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2015年05月30日 (土) | Edit |
先々週の日曜日はNHKが総選挙並みの特番を組んだりして大いに盛り上がった都構想の住民投票ですが、この結果を見てまあ住民投票とか、大きくいえば民主主義というものの一つの側面が如実に示されているなと思いました。

 現段階で我々が明確に言い切れる統計的な事実は、「今回の住民投票は賛成・反対・棄権のそれぞれが33%ずつ獲得し、小数点1桁の僅差で反対票がわずかに上回った」という点しかない。そして、この選挙結果から見えてくるのは、「賛成と反対と棄権の3つに分断され傷ついた大阪」の姿だ。ここまで傷つき分断された街を再び一つにまとめるには、長い時間と膨大な努力が必要とされるだろう。

曖昧な根拠で住民投票の結果を「分析」する愚<文/菅野完(Twitter ID:@noiehoie)>(HARBOR BUSINESS Online 2015年05月19日)

念のため、私自身はのいほい氏の主張にはほとんど賛同できないのですが、リンク先のグラフが分かりやすいので引用しました。そのグラフと表に具体的な数字が記載してありまして、「賛成」が33.02%、「反対」が33.53%で、投票しなかった「棄権」が33.17%となっていて、まあものの見事に3分の1ずつに分かれてます。ということは、各派の宣伝や報道などで見聞きしてメリット・デメリットにそれぞれ賛同した側も、それでもなおかつ賛否を決められなかった側(その少なくない部分は理解できなかった方も含まれるでしょう)もそれぞれほぼ同数だったということは、この住民投票は結局「都構想」なる言葉のイメージ投票でしかなかったというのが実態ではないかと思います。

というと、その「都構想」なる言葉にプラスのイメージを持つ方からすれば

 もちろん都構想をやったからといって、劇的な効果が期待できたという保障はありません。でも、既得権やしがらみをとっぱらえば、おもしろいことが起きる可能性もあったはずです。
 橋下さんがイラついてたのもわかります。こっちがなにかアイデアを出しても、否定ばかりして対案を考えない人が多いんですよ。じゃあどうすんの、もっといい案あるのと聞くと黙ってしまう。
 どっちに転ぶかわからないときは、「やってみなはれ」というのが大阪の気風だと聞いてましたけど、あれはやはり松下やサントリーだけのおとぎ話、特殊な例にすぎなかったってことでしょうか。
 結局、大阪の人たちは既得権と心中する道を選んだのだなあ……などというと、外野がやかましい、と怒鳴られるかもしれません。わかりました、黙りましょう。今後は、自分たちでも改革はできると豪語した反対派のみなさんのお手並みを、外野からとくと拝見いたします。

外野から見た大阪都構想(反社会学講座ブログ パオロ・マッツァリーノ公式ブログ 2015/05/18 20:25)

となるのも自然な流れでしょう。まっつぁんご自身はいつもデータをしっかり見ながら判断すべきというようなご主張をされているはずなのですが、そのまっつぁんですら維新の会がしかけたイメージ投票にコロッと引っかかってしまうわけです。そりゃまあ、普段はご自身の仕事や家庭のことで手一杯の住民の方々に、空いた時間でテレビのキャンペーンとかタウンミーティングとかでいくらすり込んだところで、その理解は限定的にならざるを得ないでしょう。もちろん、正しい政策(ナイトの不確実性の下でそんなものがあるかはまた別の問題として)であって、それを十分に理解できる住民が大多数という前提を置けば、住民投票なるものにも一定の意義はあるかもしれませんが、世界中どこを見渡してもそんな地域はおろか、国などないのではないかと思うところです。

逆にいえば、住民投票がフェアであればあるほど、賛否を問う住民投票はきれいに三等分されることになるわけでして、大阪では在阪メディアの偏向ぶりがネットを中心に盛り上がっているようですが、普段は「情弱だから雰囲気に流されてカイカクと叫ぶ橋下氏を支持している」と罵られていた高齢者のほうが、今回の住民投票では都構想なるイメージ投票に反対した割合が高かったそうですから、メディアの偏向ぶりはむしろ住民の方々の判断を惑わせて、結果的にフェアな住民投票に落ち着いたというなかなか入り組んだ状況があるのかもしれませんね。

とはいっても、高齢者の方々にこうした傾向があることもまた一面の事実でしょう。

福祉国家が産み出し、福祉国家のお蔭で移転所得を得られている人々が、それを市場による交換で得たものと思いなすことによって、その存立根拠を掘り崩していくという悲劇的でもあり喜劇的でもある逆説。

テレビ漬け高齢者のポピュリズム政治(2012年3月 4日 (日)  hamachanブログ(EU労働法政策雑記帳))

