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2015年04月24日 (金) | Edit |
前回エントリでは政府や自治体の側からの震災の記録を取り上げましたので、今回は住民の側からの震災の記録について取り上げたいと思います。

まず、被災地の新聞社の記者だった筆者による震災の記録ですが、こちらの本のスタンスは、第4章のこの記述に現れています。

 岩手県内のある市の職員から私は、
「市民一人ひとり、被災者一人ひとりの意見を聞いていたら、まとまる計画もまとまりません。だから行政が決めていくんです」
 そう、言われました。確かに、それも一理あるでしょう。しかし……、と思わざるを得ません。その職員に行政の復興事業に対する異論を含めた原稿を書いていることを話すと、こう言われました。
「木下さんは行政の敵に回ったんですね」
 もちろん、冗談半分だったのでしょう。仮に冗談半分だとしても、行政に携わる人が口にしてはいけない言葉です。震災の地に暮らす人たちが行政と異なる意見を述べるのは、1日も早い生活再建と地域の復興を願うからです。決して、敵に回ったわけではありません
 行政には住民と心を通わせながら、人々がそこに暮らし続けたいと思い、笑顔で暮らし続けることのできる震災地の復興と取り組んでほしいと心から願います。
p.219

東日本大震災 被災と復興と東日本大震災 被災と復興と
(2015/03/03)
木下 繁喜

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※ 以下、強調は引用者による。

拙ブログでも「役所の事業について深刻な利害を有する関係者からの利害表明は、それが誤解に基づくものであっても必要と考えております」ということを申しているところですが、実際にその事業に関係する方がご自身の利害を主張することは、民主制などと大げさなことをいうまでもなく「少なくとも職場内の日常生活の中で立場の異なる方々と連帯しながら、同時に立場の異なる方々と利害調整するというプロセスを各個人が直接経験する」というのが、被災した地域の方々が置かれている状況なのではないかと思います。

本書ではテーマごとに被災された方々の現状が報告され、それに対する解決策などが指摘されているのですが、一つひとつを個別に見ればなるほどと思うものの、全体を読み終えてみると、ではそれらを全部実現できるのかといえば少々無理があるだろうと思います。

 土地区画整理事業は減歩を伴うこともあり、過去や他地域の例をみても、平時でさえ地権者交渉が難しく、想定以上の歳月がかかるものです。大船渡市は2012年(平成24)年7月に開いた地権者説明会で、「事業完了までに最低9年はかかる」と説明しました。
 その説明会で地権者の一人が手を挙げ、発言しました。
「『区画整理に時間がかがっから、その間、みんな、待ってろや!』。そう言われても、どこで商売して待ってんのす! 10年も商売も何もしないで年寄りになって、どうやって、『そこにまた戻ってきて街を造れ』と言うのす。そこにまた、人が戻ると思いますか?」
 そう、素朴な疑問と不安を口にしました。そして、行政が進めようとする復興事業への不安感を露わにし、語気を強めて、次のように続けました。
「俺たちには民間の活力っていうのがあるんです。俺たちが一生懸命やっぺとするのに、俺たちの足を引っ張って、『土盛っから、待で!』『こんな立派な街造っから、待で!』って、何も助けない。土盛る金があったら、おらどさ、よごさい。そしたら黙ってでも建でっから。その予算で、おらどさ、家を建でさせでけらい。流れたらしょうがないがら。その覚悟のある人は建でっから。家を建でっぺとしたり、一生懸命復興しようとする人たちを、行政は、なして邪魔するの! 行政は、前さ立たなくていいから! なんで前に立とうとするの、偉そうに!」
 会場からは大きな拍手がわき起こりました。
pp.29-30

こうした区画整理事業の現実については、「高台造成などの公共事業に資金を使うより、個人の住宅の再建に資金を用いた方が良い。少しでも海の近くに住みたい人と車を使えない高齢者は旧市街地に住んで、海の近くである必要のない人は山に住めば良い。人口減少と高齢化で、三陸の山に土地はいくらでもある」などとのたまって現在は政府の枢要な職に就かれている方にも正座して読んでいただきたいところですが、まあ「最初にご質問頂いた、どういうものを買った方がいいのかという具体的なオペレーションについては、私は部外の学者でしたので、今日の時点ではあまりお話しない方がよいと思います」などと就任後の記者会見で言い放つような「学者」さんには、こうした現実なんてものは眼中にないのでしょうけれども、ではなぜ被災した地域について「人口減少と高齢化で、三陸の山に土地はいくらでもある」などと知ったかぶった物言いができるのでしょうかねえ。ねえねえ?

ちょっと話がそれましたが、土地区画整理事業というのは単に土地の権利関係を移転するだけではなく、安全性や利便性を向上させるためにより高規格の道路や公園などの共有地を新たに確保することも求められるわけで、そのために減歩という形で各戸から土地を供出していただく必要があります。かく言う私も地元の土地区画整理に当たって減歩された経験者でして、減歩された土地が行き止まりの区域で使い途がないということで買い戻しも一部しました。もちろん移転費用の全額が補償されるわけもなく、いまでも持ち出しのローンが残っている状態で、自分の土地を減らされてそれを買い戻すというのは役人としても割り切れないものがあります。では区画整理したことによって利便性とか安全性が向上したかといえば、確かに大きな道路ができて車は通りやすくなったものの、その分騒音が酷くて窓を開けると会話もやっとという状況で、個人的には悪化した面もありますが、その道路を通ることで時間短縮して仕事や生活の効率が上がった方は多数いるでしょうし、その道路沿いに飲食店とか大型のショッピングセンターもできていますので、地域全体で利便性が上がっていることは事実だろうとは思います。

