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2012年07月30日 (月) | Edit |
まさかのご本人降臨で飯田先生からコメントをいただきました。このような場末のブログまでご高覧いただきありがとうございます。せっかくですので、別エントリとして取り上げさせていただきます。

「(一つのエントリで)語るべきすべての事を語っていない」というのは有限の文字数で記される言説すべてに適用できる批判なので万能にして無意味.

社会保障給付が景気対策になるよの話は『脱貧困の経済学』(飯田・雨宮)と『ゼロから学ぶ』をはじめほとんどすべての僕の本で一番重視しているところなので指摘はちょっと心外.

あと,データ分析についても誤解がある.

データでの分析は「いままで行われてきた政策を評価する」ことはできても(そのままの形では)「いままでやられたことのない政策の評価」はできないんだ.

政府消費と社会保障はほとんどトレンド(線形トレンドではないよ)にしたがった推移をしており,見せかけ上の相関を除く処理を行うと系統的な動きがない.「景気対策として使われたことがない」「だから今回タイプの分析では取り扱わ(え)ない」

フィスカル・ポリシー(裁量的景気対策の財政的手法)といえば日本の場合これまでは公共事業か減税のことであり,そのうち前者は効かないよという話.

あと,政府紙幣や買いオペはさんざん「それは財政政策だ」といわれて
2012/07/27(金) 09:01:38 | URL | 飯田泰之 #-[ 編集]

上記でいただいたコメントの最後の部分は途中のような気もしますが、飯田先生のいら立ちが感じられるのは私の気のせいではないですね。ただ、自己レスの中で述べた通り私自身は飯田先生の分析結果には大変興味を持っているところでして、「有限の文字数で記される言説すべてに適用できる批判なので万能にして無意味」といわれても、そもそも批判する意図はありませんので、正直なところ困惑しております。この点は、UNCORRELATEDさんからいただいたトラバでも「誤解」を指摘されてしまっておりますし、飯田先生からも「社会保障給付が景気対策になるよの話は『脱貧困の経済学』(飯田・雨宮)と『ゼロから学ぶ』をはじめほとんどすべての僕の本で一番重視しているところなので指摘はちょっと心外.」とのコメントをいただいてしまいましたので、私の書きぶりが不適切だったものと反省しております。ご気分を害してしまいましたことをお詫び申し上げます。

なお、私自身は、飯田先生の著書はそれなりに拝読しておりまして、ざっと本棚を見渡してみると、単著では『経済学思考の技術 ― 論理・経済理論・データを使って考える』、『ダメな議論―論理思考で見抜く (ちくま新書)』、『歴史が教えるマネーの理論』、そして『ゼロから学ぶ経済政策 日本を幸福にする経済政策のつくり方 (角川oneテーマ21)』がありますし、共著では『ゼミナール 経済政策入門』、『コンパクトマクロ経済学 (コンパクト経済学ライブラリ)』、『経済成長って何で必要なんだろう? (SYNODOS READINGS)』、『要約 ケインズ 雇用と利子とお金の一般理論』(最後のは共著ではないですが・・)というところが目につきます。拙ブログでも引用させていただいているエントリが多数ありまして(ブログ内の検索フォームで「飯田」と検索すると20以上のエントリがヒットします)、こうしてみると結構熱心な読者ではないかと自画自賛(?)するところではあります。というわけで、私個人としては、「(一つのエントリで)語るべきすべての事を語っていない」という批判をするほど飯田先生の言説を知らないわけではないと思っておりましたが、お叱りを受けてしまったことからすると私の読み込みが足りていないということなのでしょう。この点もお詫び申し上げます。

という、読み込みが足りていない私が恥の上塗りをするだけになりますが、個人的には飯田先生の「再分配論」にはかなりの違和感を感じております。といいますのは、飯田先生の「再分配」政策は現物給付と現金給付を比べて、(私の理解では)後者の方が歪みのある価格効果のみならず歪みのない所得効果を持つことによって、より効用を高めることができることを2財モデルを用いて説明されているのですが、飯田先生もご指摘の通り「情報の非対称性」があるような不完全な市場においては、そのような所得効果は期待されないのではないかと考えます。なお、私自身が公共サービスを供給する側にいることに起因するバイアスもあるとは思いますが、「情報の非対称性」の要因として、タロックやブキャナン、ニスカネンというような公共選択系の経済学者による「官僚の私益」に着目した議論は、その性質上陰謀論と大して変わりないと考えておりますので、飯田先生がそうお考えかどうかは別として実りある議論にはなりにくいように思います。

それはともかく、飯田先生の議論に私が不満を抱いてしまう点は、いくら再分配政策として現金を給付したところで、その現金によって購入しなければならないサービスが適切に供給されるのかは不明であって、その点についての説明がほとんどないからではないかと個人的には考えております。この点については、読み込みの足りない私の考えを述べるよりも、レーガン大統領の下で競争主義的な政策を進めたブキャナンと、新古典派統合とドイツ財政学を合流させたマスグレイブの議論から、私が実務上感じている実態に近いと思われるマスグレイブの指摘を引用させていただきます。

