2013年05月19日 (日) | Edit |
最近ついった方面を見る機会が増えてまして、それとなくフォローしていたリフレ政策支持界隈の方々の会話に対する違和感をメモ。

その前に、『Voice 平成25年6月号』で飯田先生のコラムが掲載されているので、その引用から。

 今回の日本銀行の決定、さらにはそれを可能にした安倍政権の経済政策における作為の契機は明確である。成功すれば安倍首相、日銀新執行部の功績であるし、失敗すれば彼らとそれを強く推奨した言論人の責任である。
(略)
 日本の政策形成においては少数の例外を除き、作為の契機は希薄であることが通常であった。また、政策をめぐる議論にあたっても、その裏にたしかに存在する目標と意図をできるかぎり明瞭にしたままでの主張が好まれる傾向にある。十数年にわたる金融政策論争のなかでリフレ派、新日銀の金融政策への批判として繰り返されてきた「不自然」であり、「人為的な操作」であり、「極端な方法」だという指摘を想起すると、これら批判者の思考を支えている核が理解できるだろう。
 為替・株価傾向の大転換にはじまり、景況感の全地域での改善、賃金上昇といった成果を見てなお、アベノミクス、黒田日銀は強い批判にさらされ続けている。筆者自身はもう少し褒められてもよいのではないかと思うが、それもそのはずだ。黒田日銀への批判は、その内容に対する専門的な批判である以前に「作為の契機を伴う政策の実行」という日本の伝統に反する行動様式への批判なのだから。
飯田泰之「「リフレは不自然」論の裏にあるもの」p.33

Voice (ボイス) 2013年 06月号 [雑誌]Voice (ボイス) 2013年 06月号 [雑誌]
(2013/05/10)
不明

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※ 以下、強調は引用者による。

リフレーション政策が人為的であることをもって「作為の契機」だというなら、すべての政策は程度の差こそあれ「作為の契機」だと思うのですが。むしろ、「日本の伝統に反する行動様式」を「作為の契機」とかいって称揚してしまうと、日本的リベサヨが好む「清貧思想」とは逆の方面から「コーゾーカイカク」とか「チホーブンケン」とかに根拠を与えてしまうのではないかと懸念されるところです。うーむ、飯田先生のおっしゃることは私にはなかなか理解できないことが多いようです。

で、別のTogetterで見かけた議論ですが、同じ左派思考をお持ち(のはず)のお二人がリフレ派を巡って議論されていて、私がリフレ派と呼ばれる一部の方々の議論に感じる違和感が凝縮された内容でした。

リフレ派に批判的な人をみな一緒くたにして「デフレ派」と呼んだのはリフレ派の皆様じゃないですか。RT @shinichiroinaba: @Hideo_Ogura 先生、「デフレ派」なんですか? リフレ派を批判するのはありうる立場だとは思いますが、デフレ派を公言されるとは……
Hideo_Ogura 2013-05-06 01:35:46

@Hideo_Ogura 違うと思いますし、そもそもどうでもいいことだとおみますよ。先生はデフレの継続が望ましいと思っているんですか? そうでなければ「デフレ派」ではないはずです。
shinichiroinaba 2013-05-06 01:39:05

@Hideo_Ogura デフレがよくないと思っていて、なおかつ貨幣経済は存続させなければならないと思っているならば、人は最広義における「リフレ派」たらざるを得ません。問題はその手段であり、いわゆる「リフレ派」は単なる金融緩和に加えてインフレ期待醸成を必須と主張します。
shinichiroinaba 2013-05-06 01:41:10

@Hideo_Ogura それに対する批判はありうるかもしれませんが、デフレを否定して貨幣経済の存続にもコミットしつつ、かつマイルドインレフも拒絶する、では選択肢なしです。
shinichiroinaba 2013-05-06 01:41:59

そしてそれは、(未だ実現していない)低所得者層へのプラスの効果が生じるか否かは、リフレ政策の成功云々とは余り関係がないという意識の表れですよね。RT @shinichiroinaba: @Hideo_Ogura 違うと思いますし、そもそもどうでもいいことだとおみますよ。
Hideo_Ogura 2013-05-06 01:43:15


小倉秀夫氏と稲葉振一郎氏とのやりとり 2013年5月5日~5月6日

おそらく稲葉先生の思考の中では、「デフレがよくないと思っていて、なおかつ貨幣経済は存続させなければならないと思っているならば、人は最広義における「リフレ派」たらざるを得ません」という以上、その「最広義」から外れる批判は「デフレ派」認定しなければならないということになるのではないかと思われます。まあ、リフレ派の定義なんぞないのでしょうし、もともと「リフレ派」という思想集団でも派閥でもないというのが「リフレ派」と呼ばれる一部の方々の主張ですから、稲葉先生が「最広義のリフレ派」を持ち出すことも当然の主張なのでしょう。しかし、「最広義のリフレ派」という以上は、その中にはいろいろな思想背景や政策指向を持つ方が含まれることも容認すべきであって、「人は最広義における「リフレ派」たらざるを得ません」とまでいうなら、小倉弁護士も「リフレ派」認定してあげればいいのにと思わないでもありません。

というか、毎度の飯田先生の引用になりますが、

次にリフレ派についてですが,世にリフレ派と呼ばれる人の共通点は「安定的なインフレによる景況の維持が必要だ」のみで,ミクロ的な経済政策については人それぞれです.

構造改革ってなあに?(2006年9月17日 (日))」コメント欄 投稿 YS | 2006年9月18日 (月) 14時59分(hamachanブログ(EU労働法政策雑記帳))
(注:ご本人が「投稿 Yasuyuki-Iida | 2006年9月18日 (月) 15時16分」で報告されているとおりYS氏は飯田泰之先生です)

「リフレ派」は唯一リフレーション政策への支持のみを共有するもの(飯田先生はリフレーション政策そのものも「モデレート」なものから「強力」なものまでいろいろあるとおっしゃっているので、その「リフレーション政策への支持のみを共有する」ということの内実も不明なところですが)であって、それ以外のミクロな政策は人それぞれと言い張るのであれば、リフレ派の中で意見が対立することも十分想定されることでしょうし、それを内包しながら共闘するのが「リフレ派が派閥ではない」という主張の裏付けになるはずです。