本書でも被災した地域でのそうした矛盾が(期せずしてか)描かれてしまして、たとえば、

 震災地では山を切り崩し、学校の再建や災害公営住宅の建設、高台への集団移転の用地を確保しなければなりません。山を切り崩すと当然、切り土が生じます。その切り土をどこに捨てるか。どう活用するか。さらには切り土の最終処分が住むまでの仮置き場をどう確保するかなど、さまざまな問題が出てきます。
 であれば、嵩上げが必要な地域を切り土の処理用地にすればいいのです。山を削って出てきた切り土を捨てる形で、盛り土を行えばいいのです。そうした切り土処理と、処理に伴う整地が震災復興の事業の一つとして認められれば、嵩上げを行うのに土地区画整理事業を導入する必要がありません。そうすれば減歩や換地の問題も起きません。

木下『同』p.44

というのは、同じ気仙地区の陸前高田市で行われている「希望のかけ橋」を念頭に置いていると思われますが、それも土地区画整理事業の一環なんですよね。で、そうして嵩上げした土地に移転するかといえば、

 しかも、盛り土した地盤の軟弱さは誰もが知っています。大きな地震が起きるたびに盛り土した土地で液状化や亀裂などが生じて住宅が傾いたり、壊れるといった被害が各地で出ています。「いくら建設が可能と言われても、盛り土して造成された土地には怖くて家が建てられない」という声を大船渡町内でも耳にします。津波の記憶が生々しく残る中、「浸水した場所には家を建てたくない」という人たちもいます。

木下『同』p.50

という声もあるわけでして、総論としての事業の方法性には同意が得られたとしても、個々の事情に応じた各論では異論が出まくるのが公共事業の常ではあります。この引用部は、商店街の立地についての部分なので、盛り土した地域を単に住宅地とするというわけではありませんが、住居兼店舗となる小規模事業所が多い地方では、商店街に人が住めるかが大きな問題となります。私も区画整理で盛り土した土地に住んでいますので、気象庁の発表する当地の震度よりも地震の揺れを大きく感じたりしますので、盛り土に対する懸念は理解できますし、かといって区画整理しなければ新たな土地利用そのものができないのも現実です。

 震災直後から高台への集団移転の必要性を指摘する声が聞かれました。浸水した土地との等価交換で、街ごとそっくり高台に移転するのであれば多くの人が賛成します。しかし大船渡市では地形的にみて、それは困難です。高台移転は結局、切り崩した山の斜面などに小規模あるいは中規模の住宅団地を造るのがせいぜいなのです。
木下『同』p.56

 大船渡市では防集事業で21カ所の団地が整備されます。しかし、防集事業と一体的に整備される災害公営住宅はわずか2カ所です。平地の少ない市内にはあまり適地がなく、防集事業で整備する団地内に全ての災害公営住宅を建設することができなかったのです。その結果、災害公営住宅入居者の多くは住宅跡地を買い上げてもらえないという状況が生じることとなりました。
 市はこの問題の解決を国に要望し、協議を行ってきました。その結果、住宅跡地の買取対象が全ての災害公営住宅入居者に拡大されることになり、2014年3月に公表されました。おかげで災害公営住宅の入居者は第二種区域内でも住宅跡地を買ってもらえることになったのです。この点は市の努力を認め、評価したいと思います。しかし同じ第二種区域内の住宅跡地でも、自力で別な場所に家を再建した人は買い取り対象外です。当事者にすればなかなか納得のいかない話です。
木下『同』p.61

あえて単純化していえば、30のリソースしかない状態で4人から10の希望が出されると、一人当たり平均で2〜3割程度の希望を妥協してもらわなければ、30のリソースでは対応できません。一人当たりきっちり7.5の希望が実現であれば平等かもしれませんが、一人が5で他の一人が1を妥協すれば、5の妥協をした人にとっては「当事者にすれば納得のいかない話」になってしまうわけです。それどころか、相対的に恵まれているとはいえ1を妥協した方にとっても1は不満が残るわけですから、結局誰でも「当事者にすれば納得のいかない話」であることは変わりありません。私が「悪役に仕立て上げられながらその遺恨を背負い込むのも行政の大事な仕事」と考えるのは、この誰にでも残る不満のことを念頭に置いているからでもあります。

まあ、金融政策や財政政策という経済学的な議論で政策を論じている方々には、土地という実物の配分問題は金の力ではどうしようもないという点には思いがめぐらないでしょうし、これからも復興事業の予算が足りないとか、役所の仕事がマズイから問題が生じているとの批判が絶えることことはないと思います。こういう事例をみれば土地のような実物が金ではどうしようもない制約に直面することはある程度理解されそうではありますが、対人サービスによる現物給付という公共サービスがヒトという実物に制約されることに関してはなかなか理解されません。「「日本全体の「ものやサービスをつくりだす力」が衰えてしまうと、いくら老後のためにお金を貯めておいても安心できない」という部分を、「日本全体の「ものやサービスをつくりだす力」が衰えてしまうと、いくら復興予算をつけても実施できない」と言い換えてみれば、問題の所在は明らかだろう思います」が、特に経済学的な議論を好む方々にはなかなか見えてこない現実ではないかと思います。

実は、本書でも経済学的な市場主義に傾倒しているかのような記述が散見されます。

 災害公営住宅建設の遅れの要因として、建設資材の高騰や建設従事者の不足が指摘されています。しかし、それ以上に建設用地の確保が大きな壁となっていたようにも思います。震災後まもなく県内外の民間デベロッパーや住宅メーカーはあちこちで宅地を開発し、アパートやマンションを建てました。募集した先から分譲地は売れ、部屋は埋まっていきました。民間にできて、行政にはなぜ、できなかったのでしょうか。行政の提示する金額が低すぎ、地権者交渉が難航したのでは、という話をよく耳にしたものです。
木下『同』p.91

 策定に当たっては民間のシンクタンクやコンサルティング会社を参加させるべきです。昔から「餅は餅屋」と言います。街づくりの実績や人材、能力、ノウハウがある民間の力を活用しない手はありません。もちろん、計画には地元の行政や産業界の考え、何よりも住民の意見を反映させたものでなければなりません。ただ作るだけでなく、出来上がった計画は地域全体で共有しておくことが大切です。
木下『同』p.206