私的財の公的供給

 現代の予算を見るとき、公共財というよりはむしろ私的財の性質をもつと思われる項目の多くが含まれていることに気づく。そのようになっている理由はなにか。いろいろな説明ができるように思われる。
  1. 教育あるいは保健施設のようなある財は、その財の提供を受けるひとに個人的便益、すなわち消費において競合的であり他人と共有できない便益を提供する。加えて、それらはまた、個々の受益者が見逃す外部性を生み出す。私的需要に応じて用意される供給は、最善とはならず、公的補完が必要となる。これは、私的購入に補助を与えるかあるいは公的供給によって提供されるように思われる。
  2. 金銭的援助を与えるうえで彼らの保護者もしくは両親に頼ることができない状況では、貧困者や子供たちの基本的ニーズを満たすため、現物支給が要請されるかもしれない。
  3. 基本的ではあるが、希少な財もしくは供給においてきわめて非弾力的な財の場合には現物支給が適当であるように思われる−−たとえば、戦時に基本的食料を配給すること、もっとも緊急を要する患者に希少な医療を配分すること、ある都市の状況で、公的住宅を供給すること。
  4. しかしながら、これら特殊な環境は話のすべてではない。より一般的には、私的財の公的供給は、絶対的公平、あるいは”選択的平等主義”(Tobin 1970)の観点から分配上の正義を見るひとびとの態度を反映すると受け取られるかもしれない。最低生活水準の達成可能性は主として所得という観点からとらえられるのではなく、消費の“基本的”項目に限定される。社会的厚生関数は、このように温情主義的形態をとるかもしれない。それは、現金移転と収入が受取人の選好に見合った使い方を要求する厚生最大化の標準的功利主義モデルに反するように思われる。
  5. 同様の結果は、効用の相互依存性に基礎をおくパレート最適再分配の文脈で到達されるかもしれない。その場合には、提供者が引き出す効用は、受取人がその収入を支持されたとおり使用するかどうかに依存する。
 私的財の公的供給の理論的根拠は、このように多様な形態をとりうる。それ以外に、効果的にそれを実行するという別の問題がある。衣服もしくは食糧といった代替性のある品目の現物支給は、容易に他の使用に転換されてしまうことがある一方、低家賃住宅もしくは教育施設の指示通りの使用を確実なものにするのは比較的容易である。
pp.80-81

財政学と公共選択―国家の役割をめぐる大激論財政学と公共選択―国家の役割をめぐる大激論
(2003/10)
ジェイムズ・M. ブキャナン、リチャード・A. マスグレイブ 他

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マスグレイブのいう「私的財の公的供給」が現物支給による再分配に該当するものと思いますが、事ほど左様に現物支給の必要性は多様に説明できるわけで、さらに「効果的に実行する」という問題も別にあるという点を含めて、マスグレイブの指摘は私のような実務屋にはしっくりくるものとなっています。

この点について、飯田先生の著書では、現物給付と現金給付の「いいとこ取り」のためにバウチャー制度やベーシックインカム、あるいはその変種である給付付き税額控除が提言されています。しかし、それらで再分配した収入で、その再分配が必要であった方々が購入しなければらならない財やサービスがそもそも購入できるのか、あるいは適切に提供されるのかという点がほとんど考慮されていないように見受けます。再分配を受けなければならない立場にある方々というのは、その再分配された収入によって購入できる財やサービスを必要としているのであって、ただ単に現金収入を必要としているわけではありません。マスグレイブが「それらはまた、個々の受益者が見逃す外部性を生み出す。私的需要に応じて用意される供給は、最善とはならず、公的補完が必要となる。これは、私的購入に補助を与えるかあるいは公的供給によって提供されるように思われる」と指摘するように、再分配された収入で購入すべき財やサービスが、市場で適切に価格調整され、適切な水準や数量で提供されるとは限らないわけですから、市場で提供される財やサービスがそもそも粗悪であったり高額で希少だったりすれば、結局はそれらの方々の収入では適切な財やサービスを購入できず、再分配の目的が達成されない可能性があります(ただし、本書でマスグレイブは、賦課方式の年金を「ネズミ講」と呼んだサミュエルソンの影響からか積み立て方式の年金への移行を唱えていて、必ずしも現物支給される財やサービスを提供する側の確保を重視していないようでもありまして、この理由から飯田先生も同じ見解なのかもしれません。さらにいえば、財源の使途に制限のない税金と支払いに権利性がべったりと張り付いて財源調達力の強い社会保険料との違いについて「強制徴収される限り実質的には税金と同じことだと考えておいて良いでしょう」(『ゼロから』p.188)とおっしゃる飯田先生は、権利性の有無による税金の公的扶助の救貧機能と社会保険の防貧機能の違いについても混乱されているように見受けます)。

たとえば、医療の分野では、適切な価格で提供されるように診療報酬が公定されており、自由な価格設定ができる分野を限定するために混合診療も原則禁止されています。これらも「既得権益」として新古典派的な経済学者からは批判されるところですが、再分配を受けなければならない立場にある方を保護するためには、単にその収入を再分配するだけではなく、その収入によって購入されるべき財やサービスを適正な価格でかつ適正な水準で提供する側も同時に確保する必要があるわけです。したがって、現在の日本では、医療保険は国民健康保険によって国民皆保険として再分配されるべき患者を救うだけではなく、そのサービスを提供する従事者の所得や雇用を維持できる水準で運営しなければならず、必ずしも保険原則に従うわけではない医療従事者の雇用を維持するためにも一般財源からも財源負担されているものと、個人的には理解しております。

で、結局、飯田先生は再分配された方々がその収入で購入しなければならない財やサービスについて、どのようにすればその水準や量を確保できるとお考えなのかが、どの著書を拝見してもわかりませんでした。財やサービスを購入するために必要な収入を再分配すればいいということかとも思いましたが、『ゼロから』では給付付き税額控除による最低保証所得を7万5千円×12か月=90万円とされていまして、その財やサービスを提供するために必要な財源がこれでまかなえるのかは疑問が残るところです。もし、その論旨が「最低保証所得で購入できるくらいに、医療や介護や教育や保育の価格は下げなければならず、したがってその人件費はそれに見合う程度に下げなければならない」ということであれば、最低保証所得の方のために最低保証所得で働くワーキングプアの再生産になってしまわないか不安に思います。いやもちろん、これはデフレスパイラルそのものですので飯田先生がそう考えているとは思われませんが、こと公的サービスに要する人件費が絡むとこうした議論を展開するのが一部のリフレ派と呼ばれる方々でもありまして、油断のならないところです。

その点では、飯田先生のコメントでは「データでの分析は「いままで行われてきた政策を評価する」ことはできても(そのままの形では)「いままでやられたことのない政策の評価」はできないんだ」とのことですが、「社会保障給付が景気対策になるよの話は『脱貧困の経済学』(飯田・雨宮)と『ゼロから学ぶ』をはじめほとんどすべての僕の本で一番重視しているところ」とおっしゃることからすると、現在進行中の分析を含めてなにかそうしたデータの裏付けを分析されているのではないかと期待してしまうところです。私の誤解や上記の恥の上塗りを奇貨として分析の対象が広がり、データの裏付けが得られることにつながるのであれば望外の喜びです。
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2012年07月16日 (月) | Edit |
三連休でしたが、今年度の補正予算やら来年度の当初予算の準備でフルには休めないところでして、国レベルで決まった予算編成というのはそうやって具体的な現場レベルの事業に落とし込まれて、実際に民間に支出してはじめて「財政政策」の一部になるわけですね。という作業を年がら年中やっている実務屋としては、リフレ派と呼ばれる方々の議論がやっとここまでたどりつくのかもしれないなあという一縷の望みを感じさせるエントリがありました。