ところが、リフレ派と呼ばれる一部の方々がとった行動はそうではありませんでしたね。彼らがとった行動は、日銀や財務省の陰謀論を振りかざし、リフレーション政策以外のミクロ政策に対するものを含めて、リフレ派に対する批判を「反リフレ派」「デフレ派」と認定して罵詈雑言を浴びせかけ、専門家ではない方に対しては「御用一般人」とレッテルを貼って「リフレ派が絶対正しい」運動を展開することでした。百歩譲って「リフレーション政策が正しい」運動が展開されたのであれば、その政策の実現を推進することは少なくとも経済学的には可能だったのかもしれませんが、「リフレ派」に対する批判をことごとく退けて、「リフレ派が絶対正しい」運動を展開するのでは、「リフレ派」という派閥に賛同する方の支持しか得られなくなるのも自明の理といえるでしょう。

確かにアベノミクスで為替相場が円安に振れて株価も上昇しましたが、それは金融緩和政策をとった結果として十分に予想された事象であって、この点はリフレ派だろうがそれ以外だろうが(稲葉先生の定義によれば資本主義社会にはリフレ派しかいなさそうですが)異論はないはずです。問題は、景気回復が雇用や生活の改善、つまり、単に失業率が下がって有効求人倍率が上がるだけではなく、労働分配率が上昇して賃金原資が増加し、就労している特に中低所得層の労働者の賃金水準が向上して、その一方で税収増による社会保障の現物給付の拡充により格差の是正が進み、必要原則による社会全体の消費性向が向上することによって、さらに企業業績が上向き、失業率が下がって…という好循環がもたらされるかどうかであって、それが金融政策だけで達成できるものではないということは、リフレ派と呼ばれる一部の方々も認めていたと記憶しています。

私はリフレーション政策によってもたらされた流動性を適切に分配するため、所得再分配政策を同時に行うべきであり、賃金水準の向上と働き方の改善のためには集団的労使関係の再構築が不可欠であると申し上げているところで、だからこそ拙ブログでは、リフレ派と呼ばれる一部の方々に対して、たとえば飯田先生の再分配政策に対して疑問を呈しています。その飯田先生が小倉弁護士に対してtweetされていますが、

小倉弁護士からの問いに対して、挙げられている政策が租税政策しかないのは貨幣経済を分析対象とするマクロ経済学ではやむを得ないのかもしれませんが、雇用や生活の改善を実現するための再分配政策としては不十分といわざるを得ないと考えます。飯田先生の「作為の契機論」の話でいえば、戦後粛々と進められた減税政策こそが作為の契機の不在であって、作為の契機が必要なのは再分配するための原資をいかに調達するかという増税政策ではないかと考えるのですが、経済学では死加重とか乗数効果とか持ち出されて否定されるんでしょうね。「格差は問題だ、貧困問題は深刻だと言うくらいで、所得分配のあり方が大きく動くほど、世の中は甘くない」という権丈先生の言葉が、改めて重く感じられます。

まあマクロ経済学がご専門の飯田先生がミクロ政策、特に再分配政策に言及されるのは、リフレ派と呼ばれる一部の方々の政策提言に対する評価の観点からも、控えられた方がいいのではないかと僭越ながら感じます。その他のリフレ派と呼ばれる一部の方々の提言されるミクロ政策に比べればまだましとはいえそうですが、リフレ派と呼ばれる一部の方々がそのレベルの政策提言しかできないなら、ミクロ政策に関しては下手なことをいわないのが得策ではないかと愚考する次第です。

ところが、リフレ派と呼ばれる一部の方々は上記の通り、リフレーション政策以外のミクロ政策に対する批判もすべて「反リフレ派」「デフレ派」としてバッシングしてきましたので、今更後に引けなくなってしまっているように見受けます。

ついでに書いておくと、「リフレ政策に関係のないものまでぜんぶしょわせる」なんてのも半ばこういう「運動」家の責任だろう。 その「運動」の中でなんやかんやと理由をつけて人々が不満に思う事、生活のつらさの具体的な事象を「全部日銀の間違った政策のせいだ」と扇動し続けてきたわけで、 当然その裏返しとして「やっと「正しい」金融政策が取られたんだからそれらは全て改善するんだよね?」となるのは致し方ない所である。 

まあ運動として考えれば日銀が目標としてきた「長期的な経済の安定」はもとより「経済の回復」や「物価の安定」が達成されるかどうか、つまりリフレ政策が成功するかどうか、すらどうでもよく、リフレが採用されるかどうかだけが重要だったというのは分からなくもない。現実には田中氏が「所詮、日銀か財務省のすじでの人が総裁になれば、アベノミクスが完全に終わるか、あるいはせいぜい中途半端なものに終わるだけ」と毛嫌いしていた黒田新総裁によって異次元緩和が発動され、リフレ「運動」はその目的を「完遂」したわけである。

リフレ「運動」についての雑感(2013-04-10)」(カンタンな答 - 難しい問題には常に簡単な、しかし間違った答が存在する

田中氏の言説が矛盾に満ちあふれているのは、「リフレ派」による政策上の見境のない敵味方認定の結末でしかないでしょうし、それ自体を今更批判しても詮無いことではありますが、abz2010さんの上記エントリで引用されているブログのこの言葉には(ブログ全体の趣旨に賛同するわけではないものの)全面的に賛同するところです。

こういう邪魔者どもがいるから、デフレ脱却の政策実現は遠かったんだろうな、ということが実感できましたわ。
だって、心底、信じたくなくなるもんね。
日銀じゃなくても、聞き入れたくなくなるわ。
このような連中が言う意見でなかったら、もっと早くに信じてもらえたかもしれない、ということです。

足を引っ張るのは止めてくれ、というのは、こっちのセリフなんだよ。
日銀の仕事を邪魔しないでくれ。迷惑だ。

「りふれは」田中秀臣の醜悪(2013年04月07日 18時34分52秒)」(いい国作ろう!「怒りのぶろぐ」



(念のため)
小倉弁護士の主張については、私も経済学的な議論をもう少し勉強してもいいだろうとは思います。というか、「労働組合や日本労働弁護団といった左派陣営が会社に対して無理筋なことばかり主張するので、それがかえって労働者自身をも苦しめている」と考えている立場ですので、そういう労働弁護団などの左派陣営の姿勢こそが、デフレや日本型雇用慣行の深化の一因だろうという批判にはおおむね同意します。しかし、だからといって左派陣営による「リフレ派」批判がすべて的外れというべきではないでしょう。マクロ政策でとんちんかんな批判であっても、「リフレ派」の専門外であるミクロな政策では重要な指摘であることは十分にあり得ることであって、その点でもリフレ派と呼ばれる一部の方々の姿勢には大きな問題があると考えます。
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2013年05月12日 (日) | Edit |
日付が変わりましたが、昨日で震災から26か月が経過しました。昨年12月ののエントリで「震災から時間が止まってしまっている感覚が強くあるため、「21か月」という方がしっくり」くるということを書いていて、先月は「2年と1か月」と書いたところですが、今回はまた26か月という書き方に戻しました。

