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2013年06月22日 (土) | Edit |
来年4月に予定されている消費税率引き上げについては、いわゆる景気条項をめぐる判断が取りざたされています。個人的には、アベノミクスとして金融政策で異次元緩和が行われたのには消費税引き上げの地ならしという側面もあると考えておりますので、このまま景気回復が本格化することを祈るばかりなのですが、経済学を信奉されている方面の方からは「消費税率の引き上げで景気回復が遅れる」とか「財政赤字が拡大しても経済成長できる」というお話がよく聞こえてきます。ただ、緩やかにリフレーション政策を支持する者としては、クルーグマンとかスティグリッツの教科書の記述とは違うように思いますので、一応個人用のメモとして引用しておきます。

まずクルーグマン『マクロ経済学』から、クラウディング・アウトの説明に引き続く部分の引用です。

 とはいえ,政府支出は必ず経済成長に悪影響を及ぼすなどと考えてはいけない! それは政府が資金を何に使っているかによる.第8章で学んだように,経済成長を達成するためには政府支出が不可欠なのだ.例えば,取引契約がきちんと履行されるように司法制度を運営する必要があるし,病気の蔓延を防ぐための健康保険も維持する必要がある.また政府はたくさんの投資プロジェクトを行っている.例えば,道路,学校,空港といった必要なインフラストラクチャーの整備・維持などだ.クラウディング・アウトに関する私たちの分析は,「他の条件を一定」としたものだ.つまり,政府が経済成長を促進するもの)司法システムや道路など)をすでに作り終えているのに,さらなる政府支出をして財政赤字が拡大すると,民間の投資支出が抑制され,経済成長は阻害される.だから,政府支出拡大による財政赤字が経済成長を促進するかしないかは,一概には言えないのだ.
 貸付資金市場に影響を及ぼす政策は政府の借入だけではない.多くの経済学者は,税収を維持したまま,民間貯蓄の拡大と消費の縮小を達成できるような税制の変更があると主張する.例えば,債券の利子収入や株式の配当金などの投資収益に対する課税を減らし,一方で財・サービスの消費への課税を増やすといった税制変更だ.投資収益への課税を減らすことは人々の貯蓄を増やす意欲を高めることになる.貯蓄から得られる税引き後の純報酬が上昇するからだ.他方,消費に対する課税は財・サービスの消費にかかる総費用を上昇させるので,人々の消費意欲が減退する.図9-7はこのような税制変更が実行されるとどうなるかを示したものだ.その結果は先に説明したのと同じだ.まず貸付資金市場への資金供給は増大する.つまり供給曲線は右にシフトする.すると均衡は点E1から点E2へと移動し,利子率はr1からr2へ低下し,民間の借入はQ1からQ2へと増える.よって民間貯蓄を増やすような税制の変更は民間の投資支出を拡大し,その結果,長期の経済成長を促進することになる.
(略)だが,現実には貯蓄資金を投資支出に振り向ける市場はもっと複雑だ.
pp.255-256

クルーグマンマクロ経済学クルーグマンマクロ経済学
(2009/03/20)
ポール・クルーグマン

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※ 以下、太字強調は原文(原文は傍点)、太字下線強調は引用者による。

その直後のコラムでは、「1990年代の財政と投資支出」というコラムで、アメリカが財政黒字(1990年に対GDP比4.2%の財政赤字が2000年には同1.6%の財政黒字)となった間に、民間投資支出が同14.8%から17.7%へ上昇したことを取り上げて、

 以上の話には2つの教訓がある.第1は,データでははっきり示せないが,私たちのモデルから,1990年代後半の財政赤字の黒字転換は,それがなかった場合に比べれば,民間投資支出の増加をより大きくしたと言えることだ.第2は,政府がとった政策の効果について拙速に結論を出す前に,データをよく見る必要があるということだ.政策変更と同時に,他の多くの条件にも変化が起きていることもあり,それら他の条件に起きている変化が,投資支出拡大の本当の理由かもしれないのだ.
クルーグマン『同』p.257

やっぱり政策的な議論の場合には、主観的に必要でない条件を「その他」でくくってしまう経済学的な「思考の型」というのも慎重に扱わないといけないようですね。

次にスティグリッツの『公共経済学(下)』から、「財政赤字の帰結」という節の説明を引用すると、

 経済学では古くから,政府借入れも個人借入れとまったく同様に,そのお金が用いられる目的に照らして正当化されるべきであると主張されてきた.あなたが多年にわたって住む住宅や,数年間乗る予定の自動車を購入するために,お金を借り入れることは意味がある.そのような方法で,あなたはその商品を使用している間その支払いを引き延ばすのである.将来高級の職業に就くことができる学位取得のための教育を目的にお金を借り入れることも,経済的には意味がある.しかしあなたが今年,2年前の休暇の支払いを行っているならば,おそらくあなたはクレジットカードを捨てるべきだろう.
 国も同じような状況にある.多年にわたって使用される道路,学校,また産業計画の資金を調達するために借入れを行うことは,まったく妥当なものである.完成しない(または開始さえされないような)計画の支払いのための借入れや,今年の役人の給与支払いの資金を調達するための借入れは,実質的な問題を引き起こすことになる.多くの政府は容易に返済できないような多くの債務を負ってきており,そのため租税を急激に上昇させ,生活水準を下げてきた.他の国では完全に返済できなくなり,将来の借入れ能力を危うくしてきた.
 政府支出のための資金を徴税によるのではなく,借入れによって調達すると,短期的には高い消費水準をもたらすことができる(すなわち,可処分所得が上昇するためである).経済が完全雇用にあるならば,高い消費は投資の余裕を少なくすることを意味する.経済をインフレーションのない完全雇用状態に維持するために,連邦準備制度理事会(Fed)は利子率を上昇させなければならない.財政赤字は投資を低下させるため,長期的には産出量と消費を減少させる.
 財政赤字削減は反対の効果を持つ.すなわち,それは利子率を下落させるため,投資を促進させる.そして経済成長を促進し,将来の生活水準を改善することになる
pp.1007-1008

スティグリッツ 公共経済学〈下〉租税・地方財政・マクロ財政政策スティグリッツ 公共経済学〈下〉租税・地方財政・マクロ財政政策
(2004/01)
ジョセフ・E. スティグリッツ

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こちらでは、この部分に引き続き、第1世代の財政赤字の一部を借入れで調達し、第2世代への増税により借入れを返済すると、第1世代の貯蓄の形成に影響を及ぼしたが、生涯で支出しなければならない総額には影響しないというのが現在の支配的な見方であると説明します。

さらに、「公債負担に関する別の見方」という節で、4つの説を紹介して、そのうち一つを除いて否定します。
一つ目が、「公債は,われわれが自分自身に借金をしているのだから,問題ではないという主張」は、三つの論点から間違っていると知られているとします(三つの論点の詳細は本文をご覧ください)。

