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2013年08月30日 (金) | Edit |
一応経済学カテゴリに入れましたが、このテーマは単なる経済学の範疇を超えているにも関わらず、相変わらずどマクロな議論が主張されていておもしろいですね。29日まででだいたい半分終わったところでして、これからもいろいろな立場からの主張がされるでしょうが、とりあえず現時点ではドラめもんさんのご指摘が秀逸だと思います。

人によってペラ1(どころか資料無の人もいますが)だったり40ページ組の人がいたりと中々オモロスだったり香ばしかったりするのですけれども、見てて盛大に爆笑の発作を禁じ得なかったのは、某どこぞの誰かさんが「消費税先送りで金利が上昇するのが正しければ投資家が先に収益機会の手の内を明らかにするとは考えにくい」(ので市場が言ってる金利急騰リスクというのは違いますよと言いたいんでしょう。なお端折ってますので念の為)みたいな話を資料に書いているのを拝読した所ですかねえ。

いやね、収益機会の手の内は出さないってじゃあ何とかストの皆さんとか市場の中の人の話はというのはありゃ常に本当の手の内を話していないんですよみたいな物言いで何とかストに随分こりゃ失礼なお話ですなあと小一時間問い詰めようかと思ったらその指摘をしている資料に何とかストの館みたいなところのお名前が入っていた所に何とも味わいの深いものを感じましたとだけ申し上げておきましょう。

(略)

#まあしかし何ですな、ついこの前までアベノミクス大勝利とか言ってた人たちが消費税増税反対とか仰せになっておられたりして、アベノミクスが絶賛大勝利しているんだったら増税くらい屁でも無いじゃろと思うのですが大勝利というのは何だったのかいやまあいいです

本日のドラめもん 2013/08/28

私も緩やかにリフレーション政策を支持する者として「アベノミクスとして金融政策で異次元緩和が行われたのには消費税引き上げの地ならしという側面もあると考えておりますので、このまま景気回復が本格化することを祈るばかり」なのですが、こうしたオモシロ成分の高い主張を拝見していると、「政府の失政でアベノミクスが失敗する」という予測をしたくてしょうがないのではないかと思ってしまいます。

何度も繰り返しますが、「その税収でより豊かな暮らしを享受できるのは低所得者層だったり、その方々に社会保障の現物給付を行う公的セクター(私もその一員です)や医療・福祉分野に従事する労働者」である以上、私は再分配を使途とした増税を「おおっぴらに支持」する立場ですので、アベノミクスと消費増税の両立を願ってやまないのですが、増税忌避という思考停止に陥っている方々にそんな立場が理解されることは、アベノミクスと消費増税の両立以上に難しいのかもしれません。
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2013年08月25日 (日) | Edit |
最近雇用・労働ネタから離れていましたが、hamachan先生の『若者と労働』を拝読しました。おそらくこの書評(というか感想文)も捕捉されてしまうとは思いますが、ほかの方がしっかりした書評をされていますし、こちらでは本書の内容からやや外れた感想となってしまいますのでご容赦ください。

本書で示されている「若者と労働」をめぐる諸問題は、特にhamachanブログの愛読者にとっては目新しい内容があるわけではありません。それでも新書としてまとめられたおかげで、歴史や制度の筋道の見通しがかなりすっきりと示されていて、この問題に関心を持つ方には必読の書であることは間違いないと思います。問題は、「この問題に関心を持つ方」というのは誰なんだろうかという点でして、実を言えば、この点ではroumuyaさんの感想に近いことを感じてしまいました。

ただまあきっとそういう反応になっているだろうなと思ってウェブ上をざっと見てみたところ案の定だったのですが、この本を若者、特に職探しをする(典型的には就活に臨む)若者に推奨するというのはどうなんでしょう。もちろん、若者が知っておくことが望ましい知識はたいへん多く含まれていますし、若者に限らず、若年労働についてあれこれ言いたいならこのくらいのことは知っておけよなという内容の本でもあるのですが、著者の価値観にもとずく記述が随所に入り込んでいて若者がそこまで鵜呑みにすると危ないかなとも思うわけです(そういう人を増やしたいという意図であるならそれはそれで非常によくわかるわけですが)。

■[読書]濱口桂一郎『若者と労働』(2013-08-22)」(吐息の日々
※ 以下、太字下線強調は引用者による。

この本を読んでしっかりと若者と労働について認識を改めて実践するべきは、堅く言えば使用者側、ぶっちゃけて言えば「メンバーシップ型」の雇用にどっぷりと浸かってしまった大人の側ではないかと思います(的確な現状認識が求められる立場の論者に限って、この本も読まずに俺様理論を開帳し続けるという徒労感満載な展開が予想されてしまうところがアレですが)。その一方で、これからその世界に浸かってしまう若者にとっては、予防線として知るべき知識ではあっても、現時点では残念ながら実践すべき知識ではないだろうとも思います。

この点については、hamachan先生も

拙著へのネット上の書評と言えば欠かせないのが労務屋さんの辛口書評ですが、今回も『若者と労働』にちくりとわさびをきかせた短評を書かれています。

お待ちかね労務屋さんの拙著書評(2013年8月22日 (木))」(hamachanブログ(EU労働法政策雑記帳)

として上記で引用した部分を紹介されていて、もちろんそうした感想があることは織り込み済みなのだろうと思います。本書では、若者をめぐる労働問題の歴史的経緯や制度を見通しよく示しておきながら、若者自身の問題としては、本文を締めくくった後の「あとがきに代えて」で労働教育の強化を提言されています。

 そこで働く若者の側にブラック企業の行動の違法性を明確に意識する回路がきちんと備わっていれば、どんな無茶な働かせ方に対してもなにがしか対抗のしようもあり得るはずですが、日本型雇用システムを前提とする職業的意義なき教育システムは、そもそも労働法違反を許されないことと認識する回路を若者たちに植え付けることを必要とは考えてこなかったのです。
(略)
 このため、学校教育とりわけ高校や大学における労働教育を強化し、共通の職業基礎教育の一環として明確に位置付け、十分な時間をとって実施することが必要です。とりわけ教育課程においては、全員「就職組」である生徒を教える立場になるということを考えれば、憲法と並んで労働法の受講を必須とすべきでしょう。
 また、さまざまな生涯学習の機会をとらえ、その中に有機的に労働教育を組み込んでいくことも有効でしょう。労働教育と消費者教育は、今日における市民教育の最も重要な基軸と考えるべきではないでしょうか。
pp.277-278

若者と労働 「入社」の仕組みから解きほぐす (中公新書ラクレ)若者と労働 「入社」の仕組みから解きほぐす (中公新書ラクレ)
(2013/08/10)
濱口 桂一郎

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「教育」という言葉が使われていますが、若者やその労働に関係する方々が「若者と労働」を知識として理解し、それを自分のこととして実践できるかどうかがこれからの課題なのだろうと思います。

ただ、私のように現場で下っ端公務員をやっていると就活中の若者の話を聞く機会がそれなりにあるのですが、こうした問題を的確に認識し、問題提起を行う若者はほぼ例外なく就活に苦労しているようです。メンバーシップ型の「入社」でなければ日本のほとんどの会社に就職できないために、鍛えようのない「人間力」を重視され「即戦力」を期待されてしまうという就活の現実は、確かに若者にとって多くの矛盾を含むものではあります。しかし、その就活に直面している若者がそれを「抗うべき現実」と考えてしまうと、「メンバーに相応しくない」として「入社」そのものができなくなってしまうというジレンマに陥ってしまうわけです。

実は、この傾向が強く見られるのは女子学生です。女性の場合はメンバーシップ型で「入社」しながらも、「入社」後はコース別で人事管理されてしまうため、その現実を知った女子学生が問題を的確に認識し、それを「抗うべき現実」と考えるようになってしまいます。つまり、「入社」するまでと割り切ってしまえばメンバーシップの一員として迎えられる男子学生と、「入社」するまでの割り切りに加えて「入社」後もコース別人事管理に割り切りを迫られる女子学生では、後者の方が問題意識を持ちやすくなるようです(もう少し詳しく言えば、男性なら就活を乗り切って「入社」すれば、サビ残も転勤も受け入れるという次の割り切りでメンバーシップに浸かりきってしまえますが、女性の場合は、結婚や出産のために「入社」後の割り切りが難しく、メンバーシップの中で不利な立場にあります)。

ついでに言えば、キャリアカウンセラーとかキャリアコンサルタントという資格をお持ちの方の割合も、私の半径数キロの範囲ではありますが女性のほうが多くなっています。お話を聞いてみると、社内での扱いが男性正社員と違っていたことに疑問を感じたり、母子家庭になって就活の困難さに直面したりして資格を取るに至ったという女性も多くいらっしゃいます。学生も大人も関係なく、女性にそうした問題意識が強いのは、日本型雇用慣行で「割を食う」立場だからなのでしょう。逆に男性の場合は、学生も大人も関係なく、日本型雇用慣行の問題について話をしていてもピンとこない方が多いですね。

