2015年09月28日 (月) | Edit |
前回エントリで目の前の問題の一端をメモしておりましたが、今回は大きな問題について取り上げてみますと、『東北ショック・ドクトリン』では、題名のとおりナオミ・クライン『ショック・ドクトリン』をモチーフにして、震災後に進められた大きな話が目の前の問題と乖離していく様子が描かれています(私自身『ショックドクトリン』はしばらく積ん読になっていますが、先にこちらを読んでしまいました)。冒頭で、被災された方を対象としたゲノム解析プロジェクトである「東北メディカル・メガバンク構想」が取り上げられます。

 東北メディカル・メガバンクが批判されている核の部分は、倫理の問題だ。

 「人間を対象とした医学研究の倫理指針『ヘルシンキ宣言』には、「不利な立場またはぜい弱な人々と地域社会を対象とする研究について」の慎重さを求める項目があります。被災地はそれに該当すると考えられます」と、前出の水戸部は指摘する。

 一方、ヘルシンキ宣言に対する機構側の見解は、「不利な立場またはぜい弱な人々と地域も、科学研究の対象となり、その恩恵を受ける権利がある」というもの。

 これに対し、機構から倫理問題の連続セミナーでの講師の一人として招かれたこともある、国立循環器病研究センターの医学倫理研究室長/バイオバンク個人情報管理室長、松井健志はこう語る。

 「ここには潜在的な不公正の三層構造があると考えられます。問題はそれらの不公正に対し、適切な手当がなされているかです」

(略)

 「問題は三層目の、被災地域に特有の状況的不公正に応えられているかという点。現状ではこれには問題があります。被災地の方々にまず必要なのは、震災で孤立化した人たちの間で新たに発症したり悪化したりした疾患への治療とそのための医療システムの再建であって、今までの長期コホートが考えてきたような一般的な病気予防や健康指導ではない。被災地では、研究や健康相談の場所を作る以前に、まずはきちんと元の医療水準にまで引き上げることが、何より求められているのです
pp.9-10
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東北ショック・ドクトリン

古川 美


■体裁=四六判・並製・カバー・214頁

■定価(本体 1,700円 + 税)

■2015年3月5日

■ISBN978-4-00-061027-8 C0036

大きな災害が発生した直後,人々が茫然自失している間に進められる急激な新自由主義的改革=ショック・ドクトリン.3.11後の東北もまた例外ではない.水産業特区,空港民営化,遺伝子検査,大型小売業の進出……,地をはう取材を積み重ね,被災地の現実を報告する本格ルポ.

※ 以下、強調は引用者による。

個人的には、ここで取り上げられている東北メディカル・メガバンク構想とヘルシンキ宣言の関係はよくわからないところもあるのですが、引用部で強調した点は目の前の問題に対処する中で感じることではあります。いつもの再分配論ともつながりますが、生活を保障するために必要な財源が不足している現状で、特定の分野での規制緩和やプロジェクトで成長戦略とかに予算をつけられても目の前の問題は解決しないわけでして、歯がゆい思いを感じます。

一旦整理しておきますと、再分配で必要となるのは対人サービスによるフローの生活保障ですので、単年度(せいぜい5年程度の複数年度)の予算で完結する事業にフロー財源が割かれるほど、フローの生活保障に回る財源が不足してしまいます。もちろん、ストックであるインフラ整備に国債などのストック財源を充てることは合理的ですが、スティグリッツが指摘する通りフローの生活保障を日銀引受の国債で賄うのは持続可能性が乏しいわけで、OECD諸国の中でもトップクラスに国民負担率の低いこの国で、フロー財源を「創造的復興」などに充てられてしまえれば目の前の生活保障が後回しになるのは当然のことですね。本書では宮城県知事の姿勢も批判されていまして、

 29日と30日、両方の会に出席した、独立行政法人・放射線医学総合研究所の主任研究員、栗原千絵子は、その感想を語る。

 「29日のシンポジウムでは、いかに東北メディカル・メガバンク構想が素晴らしいプロジェクトかということがプレゼンされ、30日の会で聞いたような、ネガティブな側面は一切語られませんでした。翌日、水戸部先生達のお話を聞いて考えてしまいました。宮城県知事が「被災者はヘルシンキ宣言における弱者に当たらない」と公開質問状で回答されたのは非常な驚きです

 栗原は生命倫理を専門とし、長年、ヘルシンキ宣言について研究を続けてきた。2013年10月にブラジルで改訂されたばかりの最新版について、国際的議論の背景にも詳しい。

