2012年02月05日 (日) | Edit |
ついでなので、これも前にメモっておいたことをまとめておきます。

もう一つNHKの番組で、こちらは録画はせずに家族が見ているのをチラ見しただけなんですが、「シリーズ日本新生 生み出せ!“危機の時代”のリーダー」というのがありました。全部を見たわけではないので、番組の概要を引用しておくと、

番組内容
震災や円高、巨額の財政赤字など政治・経済の苦境からなかなか脱出できない日本。この難局を打開できるリーダーを生むには何が必要なのか。有識者と市民が徹底討論する。

詳細
震災や円高、巨額の財政赤字など政治・経済の苦境から、なかなか脱出できない日本。被災地では若いリーダーが誕生する一方、首相は次々と交代。大企業トップを巡る不祥事も相次ぎ、海外メディアからは「リーダーレス・ジャパン」と揶揄(やゆ)されている。「なぜ日本にはリーダーが育たないのか」「国際社会に通用し、スティーブ・ジョブズのような新時代を切り開くリーダーを育てるには」など、有識者と市民が徹底討論する。

出演者ほか
【ゲスト】多摩大学大学院教授…田坂広志, 【ゲスト】元内閣官房長官…野中広務, 【ゲスト】東京大学大学院教授…姜尚中, 【ゲスト】放送プロデューサー…デーブ・スペクター, 【ゲスト】元経済産業省官僚…古賀茂明, 【ゲスト】京都大学准教授…瀧本哲史, 【ゲスト】ナガオカ社長…三村等, 【ゲスト】弁護士…土井香苗, 【ゲスト】社会学者…古市憲寿, 【ゲスト】アレックスCEO…辻野晃一郎, 【ゲスト】台湾AUO技術者…松枝洋二郎, 【ゲスト】ノンフィクション作家…河添恵子, 【ゲスト】フィンランド語通訳・翻訳家…坂根シルック, 【ゲスト】ジャーナリスト…三神万里子, 【司会】三宅民夫, 守本奈実

NHKスペシャル シリーズ日本新生「生み出せ!“危機の時代”のリーダー」

・・・なんというか、「姜尚中」とか「デーブ・スペクター」とか「古賀茂明」とか「瀧本哲史」とか、リーダーにはほど遠い(少なくとも私の職場にいたら迷惑そうな)方々がリーダーについて語るというのは何かの冗談かと思ってしまいました。私が見たのは古賀茂明氏と三神万里子氏のプレゼンでしたが、古賀氏のプレゼンは、「官僚は年功序列で先輩のメンツをつぶせない」とか「事前調整しなければならないので思い切ったことができない」とか、組織で仕事をしたことのない新入社員のような主張で、しかもスタジオに呼ばれていた国交省の若手キャリアも同じようなことをいっていて、霞が関の劣化はかなり深刻なように思いました。組織の中で先輩がいないということはありませんし、複数の部署に分かれている組織の中で調整が要らない業務なんてほとんどないわけで、それが原因で仕事ができないというのであれば、それは単に「私は仕事ができません」と告白しているだけですね。組織の中で仕事をするというのは、関係部署や上司のメンツを保ちつつ、その中で必要な要素を忍び込ませて了解を取り付けるといった、肉を切らせて骨を切る手法をいかに駆使ししていくかにかかっています。一見迂遠なようですが、後々のトラブルを考えるなら、事前にできる限り調整を済ませておく必要があります。まあ、それをチホーコームインごときに指摘されるようでは霞が関ではやっていけないのも仕方のないことなのでしょう。

続く三神万里子氏のプレゼンは、「管理職もどきを現場にもどそう」というもので、指摘されている現象はそのとおりだろうとは思いますが、これもまた人事の変遷の現場をご存じない外野の意見だよなあという印象でした。少子化と90年代半ばから断続的に続く採用枠の限定によって会社組織内の年齢構成が変わってしまったわけで、その結果として権限のない管理職が増えたのはそのとおりとしても、だからといって現場に戻せば解決するというものではないというのが人事の難しいところです。むしろ「スピーディーな意思決定」とかいって組織をフラット化したことが権限のない管理職の大量発生の原因でもあったところですし、管理職を現場に戻したら現場の次世代のリーダーが育たないとか、一筋縄ではいきません。

まあ、感想としては、前回エントリと今回エントリを含めてテレビを見た時間を返してほしいと思ったのも珍しいです。おっとこれはさすがに「自己責任」ですね。
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2012年02月05日 (日) | Edit |
拙ブログを振り返ってみると、取り上げているテレビ番組がほとんどNHKとなっていて、おそらくは取り上げる内容が被災地の現状を伝えているものが多いので引用することが多くなっているのだろうと思います。まあ普段見るのはほとんど民放のバラエティ番組でして、しばらくこの年末年始に録りためていたNHKの番組をほったらかしにしておりましたが、ちまちまと流し見たところあまりにもあんまりでした。そりゃもちろんNHKだって日本のマスコミですから、NHKだけがまともな番組を作るわけでもなく、むしろ「時流を捉えた」番組を作ろうとすればするほど易きに流れていくのは世の習いというところでしょう。

あらかじめお断りしておけば、どの番組もやたらと長いので早送りでかいつまんで見たという程度でして、正確な発言趣旨を理解していないこともあります。まあ、あまりに「?」な発言は巻き戻して確認したりもしていますので、それほど見当違いの解釈にはなっていないとは思いますが。