二つ目に、「リカードの等価定理:遺産が公債を相殺する」については、バローの理論を紹介して、「実証研究の結果はバローの理論的主張を支持していない」とし、Spring(1989)から「人々はバローが仮定するほど(現在の意思決定において財政赤字を完全に考慮に入れるほど)合理的でも,また(財政赤字が1ドル増加するごとに子孫のために遺産を追加的1ドル取っておくほど)利他的でもない」とします。

次に「資源の過少利用:財政赤字は現実に役立つかもしれない」については、「経済が完全雇用以下で稼働しているならば,伝統的なマクロ経済理論では(財政支出の増加または税収の減少の結果としての)財政は経済を刺激することになる.利子率は上昇しないので、またはたとえしたとしてもわずかなので,投資(したがって経済成長)は悪い影響を受けない」とし、「財政赤字の増加が投資への政府支出の増加から生じているならば,このことはとくに正しい」とお墨付きを与えています。

最後に「開放経済:クラウディング・アウトを回避する」については、海外からの借入れに対する利子の支払いのため、国民の純所得が低下するとし、現実の算出水準が影響を受けないとしても、経済状況が悪化するとします。

というようなスティグリッツに対する朝日新聞のインタビューが、「朝日新聞の記者がスティグリッツに増税を無理矢理容認させた」とかで一部批判されているそうです。

(2013参院選)アベノミクスに欠けるもの ジョセフ・スティグリッツさん(朝日新聞デジタル 2013年6月15日)

――消費増税については。

 「消費税は、貧しい人びとの負担がきついという逆進性を持つ悪税です。しかもデフレを悪化させます。日本は来春の消費増税を計画していますが、おそらく時期尚早でしょう。まずは経済の成長を回復し、それから増税するのが順当なやりかたです。増税するなら消費税ではなく(化石燃料の消費に課す)炭素税を導入すべきです。逆進的ではないし、二酸化炭素の排出を減らしたり、エネルギー効率をよくしたりするための技術開発や設備投資が進むから、経済にもプラスです」

 ――それでも消費税を引き上げるとしたら、何をすべきでしょう。

 「増税による税収の増加分と同じ額だけ支出を増やせば、経済への打撃を避けることができます。これは、均衡予算乗数という考えです。そのさい、低所得の人びとへの再分配につながる支出をすれば、消費やGDPをいっそう増やす効果があります。企業減税で刺激をというのでは、効果を期待できません」

(略)

 <取材を終えて>

 「アベノミクス」の応援団のような発言が目立つスティグリッツ教授だが、単独インタビューでは、所得格差是正への配慮が必要だと、鋭い注文をつけた。国民の所得を増やす経済成長は必要だが、企業や「1%」の富裕層だけが潤って、「99%」の人びとの生活が改善しなければ無意味という立場だ。

 米国経済は、回復過程でも格差が拡大している。その現状に対する教授の批判は、小泉政権や第1次安倍政権下での「実感なき景気回復」にも、あてはまるだろう。

 名目3%成長ができれば、「1人あたりの国民総所得は10年後には150万円以上増やせる」と語った安倍晋三首相やその周辺は、教授の懸念を理解していないように見える。「家計が潤う」と口では言っても、格差是正や貧困対策に冷淡なら、教授を失望させる日も近い。

 一方で消費増税を先送りすれば、国債相場の急落も起こりかねない。安倍政権は教授の提言を参考にして、増税による税収を雇用創出や貧困対策に投入すべきではないか。格差縮小に役立つし、景気の失速を防ぎつつ、財政再建への確かな一歩にもなる。

 (小此木潔)

まあ、記者は違いますが、同じ朝日新聞の3月のインタビューでも、スティグリッツは「多額の政府債務を抱えているのは先進国共通の課題だが、問題はタイミングだ。今は総需要が不足しており、消費増税で低所得層に負担をかけると需要が落ち込み、経済を悪化させる。日本は1997年の消費増税で一度失敗しており、もっと敏感になるべきだ。高所得層を対象に増税するなど、税収を上げる方法はほかにもあり、それならば消費税より経済に悪くない」としたうえで、「経済成長の課題に挑んでいこうとするとき、一方で格差が拡大しかねないという問題がある。安倍政権の掲げる『3本の矢』のうち、財政支出は所得の低い人たちのために多く使われるべきだ。低所得者は持っているお金の大半を消費するので、経済を刺激する効果がより大きい」とおっしゃってます。したがって、クルーグマンよりは増税に否定的とは思いますが、教科書にもあるとおり、スティグリッツもクルーグマンと同様に財政支出の使い道が重要と考えているものと思います。

しかし、クルーグマンもさることながら、スティグリッツは日本の財政制度の専門家ではありませんので、一般的なマクロ政策についての見識はもちろん優れているとしても、日本の財政状況(経済状況ではありません)の問題を的確に把握して発言しているかは不明というべきではないでしょうか。先進国の中で最も高齢化が進み、対GDP比の公債比率も最も高い日本では、これから高齢化が進むとされるアメリカや韓国と同水準の対GDP比の国民負担率となっている現状であり、スティグリッツがいうような低所得者向けの財政支出を増加させる余地はほとんどありません。さらに、公的なものに対する嫌悪感も強い日本では、財政支出の増加そのものが容易な政治選択ではありません。消費税率の引き上げは、税収の規模や徴収のコストを比較して経済学的な効率性を持つ税目ではありますが、現状を見ていると、スティグリッツが重視する財政支出が実現する可能性は低そうな気がするところです。
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2013年06月15日 (土) | Edit |
hahnela03さんも取り上げられていましたので、匿名ブログを書いている者としてもメモしておきます。

復興庁:幹部ツイッター暴言 「左翼クソ」「懸案曖昧に」
毎日新聞 2013年06月13日 07時00分(最終更新 06月13日 12時17分)

 復興庁で福島県の被災者支援を担当する幹部職員が個人のツイッター上で「国家公務員」を名乗り、課題の先送りにより「懸案が一つ解決」と言ったり、職務上関係する国会議員や市民団体を中傷したりするツイートを繰り返していたことが分かった。政府の復興への取り組み姿勢を疑われかねないとして、同庁はこの職員から事情を聴いており、近く処分する方針。

 この職員は総務省キャリアの水野靖久・復興庁参事官(45)。千葉県船橋市の副市長を経て昨年8月同庁に出向し、東京電力福島第1原発事故で約15万人が避難する福島県の支援を担当。超党派の議員立法で昨年6月に成立した「子ども・被災者生活支援法」に基づき、具体的な支援策を定める基本方針のとりまとめに当たっている。

 水野氏は今年3月7日、衆院議員会館で市民団体が開いた集会で、同庁側の責任者としてとりまとめ状況を説明。同日「左翼のクソどもから、ひたすら罵声を浴びせられる集会に出席」とツイートした。翌8日には「今日は懸案が一つ解決。正確に言うと、白黒つけずに曖昧なままにしておくことに関係者が同意」と、課題の先送りを歓迎するかのような内容をツイートしていた。

