2014年12月10日 (水) | Edit |
クルーグマンの変節ぶりを追う話は前回エントリで一応終わったつもりでしたが、以前のエントリにいただいたyusunu2011さんのコメントを取り上げておりませんでした。大変失礼しました。

リフレ派の代表的な論客の1人である、山形浩生氏が、クルーグマンの新著「さっさと不況を終わらせろ」を翻訳して、解説でいろいろ言い訳されているのが興味深い。クルーグマンは、本来ケインジアンであるから、金融政策のみで、経済が不況から脱するというような主張をするのが、本来おかしかった。あくまで、ポリシー・ミックスで、拡張的なマクロ経済政策(財政政策も含む)をいうのが、あたりまえのところだろう。
それが、日本不況脱出については、金融政策だけでなんとかなるようなことをいい、それをリフレ派がことさらにとりあげてきた。
それが混迷する日本の経済論壇の「失われた10年」のきっかけとなったのではないか?

アマゾンの書評で、リフレ派といわれる方々の本を何冊か書評させてもらったが、山形氏は割合良心的だからおいておいても、自分の主張のためには、歴史までねじまげてもかまわないぐらいの、学問に対する真摯さが足りない方々もいるのは明らかな事実だ。また、すぐに陰謀論に走りややすい人々であることも確認できた。

 クルーグマンは、本来はアメリカのリベラル派なのだし、新著でも、不況における失業を大変心配している。
新著でケインジアンらしい主張が前面にでてきてほっとしたとともに、これまで、ノーベル賞受賞者クルーグマンの権威に悪乗りしてきたリフレ派の一部は真摯に反省すべきだ。
そういう意味で、とにかく金融政策だけでなんとかなるようなことをいってきた真摯さに欠けるリフレ派を、「りふれは」と揶揄することに、特段問題はないと思う。


 
2012/08/09(木) 05:46:56 | URL | yunusu2011 #-[ 編集]

とコメントいただいたのに対して、私からは、

クルーグマンの新著は未読なのですが、クルーグマンは1990年代から、日本と同程度に国民負担率が低いアメリカについても増税の必要性を指摘していましたし、労働組合が賃金などの労働条件を向上させることも主張していたはずですが、日本ではリフレ派と呼ばれる方々にそうした主張はほとんど受け入れられませんでしたね。私が拙ブログで述べていることはクルーグマンの主張に沿ったものだと考えているのですが、増税とか労働組合とかいうとリフレ派と呼ばれる方々は総じて批判的なところが日本の特殊的事情なのでしょうか。

2012/08/12(日) 18:06:38 | URL | マシナリ #-[ 編集]

などと返答しておりましたが、この当時は、「クルーグマンの変節はアメリカ以外の国の状況を説明するときに現れるようでして、『クルーグマン教授の経済入門 』とか『格差はつくられた』のように、主にアメリカの経済問題を説明するときには「ソーシャル」な政策を主張するのですが、特に日本についての『恐慌の罠』とかアジア緊急危機を取り上げた『世界大不況からの脱出』では、あっさりと市場主義的な主張を繰り広げ」るという法則()については私もまだ認識しておりませんで、クルーグマンがアメリカ国内で繰り広げるソーシャルな主張をそのまま日本でも主張される「はず」と思い込んでいました。

ところがクルーグマンは、アメリカ国内では「アメリカ的リベラル派」としてソーシャルな政策を主張する一方で、日本を含めて他の国に対してはソーシャルな主張を封印してしまう、というより新古典派バリバリの政策を主張したり、あまつさえフランスの労働者保護的な政策を「フランスの雇用主は労働者に高い賃金を払わなくてはならず、手厚い福祉を与えなくてはならない。ニューヨークの借家人を立ちのかせるのと同様、労働者を解雇することはかなり難しい。ニューヨークは、借家人に有利で大変にいい条件を提供しているが、新しくアパートを探す者にとっては頭痛の種となっている。しかし、多くの人々、ことに若者は、職を得ることができない。失業手当が寛大なため、多くが職を得ようとさえしない」と批判したりもしていたわけです。

