2014年08月31日 (日) | Edit |
たかの友梨ビューティークリニックの件で労働法の定義がにわかに脚光を浴びているようでして、ブラック企業といえば長時間勤務とか残業代未払いという労基法違反しか思い浮かばない方々にとっては、とある記事の内容が混乱を与える原因となっているようです。

「たかの友梨社長、組合活動に圧力」 従業員ら申し立て(朝日新聞 2014年8月28日23時06分)

 「たかの友梨ビューティクリニック」を経営する「不二ビューティ」(本社・東京都)の従業員が加入するブラック企業対策ユニオンは28日、同社の高野友梨社長(66)から、組合活動をしていることを理由にパワーハラスメントを受けたとして、宮城県労働委員会に不当労働行為の救済を申し立てた。
(略)
 労働組合法は、労働者が労組を組織する権利を認めており、経営者には労組との団体交渉に応じる義務を課している。高野社長の言動について、28日に会見した組合員の20代の女性は「恐怖でしかなかった。会社には間違えていることを改善して欲しいと言ってきたのに、非難された。ほかの組合員や従業員にも恐怖を与えているので、社長には謝罪してもらいたい」と話す。
(略)
 長時間労働の是正や有休の取得を求め、女性エステティシャン5人が今年5月にユニオンに加入し、会社と団体交渉をしてきた。ユニオンの申告を受けた仙台労働基準監督署が今月5日、同社に対し、違法な残業代の減額や制服代の天引きなどの是正を勧告。不二ビューティの担当者は「減額は計算ミス。すでに是正した」と話している。


労働組合法第7条に「パワハラ」なんて規定されていないんですが、「要するにパワハラ」なんだろ?という安直な記事を書く辺りがいつものとおり制度の趣旨を全く理解しないで飛ばし記事を書き続ける朝日新聞は安定のクオリティ…と何回書けばいいのやら。

という日本のクオリティ新聞の寛大さは措いておくとしても、それを引用した当事者(と思われる)Webサイトもつじつまが合ってませんね。

エステ・ユニオンが主張する「たかの友梨ビューティクリニック」の問題点


①1カ月あたり平均80時間に及ぶ残業
②休憩が取れず、昼食やトイレにも行けないことも
③定休日どおりに休めず、休日出勤への手当もない
④「誰も取っていない」などと説明され、有給休暇を取得できない
⑤残業代の未払い
⑥産休取得の妨害
⑦商品が売り上げ目標に届かないと、カードローンなどで自腹購入させられる
⑧研修費など会社が負担すべき経費が、給与から天引きされる
⑨配置転換をしない約束を無視するなどの不当な異動命令
⑩労使協定書の従業員側の署名・押印を、従業員本人に無断で作成

不二ビューティの担当者は「申し立ては把握していない。不当労働行為とされるような行為はしていないと認識している」と話す。

ここでエステ・ユニオンが掲げている問題点は、労基法や育介休業法の違反から異動命令とか自腹購入とか民事上の紛争まで含まれています。これも混乱の元になっているようですが、ざっくり言うと違法行為は実定法の規定に違反する行為ですので、監督機関が取り締まることができます。これに対して、実定法に規定がない場合は民事上の紛争として民法に基づいて解決を図る(たとえば利益損害にかかる不法行為は民法709条に規定がありますし、契約上の債務不履行などについては民法の第3編第2章の契約に規定があります)必要があり、民事上の紛争は労使自治の原則により労使交渉によって解決することになります(もちろん民事裁判でも可能)。その労使交渉を実効あらしめるために憲法28条で労働基本権(団結権、交渉権、争議権)が規定されているわけでして、その労働基本権を侵害する行為が労組法第7条に規定する「不当労働行為」であり、これに対して組合から救済申し立てがあれば労働委員会が救済命令を出すことができるとされています。

公開された資料を発見できないので推測となりますが、労働組合としてのエステ・ユニオンは、上記の問題点をすべて団体交渉事項として団交申し入れを行ったのかもしれません。とはいえ、労基法違反から民事上の紛争まで一緒くたに並べておいて、それに対する使用者側のコメントを「不当労働行為とされるような行為はしていないと認識している」と並べてしまうと、つじつまが合わなくなってしまいます。

まあ、労働条件に関することを団体交渉事項とすることができますので、労使双方の合意があれば労基法違反の是正を団交事項とすることはできなくもありません。しかし、これに対して使用者側が交渉を拒否するなど労働基本権を侵害する行為を行ったとして労働委員会に不当労働行為の救済申し立てをする場合には、労基法違反の是正は救済を申し立てる内容からは除かれます。つまり、上記の法律に基づく紛争解決の腑分けによって、労基法違反は労基署で、法違反を除く民事上の紛争は不当労働行為の救済申し立ての内容として労働委員会で処理されることになるわけです。

というわけで、たかの友梨ビューティークリニックにはエステ・ユニオンが主張するような労基法違反を含む問題があるわけですが、法律の規定によってその解決方法は個別に定められていて、今回の記事(朝日新聞、withnewsとも)はそのうち民事上の紛争解決のために労組法上の不当労働行為の救済申し立てを行ったと報じるべきところ、そこをごっちゃにして「労基法違反しているブラック企業でパワハラがあったから不当労働行為とかいう告発をした」くらいの適当な記事になっています。日本のクオリティ新聞が適当な説明をしてしまうから読者も混乱するわけでして、記事の誤りによって世間に混乱を巻き起こすことは厳に慎んでいただきたいところです。あ、そういえば朝日新聞は数十年前からそうでしたか。

まあもちろん、労働法の規定なんか興味のない方々にとっては「そんなの知らなくて当たり前だろ」くらいのものでして、今回の記事のような混乱ぶりを指摘すると「法律を振りかざして人を茶化してけしからん」とか明後日の方向のご批判を受けてしまうのですね。
バカの見本, 濱口桂一郎, ブクマがバカの見本市(hamachanブログ(EU労働法政策雑記帳)2014年8月31日 (日))
ただし、労働法のことを知らない労働者が普通だというところにこそ問題があるのであって、このエントリの元になったエントリで、hamachan先生のこちらのコメントにどなたも反応されないところが今回の件の問題の根深さを示しているものといえましょう。

いやまさに、そこに問題があるわけです。

nopiraさんという方の表現を使えば、

https://twitter.com/nopira/status/505213808889970688
パワハラされたと言われたら爆発する世論も、不当労働行為をされたと聞いてもスルーする …かえってややこしいアカと思われて敵が増えるかも

というわけで、話は労働教育の必要性につながっていくわけです。

投稿: hamachan | 2014年8月29日 (金) 17時37分


何でもパワハラと言えばいいわけじゃない(hamachanブログ(EU労働法政策雑記帳)2014年8月29日 (金))コメント欄


「不当労働行為」という言葉は何となく語呂がいいので、パワハラとかフワフワした言葉と相性がいいのかもしれません。私も一介の地方公務員として労基法違反とかセクハラとかパワハラの相談を受けたときに「不当労働行為だからなんとかできるだろ」と何度となく言われましたし。

ちなみに、アメリカ版労働組合法上のcollective bargainingに関する禁止行為として、unfair labor practiceが定められていて、不当労働行為はその日本語訳がそのまま法令用語となっているものです。

kotobank >unfair labor practice(世界大百科事典内のunfair labor practiceの言及)

【不当労働行為】より
… この不当労働行為制度は,アメリカの全国労働関係法(通称ワグナー法,1935)の影響を強くうけたものといわれる。同法は,ニューディール政策の一環として立法化され,使用者のなす,組合員に対する差別待遇,組合運営への支配介入,団交拒否等を不当労働行為unfair labor practiceとして禁止するとともに救済機関として全国労働関係局National Labor Relations Board(NLRB)を設置した。アメリカでは,1947年に労使関係法(通称タフト=ハートリー法)により,不当なストライキやボイコット等が〈労働組合の不当労働行為〉として禁止されるに至ったが,日本では,使用者の不当労働行為のみが禁止されている。…

