2013年04月28日 (日) | Edit |
前回エントリの繰り返しになりますが、「震災によって失われた社会的インフラや生活基盤が、元の形にはほど遠いとしてもそれなりに機能し始めて、それが「仮」のものであるにせよ、その上で生活が営まれ、その先に復旧・復興を考えるステージにやっと達した」という現状では、肌感覚として震災直後の状況が薄れつつあるのも事実です。という中で、改めて当時の状況を振り返る本を読み返しているところです。

拙ブログで言えば震災直後のエントリと同じような時期のものになりますが、共通点もありながらそれぞれの著者の視点から描かれています。その一つは映画化もされた『遺体』の石井光太氏による『津波の墓標』です。「序」から本書執筆の意図を引用すると、

『遺体』によって安置所で犠牲者の尊厳を保つべく奔走した人々の姿を書き終えた時、これで自分なりの役割を果たしたという気持ちがあった。だが、月日が経過して世間から震災の記憶が薄れて行くにつれ、私はあの本で書き記すことのできなかった人々や出来事を頻繁に思い出すようになった。さまざまな理由から筆を執ることができなかったことが今になって脳裏に蘇ってきて、書き残してくれ、と訴えているように思えたのだ。なぜ私はあの人たちのことを描かなかったのか、その疑問は次第に後悔や罪悪感となって私の胸を締めつけた。
(略)
 これから私が書く無数の物語は、一つひとつがまったく違う意味と重みを持つものになるだろう。私はそれらを無理に一つにまとめて意味づけをしてしまうより、ありのままに書き綴ることで複雑さと重さと生々しさをそのままつたえたいと思う。きっと読者がそれを通して得られる感情こそが震災の現実であり、私が長らくまとめられなかった理由でもあるはずだからだ。
pp.4-5

津波の墓標津波の墓標
(2013/01/25)
石井光太

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とのことで、本書は『読楽』という雑誌に2012年1月から11月まで連載された記事に大幅に加筆修正したものとのことですので、石井氏の思いは震災から1年を経過する前からあったのだろうと思います。

正直なところ、書店で本書を見かけたときは「『遺体』に味を占めて続編を書いたのか」と少し警戒しながら手に取ったのですが、上記の引用部の前で「釜石での遺体安置所での出来事のほかに、私は多くの震災体験を抱えており、むしろ割合としてはそちらの方が多かったのだ」とある通り、内容は福島から岩手の被災地の出来事がそれぞれ綴られていました。私自身が現地で見聞きしたことからしても、『遺体』よりも本書に書いてあることの方が被災地の現実をより生々しく伝えていると感じます。震災後数日には窃盗やガソリンの抜き取りが横行していたこと、地域のつながりが深いが故の避難所の中での葛藤やいざこざ、家族や家をなくした方々同士の対立、遺体が見つからない方への視線…、「被災地」という呼ばれる前には人口減少と過疎が進むありふれた土地で、震災を期にある意味ありふれた日常の問題が一気に噴出したというのが実態だったのではないでしょうか。

ノンフィクションライターである石井氏は、本書の中でマスコミの当事者の生々しい言葉も伝えています。

「石井さん、今のテレビの報道っておかしいと思いませんか。僕、自分がいる業界にかなり失望しているんです。津波のあった直後は、会社からもどんどん惨状をつたえろと指示を受けていましたし、僕もそれをすることでここで起きている現実を日本中に知らせたいと思っていました。けど、現実にはそんなことは一切できなかったんです」
「どういうこと? 局はちゃんと現実を報道するつもりだったんでしょ」
「その姿勢は三日ぐらいしかつづかなかったんですよ。突然、会社からの指示が変わって、『視聴者は悲惨な話にはうんざりしているから、日本全体を勇気づけるような話を持ってこい。たとえば避難所でペットを飼っている老人の話だとか、子どもが生まれたという話が求められているんだ』と言われたんです。目の前で被災者が生活に困っていたり、遺体にすがって泣いていたりしているのに、それを無視して無意味に明るいニュースばかりつくらなければならなくなったんです。目の前に現実と報道の間に溝が生まれ、瞬く間に広がっていく感じでした」
(略)
 だが、芸能やスポーツニュースならともかく、今回の震災のような場合でも同じ方法をとるべきなのだろうか。こういう時だからこそ、従来とは異なる方法でより被災者の現状をつたえる報道をする必要があるし、それが求められているのではないか。
 彼はつぶやいた。
「でも、今の会社の上司だってこのシステムの矛盾をわかっているんですよ。彼らだって若い時は今の俺と同じ立場だったから。けど、会社がそうやって動いている以上、今更変えることができないんです」
石井『同』pp.143-146