 ツイートは水野氏が現職に就いて以降、分かっただけで計約600回に上る。以前は本名でツイートしていたが、昨年10月からは匿名に切り替えた。

 実際に同法を巡っては、支援の対象とする地域の放射線量の基準が決まらないことから、成立からほぼ1年がたっても基本方針がまとまっていない。根本匠復興相は3月15日、基本方針と別に同法の趣旨を踏まえた支援策「被災者支援施策パッケージ」を発表したが、成立に関わった国会議員や期待していた市民団体は、内容が当初の想定から後退しているとして「骨抜きだ」と批判していた。

 水野氏はこれらの国会議員や閣僚に対しても文脈から相手がほぼ特定できる形で「ドラえもん似」「虚言癖」などと中傷していた。

 水野氏はツイートの真意をただした毎日新聞の取材に「個人でやっている」「記憶にない」とだけ繰り返し、コメントを拒否。その直後、ツイッターのアカウントを削除した。復興庁は重大な事案だとして事実を確認中で、「結果などを踏まえて適切に対処したい」としている。【日野行介、袴田貴行】

最後に記者の署名がありますが、この方についてはジャーナリストの石井孝明氏の記事が参考になります。

推定だが、この時間を見れば、毎日新聞記者とアワプラが、おそらく示し合わせて記事を出したのだろう。この市民メディアは上記の法をめぐる国・復興庁の対応を批判していたので、ここからのタレコミの可能性がある。毎日新聞記事の執筆者である日野行介記者は、放射能の危険を強調する偏向した記事をいくつか書き、私の記憶に残っていた。(福島在住の方のブログ「福島 信夫山ネコの憂うつ」「ついに福島県立医大が毎日新聞(日野行介記者)に抗議!」など)

日野記者は、続報で報道日の13日中に「左翼」批判をされた集会を主宰したFOEジャパンという団体や、この法案にかかわる川田龍平参議院議員のコメントを取り記事化している。(「復興相が謝罪 国の姿勢疑う声も」)また同日に国会議員が根本復興相に質問している。一連の動きはとても手回しがよく、日野記者は各政治団体と「つるんでいる」としか思えない。FOEジャパンという団体は、福島で危険を強調して、大変評判の悪い外国団体だ。(私の記事「オペレーションコドモタチを脅迫被害者が刑事告発へ」)

復興庁幹部暴言騒動・役人「叩き」ではなく仕事を「減らす」で福島を救え(2013年06月14日06:30)」(アゴラ

こちらの記述はあくまで推測とのことなのですが、これが本当であればなかなかに周到な報道だったようです。この一連の流れでは新聞社と特定の分野で活動する団体が登場していますが、その報道により官僚個人を特定して更迭させ、場合によっては何らかの処分を行わせようしたのであれば、概ね目的は達成されたのでしょう。しかし、報道によって仕事が奪われたりするなら、それは由々しき事態ではないかと思います。

こんな時にこそ労働者の味方がサポートしなければ!ということで、左翼な方々がいらっしゃるとおぼしきレーバーネットを拝見すると、
水野靖久・復興庁参事官の『懲戒免職処分』を!!
だそうで…orz まあ、左側のフレームの「■福島原発事故関連サイト」にアワプラとかFoEという団体名が見えてますから、左翼な方々にとっては、官僚なんか労働者じゃないのでしょう。総務省(というか内務省の流れを汲む旧自治省)が戦後一貫して、公務員は契約ではなく任用という行政処分で働いていると論陣を張ってきた成果がここで現れていますね! まあ、「表現の自由」とか「信条の自由」とかででたいそう盛り上がっているらしい児ポ法周辺を拝見しても、この件についての言及はあまりありませんでしたし、官僚とか公務員には人権など認められていないのでしょう。

それにしても、この新聞記事で取り上げられている「暴言」って、最近見る機会が増えているついった方面では普通に出てくる言葉のように思うところですし、私も一部のリフレ派と呼ばれる先生からこの種の「暴言」をtweetされたことがありまして、世の中には「暴言」というのにもいろいろと基準があるようです。人権など認められていない公務員に対しては、「暴言」があれば徹底的に追求して辞めさせて、それ以外の職業については多少の「暴言」は「芸」認定して尊重しましょうというのがネットのスタンダードであれば、このブログも安泰ではないのかもしれません。

まあ、上記の石井氏がほかの記事で指摘されいてることで、記事全体では疑問がないわけではありませんが、この部分は私も仕事で左翼な方々と接するときによく感じることです。

私の偏見が混じっているかもしれないことは読者の方にお断りするが、異様な雰囲気だった。世間一般の感覚からずれているのだ。10年ほど前から反原発の集会、勉強会を見ているが、この雰囲気はいつも体験する。「思い込みの激しさ」「攻撃性」「礼節のなさ」「稚拙さ」を、出席者から感じるのだ。

そこには対話はなかった。目立ったのは「ヤジ」だ。

「お前は原発をやって恥ずかしくないのか」
「安全というなら福島に住んでみろ」

「福島に住んでみろ」という罵声は、左派勢力の人から頻繁に出るが、ここでも登場した。福島に住んでも、何の健康上の問題はない。この罵声は福島に住む同胞に対する侮辱であり、日本人としても、人間としても「おぞましい」発言だ。私は腹が立った。血の気が多いので、「アウェー」の場でなかったら、発言者をその場で探し出して怒鳴りつけていたかもしれない。しかも客として招いた人に、こうした言葉を投げつける。あきれた。

「マッカーサーの子供たち」が動かす日本の行く末=自由と権利「だけ」を教え込まれると…(2012年09月28日10:21)」(アゴラ

日本共産党とか社民党とか、最近では維新とかみんなとかの街頭演説を聞いた方は多いと思いますが、国会とか議会になると、議員としての活動実績を残さなければならないので、より言葉遣いも過激になります。議員の方々は地方に行くほど過激になるので、地方議会では子どもが聞いていたら「ああいう言葉遣いをしちゃダメだよ」と言いたくなるくらいの罵詈雑言が飛び交うことも珍しくないのですが、それを公務員に浴びせかけるのが彼らにとってはある意味で勲章なのでしょう。それが年代的なものだったり、戦後教育によるものだったりするのであれば、そのような言葉遣いが左右関係なく広まっているのも納得できます。って、いや納得はしてませんが、復興がなかなか進まない原因の一部には貢献しているであろうこれらの方々が、この先も公務員の仕事をより難しくしていくのだろうと諦めるしかないですね。

(追記)
個人的なメモでしたので、特に本文中に明記しておりませんでしたが、念のため今回のtweetの発言主を擁護する意図はありません。発言内容の是非はともかく、こうなることが想定される中での発言は不用意なものだったと思いますし、実際に各方面に与えた影響が無視できない状況となっている以上は、責められてしかるべきものとは思います。ただ、そのことと仕事上の不利益処分を行いうることの権衡は慎重に判断されなければならないと思いますので、本文で引用したレーバーネットのような姿勢は、特に労働者の立場に立つ団体としては軽率だろうと思います。

