2012年08月31日 (金) | Edit |
前回エントリでも繰り返したことですが、拙ブログでは所属する組織や職業、さらに人格を標的とした批判は慎まなければならないと考えております。これは、ブログというネット空間だけのことではなく、現実の問題としても、そうした批判は「批判のための批判」にしかならず、ときには深刻な問題につながる可能性もある危険なものと考えるからです。

その一つの例として、すでにマンマークさんが取り上げられているとおり、被災地で復旧・復興支援に当たっていた公務員が自殺するという事態が発生しています。

「陸前高田市の応援職員自殺 盛岡市が派遣、遺書残す」(2012/08/24 11:37)

東日本大震災の津波で大きな被害に遭った岩手県陸前高田市に派遣された盛岡市の男性職員(35)が7月下旬、「希望して被災地に行ったが、役に立てず申し訳ない」という内容の遺書を書いて自殺していたことが24日、陸前高田市への取材で分かった。
 男性は今年4月、盛岡市道路管理課から陸前高田市水産課に技師として任期1年で派遣され、漁港復旧などの業務に当たっていた。
 7月22日に、同県遠野市内の路上に止めた自家用車内で首をつっているのを発見され、父親宛ての遺書が見つかった。県警は自殺とみている。
 岩手県の担当者が6月、全派遣職員と面談した際に男性とも話したが、変わった様子はなかったという。県は男性の自殺を受け、派遣を受ける県内の市町村に対して、職員の心身のケアを徹底するよう通知した。
 陸前高田市総務課は「すべての応援職員と、早急に所属長や専門家との面談を実施して、メンタルヘルスをチェックしたい」としている。
 県によると、1日現在、全国の自治体から県内の被災市町村に派遣されている職員は241人。派遣先は庁舎が被災した陸前高田市と大槌町がそれぞれ55人と最も多い。盛岡市からは県内最多の15人が派遣されている。

 (共同通信)
※ 以下、強調は引用者による。

業務は違いますが、ともに公的セクターで被災地支援に当たる者として、亡くなった職員の方に心から哀悼の意を表します。

・・・正直にいえば、私自身、震災後の被災地の状況やそれに対応するための業務の錯綜のため、心が折れそうになったことは何度もあります。あるいは、もうすでにある意味でのメンタルは崩壊しかかっているのかもしれません。もちろん、直接被災した地域ではない内陸部に住んでいて、自分を含む家族が直接の被害を受けていませんので、直接被害に遭われた方々に比べれば恵まれています。しかし、従来の通常業務に加えて被災地支援の業務を一部担当している中で、自分なりに手を尽くしても目に見えて被災地の復興が進むわけでもなく、したがって支援している方々に直接感謝されることも(たまにはありますが)ほとんどありません。むしろ、例年に比べて数倍に膨れあがったサー○ス残業を強いられながら、「役所なんかろくなこともしないでムダなことばかりしやがって」とか「くだらない決まり事ばかり気にして柔軟な対応もできない役立たずめ」という批判に日常的に晒されていれば、通常の精神状態でいられなくなるのもやむを得ないものと諦めております。

特に最近は、一年前に一部広がり始めていたような「23兆~25兆円もの復興資金がつぎ込まれるのなら、もはや被災者は弱者でもなんでもない。あれこそ究極のモンスターだ!」という意識が、着実に日本全体に広がっていると感じます。最近の例では、震災後、復興のシンボルとしてもてはやされてきた陸前高田市の「奇跡の一本松」の今後の処理方法をめぐるネット空間の反応が典型的です。

1 名前: ボブキャット(埼玉県):2012/08/30(木) 19:30:07.64 ID:WwrCJbAoP
来月12日に切断へ 奇跡の一本松、保存処理
東日本大震災の大津波に耐えた岩手県陸前高田市の「奇跡の一本松」が来月12日に切り倒され、保存に向けた防腐処理に入ることが29日、市関係者への取材で分かった。

当日はセレモニーも開く予定で、震災2年を迎える来年3月11日までに元の場所に立て直すとしている。

市によると、高さ約27メートルの一本松を根元から切断して、幹を5分割。芯をくりぬき、防腐処理を施す。その後、金属の心棒を通して立ち姿のまま保存する。

保存費用は約1億5千万円。市はホームページや交流サイト「フェイスブック」で募金を呼び掛けている。
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/120829/dst12082919330010-n1.htm

痛いニュース(ノ∀`) : 大震災の大津波に耐えた「奇跡の一本松」が切断されサイボーグ化 保存費用1億5千万円 - ライブドアブログ

引用は新聞記事を引用した部分だけにしましたが、このスレタイに寄せられたコメントの圧倒的多数をご覧いただけば、被災地に対する一般的な方々の認識や、それに基づいて地元の役所や公務員に寄せられる批判がどんなものか想像がつくのではないかと思います。ネット空間だから過激な言葉遣いをしているだけと思われる方もいるかもしれませんが、拙ブログの一部のコメントをご覧いただければおわかりの通り、相手が公務員とわかれば容赦ない罵声を浴びせても許されるというのが、この国がここ10数年で築き上げた作法でもあります。

元記事の内容を補足しておくと、「奇跡の一本松」は流されなかったものの浸水による塩害のためにすでに枯れた状態にあり、このままでは倒壊のおそれがあることからいったん切り倒すことを決定し、同時に1億5千万円が用意できればそれを経費に充てて元の形に復元しようという方針を決め、そのために募金を呼びかけるということなのですが、元記事では「すでに枯れていること」「倒壊のおそれがあること」「これから募金を集めて必要経費を賄うこと」などの点が曖昧になっているため、「サイボーグ化」などというミスリードなスレタイがつけられてしまいました。さらに、コメント欄では、こうしたミスリードな論調が積み重なって、税金やすでに募金したお金の使い道や必要とされる経費の額に対する批判、それを公表した役所・公務員に対する批判にあふれ、全体的には東北地方全体を「汚染区域」とか「土民」と蔑んで、「もう支援なんか必要ない。ボランティアはもっと怒れ!」という流れになっています。

