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2013年03月25日 (月) | Edit |
いつの間にやらアベノミクスといういい方が定着して、日銀では総裁・副総裁にリフレーション政策に親和的な方(副総裁は「親和的」どころかある意味「首謀者」ですが)が就任されたとのことで、リフレーション政策を緩やかに支持する立場の者として心から慶賀した…いと思ったんですが、伝え聞くところによるとしばらくは実質の賃下げに耐えなければならないんだそうですね。

目賃金は上がらないほうがよい
その理由はあまり理解されていない

――では、こうした金融政策をやれば、経済はどのような経路で上向くことが考えられますか。デフレから脱却して「名目成長率」が上がり、それがどう「実質成長率」の上昇に結び付いて行くのでしょうか。

物価が上がっても国民の賃金はすぐには上がりません。インフレ率と失業の相関関係を示すフィリップス曲線(インフレ率が上昇すると失業率が下がることを示す)を見てもわかる通り、名目賃金には硬直性があるため、期待インフレ率が上がると、実質賃金は一時的に下がり、そのため雇用が増えるのです。こうした経路を経て、緩やかな物価上昇の中で実質所得の増加へとつながっていくのです。

その意味では、雇用されている人々が、実質賃金の面では少しずつ我慢し、失業者を減らして、それが生産のパイを増やす。それが安定的な景気回復につながり、国民生活が全体的に豊かになるというのが、リフレ政策と言えます。
よく「名目賃金が上がらないとダメ」と言われますが、名目賃金はむしろ上がらないほうがいい。名目賃金が上がると企業収益が増えず、雇用が増えなくなるからです。それだとインフレ政策の意味がなくなってしまい、むしろこれ以上物価が上昇しないよう、止める必要が出て来る。こうしたことは、あまり理解されていないように思います。

浜田宏一・内閣官房参与 核心インタビュー 「アベノミクスがもたらす金融政策の大転換 インフレ目標と日銀法改正で日本経済を取り戻す(2013年1月20日)」6
※ 以下、強調は引用者による。

流動性を供給するためにリフレーション政策をとることを前提として、それを家計に行き渡らせる再分配政策を同時に行うべきということを繰り返し指摘している」者として、これまで緩やかにリフレーション政策を支持してきたつもりですが、壮大にハシゴを外されたような気がしますが気のせいですかそうですか。まあ、リフレ派と呼ばれる一部の方々については、これまでも「制度を知らずにリフレーション政策ばかりを主張し、結果として制度を歪めてしまうような論調があって、それが「リフレ派」特有の制度を知らない議論に由来する」という疑念を抱いていたところですので、特に驚くことでありませんが。

それにしても、既にあちこちでツッコミ尽くされているとは思いますが、「供給ではなく需要の不足が不況の原因だ」として「デフレギャップ」が日本のデフレの原因だとおっしゃっていた「リフレ派」と呼ばれる一部の方々は、浜田先生の「雇用されている人々が、実質賃金の面では少しずつ我慢し、失業者を減らして、それが生産のパイを増やす」という供給過剰を助長するような言説についてはいかがな評価をされているのでしょうね。

浜田先生が編集されたによる論集では、浜田先生の総括コメントとして、

ベースマネーが、マネーサプライに反映されないのは、個人の(預金に対する)現金選好と、銀行の(貸し出しに対する)準備選好とが増加したためである。そうして、後者の効果も最近は重要であるが、長期的に均してみると前者の効果の方が圧倒的に大きい。このことは、ゼロ金利、デフレ期待を通じた効果が、貸し出し行動とともに、あるいは貸し出し行動よりもまして重要であることを示している。
pp.321-322

バブルの継続を許したのは、国際協調という口実(そもそも変動制下では国際協調の必要もメリットも微々たるものである)による政府からの圧力があったことも否めないが、同時にフローの物価が安定していれば資産価格のことはそれほど意に介さなくてよいという安心感が働いていたように思われる。1989年からの引き締めが急すぎたことに関しては、日本銀行を責めるのは酷かもしれない。バブルを引き締めすぎてデフレーションを招いたのは、最近の金融史でも稀なことであったし、「平成の鬼平」と呼ばれた三重野総裁が快刀乱麻にバブルを退治したときには国民の喝采が集まっていた。そして、野口・岡田[2003]にも引用されているように、岩田規久男教授らによる93年から引き締めすぎの弊害を予告した意見は無視されてきた。
p.329