行政ができないから民間ならできるといささか単純に考えられているように思われますが、もちろん、民間のノウハウに任せた方が望ましい部分はそのとおりだとしても、果たして民間のシンクタンクやコンサルが「出来上がった計画は地域全体で共有しておくことが大切」だとして、「悪役に仕立て上げられながらその遺恨を背負い込む」ことができるかは大いに疑問が残るところです。

この本で述べられていることは、矛盾を抱えつつも、被災された地域で暮らす方々の本音をかなり率直に述べられていると思います。政府や自治体が取り組むべきは、大所高所からの「ぼくのかんがえたふっこうけいかく」だけではなく(その重要性は否定しませんが)、その地域の様々な利害関係の中で暮らす住民同士が、あちこちで巻き込まれる利害のぶつかり合いに正面から向き合うことであるはずです。

ということで長々取り上げてしまいましたが、長くなったついで(?)に本書の最終章では、筆者が阪神・淡路大震災で復興したものの人が減ってしまった神戸市に行き、地元の方と会った様子が記されています。

 大正筋商店街振興組合の理事長、伊東正和さんを訪ねてみることにしました。2014(平成26)年5月22日付け朝日新聞「耕論 消えゆく自治体」で、伊東さんの話を読む機会がありました。
 その紙上で伊東さんは長田の現状を率直に語るとともに、「住民の手で復興後の姿を描き、自治体任せから脱却する。自治体は福祉や都市計画などの専門知識を活かして、住民の知恵を支えることに徹すべきです」と訴えていました。また、「宮城県沿岸部を訪ねた時、地元の商店主に『誰かに造ってもらう街ではいけない。被災者自らが考えてほしい』と呼びかけている」ともありました。伊東さんの話に共感し、ぜひお会いしたいと思っていたのです。
木下『同』pp.229-230

その伊東さんのお話がいろんな意味で考えさせられます。

 行政の方々の思惑とこちらのほうの思惑と、何らかの合意があったから、こんだけのもんが出来上がったのか。そうじゃなしに出来上がったのか。僕から言わせたら、なんでもメリット、デメリットがあってね。メリットの部分を多く出さはられると、住民って、困って弱ってますから藁にもすがる思いで、いい話に乗ります。「行政がそう言って誘導してくれるんやったら、早くやろうやないか」というふうになりますよ。
 でも、メリットの裏には必ずデメリットがあるんですよ。デメリットの部分を行政があんまり言わなかったから、こんだけ早くできてんのかも分からない。行政側はよく、「聞かなかったから、言わないんだ」っていう言い方をします。だから、東北の方々には常々言うてるんです。「メリットがあれば、必ずデメリットがあるということを、先に知っておきなさいよ」と。
pp.238-239

 行政がつくったもののままでズーッといったってダメですよ。行政の人間は上からの命令を聞いているだけですから。自分の仕事を守ろうとしているだけですからね。大きなものを造ると復興予算の大半が使えて、復興計画の何パーセント果たしましたよ、と数字の報告ができるんです。内容的にそれが本当に大切か言うたら、そうじゃないんですよ。でも担当の人間は上から「どないなっとんねん!」言われるから、数字を挙げようとするんです。(略)
 でもその中で、絶えず言い続けることって大事だと思います。自分が正しいと思うたら言い続ける。間違っていたら、そこでお互いに「すみません。僕の考え、まちごうてました。これから一緒にやりましょう」と謝ればいいんです。
 行政の方とケンカすんのは簡単やけど、絶対にしてはダメです。裁判したって誰の得にもならんし、気分ええことなんか何もない。夫婦の仲も、行政との関わりも一緒やと思います。
pp.240-241

 だから、僕は現地に直接行ってお話しして、街を見て、「こうした方がいいんちがいますか」とか、コンサルみたいな形で言うたんでは、一般論。一般論はあくまで一般論なんですよ。その街が生き残る道やないんですよ。
 長田の経験から僕が言うのは、「街っていうのは住民だけでは復興しないんですよ」、ということ。商業者が必要なんです。商業者が賑やかだったから、祭り事がずっと続いとるんです。日本国中、祭り事はそこの地場産業が盛んで、その方々がスポンサーになって続いとるんですよ。
p.242

 長田にはいろんな問題があって、裁判問題も起きてます。だけど僕は、「裁判したからって、どうするんや」って言うんですよ。勝ったかて、負けたかて、遺恨だけが残るんです。ここの商店街でも「裁判せずに頑張ろや!」いう人間と、「やっぱり裁判して突き詰めなあかんねん!」という人間といます。思うてることは一緒であっても、やり方が違うだけで睨みおうとるんです。
 僕は、違うと思う。だって裁判をしたとこで時間がかかるばっかりで、儲かるのは弁護士だけ。それも大事だけど、「どうやったらお客さんが来るか」を51対49の法則で、51以上で考えるべきです。
pp.243-244

伊東さんがこうした話を語れるようになるまでのご苦労が、言葉の端々に伺われます。ここに至るまでに20年近くの歳月があり、これからも平坦な道のりではないとは思いますが、住民と行政の間にこうした関係を築かれていることに、関係者の皆さんに敬意を表したいと思います。そして、その関係は脆いものだろうと思います。住民と行政が対立するのではなく、緊張感を持ちつつ良好な関係を構築していくというのは理想かもしれませんが、この思いに共感する方が増えるのを願うところです。
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2015年04月13日 (月) | Edit |
震災から4年と1カ月が経過しましたが、当時は「日本はひとつ」などといわれた東日本大震災といえども日本全体から見れば喫緊の課題とは認識されなくなっているところでして、政府からも「復興財源の地方負担」について言及されるようになっています。

復興相、岩手の被災市町村長と会談 復興予算負担で応酬(竹山栄太郎、斎藤徹、田渕紫織 2015年4月11日21時24分)朝日新聞デジタル
 東日本大震災の復興予算をめぐり、竹下亘復興相は11日、被災した岩手県の市町村長らと会談した。2016年度以降は被災地側の一部負担を検討する考えを伝えたが、自治体側からは反対意見が相次いだ。復興相は近く宮城、福島両県も訪れるが、復興予算の枠組みが固まる6月までせめぎ合いが続きそうだ。