※「unfair labor practice」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

上記2つのあやふやな記事から今回の不当労働行為救済申し立ての内容をなんとか推測してみると、

高野社長の言動について、28日に会見した組合員の20代の女性は「恐怖でしかなかった。会社には間違えていることを改善して欲しいと言ってきたのに、非難された。ほかの組合員や従業員にも恐怖を与えているので、社長には謝罪してもらいたい」と話す。(朝日新聞)

録音されたのは仙台市内の飲食店の個室。この女性従業員が働く店舗の管理職やほかの従業員ら計18人が同席したという。高野氏はこの女性従業員の正面に座り、周囲の他の従業員が労組に入ったかどうかを確かめる場面もあった。(withnews)


→労組法7条1項の「組合員であることを理由とする解雇その他の不利益取扱い」として社長の言動についてのポストノーティス命令(降格や減給が行われれていればバックペイ命令)

 また、高野社長の名前で全国の店舗に対しファクスした文書を、店長に読み上げさせた。「社員数名が『ユニオン』という団体に加入し、『正義』という名を借りて、会社に待遇改善の団交を要求」「会社を誹謗(ひぼう)することは、自分のこれまで頑張ってきた道を汚すことだと私は思います」といった内容だった。


→労組法7条2項の「正当な理由のない団体交渉の拒否」に対する誠実団交命令

というわけで、よくある労組法7条の1、2項のセットで救済申し立てがあったのではないかと推測します。このうち、1項の「組合員であることを理由とする解雇その他の不利益取扱い」に組合員に対する暴力的な言動も含まれますので、パワハラというフワフワした言葉ではなく、明確に不当労働行為として救済を求めているものと思います。もちろん、2項の「正当な理由のない団体交渉の拒否」には、形式的な交渉は行うものの威嚇的な態度で実質的な交渉をさせない不誠実団交も含まれますので、ここでもパワハラという言葉を使う必要はありません。なお、同条4項はこれまでに不当労働行為の救済申し立てを行った場合のものですので、今回救済申し立てした組合員を今後報復の意を持って配転したり降格したりすれば4項の救済申し立てが追加されるという展開もありそうです。

というか、労働争議華やかなりしころには、労組は戦闘的な主張や争議を繰り返して、使用者側もそれに丁々発止で対応していたわけで、団交の場というのはそういう緊迫したものである以上、少なくとも団交の場ではお互いに威圧的な言動を取らざるを得ません。それをいちいちパワハラとかいっていたら交渉も進まないわけで、労使交渉による待遇改善とか紛争解決はかえって難しくなるおそれもあります(そういう事態を防ぐために団交に先立って事務レベルの協議を行うことを定める労働協約も多いですね)。まあ、伝え聞くところによるとその昔は戦闘的な労組に業を煮やした使用者側が、違う意味の暴力的な組員を使用者側の出席者として団交に紛れ込ませて恫喝するとか、本当の意味でパワーによるハラスメントも横行していたとのことですが、その当時はもちろんパワハラというフワフワした言葉ではなく不当労働行為(あるいは単純に恐喝罪)として語られていたわけでして、労働法を知らない労働者にはパワハラ程度の恫喝で十分ということかもしれませんね。
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2014年08月23日 (土) | Edit |
最近沿岸部へ行く機会が激減しておりまして、お盆休みを利用してあちこちに顔を出してみようと思ったところ、某町で全くの偶然で貴重なお話を伺う機会をいただきました。突然にも関わらず御対応いただいた皆様に御礼申し上げます。その中で感じたことは、地元役場と住民の関係の難しさでした。一口に被災地とか沿岸部といっても、その土地の風土や住民の気質というのはそれぞれ多様でして、私の見聞きした範囲ではうまくいっているところもあれば、なかなか意思疎通がうまくいかない地域もあります。先日お邪魔したところはどちらかというとうまくいっていないようでしたが、かといってうまくいっているように見えるところも問題がないとは限らないわけで、むしろうまくいっていないという認識が共有されている方が意見の対立が可視化されると言えそうです。それが現状の改善につながるかどうかは別問題としても。

で、話はまったく変わりますが、8月7日に人事院が勧告を出しまして、国家公務員給与が7年ぶりに引き上げになるとのことです。人事院が企業規模50人以上かつ事業所規模50人以上の55,047の民間事業所を対象として職種別民間給与実態調査を行った結果により、個々の国家公務員に民間の給与額を支給したと仮定し、これに要する支給額と現に支払っている支給総額との差額を算出(ラスパイレス方式)して、1,090円(0.27%)の較差があるとして、平均で0.3%の給与改定を勧告したというわけです。

詳しくは「平成26年人事院勧告」をご覧いただきたいのですが、掲載されている資料全体で300ページ近いので、お時間のあるときにでもどうぞ(それにしても、今どきフレームを使うとは古風なWebサイトですな)。

やったーアベノミクスの効果がやっと公務員にも波及したぞよーし黒田日銀の金融政策でインフレになるからどんどん消費しよう…なんて言ってるそこの国家公務員、ちょっとお待ちください。

公務員給与7年ぶり増 人事院勧告、ボーナスも (日経新聞 2014/8/7 11:49 (2014/8/7 13:52更新))

 人事院は7日、2014年度の一般職国家公務員給与について、月給を平均0.27%(1090円)引き上げるよう国会と内閣に勧告した。ボーナス(期末・勤勉手当)も0.15カ月分引き上げるとし、いずれも7年ぶりのプラス改定となった。同時に民間給与が低い地域での官民格差を是正するため、15年度から基本給を平均2.0%引き下げることなどを柱とする「給与制度の総合的見直し」も求めた。

 政府は近く給与関係閣僚会議を開き、対応を協議する。14年度給与については勧告通りに実施される公算が大きい。

 月給とボーナスのプラス改定は、景気回復で大手を中心に民間企業の賃金水準が回復したことを受けた。ボーナスは年間支給月数を現行の3.95カ月から4.1カ月に引き上げ、5年ぶりに4カ月台を回復。勧告通りに実施されると平均年間給与は7万9000円増加し、財務省の試算では国庫負担額は約820億円増える。

 世代間の給与配分を見直すため、月給の引き上げ分は若手や中堅に手厚く配分する。民間企業に比べて高いと指摘される55歳以上の職員の月給は据え置くが、入省間もない新人職員は一律2000円加算する。

 今年度の勧告では、給与制度の総合的見直しを15年度から3年間かけて取り組むことも求めた。

 基本給は15年度から平均2.0%下げる。一方、東京など物価の高い地域では民間より給与水準が大幅に下がるため地域手当を拡充する。

あくまで平均(記事では0.27%となっていますが、人事院は0.3%としています)ですから、すべての国家公務員の給与が引き上げられるわけではなく、若年層は初任給の引き上げと同程度引き上げるのに対し、3級以上の級の高位号俸(要は同じ級のなかでも号が高いベテラン)は据え置くこととしています。さらに、「給与制度の総合的見直し」により、来年度から基本給は2.0%引き下げて、その引き下げ分を原資として物価が高い都市部の国家公務員への地域手当を拡充することになっています。ということは、地方のベテラン職員は今年は据え置き、来年は引き下げということで、将来の減給が宣告されたことになります。もちろん、若手で今年度引き上げの恩恵にあずかった国家公務員でも、基本給2.0%の引き下げ分を地域手当でカバーしきれない地域では減給が宣告されたことになります。いやまあ地方在住者にとっては所得を下げて消費を減退させる見事なデフレ期待政策ですね。

