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2012年02月28日 (火) | Edit |
昨年の震災直後から、被災地には国内のみならず全世界からも支援の手がさしのべられたことに改めてお礼申し上げるところですが、震災から1年が経過しようとする時期になると、その支援の内容にもいろいろと考えるべき点が見えてくるようになります。

たとえば、被災地の自治体には「「たとえばビルの8階とか9階とかで会議をしているとき、『いますぐ、ここから飛び降りろ!』と平気で言います」という方が創業して、現在も会長も務めているワタミ」の代表取締役が参与として迎えられていたりするんですが、この件で馬脚を現していたようです。

ワタミ社員の過労自殺を認定 入社2カ月の26歳女性
http://www.chunichi.co.jp/s/article/2012022101001979.html
わたなべ美樹
https://twitter.com/#!/watanabe_miki/status/171926030666309632
[引用]労災認定の件、大変残念です。四年前のこと 昨日のことのように覚えています。彼女の精神的、肉体的負担を仲間皆で減らそうとしていました。労務管理 できていなかったとの認識は、ありません。ただ、彼女の死に対しては、限りなく残念に思っています。会社の存在目的の第一は、社員の幸せだからです

 この場合の余計な一文とは「労務管理 できていなかったとの認識は、ありません」であって、これが「労務管理はいま以上にしっかりやりたいと思います」であれば炎上することはなかったでしょう。何というか、適切な日本語の使い方の難しさというのは非常にアレだなあと思うところですが、結果としてワタミのブラック企業な感じがネットでより強く印象付けられる結果となってしまいました。

 一方で、サービス産業比率の高まりゆくわが国において、外食産業のもたらす雇用というのは影響が非常に大きいものがありまして、そういう産業が旧態依然とした体育会系チックな労務管理を続けていくと疲弊してしまうんじゃないかなあとも思います。これでシルバー採用とか進めたらどうなってしまうのかと。

 ワタミは介護事業に進出されたり、有機栽培、ケータリングなど異業種では相応に存在感を示しているだけに、いわゆる働き詰めさせて利益を追求していくように見えるビジネスモデルはやっぱり叩かれるよなあと感じる次第。

ワタミの過労死労災認定問題で、社長の渡邉美樹さんの漢の下がりっぷりが歪みない件について(修正あり)(2012.02.22)」(やまもといちろうBLOG(ブログ)
※ 以下、下線太字強調は引用者による。


不在になった切込隊長に替わって「やまもといちろう」となった山本一郎氏は、この件についても大人の論評をされていますが、「これが「労務管理はいま以上にしっかりやりたいと思います」であれば炎上することはなかったでしょう」と言えるかは甚だ疑問に思うところです。

ワタミ株式会社の代表取締役である渡邉美樹氏は、震災直後から物資提供やボランティアの送迎(?)に尽力されたとのことで、現在は岩手県陸前高田市の参与に就任されているわけですが、

 東日本大震災の後、私は縁あって陸前高田市の参与に就任し、この市の復興に関わらせていただくことになりました。公益財団法人スクール・エイド・ジャパンを通して、累積で支援物資は13トントラックで33台分送りましたし、ボランティアの人たちもバス70台以上、のべ2000人以上を送り込みました。

 ただ、まだ何か足りない。店を流され、家を流されながらも、「もう1度商売をしたい」という人たちがいる。この方々を支援することで地域経済を復興することが、私にできる一番重要なことではないかと考えました。経営者である私が今まで経験し、身につけてきたノウハウをこの地域の人たちに伝えることができます。

私が陸前高田市を支援する理由「もう1度商売したい」から生まれる復興パワー(2011年11月28日(月))」(日経ビジネスオンライン


この部分を読むと大変まっとうなことを述べられていると思うのですが、では、ワタミ(の関連会社を含む)が被災地でどのような商売を展開しているかというと、最低賃金ピッタリの時給でのコールセンター業務だったりするわけで、地元の経営者の皆さんにも「最低賃金ピッタリの時給で雇いなさい」と指南されているのかと思いきや、「外食企業はなぜ、創業から時間がたつと弱るのか」と大変示唆的なエントリがありました。

組織は人を食いながら成長していく

質問:右腕を育てる方法は?その人物を選ぶポイントはありますか。

 組織は人を食いながら成長していきます。

 会社は人そのものであり、社員は家族です。しかし右腕となると、非常に冷たいことを言うようですが、売上高10億円規模のときに非常に重要だった人が、売上高100億円規模になったときに重要かどうかは分からないということです。つまり、組織とともに人が成長しているならば、常に一緒にやっていけるでしょう。しかし、組織と人が一緒に成長するのはなかなか難しい。私の経験からすると、ほぼ不可能です。そうしたときに、その組織に必要な資質や技術、経験を持っている人間を外から採用する。本来ならばこれが正しい形です

外食企業はなぜ、創業から時間がたつと弱るのか 社員を幸せにするための5つの基本(2012年2月20日(月)2/6ページ)」(日経ビジネスオンライン
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だいぶ前のhamachan先生経由ですが、「その組織に必要な資質や技術、経験を持っている人間を外から採用する。本来ならばこれが正しい形です」というのは、拙ブログでも議論させていただいたことのあるラスカルさんが指摘されるように、

 こうした「際物ども」は別にしても、一見、自由な経済活動を行っているグローバル企業が、支払うべき「コスト」を支払っておらず、結果的に、社会から「補助金」を受け取る存在になっているのではないか、ということが、本書の問題提起となっている。ひとつに、地球環境に関わる外部不経済の問題があり、貿易における関税や補助金の問題があるが、こうした視点は、特に目新しいものではない。しかし、本書の範疇はこれらにとどまらず、社会の中の信頼や、インフラについても言及し、グローバル企業が、地域住民の「負担」によって利益を得ている、という視点を多面的にえぐり出している。*2

*2:以前、グローバル企業とはいえないまでも、ある中堅規模の経営者が、海外企業から原材料を買い付けるバイヤーを採用したいが応募がない、ということについて不満を漏らすのを聞いたことがある。不思議なことに、この経営者には、自社でそうしたバイヤーを育成したいとの意向がまったく感じられなかった。自社で育成せず、他社で経験を積んだバイヤーを採用するのであれば、育成のためのコストを支払わない分、それ相応の負担をする必要があるだろう。この経営者には、自社のために社会が支払う「負担」というものへの感度がないらしい──バイヤーは、どこで誰によって育成されるのであろうか?