速水総裁時代の日本銀行と福井総裁時代での日本銀行は、具体的な金融政策手段の行使という点ではそう変わりがなかったと考えられる。むしろ量的緩和の程度自体を比較すると、速水総裁時代の後半の方が、福井総裁の1年より穏健であったとすらいえる。デフレもすぐには収まらなかった。しかし、公衆に向ける政策説明のアナウンス効果において、福井総裁は極めて巧みであった。デフレ期待を煽らないようにという配慮が、新総裁の発言の各所に見られる。財務省の円高防止のドル買いオペに、それを不胎化するような政策を採らなかったのも大きな功績である。たしかに、インフレ・ターゲットや、国債の大幅買い増しといった、望ましいと考えられる強い薬は使わなかった。伝統的でない例外的な政策手段として、銀行株式の買い上げ等採用された手段は、モラルハザードを招きやすい。しかし、強い薬はあまり使わずにも、アナウンス効果は顕著であった
 おかげで、日本経済はようやく回復に向かいつつあるかに見える。メイン・ディッシュらしきものをあまり出さずにオードブルだけ出しているようでも、シェフのうまい口上でデガスタション(一口料理)のように国民を満足させたというべきであろうか。したがって、日本においても、公衆の予想の役割が極めて高いのである。福井総裁の高パフォーマンス自体、インフレ・ターゲットのような予想に働きかける政策が仮に行われていたら、それが有効であったことを証明しているようにすら思えるのである。今後の課題として、今の緩和基調に対する国民、市場の信頼を損なわずに、将来景気が回復してきて金利を引き上げなくてはならぬとき、それで不利益をこうむる金融機関等の抵抗をどう御していか(ママ)という、相矛盾する課題が残っている。
pp.330-331

 日本経済の産業各部門の構造問題は日本経済のマクロ運営に対して重要であり、そのためには、政府が一番やるインセンティブの少ない規制緩和、規制撤廃が必要である。したがって第4の論点として、経済主体の過去の誤りから生じた遺産である不良債権など金融部門の構造を改革していくことも、もとより重要である。これらが、たしかに金融政策を聞かなくしている一つの原因となっている。しかし、これらの改革には抵抗もあり時間がかかる。
p.332

 銀行経営の健全化も必要だが、デフレ下では借入需要も湧いてきにくい。国民経済全体が超過供給の状態にあることが構造問題の解決を難しくしている。金融政策が効かないから、構造を改善せよという論者は、デフレが一般物価の下落という、貨幣の通貨価値が上昇しているという基本的事実に目をつぶっている。(略)構造問題は重要だが、それを金融政策の工夫の不足や不首尾を言い逃れるための「いけにえの山羊」としてはならない。
p.334

論争 日本の経済危機―長期停滞の真因を解明する論争 日本の経済危機―長期停滞の真因を解明する
(2004/05)
浜田 宏一、 他

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というようなことが縷々綴られているのですが、実質賃金を下げることってのは「個人の(預金に対する)現金選好」を強めたりしないのだろうかとか、ははあ「変動制下では国際協調の必要もメリットも微々たるもの」とかいうから、ドラめもんさんが、

まあ何だ、こちらだと『「為替水準発言、ルール違反だと怒られた」』(上記URLより、以下同様)と言われているのにもめげずに堂々と『「通貨安戦争などという概念に問題」、「通貨安競争は変動制下ではむしろ望ましい」』と相変わらず飛ばす上に、「1ドル=98円とか100円というのがいいのではないか」』と具体的水準の言及キタコレという所で、なんかもう凄まじくお洒落なのですが、ここまでくるとマジデスカという感じですな。
本日のドラめもん(2013/03/15)

呆れるお洒落と賞賛されるようなことを平気で言ってしまうのだなあとか、量的緩和とかの水準そのものよりもアナウンス効果が重要だとおっしゃるなら白川前総裁をdisるよりその言動を褒め称えてアナウンス効果をサポートしてあげればよかったのにとか、構造問題に帰着させるような論者を腐しているかと思いきや「政府が一番やるインセンティブの少ない規制緩和、規制撤廃が必要」という効率的市場仮説バリバリの清算主義を披瀝されていたりと、改めて現在の文脈で読み返してみると、残業続きで寝不足の頭のクラクラが止まりません。

