2012年02月11日 (土) | Edit |
今日で震災から11か月が経ちました。というより、あと1か月で震災から1年という方が感覚的にはしっくり来ます。これまで拙ブログでは毎月11日前後に被災地の状況など備忘録的にアップしておりましたが、冬本番の厳しい寒さが続く中で次第に日差しが春を感じさせるようになってきていまして、被災地の動きも局面が変わってきていることを感じます。

そんな中で復興庁が発足したそうですが、私自身よく分からないので共同通信社のQ&Aを引用します。


【Q&A/復興庁発足】府省束ねる「司令塔」 予算配分、監督も

 東日本大震災からの復興を担う新しい官庁として10日、復興庁が発足しました。

 Q なぜ新しい組織をつくったのですか。

 A 復興には、まちづくりから被災者の心のケアまで多くの府省が関わります。ばらばらに事業を進めると、被災地の意見集約に時間がかかったり、無駄が生じたりするため、「司令塔」をつくって窓口を一本化することにしました。

 Q どんな権限を持っているのですか

 A 復興施策を政府の中心になって取りまとめ、必要なお金を一括して財務省に要求します。確保した予算を担当府省に配分して実行させ、計画通りに進むよう監督します。規制や税金の特例を認めて支援する「復興特区」を認定し、使い道の自由度が高い「復興交付金」を配ります

 Q 縦割りの中央省庁をまとめるのは難しいのでは

 A 他省のトップは閣僚ですが、復興庁は内閣府と同様、首相をトップにしました。他省より「格上」というわけです。全閣僚がメンバーの「復興推進会議」も新設され、首相が議長として政策を調整します。

 Q 被災地の首長や民間の意見はどうやって反映させるのですか。

 A これまでの「復興構想会議」は廃止され、代わりに「復興推進委員会」が復興の進み具合をチェックします。

 Q 復興庁は東北に置くべきだという意見もありましたね。

 A 府省間の調整や国会対応を考慮して、本庁は東京都に置くことになりました。盛岡、仙台、福島の3市には「復興局」を置き、被災地の声を吸い上げます。

 また集落の高台移転など難しい事業に取り組む市町村を支援するため、岩手、宮城、福島3県の津波被災地に復興局の「支所」を2カ所ずつ設けます。青森県八戸市と水戸市には、本庁直轄の「事務所」を開き、幅広い相談や要望に応えます。発足時の常勤職員は全体で約250人、このうち被災地の3復興局には約90人を配置します。

 Q 発足まで1年近くかかりました

 A 大震災発生当時の菅直人首相は、復興庁の新設に慎重でした。首相と閣僚が対策本部で大方針を決め、官僚に事業を進めさせる「政治主導」にこだわったからです。しかし自民、公明両党が復興専門の役所をつくれと主張したこともあり、昨年6月に復興庁設置を明記した復興基本法が成立しました。菅首相の退陣をめぐる混乱や、復興庁の権限に関する与野党の対立など曲折もありました。

 Q これで復興は加速しますか。

 A 枠組みはできましたが、実際に事業を動かすのは国土交通省や農林水産省など従来の役所が中心です。復興を進めるには、首相や復興相の指導力が欠かせません

 (2012年2月9日、共同通信)
※ 以下、強調は引用者による。

「大震災発生当時の菅直人首相は、復興庁の新設に慎重でした。首相と閣僚が対策本部で大方針を決め、官僚に事業を進めさせる「政治主導」にこだわったからです」というのはとても的確な指摘だとは思いますが、まあそれはともかく、復興庁の権限は復興施策の予算要求、「復興特区」の認定、復興交付金の配分というところのようです。被災地支援のために情報を共有することは重要なところでして、ネットが発達して現在であっても、現地に情報の窓口があることはそれなりに意味のあることだろうと思います。

まあ、大手マスコミの皆さんは「縦割り排除のために「勧告権」を持つのが復興庁の権限であって、首相の指導力が問われる」云々という話をくり返しているようですが、縦割りというのは事業の対象者に対して効果的に事業を実施するために必要な組織的対応です。例えば、道路を作る担当と漁港を作る担当と農地を作る担当と介護の現場を担当する担当と学校運営の担当が同じ部署では効果的な事業実施はおぼつかないわけで、現場では縦割りかどうかなんてあまり関係はありません。もちろん、対象者は家族単位で道路を使って漁港を使い、農地を使って介護サービスを受け、子どもを学校に通わせたりしていますので、その意味では公共サービスは一体のものですが、かといって一人がやれば、あるいは一つの組織がやればサービスが一体になるものでもないわけです。そこで必要になるのが調整という作業でして、それをすっ飛ばしてリーダー論が語られてしまうところになんともな印象を受けてしまいます。

現時点では、私自身この新聞報道程度でしか役割を理解しておりませんので何ともいえないところではありますが、地元でも復興庁に過度の期待をかけているわけではなさそうです。

復興庁発足 「被災地の思いに耳を」
 復興庁が10日発足し、県内には仙台市に宮城復興局、気仙沼市と石巻市にそれぞれ支所が開設され、計30人体制でスタートした。準備不足が否めない中での船出となったが、被災地に国と自治体が直接協議する場が常設されたことで、これから本格化する復興事業に弾みがつくことが期待される。