とはいうものの、この点に関して高齢者をdisることができる方は多くないのではないでしょうか。「小さな政府」という物言いに象徴的ですが、「政府のお世話になんかなってない」という強固な思い込みがあればこそ、「政府を小さくしても自分の生活には影響がないし、むしろ政府支出にたかっている政治家とか官僚とか土建屋とか生活保護受給者とか粛正することができて気分がいいから政府にかけるお金は少なければ少ないほどいいし、その財源となる税金はいくらでも下げるべき」という論理がそれなりの説得力を持って受け入れられてしまうのではないかと思います。

たとえばアメリカではそういう風潮が強いため、クルーグマンなどはアメリカ国内の政策を批判する際はソーシャルな政策を主張する一方で、海外のソーシャルな政策を批判して自らの政治的姿勢への批判をかわそうとしたりするわけでして、「商人の町」と呼ばれる大阪でも同じようにソーシャルな政策を封印しなければ「既得権益」などと危険視される状況があるために、彼の地の選良の方々はヨーロッパ的な意味でのリベラル、日本的に言えばリベサヨの極北としてのネオリベな主張をせざるを得ないのかもしれません。というより、本心からそう思っているのでしょうけれども。

まあ、結局のところはカイカク派を標榜する方の習わしとして、他の分野のカイカクの手詰まり感を回避するため「「地方分権」のリスクヘッジ」としての行政機構改革に手を出したものの、そのカイカク案が公共サービスのカットを正当化するものでしかなかったのが、これまでのカイカクの経緯と相まって住民の方々にも直感的に伝わってしまったというのが、僅差での反対多数に繋がったというところでしょうか。もちろん、「使い勝手がよくなれば少ない財源でも効率的な公共サービスが供給される」という素朴な信念がこれまでのカイカク派を支えていたわけですから、またぞろ新しい行政機構改革を掲げたカイカク派が待望されていることには変わりなさそうですが。
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2015年05月10日 (日) | Edit |
中央公論の2015年6月号が発行されましたので、5月号に掲載された書評をアップします。

「新刊この一冊 評者 マシナリ/東北の地方公務員 『危機と雇用』玄田有史著(中央公論2015年5月号 書苑周遊)」

「忘れないでほしい」。この言葉から始まる本書は、千年に一度とも言われる東日本大震災が人々の雇用に与えた影響について、詳細なデータによる分析を行った労働経済学の書である。ただし、説明は平易な文章で、専門知識がない読者でも読み進められる。これはもちろん、冒頭の言葉に込められた玄田氏の思いの表れであろう。
 本書は、国が二〇一二年に実施した就業構造基本調査を使用し、東日本大震災の仕事への影響について尋ねた結果に着目して、労働者への影響を分析している。その結果によると、震災前から雇用が安定的でなかった層では、さらに雇用が不安定化したと本書は指摘している。
 また同じ調査で、雇用の場が直接失われたことよりも、なじみのない土地に避難・転居を余儀なくされ、地域住民同士のつながりが解体されたことのほうが、仕事への影響が大きいことも解き明かした。私は被災地の近隣住民だが、実際、震災前に培った地域内のつながりを失ったため、働くことができなくなったケースをよく聞く。
 たとえば水産加工業などの地場産業の多くは、女性パートや外国人技能実習制度に依存した低付加価値産業である。漁師などの男性が家計を支えている限り、低賃金の不安定雇用でも特に問題はなかった。ところが震災後に海から遠い高台などに移住したことによって仕事を失い、その後、地場産業が復興しても家計を支えるための働き口とはなりえないため、こうした地場産業が人手不足に陥るという「雇用のミスマッチ」も生じている。
 また、たとえ近隣であっても、なじみのない土地に転居すると、自分の生活を確保したうえで、それに見合った仕事を見つけることが難しくなる。故宇沢弘文氏が提唱した「社会的共通資本」とは、住民同士が一つの地域に住み続けることによって獲得できる経験、知恵、関係、信頼など住民全体によって形成される社会的価値を生み出す力とされる。同書が指摘する通り、震災後に住宅再建の見通しが立たないため避難・転居せざるをえず、就業困難に陥った人々の状況を具体的に把握し、対策を講じる必要がある。
 このほか本書では、職場のチームワークを自社の強みと考える企業よりも、むしろ経営者のリーダーシップが強いいわゆるワンマン企業のほうが被災地では雇用を守ったという興味深い調査結果も報告されている。 
 これらの分析から玄田氏は、リーマン・ショック時の緊急雇用対策が震災後に活用できたのと同様に、平時から財源を確保し、柔軟に対応できる環境づくりが必要であるとしている(実際に玄田氏は、震災後の雇用対策の策定に携わっている)。しかし、リーマン・ショック後の緊急雇用対策では、国(ハローワーク)が実施した雇用調整助成金や給付付きの職業訓練の不正受給が問題となった。また緊急雇用創出事業は、雇用政策のノウハウもない自治体(県や市町村)が実施し、短期の資金を当てにした受託者の不祥事が相次いだ。本書を有効な政策提言とするためには、これらの問題に対処する実務にまで踏み込んだ検討が求められる。
 玄田共編『<持ち場>の希望学』と併せて、東日本大震災の「記憶」が薄れていく中で、次に起きるであろう危機に備えるために、貴重な「記録」として広く読まれるべき書である。