 岩手県釜石市で開かれた会合には、竹下復興相や小泉進次郎復興政務官らが出席し、被災地からは野田武則・釜石市長ら13市町村の首長らが参加した。

 冒頭、竹下復興相は「復興の基幹事業は引き続き国費で対応していく」とあいさつ。その後、約2時間の会談は非公開だった。終了後、野田市長は「(国から)一部地方負担を検討しなければならないという発言もあった」と明らかにした。復興予算を国が全額負担する集中復興期間を今年度で終え、16年度以降は復興予算の枠組みを見直す考えを示されたという。

 岩手県幹部によると、竹下復興相は「復興に使うお金は、国民からいただいた税金ということをおさえていただかなければ」と語ったという。

※ 以下、強調は引用者による。

私自身は、予算が減額されていくことについては、震災直後に「ある程度生活再建が現実の課題として認識される段階になれば、「そんな津波で流されるところにわざわざ町を再建する必要はない」「もともと過疎の町だったんだから、この機会に全員移住させてしまえばいい」「津波に強い町にするためなんていいながらムダな公共事業なんかに税金を使わせてなるものか」という議論が起こることは十分に想定されます」と考えておりましたので、まあそんなものだろうと思いますが、当然そうなるとこれから実施が困難になる事業が発生しうるわけで、楽観視できる状況ではありません。もちろん、事業費を投じる対象や執行方法、事業費などが適切かどうかは不断に検証する必要がありますが、そもそも自主財源のない地方に負担させるという名目で事業費がカットされた場合の影響についても十分に検証する必要があると思います。

そうした政府の動きとは対照的に、4年目になって特に出版の方で変化が起きているように感じます。4年も経過すると、山口先生が指摘されている「よりよく忘れること」を具体的に進める必要があるところでして、それに呼応するように出版される震災関連本の内容が地に足のついたものになってきています。おそらくは、JIL-PTの報告書のように、震災後3年を契機として被災した地域の状況について丁寧な取材や調査が行われ、その結果がまとまってくる時期なのだろうと思いますが、最近読んでみた震災関連本の中から、震災が人々の生活に与えた影響を考える際に参考になるものをご紹介したいと思います。

玄田有史『危機と雇用』


危機と雇用――災害の労働経済学危機と雇用――災害の労働経済学
(2015/02/26)
玄田 有史

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 ということでまずは玄田先生の本ですが、hamachan先生にご紹介いただいた通り、2014年5月号の『中央公論』で書評を書かせていただきました。本書については、玄田先生ご自身が、

本は、震災後の雇用に
まつわる事実をデータから
迫ったものですが、
それに対してできるだけ
労働経済学による解釈を
付けています。

しかも労働経済学のことを
まったく知らない読者にも
理解をいただけるように
できるだけ努力したつもりです。
そんな思いもあって副題には
「災害の労働経済学」としています。
自分の書いた本で「労働経済学」という
言葉を題名に加えたのは初めてです。

危機と雇用 災害の労働経済学(2015年2月26日 ゲンダラヂオ)

とおっしゃる通り、労働経済学者の本分を発揮されて詳細なデータから震災が(主に東日本の)雇用に与えた影響を分析しており、これから起こる災害に備えて多くの方に読まれるべきだと思います。ちなみに、本書におけるデータの学術的な分析については、2014年12月号の『日本労働研究雑誌』で読むことができます。なお、『中央公論』の書評では字数の関係からカットしましたが、本書では緊急雇用創出事業をべた褒めしているものの、私のような実務屋からすれば制度的な問題はかなり大きいと考えておりますので、書評ではその点について一応指摘しております。手にとってご確認いただければと思います。

東大社研・中村尚史・玄田有史編『<持ち場>の希望学』


〈持ち場〉の希望学: 釜石と震災、もう一つの記憶〈持ち場〉の希望学: 釜石と震災、もう一つの記憶
(2014/12/19)
東大社研、 他

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 こちらは玄田先生が中心となって進めている希望学の観点から、岩手県釜石市で様々な立場で震災に向き合った方々のオーラル・ヒストリーです。おそらく希望学プロジェクトの関係者を中心としたせいか、ヒアリング対象の59人のうち3分の1以上の22人が釜石市役所などの公務員となっており、「Ⅱ 希望学の視点」の前半部は市役所職員、県庁職員、消防などの行政関係者のヒアリングがまとめられています。その冒頭の第2章が「褒められない人たち」となっていて、中村圭介先生はエピローグをこのように締められています。

 罹災した釜石市民を非難したくて、こんな文章を書いたのではない。市役所の職員に対して理不尽なほどつらく当たった人々は罹災した釜石市民のほんの一部だと思う。また、市の職員がすべて、ここで描いたような対応をしたのでもないと思う。外部の冷静な目は「職員の中にも頑張っている人、頑張っていない人、……頑張っていないようで頑張っている人が、だんだんわかりました」と私たちのインタビューに答えている
 だが、被災した市民を懸命にケアし、彼らの窮状を理解し、怒りもやむをえないと受け止め、彼ら市民に真摯に対応した職員がいるのは紛れもない事実である。こうした職員を突き動かしたのは何なのだろうか。褒められたいとか、感謝されたいとかの理由をあげる職員は皆無であろう。それよりももっと根源的な、たとえば「われらの町を、そこに住む人々を何とか守られねばならない」との公務員としての、いや人間としての使命感が彼らを動かしたのではないか。私は彼ら一人一人に会って、そのことを確かめてみたい。被災した自治体全てでそうした職員を見出すことができると私は確信している。
 その苦労がマスコミとりわけテレビのワイドショーで取り上げられることもない。誰にも褒められずに、感謝されずに、彼らの行動と思いが忘れ去られていくのは、とても悔しい。私だけでも彼らを褒めてあげたい。「みなさん、本当に、えらかった」