 「かつての17条、改訂版では19条と20条に当たりますが、弱者を対象とする研究に関しては大変に関心をもってきました。メガバンクの話を聞いたときは、まさにその条文に関わると思ったのですが、反対声明を出している人たちが既にヘルシンキ宣言の引用をして、内容も正確に捉えていたので、感心しました。ところがこの研究計画の倫理性に関わる問題を、サポートする立場の宮城県側がわかっていない。県知事がコミュニティの人々を医学研究におけるリスクから保護するために必要な国際的な原則を理解していないのは問題です」

古川『同』pp42-43

こうした傾向は、特に資源の効率的分配に比較優位を有する地方自治体に強いところでして、フロー財源を「創造的復興」に充てて目の前の生活保障を後回しにするのは、それが「硬直的経費」となって自由に使える財源が目減りしてしまうことに対する恐怖感が強いからといえるでしょう。まあそこにつけいる隙があるからこそ地方には改革バカがはびこりやすいわけで、震災によってその隙がさらに広がった状態になっていることは否定できないと思います。なお本書では、こうした宮城県の「創造的復興」に対比させて岩手県を評価するのですが、どちらも「創造的復興」を標榜しているのは共通しておりまして、個人的には地方自治体である両者に本質的な違いはないと感じますね。むしろ、本書のp.68で岡田知弘京大教授が福田徳三を評価する中で「後藤新平は復興の基本をハード事業に置いたが、福田は地域のフィールド調査を続ける中で、それが第一に必要なことではないと気づきました」と批判されているその後藤新平は岩手県出身でして、震災後は岩手県知事ご自身が「参考にした」と明言しています。

達増 私が震災後に考えたのも、まさに「前よりも安全かつ豊かで、安心な県にしなければならない」ということでした。安全・安心・豊かという理念に即して「安全の確保」「くらしの再建」「なりわいの再生」という復興に向けた三原則を設け、それぞれが関わる10の分野で、計画の柱を立てました。参考にしたのは1923年、関東大震災からの復興を手掛けた後藤新平さん(満鉄初代総裁、東京市市長、台湾総督府民政長官、逓信大臣、内務大臣、外務大臣などを歴任)の政策です。

佐藤 くしくも後藤さん、岩手県のご出身(現・奥州市水沢区)ですね。まさに偉大な先達。

達増 はい。関東大震災後の「帝都復興計画」は、東京を震災前より美しく壮大な都市にする、というものでした。東京市政調査会というシンクタンクを創設していた後藤新平は、科学・技術的な必然性に基づいた復興計画を立てました。彼のことを「大風呂敷」と呼ぶ声もあったけれども、夢想家ではなく、優れたリアリストです。まずは後藤新平さんに倣い、岩手大学や東北大学、東京大学の先生など各分野の専門家に集まっていただき、専門委員会を設けました

 さらに科学・技術的な必然性の上に経済・社会的な必要性をまとめるために、復興委員会を発足しました。岩手県内の農協や漁協、医師会、商工会議所連合会や工業クラブの会長など各団体の代表者に意見を伺いました。そこから体系的、網羅的な復興計画を策定したのです。

岩手県知事 達増拓也×佐藤健志 「超復興の実務と理想」を語る〔1〕2014年03月11日 公開《『Voice』2014年4月号より》

農協などの地元の団体の意見を伺ったという点ではたしかにトップダウンだけではないといえそうですが、その考え方は「創造的復興」そのものではないかと思うところです。まあそれはさておき、東北メディカル・メガバンクの倫理的問題もさることながら、本書で取り上げられているイオンの出店も難しい問題です。

 どうやら大型店誘致は、商圏人口を奪われないための自衛という側面もあるようだ。取材中、「釜石にイオンが来ないと他所に行ってしまい、さらに街が衰退すると市から聞かされた」「直接、デベロッパーから「おたくがイヤなら隣の街に行くだけ」と言われた」と、何人かの地元商業関係者からも聞いた。