・・・ものすごく単純化すると1兆円公共工事は0.7兆円の民間工事の減少を招くということ.マクロの景気に与える影響は1/4強にすぎないということになる.財政政策が効かないのはコレが原因かもしれない.だってそもそも「影響関係が建設土木業界の中」だけで閉じちゃってるんだもん
 なぜこんな不思議なことになるんだろう・・・ちなみに反対の影響,「民間の工事が増えると公共工事が減る」という影響関係は観察されない(有意ではないがむしろ公共工事は増える).一番考えやすい要因は建設土木業界の供給能力が限られており,公的な事業でそのリソースを使うと,民間事業が供給能力の点で不可能となるという解釈だ.供給制約による文字通りのクラウディングインというわけ.
(略)
 このようなクラウディング・アウトが財政政策の効果低下の主因だとすると,2つの全く異なる政策インプリケーションが提示されることになる.

  • 近年海外で再注目されている「これまでは効かなかったけど,流動性制約流動性の罠の下ではちゃんと効く」という研究は日本には当てはまらない.だって,効かないのは「日本型財政政策」だから
  • 「財政政策」そのものが効かなくなっているんじゃなくて,建設・土木による財政出動が効かなくなっているだけ!ちゃんと供給余力があるところに支出すれば効くかもしれない
 どっちが政策論としてリーズナブルなんだろう.これには追加的な分析が必要なところ.財政支出の中身を変えるというのが可能かどうかがポイントになる.もっとも,業界内で閉じてしまわないちゃんとした公共事業になったとたんにがっちりMF効果が出ちゃうって可能性も否定できないですが.

■[economics]マンデル・フレミング効果ではないかもしれない(2012-07-15)」(こら!たまには研究しろ!!
※ 以下、強調は引用者による。

まあ、マクロ経済学を専門とされる飯田先生にとっては「財政政策の影響関係が建設土木業界の中で閉じちゃってる」ことは不思議なことかもしれませんが、財政政策って公共事業のことじゃないんですよ。24年度の一般会計歳出に占める割合が一番大きいのが「社会保障」の29.2%でして、これに地方交付税と国債費を合わせて7割を占めていますが、公共事業なんて5.1%にすぎません。
平成24年度一般会計予算(平成24年4月5日成立)の概要
平成24年度一般会計予算(平成24年4月5日成立)の概要」(財務省

ついでに、24年度6月までの一般会計歳出と特別会計の重複分を除いた一般会計・特別会計の主要経費別純計の総額228.8兆円のうち、社会保障関係費75.8兆円、国債費84.7兆円、地方交付税交付金等19.9兆円を合わせた180.4兆円で、8割近くを占めています。
日本の財政関係資料平成24年度予算補足資料(3.09MB)p.38」(財務省

「財政政策でバラマキ」とかいって「財政政策なんか効果ない」とおっしゃる方には「財政政策=公共事業」と思いこんでいる方が散見されますし、リフレ派と呼ばれる方々もその例外ではない*1ように思います。しかし、公共事業を増やすような「財政政策」が効果ないことは昨今の予算に占めるシェアの低さを考えれば不思議ではありませんし、公共事業に必要となる鉱石や鉄鋼などの資材、重機などの機材、機材オペレーターや工事監督などの人材に供給制約があることも不思議なことではないと思うのですが、新古典派を基礎とするマクロ経済学がご専門の飯田先生には不思議なことと写るようです。

いやもちろん、飯田先生も社会保障費が日本の財政の中でも大きな割合を占めていることはご存じなのでしょうし、「財政支出の中身を変えるというのが可能かどうかがポイント」というのもその通りだと思いますけれども、新古典派を基礎とするマクロ経済学がご専門の飯田先生にとっては、社会保障にかかる保険料や現物給付はあくまで経済に対する桎梏であって、それが「財政政策」であるという認識をお持ちでないのかもしれません。拙ブログでよく引用するマスグレイブの財政政策3機能論でも「経済の安定」と「資源の効率的な配分」と「所得の公平な再分配」は別に扱われていそうですが、これらは政府による経済活動をそれぞれの側面から捉えたものというべきで、同じ政府活動がさまざまな経済的効果を持つと考えるべきではないかと思います。

たとえば、飯田先生が「財政政策=公共事業」と考えているかは別として、公共事業の多寡によって財政政策の効果を計るというのは、それがいわゆる「日本型雇用慣行」のもとである時期まで企業を通じた社会保障がそれなりに機能していて、特に地方では建設業に従事することによってしか生活保障を得ることができなかった実態に即したものであれば、それなりに意味のある研究だったのだろうと思います。しかし、周知の通り地方では公共事業の削減により建設業に従事しても生活保障が得られない状況となり、「日本型雇用慣行」の傘から漏れる非正規雇用が増加(こちらのエントリのコメント欄)し、その結果として、公共事業という財政政策による「経済の安定」と「資源の効率的な配分」と「所得の公平な再分配」が期待できなくなったというのが現在の状況なのではないでしょうか。

でまあ、上記リンク先の通り、現在の一般会計歳出で最もシェアが大きいのは社会保障ですので、これをいかに経済に望ましい影響を与えるように再分配するかというのが財政政策の肝であって、同時に財政政策を通じた経済政策を論じることになるものと個人的には理解しております。たとえば、権丈先生はこれを「積極的社会保障政策という景気対策――社会保障重視派こそが一番の成長重視派に決まってるだろう」とおっしゃっているのだろうと思いますし、次の文章が私が一部のリフレ派と呼ばれる方々と距離を置く決定的なきっかけともなりました。