しかし、たとえば、復元に要する経費の額についていえば、間近に実物を見ればわかりますが、「奇跡の一本松」は高さ27メートルで幹の直径が1メートルを超える巨木(その大きさはこちらの写真で確認できます)でして、その復元に要する経費として1億5千万円が妥当かどうかは私もよくわからないものの、補強に用いる原材料に加えてそれだけの規模の建造物を構築しながら復元する技術料や人手を考えれば、150万円では到底足りないだろうとは思います。しかし、「1億5千万円で役人と土建屋が大儲けするのはけしからん!」とか「150万円もあればできるだろ」というコメントも多数あるのが実態です。

端的に言えば、報道機関による不適当な報道でこうした誤解や思い込みが広がっていくのですが、我々が普段接する批判というのは、こうした誤解や誤報に基づくものがほとんどでして、結局報道機関のミスのつけは公務員に回ってくることになります。公務員というのは、そうした誤解や誤報に基づく批判を正面から受けなければならない一方で、その誤解や誤報を指摘すれば「言い訳がましい」とさらに批判を強められてしまう立場ですので、基本的には平身低頭して不快・不満な思いをさせてしまったことをお詫び申し上げるしかありません。これで通常の精神状態を保つというのは、少なくとも私にとっては至難の業です。

この点については、非国民通信さんが的確に指摘されています。

自衛隊とは違って決して感謝されることもなければ賞賛されることもない、そのような日々の連続に「役に立てず申し訳ない」と感じてしまう人もいるのではないでしょうか。実際は役に立っているのかも知れませんが、公務員が住民のために尽くすのは当たり前と、世間の扱いはそんなものです。このような事態が続けば、自己肯定感を失って追い詰められてゆく人は必然的に増えていくことでしょう。

 実は社会に必要な役割であったとしても、それが世間に認められているかと言えば全くそのようなことはありません。例えば薄給で名高い介護職などどうでしょう。ブラック率の高い飲食の世界も、時間当たりに直せばアルバイト以下の給与で働いている人も多いです。そうでなくとも非正規雇用を都合良く使い捨てることで人件費を抑えている、それでコストを下げては廉価なサービスを提供している会社が今や当たり前になりました。諸々の低賃金労働の存在によって、今の日本社会は成り立っています。しかるに彼らが感謝の対象になることなどあり得ないのが実態です。労働者の低賃金なくして成り立たないような経営でありながら、その経営を成り立たせてくれる人々には甚だ冷たい、それが我々の社会の「普通」です。世間の賞賛や感謝を集めるのはほんの一握りの人々だけ、自分は役に立っていないと気に病む人が減ることはなさそうです。

役に立っていると実感するのは難しい(2012-08-28 23:04:32)」(非国民通信

こうした我々の社会の「普通」の中では、不適切な報道やそれに基づき誤解を振りまいていく方々に手をつけることはできません。結局地元自治体として執りうる手段は、冒頭で引用した記事にあるように「男性の自殺を受け、派遣を受ける県内の市町村に対して、職員の心身のケアを徹底するよう通知」する程度です。不思議なことに、普段は「抜本的解決が必要だ」などと息巻いている方々の多くは、そうした公務員の心身のケアが必要となってしまうような状況の根本的な原因となっている誤解や誤報を「抜本的」に解決しようとすることありません。むしろそうした誤解に振り回された多数派を「民意」として、それは尊重されるべきという論調が多いように思います。しかし、こういう負のスパイラルはイタチごっこにしかなりませんし、それに対応するために要する時間、心身の疲労こそをムダの源泉として、その削減に取り組まなければならないものだと思います。

敵を強大に描いておけば、持論が実現しない場合であっても「その敵が強大な力を有していて、あらゆる手段を使って陰謀を張り巡らしているから、俺は正しいことをいっているのに実現されないのだ」と言いつのることで、永遠に言い逃れをすることができます。「公務員は絶対的な権力を持ち、絶対に折れない精神力を持ち、絶対に利得を確保する頭脳を持ち、絶対にそれを知られないようにする陰謀を張り巡らしている」というあり得ない虚像を描いて、「相手が絶対に倒れない」という安心感から無秩序な批判を繰り広げるのが我々の社会の「普通」であるならば、その虚像に祭り上げられた生身の人間は心身を病んでしまいます。それもまた我々の社会の「普通」なのかもしれません。

(追記)
佐々木俊尚氏のTweet、hamachan先生のブログをはじめ多方面でご紹介いただき、本エントリが多くの方にご覧いただいたようです。お礼申し上げます。

本エントリは、被災地支援に当たっていた公務員の自殺という事件を取り上げようと考えていたところに、「奇跡の一本松」の保存方法に対する「痛いニュース」の反応を見て、それがあまりに誤解や偏見に囚われていると感じて急遽両者をつなげて書いたものでしたので、読み返してみると書き始めから最後のパラグラフまでの論旨が散漫になっております。本エントリで述べたかったことは、「とにかく公務員を批判するな」ということではありませんし、むしろ役所の事業について深刻な利害を有する関係者からの利害表明は、それが誤解に基づくものであっても必要と考えております(この点はhahnela03さんのコメントへのリプライにも書きましたのでご覧ください)。