で結局浜田先生は、不況下で流動性制約の厳しい家計に対して金融政策による流動性を供給する経路としてどのようなものを想定しているのでしょうか。まあ普通は賃上げとかが想定されるでしょうし、社会全体の消費性向を向上させることで金の回りを良くするためには、賃金所得のみならず社会保障制度による所得の再分配も重要だろうと思うのですが、浜田先生のおっしゃることが企業の借入と金融機関の貸し出しがインフレ期待の中で高まればオールオッケー的な楽観論にしか読めないのは私の精進が足りないからなのでしょう。

その賃金水準についても、アベノミクスとか改めて言うまでもなく、政府が経済界に要請するといういつもの常套手段が行われていて、こちらも成果が表れているとかで話題になっています。でもまあ、ベアでもなく一時金のみの増額が行われたところで、将来の収入増が見込まれるわけでもなく、結局実質賃金は低下したままであればインフレ期待など誰特でしかありませんし、それで結局我慢を強いられるのであれば、「痛みに耐えて」とか「構造改革なくして景気回復なし」とか叫んでいた某元総理とどこが違うのかよく分かりませんが、それが理解できないのも私の精進(以下略)。

さらには、拙ブログでも参考にさせていただいているスティグリッツ教授が来日して「アベノミクスを評価」とか言われているようですが、インタビューを見ると浜田先生とは真逆に近いことを言っているような気がします。

TPP「日米国民のためにならぬ可能性」 米大教授(2013年03月22日23時10分 朝日新聞デジタル)

 ――日本は、どんな規制改革が必要ですか。

 「単なる規制緩和ならば、米国でバブルを引き起こし、金融危機につながり、世界で最もひどい格差を生み出したのでまねすべきでない。正しい規制がなければ世の中はうまく機能しない。ただ、日本には新卒一括採用などの窮屈な慣行がいくつも残っている。ダイナミックな経済にするために他のやり方を探るべきだ」

(略)

  ――政府・日銀の掲げる2%の物価上昇目標は、日本経済の成長にどの程度有効でしょうか。

 「(物価が下がり続ける)デフレは個人と国の実質的な債務を重くするので問題だ。デフレのペースは緩慢だが、長期にわたると影響が蓄積する。2%という目標は、わずかなインフレ率の上昇であり、実現は十分可能だ。すでに賃上げに踏み切った企業もあり、経済の回復に貢献するだろう

 「経済成長の課題に挑んでいこうとするとき、一方で格差が拡大しかねないという問題がある。安倍政権の掲げる『3本の矢』のうち、財政支出は所得の低い人たちのために多く使われるべきだ。低所得者は持っているお金の大半を消費するので、経済を刺激する効果がより大きい

まあ、スティグリッツ教授が日本型雇用慣行についてどこまで理解されているかはおいておくとして、「正しい規制がなければ世の中はうまく機能しない」というスティグリッツ教授が、賃上げとか低所得者向けの財政支出を重視している点はもっと注目されるべきだと思います。

ただし、そのスティグリッツ教授の主張についても、ケインズ研究の大家であるスキデルスキー教授が、リーマンショックの危機に対する評価でその限界を指摘しています。

 しかし新ケインズ経済学者も、危機を説明しようとして苦労している。新ケインズ派も前述のように合理的予想理論を受け入れているが、それでも市場が失敗しうるとの結論を導きだせている。完全な情報という「想定を緩める」方法で、この常識的な見方に到達している。新ケインズ派のジョセフ・スティグリッツはこう論じている。「金融市場の混乱は・・・情報の不完全性がいかに重要かを示している。・・・その結果は明らかだ。金融システムは資本の効率的な配分とリスクの管理という機能、果たすとみられていた機能を果たせなくなった」
(略)
 新ケインズ派のモデルは今回の危機であらわれた事実にかなりよく一致しているように思える。たとえば、銀行が融資を行った相手には、返済がまったくできない借り手が入っていたといった事実である。そのモデルの欠陥は、ローンの借り手や保険の買い手など、誰かが完全な情報をもっていると想定していたことだ。ところが今回の危機では、不確実性という問題があり、導く側も導かれる側も将来を理解できていなかったことが明らかになった。
(略)
ドナルド・ラムズフェルドの忘れがたい言葉を使うなら、「未知の未知」こそが躓きになるのである。誰かひとりが完全な情報をもっていれば、経済全体が危機に陥ることはない。だが、完全な知識をもっているのは神だけであり、神が株式市場で投資を行うことはない
pp.82-83