 もっとも、この国の需要構造の大転換のために、生産要素の移動は生じる。社会保険料や税の負担が高くなって、奢侈品の消費は控えられるであろうが、負担増の部分は、すべて社会保障の現物給付に使われるのであるから、奢侈品の減少分の生活必需品は増加して、そこに新たな雇用が生まれる。そして労働の移動が生じる際のさまざまな摩擦には、社会保障というセイフティネットでできる限り対応する。
 また、社会保障の現物給付は、所得と関わりなく、高所得者であれ低所得者であれ、ほぼ同じ額が給付されるので、いかなる財源で調達しようとも、受給額から負担額を引いたネットでみれば、低所得者であるほどネットの受益者になる。つまり限界消費性向の低い(限界貯蓄性向が高い)高所得者から限界消費性向が高い(限界貯蓄性向が低い)低所得者に所得が再分配されるのであるから、積極的社会保障政策は、社会全体の消費性向を高めることになり、この国の難問である需要不足の緩和に大きく貢献する
 そうした一国の体質改善を図りましょうというのが、積極的社会保障政策であり、これは、景気対策であり、成長政策なのである。

 ところが、世間をながめてみると、構造改革とか上げ潮なんとかという不思議な呪文のもとに、自助努力とか生活自己責任の原則などと言っては、国民にガマンを強いるのが、成長政策と考えている人がやまほどいるようなのである。しかしながら、この国を成長させたいのであれば、採るべき政策は、まったく逆。互助・共助と生活の社会的責任の強化である。構造改革の名の下に、社会保障を抑制しては国民の不安を煽り、彼らの消費を萎縮させておいて、内需主導の成長など起こるはずがない。せいぜい、外需という神頼みの成長くらいしかできそうにない。

勿凝学問172 積極的社会保障政策という景気対策――社会保障重視派こそが一番の成長重視派に決まってるだろう 2008年9月5日(注:pdfファイルです)」(仕事のページ

リンク先のファイルには、この後で正統的なケインズ経済学についても述べられているので、「本来のケインズ主義」について疑念をお持ちの方にもご一読をおすすめします。

個人的な理解ですが、社会保障である医療や福祉、介護、保育、教育などはすべて対人サービスであって、それを現物支給するによって雇用を増やすということは、公共サービスの現場にいる者として実感するところでもあります。雇用を増やすということは、その分だけ所得を得る人が増えるわけでして、さらに賃金アップでその待遇を改善することによって所得を増やすことが可能です。つまりは、現物給付による社会保障の拡充が生活保障を与えて将来不安を軽減し、貯蓄から消費への転換を促すとともに、三面等価の原則によりその消費のむかう側や現物給付を担う側にとっても所得を増加させるという両側面から、国民所得を増やす効果が期待できるということではないかと。ついでにいえば、三面等価の原則は付加価値というフローにあてはまるものであって、それをストックである国債によって賄うべきものではないことはいうまでもないでしょう。

まあ私の個人的な理解はともかく、「フロー財源である税金による財源調達→財政政策としての社会保障の拡充による消費および所得の増加→経済成長」という循環は、別にリフレーション政策と対立するものではないと思いますが、こうした財政政策に対する見解がリフレ派と呼ばれる論者によってバラバラすぎて、中には公然と財政政策を批判する方(職業訓練などの積極的社会保障政策はもちろん、人件費という政府支出も批判の的ですね)もいらっしゃるために、拙ブログでは「構造改革の名の下に、社会保障を抑制しては国民の不安を煽り、彼らの消費を萎縮させ」るような一部のリフレ派と呼ばれる方々を批判させていただいているところです。

ついでにいえば、そうした構造改革云々以前の問題として実務的に実現不可能な絵空事をおっしゃる方々も批判させていただいておりまして、一部のリフレ派と呼ばれる方々がそこに重なることも多いのですが、hamachan先生のエントリのコメント欄経由で、この方も実務面で通用しなさそうなことをよくおっしゃいますね。

 私は消費税撤廃論者でありまして、東大の八田達夫先生の感化を受けました。消費税の最適税率はゼロだと信じておりますし、学術的裏付けも可能だと考えています。
 こういう議論をすると、弱者には後から分配すればいいんだという議論をする方が、かなりの比率でいます。この中にもおそらく、とりあえず消費の時にいったん5%でみんなに納めさせて構わないじゃないか、その段階で今までごかましていた自営業者達が払わされるんだからいい気味じゃないか、と思われる方がいらっしゃるかもしれません。その上で、そこから今度は、本当に豊かか弱者かという何らかの基準を決めて、弱者にはもう一回分けてあげて、高額所得者からは別の形でもうちょっと負担をしてもらうというやり方だってあるだろうとお思いの方があるかもしれません。
 しかし、それは成り立たないのです。なぜならば、所得捕捉が困難だからこそ消費税シフトという議論が出て来たわけです。したがって、クロヨン、トーゴーサンを是正するために、徴税員を増やして所得捕捉の検査を充実させることなどによって、事業者を問わず個人を問わず、個々の稼いでいる所得をきっちりと把握しようという課税当局の努力は、これ以上はやらないということが、消費税シフトの前提だったわけです。
 消費税シフトとは、即ち、誰が弱者であるかを見極めることを、やめてしまうということです。しかし、弱者が誰かわからなくなるような制度設計をした後で弱者に再分配をするというのは、言語の論理矛盾です。
 究極のところ、弱者には強者から何らかの形で余分に再分配が必要だという価値規範を認めるのであれば、所得ないしは消費の総量といった、豊かさの指標を個人ごとに把握し、それを課税ベースにするという営みは、政府部門にとって必須となります。