また、「奇跡の一本松」の保存方法については、個人的にはいったん切り倒して復元することが望ましいのかどうかは分かりません。「痛いニュース」のコメントにもありましたが、保存技術が無い時代であれば、切り株を残して神社を建立するという手段が採られたかもしれませんし、可能性だけでいえばモニュメントを残すということも選択肢となり得るでしょう。しかし、高田松原の7万本の松が防潮林として陸前高田市の名所となっていたこと、その防潮林をなぎ倒した巨大な津波が発生したこと、その中で27メートルもの巨木が1本だけ残ったことは地元住民にとって忘れられない記憶だと思いますし、間近に見たときの「奇跡の一本松」の大きさは津波の威力を物語るに余りあります。保存方法についての判断がどのレベルで行われたものかは分かりませんが、個人的には地元の方々が残したいと思う気持ちも理解できます。「痛いニュース」のコメント欄には地元の方もいらっしゃいますし、必ずしも地元の意見が一致しているわけではないとしても、それをネット空間で遠くから批判する空気にやりきれないものを感じたので、本文のような書き方となりました。ご覧いただく際にはこの点をご留意いただきたいと思います。

もう一点、マスコミが役所を批判することそのものを批判するものではなく、利害の調整が不十分で実態として不公平が生じているというような「やりくり」についての批判は必要と考えております。本エントリで取り上げた「奇跡の一本松」についての報道はそうしたものではなく、単に事実が正確に伝わっていないものとは思いますが、難しいのは簡略化された報道が安易な公務員批判のネタになってしまうことです。私も簡略化された報道のみをもって安易な批判をしないよう自戒したいと思います。
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2012年08月28日 (火) | Edit |
積ん読が貯まりまくっているところで小ネタで恐縮ですが、HNを変えて投稿される方から「原理主義的に公務員人件費を減らすな(or増やせ)というのは筆者の立ち位置から生ずる私利私欲にすぎないから学問的に全く価値はない」とのコメントをいただいておりまして、HALTANさんが引用されている「とある方」のtweetを思い出しました。

2年前のエントリの引用の孫引きばかりで恐縮なのですが、

2010-08-21■[アホ文化人を退場させられない理由]リフレ派(ネットリフレ派)の「トッププライオリティ」とは?

「あ、たぶん彼の所属している組織を仕分け対象にすべきである、と僕らの仲間の一部が主張しているからね。露骨なものだ。」
「そこに加えて彼ら個人の利害(特に後者は長年の私怨もからんでいるようですが)が、彼らをネットという場を利用した露骨な景気対策批判につなげているのでしょう。やれやれ」
「公務員は公益を実現することに配慮するのだが、これではまるで公益を人質(いいわけ)にして、自分たちの縄張りの利害を最優先してます(だからデフレ脱却にトッププライオリティはない)といってるのと同じだわ。なんということかなあ。ため息」
「まあ、率直にいって、いまさら右派と左派とかよく本人もわかってないような対立軸持ち出して、ある特定の経済政策を主張する人を批判する場合は、1)その主張する人が感情的に嫌、2)別な私的利益を守りたい のいずれかでほぼ間違いないと思う。そうでなければ、ただの古臭い思想ボケ」
「あなたはそういうのよりもつまんない枝葉末節の公務員の「利害」が大事なわけねw」


、、、なんだ、まだアンタ、(ネット)リフレ派なんかやってるの?(ば~か)(2012-08-18)」(見ざる聞かざる言わざる。

利害関係者の発言に対する忌避感と公務員に対する敵意では、拙ブログにコメントいただいている方に勝るとも劣らない勢いtweetの数々に圧倒されます。

拙ブログでは、そうした所属する組織や職業、さらに人格を標的とした批判は慎んでいるつもりでして、3年ほど前にも「求めるべきは政策至上主義」などというエントリの中で、「その主張の個々の論点については是々非々で判断するべきであって、人格やその行為などで判断するのはフェアではない」と書いているところですので、こうした批判をしてしまわないよう改めて自戒しなければと思う次第です。

そうした思いを持つ者としては、6年前の「とある方」のこの言葉には激しく同意いたします。

さらに再三念のためにいうが、ある学説の主張とその主張者の人格や帰属先とを関連づけるような批判は批判ですらないのはここで何度も強調しておきたい。

■[経済] フランク・ナイトは本当にミルトン・フリードマンを破門したのか?(2006-11-22)」(Economics Lovers Live Z

実をいえば、拙ブログでも「ナイトのフリードマン・スティグラー破門事件」は何度か取り上げていたところですので、これからは慎重に取り扱うことにしたいと思います。

なお、「上記の二つの引用のコメント主は同じじゃないか」というツッコミは、「人格と帰属先とを関連づけるような批判」ではないのでアリだと思います。

2012年08月20日 (月) | Edit |
「人災」という言葉には以前から違和感を感じていたのですが、以前の自己レスで取り上げた林『大災害の経済学』の冒頭で、国連から委託を受けて災害データベースを運営している「災害疫学研究所」(CRED)の災害の定義がありまして、

このCREDが採用している災害の定義は、「甚大な被害と、破壊と、人間の苦難をもたらす状況あるいは事象で、予測されておらず、しばしば突然襲ってきて、地域社会の対応能力を上回り、全国的又は国際的支援が必要とされるようなもの」となっている。
 具体的にはCREDが災害データベースに収録する事象の基準は、次のうちいずれか一つの条件を満たすものだ。

  • 報告された死者が10人以上
  • 報告された被災者が100人以上
  • 緊急事態が宣言された
  • 国際的支援が要請された
 この定義では、災害の原因を問うていないことに注意しておこう。どのような原因によるにせよ、被害の程度が大きく、被災地域だけでは対処できないような事象はすべて「災害」としてデータベースに採録される。
 CREDは災害を大きく二つのカテゴリーに分けている。一つは「自然災害」、もう一つは「技術的災害」とCREDが呼んでいる大事故等である。2011年3・11以降の福島県の原子力発電所事故は、発災時に直接の死者こそ出さなかったものの、避難者が12万人を超える可能性もあるため、技術的災害に分類されることになる。
pp.33-35

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ということだそうで、災害の原因を問うのではなく、被害の程度によって災害かどうかを判断するのが国連のデータベースの考え方となっているようです。