古川『同』p.144

その地元商店は難しい選択を迫られています。

 向かいの棟の桑畑書店も、震災前は質、量ともに地域一番と評判の本屋だった。
 創業は1935年。現在の店主、桑畑眞一は三代目だ。震災前は只越地区に売り場面積70坪の二階建て店舗を構えていた。その建物は骨組みをさらしたまま、いまも元の場所にある。被災総額は一億円以上だ。
 「震災から3年間、ずっと元の場所で再建しようと頑張ってきたけれど、先月ようやくそれは無理だと納得しました。いまは、この先をどうしようかと考えているところです」
 30年以上年中無休で働き、やっと経常収支で黒字が定着してきたところだった。震災後は瓦礫の中から水浸しの顧客台帳の一部を見つけ、それとスタッフの記憶を頼りに、自転車で500人の顧客を訪ねて回った。5名いた従業員も古い順に3人再雇用した。
 「みんな長い間うちに愛着をもって勤めてくれましたから。だからいま、私の給料は手取り3万円です。でも税金は免除されているし、仮設住宅だから、生活には困らないけどね。私もイオンのテナント説明会にはいきましたが、とても出店は無理です。うちは外商が主だけれど、あそこでは外商ができない。それにイオンに出すとなるとテナント料以外にも、棚や本を入れるだけで一億円近くかかりますからね」

古川『同』p.151

ここで取り上げられている桑畑さんは、『復興なんて、してません』のインタビューに対してさらに当時の生々しい状況を話されています。

 店のほうは、本の配達が多かったから、なんとか外商だけは復活させないと、と思った。

 最初にやったのは、従業員のしつぎょうほけんのてつづき。店がなくなって仕事ができないから。配達はオレひとりでやればいいかなと思って。3月中に、配達のために9坪の事務所を釜石駅の近くに借りて。配達のデータがねぐなったけど、4月11日から店のなかを掘り起こしてなんとか台帳とかは少し見つけて、復刻作業をした。従業員4人みんな来てくれました。でも、バックアップしていたデータは金庫ごとなくなった。レジも流された。40~50万円あったかもしれないね。

 クルマもなかったし、電話も繋がらなかったので、1軒1軒、自転車と歩きで配達先のお客さんのところに行ったんです。どっちかというと、個人のおたくより、製鉄所とか病院とか合同庁舎とか市役所とか、職場で取っている人が多かった。ひとり一人、何を取っていたか聞いて。みんな記憶で。

 亡くなった人も多かったんだけど、もう本はいらないという人も多かったね。職場で取っている人たちは、自分の家が流されたら、もういらないわけだ。

渋井ほか『復興なんて、してません』p.115

桑畑書店が再開してからは復興本の需要が大きいとのことで、地元の方が自分で読むためだけではなく、支援してくれた方々へ送る方も多いそうです。ただし、地元のニーズの変化は、必ずしも追い風になっているわけではないようです。

 やっぱりベストセラーを置いてこそ本屋だと思っている。置きたいしね。多少返品率が高くなっても、回さないと。どんどん棚が変わっているように見せないと。震災関係だって、やっぱり8割は変わってますね。どんどん新しいのが出ているから。

 以前は、新日鐡の従業員がたくさんいたので専門書も売れていた。前はだけどね。そういうのは一切なくなった。農業書はぜんぜんダメ。どっちかというと水産関係や漁業関係。成山堂書店とか海文堂は常備していたんですよ。2棚あったから300冊以上。これも売れなくなっていたけどね。どこもシビアになっているから。乗組員も減ってきているしね。3万トンクラスの船なら50人、60人乗っていたのが、半分以下になっていた。そのうえ、日本人じゃなく外国人の船員になっていたから。新しい店をつくっても、策を考えないと。

渋井ほか『復興なんて、してません』p.122-123

「復興」という言葉の意味を改めて考えてしまいますが、とりわけ「創造的復興」なるものが目の前の課題に対処できるものなのかは、「復興」後の形が見えてきたいまだからこそ、十分に検証する必要があるのではないかと思います。
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2015年09月19日 (土) | Edit |
先週のタイミングでアップしようと思っていたエントリですが、前回エントリが別の内容になってしまいましたので、改めて震災関連のエントリをアップします。先週からは、NHKBSプレミアムで再放送中の「あまちゃん」でも4年半のタイミングを計ったように震災発生後の場面が描かれていて、2年前の感想とはまた違った思いで見ることができました。というのも、2年前に見たときは「「日常を取り戻す」というのは、半年を過ぎたころには元に戻ることはできないことが分かっていての「あがき」」の一つの表現と感じたのですが、それからさらに時間が経過したことで、「当時を「あがき」として思い起こす」ということ自体をさらに思い起こしている感覚になっています。ややこしいのですが、つまりは経験が入れ子状態になっていて、震災当時の混乱して将来が見通せない状況と、その当時から2年後、さらにそれから2年経過した4年後の現在と、時間が経過するにつれてそれぞれの感覚が変わっているのを実感するというところでしょうか。