政策研究大学院大学教授 福井 秀夫「固定資産課税の存在意義を考える」財団法人 資産評価システム研究センター

所得の捕捉率を上げることが根源的に困難であることは実務上その通りですが、だからといって所得再分配ができないというのも、これまた福井先生らしい極論ですね。医療や福祉、介護、保育などの現物給付はなりすまし(mimic)が通用しないからこそ、必要原則に応じた給付が可能となります。たとえば、障害もない30代の方が「私は65歳を超えているから介護保険で面倒見てくれ」といっても給付を受けることはまずありませんし、同じ方の親が「うちの子はまだ5歳だから保育園で面倒見てくれ」といっても給付を受けることはないでしょう*2。むしろ、実態としてそのような給付が必要であれば、それに応じて給付することが社会保障の観点からは望ましいでしょう。それは決して「不正受給」ではありません。
その点では、福井先生がおっしゃる「所得ないしは消費の総量といった、豊かさの指標を個人ごとに把握し、それを課税ベースにするという営みは、政府部門にとって必須」というのは異論はありませんが、だからといって「消費税の最適税率はゼロだと信じておりますし、学術的裏付けも可能」という主張と二者択一であるかのようなことをいわれてしまうと、福井先生も元は実務を担当していただろうに「専門知」にまみれて現実が見えなくなってしまったのかなあと、自戒を込めて実務をおろそかにしてはいけないという気になりますね。




*1 一部のリフレ派と呼ばれる方々のお一人が、「一時的な財政政策と恒久的な財政政策の違い」について説明されていましたが、この先生が認めている「恒久的な財政政策」の例が、スティグリッツのいう政府通貨発行策とバーナンキのいう期国債買いオペの増額だそうでして、浅学な私にはどちらも「金融政策」ではないかと思われるところでして、まあ、経済学のご専門の先生のいうことが「正しい」に違いありませんから、私が間違っているのでしょう。とはいっても、実務屋からすればそこで調達した財源をどう使うのかが「財政政策」でして、やっぱり「財政政策という政府による財政支出の使い道には無頓着かつ陰謀論な方」という印象はぬぐえませんね。
*2 生活保護では確かに一部不正受給がありますが、むしろ問題となっているのは水際作戦による潜在的な生活保護の捕捉率の低さですし、規模を考えると個人事業主の所得のクロヨンとかトーゴーサンといわれる捕捉率の低さに比べれば、財源調達よりも財政支出の方が貧弱というべきではないかと。

2012年07月10日 (火) | Edit |
前回の続きの二冊目ですが、こちらは「消費税アップは15年後でよい」とおっしゃる原田泰氏です。なんといっても帯が「大震災を口実にした役人の悪だくみ 闘うエコノミストがデータから嘘を暴く」とのことで、威勢のいいことこの上ありません。

この帯の通り、本書は復興予算が過大であることを執拗に批判し続けます。その理論がなければ第1章の「大増税の口実に使われる大震災」という主張が揺らいでしまいますから、原田氏がそれを批判するのは理解できますし、実際のところ、私も「単なる復旧ではなく、創造的復興だ!」とかいわれると、過疎が進む三陸地域でそんな投資が奏功することはほぼないだろうと考えています。そもそも震災後2週間の時点でも書いたように「権利をそのままにして建物を復旧するよりも、移転させて住居を提供するという補償のほうが高くつく可能性もある」わけで、それに国民の合意を取り付けるのは、震災から1年以上を過ぎた今となってはなおさら難しいでしょう。

しかしそうはいっても、震災の被害推計が過大ということと復興予算が過大ということは直接つながるものではありませんし、さらにいえば、復興予算が過大であってもその執行が追いつかない状況にあるわけで、マクロ経済ばかりに目がいってしまっているせいか、国から地方自治体までの財政支出のロジとかを考慮しない単純な利権陰謀論になっているように思います。

復興予算4割使われず 23年度、想定通り進まず MSN産経ニュース2012.6.28 23:27

 政府が平成23年度予算で計上した東日本大震災の復興費約15兆円のうち、約4割が23年度内に使われなかったことが28日、分かった。第1次~第3次補正予算の復興費の執行状況を復興庁が集計した。

 政府が被災地との調整に手間取り、復興事業が想定通りに進まなかったためで、これほどの規模の予算が執行されなかったのは極めて異例だ。29日にも発表する。

 復興費14兆9243億円のうち、年度内に執行されたのは全体の60・6%の9兆514億円にとどまった。40%近い、5兆8728億円が使われなかった計算だ。

 震災直後は被害状況の把握が難しく、予算が多めに計上された面もあるが、政府は使い残した予算について、24年度に繰り越したり、予定していた事業に充てない「不用額」として処理する方針だ。

 この結果、24年度に繰り越されるのは4兆7694億円に上る。集落の集団移転など幅広い事業に使えるお金として、国が被災地の自治体に配分する「震災復興交付金」は3次補正予算で1兆5612億円を計上していたが、1兆3101億円を繰り越す。

 また、災害廃棄物や放射性物質の仮置き場がなかなか見つからないことなどから、災害廃棄物処理事業費の3941億円、除染事業費の1681億円についても、それぞれ同様に処理する。

 一方、不用額は、道路や港湾の復旧に充てる災害復旧事業費など1兆1034億円に上る見通し。政府は全額を24年度に新しく設けた復興特別会計に繰り入れる方向で調整する。

リフレーション政策のようなマクロ政策に造詣の深い方にとっては、こうした予算執行の実務というようなどろどろした現場なんかどうでもいいのかもしれませんが、いくら予算をつけたところで執行する自治体の人員や受注する地元企業の資材調達、求人状況によってはその予算が予定通り執行されないことも往々にしてあります。というか、それが常態です。ドカンと予算をつければ復興するというリフレ派の方もいらっしゃいますが、実態の経済で購入されるモノやサービスには限りがあるわけです。

田中 内閣府の被害推計もありますが、多くの経済学者やエコノミストたちの合意は、少なくとも20兆円は超している。僕はそれよりも大きく考えていて、先の岩田先生の発言のとおり望ましい街並みを創造するには40兆円以上いく可能性がある。しかも何度も言うけれども、政府と日本銀行の政策がまずければこの被害総額はどんどん増加していきます。
p.84

「復興増税」亡国論 (宝島社新書)「復興増税」亡国論 (宝島社新書)
(2012/01/10)
田中秀臣(たなか・ひでとみ)、上念司(じょうねん・つかさ) 他

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※ 以下、強調は引用者による。

田中先生は被害額と復興予算の区別がついていないようですが、リフレ派の皆さんには、原田氏のせいぜい6兆円という被害額とどちらを支持される方が多いのか大変興味深いところではあります。