ということで、一般の方が購読される雑誌での書評は初めてだったのですが、改めて読み返してみると私の思いはおろか、玄田先生の分析の紹介も道半ばの感が否めません。hamachan先生からは「被災地で活躍する地方公務員ならではの台詞がもう一つ二つ欲しかった」というご指摘もいただいたところでして、私としても結局玄田先生の分析の紹介が道半ばになったので、どうせなら

 このほか本書では、職場のチームワークを自社の強みと考える企業よりも、むしろ経営者のリーダーシップが強いいわゆるワンマン企業のほうが被災地では雇用を守ったという興味深い調査結果も報告されている。 
 これらの分析から玄田氏は、リーマン・ショック時の緊急雇用対策が震災後に活用できたのと同様に、平時から財源を確保し、柔軟に対応できる環境づくりが必要であるとしている(実際に玄田氏は、震災後の雇用対策の策定に携わっている)。しかし、リーマン・ショック後の緊急雇用対策では、国(ハローワーク)が実施した雇用調整助成金や給付付きの職業訓練の不正受給が問題となった。また緊急雇用創出事業は、雇用政策のノウハウもない戦後の失業対策事業が長期滞留する労働者を抱え込んだトラウマから、期間限定の委託事業による短期雇用でしかない。小泉内閣時の「集中改革プラン」で極端な人員削減を強いられた自治体(県や市町村)が、短期雇用で震災後のマンパワー不足を補うために実施し、短期の資金を当てにした受託者の不祥事が相次いだ。本書を有効な政策提言とするためには、これらの問題に対処する実務自治体の貧弱な人員体制にまで踏み込んだ検討が求められる。

というくらいまで書くのもおもしろかったかなと思います。ただまあ、「戦後の失業対策事業」とか「小泉内閣時の「集中改革プラン」」とか解説なしでは誰も知らないでしょうし、さらに地方における委託事業の受託側の貧弱さも不祥事の要因となっており、そこまで説明したら字数内に納めきれないだろうとカットしてしまいました。限られた字数内で伝えるというのは難しいですね。。
(補記)hamachan先生が直近のエントリで紹介した書評について、「近いうちに入手して読んでみたいと思います。そういう意欲をそそってくれるよい書評」とおっしゃっていまして、正にhamachan先生ご自身が実践されていることですね。上記の書評が少しでもその役目を果たしていれば幸いですが、もっと精進したいと思います。

なお、大竹先生が毎日新聞に寄稿された書評と、「忘れないでほしい」という出だしが丸かぶりしてしまっておりましたが、玄田先生の分析を鵜呑みにされて、

 基金事業による雇用創出という仕組みは、自治体の主体的な判断で活用できるため、柔軟性が高くスピード感があり、非常に有効だった。「今後起こるかもしれない緊急事態に際しても、基金事業の活用は、雇用創出という面では一定の効果を発揮することが証明されたといってよいだろう」と著者は述べる。それが震災後の対策に活かされたのだ。

今週の本棚:大竹文雄・評 『危機と雇用−災害の労働経済学』=玄田有史・著 毎日新聞 2015年04月05日 東京朝刊
注 上記リンク先は会員限定ページです。

とおっしゃるのには大いに異議を申したいところです。その点、roumuyaさんが

加えて著者が各章において提示している研究課題、たとえば社会的共通資本の喪失による就職困難対策や、雇用創出に対する支援のあり方(グループ補助金か集中型の雇用促進税制か、など)、補助金・助成金などの政策効果の評価手法、そして孤立化・孤独化の拡大を阻止する施策などについても、今回の分析に加えて既存研究の成果も踏まえられており、その重要性を納得できる。

■[読書]玄田有史『危機と雇用』書評(吐息の日々 2015-04-07)

と慎重に評価されているのは、さすが実務家だなと思います。機会があれば『危機と雇用』をお手にとって、(畏れ多いですが)それぞれの書評と読み比べていただければと思います。

2015年05月04日 (月) | Edit |
前回エントリで「その生活の距離の近さを嫌う方もいますし、障害者や要介護者を抱えた家族はなかなか地域に溶け込むことができないという現実」について触れたところですが、その具体的な状況については、こちらの本に生々しくまとめられています。
そのとき、被災障害者は… 取り残された人々の3.11そのとき、被災障害者は… 取り残された人々の3.11
(2015/02/24)
不明

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その障害の重さゆえに行政のサービスが行き届かない方々にとっては地域内でのサポートが重要となりますが、その地域との関わり合い方は様々です。地域との関わり合いの重要なチャンネルの一つが地元の公立小中学校ですが、宮城県では浅野史郎前知事が「共に学ぶ教育」を掲げ、障害者が地域の小学校に通学することを推進しており、地域との関わり合いを確保できた方もいらっしゃいました、しかし、その宮城県内の同じ石巻市でも次のような状況だったとのこと。

