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2011年12月31日 (土) | Edit |
今日で今年も終わってしまいますが、何が何だかわからないうちに一年が終わってしまったという感じです。それなりに年も取ってきてここ最近は一年が早いなと思うようになってはいましたが、それに輪をかけて東日本大震災以後は仕事も生活もすっかり変わってしまい、気がついたら年末になっていたという状態です。

というわけで、春先以降は家のことも全然手つかずの状態でしたので、仕事納め以降はとりあえず大掃除に取りかかっています。家族と分担して自分は水回りの掃除をしたり窓ガラスの掃除などダラダラやっておりましたが、なんとか新年を迎えられるくらいにはきれいになったかなと思ったら、もう少しで紅白も始まりそうな時間になってしまいました。根が物ぐさなものでして、いつもは年末の大掃除なんかちゃちゃっと済ませようと手抜きをするところですが、家族がそろっていつもの我が家で新年を迎えられることのありがたさを感じながら、いつもよりちょっと念入りに掃除をしてみたところです。

実を言えば、今年のエントリを振り返ってみながら新年に向けた課題など考えてみようなんてことも考えていたものの、すっかり仕事モードから抜けてしまっています。公私ともにいろいろなことがありすぎたせいか、振り返るほどの気力もなくなっている状態ですので、しばらく年末年始の気分に浸りながら、新たな年に向けて気分を一新したいと思います。

この一年間駄文にお付き合いいただいた皆まさに心より感謝申し上げます。
よいお年をお迎えください。
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2011年12月20日 (火) | Edit |
前回エントリの最後にご登場いただいた宮本先生ですが、『POSSE』の最新号に掲載されたインタビューで重要な指摘をされています。

--ただ、やはり気になるのは、生活保護制度が改悪されたり、well-beingが安易に賃金の切り下げにつながったり、貧困ビジネスが流入するのではないかということです。また、日本のNPOや社会的企業にその力があるのでしょうか。

それはやはり中間的就労が制度化されていないからでしょう。ヨーロッパでは、中間的就労が社会的企業の主要なフィールドになっているわけですが、それが日本でうまく機能していないのは、こうした制度が整備されていないことが理由にあると思います。90年代の終わりから緊急雇用創出事業にものすごいお金が使われたのに、その位置づけがはっきりしていないため、基金の給付期間が終わると仕事が全然残っていません。安定雇用への接続になっておらず、緊急雇用がその連結点になるように制度を再設計することが重要です。
宮本太郎「アクティベーションの困難と震災後の就労支援モデル」p.126


POSSE vol.13 ダメな雇用創出が震災復興を妨げる?POSSE vol.13 ダメな雇用創出が震災復興を妨げる?
(2011/12/10)
大野更紗、古市憲寿 他

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※ 以下、強調は引用者による。


いやまあ、本号は「ダメな雇用創出が震災復興を妨げる?」という特集が組まれていて、その前にも「反貧困・震災以降のNPO論」などの記事があって拙ブログ的には論点が満載ではありますが、とりあえずのメモとして緊急雇用創出事業についての議論を追ってみると、宮本先生が指摘されるとおり、震災以降の緊急雇用創出事業をどう位置づけるかが、戦後の「労働行政に取り憑いた夢魔」((c)hamachan先生)とまで言われた失業対策事業(失対事業)と緊急雇用創出事業が違うものとなるかの分かれ目になるのではないかと思うところです。

拙ブログでも、CFWのうち「つなぐ雇用」ではなく「みたす雇用」は中長期的に継続する必要がある業務である以上、それに従事する労働者の賃金を中長期的に確保しなければならず、そのためにも復興に従事する公務員を増やすことを考えるべきと指摘しておりますが、宮本先生はそれを「中間的就労」として構想されているようです。もちろん、宮本先生が「ヨーロッパでは、中間的就労が社会的企業の主要なフィールドになっている」と指摘されるとおり、ジョブ型の労働市場が存在するヨーロッパだからこそ中間的就労が可能となっているのであって、メンバーシップ型の雇用慣行で企業に「就社」する日本の労働市場ではなかなか形成されないのではないかと思います。