なにがケインズを復活させたのか?なにがケインズを復活させたのか?
(2010/01/21)
ロバート・スキデルスキー

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世の中がインフレ期待に完全な知識を持っていればいいのですが、果たしてそうなんでしょうかねえ。
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2013年03月17日 (日) | Edit |
前回のエントリで放映前に取り上げた番組の録画を見てみました。

NHKスペシャル 東日本大震災「故郷を取り戻すために~3年目への課題~」
2013年3月11日(月)午後10時00分~10時58分


気のせいでしょうか、番組ホームページで「①想定外の人口の流失や企業誘致失敗によって生まれようとしている膨大な「事業空白地帯」」と紹介されていた点が放送されていませんでした。もしかすると、前回エントリで書いたような「単純に「具体的な土地の利用が決まらないために企業誘致が進まない」ということ」を取り上げようとしたものの、結局「②被災者同士による「住民合意」の膠着状態」の点に集約されてしまったのかもしれません。というかそれが実態ですし、震災直後からくり返しているとおり、土地の利用についての合意形成というものほど難しいものはないという現実からすれば、実務上は想定されていた事態といえるでしょう。

前半で取り上げられていた名取市の事例は、このエントリで最後に取り上げた番組を再編集したものでした。そのエントリでも書いたとおりですが、「有識者の方(名前は確認できませんでした)が「住民の合意は必ずできる」とかコメント」されたことが空々しく聞こえる深刻な対立があります。番組には増田寛也元総務大臣(というより、前岩手県知事として呼ばれたんでしょうけれど)が出演していて、相変わらず実務をガン無視した理想論をぶって分かったようなことをいっていましたな。この元「カイカク派知事」は、番組の最後で「構想をはっきりと示す」とか「場合によっては柔軟に対応する」とか「スピード感を持って取り組むことが大事」とか「被災者のニーズが変わっているから、それを丁寧に拾い上げることが大事」とか「国民全員で役割を引き受ける」とか、だから具体的に何をどうしたらいいんですかねえということを一切言わずに番組を締めていまして、さすがのカイカク派クオリティでした。こういう空疎な理想論がどれだけ現場を疲弊させているのか、カイカク派な方々にはご理解いただけないようです。番組の後半では、公務員不足の犠牲者となった方も取り上げられていましたが、この元「カイカク派知事」がおっしゃることは何一つ意味がないということをまざまざと実感させられました。

でもって、カイカク派のクオリティを引き継いだ政治家の皆さんが震災後に取った行動は、「とにかくスピード第一だから予算には糸目をつけない」というような威勢のいい言葉でもって、被災地で実行できる体制もないような事業に予算をてんこ盛りに盛ることでした。で、当然被災地では想定されたとおりに事業が進まない状況が生じているわけでして、しかもそこに「新しい公共」とか「住民参加」とかのマジックワードが振りかけられると、「「「新しい公共」があれば公共的な事業を効果的に実施できる」という考え方が力をもてば持つほど、その「新しい公共」が依って立つ「新しくない=古い公共」がどんどん崩壊していくという悪循環」に陥っているわけですが、相変わらず政権党の方々は、

・将来の国家像を見据え、計画性を持って地方公務員等を含む公務員総人件費を国・地方合わせて2兆円削減します。
「自民党政権公約(第46回衆議院議員選挙(平成24年度))」(pdfファイルです)

と宣言されています。それでいて、同じその政権公約の冒頭では「まず、復興。ふるさとを、取り戻す。」とかどっかの番組のタイトルになりそうな言葉がデカデカと載っていて、まあ結局実務屋にそのケツを拭かせることしか考えていない様子がひしひしと伝わってきますね。