なお、私が旧自治省官僚を擁護するつもりがないことは、本文で「公務員は契約ではなく任用という行政処分で働いていると論陣を張ってきた成果がここで現れていますね!」と述べている点にその思いを込めたつもりですが、わかりにくいですね。少なくとも法律上は合意による契約で労務提供しているわけではない公務員については、使用者である行政庁の処分を一方的に下すことができますので、時の政府はかなりの裁量で公務員の処分を行いうることになっています。今回のtweetの発言主に対しても世論に押された政府が重い処分をする可能性があり、それが先例となれば公務員業界的にはかなりのダメージがあるわけで、エライことしてくれやがってというところです。こちらで藤代氏が指摘されているようなことがこれから現実化するかもしれません。

ソーシャルメディアにはログが残って行く。気に入らない公務員がいたら、ツイッターのログをとり、ある時点で情報公開請求して報道すればいいということになる。これでは恐ろしくて公務員をはじめ、議員や教員など突っ込みを受けやすい職業につく人はソーシャルメディアを利用する事は出来ないだろう。

復興庁職員のTwitter暴言騒動、報道に問題はなかったか(2013年6月16日 20時16分)」(藤代 裕之



ついでに、
というtweetもいただいておりまして、(「官僚に対する暴言がダメ」というありがたいルールがあるとは到底思えないのですが)それを理由として「官僚も暴言言っちゃダメ」ということではなく、不特定多数に対して言葉を伝える(結果として伝わることが想定される場合を含む)際には、(それがユーモアとして通用する場面であっても極力)最低限の品格を保ちながら言葉を使うべきという通常のマナーが必要なのではないかと思うところです(カッコ内は公務員向けのオプションともいえますが)。

(再追記)
追記でも書きましたが、今回問題となったtweetの発言主については、不適切な言葉を不特定多数が閲覧できる状態にしていた点で責められるべきものと考えており、私は擁護するつもりはありません。ただし、それに対する処分がどの程度であるべきかについては、様々な面から慎重な検討が必要と考えております。

追記に書いたことの補足ですが、労基法が適用される労働者に比べると、公務員に対する処分は、国家公務員法などの特別法に基づく行政庁の処分であるため、その処分は違法であっても公定力を有し、取消訴訟の排除的管轄が適用されます(または行政庁が行う裁量処分について、裁判所によるいわゆる実体的判断代置方式は許されないとするリーディングケースとして最判昭和52年12月20日判決(神戸税関事件)があります)。しかし、特に地方公務員には、労使対等の原則に関係する部分以外は原則として全面適用されます。要すれば、公務員に対して使用者の立場にある行政庁が行う処分は、行政処分として強力な効果を持ちますが、だからといって、労契法第16条のいわゆる解雇権濫用法理(解雇は、客観的に合理的な理由を欠き、社会通念上相当であると認められない場合は、その権利を濫用したものとして、無効とする)に該当するような免職まで行いうるわけではありません。

この関係について、「中道の労組幹部」さんからタバコについてのコメントをいただいておりましたので、これを例にして考えてみます。中道の労組幹部さんが指摘されるような「タバコ一本の火災報知器作動→電車一本遅れる→経済活動に多大な負の影響を与える」という事件が発生し、それにより会社が具体的な損害を受けたのであれば、その損害や社会的信用の失墜の原因となった行為を行った労働者に対して、相応の処分(懲戒となるか損害賠償請求となるかは就業規則等の規定によりますが)を行うことは当然あり得ることです。それは、タバコを吸うことの是非はともかく、たとえば火災報知器が作動する恐れのある場所で会社が喫煙を禁止していた(あるいは火災報知器が作動することが予見可能であった)にもかかわらず、その場所で喫煙した労働者の過失とそれによって生じた損害の程度に応じた処分である限りにおいて有効でしょう。しかし、だからといって「勤務時間中はいかなる場所でも喫煙してはいけない」と規定し、違反したらすべて停職等の処分を行うとすることが、客観的に合理的で社会通念上相当なものかは一概に言えません。

これと同様に、「暴言」を不特定多数に向かって投げかけたり、面と向かった相手に「暴言」を行って、それを理由としてトラブルが生じて具体的な損害が発生すれば、その過失と損害の程度に応じて処分を行うことはあり得ることです。しかし、だからといって、周囲に聞こえないような個室の飲み屋で仲間内で愚痴を言い合う中で過激な「暴言」を使ってしまったり、面と向かっている相手に対して表に出さずに内心で思い浮かべた「暴言」をすべて禁止することは、客観的に合理的で社会通念上相当なものとはいえないだろうと考えます。特に後者の「内心の自由」は憲法19条、20条、23条で規定された自由権(基本的人権)の一つであって、まさに国家権力である行政庁が一方的に公務員の「内心の自由」を制限しうるということにはならないでしょう。

本エントリで問題だと考えているのは、「暴言」についての記事を掲載した新聞社の記者とその「暴言」を吐かれたという団体が、その政治的な活動で密接につながっている可能性があり、その「暴言」による具体的な損害が不明確なまま行政庁の裁量により処分が行われた場合、その影響は「内心の自由」の観点から甚大なものとなるおそれがある点です。そうならないためには、Dr.Pooh (@DrPooh08)さんが指摘されるような視点を意識しなければならないと思います。


結局、公務員であるか否かにかかわらず、「内心の自由」をはじめとした基本的人権は尊重されるべきものであって、どちらか一方が相手の発言を「暴言」といったからといって、具体的な損害やその発言との関連性、発言そのものの妥当性などを吟味しないまま、即座にその「暴言」を処罰できるということではないはずです。もしそれを本気で主張するのであれば、その方は、不特定多数に向けて行われた公務員についての「暴言」を公務員が「暴言」だといいさえすれば、それを即座に処罰することに賛同しなければならなくなります。憲法では当然そんなことは許されていませんし、私自身も許すべきではないと考えております。私が本エントリで「発言の内容の是非はともかく」としてその内容に言及していないのは、こうした水掛け論を避けるためです。

これも追記に書いたことの繰り返しですが、くろ (@kuroseventeen)さんがおっしゃるような「官僚に対する暴言がダメなのと同じように官僚も暴言言っちゃダメ」という理屈では、お互いが攻撃し合うだけになってしまうおそれがあります。結局は、いくらネット上であっても、最低限の品格を保ちながら言葉を使うべきという通常のマナーが必要ということに尽きるのではないでしょうか。「民間だったら公務員に何を言っても許される」という一方で「公務員がこんなこと言ったら処罰しろ」というダブルスタンダードな理屈は、回り回ってお互いの首を絞めるだけになるのではないかと考える次第です。