で、たまたまWikipediaで「災害」を検索してみたら、

概要 [編集]


「災害」という用語は多くの場合、自然現象に起因する自然災害(天災)を指すが、人為的な原因による事故(人災)も災害に含むことがある。一般的には人災のうち、被害や社会的影響が大きく、救助や復旧に際して通常の事故よりも大きな困難が伴うような事態を災害と呼ぶが、「事故」と「災害」の使い分けは明確ではない部分がある。また、場面によっても定義が異なる。
「人災」はもともと「天災」に対して作られた言葉であるが、多くの自然災害においては、被害の直接的な原因が自然現象であっても、人為的な要因によって被害が大きく左右されることが多い。このため、災害の被害を軽減する方法が安全工学として研究されている。
1993年に採択された「ウィーン宣言及び行動計画」の第1部、第23節においては、難民の支援についての記述に続いて、自然災害と人的災害について言及し、国際連合憲章と国際人道法の原則に従って、被災者に人道支援を行うことの重要性を強調している。

(中略)

事故・人災の例 [編集]
  • 戦争(戦災)
  • テロ
  • 暴動
  • 犯罪被害(強奪、放火、暴力など)
  • 日常における不慮の事故(交通事故、列車事故、飛行機事故、海難事故、水難事故、遭難、製品欠陥に伴う製品事故、食品事故、医療事故)
  • 爆発、毒物拡散、大気汚染、水質汚染、土壌汚染、騒音、振動、悪臭、地盤沈下
  • 社会的被害(報道被害、風評被害、取り付け騒ぎ)

「災害」(Wikipedia)

という記載がありました。地震とか台風とか洪水という自然現象は至るところで発生しますが、人がいる場所で発生し、そこでの人的被害や人工物への被害が甚大になったときに災害になるわけです。つまり、そもそも人がいないところとか人の手が加わっていないところで地震や台風が発生しても災害にはならないわけで、すべての災害が人為的な営みを前提としている点において「人災」ということができるでしょう。

私が感じていた違和感というのは、「人災だ」といった瞬間に「自然現象は仕方がないとしても、人災は事前に防ぐことができたはずだ。担当機関とか担当者の怠慢が原因というのは許せない」という論理展開につながってしまうことです。上記の通り、そもそも人がいないところで発生したものでない限り、人的・物的被害が発生するすべての自然現象は人災となります。そうである以上、不可避の自然現象によって甚大な人的・物的被害が発生すれば、定義によりそれは避けることのできない人災だったのであり、この場合「人災の発生は事前に防ぐことができる」という命題は成り立たないことになります。

しかし、一方では確かに「事前に発生を防ぐことができる」人災というのも存在します。端的にいえば、上記のWikipediaで「事故・人災の例」として挙げられている「社会的被害(報道被害、風評被害、取り付け騒ぎ)」でして、報道被害とか風評被害というのは、その多くが「危機を煽って冷静な判断を奪っている何者かが、マスコミやネット界隈には数多く徘徊している」ことによってもたらされる「人災」です。特に原発事故に関しては、自然現象によって引き起こされた不可避の「人災」に乗じて、「既得権益(とレッテルを貼られた対象)へのヘイトスピーチと陰謀論」が数多く語られていますが、それによる「人災」こそ事前に防ぐことができたはずですし、不可避の「人災」の被害を事後的に最小限に抑えるためには事後的にも防がなければならないものでした。しかし、津波被害とか原発事故を「人災だ」といって犯人捜しをしている方に限って、このタイプの「人災」を引き起こしがちなところでして、不可避である「人災」の適切な防止・減災措置を講じることも、防ぐことのできる「人災」による報道被害や風評被害を防ぐことも、なかなか進みそうにありません。

ところが、同じWikipediaの「自然災害」の項を見てみると、自然現象による人災の因果関係が逆転しているような記述になっています。

自然災害は、人為的な原因による災害(「人災」)に対して、天災とも呼ばれる。しかし実際に「天災」と呼ばれているものは、社会の脆弱性など人為的な原因により人的被害が拡大されている側面が大きいため、「天災」という呼び方は適切なものではない。地震は自然現象だが、脆い建物が崩れたり救援の手が届かなかったりすることによって地震災害は拡大する。自然現象である干ばつは、社会の不平等や政府の失策により、都市や軍隊には食物が確保される一方で農村の貧しい人々に食物が行き届かなくなることで、飢饉という災害へと拡大する。干ばつのため食糧不足にさらされる人たちに食物や雇用を供給する政策が、民主主義のインセンティブによって実行に移されきちんと機能する場合、飢饉という災害は発生しないが、貧しい人々の声を聴く必要のない権威主義的体制や無政府状態では、干ばつは容易に飢饉へと拡大する[6]。

「自然災害」(Wikipedia)

とのことですが、まず人為的な居住とか農業とか工場とかの生産拠点が形成されていて、そこで原因を問わず甚大な人的・物的被害が引き起こされるのが「災害」であるというのがCREDの定義でした。つまり、人為的な営みを前提として甚大な人的・物的被害が発生するからこそ「災害」と呼ばれるのであり、それは自然現象による不可避の「人災」だったわけで、「人為的な原因により人的被害が拡大されている」かどうかは、少なくともCREDの定義上は考慮されていませんし、そのことが災害への対応に影響を与えることもないはずです。しかし、「人災」とさえいってしまえば、災害への対応はそっちのけで犯人捜しとその犯人(とおぼしき対象)へのバッシングに興じるのが現状なわけです。

さらに引用部分の最後では、アマルティア・センの説明を引用しているのですが、「民主主義のインセンティブによって実行に移されきちんと機能する」ことが、たとえば現在の日本で可能かといえば甚だ疑問ですね。沿岸部で「津波被害が発生しないような都市計画を立案し、積極的な公共事業でそれを実行していく」ということができないために発生した被害もありますし、原発事故を防ぐために必要な工事費を電気代に上乗せすることができないために発生した被害もあるはずです。むしろ、別の意味で「民主主義のインセンティブによって実行に移され」たために発生した「人災」もあるというのが現実ではないでしょうか。