で、確かにバブル後の金融引き締めをアメリカン・ケインジアン的な意味で「正統な経済学の理論」で批判し、ヨーロッパの「ソーシャル」な勢力が主張するような不況下における金融緩和に理論的裏付けを与えた功績はきちんと評価されるべきと思いますが、金融政策以外についてはブレまくるクルーグマンの主張が日本の経済論壇に与えた悪影響も十分に考慮されるべきというのが、ここ数回のエントリの趣旨というところかと。

この点は2年前にyunusu2011さんがamazonの書評で指摘されていたものの、

これに対して、7対2ぐらいで、7の人は参考にならない。2の人は参考になるとしてくれた。

意外と参考になるという人も多いので、安心したが、コメント欄は熱烈なクルーグマンファンに悩まされた。

2014/12/05(金) 23:31:23 | URL | yunusu2011 #-[ 編集]

という状態だったわけでして、まあこれまでのエントリで確認したとおり、国際経済学者であるクルーグマンは「アメリカン・ケインジアン」な主張から「ソーシャル」な主張まで幅広く論じているのですが、それぞれのモードに限ればそれなりに整合性があるものの、トータルで見るとあちこちで齟齬を来しているように見受けます。特に日本では、どマクロな「「アメリカン・ケインジアン」のしかも金融政策に偏った主張をしてきたために、かえって「ソーシャル」な政策についての日本における理解を妨げてしまったのではないかと思うところです。

そういう意味では、日本でこうした認識がもたれてしまうのは、そう認識されたご本人の責任というよりクルーグマンの変節ぶりがもたらした混乱の一つの現れではないかと。

すっごい同意>その経済理論の前提となる制度や慣行を変えることによって望ましい結果をもたらすことの方が、一般的な経済理論に振り回される政策談義よりはるかに社会的に有意義だろう
https://twitter.com/alicewonder113/status/541225754860982272

クルーグマンが消費税増税をやめとけと言ってるのは、デフレ脱却までのことではないのだろうか?/“付加価値税による社会保障の拡充を日本では全否定してしまう掌返し” http://sonicbrew.blog55.fc2.com/blog-entry-632.html …
https://twitter.com/alicewonder113/status/541226351076724736

まぁとにかくリフレ理論をイデオロギーに利用するなとかは、クソくらえな言説だと思う。失業しても死なずにすむ、というかもう一歩進んでそこそこ健康で文化的な暮らしができて、なおかつもとのように復帰できる社会にするために、利用できるものは利用するわけだし。
https://twitter.com/alicewonder113/status/541227119293263872

経済理論を美しく保つために社会は存在しているわけではないのだし。
https://twitter.com/alicewonder113/status/541227288361451520

しかしこれのどこが悪いのだろう/“「クルーグマンが丁寧に再分配政策について論じているのであればそれほど批判する必要はないと思うのですが、『さっさと不況を終わらせろ』ではもっぱら公共事業やせいぜい教師を増やすことで雇用を創出するような処方箋しか示してい」”
https://twitter.com/alicewonder113/status/541227755598139392

これのどこが問題なのか…/“経済全体の借金が増えたことで経済が脆弱になってしまったという指摘は、まあ改めて言われるまでもなく感覚的に理解できる…これに対してクルーグマンが示す処方箋が、政府による借り入れです” http://sonicbrew.blog55.fc2.com/blog-entry-633.html …
https://twitter.com/alicewonder113/status/541228500837875714

さっきのクルーグマンの話。オバマケアを支持するクルーグマンが、社会保障費の充実について無関心なわけがないと思う。
https://twitter.com/alicewonder113/status/541235578042609664

