2012年07月10日 (火) | Edit |
前回の続きの二冊目ですが、こちらは「消費税アップは15年後でよい」とおっしゃる原田泰氏です。なんといっても帯が「大震災を口実にした役人の悪だくみ 闘うエコノミストがデータから嘘を暴く」とのことで、威勢のいいことこの上ありません。

この帯の通り、本書は復興予算が過大であることを執拗に批判し続けます。その理論がなければ第1章の「大増税の口実に使われる大震災」という主張が揺らいでしまいますから、原田氏がそれを批判するのは理解できますし、実際のところ、私も「単なる復旧ではなく、創造的復興だ!」とかいわれると、過疎が進む三陸地域でそんな投資が奏功することはほぼないだろうと考えています。そもそも震災後2週間の時点でも書いたように「権利をそのままにして建物を復旧するよりも、移転させて住居を提供するという補償のほうが高くつく可能性もある」わけで、それに国民の合意を取り付けるのは、震災から1年以上を過ぎた今となってはなおさら難しいでしょう。

しかしそうはいっても、震災の被害推計が過大ということと復興予算が過大ということは直接つながるものではありませんし、さらにいえば、復興予算が過大であってもその執行が追いつかない状況にあるわけで、マクロ経済ばかりに目がいってしまっているせいか、国から地方自治体までの財政支出のロジとかを考慮しない単純な利権陰謀論になっているように思います。

復興予算4割使われず 23年度、想定通り進まず MSN産経ニュース2012.6.28 23:27

 政府が平成23年度予算で計上した東日本大震災の復興費約15兆円のうち、約4割が23年度内に使われなかったことが28日、分かった。第1次~第3次補正予算の復興費の執行状況を復興庁が集計した。

 政府が被災地との調整に手間取り、復興事業が想定通りに進まなかったためで、これほどの規模の予算が執行されなかったのは極めて異例だ。29日にも発表する。

 復興費14兆9243億円のうち、年度内に執行されたのは全体の60・6%の9兆514億円にとどまった。40%近い、5兆8728億円が使われなかった計算だ。

 震災直後は被害状況の把握が難しく、予算が多めに計上された面もあるが、政府は使い残した予算について、24年度に繰り越したり、予定していた事業に充てない「不用額」として処理する方針だ。

 この結果、24年度に繰り越されるのは4兆7694億円に上る。集落の集団移転など幅広い事業に使えるお金として、国が被災地の自治体に配分する「震災復興交付金」は3次補正予算で1兆5612億円を計上していたが、1兆3101億円を繰り越す。

 また、災害廃棄物や放射性物質の仮置き場がなかなか見つからないことなどから、災害廃棄物処理事業費の3941億円、除染事業費の1681億円についても、それぞれ同様に処理する。

 一方、不用額は、道路や港湾の復旧に充てる災害復旧事業費など1兆1034億円に上る見通し。政府は全額を24年度に新しく設けた復興特別会計に繰り入れる方向で調整する。

リフレーション政策のようなマクロ政策に造詣の深い方にとっては、こうした予算執行の実務というようなどろどろした現場なんかどうでもいいのかもしれませんが、いくら予算をつけたところで執行する自治体の人員や受注する地元企業の資材調達、求人状況によってはその予算が予定通り執行されないことも往々にしてあります。というか、それが常態です。ドカンと予算をつければ復興するというリフレ派の方もいらっしゃいますが、実態の経済で購入されるモノやサービスには限りがあるわけです。

田中 内閣府の被害推計もありますが、多くの経済学者やエコノミストたちの合意は、少なくとも20兆円は超している。僕はそれよりも大きく考えていて、先の岩田先生の発言のとおり望ましい街並みを創造するには40兆円以上いく可能性がある。しかも何度も言うけれども、政府と日本銀行の政策がまずければこの被害総額はどんどん増加していきます。
p.84