で、これに対して原田本は、「利権陰謀論という結論を書きたくて復興予算が過大と主張しなければならない」本ですので、被災額の推計が過大であるという理屈も、現地にいる者として正直なところ「ふざけんな」といいたくなる内容です。象徴的なのが、

 また、そもそも住宅という個人財産の復活に政府が援助するとすれば、当然に中古価格を前提にしなければ不公平ということになろう。
 このことを再度、別の方法で説明しよう。すべての物的資産の耐用年数を40年としよう(何年にしようが以下の議論に変わりはない)。現在ある物的資産の平均年齢は40年の半分の20年としよう。すなわち、現在もっている資産は、あと平均的に20年しか持たない。今、資産が地震と津波で破壊され、新たに建て直すとすると、今度はあと平均的に40年持つ物的資産を持てる訳だ。20年しか持たない資産と40年持つ資産を交換できるとしたら、20年しか持たない資産は2倍の量を提供しなければ40年持つ資産とは交換できないだろう。すなわち、古い資産の価値はやはり新しい資産の半分と評価すべきということになる。
pp.19-20

震災復興 欺瞞の構図 (新潮新書)震災復興 欺瞞の構図 (新潮新書)
(2012/03/16)
原田 泰

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というところでして、中古住宅ってのは建て売りされているものであって、なにもない更地に建てる中古住宅なんて見たことないんですが、コノカタハナニヲイッテイルノデスカ? 確かに被害額の算定に当たって、減価償却を考慮して簿価ベースで評価することは理に適っていますが、復興に必要な予算を見積もるための根拠とするのであれば、住宅を再建するための必要経費は当然のことながら新築価格になるはずです。結局この本の目的が「利権陰謀論という結論を書きたくて復興予算が過大と主張しなければならない」というところにあるので、必要とされる予算額が過大という結論を導くために、被害額が過大に見積もられていることをここで強調しておかなければならなかったのでしょう。そうしないと後半で大々的に展開される利権陰謀論の根拠が失われますからね。

それにしても「不公平」って誰に対して不公平なのでしょうか。たまたま震災に遭って住宅をなくした方と特に被害もなくこれまで通り住宅に住んでいる人を比べて「新しく建てるからといって、新築住宅の費用を必要額の根拠にするのは不公平だ」というほど、日本人というのは利己的だったのでしょうかねえ。

と思えば、用地買収交渉の現場の苦労を踏みにじるように、

 土地買収に時間がかかるからだという人が多いのだが、本当にそうだろうか。新幹線をなんとかして通して欲しいと地元がこぞって希望しているのだから、地元は土地買収に協力的なはずだ。迷惑施設の建設をするわけではない。(略)これほど地元の人々が求めているものの土地買収で、あまりごねる訳にもいかないだろう。
(略)
 これに対して、第2次大戦中、日本陸軍は、タイとビルマを結ぶ鉄道、415キロメートルの泰緬鉄道を1942年6月から43年10月までのわずか1年4か月で完成させた。年に311キロも建設した訳だ。もちろん、映画『戦場にかける橋』にあるように、捕虜を酷使して作ったからそんなに早くできたに違いないが、現在は、巨大なパワーシャベルも、カッターを回しながら大口径のトンネルを掘るシールドマシンも何でもある。人間を酷使するより、ずっと早く工事ができるはずだ。

原田『同』pp.89-90

なんてことをおっしゃるのですが、そんな利他的な方ばっかりなら用地買収交渉担当が生活保護と徴税と並んで「三大異動したくない部署」になんかなりませんけど。もちろん、地元の方の多くは協力的ですが、新幹線というのは沿線住民にとっては振動やら騒音やら電磁波やらで典型的な迷惑施設なんですよね。さらにいえば、土地は分筆して相続されるものでして、地元に残った本家の人が持っているのは実は元あった土地の数十分の一で、ほかは進学とか就職とか結婚で地元を離れた子息たちの所有になっていたりするので、そういう方々にとってはできるだけ高く売りたい資産でもあります。その用地買収の補償交渉で難航するのは日常茶飯事だということは原田氏には想像できないのでしょう。しかも、日本が第二次世界大戦中に占領したタイとビルマの例を持ち出してもっと早くできるはずって、どこまで用地買収の現場を踏みに(ry

ということで、原田本は一事が万事この調子でして、現地の状況をご存じないことが端々から伝わってきます。

仮設住宅でも、6か月たって、まだ5万戸しか建っていなかった。普通の家も、3か月で建つ。間に合わないというのなら、最初に住宅頭金を受けて家を再建した人は、6か月の間、他の家族を無料で下宿させるとしてはどうだろうか。

原田『同』pp.47-48

まあ、住宅の建築が制限されて、急峻な三陸の山間地域に点在する被災地のどこに家を建てればいいとおっしゃるのかわかりませんが、仮設住宅ですら5万戸建てるのに6か月かかるなら、普通の家を建てる用地を確保するのはもっとかかるだろうと考えるのが普通じゃないでしょうかね。

 高台造成などの公共事業に資金を使うより、個人の住宅の再建に資金を用いた方が良い。少しでも海の近くに住みたい人と車を使えない高齢者は旧市街地に住んで、海の近くである必要のない人は山に住めば良い。人口減少と高齢化で、三陸の山に土地はいくらでもある。

原田『同』p.113

原田氏はとことん用地確保をなめているようでして、急峻な三陸の山間地域で十分な土地を確保できるところは限られています。内陸部では、住宅だけではなく工場も店舗も農地も移転しようとしているため、地代が高騰(といっても地方としてはというレベルですが)していて、おいそれと住宅を建てられない状況です。さらに、公共事業と店舗や工場の再建と住宅再建が重なっているため、資材市場が高騰していて、建設会社もフル稼働で空きがなく、せっかく資金調達できた企業や個人がいつまでも再建に着手すらできないという事情もあります。そんな建設会社も、復興需要が一時的であることを見越して人員増には慎重なため(もちろん沿岸部の建設業の求人は激増していますが、復興需要に対しては十分な求人ではありません)、被災地の建設工事がなかなか進まなくなっています。そうした被災地の実情を踏まえて本書をみると、いやまあ、誰が「欺瞞の構図」を作り出しているのかわからなくなりますねえ。