東大社研共編『同』pp.131-132

私も被災地自治体の職員の献身的、というより自己犠牲的な働きぶりを間近で見てきた者として、同じ言葉を伝えたいと思います。その一方で、「「悲しくない行き違い」の所在をお互いの立場の中で相互に探り合い、できるだけ少ない遺恨を残しながら進めるしかないのではないかと考えるところです。この国では、その間に入って悪役に仕立て上げられながらその遺恨を背負い込むのも行政の大事な仕事ですし」と考えている者としては、現場で矢面に立っている職員にしてみれば、褒めてもらうよりまずは行政の役割を理解してもらいたいというのが本音ではないかとも思います。つまり、行政がいくら頑張ったところで、人間が定めた制度が完璧であることはおそらくあり得ないでしょうし、いくらカネを積んだところで関係者の利害を調整して承諾を得るのは時間がかかるわけでして、それがすなわち手続きの本質となります。その手続きをこなすのが自治体職員の仕事であり、普段はそれが当たり前の仕事だったのですが、震災という非常事態にあってその当たり前の仕事が極めて困難になりました。その中で何とか手続きを進めたことについては「みなさん、本当に、えらかった」という言葉が意味を持ちえますが、その手続きの結果が適正であったかどうかはまだ答えが出ていないのではないかと思います。

実際、本書の「Ⅱ 希望学の視点」の後半では、住宅再建の見通しがたたないことが生活再建の最大の障害となっている事実が明らかになっていきます。

 インタビューで、われわれは「将来の住まいの見通し」について尋ねてきたが、次第にそのような聞き方自体、どこか間違っているのではないかと考えるにようになった。確かに「どこに住みたいか」、「どんな住宅タイプを希望するか」を尋ねれば、「わからない」ことも含めて、何かしら話してもらえる。だが、その“回答”や“意向”のなかで選択されているのが、ほんとうに住まいのことなのかどうか、確信がもてなくなってきたのだ。
 「どのような家に住むか」という問いの背後には、今後、自分が誰と、どこで、どのような生活を送るのかという、複数の別の問いがある。それらの問いにある程度の見通しをつけないと、いくら住宅再建制度が整備されていても、あるいは住むべき住宅が用意されていたとしても、個々人がそこに自分の「住まいの希望」を見いだすことは難しい。だからこそ、住宅の意向調査に「答えられない」と口にされる方がいるのだろう。
 言い換えれば、「どのような家を希望するか」という問いが突きつけられることで、将来の生活についての種々の問いについても選択を急ぐよう、住民たちは強いられているのだ

東大社研共編『同』pp.278-279

『危機と雇用』でも宇沢弘文先生が提唱されていた社会的共通資本の概念を引用して、雇用を失うことそのものより、住まいとその地域におけるコミュニティを失うことのほうが生活に対する影響が大きいことが示されています。生活困窮者の代名詞が「ホームレス」であるように、地域のつながりを失うことと住まいを失うことは密接に関係しており、湯浅学さんの言葉をお借りすれば「溜め」を失うと生活に困窮してしまうことになります。それは、住まいの確保を国の社会保障と切り離しために、「住宅政策を個人資産と位置付けて、数十年単位で建て替えることが当たり前となっている現状では、住宅を失って生活に困窮している方に対する施策が、福祉的な側面を捨象してしまう「弊害」を生んだと考えるべき」でしょう。被災した地域の現状は、そのことを如実に物語っているといえます。

望月善次共著『被災の町の学校再開』


被災の町の学校再開被災の町の学校再開
(2015/02/11)
望月 善次

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 こちらは行政の中でも教育行政の担当者への聞き取りを基にまとめられ、日々刻々と状況が変わっていく被災地のドキュメンタリーのようになっています。震災発生の3月11日から40日余りで23年度の入学式と始業式を実施し、被災した児童に学校教育の場を提供するまでの担当者の奔走ぶりには、今更ながら感嘆せざるを得ません。小中学校8校中6校が被災して使用できなくなった岩手県大槌町で、なんとか教室を確保して授業を再開するためには関係者の理解と支援が必要です。そのために通信手段も限られた中で関係者の合意を取り付ける必要があるわけですが、実際に児童に教える経験を持った教師が教育行政の担当者であったことも、その手続きを進めるために有効だったのではないかと思います。たとえば、教室を確保するため慎重に手順を踏んだことが述べられています。

 こういうふうに丁重に慎重に進めたのは、一つ、組織の問題があると思います。県の生涯学習の施設を学校として活用すること認められるかどうかということや、県の方はよしと考えているけれども、地域としてはどうかということがあったのだと思います。もう一つは青少年の家は山田町にあるので、いわゆる越境して大槌の子どもたちが学校として使わせてもらうことが可能なのかという特殊性があったからだと思います。同じ町内であれば問題はなかったのかもしれませんが、船越地区の避難者の方もそこでもう生活をしているわけです。避難者の方からすれば、自分たちの場所です。大槌の子どもたちのために移らなければならないというのはなぜか、というような感情論になればうまく運ばなくなります。丁寧にみなさんに理解を求めていくための手順を踏んだということなのだと思いました。

望月共編『同』p.130

上記は、大槌町の6つの小中学校がほぼ全壊したため、北隣の山田町にある岩手県の施設「青少年の家」で授業を再開しようとしたときの手順についての説明です。教育行政の担当者にとっては学校教育の再開が児童の生活に必要不可欠なものであっても、実際に避難所として生活している方にとっては「迷惑施設」になりかねないため、慎重に説明しなければならないのが現実です。実際に、大槌町に残された吉里吉里小学校で学校再開をするため、避難されている方に大槌町の教育長が説明しにいった際は、

 デリケートな問題でした。どうしてもほかに確保するのが難しくて、その場所を使わせていただくことにしようと決めてお願いに行くことになったわけですが、「俺たちに死ねというのか」「勉強も大事だが、あしたの命をどうすんだ」「行くところはない」と言われました。避難所には一人一畳分くらいの空間しかありませんでした。別の体育館に移ってもらうと、それがさらに0.8畳ぐらいになってしまいます。「お前は人殺しだ」「天災じゃない、人災だ」と怒られました。その場にはテレビカメラも入っていたんですが、報道するのも忍びなかったんでしょうか、報道はされませんでした。そこに何回も足を運んでお願いして、申し訳なかったんですが理解してもらいました。