デイヴィッド・ボイル、アンドリュー・シムズ(田沢恭子訳)『ニュー・エコノミクス──GDPや貨幣に代わる持続可能な国民福祉を指標にする新しい経済学──』(2011-08-14)」(ラスカルの備忘録


ここで取り上げられている経営者と同様、渡邉美樹氏も社会が支払う「負担」というものへの感度は持ち合わせていないようです。そんな渡邉氏はさらにこう続けます。

 介護職員はだいたい一般の職員に比べて給料が低いというのが世の中の通説です。この分を戻してあげないといけない。私の理想と社員の給料をのどちらを優先するのかを考えて、「この不足分を埋めるだけの入居金をいただこう」というビジネスモデルに変更しました。まず最初に社員の衣食住ありきだからです。



「恒産なくして恒心なし」

 衣食住足りたけども、明日どうなるかも分からない。そんなところには幸せはない。安定しているということが幸せの条件だと思っています。「恒産なくして恒心なし」。一つの安定したものがあるから、安定した心でいられるのです。

 ですから社員の幸せを考えたとき、社員の給料を上げたいと思いました。逆に、給料を上げすぎてはいけないと思いました。つまり会社の経営を圧迫することになっては元も子もない。衣食住を守るためには会社が安定していなければならない。安定した生活を提供することが経営者としての大前提だと思います。

外食企業はなぜ、創業から時間がたつと弱るのか 社員を幸せにするための5つの基本(2012年2月20日(月)4/6ページ)」(日経ビジネスオンライン
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そりゃまあ、「介護職員はだいたい一般の職員に比べて給料が低い」といっても、ワタミの一般の職員が最低賃金で働いているなら「このぶんを戻し」たところで世間並みなのではないでしょうかねえなどと思ってしまうのですが、その直後に「給料を上げすぎてもいけない」と正直な言葉が並びます。で、この記事の標題でもある外食産業が衰退する理由については、

 なぜ外食産業の企業が創業から時間が経つと弱くなるかというと、店長の年齢がどんどん上がって行くからです。無制限に店が増えるわけではないので、年功序列だと店長全体の給料が上がっていき、損益分岐点が全店とも上がってしまう。一方で、店は古くなるから売り上げは落ちていく。結果として経営負担が大きくなり、最悪の場合には倒産してしまう。そのことに私は会社を作って5~6年目に気がつきました。

 ここはヘッジしなければなりません。なおかつ社員の幸せから考えても、正しいと判断し、社員の給料をすべて職務給にしました。つまり一般社員、課長、部長は職務が同じならそれぞれ同額です。毎年、給料が上がることもありません。ワタミはこういう給与形態になっています

外食企業はなぜ、創業から時間がたつと弱るのか 社員を幸せにするための5つの基本(2012年2月20日(月)5/6ページ)」(日経ビジネスオンライン
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「年功序列では経営が悪化してしまうから定昇なんかするか」というのは労使交渉の場で定昇を求める組合側に対して使用者側がよく言う台詞でして、これって全然外食産業に限った話ではないよなあと肩すかしを食らった気持ちです。これまたhamachan先生経由ですが、まあこういう台詞を吐ける経営者というのは結局ブラック企業への道を進むほかはなくなるのでしょう。

まあでも面白いよね。定昇無くして組織への帰属から役職への帰属にモチベーションを振り替えて、なおそれで企業としてのガバナンスをちゃんとしようとしたら、日本型組織がもっとも苦手なコンプライアンスをベースにするしかなくなるよ
コンプライアンスベースの労使関係って、今ただちによーいどんしたら、困るのは労働側じゃなくて使用側だからね。
サービス残業とかサブロク協定とかみなし残業とか裁量労働とか週40時間とか男女雇機均とか、コンプラベースに乗っけたらどれも真っ黒クロスケ出ておいでだ。それを組織へのお義理でグレーに薄めてるだけ。組織潰れたら困るだろ?いまさら新しいとこ行くのアレだろ?じゃあちょっとくらいは目をつむれやと、そんなヤクザな諒解の上に乗ってる裸の王様なわけでしょ。

http://h.hatena.ne.jp/yellowbell/243586370633253978


定昇もなくその代わりに会社に忠実で「一緒に働きたくなる」ような社員であることを強いるわけですから、ブラック企業になるのも当然の成り行きですね。

最近昔の動画を漁っているところなんですが、裸の王様が被災地に乗り込んで真っ黒クロスケを量産している光景というのは、「お前もブラック企業にしてやろうか!」と呪いをかけられているような気がしますね。



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2012年02月26日 (日) | Edit |
大阪府知事から大阪市長になった弁護士の方が労働組合攻撃を強めている件でいろいろと盛り上がっているようですが、まあこの弁護士先生は労働法方面にはあまり詳しくないと思われる方ですので今さら何をという気もするところで、さらにいえば弁護士というのはそもそもそういう職業なんだよなあという印象です。

司法試験は最難関国家試験の一つですから、その合格者である法曹関係者が高い知的能力を有していることはほぼ間違いはないとは思いますが、だからといってその主張や認識が高い知的能力に裏付けられていることまで担保するものではありません。それはともかく、特に弁護士という職業は、(民事事件でいえば)弁護すべき対象者がいかに法的な保護を勝ち得るかを現行法令の枠組みの中で立証することが仕事であって、その技術こそが弁護士に求められるものですが、ここで注意しなければならないのは「現行法令の枠組み」という条件は原告も被告も同じだということです。

当たり前のことのように思われるかもしれませんが、原告側弁護士の弁護すべき対象者は原告ですし、被告側弁護士の弁護すべき対象者は被告であって、それぞれが相反する法益を巡って抗弁・再抗弁・再々抗弁…と応酬することになります。ところが、法益は相反するとしても、それぞれの主張の根拠となるのは同じ現行法令であって、あくまでそれに基づいて原告・被告の双方が要件事実を挙証して抗弁を繰り広げるのが法廷という場です。つまり、同じ現行法令に基づきながらも、真っ向対立する主張を繰り広げながらいかに自身の主張を説得的に立論するかというのが弁護士の腕の見せ所であって、それで裁判官の心証を得た方が勝つというのが「裁判に勝つ」ということの実際なわけです。

でまあ、大阪市の話に戻すと、この弁護士市長さんが狙っているのは違法すれすれの組合攻撃であって、それは(実質的な)使用者の立場にある市長として現行法令の枠内で「違法ではない」という主張をしていることと同じことということになります。結局それが違法かどうかは裁判の場でしか決着は付かないものですし、その裁判においても(どちらが原告・被告になるか分かりませんが)使用者側と労働者側がそれぞれの立場から要件事実を挙証していって抗弁の応酬を繰り返しながら裁判官の心証を形成するというプロセスを経てやっと判断されるものであって、現時点でその行為が違法かどうかという議論は事実上できません。このあたりはさすが弁護士市長さんだなと思うところでして、そりゃ判例とか労委命令例なんかで不当労働行為を類型化して、その事例に類似している点があるから違法だろうくらいの議論はできますが、明確に違法かどうかという判断を下せるものではないわけです。

という観点からすれば、労務屋さんのご指摘にほぼ同意するところでして、職員組合が不当労申し立てをして大阪府労働委員会が勧告を出したからといって即座に不当労働行為に該当するはずもなく、別途正式な手続を経て決められるものですし、現時点で調査は凍結しているとのこと(このあたりの対応の早さはさすが弁護士ですな)ですので、あとは府労委の審査手続に委ねられることになります。

府労委が一時停止勧告 政治活動巡る大阪市職員調査 (日本経済新聞 2012/2/23 1:59)

 大阪市が全職員を対象に政治活動への関与を問うアンケート調査を実施したことについて、最大労組の市労働組合連合会(市労連)が不当労働行為だとして大阪府労働委員会に救済を申し立てていた問題で、府労委は22日、市に対して最終決定が出るまでアンケート調査の続行を差し控えるよう勧告した。

 府労委は勧告書のなかで、組合加入の有無を問う項目など「支配介入に該当するおそれがある」と指摘。アンケートが続行されれば「仮に本案事件において救済命令を発すべき場合、もはや救済の基礎が失われているおそれがある」と調査続行を控えるよう求めた理由を説明した。

 市労連は同日夜、会見を開き、中村義男執行委員長が府労委の措置について「組合に対しいわれのない反感をあおって不当な攻撃を加えてきた橋下徹市長の姿勢にブレーキをかけることができた」と話した。