この点については、本書でたびたび引用されている本田先生も、

とおっしゃっているように、hamachan先生が推奨する「ジョブ型正社員」の実現を阻むのは、「メンバーシップ」を構成する男子学生・男性正社員です。その意味で、本書は「一見女性が自身のキャリアを考えることを薦めておきながら、その実私のようなアラフォー男性はもちろんのこと、高齢者や若年者に対するエールかつ重要な問題提起にもなっている」海老原さんの『女子のキャリア』とも共通する広い射程を持つ内容だと思います。「男性正社員は幹部候補生でなければけしからんという「建前」が男性のみならず女性の過重労働をも正当化」している状況を変えるのは難しい道のりではありますが、その処方箋を考える前提を共有するために、本書は広く読まれるべきだろうと思います。

もう一つ、これも本書の内容とは関係ないのですが、たびたび指摘されているとおり日本の労働法制そのものはジョブ型でスタートして、高度経済成長期までは労働政策もジョブ型を指向していたはずなのに、当時の労使はジョブ型ではなく戦時体制から続くメンバーシップの強化を選択した経緯があります。これが大きく転換するのがオイルショック後で、整理解雇事案で整理解雇の四要件説が確立され雇用維持のための雇用調整助成金が創設されたわけですが、労働省としては判例法理がメンバーシップ型雇用慣行を補強し続けたことをどう考えていたのか気になります。労働省の本音では、「日本はメンバーシップなんだから労働法制もそっちに合わせた方が素直だけど、今さら変えられないから判例法理に任せる」というスタンスだったのか、逆に「ジョブ型の法律なのになんで司法が勝手にメンバーシップに変えたんだこのやろう」というスタンスだったのか、最近の「ジョブ型」の盛り上がり方を見ていると後者のような気もします。

本書にも労働省の矜持が表れている(と思われる)記述がありまして、

 序章で述べたように、2000年までは労働省の若者雇用に関わる担当部門は学卒係という一係に過ぎませんでしたが、毎年中学、高校、大学などの新卒者の内定状況、就職状況を調査し、発表していましたから、90年代半ば以降、新卒労働市場の状況が急激に悪化し、就職できないまま卒業する若者が急増してきていることは当然認識していました。前章で述べたように、世間では依然としてフリーターの「甘え」を批判する言説が垂れ流されていたとはいえ、政策担当者は目前に起こりつつある事態に対し、できる範囲で対策を講じなければなりません
 厚生労働省は文部科学省とともに「高卒者の職業生活の移行に関する調査研究会」を開催し、2002年3月に最終報告書をまとめましたが、そこではこれまで一定の役割を果たしてきた指定校制度、一人一社制、校内選考といった慣行が弊害をもたらしているという認識を示し、そうした就職慣行を見直すことを求めるとともに、就職を円滑にするためのサポート、キャリア形成の観点からの教育内容の改善、学校とハローワークの連携など、それまで意識されてこなかったさまざまな政策課題を示します。
 これを受けて、2002年度から未就職卒業者就職緊急支援事業が始まりましたが、これが日本における若者雇用政策の出発点といえるでしょう。
濱口『同』p.185
※ 太字強調は原文。

「霞が関は現場も知らない机上の理論」とか「役所はデータを意図的に解釈して都合のいいことばかり言っている」とかおっしゃる方には熟読していただきたい部分でありますが、まあ的確な現状認識が求められる立場の論者に限って、この本も読まずに俺様理論を開帳し続けるか、あるいは読んでも「自分の都合のいいようにまとめただけ」とかいって無視するという、何重にも徒労感満載な展開が予想されてしまうところが重ねてアレですが。

2013年08月15日 (木) | Edit |
所得再分配を左派政策と呼ぶ方が多いようですが、拙ブログで主張しているのはヨーロッパで実践されている社会民主主義(social democracy)に基づく政策と認識しております。ただし、日本では「社会」という言葉がつくと「社会主義」と脊髄反射されますので、そのために所得再分配といえば左派政策という短絡的な評価につながってしまうのではないかと思われます。そういう方にとってはヨーロッパも社会主義しか見えないのかも知れませんが、日本におけるsocialという概念の理解の欠如がそのような現象を生み出しているのでしょう。

私もリフレーション政策を緩やかに支持する立場の者として、「左派リフレ派」という言い方には違和感を感じておりますが、かといってリフレ派と呼ばれる一部の方々には、サヨクとか社会主義と認定される方がいれば、その主張をいくら罵倒しても構わないと考えている方もかなりいらっしゃるようです。所得再分配が左派政策とかいわれてしまうようなsocialという概念の理解を欠いた日本では、所得再分配の拡充とか積極的労働政策とかをいうだけで左派認定されて罵倒の対象となってしまうわけで、日本で長らくサヨクとか社会主義を標榜していた方々の経済政策への無理解の罪はつくづく大きいものだと思います。

でまあ、個人的には緩やかにリフレーション政策を支持し、所得再分配の拡充と積極的労働政策が必要と考え、「その税収でより豊かな暮らしを享受できるのは低所得者層だったり、その方々に社会保障の現物給付を行う公的セクター(私もその一員です)や医療・福祉分野に従事する労働者」として、再分配を使途とした増税を「おおっぴらに支持」する立場ですので、増税により公共サービスの現物給付を担う人員の給与原資を確保することが死活問題と考えています。

アベノミクスで地方公務員は悲鳴、給与削減はデフレ脱却足かせにも(bloomberg.co.jp 2013/07/12 12:28 JST)

市安心安全課主査の吉田氏は市職員労働組合委員長も務める。「一体どこにアベノミクスの効果が見られるというのか。安倍政権は地方で実際に何が起こっているのか分かっていない。家計の先行きを心配している」と続ける。

安倍首相は民間企業に対し賃金引き上げを求めているにも関わらず、地方公務員の給与カットはアベノミクス効果を弱める要因となり得る。全大阪労働組合総連合の菅義人事務局長(53)は地方公務員給与の削減は民間企業の給与水準にもいずれ影響を与えると指摘する。 

クレディ・スイス証券の白川浩道チーフエコノミストは「地方公務員の給与水準は民間企業の賃金設定に大きなインパクトを与える意味において重要だ。地方公務員の給与削減はデフレ脱却とは矛盾する」との見解を示した。

(略)

政府は地方公務員の給与水準を7月から下げるよう要請している。地方公務員の給与は自治体が決めるというルールを無視した注文に反発も強く、実施については各地方自治体の判断が焦点となっている。安倍政権は来年度の地方公務員給与についてはまだ方針を決めていない。

和歌山大学経済学部の足立基浩教授は「全国270万人余りの地方公務員給与がカットされると、1%だけで年間1200億円の消費減速効果がある」とした上で、「現在、堅調な消費が経済成長の原動力になっている。公共事業をやるより公務員の賃金カットを避ける方がよい」との認識を示した。

※ 以下、強調は引用者による。

コメントしている公務員が労組の委員長という点ですでに罵倒の対象となりそうですが、税収の減を理由として公共サービスに従事する労働者の給与は減らされるわけで、公共サービス従事者が増税に賛同することは陰謀論でも何でもなく合理的な行動だろうと思います。でまあ予想通りではありますが、政府の要請によって地方公務員の給与は半分以上の自治体で引き下げられてしまっていますね。

自治体の46%が地方公務員の給与削減 交付税減額受け総務省調査(産経新聞 2013.8.2 11:04)

 国の要請に応じて7月1日から地方公務員の給与削減を始めたのは、全体の46・2%に当たる826自治体だったことが2日、総務省の調査で分かった。職員組合と協議中など今後の減額に前向きな自治体も合わせると65・5%に上る。

 政府は給与削減を迫るため、平成25年度の地方交付税を減額。国主導のやり方には反発が強かったが、多くの自治体が財政運営に影響が出ないよう国の要請を受け入れた。ただ、12・9%に当たる230自治体は国の要請は受け入れず削減しないという。

 調査は7月1日時点。給与を削減したのは39道府県と787市区町村だった。

 既に給与を引き下げるための条例を可決したり、職員組合と協議したりしているのは133自治体(7・4%)。既に国の給与より低いとして追加削減をしないのは212自治体(11・9%)だった。市区町村では削減を提案したものの議会で否決されたケースが20あった。

消費増税については徹底的に批判する方々でも、消費減退の要因となり得る労働者の給与削減には諸手を挙げて賛成される方も多いようでして、一方で経済団体に賃上げを要請する政府が、一方で公務労働者の賃金引き下げを要請するというのも、なかなかに興味深い光景です。

以前も引用させていただいた黒川さんのご指摘ですが、

俗論に惑わされていない介護関係者は、一日も早い財源確保を願っているし、税財政の仕組みを理解できる介護関係者は、一定の増税または保険料負担の増がない限り、自分たちの職場の改善はやってこないと理解していると思う。