拙ブログについての(と思われる)7つのtweetを時系列順に引用させていただきましたが、まずは拙ブログのクソ長いエントリをきちんとご覧いただいたことに感謝申し上げる次第です。で、1、3、4つめのtweetで賛意を示していただいたものの、それ以外ではクルーグマンの主張についての私の理解について疑問を呈されているものと思います。正直なところその疑問に対する答えはそれぞれのエントリに書いたつもりなので、改めてそれにお答えするのはかなり骨の折れる作業になるのですが、まずこれまでのエントリからクルーグマンの議論の特徴を確認しておきますと、
  1. アメリカ人であるクルーグマンの主な関心領域はあくまでアメリカの経済社会状況であり、アメリカの制度や慣行の歴史的経緯については熟知している。
  2. また、アメリカ国内のドメインな政策については、共和党を批判するために「ソーシャル」な政策を主張することもいとわない。
  3. しかし、他国の経済情勢については新古典派総合によるどマクロなアメリカン・ケインジアンに様変わりしてしまい、「ソーシャル」な政策は影を潜め、しかも他国のミクロな制度についての理解はかなり怪しい。
という点が挙げられます(3点目についてはむしろ、ミクロな制度の理解不足を補うためにどマクロな議論に終始しているというべきかもしれません)。つまり、私がクルーグマンの議論について問題だと考えるのは、個々の政策の妥当性そのものではなく、アメリカ国内で主張する「ソーシャル」な政策と他国について主張する金融政策・財政政策が矛盾しているのではないかということです。

で、「クルーグマンが消費税増税をやめとけと言ってるのは、デフレ脱却までのことではないのだろうか?」というのはおそらくその通りでして、報道によれば「クルーグマン氏は17年4月の10%への引き上げをめぐっては、「ある時点で歳入の拡大を図る必要がある点は理解する」とした上で、「私としては『インフレ率が2%程度に達してから引き上げる』といった条件付きの延期の方が望ましいと考えるが、そうした可能性がないことも理解している」と語った(2014/11/21 クルーグマン氏が決定的役割-安倍首相の増税延期の決断で - Bloomberg)」そうですから、「全否定」は言い過ぎかもしれません。ただし、「「しっかりとした実績を残すまで待たなければならない」というのはあまりに呑気な態度」なわけでして、クルーグマンのいう「ある時点」がいつなのか、そもそもそんな時点が実際にありうるのか、全く明言していない点で、実際問題としてほぼ「全否定」に近いだろうと考えております。

というのも、「デフレを脱却したら」「景気が回復したら」…こんなエクスキューズでもって、再分配政策としての公共サービスが担う生活保障の機能が、これまで20年にわたって貧弱なままに据え置かれている実態があるからです。いつもの繰り返しの議論ですが、かつては日本型雇用慣行の下での生活保障給や日本型フレクシキュリティ(男性正社員の収入により家庭が介護や保育などの生活サービスの現物給付を担う)がそれを代替していました。そのような役割分担を踏まえれば、バブル崩壊で景気が後退し、日本型雇用慣行が変容して生活保障の機能の縮小を余儀なくされた時点で、政府を通じた再分配政策、特に家庭で負担できなくなった生活サービスの現物給付が拡充されるべきでした。

ところが、貧弱な再分配政策による生活困窮の実態や、そのような事態に陥る人が増加することによる経済への悪影響は当時ほとんど注目されていませんでした。そして、もともと低負担だった日本の国民負担率は、バブル崩壊後の景気回復のかけ声に押されて90年代を通じて低下していきます。一方で少子高齢化による生活サービスの現物給付需要の自然増が重なり、その穴埋めとして国と地方の債務残高が激増していった(一部は小渕内閣時の財政拡張も寄与していますが)わけです。さらにいえば、医療従事者はバブルがはじける前から深刻な人手不足を超人的、というより廃人的な長時間の勤務実態で医療サービスの現物給付需要をカバーしています。

で、バブル崩壊後もアジア金融危機、ITバブルの崩壊、リーマンショック、ユーロ危機等々、日本の増税(まあこれまで「増税」といえるような税制改革はなかったんですが)とは関係なく世界的な景気後退が繰り返されている中で、「デフレを脱却したら」「景気が回復したら」といって財源が確保できないまま、日本型雇用慣行下で機能していた生活サービス、特に現役世代向けサービスを政府が現物供給することなく20年が経過しています。その一方で、税収による一般財源にしか財源を頼れない生活サービスは、景気後退のたびによくて現状維持、悪ければカットされる状況が続いています。もちろん、医療や年金などは国民皆保険制度があるので財源としては安定していますが、全体では貧弱な社会保障費の中で現金給付である年金の総額が相対的に大きいために、一部の論者からは世代間の不公平感を煽る格好のネタとされてしまっています。