こんなことをグダグダ書いたところで、シカゴ学派の創始者であったフランク・ナイトに、ミルトン・フリードマンとともに破門された「独占のすばらしさを歌い上げる冊子を書いたジョージ・スティグラー」の「捕捉理論」を取り出して「原発利権」を批判する原田氏(本書p.163)にとっては、ここでチホーコームインごときが批判したところで「利権に絡め取られた公務員が陰謀を明かされて逆ギレしやがって」くらいにしか思われないでしょう。まあそれはともかく私がショックだったのは、震災後いち早くCFWを提唱し「みたすキャッシュ・フォー・ワークが必要」とおっしゃる永松先生がご自身の推薦図書の筆頭に原田本を掲載していることです。「個人個人に復興資金が行き渡る復興支援をという主張には迫力を感じる」とのことで、そりゃまあ、これだけ現場を踏みにじりながら威勢のいいことをおっしゃれば「迫力」はありますが、そういうネタであることを祈るばかりです。

2012年07月10日 (火) | Edit |
私自身は緩やかにリフレーション政策を支持する立場でして、「リフレ」にトッププライオリティを与えなければ「反リフレ派」とか「デフレ派」と罵倒するような先鋭的な「リフレ派」には距離を置く必要性を感じていることもあって、拙ブログでは「一部のリフレ派と呼ばれる方々」という言い方をしております。

でまあ、一部のリフレ派と呼ばれる方々の復興関連の本を立て続けに読んでみたのですが、あまりにあんまりなもので気分が落ち込んでおります。「一部のリフレ派と呼ばれる方々」ってのはどうやら陰謀論に傾きやすい性質を持っているようで、それはご自身の理論が正しいと信じるあまり、その理論が実現されないのはよからぬことを企んでいる誰かの仕業か、はたまたどうしようもない馬鹿ばっかりが政策運営を担当しているからという「俺様だけが正しい」論を信奉してしまうからなんでしょう。とはいえ、復興関連でも鬼の首を取ったかのように「俺様だけが正しい」論を喧伝しているのを拝見すると、復興の現場にいて被災された方々の現実を目の当たりにしている者としては、怒りを通り越してむなしさだけが読後感として残っています。

個人的にはモチベーションを下げられてしまって明日からの仕事をどうしてくれるんだという思いはあるのですが、そういう意見があるということも現実として受け止めなければなりませんので、備忘録としてメモしておきます。まず一冊目が、「お手軽に批判対象を公共の敵に仕立て上げようとする、せこいトリック」を駆使したタイトルでおなじみの本でして、著者のお二人は言わずと知れた陰謀論的リフレ論者です。正直にいえば、私自身がリフレーション政策を知るきっかけの1つが著者のお一人の田中先生なのですが、私が現在の日本の政府支出の中でも極めて貧弱と考える所得再分配や社会保障については「経済学の理論にうまく組み込めない」とさじを投げてしまう方でもありまして、財政政策という政府による財政支出の使い道には無頓着かつ陰謀論な方であることが、この本にも如実に現れているように思います。

結局のところ、経済学者として経済学の理論なり実証なりについてご専門の領域の範囲内で議論されていれば有益な議論になると思うのですが、たとえば私が比較優位をもつ労働とか雇用関係の記述を見るといかにもなトンデモ論になっているわけです。経済学の理論なり実証の中で「正しい」と考えられる理論について述べていながら、それを現実問題に落とし込む際にトンデモ論でコーティングされてしまうと、「正しい」理論であっても「使えない」理論にしかなりません。たとえば、

 さらに不況下では、新しいイノベーションを生み出すはずの若い人たちが、まったく働けなくなっている。しかも、不況が深刻になるほど、若年層の失業率が高くなる。そうすると、「日本的な雇用システムが問題である」と言い出す人がいるけれど、日本的な雇用システムなんて、そもそも会社の9割をしめる中小企業とかベンチャー企業は全然採用していないから。
 シュムペーターが理想としている、不況の過程の中で、新規の小さい企業が集まってイノベーションを起こすというのは空想論で、そういう企業こそ、不況の中で立ち行かなくなってしまう。だから、不況下ではイノベーションが生まれないというのが現実です。
 むしろ、重厚長大型で、資産だけが豊富で、しかし、新しい投資機会があまり見つけられないような企業に限って、資産を切り売りし、何とか生き残ってきた。そういう保守的な企業のほうがサバイバルできてしまった。結果、既存の社員はなるべくクビを切らずにいこう。だから、新卒はとらないでいこうということになり、若年者失業率が上がったんです。
p.90

「復興増税」亡国論 (宝島社新書)「復興増税」亡国論 (宝島社新書)
(2012/01/10)
田中秀臣(たなか・ひでとみ)、上念司(じょうねん・つかさ) 他

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※ 以下、強調は引用者による。

「日本的な雇用システム」というのが具体的にどのようなものを指すのかはわかりませんが、中小企業とかベンチャー企業が採用していないというのであれば、「終身雇用」とか「年功序列」とか「企業別組合」というような「三種の神器」で新卒一括採用するのが、ここでいう「日本的な雇用システム」と考えてよさそうです。ところが、「会社の9割をしめる中小企業やベンチャー企業」が採用していない、ということは、「重厚長大型」で「保守的な企業」が採用している「日本的な雇用システム」では「新卒をとらない」としたために、「若年者失業率が上がった」んだそうです。

上記の意味の「日本的な雇用システム」を9割を占める中小企業やベンチャー企業が全然採用していないというのは、これ自体もかなり怪しい前提ではありますが、まあ百歩か千歩ぐらい譲って間違っているとまでは言えないかもしれません。しかし、その残りの1割の重厚長大型で保守的な企業が新卒採用を控えたことによって若年者失業率が上がるという議論は、ご自身がおかれたその前提があるからこそ成り立っていないように思います。さらにいえば、「不況の過程の中で、新規の小さい企業が集まってイノベーションを起こす」というのはシュンペーターの理論ではなく、シュンペーターを誤読した方の議論ではないかと思われるところ(シュンペーターは企業家と経営者を明確に区別し、「新結合」をもたらす企業家はごく少数のリーダーでしかなりえないことを指摘していますし、不況とか小さい企業はその要件とされていないはず)ですが、まあ、経済学については専門家でもない私が間違っているのでしょう。

