだろうか。

(pdf)「湛山は本当に”リフレ派”だったのか」『週刊東洋経済』2015年1月31日

社会保障が「非生産公債」なのかとか国債は借金ではないとかいう批判もあるかもしれませんが、湛山の時代には想定されないような現在の状況に湛山の経済政策を安易に転用することの是非は慎重に議論すべきでしょう。まあ経済学方面の方に慎重な議論を求めても多くは期待できないだろうとは思いますが。