「復興増税」亡国論 (宝島社新書)「復興増税」亡国論 (宝島社新書)
(2012/01/10)
田中秀臣(たなか・ひでとみ)、上念司(じょうねん・つかさ) 他

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※ 以下、強調は引用者による。

田中先生は被害額と復興予算の区別がついていないようですが、リフレ派の皆さんには、原田氏のせいぜい6兆円という被害額とどちらを支持される方が多いのか大変興味深いところではあります。

で、これに対して原田本は、「利権陰謀論という結論を書きたくて復興予算が過大と主張しなければならない」本ですので、被災額の推計が過大であるという理屈も、現地にいる者として正直なところ「ふざけんな」といいたくなる内容です。象徴的なのが、

 また、そもそも住宅という個人財産の復活に政府が援助するとすれば、当然に中古価格を前提にしなければ不公平ということになろう。
 このことを再度、別の方法で説明しよう。すべての物的資産の耐用年数を40年としよう(何年にしようが以下の議論に変わりはない)。現在ある物的資産の平均年齢は40年の半分の20年としよう。すなわち、現在もっている資産は、あと平均的に20年しか持たない。今、資産が地震と津波で破壊され、新たに建て直すとすると、今度はあと平均的に40年持つ物的資産を持てる訳だ。20年しか持たない資産と40年持つ資産を交換できるとしたら、20年しか持たない資産は2倍の量を提供しなければ40年持つ資産とは交換できないだろう。すなわち、古い資産の価値はやはり新しい資産の半分と評価すべきということになる。
pp.19-20

震災復興 欺瞞の構図 (新潮新書)震災復興 欺瞞の構図 (新潮新書)
(2012/03/16)
原田 泰

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というところでして、中古住宅ってのは建て売りされているものであって、なにもない更地に建てる中古住宅なんて見たことないんですが、コノカタハナニヲイッテイルノデスカ? 確かに被害額の算定に当たって、減価償却を考慮して簿価ベースで評価することは理に適っていますが、復興に必要な予算を見積もるための根拠とするのであれば、住宅を再建するための必要経費は当然のことながら新築価格になるはずです。結局この本の目的が「利権陰謀論という結論を書きたくて復興予算が過大と主張しなければならない」というところにあるので、必要とされる予算額が過大という結論を導くために、被害額が過大に見積もられていることをここで強調しておかなければならなかったのでしょう。そうしないと後半で大々的に展開される利権陰謀論の根拠が失われますからね。

それにしても「不公平」って誰に対して不公平なのでしょうか。たまたま震災に遭って住宅をなくした方と特に被害もなくこれまで通り住宅に住んでいる人を比べて「新しく建てるからといって、新築住宅の費用を必要額の根拠にするのは不公平だ」というほど、日本人というのは利己的だったのでしょうかねえ。

と思えば、用地買収交渉の現場の苦労を踏みにじるように、

 土地買収に時間がかかるからだという人が多いのだが、本当にそうだろうか。新幹線をなんとかして通して欲しいと地元がこぞって希望しているのだから、地元は土地買収に協力的なはずだ。迷惑施設の建設をするわけではない。(略)これほど地元の人々が求めているものの土地買収で、あまりごねる訳にもいかないだろう。
(略)
 これに対して、第2次大戦中、日本陸軍は、タイとビルマを結ぶ鉄道、415キロメートルの泰緬鉄道を1942年6月から43年10月までのわずか1年4か月で完成させた。年に311キロも建設した訳だ。もちろん、映画『戦場にかける橋』にあるように、捕虜を酷使して作ったからそんなに早くできたに違いないが、現在は、巨大なパワーシャベルも、カッターを回しながら大口径のトンネルを掘るシールドマシンも何でもある。人間を酷使するより、ずっと早く工事ができるはずだ。