で、この感覚はどこかであったなと思い起こしてみると、県外で生活していた当時に地元に帰ってきたときの感覚に似ています。県外で生活していたのは震災前でしたので、東北の沿岸部や山間部などは全国的に注目されることなどほとんどなく、私の地元でも「過疎化や景気低迷をいかに食い止めて地域振興するか」が最大の課題という状態でした。そんな状況で県外で生活することになってみると、「過疎化や景気低迷をいかに食い止めて地域振興するか」というのは全国共通の問題でして、全国の自治体が横並びで取り組んでいるようなまさにレッドオーシャンの中で、私の地元はどこにでもある普通の過疎化や景気低迷に悩む地方の一つに過ぎなかったわけです。そしてそれを分かりつつ、どこでもやっている地域振興策に適当な地名をあしらって「イノベーション」とかいうのが、役所の仕事なんだなと思ったものです。

つまり、「あまちゃん」を見て思い起こす感覚というのは、目の前に今解決すべき問題があると自分の置かれた状況を特殊なものと感じてしまうものの、時間をかけて一通りその問題について考えてみるともっと普遍的な問題が見えてきて、でも結局自分が対処しなければならないのは目の前の問題だという現実に引き戻されるという感覚です。「あまちゃん」で描かれる日常は、善くも悪くも震災前と震災後で大きく変わるものではありません。しかし、そこに暮らす人を取り巻く環境は大きく変わっていて、その両方の間を行ったり来たりしながら目の前の問題に取り組むというのが、私のような下っ端公務員に限らず、地方で生活するということなのではないか、なんてことをクドカンの小ネタに笑いながら考えています。大きい問題はもちろんそれとして考えなければならないとしても、目の前の問題に対処するっていうのは心が折れないようにするために重要な作業なんですよね。

で、匿名ブログである拙ブログでは目の前の現実に対処する話を書けないので、震災後4年のタイミングで発行された本から目の前の問題の一端をメモしておきます。まず『復興なんて、してません』という刺激的なタイトルの本ですが、現地に暮らす方々へのインタビューが淡々と綴られていて、証言として貴重な記録になっていると思います。家族をなくした方のインタビューも複数ある中で、長男が陸前高田市の職員、長女がの学校司書(臨時職員)として働いていて、どちらも津波で亡くした母親のインタビューから、遺族の方々の葛藤が伝わってきます。津波で全壊した陸前高田市役所の移転先についても、住民同士でこのようなやりとりがあったとのこと。

 公務員の安全が保障されなければ、市民の安全も考えられない。公務員が綱渡り状態のところでは市民が全員助かる訳がない。本部がしっかり動けないと困る。陸前高田市は過去、何度も津波が来ています。歴史にちゃんと記録がある。これからも津波が来る可能性が大きい。とはいえ、説明会などで遺族として発言する者は他にいない。
 究(引用注:長男)の部屋の同期会の名簿があって、被災者の住所がわかったんです。それで一件一件家庭訪問をし、手を合わせ、線香をあげに行きました。自分の足で何件も歩き、声をかけたんですが、同じように動ける人はいませんでした。
 なかなか遺族の気持ちが一つになりません。市が行なっている検証作業だって、復興に向かっている動きを止めるものと思われています。何かを言うとしても、自分は前に出たくないという人ばかりです。いろんなしがらみがあって顔を出せないという人います。あるいは、まだ検証に声をあげるという状態ではない人もいます。
p.58

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復興なんて、してません―3・11から5度目の春。15人の“いま”
渋井 哲也 (著), 渡部 真 (著), 長岡 義幸 (著)

※ 以下、強調は引用者による。

本書の第6章には、陸前高田市の図書館再建を担当した方のインタビューがありますので、合わせて読むとそれぞれの立場の葛藤が伝わってきます。その一部の蔵書は、国立国会図書館などの強力により修復されています。
【3.11】陸前高田市立図書館の郷土資料を都立中央図書館が修復 返還記念で企画展(ハフィントンポスト 2015年03月04日)
【3.11】「高所へ逃げろ」と書かれた陸前高田市立図書館の本がたどった運命 地域の歴史を忘れず、伝えるために(ハフィントンポスト 2015年03月11日)

日常は変わらなくても、生活環境の変化は住民の意識を変えたり人間関係を変えたりします。特に遺族などの大切なものを亡くした方々は、環境の変化に加えて本人の感情にも大きな変化があったはずです。そのような方々にすれば、「震災」や「復興」という言葉が易々と使われる状況に複雑な感情を抱いても不思議はありません。高校生のときに母親を亡くして現在は語り部の活動をしている大学生の話です。