●増税で不景気になると短絡的に説明する人には、1998年の不況ばかり指摘するのではなく、2000年の介護保険制度の導入による保険料負担の増が、不況を悪化させたと説明づけてほしいと思うことがある。価値を創造する勤労の対価を通じて社会に税収を放出すれば、不況にならないという事例ではないかと思う。介護保険料の負担が始まったと同じ裏側で雇用創出があったからだ。

9/21 介護関係者の期待は制度改善のための財源確保(2010.09.21)」(きょうも歩く

財源を確保して公共サービスと拡充し、市場で十分なサービスを購入できない中低所得者層の消費を促し、経済成長につなげるという経路が理解されないところも、socialという概念の理解の欠如した日本の特徴と言えそうです。特に陰謀論がお好きな界隈では、

これらの記事については財務省陰謀論だという批判も受けましたが、最近になって消費税増税に景気の落ち込みを防ぐために景気対策をするという記事が出てきて、正にこの時の僕の意見を裏付ける話だと思っています。
(略)

 ではなぜ、財務省は増税を指向するのか。それは、予算での「歳出権」の最大化を求めているからだ。予算上、増税は歳入を増やし結果として歳出を増やす。さらに、歳入は見積もりであるが、歳出権は国会の議決で決めるのが重要だ。実際の税収が予算を下回ったとしても、国債発行額が増えるだけで、歳出権が減ることはない。この歳出権は各省に配分されるが、それが大きければ大きいほど財務省の権益は大きくなる。このため、財務省が歳出権の最大化を求めるのは官僚機構として当然となる。

 この行動様式を踏まえると、財務省は今後どのような動きを見せるか。消費税増税のために、増税による財源を使った財政支出(バラマキ)は歓迎するだろう。この点は一部の族議員の利害とも一致する。アベノミクスで税収が上振れするだろうから、来年早々には補正予算の話にもなる。

 安倍政権は法人税減税を目論んでいるが、財務省にとって減税は「歳出権」を減らすので避けたい。小泉政権の時も、法人税減税が政治課題になったが、結局財務省は投資減税で手打ちをした。このあたりの財務省の政治的動きは老獪であり、小泉総理でもかなわなかった。

 安倍総理は、財務省とどのように対峙するか。経済政策で財務省をうまく扱わないと、まともな政策はできなくなるだろう。

参院選後に財務省はこう動く  | ドクターZは知っている | 現代ビジネス [講談社]

(略)
このように財務省が消費税増税にこだわる理由を考えると、「歳出権」の最大化という目標に行き着きます。そして、その「歳出権」の最大化という視点から様々な問題を考えると、これまでは見えなかった別の理由が見えてくると思います。

そのような考え方が行き着く先は、個人の権利が官僚の利権のために当たり前のように蹂躙される、今の中国のような社会ではないでしょうか。

「裁量権」のための消費税増税(2013-08-12)」(Baatarismの溜息通信

とのことで、まさにため息をつきたくなるような内容ですね。

ちなみに、上記のエントリで引用されているドクターZさんは、こちらでも論説されているようですが、

■[経済]「増税は必要ない、やるべきは減税だ!」in『言志』13号
 ウェブマガジンの『言志』に寄稿しました。ここしばらくの日本経済への消費税増税への批判、それに代わってリフレーション政策の推進を、政治経済的文脈も踏まえて書いてみました。僕のほかにも上念司さんらの政治論説、野口旭、田村秀男、高橋洋一さんらの経済論説など中味充実ですね。ご一読ください。


その方はこんなこともおっしゃっていますね。

 人口規模が大きく地方分権が必要な先進国では、消費税は地方の基幹税だ。社会保障の目的税になっている国はまずない。社会保障は、所得再分配を行うので消費税をその財源にするのは適当でなく、所得比例保険料が普通だ。その上、給付と負担を明確化するために、社会保障では社会保険方式のほうが望ましい(少なくとも、わざわざ社会保険方式から税方式に移行しない)。これらの点から、そもそも論としては消費税を社会保障財源とするのはセオリーとして出てこない。

 こうした理論上の話以外にも、増税の前にやるべきことがある。浅尾慶一郎衆院議員(みんなの党)が2月28日衆議院予算委員会で指摘した法人の情報把握不備のために社会保険料の未徴収、いわば「消えた保険料」が12兆円もあることだ。

 社会保障の国庫負担は、社会保険料で足りないところを補うものだ。もし12兆円も消えた保険料があるならば、これは消費税5%分に相当し、消費税率を5%から10%へ引き上げなくてもいいことになる。

消費税増税の前に、歳入庁を設立し、「消えた社会保険料12兆円」を取り戻せ( 2011年07月04日(月) 高橋 洋一 )3

「給付と負担を明確化するために、社会保障では社会保険方式のほうが望ましい」というのはまあ正論だと思いますが、雇用保険に埋蔵金があるとおっしゃっていた方がどの口でそれを言うかという気もしますし、歳入庁で劇的に捕捉率が上がることはないだろうとも思います。それはともかく、私のような凡人には数覚のあるこちらの方が「12兆円も消えた保険料があるならば、これは消費税5%分に相当し、消費税率を5%から10%へ引き上げなくてもいいことになる」というのは、増税を容認しているようにしか見えないのですが、お仲間は「増税は必要ない、やるべきは減税だ!」とおっしゃっていますし、socialという概念の理解が欠如する限り、所得移転についての混乱は続きそうですね。

(念のため)
社会保険は「税金と比べると、社会保険料は拠出の義務に対して受給の権利が対応し、原則として国会の審議を経ずに個別の支給額が決まるため、もっとも「色」が濃い財源」ですので、原則としては景気に中立となるため、高橋洋一氏がこの点を重視して、社会保険料の取りっぱぐれをなくせば景気減退の要因となる増税は必要ないという理屈がこの混乱の原因かもしれません。しかし、当然のことながら社会保険はリスクプレミアム以上の剰余金が残るように設計されていて、給付と負担が額面である時点で一致することはほぼないわけで、民間から政府への所得移転であることには変わりはありません。社会保険料が税と異なるのは、同じ所得移転でありながら個々人の拠出にまつわる権利性がべったりと張り付いているため、保険事故が発生すれば確実に個人として給付が受けられる点にあるのであって、保険事故がない限り新古典派的にいえば可処分所得を減らして死加重を発生させる点に違いはないと理解しております。こうした混乱を見ていると、経済学方面では拠出性に基づく防貧機能と最後のセーフティネットとしての救貧機能の違いについての理解が不足しているのではないかと思われます。

(さらに念のため)
現代ビジネスのサイトでも「数学の天才とも言われた気鋭のエコノミスト。その正体は……」と素性は明かされていませんのでドクターZさんの正体はよくわかりませんが、これだけの希有な才能をお持ちの方といって思い出されるのは私の狭い見聞では数覚をお持ちの脱藩官僚の先生でして、その方ではないかと勝手に考えております。事実でなければ撤回することにやぶさかではありませんので、ご存じの方がいらっしゃればご教示いただけると幸いです。

ただ、引き合いに出して恐縮なのですが、ドラめもんさんが

ドクターZ先生(追記:これゼットと窃盗を掛けてるとしか思えんのだが)ですが、ちなみに『数学の天才とも言われた気鋭のエコノミスト。その正体は……』(上記URL先の『著者』というのをクリックするとそういう紹介がでます)だそうでどこのどなたか存じませんが数学の天才な上に気鋭のエコノミストって凄いですねえ(棒)。

今朝のドラめもん(2013/08/06)

と掛けてしまっていらっしゃるように、その可能性は高いだろうと考えております。

2013年08月15日 (木) | Edit |
お盆の時期に終戦記念日があることもあって、メディアではやたらと第二次世界大戦関連の番組や記事が増える時期でもあるのですが、先の大戦については現在でも軍部の独走とかそれに対する国民の支持があったとかいろいろな論争が続いているようです。その中で経済政策については、昭和恐慌の際に高橋是清が中心となって進めた時局匡救事業(wiki:時局匡救事業)とそれを(結果的に)ファイナンスした金融緩和によって、事業終了後も軍事費の増大に歯止めがかからなくなったという説もあるようです。

ということで、この機会にhamachan先生が「ちくま新書は玉石混淆ですが、これはもっとも読むに値する名著です」とおっしゃっていて、その当時目から鱗を落としながら読んだ坂野『昭和史の決定的瞬間』をパラパラと読み返してみました。戦争への道というのは、上記のような単純な勢力争いとか経済政策の帰結ではなかったわけで、戦争に反対すると思われがちな左派政党が、国防体制の整備と同時に国民の生活を重視する「広義国防論」によって昭和9年の「陸軍パンフレット」に賛同するというねじれから、二.二六事件で国民に広まった戦争への恐怖が、その直前(昭和11年2月20日)の総選挙で躍進した社会大衆党の「広義国防論」への支持を集めていきます。

