2012年08月06日 (月) | Edit |
なんとなく私のHNが書かれていたので読んでみたのですが、始まりの部分で

『りふれは』として出してくる人がすごく限定的。『不当表示~』の方に到っては実質的に片手の指で足りる程しかいない。だったら「○○派」とか言わずに、その個人に対して批判をすれば事足りるはずなのに、そうはしない。

つまりは学問としてのリフレは支持してますよ、とかの物言いは単なる建前で、実際にはそれを含めたリフレ(おそらく実際はそちらこそを)貶めたいというのが本心であろう。

姑息な建前を語る彼らに、まともな議論をするのに必要な誠実さは期待できない。

■『りふれは』とか『扇動のための不当表示としての「リフレ派」 』とか言う人って(2012-07-16)」(はてな匿名ダイアリー

ときて、hamachan先生の「マシナリさんのぼやき続編」と「人にとんちんかんで筋違いなレッテルを貼って批判したつもりになっていると・・・」というエントリにリンクして、

もう完全に確信犯なんだな。どうしようもない、こういう芸風なのだろう。こんな人にシンパ持たれているマシナリさんなどが可哀想だ。

とご同情いただいたようです。

リフレーション政策を支持する方々は、リフレーション政策そのものに対する批判に真摯に応えることも必要ですが、リフレーション政策によってもたらされた流動性をリフレーション政策以外の政策よって適切に再分配しないような主張へも批判しなければならないと個人的には考えます。という私自身、リフレーション政策を緩やかに支持する者として、hamachan先生はリフレーション政策そのものは批判していないと考えていますし、リフレーション政策以外で適切でない再分配政策を主張しているのでもないと考えていますので、私自身はhamachan先生にシンパを持っていただいていることに何の違和感も感じないんですけど何か?

むしろ、リフレーション政策を緩やかに支持する立場の私から見て、リフレーション政策以外の政策で適切ではない政策を主張していると見受けられる方はたくさんいますので、そのような主張をする方については、リフレ派であろうと何だろうと批判しなければならないと考えております。ところが、リフレーション政策を緩やかに支持していると明言しているにもかかわらず、一部のリフレ派と呼ばれる方を批判したことをもって、やれ「反リフレ派」だとか「デフレ派」と口を極めて罵られるのが現状ですね。

でまあ、飯田先生曰く「世にリフレ派と呼ばれる人の共通点は「安定的なインフレによる景況の維持が必要だ」のみで,ミクロ的な経済政策については人それぞれ」(リンク先のコメント欄参照)であるからこそ、その「人それぞれ」のミクロ的な経済政策について批判しているつもりなのですが、なにやらミクロ的な経済政策についても「リフレ派」にはコンセンサスがあるようでして、「現物給付よりも現金給付の方が効率的」、「デフレ下で増税なんてけしからん! まずは減税すべき」、「小さな政府とか大きな政府なんて議論は意味がない。政府の活動を極力縮小して、再分配した個人の所得の範囲内で市場原理を働かせて効率化を進めればよい」という辺りがリフレーション政策とセットとして主張されることが多いと感じています。

リフレーション政策を緩やかに支持する者とすれば、上記のとおり、たとえば政府支出を通じた社会保障の現物給付の不要論やそれを供給する人員の削減、公務員人件費の削減、職業訓練などの積極的労働市場政策の不要論といった「ミクロの経済政策」については、流動性の供給を通じた適切な再分配を阻害する政策として個別に批判できると考えています。ところが、「リフレ派」と呼ばれる方の多くはそうは思っていなさそうでして、これが「リフレ派」と呼ばれる方々の「ミクロの経済政策」についての理解に根深い影響を与えているのではないかと思います。

というのも、一部のリフレ派と呼ばれる方の執拗な政府(霞が関)・日銀批判というのは、そもそも「ミクロの経済政策」が個別に実施される実務についての無知・無理解がその前提になっていて、だからこそ「リフレ派」と呼ばれる方々が支持する「ミクロの経済政策」が政府の関与を最小化するものへと偏ってしまうのでしょう。実をいえば、この点については以前も指摘したことがありまして、

実はこの「制度を知る必要がない」という点で、「リフレ派」を自任する方々の議論に大きな特徴があるように思います。リフレーション政策による金融政策というのは、日銀の政策についての純粋な経済理論による批判が可能な分野に限定されているため、制度に対する理解が必ずしも要求されません。bewaadさんの日銀法改正についての指摘に象徴的ですが、経済理論に基づいてリフレーション政策を主張することはある程度経済学に素養があれば可能としても、それを現実の立法府の中で実現するためには、少なくとも立法の制度を知る必要があります。この段階で「一部のリフレ派」が馬脚を現したのは、その意味で当然の結果だったのだろうと思います。

2011/01/25(火) 00:36:03 | URL | マシナリ #-[ 編集]
素人の浅薄な正義感(2010年12月26日 (日))」コメント欄

リフレーション政策といった金融政策については、ある程度制度を無視しても純粋な理論上の議論が可能かもしれませんが、ゴリゴリの利害調整を経て市場の失敗や政府の失敗に頑健な制度を作って初めて機能するような「ミクロの経済政策」については、その需要側のみならず、それを供給する側についても財源を含めて考慮しなければなりませんし、それらを規定する制度の策定過程や執行の実務についても議論しなければなりません。そうした「各論」の制度や実務についての議論を置き去りにしてしまっては、いくらマクロの政策を語ったところで合成の誤謬など「ミクロの経済政策」に起因する問題を適切に議論することができなくなります。

確かに、制度上の整合性や執行にまつわる実務上の手続なんて当事者でなければ知るよしもないというのが一般の方々の率直な感想だとは思いますが、そんな方でも、ご自身の職業や生活上で関係のある役所の手続については精通している方も多いはずです。問題は、それができない分野の制度については、自分が理解が足りないことを棚に上げて陰謀論に逃げ込むのが人というものであることです。私も一時は日銀悪玉論に荷担していましたので、ここは自戒を込めて書いておりますが、一部のリフレ派と呼ばれる方が「ミクロの経済政策」では増税忌避とか安易な財政縮小とかの市場原理主義的な政策を主張するのも、このような理由によるものと思われます。

というわけで、「リフレ派」とか「反リフレ派」とかはいくら対立しても現実の政策とかにはあまり関係はなくて、むしろ制度をいかに設計するかという過程についての無理解こそが、「リフレ派」と呼ばれる方々の「ミクロな経済政策」の理解に影響を与えていそうです。つまり、リフレーション政策についての議論では制度についての無理解がある程度許容されるために、その無理解を前提にして、リフレ派は「ミクロな経済政策については人それぞれ」といいながら、増税や公務員人件費などの特定の「ミクロな経済政策」には攻撃的になり、陰謀論を唱える傾向を持つ原因となっているのではないかと思うところです。

この点については、tonmanaanglerさんも指摘されていますね。

リフレ派の陰謀論体質が批判されていることは結構知られているところであるにもかかわらず、このようにナチュラルにプチ陰謀論が出てくるところが何とも。本人にその自覚はないんでしょうけどね。こうして自らリフレ派に陰謀論者が多いことを証明なさっている。

■息を吐くように陰謀論を唱える(2012-07-26)」(国家鮟鱇

今日も一部のリフレ派と呼ばれる方々は制度を知ることもなく陰謀論を唱え続けるのでしょうか。。
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