 震災後、りんさんは、「人間が信じられない感覚」を抱いたことがあった。学校のコミュニティに入ろうとしたとき、今までなかった感覚に陥った。
 「分断されている感覚ですね。かといって、言っても仕方ないと思った。同じ宮古市内でも内陸と沿岸にわかれます。家も家族も友人も亡くしていない人が、津波注意報のサイレンが鳴っているのを聞いて『怖い』とか『眠れなくなる』とか言っているのを見たり、ちょっと地震があっただけでインターネットに『揺れた!』と書き込んだりするのを見ると、腹が立つ。いまでもそう。「マジ許せない」と思ったのは、震災から1年くらい経ったころ、すごい大雨だったんです。学校に来たある子が制服じゃなく、ジャージを着ていたんです。『なんでジャージなの?』と聞いたら、『雨に濡れたの。津波かぶったみたいでしょ?』と言ったんです。『私、津波かぶったんですけど?』とカチンと来た。何も言わなかったけど。軽くいう人が腹が立ちます
 無関係な人が言うのなら仕方がない。しかし、家を流されなくても、また家族を亡くしたわけでもなくても、被災をした以上、全く無関係ではないはずだ。ただ、その被災差によって、意識が違っているのかもしれない。だからこそ、地元に帰っても、同級生の集まりには行かない。仲のよい友だちとしか会わない。
 「おじいさんが好きだった海が母親を殺した。その気持ちをどこにぶつけていいのかわからなかった。みんな、『自然は怖い』というけど、口に出来ないほど怖かったんですよ。でも、自然災害より人間のほうが怖いですね
pp.74-75

自然災害が住民同士の信頼関係も変えてしまったのは確かだと思います。震災後の支援策が後手に回ったことについて、気仙沼市でうどん屋を営む方は不満を隠しません。

 とはいえ、すぐに国の予算がつくわけではないので、当初は先立つ金がない。ですから、出来ることは自分の力でやっていこうと、地盤の整備に必要な重機を操作するため数種類の免許を取得し、自ら重機を使って瓦礫の撤去などを行いました。店の営業が再開できないお陰で、時間も暇もあった。業者に頼むと数百万円かかることでも、自分でやれば安く済む。
 それでもね、免許の取得だとか重機のレンタル代とか、けっこうな金額がかかりましたよ。最初は、市に相談しても、自分たちが整備するためにかかる金は、市が用意するものではないって言われて、仕方なく自腹切った訳です。ところが、後になってそうした整備の予算も支援する事になった。こっちは、すでに自腹で金かけてるし、だからって免許を取得する金を支援事業で賄ってもらえるはずもない。重機のレンタル代など土地の整備にかかった金も、正式に業者が施行した訳でもないからどうしようもない。全部自腹です
 『あぁ、先に動いた者は損をするんだな』って思い知らされましたよ。だからって、行政のペースに合わせていたら、鹿折の復旧・復興はいつになるか目処が見えない状況でしたから、こっちは必死でした。
pp.150-151

震災後の混乱期だったとはいえ、日々刻々と変化する被災された方々の状況に行政の対応が追いついていなかったのは事実です。その状況ではやむを得なかったと頭で理解できたとしても、当時のそうした感情がしこりとして残るのも仕方のないことでしょう。こうした思いを抱えながらゆっくりと日常を取り戻している方々の心情が、「復興なんて、してません」という本書のタイトルに反映されているのですね。

2015年09月13日 (日) | Edit |
この度の茨城県、宮城県での水害では大きな被害が発生してしまい、被害に遭われた方には心よりお見舞い申し上げます。そんな中で震災から4年と半年、54か月が経過しました。堤防が決壊して一面が濁流に呑み込まれてしまう映像は震災当日のテレビ中継を思い起こさせるものでしたが、内陸地域でも水害で壊滅的な被害を生じさせてしまう自然の猛威に、改めて防災の取組の重要性を感じます。

さて、実は本エントリは前回エントリの追記として一旦書いてアップしたつもりでしたが、自宅のWi-Fi環境が不安定になっていて、アップしたはずのエントリが消えてしまいました。ということで、時間がたってしまって再現できるか分かりませんがとりあえず再度アップしてみます。