 しかし、林鉄十郎内閣には、財界から二人の重要人物(結城豊太郎と池田成彬)が蔵相と日銀総裁に就任し、外相にはハト派として知られた佐藤尚武が就任した。さらに政友、民政両既成政党は、予想外に穏健な林内閣との対立を避け、予算案を丸ごと承認した。戦争とファッショの影が薄れると同時に、国内改革も忘れられたのである。
 そのような状況下では、「広義国防論」の与える印象が大きく変わってきた。人々はこのスローガンの中に、戦争とファシズムではなく、中下層民の政治的発言力の増大と生活擁護の方を感じ取り始めたのである。
p.157

昭和史の決定的瞬間 (ちくま新書)昭和史の決定的瞬間 (ちくま新書)
(2004/02/06)
坂野 潤治

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※ 以下、強調は引用者による。

この当時の生活の状況について、女性活動家の山川菊栄の一文が引用されます。

「「これ以上私たちから税を取るといった処で何が取れるでしょう。(略)……「家庭を守れ」とは女達に向かっていわれるお役人の忠告の随一である。けれども、大衆課税や高物価は、女たちの生命がけの防禦を苦もなく蹴散らして、片隅から家庭を破壊して行く。……肉が高ければコマ切れを買え、魚が高ければアラを食えと博士や栄養学者はいう。……こういうものが安いことは、中産以下の細君が誰よりも早く知り、誰よりも早く利用している。……需要者が激増した結果、近年はその値が上がって、比較的安くもなくなってきている。」
坂野『同』p.158

大衆課税と高物価を同列に論じているあたりで、一部のリフレ派と呼ばれる方々からは「経済学の教科書も理解していないヴォケが」という罵声が聞こえてきそうですが、まあ1930年代の生活の実感としては十分に理解できる記述です。

その林内閣はわずか4か月で退陣し、昭和12年4月に総選挙が行われることとなりますが、そのような生活を実感している中下層に支持を訴えた社会大衆党の選挙スローガンについて、坂野先生はこのように引用されます。

 山川菊栄の一文を念頭に置くと、社会大衆党が選挙運動中に公表した選挙スローガンの意味がよくわかってくる。それは次のようなものであった。

「選挙スローガン
一、まず国内改革の断行!
一、国民生活の安定!
一、広義国防か狭義国防か!
一、政民連合か社会大衆党か!
一、議会革新の一票は社会大衆党へ!
一、大衆増税絶対反対!
一、勤労議会政治の建設!
一、国民外交の確立!」(内務省警保局『社会運動の状況・昭和12年』)


「選挙スローガン」などは単に美辞麗句を羅列したものにすぎないと思われがちであるが、政治が大きな岐路にさしかかっているときには、各陣営とも意外に率直に自ら信ずる方向を国民に訴えるものである。そういう岐路においては、今日流行の「マニフェスト」はおのずから明示されるのである。すでにたびたび指摘してきたように、この時の日本の岐路は、「反ファシズム」か「改革」かにあり、「反ファシズム」の側には社会の上層が(財界と二大既成政党支持者)、「改革」の側には社会の中下層が支持を与えていた
 そして、大規模な軍拡を目指す陸軍内部にも、それを社会上層の「反ファッショ勢力」と結んで実現するか、ようやく議会にも勢力を増大しようとしていた社会の中下層の「改革」勢力と組んで行おうとするかの、二つの勢力があった。この二つの方向を理解すれば、ここに紹介した社会大衆党の選挙スローガンが、後者の途を率直に提示していたことがわかるであろう。
 社大党にとって第一に重要なのは対外政策ではなく「国内改革」であり、「国民生活の安定」だった。そしてそれを実現するためには、「反ファッショ」と軍拡を結びつけた「狭義国防」ではなく、「改革」と軍拡を組み合わせた「広義国防」路線が必要であり、それを政党界で実現するのは、既成の二大政党が結びついた「政民連合」ではなく、「改革」をめざす社会大衆党だったのである。
坂野『同』pp.159-160

いわゆる中下層の方の支持を得ようとする政党は、いつの時代も変わらず「増税反対」と「改革」を唱えるようですが、裏返していえば、中下層の方は自らの境遇に満足しない限り「増税反対」と「改革」に期待するものと考えるべきかもしれません。結局、社会大衆党は昭和12年4月の総選挙で議席数を20から36へと倍近く伸ばし、その躍進の要因について、特高警察が「国民の政策批判力の増進」を挙げたとのこと。「政策批判力」というのは今でいう「熟議」とかになりそうですが、まあ「熟議」の結末がどうなるかを示唆するものともいえそうです。

ただし、坂野先生はこれを後知恵で解釈することにも留保をつけています。

 特高警察がここまで評価した社大党の躍進は、素直に考えれば、敗戦直後の日本社会党の躍進の歴史的基盤(日本における社会民主主義の伝統)として、もっと注目を浴びてもよいものだったと思われる。しかし、そのわずか2ヶ月後に日中戦争が勃発したために、同党の「広義国防論」は「総力戦思想」の一翼と理解され、同党の躍進は「社会民主主義勢力」の躍進としてではなく、「国家社会主義」すなわち「ファシズム」の勢力増大とみなされてきた
 しかし、歴史を「結果」から後知恵的に解釈すると、国民的支持をある程度得るのに成功した勢力は、すべて戦争協力者として糾弾されかねない。反対に、左翼的言動に陶酔して国民的支持の獲得に失敗し、逮捕され投獄された人々のみが英雄視されることとなる。4月30日の総選挙で40万近い東京市民の支持を得た鈴木文治ではなく、わずか2万票しか得られなかった鈴木茂三郎の方が、同年12月に「人民戦線事件」で逮捕されたがゆえに、高い歴史的評価を受けてきたのである。
坂野『同』p.173

本来ソーシャルであった革新勢力が、そのソーシャルな政策の実現手段を「広義国防論」に求め、そのときセットにされた政策が戦争への道を開いていったというのは、現在の日本から見ても重要な示唆を与えるものではないかを思われます。ある政策にトッププライオリティを置くことを左右問わずに求め続け、そのトッププライオリティさえ実現されればその政策とセットになっている政策は問わないという主張については、私もちょうど一年前のこの時期に「リフレーション政策の目的に応じて、それとセットとなるミクロの経済政策が決まってくるわけで、目的が違っても「リフレーション政策支持という方法論の一致をもって共闘できる」という主張が無内容である」と書いたところでして、そのような主張とセットになっている政策には十分に注意しなければならないと考えております。

その意味で、hamachan先生が指摘されるこの点は、今進められているアベノミクスの行方とこの秋にも判断が下されるという消費増税の行方を見守る上でも重要なポイントだろうと思います。

戦前の日本が過剰にリベラルだったから、それに対するソーシャルな対抗運動が「革新派」として拡大していったからなんでね。まさに、ポランニーの云う「社会の自己防衛運動」。戦前の二大政党制の下では、本来そっちを取り込むべき立場にあった民政党は、確かに社会政策を重視し、労働組合法の制定に努力したりしたけれども、同時に古典派経済学の教義に忠実に従うあまりに金解禁を断行し、多くの労働者農民を不況の苦痛に曝すことを敢えて行うほどリベラルでありすぎたわけで。どっちにも期待できない労働者たちは国家主義運動に期待を寄せるしかなくなったわけで。

超リベサヨなブッシュ大統領(2007年8月24日 (金))」(hamachanブログ(EU労働法政策雑記帳)

経済学の教義に忠実なあまり増税忌避という思考停止に陥ることは十分にあり得ることでしょう。そのとき「増税反対」と「改革」を主張する勢力が、「付加価値税が生み出す恩恵−−無料の診療、高等教育、公共交通費や住宅取得の補助など−−をもっとも受けるのは、それらを払えない貧しい人たち」の期待を取り込んでいく様子が見られるのかも知れません。

2013年08月11日 (日) | Edit |
今日で震災から29か月が経過しました。先日も当地で大規模な水害が発生していて、東日本大震災だけが特別ではないという状況になっているように感じます。実際、国でも毎年一定程度の災害が発生する中で、震災にばかりリソースをつぎ込むわけにはいかなくなっているのでしょう。復興事業として予算をつけたものはさっさと終わらせて次の災害に対応しなければならないという事情も理解できます。しかし、震災直後に「できるだけ速やかに復旧・復興する」との名目でつけられた予算が、2年以上経過した現在でも同様に位置付けられるものかは、冷静に見直す必要があるかもしれません。

というのは、いよいよ復旧・復興事業が本格化するこの時期になって、津波被害対策の主要事業である防潮堤の建設に対して、住民から次々と反対の声があがっているからです。

(耕論)防潮堤から見える風景 大棒秀一さん、田中克さん(朝日新聞デジタル 2013年7月30日)

 まるで要塞(ようさい)のような巨大防潮堤の建設工事が、津波に襲われた東北沿岸の各地で始まっている。しかし、海とともに生きる人々には抵抗感も根強い。それでも進む巨大プロジェクトで何が得られ、何を失うのか。これでいいのか。

web版ではリードしか掲載されていませんので、紙面のほうから引用します。まずは、防潮堤の計画作りに参画しようとしてうまくいかなかったNPO「立ち上がるぞ! 宮古市田老」理事長・大棒秀一さんの発言です。