 アンケート調査は、橋下市長の指示を受けた市特別顧問の野村修也弁護士を中心とした第三者調査チームが10日から実施。市労連が13日に府労委に救済を申し立てたことを受け、17日に「法的手続きを見守るため」(野村弁護士)との理由でアンケートの凍結を発表した。

 橋下市長は22日、「既にアンケートは控えている。(内容も)何ら問題はない」と話した。

ちなみに、今回の府労委の勧告は、報道によると公益委員会議によって出されたようですので、労組法上の審査手続ではなく、労委規則40条に規定のある審査の実効確保の措置として行われたものですね。

労働委員会規則(昭和二十四年八月四日中央労働委員会規則第一号)

(審査の実効確保の措置)
第四十条  委員会は、当事者から申立てがあつたとき、又は会長が必要があると認めるときは、公益委員会議の決定により、当事者に対し、審査中であつても、審査の実効を確保するため必要な措置を執ることを勧告することができる。

「勧告に法的拘束力はない」とか報道している記事もありましたが、労働委員会の不当労働行為の審査の手続で行われる勧告ですから、これを無視したりすれば不当労の心証形成に大きく寄与することが予想されるわけで、勧告に先立って調査を凍結したのも、弁護士市長として不当労の実績を作ってしまうことはマズイという判断があったのだろうと思います。いやまあ、さすが弁護士としかいいようのないスキのない対応です。

ついでに、日弁連会長とか京都市長候補者からも「違法だ」との指摘があるようですが、どちらも全労連系の組合とつながりの深い弁護士さんですので、中立な立場からの発言とは考えにくいと思います。まあ、このこと自体が、弁護士というのは同じ現行法令の枠組みの中で正反対のことを主張する職業なのだということの証左でもあるわけですが、さらに大阪弁護士会の会長声明に至ってはこんなことを言われる始末。

大阪弁護士会が反対声明も…橋下市長「弁護士会、あてにならない」 Sponichi Annex

 大阪市の橋下徹市長の指示で始まった市の全職員対象の政治活動に関するアンケートをめぐり、大阪弁護士会(中本和洋会長)は14日、「思想信条や政治活動の自由を侵害するものだ」などとして中止を求める会長声明を発表した。

 声明では、アンケート項目が勤務時間外に参加した正当な政治活動や組合活動などについても回答を求めるもので「思想信条の自由、労働基本権などを侵害する」と指摘。「職務命令などの威嚇力を利用して職員に回答を強制するもので到底許されない」としている。

 橋下市長は14日夜、声明について記者団に「弁護士会の言うことなんか一番あてにならない」と述べ、意に介さなかった。
[ 2012年2月14日 21:11 ]

大阪弁護士会長涙目ですが、ご自身の所属する組織に対して「弁護士会の言うことなんか一番あてにならない」とは大阪市長も見事なブーメランぶりではありますね。
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2012年02月12日 (日) | Edit |
先日のエントリについて各方面で取り上げていただいておりましたが、若干言葉が足りなかったかもしれないと思う点がありましたので、補足させていただきたいと思います。

なんというか、しばらく前には「世間知」と「専門知」という対立で描かれる時期があったように思うのですが、それは本質的な対立ではなく、お互いに「俺の方が詳しい」と言い張る「学術知」と「実務知」が不毛に対立しているというのが実態のような気もするところです。ケインズが「知的影響から自由なつもりの実務屋は、たいがいどこかのトンデモ経済学者の奴隷です」と「実務知」と「学術知」を対比して取り上げていたのには、こうした洞察があったのかもしれません。

実務のない新世代(2012年02月05日 (日) )

これについて詳しく取り上げていただいたのがtonmanaanglerさんのところでしたので、コメントさせていただきました。

(追記2/9)

お互いに「俺の方が詳しい」と言い張る「学術知」と「実務知」が不毛に対立している

というのは「異なる価値観を持つAとBがお互いに自分が絶対に正しくお前が間違っているとして他者を見下している不毛な対立」という意味じゃなくて、「バカとバカがどっちも間違っているくせに正しいと言い張っている不毛な対立」という意味ですよね。「学術知」「実務知」と括弧付きで書いているのもそのためであって、「両者を見下している本当のことがわかっている自分」という立ち位置から書いているわけで、「トンデモ経済学者」なんて言葉が出てくるのもそのためであり、「正しい」ことを言えばそれでいいのかという問題提起じゃなくて、明らかにお前は間違っていると言っているわけですよね。それは前者の意味での「不毛な対立」に新たにCが加わっただけのように俺には見えますね。


ただ、ケインズの言う「実務屋」というのは文脈からみて政治家のことであって、すなわち小沢一郎が該当するわけで、政治家は飯田先生を含む浮世離れした(せざるえを得ない)専門家の影響を受けている、つまり「実務屋」は専門家の奴隷なんだという話をケインズはしているように思うわけで、それを踏まえるとマシナリ氏が何を言っていっているのか(現場で働く役人を実務屋としているように思われる)正直理解に苦しむところはある。

■グランドキャニオンには柵がない(2012-02-07)」(国家鮟鱇

コメント欄
マシナリ 2012/02/11 08:56
拙ブログを取り上げていただきありがとうございます。

私のエントリの最終パラグラフの趣旨は、(追記の2/9)で「バカとバカがどっちも間違っているくせに正しいと言い張っている不毛な対立」と指摘されているとおりではありますが、私の書き方が悪かったせいで、それを私が『「両者を見下している本当のことがわかっている自分」という立ち位置から書いている』と誤解されてしまったように思います。学者の先生方が専門的な知識に長けている代わりに実務に疎いことと、実務屋が実務ばっかりやっていて専門的な知識に欠けていることはお互いの立場からいえば当然のことで、それを批判する趣旨ではないということを書いたつもりでした。したがって、「実務知」しか知らない「バカ」には当然私も含んでおります。

先月のエントリで書いたことですが、http://sonicbrew.blog55.fc2.com/blog-entry-493.html「人によってその表現に巧拙があること自体は当然のこと」である以上はそれを批判しても不毛ではないかと感じているところでして、その点を書いたつもりが言葉足らずのために誤解を与えた形になってしまい恐縮です。

貴ブログの別エントリでのケインズの記述趣旨についての考察も大変興味深く拝見しております。私も別途ケインズの言葉について考えてみたいと思います。


先日のエントリでは、正直なところまとめきれずにあまり言葉の意味を考えずに書いてしまったところ(拙ブログでは結構ありますが)でして、tonmanaanglerさんがご指摘されている中では前半のパラグラフについてはコメントさせていただいたような状況です。後半についても私の言葉が足りなかったところですが、三権分立というのが理念的には整理できる概念だとしても実体的な分離というのは結構微妙なものであって、特に立法と行政は単純に組織を分離すれば分立するものではないと考えております。

長谷部恭男先生の言葉を借りれば「立法・行政・司法のうち、二つ以上の権力がすべて同一人ないし同一団体のものとなってはいけないというのが、権力分立論の眼目」であって、逆に言えば、それが容易には達成されないからこそ三権分立をわざわざ憲法典に書き込まなければならないのだろうと思います。つまり、私は政治家と役人が同一の組織によって運営されることを懸念する一方で、実態として政治家と役人は同じフィールドで仕事をする以上、ある程度の実務の重複は避けられないものと観念しているということになります。したがって、実務屋といって私が想定するのは、政治家であるとともにその意を受けて行動する役人でもあるわけです。tonmanaanglerさんに誤解を与えるような形になってしまったのは、私のエントリでこの点についての言及がなかったからではないかと思いますがいかがでしょうか。