この「給与制度の総合的見直し」は、民主党連立政権から政権を奪取した自公政権が、平成25年11月15日の閣議決定で、震災の財源確保を目的として実施した給与削減の特例措置を終了することと引き換えに、総人件費抑制を目的として実施を決めたものです。

四 東日本大震災の復興財源を確保するための臨時異例の措置として、国家公務員の給与の改定及び臨時特例に関する法律に基づき講じられている国家公務員の給与減額支給措置については、同法の規定のとおり平成二十六年三月三十一日をもって終了するものとします。

五 公務員の給与については、制度の総合的な見直しを行うこととします。具体的には、地場の賃金をより公務員給与に反映させるための見直し、高齢層職員の給与構造の見直し、職員の能力・実績のより的確な処遇への反映などの給与体系の抜本的な改革に取り組み、平成二十六年度中から実施に移すこととします。このため、早急に具体的な措置を取りまとめるよう、人事院に対し要請します。

六 また、行政改革の取組を積極的に推進し、定員については、平成二十六年度予算において、現行の合理化計画の目標数を大幅に上回る合理化を達成するとともに、切り込むべきところには大胆に切り込むことにより、メリハリある定員配置を実現し、これまでに引き続き、大幅な純減を目指すこととします。さらに、新設される予定の内閣人事局において、今後の総人件費の基本方針、新たな定員合理化の計画等を策定します。

平成25年11月15日 内閣官房長官談話

後述するとおり、ミクロの給与制度の見直しの必要性については異論はないものの、結局マクロの総人件費抑制を目的とするのであれば、それはとりもなおさずデフレ政策でしかないと思われますが、まあ世の中は所得再分配を欠いたアベノミクスで勝利宣言される方もいらっしゃるわけで、「必要な公共サービスの消費を確保するための所得再分配政策」とは相容れないはずの「公的部門の総人件費抑制」が推進されるという「民意」が見事に体現されていますね。

人事院勧告ならどうせ地方公務員には関係ないんでしょ?と思う方もいらっしゃるかもしれませんが、上記閣議決定で「公務員」と一括りにされているとおり、「給与制度の総合的見直し」は国家公務員だけではなく地方公務員についても行われることとなっています。

1.はじめに
 平成25年11月の閣議決定において、国家公務員給与に関し、地場の賃金をより公務員給与に反映させるための見直し、50歳台後半層の官民の給与差を念頭に置いた高齢層職員の給与構造の見直し、職員の能力・実績のより的確な処遇への反映などに取り組むこととされ、地方公務員給与についても、国家公務員給与のあり方の動向に鑑み、地方の意見を聞きつつ検討するとされている。これを踏まえ、本検討会では、地方公務員給与の現状分析や関係者からの意見聴取を行いつつ、地方公務員給与の対応について検討を進めてきている。
 今般、平成26年人事院勧告において国家公務員の給与制度の総合的見直しの内容が明らかになったことを踏まえ(資料1)、本検討会として現時点における議論を中間的に取りまとめ、基本的方向性として整理することとした。

(略)

5.地方公務員給与における対応の方向性
(1)基本的な考え方
 各地方公共団体は、上記のようなそれぞれの団体の給与の実態を踏まえつつ、職務給の原則や均衡の原則に基づき、自らその給与制度・運用・水準が適正なものとなるよう、今回の給与制度の総合的見直しに係る課題に主体的に取り組んでいく必要がある。その際、公務としての類似性を有し、専門的見地から検討された今回の国家公務員給与の見直しの内容や考え方については十分考慮すべきものと考えられる。また、職務給の原則、均衡の原則という地方公務員の給与決定原則の観点からも、国家公務員給与の見直しの内容を十分に踏まえるべきものと考えられる。

地方公務員の給与制度の総合的見直しに関する基本的方向性(平成26年8月 地方公務員の給与制度の総合的見直しに関する検討会)」(注:pdfファイルです)

8月7日の人事院勧告から2週間経たない8月20日にこの「基本的方向性」が出されておりまして、お盆を挟んでいることを考えるとまあ既定路線だったのだろうと思います。当然のことながら、この「基本的方向性」でも、相変わらず「職務給の原則」といいながらこれっぽっちも職務の内容がわからない「日本型職務給」とでもいうものには手をつける気はなさそうですね。

3. 地方公務員の給与決定原則(職務給の原則、均衡の原則)
 地方公務員給与における主要な給与決定原則として、職務給の原則及び均衡の原則がある。これに関しては、「地方公務員の給与制度のあり方に関する研究会報告書」(平成18年3月)において、地方公務員給与の運用実態や環境の変化などを踏まえた上で、給与決定の考え方の再検討が行われた。
 そこでは、職務給の原則を徹底していくことの必要性が確認されるとともに、均衡の原則について、従来の国公準拠の考え方を刷新することが示されている。
(略)
 地方公務員給与については、この考え方に沿って平成18年以降の給与構造の見直しの取組が進められてきたところであり、今回の給与制度の総合的見直しにおいても、引き続きこの原則に基づいて具体の検討がなされるべきで
ある。

地方公務員の給与制度の総合的見直しに関する基本的方向性(平成26年8月 地方公務員の給与制度の総合的見直しに関する検討会)」(注:pdfファイルです)

「職務給の原則を徹底していくことの必要性が確認」されただけでして、当たり前の意味の「職務給」とする気はさらさらなく、均衡の原則で民間に準拠する国に追随しますというわけです。ちなみに、平成18年度の「地方公務員の給与のあり方に関する研究会報告書(平成18年3月)」はこんな内容です。

6 改革の方向
(1)給与決定の考え方
① 職務給の原則と均衡の原則
 公務の場合には、基本的には法令に基づいてその仕事が定められており、これを適切に執行することが任務となっていること、公務(仕事)にふさわしい人材を任用することができるよう、仕事に応じた給与とすることが適当であること、できる限り客観的で明確な基準にしたがって給与を決定できることなどを考慮すると、公務員給与の基本は、その職務と責任に応じたものとすることが、最も明確で公務内外の納得性も高いと考えられる。したがって、職務給の原則については、地方公務員の給与決定の考え方として引き続き妥当な原則であると言える。他方で実態としてこの原則が徹底されていないことが、地方公務員給与について多くの課題を生じさせていることから、改めてこの原則を徹底することが必要である。

地方公務員の給与のあり方に関する研究会報告書(平成18年3月 地方公務員の給与のあり方に関する研究会)」(注:pdfファイルです)
※総務省のページがリンク切れしていますので、公務労協のWebサイトにリンクしています。

見事にジョブ型の説明となっているんですが、「他方で実態としてこの原則が徹底されていないことが、地方公務員給与について多くの課題を生じさせている」といいながら、その後に出てくる具体的取組の中に職務記述書なんて言葉が出てくるわけでもなく、結局民間準拠をいかに徹底するかという均衡の原則に特化した内容となっています。

でまあ、特に公務員では法律上の「職務給の原則」が運用で曖昧にされている結果として、民間よりも年功序列型の運用になっている面は否めません。法律でジョブ型が明記されてしまったがゆえに、それを建前とする運用面ではよりメンバーシップ型の日本的雇用慣行が強化されてしまうというのは、いつも繰り返される議論でもあります。運用面でより強化されたメンバーシップ型となっている公務員の給与制度(というか人事行政そのもの)の見直しは、すべての職員が残業や転勤をすることが前提になってワークもライフもバランスしない日本型雇用慣行の是正のために必要でしょう。ところが、その「給与制度の総合的見直し」を掲げる研究会が拠り所とするのは結局、国の給与制度とその国が準拠している民間の雇用慣行であるわけです。その辺が、私が「総務省(の旧自治省)が日本型雇用慣行の現状について認識不足でありながら、「民間並みに」という各方面からのかけ声に動かされるままに改正したことが原因」と勘ぐる理由です。