こうした政治的な過程を考慮に入れれば、自然現象による不可避の「人災」と事前に防ぐことのできる「人災」を厳密に分けることは、それほど簡単なことではありません。特に、深刻な利害調整を伴う制度設計は、かなりの程度純粋な人為的行為ではありますが、だからといって「制度設計に不備があるのは人災だ」とか「政策が○○学の理論から外れているのは人災だ」というのは、神でもない人間の社会が民主主義の建前の下で行う政策決定とか制度設計に対する批判としては、あまりにナイーブだろうと思います。

もちろん、「人災」といえばわかりやすいですから、それを前面に押し出したい事情の方もいらっしゃいます。

それぞれの総括を整理すると、民間は「官邸の危機管理が場当たり的で泥縄」、東電は「想定外の津波が原因」、国会は「明らかに人災」、そして今度の政府は「さまざまな問題点の複合」となる。
みの「人災というのがわかりやすい」
杉尾秀哉(TBSテレビ報道局解説・専門記者室長)「言葉がはっきりしてる。国会は政治的立場が鮮明。これに対して、他はいろいろ配慮が感じられ、論点がはっきりしなくなる」

出揃った福島原発事故の調査報告―「政府」「民間」「東電」「国会」どれが信用できるか?(2012/7/24 15:01)」(J-CAST テレビウォッチ

これを「人災」といわずして…

2012年08月13日 (月) | Edit |
というわけで、まさかの連載開始です。
『HR MICS vol.13』
http://www.nitchmo.biz/hrmics_13/_SWF_Window.html
当初海老原さんからお話をいただいたときは軽い気持ちでお引き受けしたのですが、普段拙ブログで好き勝手に書いているのとは勝手が違いまして、海老原さんをはじめ皆様の大幅な手直しをいただいてなんとか掲載にこぎ着けました。改めてお礼申し上げます。

内容については、前回エントリと同様に緊急雇用創出事業絡みなのですが、正直なところ私自身もよく分からないところがありつつも私が目の当たりにしている現状をありのままに伝えられたらと考えております。一つの問題提起になれば幸いです。

それはさておき、とりもなおさず豪華執筆陣の記事が目白押しですので、私の記事をすっ飛ばしてご覧いただくことをおすすめいたします。

2012年08月13日 (月) | Edit |
更新に手間取っているうちに震災から17か月が経過しました。被災地とひと言でいえば「復興はまだまだ進んでいない」ということになりますが、被災地といっても着々と復旧の進む地域もあれば、がれきの撤去すらなかなか進まない地域もあります。これを個々の世帯ごとにみれば、同じ地域でも仕事や家族の状況によって状況はさまざまですし、さらに世帯内の同じ家族の中でも復興に向けて歩みを進める人、そこから前に進めない人がそれぞれいます。

昨日はオリンピック最終日で男子マラソンの中継がありまして、日本勢は残念ながらメダルには届きませんでしたが、すべての選手が目指すのは同じゴールです。しかし、最終的に一位でゴールする選手は一人ですし、一位から最下位まで一人一人のランナーが全力で走った結果として順位がついてしまうのがマラソンという競技の厳しさです。子供の頃に読んだアシモフの子供向け図書で、月の満ち欠けと地球の干潮・満潮の関係を説明する際に、「マラソンではランナー全員が同じゴールを目指して一斉にスタートするが、ゴールに近くなるほどランナーの列は縦に長くなる」という例えがありまして、誰かが抜け駆けしたわけでも、誰かが怠けたわけでもないとしても、その進み具合には差が出るという自然の摂理に不条理さを感じたことを思い出します。

自然の摂理は不条理であるとしても、人間のような社会性をもつ生物の世界でそのような状態を放置することは、その生物が依存して生活する社会そのものの維持を不可能にしてしまいます。ここからいつもの再分配論の議論につながっていくわけですが、現在被災が深刻だった地域で問題となっていることにつなげて考えてみると、雇用情勢の改善が伝えられてはいるものの、実際にはなかなか雇用の確保に結びついていないという現状があります。

求人0.92倍 被災3県は1倍台 東北6月(2012年08月01日水曜日)

 厚生労働省などが31日まとめた6月の東北の有効求人倍率(季節調整値)は、前月比0.01ポイント下回り0.92倍だった。14カ月ぶりに悪化したが、全国平均0.82倍を上回り、東日本大震災で被災した岩手、宮城、福島で高い水準を維持した。3県とも建設、サービスなど復興関連の業種がけん引している
 県別の有効求人倍率は表の通り。宮城は8カ月連続の上昇。5月と同じ全国3位だった。宮城労働局は「しばらくは1倍を超える状態が続くだろう」と話している。
 宮城の新規求人倍率(季節調整値)は前月を0.07ポイント下回ったが、1.91倍で全国最高。ハイブリッド車向け電池製造など製造業が堅調で、人材派遣では派遣先が自動車部品や電子部品など製造業が半数以上を占めた。
 公共職業安定所別の有効求人倍率(原数値)では、仙台1.13倍と8カ月連続で1倍超え。製造業が集積する大和出張所は1.27倍と高い。沿岸では石巻0.88倍、塩釜、気仙沼がともに0.71倍と前月を上回った。
 前月を下回った岩手、福島の各労働局は「わずかに悪化したが、求人倍率は堅調に推移する」と分析している。
 岩手は沿岸で回復基調が強い。釜石が0.94倍で県内最高。大船渡0.90倍、宮古0.78倍だった。0.90倍の北上、0.88倍の盛岡など内陸部と同水準まで回復した。
 岩手労働局は「内陸、沿岸の格差がなくなってきている。県全体、全業種で求人意欲は強い。今後も大きな下ぶれはないだろう」とみている。
 福島が1倍を超えたのは1993年5月(1.02倍)以来で19年1カ月ぶり。福島労働局は「復旧作業で県外から訪れる人が多く消費も好調。サービス業の求人も多い。今後2~3カ月は高水準で推移する」と分析する。地域別では相双1.01倍、平0.93倍と沿岸が好調。内陸の郡山も1.01倍だった。