その上で補足するなら、実務屋(に限らず専門家もそうかもしれませんが)というのは自分の仕事の範囲でしかまともな言説を繰り出すことはできないわけで、自分の仕事の範囲外のことに口を出せば誰でも「トンデモ」になってしまうのであれば、それをお互いに批判し合っても不毛だろうということを感じるところです。私も飯田先生をはじめその番組に出演していた方々にイチャモンをつけたところで、彼らの専門分野については私のほうが批判されなければならないわけで、そのこと自体にはあまり意味がないのではないかと考えるようになっています。

ケインズの言葉を引用したのは、そうした実務屋と専門家の間の関係についての一つの洞察ではないかと考えたからですが、たとえばライシュはケインズの言葉をこのように引用します。

かつて経済学者のジョン・メイナード・ケインズは「権力を握った狂人たちが『お告げ』を受けた、と主張して推し進める政策は、研究者が数年前に唱えていたことの二番煎じだ」と書いた(8)。しかし、ここでいう研究者が唱えていたこととは、18世紀にアダム・スミスが打ち出したものとほとんど変わっていなかった。彼らは、すでに起きていた変革をうまく説明できたということだけで、20世紀後半の数十年に米国をはじめ正解各国で突如として台頭してきたのである。彼らは変革を起こしたのではなく、言うなれば正当化しただけなのである。
p.15

(8) John Maynard Kaynes, The General Theory of Employment, Interest and Money (London: Longmans, Green, 1936),Chapter 12,p.134 <塩野谷祐一訳『雇用・利子及び貨幣の一般理論』(普及版)東洋経済新報社、1995年>

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ここで引用されているのは塩野谷訳ですが、

雇用・利子および貨幣の一般理論雇用・利子および貨幣の一般理論
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参考までに間宮訳を引用しておくと、

誰の知的影響も受けていないと信じている実務家でさえ、誰かしら過去の経済学者の奴隷であるのが通例である。虚空の声を聞く権力の座の狂人も、数年前のある学者先生から〔自分に見合った〕狂気を抽き出している。既得権益の力は思想のもつじわじわとした浸透力に比べたらとてつもなく誇張されている、と私は思う。思想というものは、実際には、直ちに人を虜にするものではない、ある期間を経てはじめて人に浸透していくものである。たとえば、経済学と政治哲学の分野に限って言えば、25ないし30歳を超えた人で、新しい理論の影響を受ける人はそれほどいない。だから、役人や政治家、あるいは扇動家でさえも、彼らが眼前の出来事に適用する思想はおそらく最新のものではないだろう。だが〔最新の思想もやがて時を経る〕、早晩、良くも悪くも危険になるのは、既得権益ではなく、思想である。
p.194

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間宮訳のほうは間宮先生の〔 〕内の補足がちょっと紛らわしいのですが、ケインズは自身の理論が最新でなくなることも見据えた上で実務家というのは最新の理論には疎いものだと指摘しているのではないかと考えます。その「実務家」は原文では“Practical men”ですが、後半の例示では“civil servants and politicians and even agitators”が挙げられているので、まあ政治家も役人も一緒くたといっていいのではないかと。

これらの訳出から私なりに時間軸を整理してみると、間宮訳では多少の軽蔑を込めて「数年前のある学者先生」、山形訳ではさらに強烈に「数年前の駄文書き殴り学者」となっていることからすれば、ケインズの意図は、(ケインズが『一般理論』を著した当時の)ここ数年の論壇はたいしたことが議論がされていなかったということを指摘するもので、ライシュがその言葉を受けて、ケインズが切り捨てた議論の中身は「18世紀にアダム・スミスが打ち出したものとほとんど変わっていなかった」と評したのではないかと思います。

ややこしいのは、ケインズが「思想というものは、実際には、直ちに人を虜にするものではない、ある期間を経てはじめて人に浸透していくものである。」としている点で、これで「数年前」というスパンの解釈に幅が出てしまうのでしょう。もしかすると、ケインズの論敵であったピグーらの古典派経済学者らが数年前に唱えた議論が、ケインズの『一般理論』によってもはや時代遅れになったという勝利宣言みたいなものかもしれませんが、あまり訓詁学にハマってもきりがないのでこのくらいにします。

まあ、ケインズの時代には実務家と認識されていた政治家が、現代日本では絵空事のようなカイカクばかりを打ち出すことのほうが深刻な問題ではないかと思われます。
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2012年02月12日 (日) | Edit |
前回エントリに関連して、またもNHKの番組ですが「プロジェクトJAPAN 最終章 日本復興のために」という分かったような分からないようなタイトルの番組がありまして、これも何となく録画しておいて先日ざっと流し見してみました。概要はこんな感じです。

プロジェクトJAPAN 最終章 日本復興のために

新しい年を迎える東日本大震災の被災地。しかし、復興は遅々として進んでいない。高台移転など、住民の住居の整備。地場産業を中心にした産業復興と雇用の問題。そして、それらに必要な資金のきめ細かい分配の実現・・・。政府はようやく3次補正予算を決めたが、課題山積のまま被災地の苦悩は続いている。なぜ復興は進まないのか。そこには、日本が近代国家を作り上げてきた歴史の中で、大きな課題となってきた「中央と地方」のカネ、情報、人材、などのやりとりという根源的問題が存在している。どうすれば復興は進むのか。被災地に関わる識者たちが、被災地の現状を見つめ、それぞれの歴史研究や自らの体験などを交えながら、検証・提言していく。

「被災地に関わる識者」といって登場されるのが、御厨貴東大教授(政治史)、岡田和弘京大教授(地域経済)、増田寛也野村総研顧問となっておりまして、最後の方は前岩手県知事としての方が有名ですね。でまあ、このメンツから予想される通り、番組全体が「中央集権だからダメだ」「地方に財源と権限を!」というチホーブンケン教チックなトーンでまとめられていて、「この期に及んで「国だから中央集権だ」とか「自治体にやらせればチーキシュケンだ」という実務を無視した議論がまかり通ることに脱力せざるを得」ないわけですが、彼らにしてみれば、国というスケープゴートをあげつらうことで、自らの立場を正当化しつつさらにそれを強化できるまたとない機会でしょうから、特にマスコミにはこういう言説を防ぐ手段はないのだろうと諦めております。

番組の中で象徴的だったのが、増田前岩手県知事と岩手県宮古市長との対話で出てきた財源論ですね。

1時間13分ころ
増田:
例えば財政のあり方とするとね、今の財政構造だとやっぱり自主財源が三割を欠ける、二割なんぼの「二割自治」みたいなね。そういう形になっています。その部分っていうのは、相当自主財源比率を高めなきゃならないのは当然のことですけども。
宮古市長:
そうですね。自主財源を増やすためには、税率を上げたってですね、今のままの所得で税率を上げても全然苦しくなるだけですので、余計衰退して「ああ、ここには居れない」っていうことでほかのところ、要するに都会に出て行くということになると思うんですよ。ですからどうやっても、自分たちの産業を活発化して一人当たりの所得を上げないと、やっぱり自主財源は増えてこないと思うんですね。ですからもうどんなにがんばっても、産業をしっかり育てていってそこで収入が上がるようにしないと、なかなか難しいんじゃないでしょうかね。それをやるためには、外からお金を持ってきて中で回すと、外貨(テロップの説明:企業誘致・観光などによる収入)を稼いで中で回すというようにしないと絶対に上がるわけがないので、中でばっかり回したってどうしようもないのでですね、その辺の意識改革をしていかないとダメなんじゃないですかね。