地域のつながりを意識的につくらないと

 被災した自宅をリフォームして住む予定です(2013年4月に入居)。2012年中に工事が終わる予定でしたが、いろいろあって延びました。自宅に戻るといっても、不安があります。
 たとえば近所とのつき合い。震災前はつき合いがあまりありませんでした。長女が地元の学校出身ならつながりができたのでしょうが、小学校卒業後に引っ越してきて(5年前)、次女は特別支援学校だったので、地域とのつながりが希薄なのです。
 震災目に要援護者登録はしていました。民生委員が訪ねて来たときに、登録したらどうなるか尋ねましたが、はっきりした返事が得られませんでした。地域防災に積極的な地区ではなく、わが家も地域の避難訓練も参加していませんでした。災害時の支援者についても、「決める予定はない」との返事。名簿登録は形式的なもので機能するものではありませんでした。更地になって、近所の人はさらに少なくなっています。
 自宅周辺では、教会関係の団体がボランティアをしていて、近くの貸家を拠点にして近所の人が集まる場所になっています。そこからつながることになりました。次女のことを心配して支援してもらえるようになったのです。拠点に出入りするようになってから近所の人たちともつながるようになりました。自宅の庭掃除をしてくれたりして、近くに住んでいた人と「近くにいたんだねー」と会話をするようになりました。
 伊勢知那子さん(本書で紹介)のところは地域の学校に通って地元とのつながりがあったけれども、わが家は意識的につくっていかなければなりませんでした。近所の人とは、「また津波が来たらどうしよう」と話をしています。大街道南地区は土地区画整理事業の指定を受けていますが、戻って来る人が多くて、区画整理が難しいようです。津波避難ビルの話も出ています。

「地域で当たり前に暮らせる街に(宮城県石巻市 新田理恵(重度障害児の母親))」東北関東大震災障害者救援本部共編『同』pp.16-17
※以下、強調は引用者による。

区画整理事業は、戻って来る方が少なければ少ないで問題になりますが、こちらでは戻って来る方が多くて問題になっているとのことで、どこでもデリケートな事業であることが伺えます。それはそれとして、日本型雇用慣行で職場に全人格的なコミットメントを求められているとはいえ、小中学校は住んでいる地区も近く、児童・生徒同士が仲がいいため貴重な地域とのつながりの場となっています。災害時に地元の教育施設に避難するのは、地域のつながりが希薄になりがちな現代において、そこにいけば誰か知っている人がいることが期待できるからという面もあります。実際に、上記の引用部で言及されている伊勢さんは子供が通った小学校でのつながりが重要だったといいます。

避難所に行っても孤独ではなかった

 わが家の場合、知那子も居住地の小、中学校に通い、隣近所や地域の方々と学校行事や子ども会行事で接することが多かったため、障害に対する理解が浸透していました。家族単位で地域の中で過ごしてきて、家族の生き方が知られていたことは強みでした
 避難所に入った時に、最も弱い立場、はかなげな命のことを守らなければということをみんなが思ってくれたのです。「障害者だから○○へ行きなさい」ということを言われませんでした。「行けと言われても、この夫婦は行かないだろう」と思われていたのでしょうけれど。

「地域のつながりがあればこそ(宮城県石巻市 伊勢理加(重度の障害児の母親))」東北関東大震災障害者救援本部共編『同』pp.22

念のため、このように避難所で受け入れられたのはかなり稀な事例で、本書に掲載されているほとんどの事例では、避難所には入れなかった障害者とその家族がどのように対応したかが綴られています。地域とのつながりがあったという伊勢さんもこのように記しています。

 わが家の場合は幸い、日ごろから勾留のある県内外の方々から、たくさんの食料や生活用品が届けられました。お金を持っていても買えない時ですから、大きな救いでした。ですから、知那子を訪ねて来てくれた支援者には、「避難所に入らなかった○○さんに届けてほしい」とお願いしました。支援者からは「こんな人はめずらしい!」と言われました。
 津波を経験した石巻でさえ、要支援者への対策は必要性は感じていても、まだ答が見つからないのが実情です。今また地震が来たら同じことを繰り返してしまうかもしれません。「公的な指定避難所で備蓄してくれ」と言っても、コストとリスクがかかりすぎて現実的ではないのでしょう。

「地域のつながりがあればこそ(宮城県石巻市 伊勢理加(重度の障害児の母親))」東北関東大震災障害者救援本部共編『同』pp.29-30

災害時にはお金がいくらあっても、介助してくれる人、介助するための機器を作動させるためのエネルギー源を買うことはできません。生活用品などを備蓄していたとしても、その備蓄場所が災害で被害を受けたり、それを使える方が被災してしまえば使うことができなくなります。その当事者であるからこそ何が必要かが分かるため、その支援を実効するために東北関東大震災障害者救援本部は障害者自らが運営して被災地の支援に当たったとのことです。たとえば、仙台市で障害者自身が運営するCIL(CILはCenter for Independent Living)たすけっとの事務局では、震災翌日から被災障害者に対する支援を始めます。