有効求人倍率が1倍を超えているということは、6月末の時点では仕事を探している求職者よりも企業などが求人している人数の方が多いということ(季節調整値ですので実数ではまだ求職者の方が多いのですが)になります。この数字から雇用情勢をどのように把握するのかというのはなかなか難しいところでして、そもそもの話からすれば、ハローワークを通じた求人、求職の数がその地域の求人や求職をどれだけ反映しているかという点が不明です。リクナビとかの就職サイトもありますし、被災地のような小さなマーケットでは店頭での求人とか口コミとかでの就職もそれなりのマーケットとして機能しています。昔は「2割ハローワーク」という言葉もあるくらいに、ハローワークを通じた求人・求職は実際の労働市場の一部に過ぎないのではないかという指摘もありました。

もちろん、実数のボリュームを見ると、総務省が公表する労働力調査における都道府県ごとの完全失業者数と厚労省が広報する一般職業紹介状況での有効求職者数にそれほど大きな乖離がないわけですから、ハローワークを通じた求職者の数はそれなりに実態に近いだろうとは思います。特に、雇用保険の受給資格者は、ハローワークで求職活動しなければ失業給付等の基本手当を受給できなくなりますし、雇用保険が次の就職へのインセンティブを有していることが統計上もアクティベーションの面からも重要な機能を果たしていることの表れでしょう(話は変わりますが、雇用保険業務を職業紹介から切り離すような地方分権は、上記の通り求職活動に対するインセンティブの面からも重大な問題を孕みます)。

ただし、統計的な数字の上では求職者数よりも求人数が多くなっているとはいえ、実際に生活を支える仕事として就職に結びつく求人が限られているために就職件数が伸び悩んでおり、特に中高年齢の求職者が滞留する傾向にあります。このような状況を指して「求職と求人のミスマッチ」といわれるわけですが、そうした方々の実態を見ていると何とも表面的な言葉に思われます。求職している方が仕事を探す条件はさまざまあるわけですが、とりもなおさず当面の生活費に切羽詰まっている方はそれに十分な賃金の額を必要とします。そうなると、交渉上は不利な状況に追い込まれてしまうため、最低賃金に張り付いたような仕事でもしなければ生活そのものができないということになってしまい、そのような方が就職しても、その後の賃金が上がることはほとんど期待できません。そうしたことを見越して就職が進まないということであれば、雇用の確保のために必要なことは、緊急雇用創出事業による雇用創出などではなく、適正な労働条件で仕事ができる環境であり、それを実現するための労使関係を再構築することなのだろうと思います。

でまあ、労使関係の中で労働条件を向上させていく仕組みが、日本国憲法28条に基づいて労組法・労調法が規定する集団的労使関係なわけでして、これもいつもの集団的労使関係の再構築の話にしかなりませんが、上記で触れた緊急雇用創出事業による雇用創出にも無関係ではなくなっています。この点については、昨年12月に「震災以降の緊急雇用創出事業をどう位置づけるかが、戦後の「労働行政に取り憑いた夢魔」((c)hamachan先生)とまで言われた失業対策事業(失対事業)と緊急雇用創出事業が違うものとなるかの分かれ目になるのではないか」ということを述べておりましたが、改めてhamachan先生が指摘する失対事業の問題点を引用させていただくと、

 失業対策事業に使用される労働者は公共職業安定所の紹介する失業者でなければならず、その賃金は労働大臣が定め、しかもその額は一般の賃金額よりも低く定められることとされた。失業対策事業が他にどうしても職のない失業者のために実施される最終的かつ臨時的な労働機会の提供であり、失業者は他に適職ある際はその日からその適職に就くべきとの趣旨からである。
 また、この性格から、雇用期間は長期間であってはならないことが要請され、このため法文上は雇用期間の定めはないが、行政運営上雇用期間は1日限りとし、日々適職の有無を確認し、日々失業の認定を行って、その者が他に職なき場合に限り、その日だけ失業対策事業に就労させることとした上に、同一人を長期間にわたって就労させることは事業本来の目的に反するとして、公共職業安定所は原則として6ヵ月以内に定職に就くように就職斡旋に努めることとされた。これがその通り実行されていれば、その後の問題はなかったかもしれない。しかし、現実は、就労者の滞留、固定化が進み、失業対策事業は労働行政に取り憑いた夢魔と化していき、その打ち切りが数十年間にわたる課題として行政にのしかかっていくことになる。
p.123

労働法政策労働法政策
(2004/06)
浜口 桂一郎

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失業対策事業の夢魔をごく乱暴にまとめると、雇用期間を長期間としないよう6か月以内に定職に就くよう就職斡旋に努めることとされながら、実際には滞留・固定化が進み、さらに事業そのものの終了時期が明確化されなかったために、「最終的かつ臨時的な労働機会」であるはずの失業対策事業が「定職」となってしまい、「全日自労」という労働組合が結成されて失対事業を紹介するだけの公共職業安定所に対して団交を申し入れる事態にまで発展し、結局1995年まで半世紀近く事業が継続してしまったことでした。

ここで注意すべきなのは、雇用期間を長期化させないことによって、労働大臣が賃金を低く抑えることとされていたことです。つまり、労働組合を結成することによって失業対策事業の賃金などの労働条件を向上するための交渉をさせないような仕組みをもくろんでいた(と思われる)のですが、滞留・固定化によって雇用期間が長期化するにつれて労働組合が結成され、団交申し入れが行われるようになってしまったわけです。