24年度末、といってもつい1か月とちょっと前ですが、国の復興関連予算の関係で年度内に処理するため、被災しながら残っていた建物が一斉に解体されました。たしかに、まずがれきが撤去されなければかさ上げとかの新たなインフラ整備ができませんので、拙ブログでもこれまでがれきの撤去が最優先であることなどを指摘してきました。しかし、建物の基礎部分だけが残り、かつての町並みを思い起こさせるようなものが一切なくなった被災地に立つと、言葉にしようのない寂寥感にさいなまれます。現地にいるわけではない私ですらそう感じるということは、もともと被災した土地に家を建て、その土地の建物で仕事や買い物をし、家族や仲間と過ごした日常が消えてしまった方の喪失感を感じているはずです。

しばらく前のNHKスペシャルで

シリーズ東日本大震災 ふるさとの記憶をつなぐ2013年4月26日(金)午後10時00分~10時49分

東日本大震災から丸2年。復興事業が本格的に動き始めた被災地では町の風景は一変し、地元の人間ですら「かつてそこにどんな町があったのか思い出せない」という状況が生まれている。かつてその場所に暮らしてきた痕跡がことごとく失われ、時の移ろいと共に、その記憶までも容赦なく奪われていく中、その土地に暮らしていくことの意味や、そもそも自分が何者であるのか?自らのアイデンティティを見失い、立ちすくんでいる人たちは少なくない。
こうした中、被災地では、津波で失われる前のふるさとの風景の記憶をつないでいくための取り組みに注目が集まっている。人々にとっての大切な場所だった高田松原の7万本にのぼる松林の記憶をつなぎ止めておくために“奇跡の一本松”の保存を決めた岩手県陸前高田市。更に津波で失われた街並みを模型に復元し、その模型をキッカケに人々の心の奥底に埋もれた記憶を呼び覚まして、それを記録していこうという取り組みも、岩手・宮城・福島の3県で進められている。
復興への日々を歩む人々にとって、かつてのふるさとの風景の記憶や思い出がどれほどかけがえのないものなのか?津波で失われる前の被災地の映像でたどりながら、見つめていく。

NHKのサイトでは、その保存方法が物議を醸した「奇跡の一本松」の復元が紹介されていますが、番組では主に、被災した方々にとってその土地の「しるし」が大きな意味を持っていたこと、それが失われることが精神的なダメージをもたらしていることが取り上げられていました。被災地に行くと、まさに番組で取り上げられていたように自分がゆかりのある土地に花を植えている方々をよく目にします。もちろん、その土地はしばらくすればかさ上げされて土の下に埋もれてしまう場所です。それでも丁寧に土も盛って花を植えていく方々の姿を見ていると、見ているこちらの胸が締め付けられてしまうのですが、ご本人はもっと切ない思いで作業をされているのだと思います。

番組では、花を植えていた方に直接話を聞いて震災後の気持ちの変化をグラフに書いてもらっていたのですが、震災後に大きく落ち込んでからしばらくして回復し、それがこの年度末で震災直後よりもさらに大きく落ち込んでいる方が多くいらっしゃいました。インタビューに答えられていた女性の方は、「建物が建っているだけで懐かしい時間が残っていたが、すべての建物が解体されたことで一気に落ち込んだ」と話していたとおり、大きな悲劇があった土地で新たな生活の場を再建するというのは、単に公共事業で都市計画を作るのとは全く違う要素として、「悲劇が起きる前の生活の思い出」を考慮しなければならないのだろうと思います。

その「思い出」に配慮した一つの取り組みとして、番組では震災前の町並みを再現するミニチュア作りを取り上げていました。といっても、そんなミニチュア作りに復興予算が使われるはずもなく、その多くは被災地支援の活動をしている大学の研究チームによるものとのことです。震災で家も土地も写真も流されてしまった方にとっては、町並みのミニチュアを前にして思い出話に花を咲かせることで、過去と向き合いながら気持ちを落ち着かせるよすがとなっているのだろうと思います。そうした復興予算の使い方もあるという話になるのかと思いきや、朝日新聞がまた飛ばしたようですね。

復興予算1.2兆円、基金化し流用 被災地外にも(朝日新聞デジタル2013年5月9日3時34分)

 【座小田英史、古城博隆】東日本大震災の復興予算のうち約1・2兆円が公益法人や自治体が管理する「基金」に配られ、今も被災地以外で使われていることがわかった。全国で林道を約1900キロもつくるなど、約20基金が復興とあまり関係のない事業に使っている。政府は昨年、復興予算を被災地以外で使わないことにしたが、基金の使い道をチェックしていないため、抜け道になっている。

 政府は被災地の公共事業や雇用支援のため、2011~12年度に約17兆円の復興予算をつけた。しかし、沖縄県の国道整備や反捕鯨団体「シー・シェパード」の対策費などに使われていることがわかり、今年度からは原則として被災地以外では使えないことにした。

 ところが、朝日新聞の調べでは、約17兆円からいろいろな基金に配られた約2兆円のうち、約20基金に配られた約1・2兆円分が被災地以外でも使えるままになっている。

 農林水産省が所管する「森林整備加速化・林業再生基金」には復興予算から約1400億円がついた。「被災地の住宅再建などのために材木が必要になる」という理由だ。

いわゆる復興予算を被災地以外で使う理由については以前のエントリで書いたとおりですし、繰り返しになりますが、被災地以外で使ったからといってそれがすなわち「流用」に該当するかといえばそうではないでしょう。一年前も予算を使い切ってなかったとかいって批判していたのはどこの国のマスコミでしたかね。国から交付された予算を自治体が基金化するのは、単年度主義をとる通常の予算執行に縛られることなく、基金化して運用益を事業に充当しながら事業を実施するためです。予算が残ることがけしからんというなら、基金化することは、「年度ごとの交付の事務を効率化しながら運用益で財政負担を軽減している」とか褒めてもらってもよさそうな気もしますが、それをしないところがさすがのマスコミクオリティです。