望月共編『同』pp.206-207

という事態になったわけです。こうしたデリケートな問題を慎重に進めるためには、そのための根回しや下準備にも時間がかかりますし、当然のことながら当事者からの問合せに真剣に向き合わなければなりません。そうした業務に忙殺されている状況で、マスコミ対応や頼んでもいない支援の申し出ほど厄介なものはありませんでした。震災から12日目の状況ですが、

 合わせて、マスコミ取材や視察目的の来客者の波に追われるようになったのもこのころからです。はなはだしいときには、誰かに対応していると、その後ろにいつの間にか10人ぐらいが並んで列を作っているという感じです。その都度、皆さんが質問してくるのは、被災状況や、「学校をどうするのですが」、「支援物資は何が必要ですが」など同じことでした。何回も同じことを答えなければならなくて、それが自分でも正直つらくなってきます。ですから後半は紙に書いて貼り出して、「こんな感じです」「これを見てください」というように対応させてもらいました。私自身、人の波、物の波に酔わないように、ある意味精神力との戦いになりました
 こちらの思いを受け止めていただけない歯がゆさから、ときに私の語気も荒くなってしまい、中には、けんか腰になって対応したマスコミの方も2、3人いたことを思い出します。こちらも余裕のない状況でいますので、マスコミ対応に苦しめられました。大槌小学校の校長先生は子供を保護者に引き渡した理由について何度も取材を受け、やり玉にあがるような状況が続きましたが、本当によく乗り切ったと思います。取材する側の立場も分かりますが、つらさを感じる取材が続くと、なんともマスコミ対応は厄介に感じてしまうようになりました
 発生から10日も過ぎて、みんなが苛立ちを見せていたのだと思います。実際、町民の方も前に一歩進むためには埋葬証明書や死亡証明書、戸籍、住民票など、そういう書類がだんだん必要になってきます。しかし、役場のそういう機能が復活していないために発行の手続きができません。町民は苛立ちを募らせ、職員を見つけては「なんで手続きできない」「罹災証明はいつ出るんだ」、「どうしてやってもらえないんだ」という声があちこちで聞こえるようになってきました。役場の職員が通るたびに呼び止められるのです。私も何回か役場職員と間違われて「罹災証明、なんで出せないんだ」と声をかけられたこともありました

望月共編『同』pp.87-88

というように、本来の業務を進めて公共サービスを確保するべき時間をマスコミの対応に割かれてしまう状況だったわけです。マスコミからすれば、自分が知りたい情報を聞きさえすればそれでいいのでしょうけれども、それに対応するためにその公務員が担当している業務が滞れば、それは地元住民の生活に影響することになります。まあ、現場で取材しているマスコミの方々にも立場はあると思いますが、「そのコームインをやり玉に批判を繰り広げる方々が「会社がそうやって動いている以上、今更変えることができないんです」とかおっしゃるのでは、どの口がそれを言うかと思ってしまいます。前例踏襲とか旧態依然というのはマスコミの方々にこそ当てはまるのではないかと、皮肉の一つも言いたくなります」という状況だったわけです。

なお、私自身も「被災された事業者の方から「うちだって○○業を営んできちんと税金も払ってきたのに、なんでグループだと何億円も補助金を受けられて、事務所も家族も流されたうちの会社は数十万円の補助金しかもらえないんだ!」と詰め寄られたことがあります」が、住民の方からすれば、地元の自治体職員だろうが教育行政の職員だろうが公務員なら誰でもいいのでしょうし、まあ、そうした対応も込みで公務員の仕事だろと言われればそれまでですが、クレームであろうと善意であろうとその対応が負担であることは事実です。

 これまでも話題にしてきましたが、全国の皆さんから、本当にたくさん支援をしていただきました。支援物資は毎日トラックで届きました。それらは避難者の手に渡り、学校を経由して子どもたちの手に届きました。何もかも失った人たちにとって、とても大きな力になったと思います。善意のその支援は瞬く間に山となりました。本当に大きな力だったと思います。
(中略)
 それらを整理する人手は足りませんでした。積み卸し、搬入、補完、整理、分配、全く追いつきません。それでも、放置することはできませんのでみんなが善意の山と格闘を続けました。県教委を通して申し出される支援については、こちらの事情を伝え、県教委に判断していただくようにお願いしました。

■支援への御礼はどうあれば

 学校に直接届けられるものもたくさんありました。収納スペースがないので大変でしたが先生方が可能な限り応えました。例えば、全国から続々と届く折り紙を飾ります。でもあっという間にいっぱいになるため、数日飾っては交換し、飾っては交換するということを繰り返しました。送ってくださった皆さんの気持ちを思うと、無下に扱うわけにはいきません。
 支援をくださった方の中には、「果たしてちゃんと届いたろうか、送ったけれども子供に渡ったろうか、受け取ってもらえたろうか」と、確認を希望なさる方も多くいらっしゃいました。「可能であれば受け取った証拠を欲しい」という団体もありました。学校はできる限り丁寧な対応に努めました。手紙をもらえばお礼の手紙、メッセージにもお礼のメッセージを返します。学校が再開して報道で取り上げられるとますます支援をいただき、子どもたちの宿題が4通、5通のお礼の手紙書きになることもありました。少々これはやはり問題だということになり、学校とその対応を確認することもありました。手紙を書かなくても写真を送って受け取ったことを伝えるという形にしてはどうか、などと検討をしました。いただいた支援は数え切れないほどです。おそらく1千件以上来ていると思いますが、一件一件そうして対処しました。教育長の名前で感謝状が欲しいという団体もあり、それらにも対応させていただきました。教育委員会で出したお礼状もゆうに百通を超えていました。