原田『同』pp.89-90

なんてことをおっしゃるのですが、そんな利他的な方ばっかりなら用地買収交渉担当が生活保護と徴税と並んで「三大異動したくない部署」になんかなりませんけど。もちろん、地元の方の多くは協力的ですが、新幹線というのは沿線住民にとっては振動やら騒音やら電磁波やらで典型的な迷惑施設なんですよね。さらにいえば、土地は分筆して相続されるものでして、地元に残った本家の人が持っているのは実は元あった土地の数十分の一で、ほかは進学とか就職とか結婚で地元を離れた子息たちの所有になっていたりするので、そういう方々にとってはできるだけ高く売りたい資産でもあります。その用地買収の補償交渉で難航するのは日常茶飯事だということは原田氏には想像できないのでしょう。しかも、日本が第二次世界大戦中に占領したタイとビルマの例を持ち出してもっと早くできるはずって、どこまで用地買収の現場を踏みに(ry

ということで、原田本は一事が万事この調子でして、現地の状況をご存じないことが端々から伝わってきます。

仮設住宅でも、6か月たって、まだ5万戸しか建っていなかった。普通の家も、3か月で建つ。間に合わないというのなら、最初に住宅頭金を受けて家を再建した人は、6か月の間、他の家族を無料で下宿させるとしてはどうだろうか。

原田『同』pp.47-48

まあ、住宅の建築が制限されて、急峻な三陸の山間地域に点在する被災地のどこに家を建てればいいとおっしゃるのかわかりませんが、仮設住宅ですら5万戸建てるのに6か月かかるなら、普通の家を建てる用地を確保するのはもっとかかるだろうと考えるのが普通じゃないでしょうかね。

 高台造成などの公共事業に資金を使うより、個人の住宅の再建に資金を用いた方が良い。少しでも海の近くに住みたい人と車を使えない高齢者は旧市街地に住んで、海の近くである必要のない人は山に住めば良い。人口減少と高齢化で、三陸の山に土地はいくらでもある。

原田『同』p.113

原田氏はとことん用地確保をなめているようでして、急峻な三陸の山間地域で十分な土地を確保できるところは限られています。内陸部では、住宅だけではなく工場も店舗も農地も移転しようとしているため、地代が高騰(といっても地方としてはというレベルですが)していて、おいそれと住宅を建てられない状況です。さらに、公共事業と店舗や工場の再建と住宅再建が重なっているため、資材市場が高騰していて、建設会社もフル稼働で空きがなく、せっかく資金調達できた企業や個人がいつまでも再建に着手すらできないという事情もあります。そんな建設会社も、復興需要が一時的であることを見越して人員増には慎重なため(もちろん沿岸部の建設業の求人は激増していますが、復興需要に対しては十分な求人ではありません)、被災地の建設工事がなかなか進まなくなっています。そうした被災地の実情を踏まえて本書をみると、いやまあ、誰が「欺瞞の構図」を作り出しているのかわからなくなりますねえ。

こんなことをグダグダ書いたところで、シカゴ学派の創始者であったフランク・ナイトに、ミルトン・フリードマンとともに破門された「独占のすばらしさを歌い上げる冊子を書いたジョージ・スティグラー」の「捕捉理論」を取り出して「原発利権」を批判する原田氏(本書p.163)にとっては、ここでチホーコームインごときが批判したところで「利権に絡め取られた公務員が陰謀を明かされて逆ギレしやがって」くらいにしか思われないでしょう。まあそれはともかく私がショックだったのは、震災後いち早くCFWを提唱し「みたすキャッシュ・フォー・ワークが必要」とおっしゃる永松先生がご自身の推薦図書の筆頭に原田本を掲載していることです。「個人個人に復興資金が行き渡る復興支援をという主張には迫力を感じる」とのことで、そりゃまあ、これだけ現場を踏みにじりながら威勢のいいことをおっしゃれば「迫力」はありますが、そういうネタであることを祈るばかりです。
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2012年07月10日 (火) | Edit |
私自身は緩やかにリフレーション政策を支持する立場でして、「リフレ」にトッププライオリティを与えなければ「反リフレ派」とか「デフレ派」と罵倒するような先鋭的な「リフレ派」には距離を置く必要性を感じていることもあって、拙ブログでは「一部のリフレ派と呼ばれる方々」という言い方をしております。