(再々追記)
処分が行われたそうですので、記事貼っておきますね。

中傷ツイートの参事官停職30日 復興相は報酬自主返納(朝日新聞デジタル 2013年6月21日22時7分)

 根本匠復興相は21日の記者会見で、復興庁の水野靖久参事官が自らのツイッターで、職務に関係する市民団体や国会議員を中傷するツイートを繰り返した問題について、水野氏を同日付で停職30日とする懲戒処分を発表した。根本氏は1カ月分の大臣給与の自主返納を表明し、会見で謝罪した。

 復興庁によると、水野氏は同日付で出向元の総務省大臣官房付に異動する。復興庁の中島正弘事務次官と岡本全勝統括官は戒告処分とする。浜田昌良副大臣は同日午後、福島県川俣町議会を訪れ、水野氏が「田舎の町議会」などとやゆした町議会に処分内容を報告した。

 復興庁は水野氏のツイート約600件のうち、29件が国家公務員法違反にあたると判断。このうち6件の内容が信用失墜行為にあたり、23件は勤務時間中にツイートしたことが職務専念義務違反と認定した。

 水野氏は復興庁の聴取に対して「(ツイートは)仕事を終えて、そのときの思いをぶつけた。相手が分からないように書いた。軽率だった」と話しているという。

 また復興庁は同日、ツイッターなどの情報発信に関するガイドラインを設けた。個人や団体を中傷する発信や、勤務時間中に公務と無関係な発信をすることを禁じる内容だ。

 根本氏は会見で「復興に対する政府の姿勢を疑われる事態を招いたことは遺憾。関係者に改めて深くおわび申し上げる」と語った。その後、職員への訓示で「他人事だと思わず、いま一度襟を正して取り組んでもらいたい」と訴えた。

 水野氏は福島県の被災者支援の法制度「原発事故子ども・被災者支援法」を担当していた。復興庁は問題が発覚した13日付で水野氏を担当から外している。

本エントリで危惧したとおり、具体的な損害とかその発言が行われた状況の背景まで考慮された形跡はなさそうです。なお、復興庁のガイドラインでは、「個人や団体を中傷する発信や、勤務時間中に公務と無関係な発信をすることを禁じる」んだそうですが、「個人や団体を中傷する発信」って公務員かどうかに関係なく許されないだろうと思うものの、どうも一部のマスコミとかネット界隈での特に公務員に対する言説はそうでもないようですので、その流れに惑わされてしまわないよう気をつけたいと思います。

2013年06月15日 (土) | Edit |
書きかけのエントリをアップしようとしているうちに、震災から27か月が経過しました。震災からの復旧・復興はこの間も、地道に進んでいる分野となかなか進捗が見えてこない分野でそれぞれ問題を抱えながら進められています。もう恒例行事となりましたが、定期的に「復興が遅い」とか「復興予算が流用されている」とかいう報道が流れてきて、そのたびに着実に進んでいる分野ではモチベーションを下げられ、なかなか進捗が見えてこない分野では徒労感が募らされるというのが公務員の仕事ですね。ただし、報道する側も手を変え品を変えてきますので、今回報道された緊急雇用創出事業については、まあご指摘の趣旨は理解できるというところです。

復興予算、雇用でも流用 被災地以外に1千億円朝日新聞デジタル 6月3日(月)8時0分配信

 【古城博隆、座小田英史】東日本大震災の復興予算で2千億円がついた雇用対策事業のうち、約1千億円が被災地以外で使われていることがわかった。被災地以外の38都道府県で雇われた約6万5千人のうち被災者は3%しかおらず、被災者以外が97%を占める。「ウミガメの保護観察」や「ご当地アイドルのイベント」など震災と関係のない仕事ばかりで、大切な雇用でも復興予算のずさんな使われ方が続いている。

 この事業は厚生労働省が担当する「震災等緊急雇用対応事業」で、被災者などの雇用を支援するため、2011年度の復興予算で2千億円がついた。臨時や短期間の仕事に就いてもらい、生活を支える目的だ。

 このうち915億円は、東北や関東などの被害が大きかった9県が運営する雇用対策基金に配られた。11~12年度に計約6万人が雇われ、その約8割を被災者が占める。

 一方、残る1085億円は被災地以外の38都道府県の基金に配られた。朝日新聞が38都道府県に聞いたところ、11~12年度に雇われた人は計約6万5千人にのぼるが、被災者は約2千人にとどまった。

朝日新聞社

まあ、今回の記者の座小田氏も一連の復興予算流用問題を取り扱っている方のようで、一般財源と基金の違いも理解していないながら、それなりに奮闘されていると思うのですが、この件でつっこむのであれば、あと2年くらい早くつっこんでいただきたかったものです。ちなみにその当時の拙ブログでは、

リーマンショック後に低下した労働需要を喚起するために実施された緊急雇用創出事業を、今回の震災にあたって震災対応事業として流用しているために生じる齟齬ではないかと感じております。リーマンショックのような景気変動による労働需要の減少であれば、政府が資金提供する形で企業に雇用の場を提供することで雇用が創出されますが、民間事業者そのものが毀損している被災地では、そもそも企業が雇用する機能を失っているため、事業化が進みません。

「新しい公共」が依って立つもの(2011年06月05日 (日))

ということを指摘しておりますし、その後に今回問題となった「震災等緊急雇用対応事業」が創設されたときには、


マンマークさんのところで取り上げていただいたようです。
http://manmark.blog34.fc2.com/blog-entry-581.html

> 相棒「被災失業者か平成23年3月11日以降に失業した人を募集しました。でも、普通の失業者しか来ませんでした。だったら、その普通の失業者を雇って事業を実施すれば、緊急雇用創出事業の中の震災等緊急雇用対策事業として認めるそうです」
> 私 「はあ?」
> 相棒「そうらしいです」
> 私 「それってさ、被災地どうこう関係無しのバラマキじゃねぇーの?」
> 相棒「でも、そういう事らしいです」

「被災地どうこう関係無しのバラマキ」というマンマークさんのご指摘の通り、今回の緊急雇用創出事業の拡充は震災どうのこうのは関係ありません。というのも、「震災等緊急雇用対応事業」(順列組合せがヒド過ぎる…)は円高にも対応するものとなっておりまして、結局のところ日本全体が対象となっています。

「平成23年度厚生労働省第三次補正予算案の概要」7ページ
http://www.mhlw.go.jp/wp/yosan/yosan/11hosei/dl/h23_yosan_gaiyou.pdf
> 2 震災及び円高の影響による失業者の雇用機会創出への支援(「重点分野雇用創造事業」の基金の積み増し(全国))2,000億円
> 被災者を含めた震災及び円高の影響による失業者の雇用の場を確保し生活の安定を図るため、都道府県又は市町村による直接雇用又は民間企業・NPO等への委託による雇用を創出する「震災等緊急雇用対応事業」を実施する(震災対応事業の拡充・延長)。