まあ、わかる方にはわかる話なのであえて書くこともないのですが、一般財源を基金化した場合は、歳計外現金という形で金融機関に預けて、国債などで運用しながら運用益を基金に繰り入れ、決算時にその運用益と基金を一般財源として事業に充当します。つまり、基金を財源とする事業は一般財源として予算計上され、議会での議決を経て実施されていますので、財源を充当する際に基金から繰り戻しするという点以外は、予算の査定も執行も決算も通常の事業と変わりありません。当然、基金も国の支出する交付金が原資ですから、会計検査院の検査対象となります。ということで、上記の記事で「基金の使い道をチェックしていないため、抜け道になっている」と書いているのは全くの間違いです。こうした初歩的な勘違いを一面記事にしてしまう日本の新聞の度量の大きさには、改めて感服するほかありませんねえ。

それに比べれば、NHKのニュースは

使われない復興予算 1兆2600億円余りに(NHK NEWS Web 5月11日 17時45分)

震災と原発事故で大きな被害を受けた東北の3つの県と市町村では、昨年度使われないまま今年度に繰り越された復旧・復興関連事業の予算が合わせて1兆2600億円余りに上る、異例の事態となったことがNHKの取材で分かりました。
工事を請け負う業者や行政機関の人手不足が主な原因で、専門家は国の支援の強化が必要だと指摘しています。

と予算執行が進まない理由まで取り上げていて、問題の認識の点では妥当なものとなっていると思います。

というところで、最近少し仕事に余裕ができたのでテレビを見る時間がとれるようになって、パオロ・マッツァリーノさんがお勧めされていたアメリカのドラマを見てみました。

 もう一本、それと入れ違いのようにはじまったアメリカのドラマ『ニュースルーム』にも、毎週うならされてます。テレビ局のニュース番組制作現場を描くドラマなのですが、ケーブルテレビ局制作なのでスポンサーの顔色をうかがわなくていいのが強み
 ティーパーティー運動は初期には中流市民の不満を代弁していたが、いまや急進的右翼に乗っ取られてしまっただとか、それに大量の資金を出してるのが大金持ちの実業家コーク兄弟だとか、劇中で実名批判をバリバリやってしまうんです。

どろどろ・骨太・良心のドラマ、そしてホンモノの懐疑論者( 2013/04/28 18:05)」(反社会学講座ブログ
※ 強調は引用者による。


WOWOWの番組紹介はこちら。

<ストーリー>
全米TV界で日々生き馬の目を抜く競争に追われる、報道専門チャンネル“ACN(アトランティス・ケーブル・ニュース)”。その人気キャスター、ウィルはある大学のパネルディスカッションで非国民発言をしてしまったことが問題視される。そんな彼のニュース番組を新任のエグゼクティブプロデューサー、マッケンジーが引き継ぐが、彼女はウィルの元恋人だった。そんな彼らやスタッフのもとに世界中から届く最新ニュースは、メキシコ湾原油流出事故、日本の東日本大震災と原発の事故など。ニュースの裏にある真実をどう捉え、どう伝えるか。時に激しい議論も辞することなく、彼らは生放送を通じ、本物のニュース番組を生み出していく。

ニュースルーム」(WOWOW


いやまあ、まさに骨太のドラマで、ニュース番組自体はもちろんフィクションですが、取り上げられている事件は実際に起こった事件で、事件の当事者も実名です。

ネタバレしない程度にストーリーを紹介すると、主人公のニュースキャスターのウィルは、共和党員でありながらニュースでは中立を保っていたものの、討論会で女子大学生から受けた質問への回答で民主党と共和党をこき下ろして、さらに質問した女子大生まで「非国民」と罵ってしまいます。それまでの独善的な態度でスタッフの総スカンを食らい、上司にスタッフを入れ替えられてしまうのですが、そこで雇われた元恋人のプロデューサーとともに(いろいろありながら)「国民に真実を伝えるニュース番組を作る」と番組で宣言します。そこで「真実を伝えるニュース番組」の方針として掲げられる項目が、日本のマスコミに比べて(ドラマ的にはアメリカのマスコミに比べてでしょうけど)とんでもなく深いですね。

  1. 選挙で投票する時に必要な情報か?
  2. 議論の形としてこれが最良だろうか?
  3. 背景を紹介しているか?

この方針に対して、会社の上層部からは「もっとニュースになる項目を取り上げろ」とか「他局の速報に負けるな」という圧力がかかるのですが、主人公を始めスタッフは動じません。油田事故のトピックでも、当初は油田会社が事前に自己処理の準備をしていなかったことをニュースとして取り上げるのですが、その後油田を検査する役所の予算と人員が大幅に削減されていたことがわかると、その検査官にインタビューしてどれだけ手が足りていないかを証言させたりします。あくまでアメリカのニュース番組に対するアンチテーゼとしてのドラマとはいえ、日本のマスコミにもそのメッセージは十分通用しそうです。

2013年05月08日 (水) | Edit |
前回エントリで取り上げた今野本では、日本の労働環境の特殊性として主に集団的労使関係の機能不全を中心に説明されていましたが、hamachan先生風に言えばそのコロラリーとして新卒一括採用、年功序列、終身雇用等の日本型雇用慣行が形成されているわけで、以前読んでいた本を思い出しました。

すでに有名な大学ですが、2004年秋田県に開学した国際教養大学学長の中嶋嶺雄氏による『なぜ、国際教養大学で人材は育つのか』でして、

 大学とは本来、時代の変化にもっとも敏感に対応すべき場所です。
 かつで企業は「大学で勉強したことなんて役に立たない。必要な人材は、OJT(On the Job Training)で育てる」と考えていました。しかし、熾烈なグローバル競争を生き抜くためには、もはや、そんな悠長なことは言っていられなくなりました。「国際部門で活躍できる人材が、すぐにほしい」「英語で仕事ができる即戦力がほしい」と考え、いまや「大学は、外国語のできる教養ある人材を育成してほしい」と切望しています。
 国際教養大学の開学の理念と独自の教育プログラムは、まさにそうした時代の変化、ニーズに応えるものです。
p.22

なぜ、国際教養大学で人材は育つのか (祥伝社黄金文庫)なぜ、国際教養大学で人材は育つのか (祥伝社黄金文庫)
(2010/12/09)
中嶋 嶺雄

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武雄市図書館かと見まごうような表紙は、365日24時間開館している大学図書館だそうでして、今野本でいう「低福祉+低賃金+高命令」で黙々と仕事ができる人材をいかにも輩出できそうな大学ですねえ。いやまあ、大学時代に必死で勉強することも、英語で授業をして考える力をつけることもそれぞれ重要だとは思いますが、では、開学して10年も経たない大学の卒業生でなぜ大手企業の採用が多いかといえば、採用後の激務に耐えうる訓練を大学カリキュラムの中で積んでいると見なされているからでしょう。それは、決して大学の教育そのものが評価されているとは限らず、むしろ、上記のような日本型雇用慣行で採用される正社員としての耐性を評価されているといえるのではないかと。