…となると結局、民間がジョブ型にななければそれに準拠する国家公務員もジョブ型にならず、地方公務員がジョブ型になることもないという他力本願な議論にしかなりません。そうはいっても、法律でジョブ型と規定されている公務員が民間準拠のためにメンバーシップ型をより強固にしていくという構図は、なかなか出口が見いだせませんね。しかもそれが、総人件費抑制というデフレ期待政策の具現化であるなら誰得としかいえないわけですが、それもまた所得再分配を欠いた経済政策の帰結なのでしょう。

2014年08月14日 (木) | Edit |
前回エントリで取り上げた本の第4章が「メガマーケット化する日本のうつ病」となっておりまして、その中でも仏教の影響が指摘されております。

 カーマイヤー(引用注:カナダのマギル大で比較文化社会精神医学を専門とするローレンス・カーマイヤー博士)が記しているように、日本には愁いに沈んだ様子(メランコリー)を理想化し尊ぶ文化があり、テレビ番組や映画や流行歌のなかでも、深い悲しみの感情は好ましいものとして描かれてきた。憂鬱や憂いや悲しみは、辛くとも故人の性格を作り上げる要素であるとされ、アメリカ人が病的だとする抑うつ感情は、道徳的意味を持つとともに、自己認識のきっかけとなるものとみなされてきた。この傾向は、束の間の幸福ではなく苦しみこそが人生をかけて背負うべき体験であるとする仏教思想に関係があると、彼をはじめとする研究者は考えた。
p.249

クレイジー・ライク・アメリカ: 心の病はいかに輸出されたかクレイジー・ライク・アメリカ: 心の病はいかに輸出されたか
(2013/07/04)
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ここに出てくるカーマイヤー博士は、大手製薬会社グラクソ・スミスクライン社(GSK社)が2000年に日本で開催した会議に招かれて、日本にうつ病の概念を伝える役回りを演じてしまいましたが、後にこれを後悔し、それ以降はGSK社を告発しています。そして、1990年代までは日本でうつ病は一部の真面目な人の精神疾患であって、その治療薬としてのアンフェタミンなどの気分を高揚させる薬の市場はなかったと指摘しています。

ところが、2000年の電通事件の最高裁判決を機に、過労によってうつ病に罹患することは誰にでも起こりうるという認識が広く一般に普及するようになったとのこと。

 上訴のたびに異なる解釈が出されたのは、集団の考え方が過渡期にある文化を如実に反映するものかもしれない。[1997年9月に]東京高裁は賠償金を減額し、日本の精神医学界で本流だった初期の意見を踏襲して、
「一郎(引用注:自殺した電通の従業員の大嶋一郎氏)にはうつ病親和性ないし病前性格があったところ、(中略)結果として、一郎の業務を増やし、その処理を遅らせ(以下略)」
と、判決文で述べた。先天的な病前性格とはつまり、「運命」を精神医学的に言いかえただけである。しかし、[2000年3月に]最高裁は東京高裁の判決を破棄し、個人の性格は——通常想定される範囲を外れるものでない限り——こうした場合に考慮されるべきではないとした。この判決により、誰もが十分なストレスにさらされれば、うつ病のために自殺する可能性があると示された。
 部分的には大嶋の自殺をめぐる議論のおかげもあって、この時ほど一般の意見が劇的に変わったことはなかっただろうという北中(引用注:カーマイヤー博士と同じ会議に出席した現慶大准教授の北中淳子氏)は、
「最初に訴訟について伝え聞いた人は、従業員の自殺で損害を被って訴えたのは家族ではなく、会社側ではないのか、と尋ねるのが常だった。原告の勝訴を報道で知った多くの日本人は、おそらく初めてうつ病というセイン心疾患が原因で自殺することもありえるという話を耳にしたのではないか」
と事件の弁護士の言葉を引用している。
 欧米人からすれば、日本人が大嶋の訴訟で初めてうつ病と自殺を関連づけたということが理解しがたかった。自殺行動の大半は精神疾患によるもので、なかでも一番多いのはうつ病だ、とほとんどのアメリカ人は決めてかかっていた。実際、1990年代に日本市場に注目していた欧米のSSRI(引用注:選択式セロトニン再取りこみ阻害剤として知られる抗うつ剤)メーカーは、近い将来に日本でうつ病が流行する論拠として、高い自殺率を引き合いに出すのが常だった。

ウォッターズ『同』pp.256-258

何とも堅い訳ですが、自殺して損害を被ったのが家族ではなく会社だというのが、当時の常識だったということでしょうか。うーむ、当時の世論の状況まではさすがに記憶が曖昧でにわかには信じがたいところもありますが、会社側が「せっかくメンバーシップを与えた従業員に勝手に死なれたら損害だ」というのは、確かに日本的な反応として十分ありえそうです。この当時の社会的な状況として本書では、バブル崩壊後の1993年に発行された鶴見済『完全自殺マニュアル』のベストセラー化や、前回エントリでも取り上げた1995年の阪神・淡路大震災でPTSDの概念が導入されたこと、さらに1996年にはアメリカでの心の病の治療などが日本よりはるかに進んでいるという内容のNHKスペシャル「脳内薬品が心を操る」が放送されたことなどによって、日本の離婚や自殺などの説明が求められるようになったと指摘します。

ここで、GSK社はメガマーケティングキャンペーンに打って出ます。そのキーワードは「心の風邪」でした。

 GSK社が直面していた大きな問題は、日本の精神科医やメンタルケアの専門家がdepressionをいまだに「うつ病」と訳しているために、多くの日本人にとって、未知の先天的な病を連想させるということだった。この言葉の意味するものを和らげようとして、マーケティング担当者は、きわめて効果的だとあとになってわかった、ある比喩を思いつき、うつ病を「心の病」と表現し、これを広告や販促資料のなかで繰り返し用いた。この言いまわしを誰が最初に使ったのかははっきりしないが、滝口健一郎(引用注:1996年のNHKスペシャルを製作したプロデューサー)によるゴールデンタイムの特番がもとになった可能性が高い。番組では、ほかの文化圏で風邪薬を飲む感覚でアメリカ人は抗うつ剤を飲む、と伝えていた。

ウォッターズ『同』p.265

「心の風邪」という言葉は、今となって気がついてみると誰でも気軽に使うようになっていますが、その出所はテレビ番組と製薬会社のキャンペーンだったわけですね。本書でも指摘しているように、風邪であれば深刻なものではなく誰でもかかる可能性のある病気で、風邪薬程度なら手軽に飲むことに抵抗がない、という認識を広めるには、「心の風邪」という言葉がとても効果的だったと思います。実際、以前の職場で抗うつ剤を服薬している方は一人や二人ではありませんでしたし。

ところが、このキャンペーンには矛盾がありました。「心の風邪だったらほっといても治るんじゃね?」という認識が広まってしまうと、薬を使ってまで治療しようとする人がいなくなってしまいます。このため、1997年以降に自殺者数が3万人を超えたことを利用して、うつ病は自殺に至る可能性があるので適切に治療しなければならないというパンフレットが配布されました。この状況について本書ではこう指摘します。

 総合してみると、GSK社がパキシル(引用注:抗うつ剤の商品名)のキャンペーン中に広めたメッセージは、必ずしもつじつまが合っていない。内因性うつ病に関するこれまでの考え方は、この病気の重症度を喚起したい場合のみ慎重に使われた。一方で、日本人がメランコリー親和型性格を好ましく思っていたことと、新しいうつ病の概念を進んで関連づけようとしたが、これは、うつ病がセロトニン分泌のバランスが崩れて起こる病気だというメッセージを同時に発信していることとは矛盾していた。また、過労がうつ病を引き起こす可能性があるというメッセージも、脳内の化学物質を変化させる薬を飲むことで、そうした社会的な苦しみに立ち向かうべきだという考え方とは相容れなかった。日本人の苦しみの原因が社会が要求するレベルの非現実的な高さにあるとしたら、個人が薬を飲まなければならない理由がどこにあるだろうか。しかし結局のところ、こうしたメッセージの首尾一貫性など、その効果に比べれば二の次だった。