※ 強調は引用者による。

まあ、チホーブンケン教のアキレス腱は財源論(財源論がアキレス腱となるのは最近の政権党とか地方自治体のカイカク派の動きを見ていると最近の流行なのかもしれませんが)なわけで、拙ブログでもしつこく強調していますが、「三割自治」ではなく「三倍自治」で基礎自治体に権限と財源が多く割り当てられているのが日本の地方自治の特質であって、既に日本は先進国の中でも有数の地方分権国家でもあります。同時に日本は先進国の中で国民負担率が低く、高齢化率もダントツで高い国ですから、地方分権国家であることとの合わせ技で、国による再分配機能が貧弱な国ということでもあります。

引用した増田氏と宮古市長の対話が何となくすれ違っているように感じましたが、「自主財源比率を高めるのが当然」と言い放つ増田氏に対して「意識改革をしていかないとダメ」と宮古市長が異議を唱えているように思えたのは私だけでしょうか。チホーブンケン教の方々が金科玉条の如く掲げる「補完性の原理」の基礎とあがめたてまつられているシャウプ勧告でも「天災は予知できず、緊急莫大の費用を必要とさせるものであるから、天災の勃発は罹災地方団体の財政を破綻させることになる。その結果、地方団体は、起債、非常予備金の設定、高率課税および経常費の節減を余儀なくされる。この問題は中央政府だけが満足に処理できるものである」とされているところでして、自主財源を増やせばよいとか外貨を獲得すれば自立できるとか、自己責任に落とし込むようなネオリベ言説を振り回すチホーブンケン教が「日本復興のために」とかいってるのって、悪いジョークだと思いたいです。
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2012年02月11日 (土) | Edit |
今日で震災から11か月が経ちました。というより、あと1か月で震災から1年という方が感覚的にはしっくり来ます。これまで拙ブログでは毎月11日前後に被災地の状況など備忘録的にアップしておりましたが、冬本番の厳しい寒さが続く中で次第に日差しが春を感じさせるようになってきていまして、被災地の動きも局面が変わってきていることを感じます。

そんな中で復興庁が発足したそうですが、私自身よく分からないので共同通信社のQ&Aを引用します。


【Q&A/復興庁発足】府省束ねる「司令塔」 予算配分、監督も

 東日本大震災からの復興を担う新しい官庁として10日、復興庁が発足しました。

 Q なぜ新しい組織をつくったのですか。

 A 復興には、まちづくりから被災者の心のケアまで多くの府省が関わります。ばらばらに事業を進めると、被災地の意見集約に時間がかかったり、無駄が生じたりするため、「司令塔」をつくって窓口を一本化することにしました。

 Q どんな権限を持っているのですか

 A 復興施策を政府の中心になって取りまとめ、必要なお金を一括して財務省に要求します。確保した予算を担当府省に配分して実行させ、計画通りに進むよう監督します。規制や税金の特例を認めて支援する「復興特区」を認定し、使い道の自由度が高い「復興交付金」を配ります

 Q 縦割りの中央省庁をまとめるのは難しいのでは

 A 他省のトップは閣僚ですが、復興庁は内閣府と同様、首相をトップにしました。他省より「格上」というわけです。全閣僚がメンバーの「復興推進会議」も新設され、首相が議長として政策を調整します。

 Q 被災地の首長や民間の意見はどうやって反映させるのですか。

 A これまでの「復興構想会議」は廃止され、代わりに「復興推進委員会」が復興の進み具合をチェックします。

 Q 復興庁は東北に置くべきだという意見もありましたね。

 A 府省間の調整や国会対応を考慮して、本庁は東京都に置くことになりました。盛岡、仙台、福島の3市には「復興局」を置き、被災地の声を吸い上げます。

 また集落の高台移転など難しい事業に取り組む市町村を支援するため、岩手、宮城、福島3県の津波被災地に復興局の「支所」を2カ所ずつ設けます。青森県八戸市と水戸市には、本庁直轄の「事務所」を開き、幅広い相談や要望に応えます。発足時の常勤職員は全体で約250人、このうち被災地の3復興局には約90人を配置します。

 Q 発足まで1年近くかかりました

 A 大震災発生当時の菅直人首相は、復興庁の新設に慎重でした。首相と閣僚が対策本部で大方針を決め、官僚に事業を進めさせる「政治主導」にこだわったからです。しかし自民、公明両党が復興専門の役所をつくれと主張したこともあり、昨年6月に復興庁設置を明記した復興基本法が成立しました。菅首相の退陣をめぐる混乱や、復興庁の権限に関する与野党の対立など曲折もありました。

 Q これで復興は加速しますか。

 A 枠組みはできましたが、実際に事業を動かすのは国土交通省や農林水産省など従来の役所が中心です。復興を進めるには、首相や復興相の指導力が欠かせません

 (2012年2月9日、共同通信)
※ 以下、強調は引用者による。

「大震災発生当時の菅直人首相は、復興庁の新設に慎重でした。首相と閣僚が対策本部で大方針を決め、官僚に事業を進めさせる「政治主導」にこだわったからです」というのはとても的確な指摘だとは思いますが、まあそれはともかく、復興庁の権限は復興施策の予算要求、「復興特区」の認定、復興交付金の配分というところのようです。被災地支援のために情報を共有することは重要なところでして、ネットが発達して現在であっても、現地に情報の窓口があることはそれなりに意味のあることだろうと思います。

まあ、大手マスコミの皆さんは「縦割り排除のために「勧告権」を持つのが復興庁の権限であって、首相の指導力が問われる」云々という話をくり返しているようですが、縦割りというのは事業の対象者に対して効果的に事業を実施するために必要な組織的対応です。例えば、道路を作る担当と漁港を作る担当と農地を作る担当と介護の現場を担当する担当と学校運営の担当が同じ部署では効果的な事業実施はおぼつかないわけで、現場では縦割りかどうかなんてあまり関係はありません。もちろん、対象者は家族単位で道路を使って漁港を使い、農地を使って介護サービスを受け、子どもを学校に通わせたりしていますので、その意味では公共サービスは一体のものですが、かといって一人がやれば、あるいは一つの組織がやればサービスが一体になるものでもないわけです。そこで必要になるのが調整という作業でして、それをすっ飛ばしてリーダー論が語られてしまうところになんともな印象を受けてしまいます。

現時点では、私自身この新聞報道程度でしか役割を理解しておりませんので何ともいえないところではありますが、地元でも復興庁に過度の期待をかけているわけではなさそうです。

復興庁発足 「被災地の思いに耳を」
 復興庁が10日発足し、県内には仙台市に宮城復興局、気仙沼市と石巻市にそれぞれ支所が開設され、計30人体制でスタートした。準備不足が否めない中での船出となったが、被災地に国と自治体が直接協議する場が常設されたことで、これから本格化する復興事業に弾みがつくことが期待される。

 「被災地の復興への思いを耳を大きくして聞いてほしい。出身の役所をおもんぱかったり、復興庁の本庁におもねったりせず、闘う役人であってほしい

 政府現地対策本部長から横滑りで復興政務官に就任した郡和子衆院議員は10日、仙台市中心部のオフィスビル13階に構えた復興局の開所式で、職員を前にそう訓示すると、一人一人と握手を交わした。

(略)