 震災から4カ月後、仮設住宅の集会所で街づくりのNPOを立ち上げました。防災学者や北海道奥尻町の元町長を呼んで勉強会をしたり、お盆には追悼行事を開いたり。何百人もの人が集まり、「さすがは田老」と言われました。市の田老地区復興まちづくり検討会にも代表2人が参加しました。
 でもうまくいかなかった。防潮堤の位置の変更や国道の移設などを提案したが、それは県や国の業務で、市が口を挟めることではないという。僕らも力不足でした。「防潮堤より高台移転だ」などと住民側で意見を統一して、ぶつけることができませんでした。議論するうちに、制度の難しさを知るばかりでした。そのうちに住民が自分の生活再建を優先させ、地域にほころびが広がっているというのが現状です。NPOも解散論まで出ました。こんなはずじゃなかった。

※ 以下、強調は引用者による。

一度決まってしまった事業の中止が難しいというのは古来行政に対する批判としてありましたが、その理由が今回の防潮堤設置の経緯から伺い知ることができます。事業中止を困難にしているのは、他ならないその当時の「民意」だからですね。震災直後の民主党政権は、「震災前の町を取り戻して二度と震災の被害を繰り返さない」という目的のため、再び津波が来ても防げる程度の防潮堤を作ることとかさ上げすることを最優先に掲げました。しかし、それが実際に設置される段階になって、海が見えなくなって観光にマイナスだとか、かえって海が見えないので避難が遅れるという批判がわき起こっているのが現状ではないかと思います。手続き上は、事業決定の時点では国の大方針が示されて、各地域ではそれに沿った事業計画が立てられることになります。それが、事後に事業を変更することを難しくしているのだろうと思います。

実際、震災前は世界最大と言われた田老地区の防潮堤は、地元の意向によって作られました。大棒さんによると、

 地域の山側には、小学校や中学校、市総合事務所(旧町役場)、周辺の家が一部浸水しながら残りました。これらを守るためにも防潮堤がいる、といいます。僕らは全面移転も主張しましたが、被害を受けていない施設の移転は、国の補助対象外なんだそうです。個々の計画には理屈があり、制度の谷間で行政マンが苦労していることも分かっているのですが、結果的に住民を勇気づける計画になっていない。残念です

 昭和津波の時、国や県が高台移転を勧めたのに、当時の田老村長は「漁師が高台に住めるか」と拒否。村費で防潮堤建設に着手した。その後、知事が折れて県工事になり、40年がかりで延長2・4キロの「万里の長城」ができました。国や県と戦って地域を再建したのです。逃げやすいよう住民が土地を出し合い、碁盤の目のように道路も整備してあります。

という形で、漁師の生活を優先するために国や県と戦って地元の意向を通したわけです。今回はそれが全く逆の形で進んでいるわけで、事業計画の難しさが如実に現れているといえましょう。

その一方で、気仙沼では防潮堤を作らないという判断に至った場所もあるとのことで、こちらはNPO法人「森は海の恋人」理事・田中克さんの発言です。

 「防潮堤はいらない」と決めた地区が、宮城県気仙沼市にあります。カキ漁師らの植林運動で知られるNPO法人「森は海の恋人」が拠点とする舞根(もうね)地区です。
 もともと防潮堤はなく、今回も津波で52軒のうち44軒が流されました。それでも、ここに残ると決めた36軒の皆さんが、高さ10メートル近い防潮堤なんて「いらない」と決めたのです。それは「海とともに生きていく」という宣言ともいえます。何より海が見えなくなる。景色が台無しになる。心地よい風も奪われてしまう。一致して近くの高台に移転することを決め、市も住民の意思を受け入れて、防潮堤計画は撤回されました。

こちらではもともと防潮堤がなかったことが「防潮堤はいらない」という地元の意思統一につながったものと思われます。そのような意思決定をした方からすると、田老地区の方が「制度の谷間で行政マンが苦労していることも分かっている」とおっしゃるのは生ぬるいと言わんばかりに、一方的に行政を批判します。

 県はトップダウンで、一律の計画を押しつけようとしています。予算を武器に「言うとおりつくれ」と脅す格好です。議論を尽くさず、合意も得られぬまま拙速に進めては、人と人、人と自然、自然と自然、すべてのつながりが断ち切られてしまいかねません。そうなってでも防潮堤で守る命とは、いったい何なのか。
 地域ごとに、地形も暮らしも条件は様々。それぞれに、ふさわしい防潮堤があるはずです。がれきを埋め立てた小山の上に、様々な樹木を植える「森の防潮堤」という選択肢もある。不要という判断もあるかもしれません。地元住民の意思を踏まえ、市町村自らが決める仕組みにすべきなのです。

地元の意思統一に成功して事業計画の変更を成し遂げた方からすれば、ほかの地域では国や県が一方的に計画を押しつけているというように感じるのも仕方ないかもしれません。しかし、当事者が語るように「僕らも力不足でした。「防潮堤より高台移転だ」などと住民側で意見を統一して、ぶつけることができませんでした」という側面もあるのが現実ではないかと思います。

いずれにしても、この事業についていちばん悩んでいるのが地元で被災し、これからもそこで暮らしていこうと考えている方々です。

多分多くの人が、次のような感情になっていると思います。

巨大防潮堤までの高さは必要ない。
でも今さらひっくりかえしたら、復興が遅れる。
意見を統一する事は出来ないのでは、
ひっくり返す事は出来ないのでは、

と。
 
 地元に住み、そこで懸命に生きる人間は、思ったほど多くの情報を探す余裕や、取り入れる余裕がありません。
 働き盛りの世代は特に。。。。
 声の出し方、届け方もわかりません。
 でも、この巨大防潮堤の件は絶対再考しなければいけないと思います。

防潮堤について思う事。。。(2013年07月20日)」(釜石復興支援応援サイト 管理人ブログ

役所の人間であっても自分の思うとおりに事業が進むわけではない(当然ですが)ですし、ましてや普段行政に関わっていない方にとっては、「住民の意思統一」なんてものは普段考えていなかったことではないかと思います。震災後に自分の生活を取り戻すだけではなく、地域のことも他人と意思統一しなければならないという大きな負担が、地元の方々に重くのしかかっているのが実態ではないでしょうか。

そういえば、朝日新聞の記事で発言されている大棒さんは地元の方ですが、気仙沼について語っている田中さんは地元の方ではありませんね。威勢のいい行政批判がどのような文脈で生まれるのかという事例としても、朝日新聞の記事は興味深いサンプルだと思います。

2013年08月11日 (日) | Edit |
別エントリのコメントで先取りして書いておりましたが、hahnela03さんが取り上げていらっしゃった本を読んでみました。確かにAmazonの内容紹介で「枝廣淳子氏(環境ジャーナリスト、幸せ経済社会研究所所長)絶賛!」とか「平川克美氏(株式会社リナックスカフェ代表取締役)推奨! 」とか書かれてますし、著者の一人であるデイヴィッド・K・バトカーはあのグリーンピースのエコノミストでもあったそうですので、ある種の心構えが必要な部分はありますが、おおよその内容はまっとうなものだと思います。まあ、環境とか幸福という「尺度」についてこれが絶対という基準がない中では、環境とか幸福を重視した経済政策の必要性は本書で指摘されるとおりだとしても、実際の政策としては結局その基準をめぐって深刻な対立が起きるだろうなというのが正直な感想です。

実は、私が本書で面白いと思ったのは、アメリカの労働者の実態として示される労働環境があまりにも日本と似かよっているところでした。employment at willなアメリカでは、解雇自由な代わりに、勤務時間が終われば仕事の途中でもさっさと帰ってしまうとか、残業するのは一部のエグゼンプションだけだとか、ジョブ型の雇用慣行が定着しているという印象があるのですが、どうやらそうでもないようです。