社会的企業にしても、そこで働く労働者の生活が社会保障制度で十分に保障されているから可能であって、生活保障まで雇い主に求める日本型雇用慣行では社会的企業による雇用が生活を保障することは難しいとだろうと思います。特に、社会的企業という形では、特定の分野に集中的に資金を集めることができても、複数の分野で展開することは難しいわけで、特に経費を要する支援を必要とする層がその支援から漏れてしまう可能性を否定できません。私が「新しい公共」に懐疑的なのも、そうしたゴーイングコンサーンが乏しいと思われる「新しい公共」が社会保障としての福祉や保育、介護の担い手となっても、結局は財源不足の問題に直面してその現物給付を持続させられないだろうと考えるからです。

この点についてはまた別途取り上げる機会があるかもしれませんが、緊急雇用創出事業の位置づけに話を戻すと、本田由紀先生も別項で同じく「中間的労働市場」に関連づけて議論されています。

本田:CFWは地域を良くしていくから失業対策とは違うという考え方にも疑問があります。地域を回していくためには必要だけれど、収益には結びつきにくい仕事をこう適任設定していく。そして労働者は雇用期間の設定や輪番制により滞留しないようにしつつ、事業としては恒久的なものとして政府や自治体が責任を持つという形で、かつての失対事業新しく立て直す。それをCFWと呼べばいいんじゃないかと私は思います。民間産業としての雇用創出とは区別して。

(略)

 とても優秀な人でなくても働ける場を公的に確保していくことが、BIではなく言わば「ベーシック・エンプロイメント」として、生活保護のようなセーフティネットとともに必要だと思うんです。昔は「いよいよ仕事がなくて困ったら国の日雇い仕事でもやるか」というような会話が、貧窮層の中で交わされていたのですが、現在でいうと最賃よりも低い、もしかしたら時給500~600円かもしれませんが、そういう場が確保されているだけで、人々の気持ちがだいぶ楽になる気がするんです。だから、CFWに中間的労働市場の一つとしての展開可能性、連続性を期待しています。
永松伸吾・本田由紀・木下武男・今野晴貴「キャッシュ・フォー・ワークが日本の失業を救う?」pp.110-112


「中間的就労」も「中間的労働市場」も、何らかの事情でフルタイムで働くことが困難な方を対象として限定的な職務内容で就労する機会を提供しようとするものですので、その「何らかの事情」がたとえば震災によって職を失った方が物理的にも精神的にも立ち直るまでの「つなぐ雇用」として、緊急雇用創出事業やCFWが位置づけられているようです。宮本先生も本田先生も「安定雇用への接続」や「展開可能性、連続性」の重要性を指摘しているように、被災地においては当面の「つなぎ雇用」からの次の展開が新たな課題となっているといえます。マスコミとか議会からは「何人の雇用を創出したのか」という「実績」しか聞かれませんが、役所としてもその雇用を次にどうつなげていくのかという点を議論しなければなりません。というと、すぐに「産業振興だ」とか「水産業の6次産業化だ」とか威勢のいい話になりがちですが、拙ブログでは権丈先生の説に従って、社会保障の現物給付の拡充によって社会全体の消費性向を向上させることが重要と考えるところです。

なお細かいことですが、緊急雇用創出事業についてありがちな誤解が散見されましたので、気がついた点を指摘しておきます。念のため、私の知っている範囲での指摘であって間違いがある可能性がありますので、詳細については地元の自治体にお問い合わせください。

 POSSEでは、求職中の貧困者・生活困窮者等にたいして、生活、就労、住宅等の必要な支援をおこなうことを目的として厚生労働省が設置している「緊急雇用創出事業臨時特例基金(住まい対策拡充等支援事業)」の助成を受け、上述の送迎事業を実施する予定となっている。
pp.84-85