私たちにできることは

 CILたすけっとは長町という地域にあり、地下鉄が通っていることもあって、震災の翌日には電気が通りました。水も出ていて、ガスだけがなかなか復旧しませんでしたが、翌日の夜からテレビやインターネットやパソコンが使えるようになりました。
 環境がある程度整ったこともあって、今の状況がどうなのかを、この目で見ることができました。それまではラジオを通してしか情報を得られなかったため、「なんか津波がすごいらしいね」とか、そんなことを話ながら、一晩を過ごしていましたが、テレビを見ると、「これはちょと想像以上にひどいよ」ということで、「自分たちにも何かできることはないのか」、「自分たちでも何かしたいね」とか口々に話していました
 そんな時、たしかJIL(Japan Counsil on Independent Living Center「全国自立生活センター協議会」)から物資を被災地の方に送りたいという申し出がきていることをスタッフより聞き、私たちが物資を一旦受け取って、同じように困っている被災した障害者に配ろうということになりました。そこからCILとして、被災障害者に対する物資提供の活動が始まりました。

「「私たち」は避難所に避難できなかった(宮城県仙台市 井上朝子(肢体不自由))」東北関東大震災障害者救援本部共編『同』pp.58-59

そうして動き出した障害者による被災障害者支援ですが、その実際は次のような状況でした。

避難所まわり

 避難所となっているのは、たいてい学校の体育館や公民館でした。まず受付で被災した障害者の支援をしていることを伝え、チラシの掲示の許可をもらい、避難者の仲に障害のある方がいるかどうかを尋ねました。
 しかし、すでに福祉避難所や内陸の施設や病院・親戚の家などに移っていて、なかなか出会えませんでした。特に車いすを利用している方の姿は見えず、身体障害でも比較的軽度か、視覚障害や聴覚障害などご自分で移動できる方、知的・精神・発達障害の方たちでした。外見からわかりにくい障害の方は、受付で把握されていなくても、保健師さんから話を聞き、当事者につなげていただくようにしました。ただ、周囲に障害を隠している場合には迂闊に声をかけるわけにもいきませんでした。
 (略)
「人に迷惑をかけないように」とか「障害者は家族が世話をするものだ」という意識からか、家族が疲れていても助けを求めず、「大丈夫」と我慢しているように思えました。同様に、「家族が面倒をみられないのなら、施設に」と、災害時においても障害者は施設か病院に行くのが当然という考えで、避難所の環境を変えて、いっしょに過ごそうという意識にはなりにくいようでした。
 環境を変えてもらえるよう頼んでも、「この非常時に障害者も健常者もない」、「みんな大変なのだから、障害者だけ特別扱いはできない」と言われてしまうことがあり、結局、障害者が避難所を出て行かざるを得ない状況になることが多いようでした。
 一方、障害者と健常者が共に避難所で過ごすうち、避難者の間に障害者への協力態勢が生まれ、避難所を出た後でも、その関係が続いていくようなところもありました。そこは周囲が浸水して陸の孤島のようになっている避難所だったので、障害者が別の場所に移ろうにも移れない状況でした。
 避難生活は、障害者と健常者が密に時間や場を共有する貴重な機会でもあると思います。そこから共に生きる工夫が生まれる可能性があります。障害者は福祉避難所へ行くのが当然という考え方からは、生まれる工夫も生まれません。福祉避難所は選択肢の一つにとどめて、基本的には障害者と健常者が共に避難することを前提とした避難所が整備されることが必要だと思いました。

「手がかりをたよりに障害者を探す(被災地障がい者センターいわて 2011年度活動報告)」東北関東大震災障害者救援本部共編『同』pp.167-169

災害時に障害がある方が遠慮しなければならないというのは、平常時においては「なんて非情な物言いだ」と思われるかもしれませんが、緊急時に自分の身が不安定になるとそうも言ってられなくなるのが現実です。さらに、そこには地方の再分配機能の貧弱さが追い打ちをかけました。

都市部と地方の福祉状況の違い

 東日本大震災では、都市部と地方の違いがあり、地方が震災前から抱えている課題が震災により浮き彫りになった面が数多く見られました。
 阪神淡路大震災では、被災した多くの地域が神戸や西宮のように大都市であり、人口が多い地域です。福祉制度においては、障がい者運動の成果に加えてそれぞれに独自の予算で競い合い、他の地域よりも進んだ制度を作り出す傾向がありました。
 一方、今回の被災地域の沿岸部では、年々人口の流出が進み、十分な福祉基盤が整備されていない状況があります
 主な特徴として、東北沿岸部では障害者福祉を担う事業所が大きな社会福祉法人一つというところが多くあります。地域に多様なホームヘルパーやガイドヘルパーなどの利用者、福祉サービス事業所がないことで、さまざまなニーズに対応しにくい面があります
 全体として、知的障害者、精神障害者に関わるサービスのわりには身体障害者へのサービスが不足しているように思いました。
東北関東大震災障害者救援本部共編『同』p.120