オランダが一歩先んじている

 ジョンは数年前、アムステルダム大学の教授から、教授があるアメリカ企業のオランダ支社のマネージャーと交わした会話のことを聞いた。そのマネージャーはオランダにやってきてまだ2年だった。
教授:オランダとアメリカで、人々の勤務時間や自由時間に対する考え方が違うことに気付かれましたか。
マネージャー:ええ。仕事を始めて2週間目にもう分かりましたよ。金曜日の夜8時ころでしたが、翌月曜日の重要な出荷の指令が入ったんです。私は早速アシスタントの家に電話をし、何人かの従業員に連絡を取って、週末の間に出荷の準備を整えるように言いました。
教授:ほう。それで彼女はなんと。
マネージャー:「申し訳ありませんが、私は週末には仕事をしません。それに勤務時間以外に、自宅に仕事の電話をしていただきたくありません」と言いました。
教授:あなたはなんと答えました?
マネージャー:「それは失礼。しかしここの新しい責任者は私だ。うちの社はグローバル経済の中で競争している。この重要な出荷は何としてもこなさなければならない。従業員はチームプレーヤーとして働いてもらいたい」すると彼女は、「わかりました。ただ、お伝えしておくことがあります。オランダの法律は、予定外の週末勤務に対して2倍の賃金を払うように定めています。今私はお金が入り用だし、特に他に用事もありませんから、仕事することは可能です。でも他の人たちに電話をしたら、みんなはスポーツの楽しみや家族の時間を邪魔されたと言って、私に対して腹を立てます。ご心配はいりませんよ。私たちは月曜に出勤して頑張って仕事をします。ちゃんと間に合いますから」。
教授:なるほど。それであなたはどうしました。
マネージャー:私はむしゃくしゃして「そんなら、もういい!」と言って電話を切りました。そして週末中不愉快でした。
教授:そして結局どうなったんです?
マネージャー:月曜日に出社した従業員たちが仕事をやり遂げました。彼らは働く時は本当によく働くんです。それで結局、何も問題はありませんでした。それからずっとそういう調子です。実を言えば、私もこのやり方が気に入ってきました。私自身も、充実した暮らし方ができるようになりましたから。
第6章


経済成長って、本当に必要なの?経済成長って、本当に必要なの?
(2013/05/10)
ジョン・デ・グラーフ、デイヴィッド・K・バトカー 他

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※ 以下、強調は引用者による。

グローバル経済を持ち出してチームプレーを根拠に休日出勤を指示するというのはアメリカに進出した日本企業にありそうなエピソードですが、休日出勤を指示したのがアメリカ企業の社員で、それを拒んだのがオランダ人労働者だったというのはちょっと意外でした。この本ではこのほかにも、アメリカ人の(エグゼンプションではない)普通の労働者が時間に追われていることが何度も指摘されています。その比較として北欧をはじめとするヨーロッパの労働時間やその規制がいかに有効かという例が挙げられるのですが、その中に日本が混じっているのが何とも違和感がありますね。

その北欧をはじめとするヨーロッパとの比較では、様々な税目についてアメリカに特徴的なとらえ方があげられています。その中で付加価値税(VAT)についても記述があるのですが、今の日本にも参考になる議論だと思います。

付加価値税(VAT)
ヨーロッパの税制では、付加価値税が重要な役割を果たす。これは売上税と似ていて、ヨーロッパの国内で何かを買うと、価格にはこの税金がすでに含まれている。たとえば、車を作るために使われる原材料や機械にかかる。車が製造者からディーラーの手に渡った時点で車そのものにかかる。それから最終的に消費者が買った時にもかかる。こういう税金から逃れることは非常に難しいので、確実に税金を徴収することができる。この税金は必需品に低く、ぜいたく品に高くかけられることもある。経済学者のトマス・フランクはこれを「累進消費税」と呼ぶ。われわれは必ずしもこの付加価値税の有用性に賛成してはいない。売上税同様に「逆累進的」であり、貧しい人たちにより重くかかるからというのがデーブの意見だ。ジョンはその点では同意見だが「消費を行う人全員が社会投資に貢献する」というプラスの目標にはかなっているように思う。というのは、この付加価値税が生み出す恩恵−−無料の診療、高等教育、公共交通費や住宅取得の補助など−−をもっとも受けるのは、それらを払えない貧しい人たちだからだ。

グラーフ、バトカー『同』第7章

税金を誰からどのくらいとるかということと同じくらい、その税金を誰のためにどれだけ使うかということが重要なわけでして、税金を取られるという側面だけに着目した議論の問題点を的確に突いていますね。別エントリで低学歴な世界について書きましたが、当地のような片田舎では低学歴な世界が再生産されているわけでして、低学歴な若者は低廉な労働力として消費される実態があります。誰に対して税金を使うかという点でもヨーロッパは参考になることが多いです。

キャパシティ(人が持つ能力)を開発する

 西欧諸国が行っている大規模な所得の再配分とは、単に「ウェルフェア(社会福祉)」を行うことではない。スティーブン・ヒルのいう「ワークフェア(勤労福祉)」に資金が使われている。これは、より能力の高い労働力を育てるもので、一般労働者に能力を発揮させる機会と保障を与えて、成功をつかめるようにするプログラムである。労働者の子どもたちの教育や成長を支援したり、労働者に芸術面の創造性を発揮させる機会を与えたりもする。これらはみな、将来の労働力への「投資」なのである
 富を適切に再配分することの「主な目的」は、アマルティア・センがいう、人々の「キャパシティ」を掘り起こして、誰もが本来の資質を存分に生かせるように機会を提供することである。たとえば、質のよい低コストの保育を提供することは、子どもたちによいスタートを切らせるだけでなく、母親たちが外に出て世の中に貢献できるようになる。

グラーフ、バトカー『同』第8章

この状況は、連邦制のアメリカ内部でもあるようで、共和党支持の「赤い州」と民主党支持の「青い州」での格差があるとのこと。

 元メイン州社会福祉省の長官で「ホームランド・インセキュリティ」の主筆者であるマイケル・R・プティはこう言っている。

「重大なことは、子どもが住む場所が、その子の生存や繁栄を消える一大要因になりかねないということだ。なぜそんなことが起こるのか、その理由は謎でも何でもない。『青い州』では税金がかなり高く設定されており、より多くの子どもやその家族に、健康管理、社会保障、教育などのプログラムを提供できる。一方『赤い州」では何世代にもわたって、反政府、反税金のイデオロギーが深く浸透している。そのために、子どもの健康や家族の安定といったニーズに反する方向に進んでいくことになる


「青い州」はまた、貧富の格差が最も小さい(この話題に関しては第7章で再び触れる)。ユタ州とダコタ州は赤い州だが、例外的に平等主義である。これらの州では、人々の寿命、教育レベル、暴力犯罪の少なさなど、主要な「生活の質」の指標でも高いランクを示していて、西欧の成功例に匹敵するか、時に上回るほどのレベルにある。

グラーフ、バトカー『同』第5章

ドラマの中の話ではありますが、共和党支持のニュースアンカーが、ティーパーティーが共和党を名乗ることを「政府に対する憎悪」という点で批判したりはするものの、やはり共和党支持の「赤い州」では「反政府、反税金のイデオロギーが深く浸透している。そのために、子どもの健康や家族の安定といったニーズに反する方向に進んでいく」という事態が進んでいるようです。

労働環境を見るとアメリカが日本の後追いをしているようにも見えますが、所得再分配の視点を欠いたアベノミクスがもてはやされる昨今の日本を見ていると、日本もアメリカ化しているように思うところもあります。著者の一人のグラーフが大学で講演したときの学生とのやりとりは、ネット界隈の一部のリフレ派と呼ばれる方々にも共通していそうなので、備忘録として引用しておきます。

…ジョンがジョージア工科大学で講演をした時に、一人の保守派の学生から異議を唱えられたのだが、その学生の短い言葉に、ランド(引用注:アメリカに移住したロシア作家で、その小説の主人公ジョン・ゴールトのような能力のある者に税が課せられるべきではないと主張している)の価値観が凝縮されているように思った。学生はこう言った。「つまり先生の意見は、生産的な人から金を取り上げて、非生産的な人間にやるということですか」言いかえれば学生は、ジョン・ゴールトから金を取り上げて、どこかのなまけ者にくれてやるのかと言いたいわけだ。
 こういう質問に対するわれわれの答は次のようなものだ。

 つまりこういうことかい。君の食べるものを農場で育てて収穫して、それを店まで運搬してくれる人たち、君の歩く歩道を掃除して、ゴミを集め、君が汚物の中で暮らさないようにしてくれる人たち、君が親になった時に子どもを教えてくれる人たち、君のいう「生産的なビジネス」を君がやっている間、子どもの世話をしてくれる人たち、君が運転する車やそのほかいろいろ、君が使う製品を作ってくれる人たち、つまり君が生活のすべてで世話になっている人たち。この人たちの実質賃金は、ジョン・ゴールトのような人間ばかりひいきする政策のおかげで、これまで一世代の間ほとんど上がらなかった。こういう人たちが、「ゴールトのおかげでなんとか生きている非生産的な人たち」だというのか。
(略)
 そういう「生産的な人間」に税金をかけて、君の考える「非生産的な人間」がほんの少し生活の安定を図れるようにすることが、君は納得できないという。そもそも前者を非生産的で、後者を生産的とすることには、何の正当な根拠もない。実際には逆だ。君は後者がたまたま市場でより多く金を稼ぐというだけの理由で、生産的と決めつけているにすぎない。われわれは、労働を通して人々の生活に役立っている人たちにもっと報いるのが、道徳的に正しい世の中であると信じている。したがって所得の平等性をより高めることが当然だと思う。実際、今の経済の所得配分は倫理に反するものだ。