 一方、市民の受け止め方は微妙だ。

 津波で自宅が全壊し、仙台市宮城野区の仮設住宅に住む平山次雄さん(74)は、「復興庁には、県や市と連携し、スピード感を持って生活再建に取り組んでほしい」と話した。

 石巻魚市場の須能邦雄社長(68)は「今頃になって出てきても遅過ぎる。各省庁とのパイプが既に出来ており、間に復興庁が入ることでかえって時間がかからないか心配」と冷ややかな見方。山元町のイチゴ農家半沢徳男さん(62)は「津波の被害を免れたハウスの近くに農地を拡充したいが、いまだにがれき撤去も終わってない。そんなに期待していないけど、とにかくはやく復興を進めてほしい」と話していた。
(2012年2月11日 読売新聞)

いや、だから「闘う」んじゃなくて「調整」しなければならないんですが、合理的無知につけ込んで政権交代した現政権の方々には「調整」という概念はないのでしょう。まあ、彼らの言動にいちいち付き合っていられませんので地元の市民の方の受け止め方を見ると、実は震災後の復旧・復興事業というのは国が直轄で市町村や企業を対象としているものが多くなっていまして、「各省庁とのパイプが既に出来ており」というのが実態です。マスコミの皆さんは行政の対応が遅れているとさんざん指摘されるわけですが、実は国の行政をはじめとして地元自治体もかなり早期に支援策を講じておりまして、「首相と閣僚が対策本部で大方針を決め、官僚に事業を進めさせる「政治主導」にこだわっ」っているうちに、着々と進んでいた事業もあるわけです。そんな方からすれば、復興庁が中二階になるのではないかという危惧も当然なのだろうと思います。

冒頭で触れた被災地の状況の変化というのは、仮設住宅や生活支援の取組はそれなりに進展したため、沈下した地盤のかさ上げや防潮堤・防波堤の再建、市街地の高台移転など、ハード面の整備が遅々として進まないために、生活する基盤の復旧が進まないことに焦りが募ってきているという状況だと感じています。被災地の方々の心情として、いつまでも支援を受けているわけにはいかないという気持ちが強まっているようにも感じます。日々の生活に不便をしないくらいには支援の取組があるとしても、目の前の被災地は未だに更地のままで一向に変化が見られないとなれば、生活の先行きに不安を感じるのも当然だと思います。

さらにいえば、冬の厳しい寒さや道路事情のために日々の生活を支援してくれるボランティアも不足する事態となっています。

ボランティア不足が深刻 震災11カ月の県内被災地
 東日本大震災発生から11日で11カ月。本県沿岸被災地で活動するボランティアはピークに比べ激減した。県災害ボランティアセンターによると昨年8月は4万8202人だったが、今年1月は5570人で約9分の1。大人数を要する「肉体労働」から、被災者との対話や生活支援へニーズが変化していることも一因だが、多様な活動を展開するため、関係者は「ボランティアはまだまだ必要」と協力を呼び掛ける。

 宮古市社会福祉協議会は深刻なボランティア不足に悩む。夏場には1日約200人規模だったが、現在は20人ほど。「実人数を見て活動内容を減らしている」といい、活動を制約せざるを得ない状況になっている。

 釜石、大船渡両市のボランティアセンターは週末だけ稼働するようになった。

 県災害ボランティアセンターは、厳寒期を迎えていることや、道路事情など、人数の減少には季節的な影響もあると分析する。

 同協議会の有原領一福祉活動専門員は「まだまだボランティアの力を必要とする場面はある。多くの人に継続的に参加してほしい」と訴える。
(2012/02/11)

今年の冬は最近にない厳冬となっており、特に沿岸部に通じる道路が凍結していたりと現地に移動する手段も限られていて、ボランティアの活動も低調にならざるを得ません。私が昨年3月の震災直後に被災地に入ったときも、例年になく寒い春だったために沿岸部へ通じる道が凍結しており、ガソリンの供給がストップした中で被災地支援が滞りがちだったことを思い出します。

ただし、震災直後と違うのは、被災された方々が当面の生活の場を得て、これから自らの手で地元を取り戻そうとしていることです。海外や県外から被災地に入っていたNPOやNGOも撤退し始めていて、昨年7月に書いたことではありますが、「外部から支援に入っている各機関や団体が撤退する時期が一つの区切りとなる」ということにもつながると思います。生活の基盤を取り戻し、お互いの生活を支援し合う取組を被災地の方が自ら担うことが復興の第一歩となるのではないかと思うところです。
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2012年02月05日 (日) | Edit |
ついでなので、これも前にメモっておいたことをまとめておきます。

もう一つNHKの番組で、こちらは録画はせずに家族が見ているのをチラ見しただけなんですが、「シリーズ日本新生 生み出せ!“危機の時代”のリーダー」というのがありました。全部を見たわけではないので、番組の概要を引用しておくと、

番組内容
震災や円高、巨額の財政赤字など政治・経済の苦境からなかなか脱出できない日本。この難局を打開できるリーダーを生むには何が必要なのか。有識者と市民が徹底討論する。

詳細
震災や円高、巨額の財政赤字など政治・経済の苦境から、なかなか脱出できない日本。被災地では若いリーダーが誕生する一方、首相は次々と交代。大企業トップを巡る不祥事も相次ぎ、海外メディアからは「リーダーレス・ジャパン」と揶揄(やゆ)されている。「なぜ日本にはリーダーが育たないのか」「国際社会に通用し、スティーブ・ジョブズのような新時代を切り開くリーダーを育てるには」など、有識者と市民が徹底討論する。

出演者ほか
【ゲスト】多摩大学大学院教授…田坂広志, 【ゲスト】元内閣官房長官…野中広務, 【ゲスト】東京大学大学院教授…姜尚中, 【ゲスト】放送プロデューサー…デーブ・スペクター, 【ゲスト】元経済産業省官僚…古賀茂明, 【ゲスト】京都大学准教授…瀧本哲史, 【ゲスト】ナガオカ社長…三村等, 【ゲスト】弁護士…土井香苗, 【ゲスト】社会学者…古市憲寿, 【ゲスト】アレックスCEO…辻野晃一郎, 【ゲスト】台湾AUO技術者…松枝洋二郎, 【ゲスト】ノンフィクション作家…河添恵子, 【ゲスト】フィンランド語通訳・翻訳家…坂根シルック, 【ゲスト】ジャーナリスト…三神万里子, 【司会】三宅民夫, 守本奈実

NHKスペシャル シリーズ日本新生「生み出せ!“危機の時代”のリーダー」

・・・なんというか、「姜尚中」とか「デーブ・スペクター」とか「古賀茂明」とか「瀧本哲史」とか、リーダーにはほど遠い(少なくとも私の職場にいたら迷惑そうな)方々がリーダーについて語るというのは何かの冗談かと思ってしまいました。私が見たのは古賀茂明氏と三神万里子氏のプレゼンでしたが、古賀氏のプレゼンは、「官僚は年功序列で先輩のメンツをつぶせない」とか「事前調整しなければならないので思い切ったことができない」とか、組織で仕事をしたことのない新入社員のような主張で、しかもスタジオに呼ばれていた国交省の若手キャリアも同じようなことをいっていて、霞が関の劣化はかなり深刻なように思いました。組織の中で先輩がいないということはありませんし、複数の部署に分かれている組織の中で調整が要らない業務なんてほとんどないわけで、それが原因で仕事ができないというのであれば、それは単に「私は仕事ができません」と告白しているだけですね。組織の中で仕事をするというのは、関係部署や上司のメンツを保ちつつ、その中で必要な要素を忍び込ませて了解を取り付けるといった、肉を切らせて骨を切る手法をいかに駆使ししていくかにかかっています。一見迂遠なようですが、後々のトラブルを考えるなら、事前にできる限り調整を済ませておく必要があります。まあ、それをチホーコームインごときに指摘されるようでは霞が関ではやっていけないのも仕方のないことなのでしょう。