で、前回エントリの内容について海老原さんからメールでいろいろとご教示いただきまして、私なりに整理してみますと、欧米でも日本でも同じように、会社の幹部ともなれば長時間労働や全人格的なコミットメントを求められる点は共通しており、一方で比較的単純労務に従事する労働者の処遇は、賃金に上限があったり将来的な雇用の保障がなかったりと、これも実は欧米と日本では共通点があります。ということは「欧米はジョブ型で、日本はメンバーシップ型」というのは単純化しすぎでして、幹部となる労働者をどのように調達するのかという点で異なるというのが実情に近いと思います。

つまり、欧米では幹部であっても「管理職」という専門職であり、ジョブに労働者を当てはめるという点では単純労務に従事する労働者と大きく異なるものではなく、その調達は「外部労働市場」からが基本となります。これに対して日本では、「外部労働市場」から調達するのは専ら比較的単純労務に従事する非正規労働者であり、幹部は「内部労働市場」の正規労働者から調達する慣行がかなり精緻に発達しています。このため、「内部労働市場」の「メンバー」を安定的に確保する必要があり、ややトートロジーですが、幹部となる人材を安定的に供給する「内部労働市場」を維持する必要があるわけです。

結局、「内部労働市場」の出口で定年退職によって空いたポストに「メンバー」である正規労働者を調達し、さらに玉突きで空いたポジションに入口で「白地の石板」たる新卒学生を一括採用するというサイクルを維持しなければなりません。これに対して、欧米と共通の「外部労働市場」で調達される非正規労働者は単純労務に従事することが多いことから、まさに市場価格によって賃金が決まりますので、単純労務に従事する労働者の生産性(この言葉は慎重に使う必要がありますが)によって処遇が決まることとなります。

しかし、hamachan先生が指摘されるように、「内部労働市場」で幹部候補生としていつでも幹部になれるキャリアを積んだはずの中高年正規労働者は、ひとたびリストラが始まれば真っ先に肩を叩かれる存在でもあります。会社にとってみれば、幹部になれないヒラの正規労働者は、OJTや研修によって培われた職業能力(を基準とする職能資格給)がオーバースペックになってしまうからですね。以前は、幹部のポストの数が経済情勢や会社の業績で幹部ポストが減って幹部候補生にスラック(いわゆる窓際族)が生じるリスクを含めて、そのコストを会社が負担していたといえます。ところが、バブル崩壊後や人口減による景気の低迷が続く中で、幹部ポストの維持が難しいことが明らかになると、無駄になるかもしれない正規労働者を抱えるリスクが放棄され始め、業務を切り分けながら「内部労働市場の」幹部候補生を極力減らして「外部労働市場」の非正規労働者を基幹化する流れが定着しています。

こうして日本型雇用慣行のタテマエが崩れた中で、いかに効率よく(ハズレなく)幹部候補生となる「白地の石板」たる学生を採用して育成し、オーバースペックとなる中高年正社員を処遇するかという問題を考えるときに、欧米の「ジョブ型」はほとんど参考にならないというのが、現地を取材した海老原さんのお考えだと思います。結局ヨーロッパの職業能力開発機関も特定の職種を除いて大多数の事務職などではそれほどの効果はなく、大学などの専門教育もそれほど職業に直結するわけでもなく、さらにそうした専門的・事務的職種に就いても賃金などの処遇に低い天井があって、モチベーションの維持が難しくなるという実態がある中で、専門教育の効果は限定的というのが現実なのだろうと思います。

日本の「メンバーシップ型」が社内でのOJTや研修を重視しているのに対して、ヨーロッパでは「ジョブ型」だから公的な職業能力開発機関がその機能を担っている…という単純な対比ではなく、それぞれの雇用慣行を見極めた対策を考える必要があります。結局、それぞれの雇用慣行のメリット(日本であれば特別な専門教育がなくても就職できることなど)を活用しつつ、デメリットには事後的に対処(「途中まで日本型」でオーバースペックな正規労働者の処遇を相応に変更するなど)し、それだけではうまく適応できない層に対して個別に働きかけるのが現実解となるということですね。海老原さんからいただいたメールでは、「欧州を長く取材してきて、感じたのは、世の中の60%以上の人々を「籠の鳥構造」に押し込めるために、エリート層が、職業・学歴分断しているのではないか、ということ」として、日本とヨーロッパとアメリカをそれぞれ的確に類型化されていましたが、これはぜひ次回作でまとめていただければと思います。

なんとなく当初アップした内容から重要なところが抜け落ちている感がありますが、現時点でのまとめということでアップいたします。いやまあこうして議論を整理してみると、議論する段階から既に取組を始める段階になっているわけでして、私もできるところから手をつけていかなければと思います。