で、昨年11月に改正された「緊急雇用創出事業実施要領」をみてみると、

② 労働者の雇用・就業期間
ア 緊急雇用事業
 新規雇用する労働者の雇用・就業期間は6か月以内とし、1回に限り更新を可能とすること。
 ただし、新規雇用する労働者が被災求職者である場合には、2回以上の更新を可能とすること。
イ 重点分野雇用創出事業
 新規雇用する労働者の雇用・就業期間は1年以内とし、更新は不可とすること。
 ただし、若年者(40歳未満の者をいう。以下同じ。)の雇用機会の確保を目的として実施する事業(平成22年度に開始したものに限る。)である場合は、1回に限り更新を可能とすること。
 また、新規雇用する労働者の雇用・就業期間が6か月以内である場合には、1回に限り更新を可能とすること。
 上記にかかわらず、新規雇用する労働者が被災求職者である場合は、2回以上の更新を可能とすること。
ウ 地域人材育成事業
 新規雇用する労働者の雇用期間は1年以内とし、更新は不可とすること。
 ただし、介護福祉士の資格取得を目指すことを目的とする事業及び若年者の雇用機会の確保を目的として実施する事業(平成22年度に開始したものに限る。)については、1回に限り更新を可能とすること。
 また、新規雇用する労働者の雇用期間が6か月以内である場合には、1回に限り更新を可能とすること。
 上記にかかわらず、新規雇用する労働者が被災求職者である場合は、2回以上の更新を可能とすること。
エ 震災等緊急雇用対応事業
 新規雇用する労働者の雇用期間は1年以内とし、更新は不可とすること。
 ただし、新規雇用する労働者の雇用・就業期間が6か月以内である場合には、1回に限り更新を可能とすること。
 上記にかかわらず、新規雇用する労働者が被災求職者である場合は、2回以上の更新を可能とすること。
 なお、被災求職者を優先的に雇用すること。
オ 生涯現役・全員参加・世代継承型雇用創出事業
 新規雇用する労働者の雇用期間は1年以上とし、更新を可能とすること。

緊急雇用創出事業実施要領(注:pdfファイルです)」(厚生労働省

となっており、「被災求職者」については雇用期間の制限がなくなっています。なお、「被災求職者」とは「東日本大震災等の影響による失業者(青森県、岩手県、宮城県、福島県、茨城県、栃木県、千葉県、新潟県及び長野県内の災害救助法適用地域に所在する事業所を離職した失業者又は当該地域に居住していた求職者)」とされており、このうち岩手県、宮城県、福島県は全市町村が災害救助法適用地域ですので、全域で「被災求職者」の定義が適用されます。ということで、失業対策事業が雇用期間を制限できなかったために労働組合が結成され、失業対策事業の継続による雇用が維持されていった状況と同じ状況が現出されつつあるといえます。

ただし、私自身は、上記の実施要領で規定された地域では緊急雇用創出事業での雇用期間に事実上の制限がなくなった(もちろん上記の実施要領の「10 基金事業の終了等」で事業の終了時期が明記されているので、その時期が来たら終了することにはなっていますが、現時点の緊急雇用創出事業も当初は平成23年度で終了する予定が24年度まで延長されており、今後延長がないとはいえない状況です)以上、緊急雇用創出事業で雇用されている労働者の組織化は避けられないだろうと考えています。そのときに緊急雇用創出事業の使用者性が問われることになるわけで、民間に委託している委託事業なら民間が使用者といえるのか、委託元の県や市町村が法人格否認の法理によって使用者性を有するのかという問題がありますし、直接雇用している事業であれば県や県から補助金を受けている市町村が使用者となるのか、それをさらに進めて国が総元締めとして使用者性を有するのかという問題もあります。

いずれにしろ、雇用のミスマッチという言葉によって仕事内容はもちろんのこと、労働条件が希望と合わないことを指すのであれば、その解決方法として集団的労使関係を考える必要があるのですが、かといって、緊急雇用創出事業でそれを構築することは失対事業の夢魔を繰り返すことにつながりかねません。とはいえ、被災地を含めた当地では、集団的労使関係なんてものが見向きもされない状況にあるのが実態でして、お盆に杞憂してばかりいるのも詮無いことではありますね。

2012年08月06日 (月) | Edit |
なんとなく私のHNが書かれていたので読んでみたのですが、始まりの部分で

『りふれは』として出してくる人がすごく限定的。『不当表示~』の方に到っては実質的に片手の指で足りる程しかいない。だったら「○○派」とか言わずに、その個人に対して批判をすれば事足りるはずなのに、そうはしない。

つまりは学問としてのリフレは支持してますよ、とかの物言いは単なる建前で、実際にはそれを含めたリフレ(おそらく実際はそちらこそを)貶めたいというのが本心であろう。

姑息な建前を語る彼らに、まともな議論をするのに必要な誠実さは期待できない。

■『りふれは』とか『扇動のための不当表示としての「リフレ派」 』とか言う人って(2012-07-16)」(はてな匿名ダイアリー

ときて、hamachan先生の「マシナリさんのぼやき続編」と「人にとんちんかんで筋違いなレッテルを貼って批判したつもりになっていると・・・」というエントリにリンクして、

もう完全に確信犯なんだな。どうしようもない、こういう芸風なのだろう。こんな人にシンパ持たれているマシナリさんなどが可哀想だ。

とご同情いただいたようです。

リフレーション政策を支持する方々は、リフレーション政策そのものに対する批判に真摯に応えることも必要ですが、リフレーション政策によってもたらされた流動性をリフレーション政策以外の政策よって適切に再分配しないような主張へも批判しなければならないと個人的には考えます。という私自身、リフレーション政策を緩やかに支持する者として、hamachan先生はリフレーション政策そのものは批判していないと考えていますし、リフレーション政策以外で適切でない再分配政策を主張しているのでもないと考えていますので、私自身はhamachan先生にシンパを持っていただいていることに何の違和感も感じないんですけど何か?