続く三神万里子氏のプレゼンは、「管理職もどきを現場にもどそう」というもので、指摘されている現象はそのとおりだろうとは思いますが、これもまた人事の変遷の現場をご存じない外野の意見だよなあという印象でした。少子化と90年代半ばから断続的に続く採用枠の限定によって会社組織内の年齢構成が変わってしまったわけで、その結果として権限のない管理職が増えたのはそのとおりとしても、だからといって現場に戻せば解決するというものではないというのが人事の難しいところです。むしろ「スピーディーな意思決定」とかいって組織をフラット化したことが権限のない管理職の大量発生の原因でもあったところですし、管理職を現場に戻したら現場の次世代のリーダーが育たないとか、一筋縄ではいきません。

まあ、感想としては、前回エントリと今回エントリを含めてテレビを見た時間を返してほしいと思ったのも珍しいです。おっとこれはさすがに「自己責任」ですね。
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2012年02月05日 (日) | Edit |
拙ブログを振り返ってみると、取り上げているテレビ番組がほとんどNHKとなっていて、おそらくは取り上げる内容が被災地の現状を伝えているものが多いので引用することが多くなっているのだろうと思います。まあ普段見るのはほとんど民放のバラエティ番組でして、しばらくこの年末年始に録りためていたNHKの番組をほったらかしにしておりましたが、ちまちまと流し見たところあまりにもあんまりでした。そりゃもちろんNHKだって日本のマスコミですから、NHKだけがまともな番組を作るわけでもなく、むしろ「時流を捉えた」番組を作ろうとすればするほど易きに流れていくのは世の習いというところでしょう。

あらかじめお断りしておけば、どの番組もやたらと長いので早送りでかいつまんで見たという程度でして、正確な発言趣旨を理解していないこともあります。まあ、あまりに「?」な発言は巻き戻して確認したりもしていますので、それほど見当違いの解釈にはなっていないとは思いますが。

で、続編が決まったとのことで暗澹たる気持ちになるところですが「新世代が解く!ニッポンのジレンマ」では、「新世代」といわれている1970年代生まれの現状認識の浅はかさがあんまりでした。かく言う私も1970年代生まれではありますが、彼らの当事者意識が浮遊している議論を聞いていると、幾分かは実務経験を積んだ甲斐があったのかなと思いました。番組の流れは、ポイントで宇野常寛氏が発言してそれに対する異論や賛同の意見が連鎖していくというパターンが多かったのですが、宇野氏の発言の中でも「正社員でなければ生活できないような日本のOSを書き換えて、非正規でも生きていける社会にしなければならない」という主張が後々まで議論を拘束していたようでした。

でまあ、拙ブログの関心領域でもある「労働」カテゴリってのは、そういうことばっかりを議論してきたつもりでして、30~40代にさしかかっている出演者というのは、会社なら課長クラスまで昇進しているだろう年代なわけで、その人事労務政策に対する認識や実務感覚の貧困さには憤りを通り越して哀れさを感じます。最後のまとめで象徴的だったのが、水無田気流氏の「テレビを見ている皆さんも、ネットでも何でもつながろう」と呼びかけていて、それを番組の主要テーマである雇用の場で確保するものこそが憲法第28条で規定される労働基本権なわけです。いつもの繰り言になりますが、拙ブログがしつこく集団的労使関係の再構築の重要性を強調するのも、立場の異なる相手と交渉し、その中でお互いが自らの利害を主張しながら、時には実力行使を交えつつ調整を図っていくというプロセスを、普通に働く場で自らの問題として経験することが身の回りの社会を改善していく確実な方策だろうと考えるからです。

実際に、現行の日本型雇用慣行は、時には流血の事態を引き起こしながらそうした集団的労使関係の中で構築されたものでして(この辺の歴史的経緯はhamachan先生の新著をお読みください)、「OSを書き換える」ような簡単な話ではありません。少しずつ方向転換をしながら、その中で様々な立場にある労使の当事者、特に労労対立の中で対話により利害調整を図りつつ、一つの雇用形態や片務的な雇用慣行に縛られない雇用慣行を形成するしかないわけです。バブル崩壊後の日本では、決定的にその経験が不足しているため、「統治機構を入れ替える」というどこぞの「カイカク派」に容易く取り込まれてしまうのだろうと思います。

ところが、「人事コンサルタント」の肩書きで「ワカモノマニフェスト」とかいう世代間対立を煽ることしか頭にないアラフォーが出演していて、その発言を聞くたびに頭が痛くなりますね。40も過ぎれば次の世代に「ワカモノマニフェスト」を突きつけられる番になるわけですが、彼らがどこまでそれを自覚しているのか怪しいものです。まあ、彼らの年代がお好きな「成果主義」が、その目的や副作用を十分に検討されることもなく導入された結果として、「内部事務や利害調整という行政の重要な機能が、成果主義、組織のフラット化、現場主義の名の下に衰退していくわけで、これが数年以上経った段階でその弊害が無視できなくなったころにやっと見直しの機運が出てくるという形で、無限ループが繰り返されている」のですが、そろそろ私もその批判の矢面に立たされる準備をしなければならないのでしょう。世代間対立を煽るということは、自分が歳を食ったときに自らが放ったブーメランで憤死することなのですよ。

まあ、ブーメランを好むという点では飯田先生の実務感覚のなさぶりも際立っていました。飯田先生はしつこく「事前規制から事後規制へ」という主張をくり返されていたんですが、小沢元民主党代表の発言を引くまでもなく、「グランドキャニオンには柵がない」というのは、濫訴大国であるアメリカで成り立つ議論です。事後的に「自己責任」で国なり州を相手取って訴訟を起こせば勝てるかも知れない(もちろん、そこまでの資力がなければ提訴すらできないことはいうまでもありません)のですが、日本で訴訟を起こすということはアメリカよりもさらに時間的・資金的ハードルが高いわけで、それでどうやって「自己責任で」事後規制にして安全を確保するのかという視点が、飯田先生はもちろん小沢元代表には欠けています。事後規制で自己責任というのは、訴訟で負けないように自分の行動を規制するコミットメントの効果によって安全を確保しようというのがその目的であって、いうまでもなく勝手に落ちて死んでしまえというのが目的ではありません。同じように、日本が事前規制によって安全を確保しようとするのは、事後的に救済されうるとしてもそこにたどり着くコストが高ければ、実質的に落ちて死んだ人もその家族も救われないからでしょう。

それでも、事後規制によって安全を確保できれば行政コストが削減できるとおっしゃるのかもしれませんが、現状は、事前規制がなくて死んでしまったり健康被害が発生すれば、「国の規制が甘かった」とか「役所がきちんと実態を把握していなかった」とかいわれるわけで、とても現実の実務に落とし込める代物ではありません。現状で事後規制に方向転換しても、結局は事後規制で国とか地方自治体が訴訟で負けまくって、その賠償金の原資は増税という形で国民が負担することもありえますから、事前規制に要する人員以上に高コストになる可能性も十分にあります。マクロ経済学者が「キセーカンワ」の類のことを主張されると、いかに飯田先生でもトンデモな議論になってしまうという実例というところでしょうか。

