2016年01月30日 (土) | Edit |
拙ブログでは、「その財源によって雇用や生活保障を得る人の話」として財源論を取り上げているところでして、毎度長ったらしいエントリが続いておりますが、一定の方々にはその趣旨を理解していただいていることを大変ありがたく思っております。ところが、そうした方々が拙ブログとは正反対のことを書いていると見受けられるブログを支持されているのを拝見すると、どういう基準で拙ブログのエントリをご理解いただいているのか少々不安になります。

たとえばこちらのブログは一貫して消費増税とそれを主導した(とされる)財務省を「緊縮財政をするような無能な集団だ」とdisっていらっしゃるのですが、一方で一部のリフレ派と呼ばれる方々を批判されているためか、その「りふれは」な方々に批判的な方々に支持されているようです。

 教科書の経済学は、緊縮レジームを崇める司祭でしかない。人は利益を最大化すべく行動するから、収益率に従うはずであり、設備投資にリスクがあるにしても、期待値で決まるとする。しかし、人生は限られ、リスクの時間的分散には制約があるため、実際には、大損を避けようと、期待値がプラスでも、あえて機会利益を捨てる行動を取る。こうした本質への洞察が「人は死せるがゆえに不合理」とする本コラムの核心である。(参照:2013/11/3)
(略)
 再分配によって人的資本への投資を増やし、少子化を解決することは、収益期間を無限にして、大きな経済的メリットをもたらす。すなわち、不合理を正す再分配は、コストを賄えるのである。具体策で示そう。本コラムでは、『雪白の翼』で、年金制度を利用することにより、負担増なしに、0~2歳児に月額8万円という大規模な給付ができることを示した。こうしたマジックが可能なのは、乳幼児への給付で、女性が仕事を辞めなくて済むようになり、出生率が向上して、大きな経済効果が生まれるからである。アトキンソンがどんな国でも再分配の中心となるべきだとする児童手当は、日本では容易に拡張できる。

「21世紀の緊縮レジームを超えて」(経済を良くするって、どうすれば 2016年01月02日)
※ 以下、強調は引用者による。


確かに一見すると、「教科書的な経済学」(主流派経済学と同義のようですが)を批判し、社会保障の拡充によって少子化を解消し、経済成長に結びつけるべきという議論を展開している…ように見受けられるのですが、いかんせん、政府に対する徹底的な不信感がその論説の裏側にべったりと張り付いているため、その問題に対して示される処方箋がことごとく政府批判のためにするものなんですね。

上記エントリで引用されているそれぞれのエントリを拝見してみると、

 まずは、損害保険と宝くじである。どちらも、期待値の観点では、払った分より、見返りが随分と少ない「マイナスの商品」である。そうでなければ、胴元も保険業も成り立たない。従って、現在の経済学が想定するような合理的な人は買わないはずで、短期的にはともかく、長期的には衰退し、不合理が解消されなければおかしいことになる。
(略)
 つまり、人生が永遠の者にとっては、宝くじも損害保険も無意味なのだ。逆に言えば、人生が限られていることが期待値に従わない行動に意味を持たせている。好みの問題ではない。多くの人は、若い時に冒険を好み、老いてからは保守的になるが、これは、好みが変わるのではなく、持ち時間が減るためだ。持ち時間がある場合に限り、リスクを分散させられ、期待値に頼れるようになるのである。

「経済思想が変わるとき 5」(経済を良くするって、どうすれば 2013年11月03日)

ふむふむ、宝くじも損害保険も「払った分より、見返りが随分と少ない「マイナスの商品」」で、そうでなければ成り立たないというのはその通りですね。保険というのはいわゆる互助制度として発展してきたものですので、基本的に保険料は安心料として「掛け捨て」するものであって、その点が貯金と大きく異なるというのは、別に経済学の理論をこねくり回す必要がないというのもご指摘のとおりだと思います。

 必要なのは年金数理だ。若者が働き始め、年収300万円をもらうとすると、年間の年金保険料は48万円ほどになる。6年経って結婚する頃には、若い夫婦の累計額は6×2倍の576万円になる。社会保険というのは、払った分は返ってくるのが大原則である。そこが反対給付と無関係に取られる税とは異なる。つまり、この576万円は、請求権という形ではあるが、貯金のようなものだ

 さて、こんな給付をして、年金財政は大丈夫なのか? むろん、何の問題もない。乳幼児給付を行う分だけ、老後の年金給付は減るので、年金財政上は、差し引きゼロの中立になるからだ。年金制度は十分な積立金を持っているので、当面の資金繰りにも困らない。
(略)
 こうして見ると、むしろ、現状の方が、いかにも、おかしいことが分かる。出産か仕事かを迫られ、お金さえあれば、子供の預け先を確保できるのに、自分たちが「貯めて」きたお金でも自由に使うことができない。年金制度にしてみても、子供を産んで働いてもらう方が財政的にプラスなのに、その手立てを許していないのである。
「日本よ、雪白の翼を再び」(経済を良くするって、どうすれば 2010年11月16日)