ウォッターズ『同』pp.269-270

これもまた堅い訳出ですが、まあメッセージの首尾一貫性などキャンペーンの効果に比べたらどうでもよかったというのは、需要と供給のバランスで均衡が求められる市場原理を医療の世界に持ち込んではいけない典型といえそうですね。それよりも大事なことなのでもう一度強調して引用しますが「日本人の苦しみの原因が社会が要求するレベルの非現実的な高さにあるとしたら、個人が薬を飲まなければならない理由がどこにあるだろうか」というのは、けだし名言です。

ブラック企業やらブラックバイトやらブラック国家やらブラック全盛の昨今の日本型雇用慣行を見直す際には、この金言が重要な視点となるはずです。残業代がゼロになるとか女性の活用がどうとかいう前に、日本型雇用慣行が「社会が要求するレベルの非現実的な高さ」の原因となっていることをもう少し丁寧に議論すべきではないでしょうか。

2014年08月13日 (水) | Edit |
ここ数か月震災からの月命日について書く機会がありませんでしたが、先日震災から41か月が経過し、4回目のお盆になりました。

思い起こしてみれば、震災直後から続いていた緊急事態の状態が、震災から3か月後には遺体の見つからない方の死亡届を受理する措置が執られるようになり、初盆でやっと区切りをつけたというのが3年前の状況でした。私自身はごく普通の無宗教な日本人ですので、お盆もごく普通の過ごし方となりますが、お盆には実家や故郷で親戚に会うという風習が一般的に広く受け入れられ、雇用慣行でもお盆期間中は会社全体で夏季休暇を取ることが了解されている(といっても役所にお盆休みはありませんが)というのは、日本における仏教文化の根強さを感じます。日本では身近な人の死に際しては、地元の施設で荼毘に付し、荘厳な葬式で送り出してお墓に入れ、その死を受け入れていくのが一般的です。身近な人を忘れるでもなく思い続けるのでもなく、死後の節目ごとに供養し、身近な人がいない日常生活を過ごしていくというのが、日本人の一般的な生活といえるのではないでしょうか(もちろん、それだけでは克服できないような辛い思いを抱えた方もいらっしゃいますが、あくまで一般的な姿としてという趣旨です)。

その仏教の被災地での活動については、1年以上前になりますが、ETV特集でこんな番組がありました。

仏教に何ができるか~奈良・薬師寺 被災地を巡る僧侶たち~(NHK ETV特集2013年5月11日(土) 夜11時)

「なぜ自分だけが生き残ったのか。」「なぜ原発事故に翻弄されなければならないのか。」東日本大震災によって生じた、数々の言い知れぬ苦しみ。その苦しみを少しでも和らげたいと、奈良・薬師寺は去年3月から寺をあげて被災地を巡ることにした。
僧侶たちが携えたのは「般若心経」。仮設住宅の集会所などに出向いて仏の教えを説き、「写経」を勧める。苦しみを抱える人々に、これからの生き方を見つめ直してもらうのがねらいだ。
被災地へ足しげく通う中で、薬師寺の僧侶たちは壁にぶつかる。遺族の苦しみに触れ、これまで説いてきた仏の教えを突きつけることに戸惑いを覚えるようになった者。そして、被災地のすさまじい光景を目の当たりにしたとき、身勝手な自分に気づかされ、仏に仕える資格はあるのかと自己嫌悪に陥った者。それでも僧侶たちは、みずからの存在意義をかけて被災地に立ち続けた。
家族や家を失い、苦しみのただ中にある人々に対して、直接被災しなかった者たちが語りかけるべき言葉はあるのか。薬師寺僧侶たちの1年におよぶ模索を通じて考える。

番組では、身近な人の死と向き合っている被災地の方々との関わりのなかで、薬師寺の大谷徹奘僧侶は、般若心経の冒頭の「観自在」の意味から、外に向いている意識を自分に向けさせるために写経をすると説明しています。私も震災1年目に被災者のみならず、被災者を支援する側の役所の公務員にも「心のケア」が必要だと指摘していたところですが、震災から2年を経過した頃には、

しかし、被災地の多くの家では仏式の位牌を持ち、被災された方々は近隣のお寺にお墓を持つ檀家でもありました。そうした地域の事情を踏まえると、必ずしも「心のケア」だけでは足りないのではないかとの本書の指摘には頷くところが多いと感じます。

 今回は仏壇や位牌どころか、墓が津波に襲われてお骨が流されてしまったところも多かった。先日、テレビの番組で、家や墓地が流され、お骨もなくなってしまった高齢の女性が、生きる力を失ってお酒に頼るようになった姿が報じられていた。何もかもがむなしく感じられるという。この感覚は都市部の人に伝わるだろうか。ひとりきりで鍋に酒を注ぎ、温める女性の姿を見て、この人に必要なのは科学的知識を持ち訓練を積んだ心理カウンセラーではなく、仏教者だと痛感した。
pp.207-208

共に在りて 陸前高田・正徳寺、避難所となった我が家の140日共に在りて 陸前高田・正徳寺、避難所となった我が家の140日
(2012/03/09)
千葉 望

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という仏教の風習を意識するようになっています。いやもちろん、仏教そのものに何か特別な力があって、普遍的に人々の苦しみを取り除くことができるということではなく、特に古い生活習慣が残る地域では、故人を供養することが生活の一部となっていて、普通の生活を送る中で故人の死を受け入れていくようになっているのではないかと思うところです。

実は、震災後に被災地で活動するに当たって、当時内閣府が提唱していた「ゲートキーパー」のテキストを読んだことがあるのですが、正直なところ、通常業務に忙殺されている中で「誰でもゲートキーパー」などと気安くできるものではないと諦めたことがあります。当時はとにかくテキストに掲載されている悪い例を読んで、ゲートキーパーのファーストエイドの基本ステップとされる「りはあさる」を意識しながら、被災された方々と接するときにそうならないように注意するのがやっとという状況でした(ゲートキーパーの詳しい解説は内閣府のサイトをご覧ください。なお、私が読んだのは22年度作成の第1版ですが、震災後の23年度作成の第2版には避難所や仮設住宅などの被災地対応編が追加されています)。

ただ、そのときは通常業務に忙殺されていたという事情もありますが、ゲートキーパーのテキストの内容に若干の違和感を感じたのも事実です。いやもちろん、ゲートキーパーのテキストに書かれている内容は実際に被災された方々と接する際に役に立ちましたし、その内容をきちんと実践できれば大きな問題は生じないと思うのですが、通常業務の話をするときには、「りはあさる」を意識しすぎると腫れ物に触るようになってしまって話が進めにくくなるわけです。ファーストエイドが必要なほどに追い込まれている方以外にそれほど気を遣う必要はないとしても、それは外見からは分かりませんし、慎重に対応せざるを得ない中ではどうしても気を遣います。あくまでテキストだとしても、それを拠り所にしてしまうと目の前の方への対応があまりに型どおりになってしまって、却って不信感を抱かせてしまったことがあったかもしれません。

その理由は当時はよくわかりませんでしたが、先日権丈先生ご推奨の『クレイジー・ライク・アメリカ』を読んで目から鱗が落ちる思いでした。本書の「はじめに」でその理由が端的に書かれています。