これも以前読んでいた本ですが、たとえば(以前は)難関の就職先であった国家Ⅰ種試験を経てキャリア官僚となった宇佐見典也氏による『30歳キャリア官僚が最後にどうしても伝えたいこと』で、東大生が採用されやすい理由が列挙されていて、これは同時に東大クラスの難関大学の学生が大組織のメンバーと評価される要点としても読むことができます。

こういった能力を、法学や経済学分野の応用知識が中心に問われる公務員試験だけで確認することは難しいところがあります。他方で、僕の経験から考えると、東京大学の入学試験では次のような能力が試されます。

つまり、東大クラスの難関大学の学生は、入学時点でこれらの素養を身につけている可能性が高く、大学時代にそれほど熱心に勉強しなくても十分に大組織で通用すると見込まれているからこそ、東大卒であることが就職する際のブランドとして機能するわけです。国際教養大学でやっていることは、東大生が入学時点で身につけているであろうこれらの能力を入学後に徹底して鍛え上げると対外的にアピールすることで、東大クラスの卒業生と肩を並べて採用されるまでの実績を上げているというのが実態ではないかと思います

なお、話はそれますが、宇佐見氏のキャリア官僚についての説明はさすが中の人と思いますが、農水省に根回しなしに農商工連携とか言い出すあたりに経産省特有のお行儀の悪さが全開で、だから経産省不要論が絶えないんだろうなと思うところです。以前経産省が地方交付税の研究会を開催しているのを見てなんのこっちゃと思ったら、地方交付税の仕組みが企業活動に影響を与えるから経産省としても何かいわなければならないとか(いう趣旨が)書いてあって、つくづく総定員法の弊害を感じたものです。権丈先生のこちらもご参照あれ。
不磨の大典”総定員法”の弊」『週刊東洋経済』2010年10月16日号

閑話休題。まあ、大企業の採用担当者とすれば、幹部候補生として採用する東大クラスの学生とそれ以外の部署への配属を前提とする地方国立・MARCHクラスの学生をほどよくブレンドして、いかに「はずれ」を少なくするかが腕の見せ所でしょうから、国際教養大学の学生がフィットする領域はそれなりにありそうです。おそらく、「ゆとり世代」といわれる世代への対応として、大学入学時の能力だけでは大組織のメンバーとしての能力を不安視する採用担当者にすれば、大学入学後の「訓練」が徹底されている国際教養大学へのニーズが高くなっている面もあるかもしれません。

その国際教養大学でもキャリア教育が行われているそうで、

 何も就職させることだけが、キャリア教育の目的ではないのです。
 また国際教養大学のキャリア教育では、授業の一環として学生ひとりひとりに、「働くということについてどう考えているか」を個別にインタビューするキャリア・カウンセリングの時間を設けています。少人数教育だからこそできることで、こうしたきめ細かな対応は、他の大学ではまず無理でしょう。
 キャリア・カウンセリングで重視していることのひとつは、学生たちが英語力の先に何を見ているか、確かめることです。

中嶋『同』pp.174-174
※ 太字強調は原文(原文は傍点強調)

「就職させることだけが、キャリア教育の目的ではない」というのは、「英語力を活かした就職を真剣に考えろ」ということですねわかります。労働法教育とか一切関係ないあたりが日本型雇用慣行で高く評価される所以なのかもしれません。おもしろいのは、こうして日本型雇用慣行にマッチした人材を輩出していると外部から評価されているであろう大学の学長が、本書で一貫して「日本型雇用はもう終わった。これからはグローバル競争の時代だ」と繰り返しているところでして、日本型雇用慣行を考えるサンプルとして貴重な本だと思います。

2013年05月08日 (水) | Edit |
というわけで、処理しようとした積ん読の一部しか読めなかったわけですが、そのうちの労働関係の本の備忘録として手短に。

まずはPOSSEの今野晴貴代表による『日本の「労働」はなぜ違法がまかり通るのか?』ですが、本書の趣旨からすると「日本の「労働」はなぜ「違法」がまかり通るのか?」という方が適しているような気がします。タイトルからざっくりと本書の内容をまとめると、「労働」が特殊であることもさることながら、それに引きずられて「違法」が特殊な状態にあることが日本の労働環境の特殊性を物語っているということを、主に労働法の観点から丁寧に解説した本といえるのではないでしょうか。その中で、自治体職員による「労働カウンセラー」(労働相談を受ける担当者)についても記述があります。

 まず、都道府県の労働相談窓口だ。
 彼らの立場は、基本的には中立である。気軽に相談し、指導やあっせんを頼める点では間口が広い。ただし、行政職員は専門職として採用されているわけではないので、他のカウンセラーに比べると、どうしても専門性に乏しくなりがちだ。
 そのため、しばしば、明らかな賃金不払いやパワーハラスメントの事案でも「あきらめろ」「あたなにも悪いところがある」などといった。ひどい対応を目撃する。
(略)
 そんななか、逆にものすごく勉強している担当者もいて、社会正義の実現のために、あの手この手の手法を開発する人もいる(「裏ワザ」のため、ここでは詳しく書けないが……)。
 また、社会正義の実現のためならば、他の窓口である弁護士や労働組合などにつなぐ場合もある。
 ある担当者は、労働法の学者や弁護士が集まる研究会やシンポジウムにも盛んに出席していたほどである。最新の法改正や裁判の動向にも恐ろしく詳しく、ほとんど私生活もそうした研究活動と化しているような状態。これはもちろん「個人的」な努力である。
pp.98-99

日本の「労働」はなぜ違法がまかり通るのか? (星海社新書)日本の「労働」はなぜ違法がまかり通るのか? (星海社新書)
(2013/04/26)
今野 晴貴

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以前は東京都に都立労働研究所があったり、東京都労働委員会でも多数のあっせん事件や不当労働行為審査事件を処理しているので、東京都庁職員には研究者かと思うほどの知見をお持ちの方がたくさんいらっしゃいますね。都庁職員の方々がすべて個人的な努力といえるかは分かりませんが、それはともかくとして自治体職員に個人差が大きいのは指摘されているとおりです。個人的に、東京都には足下にも及ばない弱小自治体にいてそれなりに労働行政に関わる機会があったので、他の職員に比べるとそこそこ雇用・労働関係の知識があると周囲から認識されているようで、その私がよく言われたのが「労働って普通の地方自治体の仕事と関係ないからね」という言葉でした。雇用対策という事業はたくさんあるのですが、労働(昔は「労政」という言葉が使われていたようですが)という言葉は部署名に使われる程度で、事業名としてはほとんどないというのが実情です。まあ、商工振興とか雇用対策とかいえば予算が付いても、労働というとほとんど予算が付かないのが自治体の現状といえるでしょう。