大都市が近接していればヤードスティック競争による福祉の磁石が働く余地もありますが、財政力のない地方部ではほぼ社会福祉法人の独占状態となっています。そんな状況で給付金があっても購入すべきサービスが供給されていない以上、生活に必要なサービスを受けることができず、震災によってその実態が浮き彫りになったといえます。ここから何が必要かを、社会政策として考えていく必要があると思います。

2015年05月03日 (日) | Edit |
先週ネパールで発生した地震では今日時点で6000人を超える方が亡くなったとのことで、心から哀悼の意を表します。現地の映像を見る限りでは、内陸で発生した地震なので阪神・淡路大震災と同じように古い建物などの倒壊による圧死がほとんどのようですが、日本よりもハード・ソフト両面での社会的インフラが脆弱であるネパールとその周辺国では、喫緊の被害者救出だけではなく、これからの復旧・復興にも大きな困難が伴うのではないかと危惧されます。私は募金する程度の支援しかできませんが、現地の方々の暮らしが少しでも安定することをお祈りします。

毎年書いているような気がしますが、4月から5月は年度の変わり目で前年度と当年度の業務が錯綜する時期でして、特に震災後の業務の増加もあってGWも仕事をするのがデフォとなっております。という状況ではありますが、以前のエントリで予告していた震災の記録について、仕事の合間で書きためていたエントリをアップしようと思います。ただ、今回はいわゆる「社会的弱者」と呼ばれる方々の記録ということもあり、本の記述のあちらこちらに左派的記述が散見されまして、個人的には全面的に賛同できる内容ではありません。まあ、拙ブログも見る方によってはサヨク的と思われているようですが、私自身は「左派的な思想を否定はしないけど、左派の方法論は使い物にならないと考えて」おりますので、特に弱者を守るためには強者である「国」とか「大企業」を批判しなければならないという安易な「日本的」左派の方法論には何重にも眉につばをつけて読むようにしております。もちろん、そのような主張であっても、「役所の事業について深刻な利害を有する関係者からの利害表明は、それが誤解に基づくものであっても必要と考えております」ので、今回取り上げる本のそうした部分は貴重な証言として受け止めなければならないものと考えております。

被災弱者 (岩波新書)被災弱者 (岩波新書)
(2015/02/21)
岡田 広行

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こちらは宮城県内の被災された地域の状況をつぶさに取材したもので、役所などの公的支援が十分に行き渡らない方々の現状が「可視化」されていきます。

 筆者が本書を執筆するきっかけをくれたもう一人は、第1章で紹介する宮城県気仙沼市在住の村上充さんだ。
 地震も被災者である村上さんは、気仙沼市の仮設住宅93カ所のうち40カ所以上を自主的に訪問し、手弁当で住民の困りごとの解決に尽力してきた被災地でも希有な人物だ。仮設住宅の自治会長から頼りにされる村上さんの元には、市役所に依頼しても解決されない難題の多くが持ち込まれてくる。しかし、いくら問題解決に汗をかいても、村上さんの活動は行政や地元医療界から公式に認知されることはない
 チーム王冠や村上さんのように、被災者に寄り添いながら、長期にわたって活動を続けるボランティアは被災地でも少ない。
 筆者は、問題を可視化する彼らの能力に驚嘆するとともに、彼らによる取材協力を通じて、被災がいまも続いている事実を強く認識した。
(中略)
 取材を進める中で、仮設住宅では高齢者の認知症が進み、世話役を務める住民が右往左往していた。津内浸水区域では、資金がないために住宅の修理が終わらない高齢者、復興事業によって住み慣れたわが家の立ち退きを迫られている在宅被災者がいた。みなし仮設住宅では、震災前のような安定した仕事に就けず、転居の見通しが立たない働き盛りの男性にも出会った。災害危険区域に指定されたために、生活基盤である集落の崩壊に見舞われた被災者もいた。いずれも震災から4年がたとうとする現在のことである。
岡田『同』pp.ⅹ-ⅺ
以下、強調は引用者による。

「はじめに」の部分で早速違和感のある記述が出てくるのですが、「公式に認知されることはない」というのはややミスリードではないかと思います。本書で指摘されている問題については、行政も地元医療界も当然認識している(はず)であるとしても、ただちに行政が対応できるかはまた別問題です。つまり、その問題を行政が取り扱うべき課題となるためには、法令にその根拠を求めた上でその解決のために予算をつけるというプロセスを経なければならず、そのプロセスの中で、その対象から外れてしまうものが少なからず生じているというのが実態ではないかと推測します。もちろん、全ての課題を行政が把握することの困難さはあるとしても、では行政が把握した問題を全て行政が対応するかといえば、そこには法令や予算などの手続き的にクリアしなければならないハードルがあるわけです。それが法律の留保の考え方に基づく法律による行政の原理でして、これをなし崩し的に行うとそれはそれで大問題に発展する可能性もあり、行政として慎重に手続きを踏むのはやむを得ないことだろうと思います。