 本書に登場する文化横断的な研究者や人類学者のおかげで、私は的私的な場面に遭遇することができた。彼らが精神疾患やメンタルヘルスに関する異文化理解を進めているときに、文化の特徴が目の前から忽然と消えてしまったのだ。筆者は彼らを植物学者の心理学版で、熱帯雨林を守ろうとブルドーザーの間近で必死に多様性の持つ意義を訴えているのだと考える。
 自然界と同様に、精神疾患に関する概念や治療法においても多様性が失われつつあることに懸念を抱かずにはいられない。メンタルヘルスの均質化は、絶滅しつつある動植物のおかれた厳しい状態と同じように、私たちの人間性を失わせる可能性がある。さらには、心の理解の多様性も、その価値が十分に認識されないままに消えてしまいかねない。植物学者は熱帯雨林にこそ、いつか現代の疾病を治癒する化学物質がひそんでいるかもしれないと示唆している。同じように、メンタルヘルスや精神疾患に関する多様な文化的理解のなかに、失ってはならない英知が存在しているかもしれない。この多様性を消すのであれば、命がけの覚悟がなくてはならないのだ。
pp.12-13

クレイジー・ライク・アメリカ: 心の病はいかに輸出されたかクレイジー・ライク・アメリカ: 心の病はいかに輸出されたか
(2013/07/04)
イーサン ウォッターズ

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震災で危機的な状況に遭遇してお経を唱えたり、位牌を置き去りにしたまま避難したことに罪悪感を感じている方には、同じ生活習慣を持つ者として理解を示さなければ信頼されることが難しくなります。日本に根付いている生活習慣を踏まえた上で、「りはあさる」によってファーストエイドを進めていくことが重要だろうと思います。

という文化的背景や生活習慣の多様性を踏まえてみると、本書の章立てを見るだけでも、「香港で大流行する拒食症」「スリランカを襲った津波とPTSD」「変わりゆくザンジバルの統合失調症」そして「メガマーケット化する日本のうつ病」と、精神疾患の多様性が欧米型の診断によって画一化され、マーケット化されていく様子の一端が伺えます。震災の関連では、第2章の2004年スマトラ沖地震の際のPTSDをめぐる騒動が示唆的です。

 トラウマのような反応は文化の影響を受けないという認識を、個々のカウンセラーも、彼らを支援する慈善組織のいずれもが持っていた。
(略)
 にもかかわらず、欧米人とスリランカ人のPTSD観には津波の直後から文化的な隔たりがあった。たとえば、スリランカのコロンボ大学の教授陣は、災害のわずか数日後に、注目すべきメモをメールで送信している。そのなかで、彼らは「被災地が『カウンセリングプロジェクト』の対象となる」ことを認めながらも、押し寄せたカウンセラーたちに、生存者の体験を「心の傷の問題」だけに絞りこみ、彼らを「心理学的な犠牲者」として単純化する見方をしないように訴えた。彼らは次に、欧米のトラウマ観が世界中どこでも通用するという確信を根本的に覆すような議論を始めた。
「スリランカ人はトラウマの原因となった出来事に何らかの意味があると考えます。被害者が住む社会や文化からもたらされたこの意味こそが、彼らが求める支援のあり方や回復の見こみを規定するのです」
 そして、トラウマに対する反応は脳内で自動的に起こる生理的反応ではなく、むしろ文化を伝える情報である、と続けた。観察者が統治の文化に精通していなければ、その反応が持つ特別な意味合いが誤解されたり見過ごされたりしてしまうという。支援組織が意義ある援助をしたければ、「被害者が苦痛を通して伝えようとしたもの」を深く理解する必要がある。

ウォッターズ『同』pp.92-93

本書は大学生の宿題かと思うほどに訳が堅いのが難点ですが、それはともかく「観察者が統治の文化に精通していなければ、その反応が持つ特別な意味合いが誤解されたり見過ごされたりしてしまう」という現地コロンボ大学の教授陣による指摘は、欧米型のトラウマ観とその治療法に「精通」している専門家にはなかなか理解されなかったようです。しかし、スリランカ人にとっての問題は社会的な関係性の中にありました。

 こうした社会的な問題は欧米のPTSD患者にもよくあることだが、フェルナンドの研究結果からは些細だが重要な違いが浮き彫りになった。欧米のPTSD観においては、トラウマが精神的なダメージを引き起こし、結果として社会的な問題が起きるとされている。たとえば欧米では、PTSDによってうつ病や不安症になったのが原因で、親としての役割を果たせなくなると考える。スリランカ人にとって、これは因果関係の問題ではないようだった。社会的責任を果たせなくなること——集団のなかで自分の立ち位置を見つけられなかったり、そこでうまくやれなくなったりすること——が苦しみを引き起こすのであって、自らの心の問題に起因するわけではないのだ。
「本研究の結果は、今回の対象地域では内的な葛藤が対人的な葛藤と切り離せないという理論を裏書きするものとなった」
と、このテーマに関する論文のなかでフェルナンドは記している。スリランカ人の語った症状はいずれも、社会性が個人の精神よりも重視されるという考え方で、ある程度まで説明がつくものばかりだった。もっと正確にいえば、スリランカでは、社会性と個人の精神とが混ざり合って、互いに切り離せない状態になっているのだ。
(略)
 悲劇的な出来事からどうやって立ちなおるかを考えたとき、個人の心よりも社会に重きをおくという事実は重要である。うつや不安や角の警戒心が主な症状であるとき(これらは対人関係に問題を引き起こしてしまう症状でもある)、社会的責任から離れて心の症状を克服するための時間をとるのが、欧米では一般的だ。病気休暇をとるなどしてストレスを避け、治療に専念するのだ。しかし、対人関係が主訴である場合、義務や社会的役割から離れると、実は問題が悪化してしまう。スリランカのような文化では、集団から離れて個人を治療する方法、特によそ者と一対一で受けるカウンセリングには問題が多いのである。

ウォッターズ『同』pp.111-113


スリランカの文化と日本の文化が同じではないとしても、個人に重きをおく欧米型のカウンセリングが今回の震災でどれだけ有効であったかは検証が必要ではないかと思います。冒頭で取り上げた番組でも、写経は自分の精神に意識を向けることだと説明していましたが、写経自体は数十人の集団で行っています。混じり合った社会性と個人の精神を解きほぐすというのが、特に日本の地方の生活習慣に合っているのかもしれません。

なお、今回の震災では、日本の言語の壁もあって海外の支援団体等が被災地の現地で勝手に活動するということはほとんどなかったようですが、PTSDの考え方が欧米以外の災害で初めて取り入れられたのが阪神・淡路大震災だったとのこと。

「PTSDの概念が持ちだされたのは、心理学的に進んだアメリカでは認められていても、日本では無視されてきた苦しみの実態を指し示すためだった」
と、阪神大震災による後遺症を調査した人類学者、ジョシュア・ブレスローは報告する。災害に対する日本人の反応に影響を及ぼそうという努力からは、他の国はメンタルヘルスにほとんど注目しておらず、アメリカのように知識を持っていないという、トラウマ学者に共通した確信が見てとれた。こうした活動は人道的支援として行われているはずなのに、むしろ大規模な教化活動を推し進めているかのようなのだ。

ウォッターズ『同』p.128

上記引用部でもちらっと出てきましたが、日本でもうつの改善にはとにかく仕事や社会から離れて自宅で休養することが重要だとされますが、この欧米型のカウンセリング方法の検証も必要ではないかと思います。まあ、この辺は全くの門外漢ですので頓珍漢なことを書いている場合はご容赦いただきたいのですが、身近な人を供養するこの時期に心のケアについて考えてみたところで、次のエントリに続きます。