でまあ、今野書ではカウンセラーの質を見極める指標として、「労使のどちらの側に立って紛争に加入するアクターであるか」「どの法律・制度について専門性を有しているか」「社会性」の3点を挙げ、上記のような事情を抱える役所のカウンセラーに対しても厳しいご指摘があります。

 さらに、どうしても仕事は「お役所仕事」のようになりがちだ。つまり、ただ「こなす」だけのルーティンになる。「官僚化」といってもよい。
 役所の労働相談などは、常にこうなりがちだし、他の窓口も例外ではない。
 「お役所仕事」になると、努力して社会正義時の実現のために当事者をエンパワーしたり、法律の本来の水準での解決策を模索しようという努力を一切しなくなる。
 「ビジネス化」と「官僚化」は、社会性に対する「敵」なのだ。
 社会性のないカウンセラーによる労働相談は、法律上の正義の実現を遠ざける。場合によっては、社会を悪くしてしまうことに寄与してしまいかねない(ただし、役所には「決められた手続きを守る」という正義があることにも、留意が必要である。適正な手続きの運用に情熱と魂をかけている「役人」がいることも、忘れてはならない)。
今野『同』pp.96-97
※ 太字強調は原文。

法律を専攻されている今野氏はご承知とは思いますが、念のため「適正な手続きの運用」というのは「法律による行政」という行政法の大原則に基づくもので、公務員はこれに「魂と情熱をかける」ことが求められる仕事であって、「決められた手続きを守る」という正義によりながら法律上の正義の実現を図るという難儀な仕事でもあります。それをもって「お役所仕事」というのは言い得て妙ではありますが、それを批判されたところでどうなるものでもないよなあというのが正直な感想です。まああくまで公務員の立場からの愚痴に過ぎませんが、POSSEに対して個人的に抱いている「市民活動大好きな学生運動」という印象はぬぐえませんね。

で、本書の第3章以降では、拙ブログでもさんざん繰り返している集団的労使関係の再構築について丁寧な説明が続くのですが、自分と同じような主張をしているのを端から見るというのはなかなかに複雑な心境になります。第3章以降のご指摘にはほぼ全面的に同意するところなのですが、自分で集団的労使関係の再構築とかいっておきながら、それにしても遠い道のりだなと思ってしまいます。

なお、拙ブログでは雑誌『POSSE』を取り上げる機会が多く、そのほかにもPOSSE関係の書籍を取り上げたりしているところですが、先日『POSSEvol.18』に寄稿されたやまもといちろうさんが冷静なエントリをアップされています。

 当初は革命の闘士で最前線で戦っていた人が、数十年の時を経て一部上場の社長になったりするこの時代ですし、過去のいきさつは良く理解したうえでしっかりと定点観測して誤った道を歩んでいないかヲチをしながら行く末を生暖かく見守るのも大人の芸風なんだろうなあと思います。もちろん、あんな新左翼崩れが文化人や知識人の評価を得て一般社会での言論活動を繰り広げて信頼を得ているように見える、それはけしからん、という気持ちは分かりますよ。とても良く分かる。でも、世間はそこまで馬鹿ではないし、みんなちゃんと知っています。
(略)
 とりあえず、ユニクロ社員に労働組合を作らせよう。

常見陽平なりすまし祭開催からの津田大介ネタ(2013.05.04)」(やまもといちろうBLOG

やまもといちろうさんが「新左翼崩れ」と指摘される方が、集団的労使関係の再構築という点で私と主張が一致しているというのはそれが妥当な政策だからなのでしょう。まあ左翼的な主張にはほとんど賛同できない者としては、それでも主張が同じ方向を向いているということは、リフレ派と呼ばれる一部の方々の呉越同舟よりは理にかなった普遍性があるのではないかと思うところです。やまもといちろうさんがブログの最後に置かれるコメントは強烈な皮肉となっていることが多いのですが、今回の「とりあえず、ユニクロ社員に労働組合を作らせよう」は大まじめなコメントではないかと推察します。

そういえば、先週はメーデーだったわけで、ナショナルセンターを中心に盛り上がったはずなのですが、

「暮らしの底上げを」連合メーデー中央大会< 2013年4月27日 16:44 >日テレNEWS24

 労働組合の連合は27日、労働者の祭典であるメーデー中央大会を開き、「暮らしの底上げが必要だ」とあらためて訴えた。

 東京・代々木公園で開かれたメーデー中央大会には、主催者側の発表で約4万人が参加した。

 連合・古賀会長「最低賃金の引き上げや、社会的セーフティーネットの整備などを早急に実現すべきです」

 あいさつに立った古賀会長は「今、政府がやるべきことは家計の所得を増やし、雇用不安を払しょくすることで、国民の暮らしの底上げをすることが必要だ」とあらためて強調した。

 連合総研が今月、働く人2000人を対象に行ったアンケートによると、賃金が1年前より増えた人は約23%だったのに対し、減った人は約27%いて、いわゆる「アベノミクス」による賃上げは限定的だとの結果が出ているという。


というニュースに対して、先日リフレ派を自認されるとある労働者の方が「賃上げできないのは連合とかの労働組合がふがいないからだ」という趣旨のtweetをしているのを拝見しました。まあ「連合」という固有名詞で称される組織に問題があることはその通りだと思いますが、労働基本権の制限を受けている公務員としては、労働組合の主体(となりうる労働者)は誰なのか一度胸に手を当てて考えることをお薦めする次第です。

2013年05月04日 (土) | Edit |
積ん読の処理という経済活動には全く貢献しないGWを過ごしているわけですが、それにつれて更新頻度も上がってしまいます。というわけで、すなふきんさんが

と推薦されていたので片岡『アベノミクスのゆくえ』を拝読しました。確かに本書では、「3×3のフレームワーク」により各政策分野に目配せをしてバランスのとれた議論を進めようという意図が感じられて、金融政策「のみ」を重視している「ように見える」リフレ派と呼ばれる一部の方々の著作よりもお薦めできると思います。しかし、そうしたバランス感覚に重きを置こうとする姿勢が、かえってリフレ派と呼ばれる一部の方々の議論のアンバランスさを浮き出させているように感じます。