そのケツを拭かなければならない現場にいる者としては、最近のやまもといちろうさんのエントリが笑えない内容でした。

 まあ、注文が殺到してロジスティクスが追いつかず配送が遅れるということは、この手のビジネスでは必ずあることでしょうから、致し方のない部分はあるのかもしれません。しかし、そういう大人の配慮や考え方はとりあえず脇に置いておいて、まずは楽天のだらしないビジネスで苦情が殺到しているさまを健やかに笑っておこうというのがネット社会()的なあり方なのではないでしょうか。

(略)

 楽天もスピードを旨とする組織ですから、問題が起きてからの対策もきっと速いに違いない、ぜひ頑張って欲しい、できれば遠くのほうで、と心から思う次第でありますし、一連の騒動が終わったら一度頼んでみようかな、と思います。はい。

楽天マートが凄いことになっている件で(2013.03.16)」(やまもといちろうBlog
※ 以下、強調は引用者による。

まあもちろん、ネット上のビジネスなので健やかに笑っておくのがネット社会的()なのだろうと思いますが、ここで留意していただきたいのは、おそらくやまもといちろうさんが笑う対象としているのは、そのクレーム処理に追われるコールセンターの従業員や深夜まで配達を強いられている現場の配達員ではなく、そういう体制も整えないまま事業を実施した経営陣であるだろうということです。もしかすると事業実施に至る過程で、こういう事態も想定されていたのかもしれませんが、「スピードを旨とする組織」として稚拙な意思決定が行われた可能性も考えられます。

実は、以前もやまもといちろうさんのブログで同じような案件が取り上げられていまして、ちょっと長くなりますが引用させていただきます。

 ところが、先日共通の知人で彼の仕事を手伝っている大学の後輩(男)が、ある作品のゲーム化が炎上したというので相談にきた。最初は「よくそんな大物IPを確保できたもんだ。さすがだな」と思ったが、内容を確認して精査するうちに、こっちが青くなった。締め切りはもうすぐなのに、品質が低いどころかモノが動かないのだ。普通なら「素材はあるけどプログラムが遅れていて動かない」とか「仕様が膨らみすぎて、バサバサ切り落として対応しなければならないがそのノウハウがない」などといった相談なのだが、この場合は違った。みんなが知ってる有力版権のタイトル絵だけがあって、後ろには何もない。もはや「バンドメンバー募集。当方ボーカル」という状態である。

 これはさすがに対応しようもないので断っても、なかなか帰らない。というか、帰れないのだという。社長がポジティブすぎて「やればできるんだから、全力でやれ」としか言わないからなのだそうだ。確かに意志の力は偉大だが、物理的にできないことを可能にする意志というのはマジックポイントといって魔法使いの領域である。どちらかというと、我々の職業は盗賊であって、物事を上手く運ばせることには関心があっても両手両足で実現できないことは専門外なのだ。

 ずっと喫茶店に座っているわけにもいかないので、あれこれと事情を聴いているうちに後輩(男)が泣き出した。それはもう、おいおいと泣くのである。ちょっと待って欲しい。周囲の目が厳しすぎるのは、男同士冷めたコーヒーカップ挟んで別れ話をしているようにしか見えないからだろう。まあ、こっちとしても小銭置いて店を出るわけにもいかず、あれこれ諭して再会を約束して別れるほかないわけだが、そのまま電車にでも飛び込まれるのではないかと心配になった。彼も妻子がいるのに。

 ポジティブでリーダーシップがある人でも、このあたりのバランス感覚というのは大事だと思う。能力のないポジティブ、計画のないリーダーシップは、それって単純に無謀なブラック企業に簡単になってしまうだろう。後輩が言っていたのは、会社が急に膨張して、となりの部門が何をしている会社なのだか分からない、誰が援軍になってくれるかも知らない状態だという。そして、自分の部門は単純なゲーム一個まともにリリースできないので、宙ぶらりんで困っているとの話。それって経営や部下のケアといった、小さな問題じゃないような気もする。

 さすがに見かねて、経営者に電話を入れ「お前の会社どうなってだ」と訊いたら、その問いの直後に夢中な声で新規事業への進出を検討している話をし始めた。確かにこりゃあ炎上もするのだろう。積極的に事業を展開したいという野望も分かるが、物事には立ち止まって考えて適切なペースで展開していくというさじ加減があると思うんだけど、どうなんだろうねえ。