2014年08月10日 (日) | Edit |
ということで、まさかの連載の『HR mics vol.19(FlashですのでiOSの方はご注意ください)』連載第7回目が、編集の海老原さん、荻野さんのご指導のおかげで無事掲載されました。ありがとうございました。

すでにhamachan先生が紹介されていますが、今回の特集は「錆びないミドルキャリア」ということで、ミドルキャリアの人事制度を実践している企業の事例が掲載されています。

海老原さんによると、これ以外にも「情報収集までは行ったものの、掲載許可がいただけなかった企業が多数あった」そうです。都銀、信託銀行、損保、建設、GMSなど、いずれも超大手の人気企業だそうで、こういうところに載っけて変なところから文句言われたりするのを恐れたのかも知れませんが、残念なことですね。

無限定なまま追い出し部屋なんぞに送り込むよりはるかに社会にとって有意義なことをしているのですから、是非堂々と好事例を出していって欲しいと思います。

『HRmics』19号は「錆びないミドルキャリア」特集(hamachanブログ(EU労働法政策雑記帳)2014年8月 7日 (木))

いやまさに、追い出し部屋に入れる側もそれをを批判する側もミドルキャリアをどう構築するかという議論もないまま日本型雇用における正社員としての処遇を求め続けている状況では、こうした実践から学ぶことは多くあると思います。今はすでに正々堂々と議論すべき段階にあるのではないかと思うところですが、掲載許可が出なかったというのは結局追い出し部屋を批判する方々の理解を得ることが難しいという判断なのでしょうか。こうして日本型雇用はそれを批判しながらどっぷり浸かっている方々によって維持されてしまうのですねえ。。。

ということで、今回も豪華連載(拙稿を除く)が目白押しですので、ぜひご高覧いただければと思いますが、日本型雇用慣行による弊害を批判するように見えてそれを維持する議論の典型として、拙稿では地方公務員法の改正について取り上げております。先月のエントリで「この5月に地方公務員法が改正されて「能力及び実績に基づく人事管理の徹底」が導入されたところですが、民間労働者の方々いつか来た道をまた歩くことになるのですねぇ(この地方公務員法改正の矛盾については次号の『HRmics』に掲載される連載で取り上げる予定です)」と書いていたのが今回の拙稿でして、「親方日の丸」も「年功序列」も民間企業と等しく公務員には当てはまらないとう趣旨で、前者については整理解雇に当たる分限処分、後者については職能資格給となっている実態をあげて反論する内容となっています。

でまあ、今回の改正地方公務員法はあくまで「職能資格給」を前提とした人事評価制度を導入するものであって、職務記述書によって職務を明確にして、その職務に対応して給与を支払う「職務給」に転換するものではありません。拙稿の方では結論がやや曖昧になってしまったのですが、職能資格給が経験や年齢によって職務遂行能力が向上し続けるという「年功的」に運用されている現状では、「年功序列ではない」というのはややミスリーディングだったかもしれません。拙稿で言いたかったことというのは、アメリカの占領下で制定された地公法は典型的なジョブ型であって、給与も「職階制」に基づく職務給の原則が採られていたものの、今回の地公法改正によって職階制が廃止された一方で、24条1項の職務給の原則はそのまま改正されずに残っているのは矛盾しているのではないかということでした。そしてその矛盾を生んだのは、総務省(の旧自治省)が日本型雇用慣行の現状について認識不足でありながら、「民間並みに」という各方面からのかけ声に動かされるままに改正したことが原因となっているのではないかと思うところです。

ついでに言っておくと、今回導入される人事評価制度では大きく分けて能力評価と業績評価を行うこととされていまして、これは2007年の国家公務員法改正に合わせる形となっています。といっても、今回の改正に先立って国家公務員と同様の能力評価と業績評価を行っていた自治体は、都道府県で37団体、指定都市で19団体、市町村で563団体でして、全体の34.6%に上ります。特に能力評価については都道府県、指定都市では100%実施していたところでして、そもそも改正前から地公法40条で勤務評定を行うこととされていたわけですが、職能資格給が広く取り入れられている状況がわかりやすく示されています。詳しくはこちらの「(参考資料)人事評価制度等」をご覧ください。

「地方公務員法等の一部を改正する法律」に関する説明会(総務省 平成26年6月9日(月))

なお、この資料の中に「資料5 地方公共団体における人事評価制度の導入等について(注:pdfファイルです)」というのがありまして、その最終ページに拙稿で取り上げた「級別職務区分表」の例が掲載されています。この職務記述書とは似て非なる区分表なるものの「標準的な職務」の欄をご覧いただければ、これっぽっちも職務内容が書かれていないわけでして、地公法がいくらジョブ型であっても、運用は典型的なメンバーシップ型であることが示されていますね。

2014年08月08日 (金) | Edit |
前回エントリの関連となりますが、旧聞に属するどころか事態が急展開しているようです。

被災地でコールセンター 本社の業務事実上休止 8月4日 18時06分 NHKニュース

東日本大震災の被災地などで国の助成を受けてコールセンターを運営し、従業員の給与の未払いや雇い止めが問題になっている「DIOジャパン」について、厚生労働省は、4日までに本社の社員全員が解雇され、事実上業務を休止したと説明を受けたということです。
東京に本社がある「DIOジャパン」は、国の緊急雇用創出事業の委託を受けて東日本大震災の被災地など全国でコールセンターを運営していますが、先週本社と連絡が取れなくなっていました。
厚生労働省によりますと、4日までにDIOジャパンの本門のり子社長と電話で連絡が取れ、本社の社員全員を解雇し、事実上業務を休止したと説明を受けたということです。
DIOジャパンは7000万円余りに上る従業員の給与の未払いや雇い止めが問題になっています。
また、昨年度までにおよそ36億円の助成金が支払われており、厚生労働省は助成金の使い方が適切だったか調査を進めています。
社長からは被災地などで運営しているコールセンターの取り扱いや今後の対応についての説明はなかったということで、厚生労働省は引き続き詳細を確認していく方針です。


誘致した企業どころか本社まで全員解雇とは。。。予想のはるか上を行くずさんな経営ですな。前回エントリで指摘したことについては、厚労省が中間報告を発表していますので、制度上の問題点については改めてこちらから引用します。

緊急雇用創出事業に係る(株)DIO ジャパン関連子会社への調査~中間報告~(平成26年7月15日)(注:pdfファイルです)
<対応の方向性等>
 これらの状況は、緊急雇用創出事業により創出される雇用が、次の就職に繋げるための人材育成を行う有期雇用であることにかんがみれば、事業期間終了後に雇用が必ずしも継続されないこと自体は、制度上、委託契約としての問題とはならない。
 しかしながら、厚生労働省としては、緊急雇用創出事業の趣旨にかんがみ、事業終了後においても、安定した雇用に繋がるよう、事業実施要領に基づき、都道府県を通じ、市町村及び受託事業者へ指導しているところである。このため、事業終了後とは言え、決して望ましい事態ではない。
 厚生労働省としては、今後、都道府県をはじめ関係自治体に対し、事業の受託者の選択において、安定した雇用に繋がるか否かの判断をより重視する等について、指導してまいりたい。
 なお、このような緊急雇用創出事業における取扱とは別に、関係子会社の立地している自治体の一部には、関連子会社の設立時に、企業立地協定を締結している場合等がある。その中には、「企業立地を支援する代わりに、最低 5 年は雇用を継続する」、「事業終了後も引き続き継続雇用する」などの具体的な約束をしている場合がある。
 こうした場合には、緊急雇用創出事業とは別に、当該関係子会社と自治体との間で、協定等の遵守に関する問題が生じることが考えられる。