という状況で、「アベノミクス」といわれる経済政策によって景気が回復してやっと消費税率を挙げて財源を確保できると思ったら、「デフレを脱却したら」「景気が回復したら」といってまた先送りされてしまったわけでして、その決定打となったのがクルーグマンだというのであれば、いかにノーベル記念スウェーデン王立銀行賞受賞者であっても、特に次の点は批判されてしかるべきだろうと。
  1. アメリカについては「避けられるリスクをカバーする社会保険の拡大——ここ数十年でますます重要になっている——を含む、ニューディール政策を完成させることである」として、「社会保障税と付加価値税は、累進型税ではないが、格差是正の効果は間接的であるものの、広範囲に行きわたる。それは手当や給付金などの財源となり、それらは低所得者の収入を考慮すると、非常に価値の高いものである」というクルーグマンが、日本でその役割を果たすべき消費税率の引き上げについては事実上無期限の先送りを提言してしまっていること。
  2. 急速に進む少子高齢化により現物給付に対する需要が高まっている日本においては、低い国民負担率で現役世代向けの生活サービスの現物給付が貧弱であるため、バブル崩壊以降の日本型雇用慣行の変容により生活サービスの現物給付が家庭の大きな負担となり、経済活動が停滞する一因となっていることについての認識が不足していること。
  3. アメリカでの第1次分配に固執する大多数に配慮した議論となっているため、第1次分配を変えることによる再分配ではなく、第1次分配に手を付けずにストック財源による一時的な再分配を正当化してしまい、第1次分配からのフロー財源による持続可能な再分配政策を否定してしまっていること。
  4. 特に日本の予算システムを「クローニー・キャピタリズム」程度にしか認識していないため、再分配政策がそもそも実現できるわけないと考えているフシが見受けられること。
3点目については、公共経済学の教科書で「多年にわたって使用される道路,学校,また産業計画の資金を調達するために借入れを行うことは,まったく妥当なものである.完成しない(または開始さえされないような)計画の支払いのための借入れや,今年の役人の給与支払いの資金を調達するための借入れは,実質的な問題を引き起こすことになる」として「財政赤字削減は反対の効果を持つ.すなわち,それは利子率を下落させるため,投資を促進させる.そして経済成長を促進し,将来の生活水準を改善することになる」とまで言い切るスティグリッツとの違いが現れていると思います。つまり、スティグリッツは借入による政府支出は長期的な便益が発生する公共投資(ストック)に限定すべきであり現役世代向けの公共サービスを担う役人の給与など(フロー)に充てるのは問題だとしているのに対し、クルーグマンは特にアメリカ以外の国についてはフローの政府支出の財源について無頓着ではないかと思われます。ついでに、クルーグマンの主張に対する経済学的見地からの批判は、Policy Analystさんの「クルーグマン"It's Baaack"は「誤解だぁっ!」」が参考になるかもしれません(Policy Analystさんの全体の趣旨は拙ブログと異なるようですが)。

まあアメリカン・ケインジアンなクルーグマンからすれば、健康保険が国民皆保険となっている日本はすでに再分配が充実しているように見えるのかもしれませんし、日本の再分配なんかよりオバマケアの方がはるかに大事だろうとは思います。しかしだからこそ、そのクルーグマンが日本の再分配の財源確保の延長を提言するというのはあまりに軽はずみな態度であって、それが現実の政策決定に一定の影響を与えたのであれば、クルーグマンの罪は決して軽くないだろうと思うところです。クルーグマンの罪はそれとして、日本で再分配を主張する方々の間でも消費税率引き上げには賛否両論があるようですが、それぞれの主張の理論的根拠はどうであれ、本来一時的な財源不足を補うはずの借入による政府支出でフローの再分配政策の少なくない割合を賄っている現状についてはもっと多くの方々にご認識いただきたいものです。

といっても、クルーグマン的政策論に影響を受けている方々は「再分配政策がそもそも実現できるわけないと考えている」からこそ一時的な借入による政府支出に望みを託しているともいえそうでして、それはそれでもっと深い問題があるわけですが。
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