 その意味では、昨今のイット系のブラック傾向というのは、この辺の前向き経営者が無理な仕事を部下に押し付けて収拾がつかなくなるけど経営者本人に問題処理の能力が備わっていないで、指示が「全力で立ち向かえ」的な内容で終わってしまうからなんじゃないかと改めて思った。言われてみれば、コンペなどであからさまに赤字の金額で数字を入れてきて、受注してたけどやっぱりその予算では制作できなくて炎上して、コンペで落ちたはずの弊社に泣きついてくるケースはとても多いのである。

ポジティブ経営者の状況認識(2013.02.20)」(やまもといちろうBlog

やまもといちろうさんがここで「ポジティブ経営者」について書かれている部分を「カイカク病に罹患した素人崇拝の人」とか「「まず、政権交代」という政治家」とか「復興予算の流用ガーという人」と読み替えてみるのも一興かもしれません。被災地の現場がこうした方々の掲げる復興予算とか復興計画によってどんな状況に追い込まれているのか、このやまもといちろうさんのエントリから想像していただければと思うのですが、まあこうした方々は想像できないからこそ、これからもそういうことを叫び続けるのでしょうねえ。

2013年03月11日 (月) | Edit |
震災から2年が経過しました。この一週間ほどはテレビでもいろいろな特番が組まれていたり、被災地からの中継も数多くあったようです。「あったようです」というのは、仕事が山積みでほとんどテレビを見るヒマがないので、新聞のテレビ欄で見たり職場で会った方々から「こんなことやっていたよ」と教えてもらう状態だからです。で、今日も仕事から帰って番組表を見てみると、NHKでこんな番組があるようです。

NHKスペシャル 東日本大震災「故郷を取り戻すために~3年目への課題~」
2013年3月11日(月)午後10時00分~10時58分

東日本大震災の発生から2年。この間、津波で甚大な被害を受けた東北の沿岸各地では、がれきの撤去が一段落し、町ごとの「復興基本計画」が出そろった。現在、この基本計画に沿って、住民の高台移転と沿岸部の再整備が急ピッチで進められようとしている。ところが、莫大な国費も投じて動き出した各地の復興事業が、いくつもの壁にぶつかり暗礁に乗り上げている。番組はその現実を、①想定外の人口の流失や企業誘致失敗によって生まれようとしている膨大な「事業空白地帯」、②被災者同士による「住民合意」の膠着状態、③膨大な復興業務による「自治体職員の疲弊」という三つの視点から浮き彫りにし、課題解決の道筋を探していく。

①の「企業誘致失敗」というのが具体的にどのようなことを指すのか分かりませんが、震災前のエントリで「労働法規を遵守することは企業の競争力が下がることにつながりますので、「地域主権改革によって地域間競争を促進してムダを排除する」というスローガンの裏側では、そのような労働条件の切り下げが行われる可能性が高い」と書いたとおり、企業誘致して雇用が創出されたところで、労働環境が改善されることはほとんどありません。

実際、沿岸の被災地では水産加工業での人手不足が問題となっているのですが、地元企業では賃金アップなどの待遇改善を図るところもあるものの、誘致企業では「震災前は最低賃金でも人手が確保できたのに、震災後は建設業や緊急雇用で相場より高い賃金の仕事が増えてしまって、最低賃金では応募がなくなった」と公然と言ってのけるところもあります。結局、誘致企業にとって最低賃金の低い被災地の労働者というのは、「ほかに仕事がないから最低賃金まで買い叩ける」労働者でしかなく、それを超える待遇を求めようものなら、「そんなカネは払えない」といわれてしまうのが実情です。NHKスペシャルで取り上げる「企業誘致失敗」はおそらく、単純に「具体的な土地の利用が決まらないために企業誘致が進まない」ということではないかと思いますが、では実際に企業誘致することが「成功」といえるのかは微妙なところです。