さらにいえば、行政が対応しようにもマンパワーが絶対的不足していて手が回らないという状況があるわけでして、まあそれもこれも突きつめれば、行政の対人サービスという現物給付を嫌う住民の選好の表れということもできます。財政政策とか再分配とかを重視すると自称される経済学方面の方々は、何かというと給付金やら給付付き税額控除(負の所得税)とかおっしゃるわけですが、対人サービスが供給されなければいくらマネーがあっても購入することはできないところでして、被災された地域の状況はそれを如実に物語っているといえましょう。

ただし、これはあくまで平常時における行政の業務の進め方についてであって、震災のような緊急時にはそれがうまくいかない事態もありえます。というより、本書で取り上げられているのは、そうした緊急時の対応がうまくいっていない方々、特に「在宅被災者」となっている方々です。

支援対象外の被災者

 「在宅被災者」(在宅避難者、自宅避難者ともいう)の存在をご存じだろうか。
 今回の大震災では地方自治体が防災計画であらかじめ指定していた避難所(指定避難所)の多くが津波で被災し、かろうじて残った避難所も被災者であふれかえった。そのため、遅れてたどりついた被災者は避難所に入れてもらえなかった。身内に障害者や要介護者を抱えた被災者の中には、避難所の劣悪な環境に耐えられずに浸水した自宅に戻った人も少なくなかった。そうした「在宅被災者」は、津波被害を受けた自宅の二階などで電気や水道もない生活を数カ月にわたって余儀なくされた。
(中略)
 しかし、この厚労省の通知では支援の方策が不明確だったため、市町村の対応は大きく分かれた。多くの市町村は形の上では在宅被災者も食糧支援の対象としたものの、現場では避難所に取りに来なければ渡さないという対応がされた。町内会への配布などを通じて津波震災区域に届けた例もあったものの、町内会長が死亡していたり、避難などで連絡が取れなかったりする場合には、在宅被災者は食べるものに窮することとなったのである。
 宮城県南部の山元町は震災直後に浸水区域を「危険区域」に指定市、住民の居住や立ち入りを制限した。身内に障害者を抱えて危険区域での生活を余儀なくされた住民から食糧支援を求められても、町は自治会長の了承がないことを理由に食糧の配布をしなかった。
岡田『同』pp.48-49

チホーブンケン教(チーキシュケンでもチホーソーセーでもいいですが)の皆様におかれては、地元の市町村が国の通知に基づいて市町村が独自に判断したこの事態についてどのようなご認識なのかご意見を拝聴したいところですね。まあ、「自己責任論が世論の支持を得るようになって初めて地方分権の議論が進んだという時代背景を考えれば、チホーブンケンの旗を掲げる限り自己責任論からは逃れられない構図になっているわけで、被災自治体に自己責任を押しつけてしまう現実よりも、チホーブンケンという理想が優先されている」現状では、それも「中央ががんじがらめに縛っているから地方が誤った判断をするんだ」とかいうよくわらかない理屈で批判されそうですが。

本書の記述にはややミスリーディングではないかと思われる部分もありますが、本書では前述の「公式に認知されることはない」という状況についての説明もあります。

 震災を生き延びた後、仮設住宅や復興公営住宅での多数の孤独死を生んだ阪神・淡路大震災の教訓から、厚生労働省は東日本大震災に際して、高齢者などの災害弱者への見守りの仕組みを新たに設け、これに基づいて気仙沼市では被災者生活支援事業として四つの委託事業を実施、100人以上のスタッフが日常的に見守りや孤立・引きこもり防止の活動に従事している
(1)応急仮設住宅入居者等サポートセンター活動(地域支え合い体制づくり事業)
(2)震災被災地域高齢者等交流推進事業活動(緊急雇用創出事業
(3)震災被災地域高齢者等友愛訪問事業活動(緊急雇用創出事業
(4)「絆」再生事業(社会的包容力構築・「絆」再生事業)
(中略)
 だが、これだけの布陣にもかかわらず、住民からは支援事業そのものが「今ひとつ物足りない」(仮設住宅の自治会長)という評価が多いのも事実だ。
 実は前出の女性・男性いずれも、サポートセンターなどのスタッフが見守りの対象としていた。スタッフは本人への戸別訪問や仮設住宅の住民からの聞き取りで把握した情報を、「地区支援者ミーティング」や「仮設住宅等訪問事業打ち合わせ会」、市の関係各課との「サポートセンター長連絡会」などで報告し、共有している。
 反面、身の回りの世話をしていたのは仮設住宅の自治会長や見守り役・世話役を買って出た女性だった。前出の男性の場合は、見守り役の住民が食料を届けたり、病院につれていったりしていた。本来であれば、何らかの公的福祉サービスにつなげられるべきだと思うが、ケアマネジャーがつくこともないまま、病院から退院していた。それが原因で、要介護認定の更新手続きも放置されていた。問題を抱える被災者に十分な支援が行き届かない現実がある。
(中略)
あくまで(2)〜(4)のスタッフが集めた情報はサポートセンターが「総合相談窓口」となり、高齢者対応については地域包括支援センターに、行政対応については保健福祉課に提供してそれぞれの持ち場で具体的な解決を図ることになっている。その際にサポートセンターは問題案件を「かかえ込まないこと」と明記されている。
 つまり、見回りで見つけた問題点はサポートセンターにまずつなぐ。実際の運営に際して、「毎週木曜日に開催している会議において、情報を共有する」「行政で関わる人をすみ分けし対応する」としており、明確なラインにもとづいた対応に徹することが求められている。行政の委託事業である以上、こうした仕組みには合理性があるのかもしれないが、古屋医師のいうようにマンパワーが不十分な場合には早急な解決が必要なケースであっても後回しにされるリスクをはらんでいる。また、財政上の理由などで、生活困窮者を生活保護制度につなげるインセンティブが働きにくいという問題もある。見守り活動にかかわるスタッフ自身は住民から相談を受けてもその場で問題解決に動けないというジレンマもはらんでいる。
岡田『同』pp.4-8