望月共編『同』pp.155-156

これもまた、義援金を募って被災地に支援しようという団体からすれば、その使途を明らかにするために現地で受け取ったという証拠が必要(つい最近もペットボトルのキャップを集めて売却したNPOがその代金を寄付していなかった問題が発生しましたし)であることはわかるのですが、被災地で受け取った側にそれを求めるのは、被災地の負担をさらに増大させます。もちろん、そうした被災地の負担に配慮していただいた事例もありまして、私が対応した事例では、自らの団体の車両ではるばる関東方面から物資を搬入し、その場で受け取った我々と一緒に写真を撮って帰られた団体がありました。まあ全ての団体がそうできるわけでもないのである程度はやむを得ないところですが、物流など普段の自治体職員にはあまりなじみのない業務にも対応しなければならないというのも、今回の震災の教訓の一つではないかと思います。

これまで3冊は、どちらかというと政府や自治体の側からの視点で書かれたものでした。一方、同じく最近は被災した住民の方に着目した本も相次いで出版されておりまして、次回エントリ(次回というのが次のエントリになるか次の11日になるか不明ですが)ではそれらの本をご紹介したいと思います。一応予告しておきますと、いかの3冊を取り上げようと考えておりますので、ご参考まで。

東日本大震災 被災と復興と東日本大震災 被災と復興と
(2015/03/03)
木下 繁喜

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そのとき、被災障害者は… 取り残された人々の3.11そのとき、被災障害者は… 取り残された人々の3.11
(2015/02/24)
不明

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被災弱者 (岩波新書)被災弱者 (岩波新書)
(2015/02/21)
岡田 広行

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2015年04月10日 (金) | Edit |
海老原さんから新著をご恵投いただきました。いつも場末のブログにお気遣いをいただきありがとうございます。

実は、例年通り年度末の後始末と年度初めの切り換えで忙殺されているうちに、拙ブログも開設から10年が経過してしまいました。振り返ってみると、この間には、hamachan先生や金子先生、HRmicsの海老原さん、荻野さんをはじめ、hahnela3さんなどネット上でつながりを得ることができ、仕事の場では得られない貴重な経験をさせていただくことができました。TB、コメント、ブクマ、tweet、FBなどいただいた皆様も併せて、これまでのご愛顧に御礼申し上げます。私自身は、開設当時アラサーの下っ端公務員でとりあえずのストレス解消で始めたものでしたが、10年経てばアラフォーになり、相変わらず下っ端ながらそれなりに部下と呼べる職員も配置されるようになっておりまして、ブログに書く内容も上司に対する愚痴より人事労務管理の機微をどう捉えるかというものが多くなったような気がします。

という状況で、海老原さんからいただいたのは『無理・無意味から職場を救う マネジメントの基礎理論』という新著でして、まさにそんな頃合を量ったかのようなタイミングのよさです。

 最近では、人事コンサルティング会社を利用して、こうした仕組みに合理的で客観性を持たせるように新たなツールや概念語などを加えて制度を拡充する会社も増えてきました。
 しかしスマートで見栄えのよい仕組みができたからといって、マネジメントがうまくいくとはかぎりません
 どうしてでしょうか?
 理由は2つあります。
 1つは、モチベーションサイクルをつくることで、最終的には会社が儲かるという当たり前のことをマネージャーに理解徹底させていないことです。部下を育てることはマネージャーの役割ですが、会社は学校ではないので、それがゴールではありません。個人の高い能力と難関に立ち向かう気力の集積が会社を成長させるからこそ、マネージャーは部下個人のやる気を引き出し、仕事に意欲的に取り組んでもらう必要があるのです。要は、「やる気」は手段であって目的ではないと、再認識してもらう必要があります。

算数ができない人に微積分を教えている状態

 2つめの理由は、仕組みはあってもマネジメントの現場でそれをどうやって実践するかが教えられていないことです。
(中略)
 こうした基礎理論をマネージャーにきっちり学ばせないから、いくら制度を整えても運用面でつまずいてしまうのです。その結果、社内の不磨が高まると、マネージャーに最先端のリーダーシップ研修を受けさせたりする。しかしこれは小学校の算数ができない人に行列式や偏微分などの高等数学を教えているようなもので、まったく効果はないでしょう。
p.19-20

無理・無意味から職場を救うマネジメントの基礎理論 18人の巨匠に学ぶ組織がイキイキする上下関係のつくり方無理・無意味から職場を救うマネジメントの基礎理論 18人の巨匠に学ぶ組織がイキイキする上下関係のつくり方
(2015/03/31)
海老原嗣生、守島基博(解説) 他

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※ 以下、赤字強調は原文、太字下線強調は引用者による。

これはもちろん、いま現在マネジメントの立場の社員に向けての言葉ではありますが、私のようなマネジメントの立場になりつつある社員に向けての言葉でもあると思います。小さな階段を与える「2W2R」とか、インナーグループの重要性、コアコンピタンシーの把握とSWOT分析の違いなど、組織で仕事をする方であれば普段の仕事の中で感じている疑問を考える上で、様々なヒントが書かれていると感じると思います。

が、しかし、「メンバーシップ型」であるがゆえに使用者側に強大な人事権を与えて、労働者に長時間労働を余儀なくしているのが日本型雇用の問題だったんじゃないかという疑問も新たに湧いてきます。つまり、常に異なる課題を与え続けて労働者のモチベーション維持と能力向上を図ることによって会社の業績向上を達成するマネジメントとは、まさに新卒者という「白地の石板」に職務を書き込んでいく日本型雇用そのものだからです。海老原さんもその点は指摘されていまして、

「少し手が空けばすぐに難しい仕事を」という日本型階段

 日本の場合でも新卒学生だとやはり経理では債権管理にまわされることがおおいでしょう。でも、ここで債権管理の仕事をフルにさせられるわけではありません。何もできない若造なので、他部署からも「だれでもできそうな雑用」を振られ、それを黙々とこなす日々になります。
 たとえば、財務からは伝票の整理・補完、管理会計からは日報の数字記載、税務からは精算伝票の読み合わせなどの雑用が振ってきます。債権管理というポストは名ばかりで、経理部のあらゆる雑用を切り出して、新人のレベルに応じてやらせる。これが「人に仕事をつける」ということです。
 しかしこうした雑用も3カ月もすれば、大体慣れてしまいます。するとそのタイミングで簡単な仕事を減らし、少々難しい仕事が与えられます。たとえば、伝票の仕訳などです。慣れてきて余裕ができると、次々に仕事が難しくなっていく。この追いかけっこなので、いつまでたっても、残業が減らないという悪循環も起こります
海老原『同』pp.172-173