緊急雇用創出事業そのものが拡充やら要件緩和やらで訳が分からない状態となっているところですが、本来の緊急雇用創出事業が23年度までだったのを事実上延長するものと考えられます。

失対事業の夢魔へ一歩一歩近づいているような気がするところですが…

2012/01/09(月) 22:40:44 | URL | マシナリ #-[ 編集]

なんてことも書いております。ところが、当時のマスコミは、菅元総理の辞任やら野田前総理のどじょう演説やらで時間が費やされ、7月に予定していた補正予算が11月にやっと成立して、「これから本格復興が進められる」とか無邪気に持ち上げていましたね。当時の自治体の反応は上のコメントで引用させていただいているマンマークさんのエントリをご覧いただきたいのですが、当初から目的なんかどうにでもつじつま合わせできるような制度設計だったわけで、そのとおりに事業化した自治体を「復興予算の流用だ!」とかマスコミの皆さんが責め立てても、何を今更という感は否めません。

マスコミの皆さんが制度をいちいち理解する時間がないほどに仕事に追われていることは存じておりますし、その意思を持っている方でも組織内の論理でなかなか思うような報道ができないというのも理解はしております。しかし、そのツケを払うのが我々のような制度の現場で仕事をする人間なわけです。一面記事を飾って社内からも社外からも評価が上がっている記者さんたちの陰で、その無理解な記事によってストレスを強いられたり紛争のタネを蒔かれたりする現場の人間にも配慮していただけるとありがたいのですが、まあ望むべくもないのでしょう。

ただ、最近は、NHKなどでも被災地の自治体職員に着目した番組がいくつかありまして、先月もこんな番組がありました。

シリーズ東日本大震災 "応援職員"被災地を走る ~岩手県大槌町~
2013年5月31日(金)午後10時00分~10時49分

震災以来、深刻な職員不足に見舞われながら、膨大な復興業務と格闘してきた被災地の自治体。そこで大きな役割を果たしてきたのが全国の自治体から派遣されてきた応援職員だ。中でも役場が津波にのみ込まれ、職員の3分の1が犠牲になった大槌町では、80人を越える職員が全国から駆けつけ、復興のために汗を流してきた。中心市街地の復興の責任者を務めている小林武さん。去年4月、街づくりの専門知識で被災地を支援したいと、自ら志願して埼玉県川越市役所からやって来た。しかし、現実は小林さんの想像をはるかに越えるものだった。被災した住民たちひとりひとりと丁寧な話し合いが必要になる復興まちづくり。風土やまちの文化を知ろうと努力を重ね、何度も地権者のもとをたずねては信頼関係を築き上げてきた。一刻も早い復興を願う声に応えながら、どうしたら住民の理解を得てまちづくりを進められるのか。番組では、小林班長をはじめ大槌町の応援職員に密着、空前の規模の復興まちづくりの舞台裏を記録する。

被災した自治体の職員ではなく応援職員に着目したのは、その方が視聴者に対して「大変さ」が伝わりやすいという判断があったのかもしれません。しかし、言うまでもなく、被災地の状況に心を痛め、自らも被災した中で、地元自治体の職員が上記のような無理筋の復旧・復興事業をこなしています。日本型雇用慣行では、仕事は職員に併せて作られる傾向がありますが、ジョブ型の雇用であれば、仕事が増えればその分人員を増やすことになるはずです。ところが、何度も繰り返しになりますが、前政権も現政権も、さらに来月予定されている参議院の公約でも軒並み、政党が掲げる公約は公務員人件費の削減という現状です。仕事を増やしておきながら人を減らすって、そりゃまあたしかに、被災地で最低賃金のコールセンターを作って社会貢献とか言い張るブラックな企業の経営者が参院選の候補にもなるわけですね。

なお、先日関係者から漏れ聞いたところでは、上記のNHKスペシャルについては、地元自治体からNHKに放送しないよう申し入れがあったとのこと。復興事業が困難を極めていることは事実ですが、だからといってその大変さばかりが強調されてしまうと、合意しない地権者が悪者扱いされたり、地元職員が応援職員を地権者との交渉に駆り出しているとかいうイメージを植え付けてしまいかねません。その点では拙ブログも注意しなければならない点はあるのですが、そうした疑心暗鬼が地元の方々や職員の間に生まれてしまうと、それがさらに復興事業を困難なものにしてしまいます。

 福島県の事例では、本家・分家等が現在は北海道・関東・近畿等へ離散している状況で、権利関係は当初「本家」に集約して、金銭的な分配にとどめる動きが一般的でありました。これは「津波てんでんこ」の続きとして「土地・山林等の相続は一人が相続する」という不文律があります。自分の家も明治・昭和の津波で流失しましたが、「相続(権利者)は一人」にすることで、再建を速めるというものです。
 こういう口伝の類も日弁連の皆様の努力により「民に対策あり」としての「リスクマネジメント」を失うように努めた結果が「被災地の復興を遅くしている」のです。応援職員の自殺の遠因の一端ってすごく難しいですよね。
 福島県の事例は第2回目以降の会議から一変します。本家への権利集約が「土地は無価値(帰宅困難地域)」という評価ゼロだからが、東京電力からの賠償金の根拠になるとなった時から、「共同名義」を主張しはじめて、収拾がつかなくなります。被災地に残らない者達による「権利」を守るために、「復興予算の繰越」を批判して、(俺達(大都市)に金を渡さないなら)「復興予算はムダ」というのを数年間聞かせれ続けるのって精神的に厳しいものですよ。そんなに田舎で金が廻るのが気に入らないとは。

津波被災の記録116(2013-06-11)」(hahnela03の日記

hahnela03さんのエントリは「被災から2年と3ヶ月目となりましたが、特に進展はありません。」という一節から始まっていますが、ここで指摘されている実態はもっと知られなければならないと思います。応援職員についても地元の評判は千差万別で、「ぼくのかんがえたふっこうけいかく」を振りかざす職員(国や県の職員が多いようです)がいたり、NHKが取り上げたようなわかりやすい事例だけではありません。まあ、NHKスタッフにしてみれば、これも被災地の実態だということになるのでしょうけど、カメラに映らないところで何が起きているのかを想像することが、これからさらに必要になってくるのだろうと思います。