もしかすると、『遺体』がその凄惨な描写にもかかわらず多くの方の心を動かしたことについて、石井氏も歯がゆい思いをしていたのかもしれません。たしかに被災地では、被災された方々自身がそれぞれのできることの中で協力し合い、非常時を乗り切ったことは事実です。それを明るい話題としてマスコミが取り上げることは、被災された方々のみならず、日本全体が新たな一歩を踏み出すために一定の効果があったことは否定しません。しかしそれと同時に、決して美談として語られないようなことが起きていたのも事実です。それらに同時に対処しなければならないのが自治体や警察、自衛隊などの公的機関でして、むしろ「決して美談で語られないこと」の方が対処に労力を要します。私が本書の内容により現実味を感じるのは、私がそうした「美談で語られないこと」に労力を割いているコームインの立場だからともいえそうです。

そして、そうした現実は今もまだ続いています。もちろん、震災直後の非常事態はすでに過去のものとなっていますが、復旧すらままならないところもまだまだ残っているのが現地の状況であるにもかかわらず、マスコミでは「着実に復興が進んでいます」という明るい話題を振りまきつつ、その一方で「まだ復興が進まないのは政府や役所の対応が遅いから」という批判を繰り広げています。対応が進んでいない部分へのご批判はもちろんありうるでしょうが、被災地の役場などのコームインが昼夜を問わず残業しながら、なかなか進まない復興をなんとか進めようとしている事実が伝えられることはほとんどありません。しかし、そのコームインをやり玉に批判を繰り広げる方々が「会社がそうやって動いている以上、今更変えることができないんです」とかおっしゃるのでは、どの口がそれを言うかと思ってしまいます。前例踏襲とか旧態依然というのはマスコミの方々にこそ当てはまるのではないかと、皮肉の一つも言いたくなりますね。いやもちろん、マスコミの方々にもどうしようのない仕組みがあるのは重々承知していますが、役所を批判するならその点も考慮していただきたいものです。

もう一冊が、陸前高田市の正徳寺というお寺の親族である千葉望氏による『共に在りて』ですが、こちらは震災後に避難所となったお寺の日常が、住職である弟夫妻の活動を通じて綴られています。この住職の弟さんは、実は陸前高田市役所の職員でもあるのですが、本書の中ではあくまで住職として夫婦で避難所の運営に当たっている姿が描かれています。

 市の災害対策本部の下には、町ごとの本部が設けられた。小友町では我が家から三キロほど離れたところにある華藏寺の門前会館に本部がおかれ、たびたび会議が開かれた。正徳寺では避難所長は一応弟になっていたが、震災後三日たつと市役所に行ったきりになってしまったため、両替集落の会長を務める鈴木勇吾さんと義妹が代表として会議に参加するようになった。避難所にいる人たちの要望を取りまとめ、会議で議論し、市に提出する。ここで勇吾さんが心がけたのは、
「個人の要望はあと」
ということだった。個人の要望は際限なく出てくる。あれがほしい、こうしてほしい…。家財を一切流されたしまった人たちにしてみれば当然の要求でも、最初から個人の要求を主張していてはまとまりがつかない。まず地域全体として何がもっとも大切か考えるべきだと、勇吾さんは思っていた。とりあえずはライフラインの復旧が第一だった。
(略)
 東北は地域の絆がある、助け合う精神があるとたたえる声がわき上がる中、現実の被災地では、仲がよかったはずの人々が感情をぶつけ合い、争う姿があった。そのさまに傷つく人も多かった。東京にいる私には、ぎりぎりのところで生きる人たちが一枚の毛布を取り合う姿を責められなかった。三月の陸前高田は例年もまだ寒さが残っているが、震災の土地は強い寒波が襲っていたのだから。ただただ、自分の無力さが悲しかった。
 たとえ不満が積み重なっても、一定のルールを決めて厳守していくことで、避難所の平和が保たれる。正徳寺の避難所ではそれを徹底した。まとめ役の勇吾さんや義妹は不満を一身に受ける立場だから、いろいろな苦情や注文を受けてつらいことも多かったと思うが、それに耐えるしかなかった。
pp.93-95

共に在りて 陸前高田・正徳寺、避難所となった我が家の140日共に在りて 陸前高田・正徳寺、避難所となった我が家の140日
(2012/03/09)
千葉 望

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非常時にこそ一定のルールが必要であって、その秩序形成に役場職員が重要な役割を果たしていたことは、私も震災直に支援に行った避難所で目の当たりにしていました。本書で描かれる避難所はあくまで宗教施設としてのお寺が舞台となっていますが、市役所とのつながりがルール化されていたことも、避難所運営の鍵となっていたものと思われます。