そのバランス感覚については、たとえば「はじめに」で、

 しかし悲観論が現実化して困るのは、予言めいた口ぶりで悲観論を語るアジテーターではなく、日々の暮らしを営む我々国民です。とすれば、悲観論が現実化してしまう事態をなんとか打破する必要があるのではないでしょうか。悲観論を脱して、少しでも物事が好転する方法を積極的に考える必要がある。だから今こそ、特に経済政策を考えるときには、「これができるんだ」とポジティブに考え、特定の人々だけを豊かにするのではなく、日本全体をより豊かにするために何をすべきか、現在の流れを活かしながらよりより方向へと進めるためには何をすべきか、を考えていくことが必要なのです。
p.21

アベノミクスのゆくえ 現在・過去・未来の視点から考える (光文社新書)アベノミクスのゆくえ 現在・過去・未来の視点から考える (光文社新書)
(2013/04/17)
片岡 剛士

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※ 以下、強調は引用者による。

とされていて、強調した部分については全面的に賛同するところでして、安易な陰謀論に偏った悲観的な「亡国論」を堂々と披露される方々にも是非ご一読いただきたい文章ではあります。その上で、本書は岩田・飯田『経済政策ゼミナール』に従って「経済安定化政策」「成長政策」「所得再分配政策」を「3つの政策手段」と位置づけるわけですが、拙ブログで引用しているところからすれば、マスグレイブの財政政策3機能論を岩田・飯田流にアレンジしたものと思われます。

そのようなスタンスにたつ本書では、アベノミクスを「3つの政策手段から所得再分配政策を除いた、経済成長に力点を置いた政策」(p.183)としながら、「野党がアベノミクスに明確に反対すべきは、適切な所得再分配政策を行うという視点が欠けている」(p.333)と所得再分配政策については矛先を野党に向けてしまっています。うーむ、アベノミクスを論じるのであれば、野党に責任を押しつけるのではなく与党としての所得再分配政策そのものを論じる必要があると思うのですが。

上記のリンク先(「いままでやられたことのない政策」の分析)では、飯田先生から直接いただいたリプライに対して、さらに恥の上塗りをしているところですが、本書でもマイナンバーの導入で所得を捕捉して給付付き税額控除などの給付政策を行うことが提言されていて、頭を抱えてしまいます。マイナンバー制というのは、現状で捕捉できている納税者の情報を結合するものであって、それによって捕捉率が劇的に向上するというものではありません。そもそも、給付付き税額控除というのも所得再分配が目的ではなく、給付を受ける方の勤労意欲をそがないでアクティベーションを計るための政策と位置づけるべきものだろうと思います。一部のリフレ派と呼ばれる方々が好んで引用される「ティンバーゲンの定理」とか「マンデルの定理」によるのであれば、給付されているから所得再分配政策だというのが筋違いであり、所得再分配を現物給付するための供給側の処遇改善による安定供給が急務であることは上記のリンク先(「いままでやられたことのない政策」の分析)でも指摘させていただいております。

さらにいえば、「経済安定化政策」「成長政策」「所得再分配政策」というのは確かに経済的な分析には有用な機能分けかもしれませんが、実務上は同一の事業にそれぞれ不可分の要素として入り込んでいるのが現実です。ある事業について「これは成長政策ではあるが所得再分配政策ではない」とかいちいち腑分けできるものではありません。となると、ある事業が「成長を通じた所得再分配」となることがあり得るでしょうし、逆に「所得再分配を通じた成長」となることも十分にあり得る話だろうと考えます。というか、それが権丈先生から受け売りして拙ブログで飽きもせず指摘している再分配論でもあります。

まあ私のような門前の小僧がぐだぐだ書くより、権丈先生ご自身の解説をご高覧いただくのが吉かと思います。
社会保障と係わる経済学の系譜序説」『三田商学研究』2012年12月
社会保障と係わる経済学の系譜(1)」『三田商学研究』2013年2月
前者のp.73(pdfでは17ページ目)にあるこの記述が、リフレ派と呼ばれる一部の方々の再分配論が的を射ない理由を示しているのではないかと思います。

 図表4をみれば、ノードハウスとの共著になった第12版以降もなお、サムエルソンたちは、自分たちの経済学が近代主流派経済学の中にあると考えていたようである。そうした経済学説史観に基づいて、現代の経済理論、経済思想、それに強く依拠した形で展開される社会保障を論じることは難しい

社会保障と係わる経済学の系譜序説」『三田商学研究』2012年12月

リフレ派と呼ばれる一部の方々が上記のような筋違いの所得再分配政策を提言したり、「社会福祉とか社会保障って経済学の理論にうまく組み込めない」っていうのも当然なのかもしれません。

(付記)
ついでながら、片岡本では、1997年の消費税率引き上げの際に先行して減税が行われていることが述べられていて、この点でもいわゆるリフレ派による著作とは一線を画しています。しかし、その消費税引き上げの際に社会保障給付の増額が行われていたことは触れられていなかったり、そもそもの国民負担率の国際比較など財源論がほとんど考慮されていません。誰に再分配するかと同時に、再分配するための財源をどこからどのようにして調達するかこそが所得再分配政策の肝であって、その点でも本書のバランスがイマイチであることが目立つように思います。

2013年05月04日 (土) | Edit |
hamachan先生が時ならぬメディアジャックをされているのですが、そのうちのワールドビジネスサテライトで興味深い事例が紹介されています。

そのジョブ型正社員を取り入れている企業がある

東京・中央区
花王

ヒットした新商品のデザイン担当者による
会議が行われていました

社員に職歴を聞いてみました

社員1
「新卒で入社で21年間同じ部署」
「パッケージデザイナーとして働いている」


社員2
「6年前に新卒でパッケージデザイナーとして入社」
「ずっとこの道を極めて行きたい」


花王デザイン部門
新卒採用の時点で仕事内容を限定して採用

原則異動はなく
専門家としてキャリアを積む


花王 作成センター 多治見豊センター長
「一般職とは全く違った形で」
「(デザイン部門の)メンバーが採用係をやって」
「最終的な決定は私がする形」

ヒットに繋がったデザインの数々が
この職種別採用の専門集団によって生み出されました

花王
海外法人では
幅広い分野で職種別採用を行う

ただ日本では
職種別採用はデザインや技術など一部のみ

営業など多くの分野は職種別採用せず
入社後に異動もある


花王 人材開発部 松井明雄 部長
「労働市場の環境が日本と違う」
「全体の中で企業として同じ方向に進んでいく」

「完全な職種別採用でそれができないかというと」
「必ずしもそうではないが長期雇用で育てる過程においては」
「いろいろな部署を経験することが重要」

ワールドビジネスサテライト,5/2,ライジングジャパンゲストスペシャル、規制改革への提言,濱口桂一郎」(ワールドビジネスサテライト.Log

花王のような大企業であれば大きな組織の中に専門的な部署を設けることができるので、ジョブ型に近い採用が可能となるのでしょう。しかし、それもあくまで専門的な部署の中に限られるのであって、一般的な事務職とか営業職では、人材開発部の部長さんがおっしゃるとおり「いろいろな部署を経験することが重要」とされるようです。それこそがhamachan先生が常々指摘されているメンバーシップ型の採用を中心とする日本型雇用慣行でして、正社員と呼ばれる従業員はほとんどこのような形で雇用されているのが日本の特徴となるわけです。

