2013年12月31日 (火) | Edit |
前回エントリでは、dojinさんと障害者制度の改正議論について議論させていただいた経緯も引用しておりましたが、そのエントリでは、「普段各方面からのあれやこれやの原則論とか思い入れとか横やりに晒されて、それに対応することを仕事をしている身からすると、「「(政治家フォローの有無含めた)厚生労働省マンパワー不足仮説」の妥当性がどの程度あるか、その一点」に問題が集約されてしまうことには少なからず違和感がある」というコメントもさせていただいておりました。その違和感というのは、これも何度も引用させていただいている権丈先生の言葉ですが、

平等・格差は問題だ、貧困問題は深刻だと言うくらいで、世の中動くもんじゃない。18 世紀の半ばに産業革命が起こってすぐから、深刻な貧困問題を訴える社会運動家は、ずっといた。だけどな、格差問題、貧困問題を解決するためには、所得の再分配が必要なわけで、その再分配政策が大規模に動きはじめるのは、高所得者から低所得者に所得を再分配するその事実が、成長や雇用の確保を保障するということを経済理論が説明することに成功したときからだ。現状の所得分配に対する固執はいつでもどこでもとてもおそろしく強く、格差は問題だ、貧困問題は深刻だと言うくらいで、所得分配のあり方が大きく動くほど、世の中は甘くないんだよ」

勿凝学問189 「乏しきを憂えず等しからざるを憂う」ようなできた人間じゃないよ、僕は 日本財政学会シンポジウムでのワンシーン(2008年10月29日)(注:pdfファイルです)」(Kenjoh Seminar Home Page
※以下、強調は引用者による。


ということして、政策実現のための合意形成というのは、何かが問題であると認識されることだけでは不十分で、その問題がどのように社会的に、あるいはその合意形成が必要な相手方にどのようなメリットがあるかを示さなければなりません。交渉ごとというのはだいたいそういうものだろうと思うわけで(政策形成が経済学上の理論だけで決まるわけではないという歴史的経緯は、「現実味に欠ける仮定をおいた経済理論がなぜ政策に反映されていくのか、それが現実の世界で慣行として形成されて法理を形成して…、という制度が響き合う機微」を感得できる金子先生の業績でご覧ください)、大山『生活保護vs子どもの貧困』でもそのような場面が描かれています。

 これは、生活保護だけでなく、値金や医療などの社会保障全般に関わる問題でもあります。少子高齢化で高齢者は増える一方、働き手は減っている。働き手のなかでも安定した仕事に就いている人の割合はどんどん減り、20代では二人に一人は非正規の仕事。自分の食べるぶんもカツカツという人が少なくないのが現状です。そうしたなかで、なぜ生活保護だけが優遇されるのだ。オレたち、私たちの生活はどうなるのだという声が出てきました。
 こうした声は、もっぱら感情的なものではあるのです。しかし、私は感情というのはとても大切なものだと考えています。残念ながら、人権モデルはこうした感情をもつ人に対して、説得力のある言葉をもちえませんでした
 人権モデルの立場でよく使われるものに、「私たちの声を聞いてください」という言葉があります。官邸前でデモをしたり、シンポジウムを聞いたりして、私たちはこれだけ困っているとアピールする。たしかに、貧困問題が再発見される段階では、当事者に意見をいってもらうことは効果がありました。苦しい生活や、日々感じる差別や偏見への気持ちを話していただくことは、辛く、勇気のいることです。私も何度か集会に参加したことがありますが、それぞれの思いを聞き、心が動いたことは一度や二度ではありません。
 しかし、「困っている人はたくさんいる」ということが社会で共有されているなかで、それ続けているとどうなるでしょうか。
 現在の日本は、同情疲れともいうべき状態になっています。悲惨な話が多すぎて、無感覚になりつつあるのです。
 ある新聞社のインタビューを受けているときに、記者が「ああいうことをする元気があるなら、働けよと思うんです」とボソリといっていました。こういった声に人権モデルはどれだけ耳を傾けているのだろう、と思うのです。
pp.127-129