というように、確かに組織としての業績を上げるための労働者の能力向上という目的にも合致したものではあるのですが、労働者の残業は使用者側の強大な人事権行使の一環でもあるわけです。日本型雇用の問題点は、能力向上を所定労働時間内に納めるよりも、終業時刻が過ぎてまで職務に没頭する姿を「課題を解決している」とみなす風潮があることだろうとは思います。しかし、かといって、所定労働時間内で終わる仕事だけでは、労働者にとって「ぴったりの階段」とならない(場合が多い)ところが痛し痒しでもあるわけです。この辺の機微は組織によっても変わるところでしょうから、ぜひ多くの方に本書を読んでご自身の組織に当てはめてみていただきたいと思います。

そのような組織運営が生まれた経緯については、海老原さんのまとめが参考になります。

 ちょうどそのころには、戦後、いきなり役員に上り詰めた彼らも、ようやく地に足をつけて、経営を司れる年代になっていました。もう、戦前の階層社会も、戦中の国家総動員体制も、戦後の労働運動もまっぴらごめんだという気持ちになっていたのでしょう。しかも、歩み寄りを見せた労働者に背を向けることはできません。そこで、「資格制」という日本型人事の卵のような仕組みが発案されました。
 一工員として雇われても、年限を積み、腕を磨くと、資格が上がり、給与はきちんと増えていく。そして、その資格が上級になると、工員の人たちもホワイトカラーの職務への移行が可能になる。そう、総合職的な社内異動を可能とする制度です。
 日本鋼管の当時の専務取締役、折井日向は、この仕組みのことを「青空が見える労務管理」と名づけました。そこには、階層社会で天井が決まっていた工員に、空の高見を見られるようなチャンスを用意したいという気持ちがあったのでしょう。
(中略)
 ここにもまた、1つの教訓があるといえます。欧米から来た、見栄えのよいマネジメントのツールは、いつの時代でも日本人の心をくすぐります。いまでもハーバードのリーダーシップ関連のツールやメソッドは多くの人が飛びつくでしょう。でも、少しすれば見向きもされなくなっている。
 そんな流行りものよりも、50年たったいまでも本質は変わらず効力を失わない「基礎理論」のほうが、真剣に学ぶ価値があると私は思っています。

海老原『同』pp.178-180

日本の制度が特殊であることはその通りですが、それは相対的な部分も多くあって、海外の制度もそれなりに特殊なわけでして、海外の最先端のツールがいくら見栄えがよくても日本に(その中の組織もそれぞれですし)に当てはまるというものではありません。「基礎理論」というと一見どの国でもどの組織でも当てはまりそうですが、本書ではその当てはめ方が従来のマネジメントツールとは異なっており、日本の制度を踏まえた上での当てはめとなっている点が腑に落ちる説明となっている要因ではないかと思います。

実をいうと、海老原さんは常々「新しい日本型雇用とは、キャリアコースの前半が旧来の日本型雇用で、中盤以降が欧米型のそれになる」という提言をされているところでして、マネジメントの基礎理論は、「接ぎ木」の時点で「昇り続ける」キャリアと「降りる」キャリアのいずれに当てはまるのかという点が、読みながら気になっておりました。というのも、先日fujiponさんのブログで取り上げられていた本についてのコメントが、いまの日本の組織の機微を如実に示しているように思えるからです。

 リアルに想像してみればいいのだ。10年後、「あなたはもうひとつです。同期の○○さんより、後輩の△△さんより、能力が劣ります」と言われ、昇格して上司となった○○さんや△△さんのデスクに承認の判をもらいにいくところを。あるいは、そういう人たちがあなたの会社でのキャリアを自由に決定できるところを。彼らはあなたを引き上げてくれるかもしれないが、あなたをアフリカの支社に飛ばしたり、リストラ候補者名簿の最後にあなたの名前を書き込むかもしれないのだ。
 そんな想像があっさりと喉を通って飲み下せるなら、僕があなたに伝えるべきことは何もない。
 たいていの人は(そう、僕のように)、普段は出世なんてと言いながら、いざ出世できないという現実を突きつけられると、風になびく雑草のようにはやり過ごすことができないはずだ。


 ああ、本当にそうだよなあ、と。

 そもそも、「上昇志向があまりない人間」って、ある程度以上の年齢になると、「行き場がなくなってしまう」ことが多いのです。

 なんとなくみんなが扱いに困っているような感じも、伝わってくる。


 これを読みながら、僕は自分の周囲のいろんな人たちのことを考えていました。

 医者として、研究者として素晴らしい実績を持っていながら、人間関係がうまくいかずに能力ほどの成功をおさめられなかった人もいるし、世渡りと調整能力と運だけで偉くなったような人もいる。

 ただ、一般的には、偉くなる人は、みんなたしかにそれなりに「説得力のある人」だったと思う。

 そもそも、自分が上司になってみると「潜在能力はありそうなんだけど、実績を出せないヤツ」よりも、「地味でも、しっかり自分の仕事をこなしているヤツ」のほうを評価せざるをえないのですよね。

 人格の優劣とか好き嫌いは別として。

■[本]【読書感想】僕が18年勤めた会社を辞めた時、後悔した12のこと(2015-04-08 琥珀色の戯言)

これまでは「組織におけるマネジメント」によっていかに労働者個人がキャリアを形成するかという視点の議論が中心でしたが、日本型メンバーシップという「組織によるマネジメント」の曲がり角に来ているというのが現状ではないかと思います。これからのマネジメントは、こうした日本の組織の現状を踏まえた上で新たに構築されていくのかもしれません。

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