で、続編が決まったとのことで暗澹たる気持ちになるところですが「新世代が解く!ニッポンのジレンマ」では、「新世代」といわれている1970年代生まれの現状認識の浅はかさがあんまりでした。かく言う私も1970年代生まれではありますが、彼らの当事者意識が浮遊している議論を聞いていると、幾分かは実務経験を積んだ甲斐があったのかなと思いました。番組の流れは、ポイントで宇野常寛氏が発言してそれに対する異論や賛同の意見が連鎖していくというパターンが多かったのですが、宇野氏の発言の中でも「正社員でなければ生活できないような日本のOSを書き換えて、非正規でも生きていける社会にしなければならない」という主張が後々まで議論を拘束していたようでした。

でまあ、拙ブログの関心領域でもある「労働」カテゴリってのは、そういうことばっかりを議論してきたつもりでして、30~40代にさしかかっている出演者というのは、会社なら課長クラスまで昇進しているだろう年代なわけで、その人事労務政策に対する認識や実務感覚の貧困さには憤りを通り越して哀れさを感じます。最後のまとめで象徴的だったのが、水無田気流氏の「テレビを見ている皆さんも、ネットでも何でもつながろう」と呼びかけていて、それを番組の主要テーマである雇用の場で確保するものこそが憲法第28条で規定される労働基本権なわけです。いつもの繰り言になりますが、拙ブログがしつこく集団的労使関係の再構築の重要性を強調するのも、立場の異なる相手と交渉し、その中でお互いが自らの利害を主張しながら、時には実力行使を交えつつ調整を図っていくというプロセスを、普通に働く場で自らの問題として経験することが身の回りの社会を改善していく確実な方策だろうと考えるからです。

実際に、現行の日本型雇用慣行は、時には流血の事態を引き起こしながらそうした集団的労使関係の中で構築されたものでして(この辺の歴史的経緯はhamachan先生の新著をお読みください)、「OSを書き換える」ような簡単な話ではありません。少しずつ方向転換をしながら、その中で様々な立場にある労使の当事者、特に労労対立の中で対話により利害調整を図りつつ、一つの雇用形態や片務的な雇用慣行に縛られない雇用慣行を形成するしかないわけです。バブル崩壊後の日本では、決定的にその経験が不足しているため、「統治機構を入れ替える」というどこぞの「カイカク派」に容易く取り込まれてしまうのだろうと思います。

ところが、「人事コンサルタント」の肩書きで「ワカモノマニフェスト」とかいう世代間対立を煽ることしか頭にないアラフォーが出演していて、その発言を聞くたびに頭が痛くなりますね。40も過ぎれば次の世代に「ワカモノマニフェスト」を突きつけられる番になるわけですが、彼らがどこまでそれを自覚しているのか怪しいものです。まあ、彼らの年代がお好きな「成果主義」が、その目的や副作用を十分に検討されることもなく導入された結果として、「内部事務や利害調整という行政の重要な機能が、成果主義、組織のフラット化、現場主義の名の下に衰退していくわけで、これが数年以上経った段階でその弊害が無視できなくなったころにやっと見直しの機運が出てくるという形で、無限ループが繰り返されている」のですが、そろそろ私もその批判の矢面に立たされる準備をしなければならないのでしょう。世代間対立を煽るということは、自分が歳を食ったときに自らが放ったブーメランで憤死することなのですよ。

まあ、ブーメランを好むという点では飯田先生の実務感覚のなさぶりも際立っていました。飯田先生はしつこく「事前規制から事後規制へ」という主張をくり返されていたんですが、小沢元民主党代表の発言を引くまでもなく、「グランドキャニオンには柵がない」というのは、濫訴大国であるアメリカで成り立つ議論です。事後的に「自己責任」で国なり州を相手取って訴訟を起こせば勝てるかも知れない(もちろん、そこまでの資力がなければ提訴すらできないことはいうまでもありません)のですが、日本で訴訟を起こすということはアメリカよりもさらに時間的・資金的ハードルが高いわけで、それでどうやって「自己責任で」事後規制にして安全を確保するのかという視点が、飯田先生はもちろん小沢元代表には欠けています。事後規制で自己責任というのは、訴訟で負けないように自分の行動を規制するコミットメントの効果によって安全を確保しようというのがその目的であって、いうまでもなく勝手に落ちて死んでしまえというのが目的ではありません。同じように、日本が事前規制によって安全を確保しようとするのは、事後的に救済されうるとしてもそこにたどり着くコストが高ければ、実質的に落ちて死んだ人もその家族も救われないからでしょう。

それでも、事後規制によって安全を確保できれば行政コストが削減できるとおっしゃるのかもしれませんが、現状は、事前規制がなくて死んでしまったり健康被害が発生すれば、「国の規制が甘かった」とか「役所がきちんと実態を把握していなかった」とかいわれるわけで、とても現実の実務に落とし込める代物ではありません。現状で事後規制に方向転換しても、結局は事後規制で国とか地方自治体が訴訟で負けまくって、その賠償金の原資は増税という形で国民が負担することもありえますから、事前規制に要する人員以上に高コストになる可能性も十分にあります。マクロ経済学者が「キセーカンワ」の類のことを主張されると、いかに飯田先生でもトンデモな議論になってしまうという実例というところでしょうか。

なんというか、しばらく前には「世間知」と「専門知」という対立で描かれる時期があったように思うのですが、それは本質的な対立ではなく、お互いに「俺の方が詳しい」と言い張る「学術知」と「実務知」が不毛に対立しているというのが実態のような気もするところです。ケインズが「知的影響から自由なつもりの実務屋は、たいがいどこかのトンデモ経済学者の奴隷です」と「実務知」と「学術知」を対比して取り上げていたのには、こうした洞察があったのかもしれません。
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