生活保護 VS 子どもの貧困 (PHP新書)生活保護 VS 子どもの貧困 (PHP新書)
(2013/11/16)
大山典宏

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障害者支援制度の改革の議論でも、こうした「人権モデル」に近い立場から障害者支援制度の拡充を求める声は多数表明されたのですが、ではそれが大山さんが指摘される「感情」に対して説得力を持っていたかという点は十分に吟味されるべきでしょう。私は当時の議論でも指摘しておりますが、そのような説得力を持たない言葉でもって厚労省の怠慢を追求する立場には疑問を持っておりまして、なんとかそれに説得力を持たせようとした厚労省をdisる方々にも疑問を呈したつもりです。

説得力を持たない言葉でもって厚労省の怠慢を追求する立場の方の発言として、本書で象徴的な場面が引用されています。

 2010年に、厚生労働省は「生活保護受給者の社会的な居場所づくりと新しい公共に関する研究会」という会合をつくりました。(略)その席上で、厚生労働省の保護課長(生活保護の元締めのような人です)から委員に対してこんな投げかけがありました。
 就職を希望するが結びつかない人、就労意欲を失って孤立する人に対して、一般就労だけでなく、社会とのつながりを結び直す支援が求められている。そのことは、皆さんの話を聞いていてよくわかる。ただ、必要な予算を確保するためには、財務省が納得するような説明ができないといけない。財務省が求めるのは「その事業が、ほんとうに税金をかける価値があるのか」という点だ。説得力のある説明をするためには、費用対効果のような数字がいる。しかし、現場を知らない私たちはどうすればいいかがわからない。皆さんからの意見を聞きたい――そう、真剣に訴えかけていました。
 私は、ちょっとだけ感動してしまいました。自分たちには足りないものがあることを認め、素直に助けを求めることは、なかなかできることではありません。偉くなればなおさらです。皆さんの意見を聞いて、しっかりといいものをつくっていきたい。保護課長の言葉からは、そうした熱い思いを感じ取ることができました。
 問いかけに対して、あるNPOの代表者が口を開きました。
それは、私たちの立場と違いますから
 語り口は柔らかかったものの、私は、切って捨てるような印象をもちました。相容れない立場の人の気持ちに寄り添い、その人の立場で考え、どうしたらいいのかを考える。それは、NPOが何度も行政に対して求めていることではないのか。それを、「私たちと一緒に考えてください」といわれたとたんに、「私たちは、それを考える立場ではない」という。
 自分たちの声(意見)は聞いてほしいけれど、相手の声(意見)は聞きたくない。これでは、コミュニケーションは成立しません。自分と同じ意見の人たちとだけ付き合い、異なる意見の人を「あの人の考え方はおかしい」「自分とは違う」と排除していては、共感は広がらない。私は、そう思うのです。

大山『同』pp.130-131


その政策分野の課題に関心を持つ方々は往々にして、自分たちの主張する政策が「正しいから」「必要だから」という理由だけで実現すると考える傾向があると思います。実際に取り組んでいる方ですら上記のような認識であれば、ニュースを見てああだこうだいっているような一般の方にすれば、「正しい政策なんだから調整なんて必要ない」とか「困っている人がいるんだから政策を実施して当然だ」という認識が普通なのでしょう。

しかし、下っ端公務員の狭い経験からしても、調整が必要でない政策分野なんてものはおそらくこの世に存在しないだろうと思います。特に社会保障の分野では、社会的弱者の救済を叫ぶ主張に混じって、「公務員が身を切る」べきという主張を声高に叫ぶ方も多いわけでして、私が日本的左派思想に懐疑的なのもその辺に理由があります。一方では、経済政策の分野では社会保障やその財源調達としての税金を目の敵にして「リフレ派」に名を借りた増税忌避の立場を崩さない方も多くいらっしゃいますね。「自分と同じ意見の人たちとだけ付き合い、異なる意見の人を「あの人の考え方はおかしい」「自分とは違う」と排除」する風景が特にネット界隈では当たり前のこの国で、調整に当たる公務員の任が増えることはあっても人員が増えることはないというのは、まあ当然の帰結なのでしょう。
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