 「被災地の復興への思いを耳を大きくして聞いてほしい。出身の役所をおもんぱかったり、復興庁の本庁におもねったりせず、闘う役人であってほしい

 政府現地対策本部長から横滑りで復興政務官に就任した郡和子衆院議員は10日、仙台市中心部のオフィスビル13階に構えた復興局の開所式で、職員を前にそう訓示すると、一人一人と握手を交わした。

(略)

 一方、市民の受け止め方は微妙だ。

 津波で自宅が全壊し、仙台市宮城野区の仮設住宅に住む平山次雄さん(74)は、「復興庁には、県や市と連携し、スピード感を持って生活再建に取り組んでほしい」と話した。

 石巻魚市場の須能邦雄社長(68)は「今頃になって出てきても遅過ぎる。各省庁とのパイプが既に出来ており、間に復興庁が入ることでかえって時間がかからないか心配」と冷ややかな見方。山元町のイチゴ農家半沢徳男さん(62)は「津波の被害を免れたハウスの近くに農地を拡充したいが、いまだにがれき撤去も終わってない。そんなに期待していないけど、とにかくはやく復興を進めてほしい」と話していた。
(2012年2月11日 読売新聞)

いや、だから「闘う」んじゃなくて「調整」しなければならないんですが、合理的無知につけ込んで政権交代した現政権の方々には「調整」という概念はないのでしょう。まあ、彼らの言動にいちいち付き合っていられませんので地元の市民の方の受け止め方を見ると、実は震災後の復旧・復興事業というのは国が直轄で市町村や企業を対象としているものが多くなっていまして、「各省庁とのパイプが既に出来ており」というのが実態です。マスコミの皆さんは行政の対応が遅れているとさんざん指摘されるわけですが、実は国の行政をはじめとして地元自治体もかなり早期に支援策を講じておりまして、「首相と閣僚が対策本部で大方針を決め、官僚に事業を進めさせる「政治主導」にこだわっ」っているうちに、着々と進んでいた事業もあるわけです。そんな方からすれば、復興庁が中二階になるのではないかという危惧も当然なのだろうと思います。

冒頭で触れた被災地の状況の変化というのは、仮設住宅や生活支援の取組はそれなりに進展したため、沈下した地盤のかさ上げや防潮堤・防波堤の再建、市街地の高台移転など、ハード面の整備が遅々として進まないために、生活する基盤の復旧が進まないことに焦りが募ってきているという状況だと感じています。被災地の方々の心情として、いつまでも支援を受けているわけにはいかないという気持ちが強まっているようにも感じます。日々の生活に不便をしないくらいには支援の取組があるとしても、目の前の被災地は未だに更地のままで一向に変化が見られないとなれば、生活の先行きに不安を感じるのも当然だと思います。

さらにいえば、冬の厳しい寒さや道路事情のために日々の生活を支援してくれるボランティアも不足する事態となっています。

ボランティア不足が深刻 震災11カ月の県内被災地
 東日本大震災発生から11日で11カ月。本県沿岸被災地で活動するボランティアはピークに比べ激減した。県災害ボランティアセンターによると昨年8月は4万8202人だったが、今年1月は5570人で約9分の1。大人数を要する「肉体労働」から、被災者との対話や生活支援へニーズが変化していることも一因だが、多様な活動を展開するため、関係者は「ボランティアはまだまだ必要」と協力を呼び掛ける。

 宮古市社会福祉協議会は深刻なボランティア不足に悩む。夏場には1日約200人規模だったが、現在は20人ほど。「実人数を見て活動内容を減らしている」といい、活動を制約せざるを得ない状況になっている。

 釜石、大船渡両市のボランティアセンターは週末だけ稼働するようになった。

 県災害ボランティアセンターは、厳寒期を迎えていることや、道路事情など、人数の減少には季節的な影響もあると分析する。

 同協議会の有原領一福祉活動専門員は「まだまだボランティアの力を必要とする場面はある。多くの人に継続的に参加してほしい」と訴える。
(2012/02/11)

今年の冬は最近にない厳冬となっており、特に沿岸部に通じる道路が凍結していたりと現地に移動する手段も限られていて、ボランティアの活動も低調にならざるを得ません。私が昨年3月の震災直後に被災地に入ったときも、例年になく寒い春だったために沿岸部へ通じる道が凍結しており、ガソリンの供給がストップした中で被災地支援が滞りがちだったことを思い出します。

ただし、震災直後と違うのは、被災された方々が当面の生活の場を得て、これから自らの手で地元を取り戻そうとしていることです。海外や県外から被災地に入っていたNPOやNGOも撤退し始めていて、昨年7月に書いたことではありますが、「外部から支援に入っている各機関や団体が撤退する時期が一つの区切りとなる」ということにもつながると思います。生活の基盤を取り戻し、お互いの生活を支援し合う取組を被災地の方が自ら担うことが復興の第一歩となるのではないかと思うところです。
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