(略)
この主張の問題点はまず、人は誰ひとり完全に自立して生きていけないというこだ。ウォーレン・バフェットも、自分がもしバングラディシュに生まれていたら、億万長者にはなっていなかっただろうと言っている。それに市場に逆らわないでさえいれば、何事もうまくいくなどという主張は完全に理論上のものであり、その正誤を実証することができない。1960年代から70年代にかけて急進派の連中が、ソビエトに対する批判を退けて、「ソビエトは本物の社会主義じゃない。本物の社会主義なら、あんな問題は起きないのだ」と言っていたのと同じだ。当時の保守派の評論家がそれに反論して、「われわれが真に判断できるのは現実の社会主義だけであり、その現実の社会主義は失敗だった」と言ったのは的を射ている。

グラーフ、バトカー『同』第7章

一部のリフレ派と呼ばれる方々が口では所得再分配の拡充が必要といいながら、市場の効率化とか規制緩和とかを強硬に主張するのは、おそらくこの学生と同じ価値観を有しているからではないかと思います。そして、アベノミクスがうまくいかなければ「アベノミクスは本物のリフレーション政策じゃない。本物のリフレーション政策なら、あんな問題は起きないのだ」と言いそうなところは、急進派と同じ価値観を有していそうですね。

2013年08月11日 (日) | Edit |
この度の豪雨で、当地でも死者、行方不明者が出てしまう大災害となってしまいました。被害に遭われた方にお見舞いを申し上げるとともに、亡くなられた方に心から哀悼の意を表します。地元の役所では昼夜を問わず対応に追われ、これからは膨大な復旧作業に取りかからなければならなくなります。こうした復旧作業のために業務量が大幅に増加することは災害が起きるたびに繰り返されることですが、東日本大震災の影響でそもそも業務量が増えている当地では、そのための人員不足がさらに深刻化しそうです。

たとえば、岩手県では豪雨の日の朝刊でこんな記事が出ていました。

東日本大震災:内陸市町村職員、1%派遣が目標 被災地応援で県 /岩手(毎日新聞 2013年08月09日 地方版)

 東日本大震災の復興事業に取り組む沿岸自治体の職員不足を解消するため、県は8日、「被災市町村人財確保連絡会議」を開いた。来年度、被災10市町村に、内陸21市町村から全職員の1%に当たる計80人を派遣する目標を初めて設定した。

 県市町村課によると、1日現在で沿岸10市町村が計585人を必要としているのに、県内外からの派遣は540人にとどまる。

 総務省を通じた他都道府県などの自治体職員は最多の136人。県内内陸市町村は昨年度は約70人だったが、今年度は56人に減った。県が「なるべく多く」と漠然と要請していたのに対し、「目安を示してほしい」との意見があり、目標を立てた。

 県は9月までに被災市町村に来年度の必要職員数を照会し、10月までに大枠を固め、12月ごろから人選する。【安藤いく子】

震災から時間が経過するにつれて復旧事業は本格化しますが、震災直後には「日本はひとつ」とかいいながら協力的だった全国の自治体でも、そうそう職員を派遣することはできなくなっています。そのため、県外の自治体ではなく県内の内陸部の自治体に沿岸部の自治体への派遣の数値目標を定めて、その人員不足を補おうとしたようです。しかし、今回の豪雨はまさに気象庁がいうとおり「これまで経験のない」規模のものでしたので、内陸部の災害復旧事業も膨大なものとなることが予想されます。今回の災害は、数値目標があるからといって、そのとおりに実現するとは限らないという現実を物語っているといえそうです。

というわけで、ニッチモの『HR mics vol.16(直リンができないので、ニッチモWebサイトからどうぞ)』連載第4回目が無事掲載されましたので、遅ればせながらお知らせします。任期付採用法という聞き慣れない法律で、人員不足が深刻な被災地で期限を区切った職員を大量に採用している状況を題材としました。記事のタイトルは、これまで拙ブログで何度も指摘していることではありますが、公務員が労働契約ではなく行政処分で働いているという法律上の位置づけに疑問を呈したものとなっています。

記事の中では、任期付採用職員の不安定な身分を中心に書いておりますが、実は、任期付採用職員を受け入れる側の自治体の職場にも課題があります。というのは、自治体の職場もご多分に漏れず典型的な日本型雇用慣行ですので、期限を区切って業務を限定した職員の処遇をした経験がありません。そもそも人員不足の中ですから、改めて任期付採用職員のための業務を用意して処遇を改めるなんて余裕があるはずもなく、通常の正職員と同じく恒常的な残業を命じたり、OJTの中で長期的にスキルを身につけるやり方が中心となります。

一方で、任期付採用職員に応募する方々は、一部には使命に燃えて現在の安定した職を辞めて被災地のために仕事をしたいという方もいらっしゃいますが、大半は通常の外部労働市場で職を失った方々が中心となります。その多くは、長期的な雇用の中でスキルを身につけるという日本型雇用の内部労働市場に入っていけなかった方々でもあるため、自治体の職場が求めるようなスキルを身につけられない方も散見されます。一方で、使命に燃えている方でも、「ぼくのかんがえたふっこうけいかく」というような持論を胸に秘めてきたために配属された業務(任期付採用職員は基本的に手が足りていない現場の実務を担当します)に不満を抱いてしまい、職場になじめないという方もいます。

私自身は制度としての雇用の流動化は必要と考える立場ではありますが、かといって、制度的、労務管理的な実態がないままでの雇用の流動化は、労使双方にとって望ましい結果とはならないと考えております。震災後の人手不足に対応するため、他の自治体からの派遣や任期付採用職員、さらに民間からの職員派遣や民間への業務委託など、さまざまな取組が進められていますが、雇用・労働の現場がそれに追いついていないというのが現状です。切り札など存在しない状況ではありますが、この経験を次につなげていくことが、制度としての雇用流動化の前提条件ではないかと考えます。

2013年08月11日 (日) | Edit |
書こうと思っているネタがいろいろたまっているのですが、potato_gnocchiさんのエントリがとても納得のいく内容だったので、反応してみます。

こういう世界で生きてきた身としては、上記エントリの

大学へ行ってまず俺が驚いたことは、友人達の家庭環境と文化レベルの高さ。
両親がサラリーマン家庭(そういう友達は地元ではほとんどいなかった)
家族兄弟の誰かが海外赴任とか海外住まいとか普通にいる(英語ならお姉ちゃんがペラペラだよ、とかすげぇ)
海外旅行経験者多すぎ(国内旅行すら修学旅行くらいだった俺には衝撃)
趣味が舞台鑑賞とか美術館めぐりとか(ギャンブルが趣味じゃないって凄い)
騙す人なんてほとんどいない、無条件に人を信用する人の多さ
お金を貸しても絶対返ってくる
「ありがとう」とか感謝の言葉が普通に飛び交う
http://anond.hatelabo.jp/20130809115823

は、本当に私も共有する驚きでした。これは、私の場合は、自分の家はそういう家だったけど、周りにそんなの探す方が無理、って思ってたので*2、東京の、うちの大学レベルでも結構こういう人ばっかりで、むしろ私が小学校や中学校の時に体験した「低学歴の世界」など知らない純度100%の人の多さに驚愕しました。うちの大学ですらそうだったのですが、東大に進学した同級生に聞いたらもっとでした。ちょっとびっくりするレベルで、「高学歴の世界」の中でもとびっきりでした。

なお、こちらのエントリの方と私がちょっと違うのは、この「低学歴の世界」の体験の有無、あるいは肌感覚的な理解について、「この溝は超えたことがあるものにしか実感できないんだろうなと思うし、実感しても人生にいいことはあまりない。」と書いていらっしゃるのですが、私はそうは思わないってことです。「高学歴の世界」しか知らない人は、「高学歴の世界」の人としか基本的には付き合えません。そして、就職する組織にもよりますが、労働集約型産業のやたらと数多い従業員とか、生命保険のおばさんセールスとか、あるいは地方議会の議員とかのような「低学歴の世界」とうまく付き合わないといけないお仕事というのは、結構たくさんあります。「高学歴の世界」の極地にあるような「官僚」のお仕事でも、地域住民との調整とか議員との調整はどうしてもついてくると聞きます。このときに「低学歴の世界」を知らない人が十分な仕事をできるでしょうか。それは難しいと思います

■[教育]地方都市で、低学歴と高学歴の世界が交わるとき(2013-08-09)」(常夏島日記
※ 以下、強調は引用者による。

私などは地方の大学でしたが、potato_gnocchiさんが「私が小学校や中学校の時に体験した「低学歴の世界」など知らない純度100%の人の多さに驚愕」したのと同じ経験をしています。私の地元は田園地帯でして、ご多分に漏れず小中学校の同級生にはサラリーマン家庭の子はせいぜい半分程度で、農家(デカい土地や家屋を持っている「豪農」から、兼業しなければ食っていけない零細農家までいろいろですが)とか小さな自営業とかの子どもが多い土地柄でした。私の両親とも中卒でいったん働きに出て、なんとか夜間高校を卒業した親父が地元の役所で職を得ることができたので、一応私はサラリーマン家庭で育ったことになります。とはいってもその程度の学力ですから、今で言えばまさにDQNな家庭生活の中で育ったため、高校や大学で高学歴な世界の住人と一緒になったときには、potato_gnocchiさんや引用されている増田の方と同じ驚きを感じたものです。