でまあ、一部のリフレ派と呼ばれる方々の復興関連の本を立て続けに読んでみたのですが、あまりにあんまりなもので気分が落ち込んでおります。「一部のリフレ派と呼ばれる方々」ってのはどうやら陰謀論に傾きやすい性質を持っているようで、それはご自身の理論が正しいと信じるあまり、その理論が実現されないのはよからぬことを企んでいる誰かの仕業か、はたまたどうしようもない馬鹿ばっかりが政策運営を担当しているからという「俺様だけが正しい」論を信奉してしまうからなんでしょう。とはいえ、復興関連でも鬼の首を取ったかのように「俺様だけが正しい」論を喧伝しているのを拝見すると、復興の現場にいて被災された方々の現実を目の当たりにしている者としては、怒りを通り越してむなしさだけが読後感として残っています。

個人的にはモチベーションを下げられてしまって明日からの仕事をどうしてくれるんだという思いはあるのですが、そういう意見があるということも現実として受け止めなければなりませんので、備忘録としてメモしておきます。まず一冊目が、「お手軽に批判対象を公共の敵に仕立て上げようとする、せこいトリック」を駆使したタイトルでおなじみの本でして、著者のお二人は言わずと知れた陰謀論的リフレ論者です。正直にいえば、私自身がリフレーション政策を知るきっかけの1つが著者のお一人の田中先生なのですが、私が現在の日本の政府支出の中でも極めて貧弱と考える所得再分配や社会保障については「経済学の理論にうまく組み込めない」とさじを投げてしまう方でもありまして、財政政策という政府による財政支出の使い道には無頓着かつ陰謀論な方であることが、この本にも如実に現れているように思います。

結局のところ、経済学者として経済学の理論なり実証なりについてご専門の領域の範囲内で議論されていれば有益な議論になると思うのですが、たとえば私が比較優位をもつ労働とか雇用関係の記述を見るといかにもなトンデモ論になっているわけです。経済学の理論なり実証の中で「正しい」と考えられる理論について述べていながら、それを現実問題に落とし込む際にトンデモ論でコーティングされてしまうと、「正しい」理論であっても「使えない」理論にしかなりません。たとえば、

 さらに不況下では、新しいイノベーションを生み出すはずの若い人たちが、まったく働けなくなっている。しかも、不況が深刻になるほど、若年層の失業率が高くなる。そうすると、「日本的な雇用システムが問題である」と言い出す人がいるけれど、日本的な雇用システムなんて、そもそも会社の9割をしめる中小企業とかベンチャー企業は全然採用していないから。
 シュムペーターが理想としている、不況の過程の中で、新規の小さい企業が集まってイノベーションを起こすというのは空想論で、そういう企業こそ、不況の中で立ち行かなくなってしまう。だから、不況下ではイノベーションが生まれないというのが現実です。
 むしろ、重厚長大型で、資産だけが豊富で、しかし、新しい投資機会があまり見つけられないような企業に限って、資産を切り売りし、何とか生き残ってきた。そういう保守的な企業のほうがサバイバルできてしまった。結果、既存の社員はなるべくクビを切らずにいこう。だから、新卒はとらないでいこうということになり、若年者失業率が上がったんです。
p.90

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田中秀臣(たなか・ひでとみ)、上念司(じょうねん・つかさ) 他

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※ 以下、強調は引用者による。

「日本的な雇用システム」というのが具体的にどのようなものを指すのかはわかりませんが、中小企業とかベンチャー企業が採用していないというのであれば、「終身雇用」とか「年功序列」とか「企業別組合」というような「三種の神器」で新卒一括採用するのが、ここでいう「日本的な雇用システム」と考えてよさそうです。ところが、「会社の9割をしめる中小企業やベンチャー企業」が採用していない、ということは、「重厚長大型」で「保守的な企業」が採用している「日本的な雇用システム」では「新卒をとらない」としたために、「若年者失業率が上がった」んだそうです。