ところが、日本型雇用慣行の典型と思われているであろう公務員では、部門が多岐にわたることもあって職務限定型の採用がそれなりにあります。たとえば、震災後の人材不足が深刻な状況となっている大槌町の平成24年度の募集職種は、

  1. 一般事務職   5名程度
  2. 一般事務職(廃棄物処理施設管理士) 1名程度
  3. 身体障害者を対象とした一般事務職  2名程度
  4. 土木      2名程度
  5. 建築      1名程度
  6. 管理栄養士   1名程度
  7. 主任介護支援専門員 1名程度
  8. 社会福祉士    2名程度

平成24年度 大槌町職員採用試験受験案内

となっており、募集予定15名のうち、職種が特定されない一般事務職は(身体障害者を対象とした一般事務職を除くと)3分の1の5名にとどまっています。これだけを見ると、公務員は日本型雇用慣行ではなくジョブ型の雇用慣行ではないかと思われるかもしれませんが、それぞれの分野でもそれなりに仕事の幅があるので、そう単純な話ではありません。たとえば同じ土木職でも、道路と河川と港湾では事業内容も求められるスキルも違うため、部署も分かれており、土木職で採用された職員はそれらの部署間を異動しながら昇進するパターンが多いですね。

さらに、専門技術職として採用された職員がある程度事務能力があると認められると、事務職に異動してそのまま事務職として昇進していくというパターンもあります。要は、職務限定で採用されたとしても実際に配属される職場がその職に限定されるということはないわけです。結局のところ、職務限定の公務員であっても日本型雇用慣行そのままに異動していくことになります。

役所にいると、専門的な技術職で採用された職員がまるで関係ない部署に異動したりすると、かえって「あの職員は上に見込まれたんだな」とかいう評判が立ったりするわけですが、民間ではそう簡単にはいきません。この辺の事情について、瑞宝重光章を受賞された菅野先生の『労働法 第九版』(最新の第十版は職場においたままです。。)から引用すると、

 裁判例による配転命令の規制をより具体的に見ると、労働契約の締結の際に、または展開のなかで、当該労働者の職種が限定されている場合は、この職種の変更は一方的命令によってはなしえない。医師、看護師、ボイラーマンなどの特殊の技術、技能、資格を有する者については職種の限定があるのが普通であろう。典型例として、アナウンサーの他職種への配転命令については、当該労働者が大学在学中よりアナウンサーとしての能力を磨いて難関のアナウンサー専門の試験に合格し、しかも20年近く一貫してアナウンス業務に従事してきたという事情から、職種が採用時の契約からアナウンサーに限定されていたと認められ、それ以外の職種への配転を拒否できるとされた。
(略)
 このように、職種限定の合意に消極的な裁判例の傾向は、労働者を多様な職種に従事させながら長期的に育成していく長期雇用システムを背景としている。しかし、近年には、職種・部門限定社員や契約社員のように、定年までの長期雇用を予定せずに職種や所属部門を限定して雇用される労働者も増えており、これらの労働者については、職種限定の合意が認められやすいことになろう。これら労働者を配転させるためには、本人の同意を得るか、就業規則上の合理的な配転条項を用意しておく必要がある。
pp.442-442

労働法 第9版 (法律学講座双書)労働法 第9版 (法律学講座双書)
(2010/04/15)
菅野 和夫

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というわけで、職種限定であっても配転するためには本人の同意や就業規則の規定が必要となります。まあ逆に言えば、本人の同意があれば配転は可能なわけで、結局は職務限定であっても日本型雇用慣行による配転は不可能ではないといえます。

で、上記で引用した大槌町で募集されている専門技術職の受験資格を見ると、有資格者や専門課程の修了者となっているようです。これは、学歴要件がないのでおそらく大学のみではなく高卒や専修学校・短大卒も含まれると思われますが、実業校(学科)や理系の大学・短大が就職に有利というのはこうした専門技術を要する職が一定数存在するということからもいえるのでしょう。

いやまあ、実業校で職業能力を身につけることが重要であることは言うまでもないのですが、これを採用する側から見るとそうもいってられません。一定数の職が存在するという売り手市場に参入する学生・生徒は、それほど真剣にスキルを身につけなくても職に就けるという幻想を抱いてしまう可能性があります。特に日本の教育システムでは、優秀な生徒は普通科に進み、そうではない生徒が実業校(学科)に進むという構図があるため、専門技術職として採用される職員の中には基礎的な能力に欠けている者がいることが少なくありません。結局は、採用した後のOJTや配転によって経験を積ませて、いっぱしの職員に育て上げることが必要になるわけで、この点でも役所は日本型雇用慣行そのままの雇用システムとなっているといえましょう。

というわけで、震災で被災した沿岸部が舞台となっている朝ドラ「あまちゃん」では、主人公のアキが普通科から潜水土木科へ編入することが決まったわけですが、編入を巡る大人たちのやりとりがこうした職業選択の考え方を反映していて、「よくある光景だなあ」などと思いながら楽しく見ております。で、そのアキを出迎えた潜水土木科の先生と生徒が歌った応援歌が「南部ダイバー」というそうです。

アツい詩を発見!
誰が何と言おうと、カップ(ヘルメットの事?)かぶれば魚の仲間入りなんです。
We are 南部ダイバー!!
洋野町・種高祭で南部もぐりデビュー☆(2012-10-15)」(ひろのだより

クドカンワールド全開の細かいネタの仕込み具合に毎朝唸らされていたので、皆川猿時が湊カヲルそのままに「もっと来い! もっと来いよ!」と合いの手を入れたり、これもグループ魂のネタかと思ってましたが、まさか実在の歌だっとは! あのアツさが実業校っぽい…というのは偏見かもしれませんが、アキの職業選択やこれから描かれる震災も含めて、久しぶりに見逃せない朝ドラです。