うーむ、先ほどのエントリの3年前のエントリでは堂々と「請求権という形ではあるが、貯金のようなもの」とおっしゃっていますね。ついでに、このエントリの当時は「財政収支のアンバランスを是正するために、消費税が必要なことは、改めて言うまでもない。問題は、どうやって、上げるかである」とのことでして、この3年間で保険の理解を深めつつ消費増税を批判するに至った理由はよくわかりませんが、とはいえつい最近のエントリで両者を並べて引用しているということは、基本的な認識に大きな変化はなさそうにも思えるところでして、こちらのブログ主さんにとって保険は貯金なのかそうではないのかは、なかなか理解しにくい状況ではあります。

いやもちろん、こちらのブログ主さんのご主張には賛同できるものもあるのですが、どうにも制度の理解というか現状認識が偏っているように見受けられる点が散見されるため、まっとうなご主張も眉唾ものに思われるのです。

 世の中は現金なもので、それまでは、「子供の病気ですぐ休む」などと嫌味を言っていたのに、年金保険料の負担がほとんどないとなったら、「母子家庭のおかあさん大歓迎」である。実際、彼女たちは生活がかかっており、必死に働くから、押しなべて成績は良かった。その場を与えれば、すぐに分かることで、お役所の怠慢で放置され続けた社会保険の「壁」さえなければ、本来の持てる力が解放されるのである。
(略)
 そんな中、「全員正社員」を宣言する企業が現れた。人事担当者は不況時の人員調整を思って反対したが、社長は言い放った。「そん時は、全員が短時間労働で我慢すりゃ、ええやないか。苦楽を共にする、そんな経営がしたかったんや」 創業者でなければ、なかなか言えないセリフだったが、ものごとの本質を衝いていた。社会保険の壁なしに、労働時間が調整できるなら、雇用期間を限定する必要性は薄い。

 こうして、日本から非正規への差別が消えていった。掛け声だけの「同一労働、同一待遇」が、まさか、母子家庭への特例から実現するとは、思いもよらぬ展開だった。差別が消えれば、継続雇用の下で、誰でも育児や介護の休業を取れるようにもなる。柔軟な働き方で生産性が向上し、成長は高まり、財政まで改善した。若年層の待遇が向上すると、結婚も増え、出生率は1.8を望むところまで伸びた。日本の未来を危ぶむ者は、もういない。夢の実現は、案外、手に届くものだったのである。

「非正規の解放、経済の覚醒」(経済を良くするって、どうすれば 2015年11月15日)

個々の御提言はそれなりに筋が通っていると思いますが、こうして物語風にするとご冗談でしょうとしかいえない「フィクション」に仕上がってしまうところに頭を抱えます。厚生年金の適用拡大による年金財政の安定とか正規と非正規の「壁」の解消については諸手を挙げて賛同するのですが、年収による雇用調整というのは労働者側の都合でも生じているので、「年金保険料の負担がほとんどないとなったら、「母子家庭のおかあさん大歓迎」」なんてことはあり得ない想定ですね。もちろん使用者側で非正規を選択するのは、社会保険料負担もさることながら「人事担当者は不況時の人員調整を思って反対」するのであって、要すれば先行きが不透明な経営状況の中で、固定費となる正規労働者の人件費を抑制しなければならないからです。そして正規労働者の人件費が固定費となるのは、日本型雇用慣行によって職務を限定しないで雇用する代わりに正規労働者の雇用を保障しているからであって、「不況時の人員調整」は使用者側にだけ都合がいいから認めなられないという裁判所の判断を元に固定費として計上せざるを得ないわけです。「同一労働、同一待遇」というのも、労働法ウォッチャーには「同一価値労働」でもなく「同一賃金」でもなく「均等待遇」でもなく「均衡処遇」でもなくなかなか奇妙な言葉ではありますが、いずれにせよ日本型雇用慣行でそれが実現されないのも同じように職務が限定されないからであって、社会保険料一つでそれが劇的に変わるとは到底思われません。でもって「柔軟な働き方で生産性が向上」だそうで、母子家庭の母親がつく職業は製造業というより対人サービスが多くなるのではないかと思われるところ、安い賃金で使い倒す労働力が供給されるということですねわかります。まあ「フィクション」なら何でも許されるのでしょう。

まあ拙ブログで再分配論をすると執拗なご批判をいただくのも、そうした議論に嫌悪感をもつ方には受け入れられないからなのだろうと思うのですが、おそらくそうした方と同じような違和感をこのブログ全体にも感じるところです。拙ブログでは再分配論とか集団的労使関係の再構築などを主張する際は、少なくとも「それで何もかもバラ色になる」という夢物語にならないように気をつけております(そう受け取られる可能性は否定できませんが)。という立場からすると、特に直上で引用したような夢物語については、ブログ主ご自身が次のエントリで「団塊の世代が好きな「一点突破、全面展開」というやつ」とおっしゃるように、団塊世代の郷愁を強烈に感じてしまいます。そうした団塊の世代的な政府への嫌悪感が、あらゆる提言を政府批判のためにするものへと矮小化させているのかもしれません。
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