②の「被災者同士による「住民合意」の膠着状態」という点については、震災から2週間の時点で「権利関係もまっさらにできるとお考えなのかもしれませんが、それは非現実的です。権利をそのままにして建物を復旧するよりも、移転させて住居を提供するという補償のほうが高くつく可能性もある」書いたとおりですが、住民それぞれの権利がべったり張り付いた土地の利用について、そう簡単に合意形成できるはずがありません。建前論はともかく、現実の事業として実行するためには、「「悲しくない行き違い」の所在をお互いの立場の中で相互に探り合い、できるだけ少ない遺恨を残しながら進めるしかないのではないかと考えるところです。この国では、その間に入って悪役に仕立て上げられながらその遺恨を背負い込むのも行政の大事な仕事ですし」という割り切りが必要と考えます。

で、その遺恨を背負い込む行政の職員については、拙ブログで散々繰り返しているとおり公務員不足が足かせになっていて、まさに「③膨大な復興業務による「自治体職員の疲弊」」という状態です。「いままでラクしてたんだからいいざまだ」という公務員嫌いな方にも少し考えていただければと思うのですが、自治体職員をいくら疲弊させたところで、被災地の復興は進むどころか停滞するばかりです。政治改革に翻弄された公務員を悪玉に仕立て上げるような番組とか、自治体職員の仕事の現場を疲弊させるような番組を作ってきたNHKが、どの口でそれを言うかというところもありますが、どんな「課題解決の道筋を探していく」内容になっているのか録画してみようとは思います。

こうして、節目に「あの日を忘れない」という特番が組まれること自体の意義は否定しませんが、実務屋の端くれとしては「人は忘れるもの」という視点から山口先生が指摘されていることが重要だと思います。

これこそ、今まさに起きつつある「忘れる」の現場だ。いつか起きるかもしれない大災害への備えと、日々の暮らしが天秤にかけられ、そして後者をとった人々に共感が示された。「忘れる」をもたらすのは、人々の身勝手でも政府の怠慢でもなく、このような、それぞれに汲むべきところのある意見や利害の衝突だ「正義の敵は悪ではなくまた別の正義」などとよくいうが、それと少し似ている。

上記のニュースの例で、衝突を回避する方法はないではない。行政がいったん再建された店舗や住宅の所有者に対して充分な補償をし、移転先での生活再建にも万全の対策をとることで、問題の多くの部分は解決できる。報道の方々はおそらくそう主張したいのだろう。しかしここには、そのコストを負担するのは最終的には国民だという視点が抜けている

1つの事例に対応すれば、他の事例でも同じ基準を適用しなければならない。行政が計画をまとめるまで自らの生活再建を犠牲にして待った人々とのバランスはどうなるのか。東日本大震災での被害の規模からいって、また今後発生するであろう大災害を考えればなおさら、単に政府が金を出せばいい、ですむ話ではない。いわゆる「ディープ・ポケット」がディープなのは、それが私たち全員の財布に直結しているからだ。必要なコストを負担するのはいいとして、それが野放図に拡大してもいいと思う人はいないだろう。これらもまた「汲むべき意見」だ。

個別事例について判断を下すことが目的ではないから、一般論に戻る。「忘れる」ことがいいとか悪いとかいっているわけではない。「忘れる」こと自体は私たち人間が生来持っている性質なのであって、それ自体に善悪はない。「忘れる」ことで、人間は貴重な教訓を生かせないこともあれば、よりバランスのとれた考えに至ることもある。考えるべきなのは「忘れる」を前提とすること、言い換えれば、「忘れる」という人間の性質をいかに生かすかということと、忘れると実害のあることについては制度化するなど忘れてもいいしくみを作ることだ。

「よりよく忘れる」ということ(March 10, 2013)」(H-Yamaguchi.net
※ 強調は引用者による。

自治体職員が疲弊しているのは、こうした「それぞれに汲むべきところのある意見や利害の衝突」の現場です。職員自体が少ない自治体にいくら予算をつけたところで(補償額が青天井ならともかく)、職員が直面する利害調整の現場が劇的に改善するわけではありません。「被災地の復興が進まない」という表層的なものいいではなく、お互いが我こそは正義だといいながら主張される利害を調整することで何とか制度が機能しているという実務の現実を、被災地の現実から共通認識として共有する必要があるのではないかと思います。忘れてはならないのは、そうした実務が現実を動かしているという事実ではないかと思うところです。

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