2013年06月15日 (土) | Edit |
前回エントリの続きとして書きかけだったエントリを備忘録でメモ。またもついった方面を見ていて、日銀のデフレの陰謀ガーとか財務省の財政再建の陰謀ガーとか、さらにはマスゴミの無理解ガーとかいうことを延々と言い続けている方々を見ていると、終わることのないループを感じるわけですが、それって「誰かが絶対正しい政策を知っていて、それを実施できないのは陰謀を張り巡らしている奴のせいか馬鹿な奴のせいかどちらかに違いない」という信念の表れなんだろうと思います。まあ、「陰謀を張り巡らしている奴」とか言う方々は、その陰謀の首謀者(とされる層)がなぜその陰謀を画策しているのか、首謀者に乗せられる(とされる)マスコミがなぜそんなバレバレの陰謀に荷担するのか、そもそもみんなが陰謀とか言ってる時点で陰謀じゃなくなっているよねという、陰謀論が成立する重要な点を説明できていないわけで、それでどうのこうの言われても説得力を感じませんけどねえ。国会でも政府の審議会でも堂々と議論されていることをもって陰謀ガーとかおっしゃる方にとっては、おそらく法案の立案も陰謀で、公開の場で法案を審議することも陰謀で、成立した法律を執行することも陰謀で、そのために予算をつけることも陰謀で・・・と世の中がすべて陰謀に見えているのかもしれません。陰謀論って便利ですね。

ところが、そうした日銀や財務省などの陰謀論を熱く語る方々の中には、一方で反原発とか脱経済成長とかの左翼的な立場の方々に対して「馬鹿な奴」とレッテルを貼って罵詈雑言を浴びせかける方も多いようです。いやまあ、反原発とか脱経済成長を主張する方の脳内が(自主規制)なんじゃないかとは私も思うところですが、反原発とか脱経済成長な方々が好む理屈も、「既得権益による陰謀論」とか「現場も知らない馬鹿な政府・役人」というレッテル貼りですね。向いてる方向が別々でお互いに敵視している同士であっても、持っている道具は同じものしかないというところに、日本の言論空間の貧困さを感じないでもありません。

以前からリアルではよく話をしているんですが、立場が違ってもその主張の道具立てが共通している理由として、日本の労働時間の長さが大きく影響していると考えております。時間がないから「誰かが悪いことを企んでいる」という陰謀論とか「馬鹿な奴がワケの分からないことを言っている」というレッテル貼りがライフハックとして強力な武器となるのではないかと。一部のリフレ派と呼ばれる方々の中には、ライフハックを自ら実践してそれを称揚している方が多くいますし、以前棚から落として買った飯田先生の著書から引用すると、経済学的な考え方にその陥穽が潜んでいるとも言えそうです。

 大変便利な「その他」ですが、一つだけ気をつけて欲しいことがあります。それは、重要な項目を「その他」に入れないことです。自分が考えたいと思っている項目を「その他」にいれて、関心度の低い項目とごちゃまぜにしてしまうと、せっかく問題を整理しようとしているのに、意味がなくなってしまいます。まずは、今自分が考えたいことをしっかりと羅列したのちに、「その他」を使うようにしてください。
 余談ですが、本書で登場する思考に関する例が非現実的だと感じるとすれば、その理由の一つは、あなたの興味において重要なものが、本書にとっての「その他」に入ってしまっているからだと考えられます。しかし、あなたと私が一心同体でない以上、これは避けることができない事態です。
 なお、「いつでも、誰にとっても大切なこと」という思考自体をあきらめることが特に必要である、という点については第3章の大きなテーマになっています。
pp.66-67

思考の「型」を身につけよう 人生の最適解を導くヒント (朝日新書)思考の「型」を身につけよう 人生の最適解を導くヒント (朝日新書)
(2012/12/13)
飯田泰之

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※ 以下、太字強調は原文。


で、その第3章では、飯田先生がこう指摘されます。

 客観的価値はあるかもしれないが、それを知らなくても特に困らない範囲では、主観価値説でよいではないか−−この一種あきらめにも似た割り切りによって、経済学はその後大きく発展していくことになります。私たちがビジネスや日常の問題について意思決定するときにも、同様の割り切りが必要なことは多くはありませんか? 非常に重要な「気はする」けれども知らなくても「当面は困らない」という課題は少なくないはずです。
 深淵に「見える」問題に足を絡め取られて身動きが取れなくなることのないように、経済学の出発点となる主観価値の考え方は割り切りという大きな勇気を与えてくれます。
p.109


まあ、客観的価値がある問題を自分の主観で問題でなければいったん考えなくてもよい、それによって経済学が発展したというのは、他の変数を定数と見なす偏微分を経済学に取り入れた「限界革命」を指していると思いますが、それはあくまで古典的なミクロ経済学の話ですね。それを克服するために合成の誤謬とか流動性選好でマクロの経済学を提唱したのがケインズでした。しかし、サミュエルソンらのアメリカンケインジアンによって、「ミクロ的基礎のマクロ経済学」という、ケインズが創出した概念を取っ払ったニューケインジアンが主流となっているのが現状と個人的に理解しておりますので、ケインズが克服したかに見えたミクロ経済学の考え方がマクロ経済学という学問の基礎となっていることが、現在の経済学で導かれるマクロ政策の非現実性をもたらしているのではないかと愚考するところです。(13/6/16訂正)そりゃまあ、当面は困らない範囲なら深淵に見える問題をいったん脇においてもいいでしょうけれども、特にマクロの政策はあらゆる利害関係を調整しなければ実施できません。飯田先生が提唱される「思考の型」では、そのいったん脇に置いておいた問題について、現在の経済学が有効な政策を導くことはできないことを自ら示しているものと思います。まあ、ワルラスの一般均衡理論もケインズの批判対象でしたし、(13/6/16訂正)ケインズがマクロ経済学の現状を見たときにどう思うのかは興味深いところです。

拙ブログでは、湯浅誠氏には評価できるところとできないところがあるというスタンスなのですが、評価できる部分のクオリティの高さは凡百の学者よりもはるかに上を行っていると感じます。それはとりもなおさず、霞ヶ関での政策決定という利害調整の場に主体として立ち会った経験から多くを学んだ結果でしょう。マスコミから霞ヶ関に入って同様の経験をした下村氏も述べているとおり、政策の形成、実施という作業は、誰かが正しい答えをもっていてそれに合わせれば万事解決するというものではないという現実を示すものといえます(念のため、私もリフレーション政策を緩やかに支持する立場ですので、たとえばリフレーション政策は他の条件を一定のものとすれば正しい政策ではあるでしょうが、他の条件が動けば必ずしも「望ましい状態」が実現されるとは限らないと考えております)。

誰も正しい答えを持っていないのが現実である以上、その問題に関係している多岐にわたる利害関係を理解し、それぞれの立場で納得の出る方向を模索し、できるところから少しずつ実行していくという迂遠な作業は避けて通ることができません。しかし、華麗なライフハックを実践している方や「思考の型」を持つ経済学者にとっては、そんな迂遠な作業をやっている役所というのは、「その手間に寄生するために陰謀を張り巡らす既得権益」か「ムダな作業をしている馬鹿な奴」に見えるのでしょう。時間に追われる生活の中ではそう思う気持ちも十分理解できますし、もちろん役所だってそんな疲れることに労力を割きたいわけではありません。しかし、その作業がなければ動かない現実の前では、ライフハック的な「思考の型」こそが問題を先送りし、利害の衝突とその事後的調整というコストの原因となり得るわけです。