リフレーション政策そのものは経済学の理論として考えれば「正しい」だろうとは思いますが、その実現を主張する方の認識がこれでは、リフレーション政策が実現することはないのだろうなと思ってしまいます。

そうした思いを持って読んでしまっていますので、その他の記述もなんだかなあという印象です。

田中 つけ加えると、常に増税をしたがる財務省なんかは、「消費税を上げると、翌年の税収がガクンと減るという人がいるけれど、その後は緩やかに回復していきます。という話をするんです。でも、そんな話に騙されてはいけない。財務省は、全体の税収の変化を見ずに、消費税収の変化だけをとらえて、消費税を増税すれば税収が増えると言ってしまっている。
 確かに、消費税は、増税後しばらくすると伸びているけれど、ほかの税収が下がってしまうというのは、図表4から明らかなんです。
田中・上念『同』p.140

いやまあ、1997年の消費税率引き上げのときは、「先行する減税と社会保障支出の増加によって、国民負担はほとんど変化しなかった」んですが、本書にはその点についての記述が一切ありませんね。1997年はアジア通貨危機があった年でもありますし、消費税率引き上げだけを取り上げて、全体の国民負担にはほとんど変化がなかったことに触れずに「増税によって税収が減った」というのがいまいちよく理解できません。経済学ってそういうことだったのか。

ここまで読んだだけ自分を褒めたいところではありますが、それはともかく二冊目への布石なんですが、

田中 まず復興資金の必要額としては、今回の被害総額を埋めるためには、20兆円から30兆円くらい必要であると。そして、過去の事例から、震災が起こった初期に一気に復興資金を投入しなければいけないという視点に立つと、初年度でそのうちの大半、今回でいえば20兆円近くを一気に投入するのが望ましいということがいえます。
 しかし今、マスコミから漏れ聞こえてくる報道を見ていると、政府が出す復興資金は、まず4兆円くらいといわれています。そして、夏ぐらいにまた追加の復興資金の話が出て、第2弾が2兆円ぐらいになるのではないか、さらに、第3弾として年末ぐらいに1兆円ほど出すのではないか、というのが僕の見立てです。で、合計7兆円。そういう規模の復興資金を政府は提示してくるんではないかと思うんですよ。もしかしたらこれより少額になる可能性すらある(※)。

※ 第3弾時のみ11.7兆円と見立てが外れているが、国民にとっては少しはましであった。

田中・上念『同』p.191

見立てが外れた割に、だからといって政府を褒めることもないようではありますが、復興には「20兆円から30兆円くら必要」と1.5倍の範囲でのおおざっぱな見込みを基に、政府案では7兆円規模になりそうなことをたいそう批判されています。さて、これに対する一部のリフレ派と呼ばれる方の見解はいかに?

2012年07月01日 (日) | Edit |
7月に入って早々小ネタですが、

都構想法案で大筋合意=新法として共同提出-与野党5党

 民主、自民、公明、みんなの党、国民新党5党は28日、橋下徹大阪市長の掲げる「大阪都」構想の実現を後押しする新法案を今国会に共同提出することで大筋合意した。東京都以外の道府県に特別区設置を認める内容で、政令市を含め総人口200万人以上となる市町村域を対象とする。税源配分など三つの項目に限定して国との事前協議規定も設ける。 
 各党が提出していた3本の都構想関連法案は取り下げ、新法案に一本化して今国会中の成立を目指す。来週にも正式合意する。
 大筋合意の具体的内容は、(1)特別区設置を目指す総人口200万人以上の市町村と道府県は協議会を設け、特別区の区割りや名称などを盛り込んだ設置計画を作成する(2)設置計画が各議会と住民投票で賛成を得られれば、市町村の廃止と特別区の新設を認める-など。
 与野党協議では、国の関与の程度が焦点となった。自公やみんなの党は、国の関与を最小限にするよう求めたが、法改正や他自治体への影響も大きい「税源配分」「財政調整」「事務分担」の3項目に限っては、地元と国との事前協議規定を設けることで決着した。民主、国民新両党が主張していた国の同意は不要とした。
 自公とみんなの党はそれぞれ地方自治法の改正案を、民主、国民新両党は新法案を提出していたが、現行の東京都23特別区より柔軟な制度設計を可能にするため、新法としての成立を目指すことで一致した。(2012/06/28-17:46)

世の中には消費税引き上げとか日銀法とか政局やネット論壇で意見が割れる法案から障害者自立支援法とか実現可能性を巡って議論が分かれる法案まで「決まらない」法案が目白押しのなかで、チホーブンケンとかチーキシュケンちっくな法案はいとも簡単に5党が合意してしまうわけですね。橋下氏が「決定できる政治」を掲げて支持を集めている中で、橋下氏率いる維新の会の勢力を既存政党が利用したのかされたのかわかりませんが、その象徴として「国会議員からすれば関係ない」チホーブンケンをあっさりと決めてしまったのでしょう。

ということからすれば、上述したような議論の分かれる法案を推進される皆様におかれましては、すぐにでも「チホーブンケンを強力に推進するために○○法案が不可欠です」という論陣を張るとよろしいのではないでしょうか。その荒唐無稽さに目をつぶった選良の方々が乗ってくる公算はそれなりにあるでしょうし、もちろん、チホーブンケンとかチーキシュケンなんてのはあくまで方法論でしかないのですが、それの手段を目的とはき違えているのがチホーブンケン教の皆様であるということからすると、チホーブンケン教と共闘するということはそれほど難しいことではないと思います。

まあ、チホーブンケン教が最強なのは、具体的な政策として体をなしていなくても、行政の組織をいじるだけで成果を誇ることができるという「政策のリスクヘッジ効果」が高いことにあるので、チホーブンケン教と共闘したところで、行政組織が変わるだけでしかないことは今回の5党合意の内容を見ても明らかなんですけどね。

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