その小中学校での同級生や親族の振る舞いもpotato_gnocchiさんや引用されている増田の方といっしょで、授業中にチ○ポを出して走り回る同級生や、教科書のひらがなをいつまで経っても音読できない同級生が当たり前で、親族にもサラ金で首が回らなくなって夜逃げしたおじさんがいたり、野良猫の耳を切っていじめるのが好きないとこがいて、保育園や小学校低学年ではそんな同級生やいとこと遊ぶのが日常でした。ところが学年が上がっていくと、サラリーマン家庭の子どもと農家や自営業の子どもで何となくグループができてきて、私もいつのまにか低学歴でありながらサラリーマン家庭のグループに入って、親族とも何となく疎遠になっていきます。その一方で、同級生や親族の中でも農家や自営業の子どもたちは順調にグレていきました。

農家や自営業の子どもたちがグレる理由は単純で、低学歴の住人は学歴の必要のない農家や自営業を継ぐか自分で自営業をやるという選択肢しかなく、実際にその子どもたちも同じく学歴の必要のない仕事を選ぶため、家族全体が学校でいい成績を取る必要がないと考えて、むしろグレるくらいが威勢があっていいくらいの感覚だったからです。グレていった同級生はほぼ例外なく兄弟全員がグレてましたし、前科を持つ親もいました。中には、今でいえば発達障害のある同級生もいて、その親御さんもその傾向があって結局低学歴の住人にならざるを得ないというグループもありました。

もちろん地域全体が低学歴な世界ですから、サラリーマン家庭の子どもでもグレる奴はいて、結局同級生の半分以上はグレるか、そのシンパになっていく状況でした。そうなると、当然学校生活で役職につくような奴でもグレていくわけで、うちの小学校の児童会の歴代会長は、中学校に入ると暴走族の幹部になることが約束されていました。

中学校になると、男子はグレてなんぼですが、女子はさすがに直接グレるのは少数派です。しかし、女子自身がグレていなくても同級生の男子の半分以上がグレているかそのシンパという状況では、付き合う男子も必然的にグレている奴が多くなるわけで、特に力関係からグレている男子がかわいい女子から順番に食うことになります。というわけで、田舎でモテるのは多数派のグレている男子で、女子はかわいい順にグレている男子とセックスをしていき、私の同級生の女子はかわいい順番に高校で子どもを産んで退学していきました。女子の場合は、必ずしも本人がグレているかは関係ないところが不思議なところで、かわいくて成績も優秀な女子がグレた先輩にあっさり食われて、余裕で進学できただろう高校や大学に進学することなく子どもを産んでいく様に、何とも言えない不条理さを感じたものです。

サラリーマン家庭のグループに入り中学校までは勉強に不自由しなかった私は、グレている多数派とはお互いに幼なじみ程度の付き合いで距離を置きながら高校で地元の進学校に進んで、そこの高学歴な世界に上記のような衝撃を受けました。私自身は、その衝撃を克服するためになんとか高学歴の住人と話を合わせることに必死で、低学歴の住人の世界との繋がりは薄れていきました。大学に進学してからも高学歴の住人としての振る舞いをなんとか身につけようとしていたところで、結局たまたま受けた試験に受かって地方公務員になってしまいましたが、そこでまた低学歴の住人との付き合いが始まります。公務員の仕事が利害調整である以上、その利害調整の場には学歴や職業に関係なくさまざまな立場の方が関わります。potato_gnocchiさんが指摘される通り、「「高学歴の世界」の極地にあるような「官僚」のお仕事でも、地域住民との調整とか議員との調整はどうしてもついてくる」わけで、ましてや下っ端チホーコームインの仕事はDQNな方々との話し合いをいかに滞りなく進めるかというスキルが求めらるわけです。

別エントリでのコメントに書いておりますが、「私も「政策は、所詮、力が作るのであって正しさが作るのではない」という権丈先生の言葉を、仕事の上で身にしみて感じている者ですので、「正しいこと」をいえばそれが実現すると考えるほどにはナイーブではありません」というのも、こうした低学歴の世界の住人との付き合いを日常的にしているからかもしれません。マクロ経済政策としての財政政策や金融政策がどうのとか、防貧機能としての社会保険と救貧機能としての生活保障とか、集団的労使関係による労働条件の向上(!)なんてのは、そのままの言葉でいくら唱えたところで地域の住民の方々に理解されることはほぼありません。その現状を所与のものとして、かつその重要性を常に意識しながら、具体的な制度を住民にとって意味のあることとして提示し、必要な政策実施のための合意を取り付け、事務を執行するというのがチホーコームインの現場の仕事となるわけです。

ちなみに、そうした低学歴の世界でも高学歴の世界の知見を取り入れる方法がありまして、それが業界団体や地域のNPO等の市民団体からの意見を集約して意向を把握することです。業界団体であれば、その代表や幹部の中に実際に高学歴であるかに関わらず一定のクオリティの見識をお持ちの方が必ずいますし、NPO等の市民団体でも同様です。その点では地方の労働組合にはやや物足りなさはありますが、それでも労働組合の意向把握をしないよりはマシです。「民意」という得体の知れないものより、こうして利害関係に裏打ちされ一定のクオリティを持つ知見を集約することで、実際の制度設計やその運用がよりフィージビリティを獲得することができるようになります。

いずれにしても、特に低学歴の世界の住人が多数派であり、家族や学校の中でそれが再生産されている地方の田舎町では、政策の実施とか制度の運用は低学歴の世界の住人が理解できる範囲にとどまります。私がチホーブンケンに懐疑的なのも、こうした現実と毎日格闘しているからともいえます。地方自治体の首長や議会だけでなく、衆議院や参議院の小選挙区は地元での支持をどれだけ獲得できるかが票に直結するわけで、こんな状況で「民意ガー」とか「チーキシュケンガー」とかいったところで、望ましい政策実施のための制約が強められるだけになることは明らかだろうと思います。私自身、低学歴な世界に育っていますので、低学歴な世界の住人が低学歴な世界にいるままその考えを変えたり行動を変えることがほぼ絶望的に難しいことは実感しています。そのような状況であっても、望ましい政策は何か、それを実現するためにどのような制度が必要か、を考えていくことは、決して意味のないことではないだろうと考える次第です。

(追記)
hahnela03さんに詳しく取り上げていただきました。

 「溜め」とかを言う元内閣府参与については批判的な自分ではありますが『「あそび(車のハンドル)」が足りない』という感覚からマシナリさん達の現場における緩衝材「高卒採用の減少」が大きいのではないかと感じています。自治体のみならず外郭団体等の組織には「高卒・大卒等」の調整機能もありました。
(略)
 生活圏における様々なインフラの有無によってもたらされる、趣味・観光・スポーツ等の娯楽環境は「学歴」「収入(所得)」だけではない要因によって成立します。この話に納得しがたい部分を感じるのは何故なんでしょう。

津波被災の記録123(2013-08-15)」(hahnela03の日記


本エントリではちょっと誤解されそうな書き方となってしまいましたが、特に当地では低学歴の世界と高学歴の世界には特に溝はなくて、学歴の高低そのものが決定的な差異となるわけではないと考えております。徴表的な言葉として「低学歴」「高学歴」を使ったものの、本文で「代表や幹部の中に実際に高学歴であるかに関わらず一定のクオリティの見識をお持ちの方が必ずいます」と書いたとおり、組織の中で地位を得る方は、特にその組織の分野では卓越した知見と人脈をお持ちです(もちろん後述のような例外はあります)。そうした人員を擁する組織間の交渉で物事が決まっていくというのが世の中というものでしょう。

私もこの点を曖昧にしてしまいましたので、hahnela03さんが「納得しがたい部分を感じる」という感想をお持ちになったのではないかと思います。娯楽環境とか地域内のつきあいというのは、まさに「「学歴」「収入(所得)」だけではない要因によって成立」しているのであって、本エントリでは、むしろその要因が成立する過程を学歴というキーワードを使って考えてみたものとしてご覧いただければと思います。

ただ、hahnela03さんが指摘される「高卒採用の減少」というのは確かに影響がありそうです。組織の中ではどうしても大卒の方が役職が上になってしまうので、大卒が大卒というだけで発言力を持ってしまう傾向はあると思います。もちろん、大卒であっても、上記のような組織間の交渉において高卒の方の足下にも及ばないような無能な方も当然います。それが「組織の論理」とかいうものになっていく部分もあるでしょうし、そうした組織の意思決定が低学歴の世界の論理で動く地元の意向と乖離する原因となることもありそうです。どちらが望ましいのかは不明ですが。

そのような組織の意思決定に関する高学歴同士の対立という点では、hahnela03さんが引用されるeigakirai(旧HALTANさんでよろしいでしょうか)がご指摘のとおり、
という問題の方が、特にネット界隈では深刻かもしれません。

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