むしろ、リフレーション政策を緩やかに支持する立場の私から見て、リフレーション政策以外の政策で適切ではない政策を主張していると見受けられる方はたくさんいますので、そのような主張をする方については、リフレ派であろうと何だろうと批判しなければならないと考えております。ところが、リフレーション政策を緩やかに支持していると明言しているにもかかわらず、一部のリフレ派と呼ばれる方を批判したことをもって、やれ「反リフレ派」だとか「デフレ派」と口を極めて罵られるのが現状ですね。

でまあ、飯田先生曰く「世にリフレ派と呼ばれる人の共通点は「安定的なインフレによる景況の維持が必要だ」のみで,ミクロ的な経済政策については人それぞれ」(リンク先のコメント欄参照)であるからこそ、その「人それぞれ」のミクロ的な経済政策について批判しているつもりなのですが、なにやらミクロ的な経済政策についても「リフレ派」にはコンセンサスがあるようでして、「現物給付よりも現金給付の方が効率的」、「デフレ下で増税なんてけしからん! まずは減税すべき」、「小さな政府とか大きな政府なんて議論は意味がない。政府の活動を極力縮小して、再分配した個人の所得の範囲内で市場原理を働かせて効率化を進めればよい」という辺りがリフレーション政策とセットとして主張されることが多いと感じています。

リフレーション政策を緩やかに支持する者とすれば、上記のとおり、たとえば政府支出を通じた社会保障の現物給付の不要論やそれを供給する人員の削減、公務員人件費の削減、職業訓練などの積極的労働市場政策の不要論といった「ミクロの経済政策」については、流動性の供給を通じた適切な再分配を阻害する政策として個別に批判できると考えています。ところが、「リフレ派」と呼ばれる方の多くはそうは思っていなさそうでして、これが「リフレ派」と呼ばれる方々の「ミクロの経済政策」についての理解に根深い影響を与えているのではないかと思います。

というのも、一部のリフレ派と呼ばれる方の執拗な政府(霞が関)・日銀批判というのは、そもそも「ミクロの経済政策」が個別に実施される実務についての無知・無理解がその前提になっていて、だからこそ「リフレ派」と呼ばれる方々が支持する「ミクロの経済政策」が政府の関与を最小化するものへと偏ってしまうのでしょう。実をいえば、この点については以前も指摘したことがありまして、

実はこの「制度を知る必要がない」という点で、「リフレ派」を自任する方々の議論に大きな特徴があるように思います。リフレーション政策による金融政策というのは、日銀の政策についての純粋な経済理論による批判が可能な分野に限定されているため、制度に対する理解が必ずしも要求されません。bewaadさんの日銀法改正についての指摘に象徴的ですが、経済理論に基づいてリフレーション政策を主張することはある程度経済学に素養があれば可能としても、それを現実の立法府の中で実現するためには、少なくとも立法の制度を知る必要があります。この段階で「一部のリフレ派」が馬脚を現したのは、その意味で当然の結果だったのだろうと思います。

2011/01/25(火) 00:36:03 | URL | マシナリ #-[ 編集]
素人の浅薄な正義感(2010年12月26日 (日))」コメント欄

リフレーション政策といった金融政策については、ある程度制度を無視しても純粋な理論上の議論が可能かもしれませんが、ゴリゴリの利害調整を経て市場の失敗や政府の失敗に頑健な制度を作って初めて機能するような「ミクロの経済政策」については、その需要側のみならず、それを供給する側についても財源を含めて考慮しなければなりませんし、それらを規定する制度の策定過程や執行の実務についても議論しなければなりません。そうした「各論」の制度や実務についての議論を置き去りにしてしまっては、いくらマクロの政策を語ったところで合成の誤謬など「ミクロの経済政策」に起因する問題を適切に議論することができなくなります。

確かに、制度上の整合性や執行にまつわる実務上の手続なんて当事者でなければ知るよしもないというのが一般の方々の率直な感想だとは思いますが、そんな方でも、ご自身の職業や生活上で関係のある役所の手続については精通している方も多いはずです。問題は、それができない分野の制度については、自分が理解が足りないことを棚に上げて陰謀論に逃げ込むのが人というものであることです。私も一時は日銀悪玉論に荷担していましたので、ここは自戒を込めて書いておりますが、一部のリフレ派と呼ばれる方が「ミクロの経済政策」では増税忌避とか安易な財政縮小とかの市場原理主義的な政策を主張するのも、このような理由によるものと思われます。

というわけで、「リフレ派」とか「反リフレ派」とかはいくら対立しても現実の政策とかにはあまり関係はなくて、むしろ制度をいかに設計するかという過程についての無理解こそが、「リフレ派」と呼ばれる方々の「ミクロな経済政策」の理解に影響を与えていそうです。つまり、リフレーション政策についての議論では制度についての無理解がある程度許容されるために、その無理解を前提にして、リフレ派は「ミクロな経済政策については人それぞれ」といいながら、増税や公務員人件費などの特定の「ミクロな経済政策」には攻撃的になり、陰謀論を唱える傾向を持つ原因となっているのではないかと思うところです。

この点については、tonmanaanglerさんも指摘されていますね。

リフレ派の陰謀論体質が批判されていることは結構知られているところであるにもかかわらず、このようにナチュラルにプチ陰謀論が出てくるところが何とも。本人にその自覚はないんでしょうけどね。こうして自らリフレ派に陰謀論者が多いことを証明なさっている。

■息を吐くように陰謀論を唱える(2012-07-26)」(国家鮟鱇

今日も一部のリフレ派と呼ばれる方々は制度を知ることもなく陰謀論を唱え続けるのでしょうか。。