4つの見守り事業のうち2つを緊急雇用創出事業が担っているところですが、緊急雇用創出事業の実務経験からいえば「マンパワーが不十分な場合には早急な解決が必要なケースであっても後回しにされるリスク」というのは逆ではないかと思うところです。つまり、そもそも国も地方も平時からマンパワーが足りない状態であったところに震災が発生し、当然のことながら震災対応に割くだけのマンパワーが足りないから緊急雇用創出事業で経験の有無を問わずに雇用したというのが実態だろうと思います。経験の有無を問わないのは、「専門的な技能を持つ方を雇用する事業を認めてしまうと、専門的な技能を持つ方以外の雇用の機会が制限されてしまうことになって、雇用の場を失った方のための雇用機会の創出という緊急雇用創出事業の目的から外れてしまう」からですが、そうした経験のない方に過重な責務を与えない実務上の工夫が「サポートセンターは問題案件を「かかえ込まないこと」」だったわけです。そうした手続き上の制約を取り払うためには、マンパワーとその人件費(その業務を担うための職業訓練経費を含む)を賄う財源を拡充することが不可欠でして、そうしたフローの再分配の財源としてフローの税収が必要となるのですが、国債というストックで賄えばいいという上げ潮な方々に阻まれているのが現状といえます。

と、ここまで反論めいたことばかり書いてしまいましたが、本書ではこうした行政の制約を目の当たりにして「地域コミュニティ」が強調されていて、これは大変重要な指摘だと思います。行政のマンパワー不足や制約によって行政の支援が届かない「被災弱者」には、NPOなどの外部の方による支援も有効ですが、日常生活で接する機会の多さではやはり同じ地域に住んで同じような生活をしている近隣住民にはかないません。ただし、その生活の距離の近さを嫌う方もいますし、障害者や要介護者を抱えた家族はなかなか地域に溶け込むことができないという現実もあります。

 被災者が安心して暮らすことができない現状をどう考えるべきか。
「石巻住まいと復興を考える連絡会議」(石巻すまい連)の代表委員として被災者による住民組織作りを支援してきた佐立昭さんは、石巻の復興を困難にしている要因として、(1)地域社会の崩壊、(2)石巻に相応しい復興政策の欠如、の二つを挙げている。「(1)については、住民の多くが仮設住宅などで避難生活を送ることにより町内会など残された地域コミュニティの機能が失われている。(2)は、持ち家率の高さから自宅再建を望む被災者が多い中で、十分な支援の手立てがない」(佐立さん)。道路建設などの復興事業が進む中で問題はさらに複雑化しているが、行政の対応は後手に回っている。
 住まいの問題の解決こそが生活安定のよりどころだが、そこにたどりつけないことに多くの被災者が苦しみ続けている。
岡田『同』pp.191-192

行政の対応が「後手に回っている」という指摘と、「地域コミュニティの機能が失われている」という指摘の関係は、行政の支援が遅いから「地域コミュニティ」の機能が復活しないという趣旨と思われます。「行政が支援する地域コミュニティ機能」という、一見すると矛盾しているような対応が求められるのは、特に行政による再分配機能が貧弱な地方の課題を示していると理解するべきではないかと思うところです。そして、そこで地域コミュニティの形成を阻んでいるのは、行政の支援の不足だけではなく、雇用を保障する代わりに会社に全人格的なコミットメントを求める日本型雇用慣行(それは日本の貧弱な再分配機能を補完するものでもあります)でもあることにも目を向けるべきだと思います。

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