なかなか持って回った言い方ですが、あくまで有期雇用を創出する委託事業としては問題がないものの、企業誘致の際の約束である「企業立地協定」において継続雇用を謳っておきながら、賃金未払やら雇止めやらでそれを反故にしてしまう程度のDIOジャパンを委託先とした自治体に対して、厚労省からきちんと見極めるよう指導しますよということです。要すれば、始めから緊急雇用創出事業がなければ地方に立地することもできないような企業を誘致して、「緊急雇用で企業誘致」という筋の悪い事業を実施してしまった被災地の自治体がしっかりしろという指摘です。

被災地の自治体の側には、震災で事業所が閉鎖したりして背に腹を代えられない状況があったという事情はあるにせよ、「緊急雇用で企業誘致」なんてことしたらこうなる可能性が高いことは十分に予想できたはずでして、厚労省の指摘はその通りだろうと思います。その背景には、前回エントリの繰り返しになりますが、緊急雇用創出事業という事業そのものが、「失対事業の夢魔」を回避するために有期の委託事業という大枠をはめ、その期間内で有期雇用を創出するという苦肉の策であって、当初はその目的に合致するような短期的な業務を委託することとされていたのに、自治体の側の要望によって、当初の目的ではない「地域の雇用確保のツール」と位置づけられるようになっていた経緯があるわけです。

ということで、DIOジャパンの撤退については緊急雇用創出事業として制度上の問題がないにも関わらず、岩手県山田町の緊急雇用創出事業の不正事件との合わせ技で会計検査院の餌食となるようですね。

会計検査院が検査開始 山田NPO問題、年内に「報告」(岩手日報(2014/07/30))

 会計検査院は29日、県や山田町などに対し、予算が適切に執行されたかを調べる実地検査を開始した。NPO法人「大雪(だいせつ)りばぁねっと。」の予算使い切りが問題となった同町委託の緊急雇用創出事業などが対象とみられる。検査報告は年内に公表される見通しだ。

 同検査院の関係者数人は同日、盛岡市の県庁や山田町役場などを訪れた。県内に数日程度滞在し、補助金交付に関する書類確認や担当者の聞き取りなどが行われるもようだ。

 会計検査院の実地検査は毎年行われるが、東日本大震災後の本県に対しては復興業務を妨げないよう見送られてきた経緯があり、本県での実施は2010年以来4年ぶり。今回の検査対象として、県内で子会社撤退が相次ぐDIOジャパン(東京)の緊急雇用創出事業なども検討されるとみられる。

 検査報告は内閣に秋以降送付され、内容が公表される。自治体などを対象に説明会も開かれる。

まあ、会計検査院(とオンブズマンの方々)の行動原理としては、「そもそも論からすれば、不正受給とか虚偽申請ってのはそういうことをした側がその責を問われるはずです。しかし、会計検査院とかオンブズマンの方々はそれを見逃したとか適切に処理しなかったとして役所の責任を追及され」るわけですから、会計検査院(とオンブズマン)が、「問題」があったとされる事業について調査するのは、それこそ制度上問題はないでしょう。ただ、その矛先が緊急雇用創出事業を所管している厚労省とか自治体の雇用対策担当に限られるのであれば、いかにも制度の問題点を理解していない表層的な調査にしかならないわけでして、経産省が所管する企業誘致の問題についても精査されることが望まれます。

ただし、これまでの報道ではあまり触れられていなかったのですが、一部の事業では緊急雇用創出事業としての問題もあったようです。

DIO研修中5000万収入…県調査(読売新聞 2014年08月05日)

 DIOジャパン(本社・東京)がにかほ市と羽後町に開設したコールセンターの従業員研修期間中、約5000万円の収入を得ていたことが4日、県の調査で分かった。研修期間中の従業員の給与は、国の緊急雇用創出等臨時対策基金で賄われており、収益が出た場合、地元自治体に返還する義務がある。県は近く厚生労働省に報告し、返還を求めることが可能な収益に当たるか否か判断を仰ぐ。

 県がDIO社などに確認したところ、にかほ市と羽後町のコールセンター3か所で、研修期間中の2013年4月~今年3月、宿泊予約の受け付けや精米の販売営業などを行い、計約4981万円を得ていた。

 県の調査に対し、DIO社側は「業務の実践練習として、(本社が)受注した業務をさせていた」などと回答、コールセンターが上げた収益ではなく、返還の必要はないとの見解を示したという。

 また、研修期間中に事業収入があった場合、事業者は地元自治体に報告書を提出する義務があるが、にかほ市と羽後町には、同社から報告はないという。

 このほか、にかほセンターが昨年12月~今年12月の契約で借りたノートパソコン80台について、研修期間外の今年4月以降の使用料も基金で支払ったことなどが判明。県は「基金返還の可能性が高い案件」として、併せて同省に報告する。

 県によると、7月31日に業務停止が明らかになったDIO社とは、4日も連絡が取れない状態。今月1日の予定だった給与も支払われず、4月分以降の遅滞総額は延べ290人分、約4213万円に上っている。

 一方、佐竹知事は4日の記者会見でこの問題について「良かれと思って(誘致を)頑張ったが、結果的に従業員と地域の方々に心配をかけた。深く反省し、おわびしたい」と陳謝した。

 DIO社については「無責任で憤りを感じる。会社整理などの手続きを取ってもらえれば次の手が打てるが、放置されると困る」と述べた。未払い給与や研修期間中の収入については、他県と連携して対処していく考えを示した。

佐竹知事の「良かれと思って(誘致を)頑張ったが、結果的に従業員と地域の方々に心配をかけた」と言う言葉がはしなくも安直な企業誘致の考え方を示していて興味深いところですが、それはともかく、DIOジャパンはそもそも自社の事業と委託事業の違いを認識していなかったように見受けます。というか、これまで拙ブログで何度も報道の誤りを指摘しておりますが、これだけ長い期間報道している報道各社ですら全く制度が理解されていないわけでして、あくまで企業誘致された側のDIOジャパンにしても、制度なんて役所が勝手に用意したものであって、自らが受託者としてそれを理解する必要性などみじんも感じてはいなかったのでしょう。これは岩手県山田町で問題を起こしたNPOも同じでしょうけど、「震災で被災した地域の助けになってやっているのに、細かい制度のことでとやかく言われる筋合いはない」という当事者意識の欠如があるように思います。

念のため記事の解説をしておくと、委託事業というのは本来自治体が実施するべき事業について、その実施を他の事業体に委任するものでして、民法でいう委任(特に事実行為の委任である準委任)に該当します。したがって、緊急雇用創出事業であっても、あくまで自治体が実施すべき事業を他の事業体が代わりに実施するものとなりますので、事業体が自ら行う事業とは経理上も実態上も明確に区別されます。ということで、委託事業で雇用した従業員を委託事業の仕様書に定められた以外の業務に従事させることは認められませんし、事業体が自ら行う事業で発生した経費に自治体からの委託費を充当することも認められません。

では、委託事業の仕様書に定められた事業で、その成果物を販売するなどして収益が発生した場合はどうなるかというと、その収益は事業体に帰属することになるので、自治体からの委託費をその分だけ減額する必要があります。そうしないと、自治体からの委託費で雇用した従業員や設備などを使用して、事業体が自らの収益を上げることができてしまうからですね。委託事業の性質上、成果物の販売などで収益が発生する事業を実施することは認められますが、その収益は自治体からの委託費と相殺するわけです。まあ、受託する事業体から「緊急雇用創出事業はやたら手続きとか書類が厳しいのに、自社の持ち出し経費が認められなくて全然おいしくない」と不評を買う所以でもあるのですが、逆にいえば、そこを認めてしまえばそれなりに「おいしい」事業となります。

佐竹知事の言葉にはその辺の反省も含まれているのかもしれませんが、今となっては会計検査院(とオンブズマン)のご指摘を座して待つしかなさそうですね。