なお、自治体の職員と住職を兼務している方は自治体では珍しくないと思います。以前隣の職場に住職をしている職員がいて何度か話す機会があったのですが、仕事を離れた部分ではその見識や人生観には唸らされるものがありました。おそらくそれは、住職としての経験や仏教の教えに裏打ちされたものだったのでしょうが、非常時にはそれがルールとして機能したのかもしれません。

実のところ、被災地では宗教団体が支援と称して勧誘活動を行っていたり、特定の宗派に偏った活動を行っていた事例もあります。しかし、被災地の多くの家では仏式の位牌を持ち、被災された方々は近隣のお寺にお墓を持つ檀家でもありました。そうした地域の事情を踏まえると、必ずしも「心のケア」だけでは足りないのではないかとの本書の指摘には頷くところが多いと感じます。

 今回は仏壇や位牌どころか、墓が津波に襲われてお骨が流されてしまったところも多かった。先日、テレビの番組で、家や墓地が流され、お骨もなくなってしまった高齢の女性が、生きる力を失ってお酒に頼るようになった姿が報じられていた。何もかもがむなしく感じられるという。この感覚は都市部の人に伝わるだろうか。ひとりきりで鍋に酒を注ぎ、温める女性の姿を見て、この人に必要なのは科学的知識を持ち訓練を積んだ心理カウンセラーではなく、仏教者だと痛感した。
千葉『同』pp.207-208

震災から2年以上が経過して、ともすると復興予算の使い方がどうのとか特区の成果がどうのとか華々しい政策に注目が集まりがちになっていますが、自戒を込めて、地域に暮らす方々にとって安心できる生活は何かという視点を忘れないようにしたいと思ったところです。
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2013年04月16日 (火) | Edit |
24年度末と25年度当初の業務の切り替えで忙殺されてしまい、この間に震災から2年と1か月が過ぎました。業務上はまだまだ震災対応の非常モードが続いているのですが、実感として2年が経ったと思うようになりました。あくまで被災した沿岸部に隣接する内陸部で生活している感覚ではありますが、震災によって失われた社会的インフラや生活基盤が、元の形にはほど遠いとしてもそれなりに機能し始めて、それが「仮」のものであるにせよ、その上で生活が営まれ、その先に復旧・復興を考えるステージにやっと達したように感じます。震災直後の混乱の中では、空想的な理想論で復興が語られたり、現実の手続きを無視した「スピード重視」の復興計画が立てられたりするのは、ある程度やむを得ないだろうとは思います。しかし、現実問題として空想的な理想論では使い物になりませんし、現実の手続きが進まなければ復興計画も進みません。そうした現実と向き合いながら、復旧・復興を進めていくための動きが出始めています。

時間かかる被災地の土地取得手続き簡素化へ 復興庁(04/09 16:37)テレ朝news

 復興庁は、大震災の被災地で集団移転などの復興事業を加速させるため、自治体が土地を取得する際の手続きを簡素化する方針を決めました。

 これまで被災地では、集団移転先に所有者不明の土地があるなど、用地取得に時間がかかり、復興作業の遅れの原因にもなっていました。これを受けて、復興庁は、住宅再建を加速化するため、通常の土地収用手続きでは数年かかる土地の取得を民法の財産管理人制度を適用し、数カ月で取得できるようにしました。この制度では、財産管理人が所有者や相続人が不明の場合に、当事者に代わって土地を売却できます。また、売却後であっても、土地の所有者が現れれば、管理人から土地の代金を受け取ることができます。復興庁は去年11月、岩手県釜石市の防潮堤建設事業をモデル事業に選定したところ、通常1、2年かかる事前の手続きが1カ月程度に短くなるなど、手続きが迅速化できたということです。

拙ブログでも用地取得が復旧・復興のネックとなり得ることを指摘してきたところでして、この時期に手続き面での対応がとられたことはやや遅いとは思いますが、これも、現実と向き合うために必要だった「生活」が落ち着いてきたから可能になったのではないかと思うところです。

なお、こちらもご連絡が遅くなってしまいましたが、ニッチモの『HR mics vol.15(直リンができないので、ニッチモWebサイトからどうぞ)』連載第3回目が無事掲載されました。毎度のことながら編集の荻野さんにお手数をおかけしながら、弁護士の方々の仕事ぶりについて「根本的な誤解」に書いたことをアップデートした内容となっております。他の豪華執筆陣の骨休めにでもご笑覧いただければ幸いです。