なんというか、しばらく前には「世間知」と「専門知」という対立で描かれる時期があったように思うのですが、それは本質的な対立ではなく、お互いに「俺の方が詳しい」と言い張る「学術知」と「実務知」が不毛に対立しているというのが実態のような気もするところです。ケインズが「知的影響から自由なつもりの実務屋は、たいがいどこかのトンデモ経済学者の奴隷です」と「実務知」と「学術知」を対比して取り上げていたのには、こうした洞察があったのかもしれません。
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2012年02月04日 (土) | Edit |
月が変わってしまいましたが、先月11日は震災から10か月でした。もう来週には11か月目となってしまいますが、10か月というとだいたい300日ということで、延長されていた雇用保険の給付日数が早い人から切れ始める時期とされており、新聞でも大きく報道されていました。しかし、被災地のハローワークの状況として聞こえてくるのは、雇用保険の支給が早く切れるような若年者はすでに仕事を求めて地元を離れていて、むしろ被災地で問題となっているのは雇用保険が今年いっぱいくらいは支給されるような正社員だった中高年男性の仕事がないということです。雇用保険の支給が切れるという報道があってからすでに3週間程度経過しているわけですが、ハローワークではお盆明けくらいから求職活動を始める方が増え始めていて、このタイミングで特に増えたということはないようです。まあ、失業給付を受給するためには4週間ごとの認定日にハローワークに行かなければならないわけで、その目的でハローワークに行く人も含めれば人数として大きな変化があるわけではないということなのでしょう。

しかし、だからといって被災地の雇用環境が改善しているというわけでもなく、相変わらず建設業とか自治体の臨時職員というような短期の仕事ばかりで、だからこそ元々正社員だった中年男性からすれば「なりわい」としての仕事の選択肢とはなり得ないのでしょうし、企業側からしても、スキルの向上が限定的で定年までの年数も短いとなれば、中年男性に対しては労働力としての投資効率が悪いと採用を躊躇するところも多いのかもしれません。そういう状況を良く伝えていたのがNHKの「シリーズ東日本大震災“震災失業”12万人の危機」でした。番組の時間の枠や構成の都合上、取り上げられていた事例は局所的なものとならざるを得ませんが、番組では石巻市の仮設住宅団地で1100世帯を対象にアンケート調査を行って、全体的な傾向を押さえようとしていたので、それほど被災地の感覚とずれた感じはしませんでした。というより、アンケートに対する回答の中に「仕事がないために生きている意味を感じなくなってしまう」というものがありましたが、それは被災地に限らず当然の感情であって、だからこそ「社会参加」とか「社会的包摂(Social Inclusion)が政策課題として議論されているわけです。

ところが、番組は途中から中高年男性の雇用問題ではなく、NPOとかNGOなどのキャッシュ・フォー・ワーク(CFW)に話が逸れていきます。番組では3人の「識者」から提言が行われて、以前に拙ブログでも取り上げたことのある宮本みち子先生が「NPOやNGOや社会的企業による雇用」の重要性を指摘され、気仙沼市の事例が紹介されていました。話がちょっとずれているんでは?と思って見ていると、そこで雇用されている方として紹介されていた被災された方はやはり20代の若い男性でした。実際、私が被災地のCFWの取組として拝見したところでは、町中から離れた仮設住宅から工場や事務所まで通うことのできない女性や高齢者が中心で、いわゆる「働き盛り」の40~50代の方はあまりいらっしゃいません。どちらかというと、正社員だった40~50代の方は雇用保険の支給額が多くて期間も長いため、「生きている意味を感じる仕事」に就くモチベーションを失っている方が多いように思います。番組でも指摘されていたようにアルコールに依存されたり引きこもってしまう方も中にはいらっしゃいます。私自身は「雇用創出」という言葉には違和感を覚えるので他のいい方をすれば、現実問題として「中高年男性が雇用され、その中で生きている意味を感じることができる場」を確保することが必要といえるでしょう。

また、そのほかの取組として「セキュリテ被災地応援ファンド」が紹介されていましたが、「自分が助けたいと思う人を助ける」というのはまさに「富める者が貧しい者を支える--医療、住宅、教育などを補助金を出して支える--ことは望ましいだろうが、そうした援助は政府が命じるのではなく、個人の意向に任せられるべき」というリバタリアニズム的な手法であって、それが切り札になるとは到底思えません。もちろん、資金を提供していただく方々の善意には心から感謝するところですし、それで現実に雇用の場が確保されたことは素晴らしいことなのですが、お金を持っている人が「助けよう」と思わない人は助けないシステムばかりが注目を集めてしまうと、結局は「自己責任」とか「自己完結」という話に流れていってしまうのではないかと危惧してしまいます。

番組の最後には、恒例の「最後の締めくくりが至極まっとうな意見になっているのがさらに摩訶不思議なマスコミマジック」が語られます。

1時間11分ころ
鎌田靖キャスター:
 行政の動きが遅い中、被災地で雇用を生み出すのにもインターネットなどを通じた新たなつながりが有効であることが分かってきました。しかし、残念ながらこうした取組で生まれる雇用はまだわずか。12万人に及ぶ震災失業の根本的な解決策にはなっていません。また、これまで見てきた岩手県や宮城県だけではなく、福島県の場合は原発事故の影響で企業が県外に流出し、失業問題はさらに深刻な状況です。
 今回、私たちが取材した多くの被災者は追い詰められた状況にありながら、仕事をしたいという意欲だけは決して失っていませんでした。その意欲が失われないうちに今すぐ具体的な雇用対策を打ち出さなければ、さらに危機的な状況になり、その影響は東北のみならず、日本全体に及びかねません。復興元年と言われる今年、12万人に及び震災失業の問題に、まさに正面から向き合わなければ復興のその第一歩さえ踏み出すことができない、ここ被災地におりますと、私にはそう思えてならないのです。


いやまさに正論なのですが、「行政の動きが遅い中」というキーワードを冒頭にもってくることで、行政が「具体的な雇用対策を打ち出」しておらず、「震災失業の問題に正面から向き合」っていないと言いたいのだろうかと勘ぐってしまいます。確かに正面から向き合っているといえるだけの雇用対策はないかもしれませんが、番組でも指摘されていたように、工場や事務所を再建しようにも地盤が沈下した浸水区域では事業再開ができないわけで、その意味で産業の「基盤」が復旧しないうちはその派生需要である雇用が生まれるはずもなく、そもそも「具体的な雇用対策」なんてものが単独で存在するとは思われません。もちろん、金融緩和をすれば沈下した地盤が物理的に盛り上がるはずもなく、日銀が何かすれば自動的に雇用が回復するわけでもありません。政府を通じて資源を社会資本として効率的に配分し、所得を再分配することが重要であって、その機能を担う国や地方自治体の役所を回復することも並行して進めなければならないわけです。

また、収入源の確保という意味では、被災地ではしばらく以前就いていた仕事とは違う仕事に就くというシャッフルが進むことになります。その中で従業員や施設を確保できず工場や店を畳む事業主とか自営の商店主や漁業者が出てくることも避けられませんので、雇用保険が支給されず、借金だけを抱えてしまう方々に対する救済策も具体化しなければならないと思います。時間が経つにつれ、被災地では「雇用対策」とか「二重ローン問題」とか「福祉の確保」というような個別に見えていた問題が、それぞれの事情に応じてクロスオーバーしてくるのかもしれません。その観点から言えば、失業問題に対して雇用対策を講じるというのは一側面からの見方であって、その地域においてどうやって生活していくかというトータルな視点が必要となっているように感じます。
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