上記の意味の「日本的な雇用システム」を9割を占める中小企業やベンチャー企業が全然採用していないというのは、これ自体もかなり怪しい前提ではありますが、まあ百歩か千歩ぐらい譲って間違っているとまでは言えないかもしれません。しかし、その残りの1割の重厚長大型で保守的な企業が新卒採用を控えたことによって若年者失業率が上がるという議論は、ご自身がおかれたその前提があるからこそ成り立っていないように思います。さらにいえば、「不況の過程の中で、新規の小さい企業が集まってイノベーションを起こす」というのはシュンペーターの理論ではなく、シュンペーターを誤読した方の議論ではないかと思われるところ(シュンペーターは企業家と経営者を明確に区別し、「新結合」をもたらす企業家はごく少数のリーダーでしかなりえないことを指摘していますし、不況とか小さい企業はその要件とされていないはず)ですが、まあ、経済学については専門家でもない私が間違っているのでしょう。

リフレーション政策そのものは経済学の理論として考えれば「正しい」だろうとは思いますが、その実現を主張する方の認識がこれでは、リフレーション政策が実現することはないのだろうなと思ってしまいます。

そうした思いを持って読んでしまっていますので、その他の記述もなんだかなあという印象です。

田中 つけ加えると、常に増税をしたがる財務省なんかは、「消費税を上げると、翌年の税収がガクンと減るという人がいるけれど、その後は緩やかに回復していきます。という話をするんです。でも、そんな話に騙されてはいけない。財務省は、全体の税収の変化を見ずに、消費税収の変化だけをとらえて、消費税を増税すれば税収が増えると言ってしまっている。
 確かに、消費税は、増税後しばらくすると伸びているけれど、ほかの税収が下がってしまうというのは、図表4から明らかなんです。
田中・上念『同』p.140

いやまあ、1997年の消費税率引き上げのときは、「先行する減税と社会保障支出の増加によって、国民負担はほとんど変化しなかった」んですが、本書にはその点についての記述が一切ありませんね。1997年はアジア通貨危機があった年でもありますし、消費税率引き上げだけを取り上げて、全体の国民負担にはほとんど変化がなかったことに触れずに「増税によって税収が減った」というのがいまいちよく理解できません。経済学ってそういうことだったのか。

ここまで読んだだけ自分を褒めたいところではありますが、それはともかく二冊目への布石なんですが、

田中 まず復興資金の必要額としては、今回の被害総額を埋めるためには、20兆円から30兆円くらい必要であると。そして、過去の事例から、震災が起こった初期に一気に復興資金を投入しなければいけないという視点に立つと、初年度でそのうちの大半、今回でいえば20兆円近くを一気に投入するのが望ましいということがいえます。
 しかし今、マスコミから漏れ聞こえてくる報道を見ていると、政府が出す復興資金は、まず4兆円くらいといわれています。そして、夏ぐらいにまた追加の復興資金の話が出て、第2弾が2兆円ぐらいになるのではないか、さらに、第3弾として年末ぐらいに1兆円ほど出すのではないか、というのが僕の見立てです。で、合計7兆円。そういう規模の復興資金を政府は提示してくるんではないかと思うんですよ。もしかしたらこれより少額になる可能性すらある(※)。

※ 第3弾時のみ11.7兆円と見立てが外れているが、国民にとっては少しはましであった。

田中・上念『同』p.191

見立てが外れた割に、だからといって政府を褒めることもないようではありますが、復興には「20兆円から30兆円くら必要」と1.5倍の範囲でのおおざっぱな見込みを基に、政府案では7兆円規模になりそうなことをたいそう批判されています。さて、これに対する一部のリフレ派と呼ばれる方の見解はいかに?