長いエントリとなってしまいましたが、湯浅氏の著書から「時間のない中で政策を決定することの困難さ」を引用させていただきますので、ライフハック的な政策決定では解決しない問題の重要性も意識していただければ。いやまあ、まずは長時間労働とか超勤手当を前提とするようなライフスタイルこそ、何とかしないといけないんですけどね。

時間と空間が必要だ

 水戸黄門型ヒーロー探し自体を対象化し、相対化する必要があるのだと言いました。それはどうしたら可能になるのか。それは結局、民主主義のあり方を考えることになります。
 先に、仕事と生活に追われる人が増えることで、それが「自分は正当に報われていない」感につながり、その不正を正そうとする正義感から「犯人捜し」に拍車がかかり、切り込み隊長としてのヒーローを追い求める気持ちにつながるのではないかと言いました。
 また、それが回りまわって自分の生活を追い込むことになったとしても、いろんなものに追いまくられている世の中ではそれを立ち止まって考える余裕はないし、そもそもその人たちがこの本を読んでくれることはないだろう。
 単にお金がなくて仕事と生活に追われているというだけでなく、多少のお金があっても効率的に生きることに精一杯で、物理的にか精神的にか、またはその両方で、時間がない。社会に“溜め”がないとはそういうことで、格差・貧困が広がる社会は、底辺の人たちだけでなく、「勝ち組」と言われる人たちからも余裕を奪っていく、とも言いました。
 単純に言って、朝から晩まで働いて、へとへとになって9時10時に帰ってきて、翌朝7時にはまた出勤しなければならない人には、「社会保障と税のあり方」について、一つひとつの政策課題に分け入って細かく吟味する気持ちと時間がありません。
 子育てと親の介護をしながらパートで働いて、くたくたになって一日の家事を終えた人には、それから「日中関係の今後の展望」について、日本政治と中国政治を勉強しながら、かつ日中関係の歴史的経緯をひもときながら、一つひとつの外交テーマを検討する気持ちと時間はありません。
 だから私は、最近、こう考えるようになりました。民主主義とは、高尚な理念の問題というよりはむしろ物質的な問題であり、その深まり具合は、時間と空間をそのためにどれくらい確保できるか、というきわめて即物的なことに比例するのではないか。
 私たちの社会が抱えている問題はそれぞれ複雑で、一つひとつちゃんと考えようとすれば、ものすごく時間がかかります。一番簡単なのは、レッテルを貼ってしまうことです。一度レッテルを貼ってしまえば、もうそれ以上考える必要がない。
 何かを「既得権益」だと一度判断を下せれば、あとはその人たちが何を言おうと「しょせんは既得権益が自分たちの利益を守るために言っているにすぎない。社会全体の利益とは関係ない」と判断できます。一つひとつの発言を、そえぞれにどこまで理があるのか、具体的に細かく吟味する必要がなくなる。
 これは非常に効率的です。ではなぜそんなに効率が優先されるか。
 みんな忙しいからでしょう。そんなことにいちいち関わっている暇はない、俺は仕事と生活に追われて大変なんだと。新聞記者だって、原稿を30分で仕上げなければならないという状況に置かれたら、自分で一からちゃんと考えることをやめて、いちばん通りの良い図式に乗せて書いておこう、それなら誰からも文句を言われないだろう、となるのではないでしょうか。それと一緒です。
 レッテルにおさめず、複雑な問題を複雑な問題として考えるにはどうしても時間がかかります。すべての人は一日24時間しかもっていないので、その中からどれだけ、学んだり、意見交換したり、議論したりするための時間を切り出せるか。
 そして、学んだり、意見交換したり、議論したりするためには、そのための空間が必要です。邪魔されずに一人で読書できる空間、落ち着いて考えられる空間、友人やいろんな人たちと意見交換し、議論するための空間。
 本当の意味で「民が主」の民主主義を深め、自分たちで意見調整し、合意形成し、誰かに「決めてもらう」ではなく、自分たちで「決める」のだということを実践していくためには、時間と空間というその二つの問題に向き合う必要がある、と思います。

時間と空間が参加を可能にする

 これは改めて言うまでもなく、困難な課題です。暮らし方、働き方すべてに関わる問題です。何か一つの政策を打てば解決する、という類の事柄ではない。また、統治機構をいじれは解決する、という問題でもない。
 大阪都構想を実現しても、あるいは道州制や首相公選制を実現しても、一日24時間の中からいかに民主主義のための時間を切り出すか、主権者が主権者として考え、振る舞うための時間と空間を作り出すか、ということが進まなければ「それどころじゃないよ」という状態は変わりません。
 「それどころじゃないよ」も民意に違いありませんが、自分たちで意見調整し、合意形成する民主主義の面倒くささ、主権者から降りられない民主主義の疲れる性格を引き受けるものではない。事態を改善させることにはならないでしょう。
 困難な課題ですから、今着手すればすぐにどうにかなりますというものではありません。ただ、そこに課題があることは、みんなが一度十分に認識する必要があるのではないかと考えています。
 時間と空間の問題は、言い換えれば参加の問題です。社会的・政治的参加のための空間がなければ、そもそも参加が成り立たないし、「場」=空間があっても時間がなければ、やはり参加はできない。
 参加の形態や「場」の性質は、いろいろあっていい。
 政治参加の典型例は選挙でしょうが、投票は投票所という空間が設置されて、かつ人々が投票日に行く時間を切り出して、初めて可能になります。
 また、どこかのホールや公民館を借りて行われる後援会や集会は、社会参加の代表的形態の一つと言えるでしょう。それも誰かがその場所を借りて空間を確保して、参加する人たちが当日に時間を切り出してそこまで足を運ぶことで、初めて成立しています。
 デモも同じです。誰かがデモ行進を申請しなければ、デモ行進を行う空間は基本的に確保されません。そしてそこに意味を見いだして、時間を切り出してくれる人たちがいなければ、主催者だけのさびしいデモ行進になるでしょう。
 最近では、ネット空間も代表的な社会参加の空間の一つです。ツイッター、フェイスブックというネット空間が用意されて初めて、人々がそこに参加することが可能になりました。もちろん、一人ひとりがそこに何かを書き込む時間を切り出して初めて、その空間は活性化します。
 このように、時間と空間が参加の前提条件にあり、その前提条件が整って初めて社会参加、政治参加が可能になります。多くの人たちが「決めてくれ。ただし自分の思い通りに」と個人的願望の代行を水戸黄門型ヒーローに求めるのではなく、「自分たちで決める。そのために自分たちで意見調整する」と調整コストを引き受ける民主主義に転換していくためには、さまざまな立場の人たちと意見交換するための社会参加、政治参加が必要です。そして時間と空間は、そのためのもっとも基礎的・物質的条件になります。

ヒーローを待っていても世界は変わらないヒーローを待っていても世界は変わらない
(2012/08/21)
湯浅 誠

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