まず、一番よくある誤解ですが、緊急雇用創出事業を民間で行う際は「委託事業」でしか実施できません。上記の「住まい対策拡充等支援事業」というのは、おそらく23年度は「パーソナルサポート事業」としてモデル的に実施されていた事業でして、これも委託事業ですので助成ではないと思います。一般の方から「被災者を雇用したから緊急雇用創出事業で助成してほしい」というような問い合わせをいただくことが多いのですが、委託事業は「県や市町村などの地方公共団体が行うべき事業を、その事業のノウハウを有していると思われる民間の事業者の実施に委ねるもの」であって、民間が実施している事業に交付される補助金などとは手続きが全く逆になります。つまり、県や市町村などが委託事業として予算化して、それを発注したときはじめて民間事業者が受託して実施できるものですので、民間事業者があらかじめ失業者を雇用して実施している事業は委託事業となり得ません。その点が、民間事業者の事業の実施を前提として交付される補助金などとの相違点となります。

次に、これは制度的に大きな論点となり得る点ですが、

木下:失業対策事業については、やはり短期で一時的であるべきです。いまの緊急雇用創出事業は6ヶ月程度ですが、1年までとか、期間を区切って一回だけにするなどして、他の失業者に回していくべきだと思います。
pp.106-107

微妙なところですが、この議論が被災地の緊急雇用創出事業についてであることを踏まえると、一部誤っているように思います。緊急雇用創出事業のうち、緊急雇用事業や被災地以外の事業は、同一の労働者について6ヶ月の雇用が原則で、1回まで更新して通算1年間の雇用が可能です。ただし、重点分野雇用創出事業、地域人材育成事業、震災等緊急雇用対応事業で被災求職者(平たく言えば被災地とされた県の求職者)を雇用するときには、何回でも期間の制限もなく事業がある限り更新できることになっています。本田先生も「一人がそこで働ける期間については限定をつけるにしても、制度自体はもっと恒久的にする必要があると思います(p.106)」と指摘されていますが、被災地ではすでに一人の雇用者を継続して雇用できることになっているわけです。まさに失対事業の夢魔を連想させますが、だからこそ緊急雇用創出事業の出口戦略が重要なのだろうと思います。

最後に、日本労働弁護団の鴨田哲郎弁護士による記事ですが、

ここに、「賃金、勤務形態等」の欄があるが、多くは「未定」「委託先の条件による」であり、賃金額が示された例の中にもその額の幅が大きいもの(例えば、時給950円~1500円。日給6千円~1万円など)が目立つ。書式の物理的制約上の問題もあろうが、特に「委託先の条件による」は問題が多い。少なくとも、委託をする自治体は、公契約条例運動の流れもふまえ、受託業者に労働者の労働条件を具体的に指示すべきである。
鴨田哲郎「キャッシュ・フォー・ワークを労働法から考える」p.131


もちろん、自治体が委託する際には労働者の賃金などの労働条件をチェックしているはずですが、もちろんすべての自治体職員が労働法規に精通しているわけもなく、チェックし切れていない面はあるかもしれません。ただし、現行法規上、委託者となる自治体が労働条件を決定できる使用者の立場になることは難しく(財政民主主義の下では団交応諾義務とか直接任用の責務とか果たせません)、どの自治体も積極的に賃金水準を設定できない事情があるのではないかと思います。というか、こうした労働法制上の制約については鴨田弁護士の方がお詳しいのではないかと思うところでして、そうした現行法上の制約に触れず「公契約条例運動の流れもふまえ」なんていわれても対応しようがないと思うのですが、なんとなく日本労働弁護団らしいなとも思います。

というわけで、とりあえずのメモと書きながら長くなってしまいましたが、本号についてはまた機会を見て取り上げるかもしれません。
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2011年12月19日 (月) | Edit |
隣国の指導者の死去という大ニュースの陰に隠れてしまいましたが、関西方面の自治体首長選挙で圧勝した弁護士さんが大阪市長として登庁されたそうです。法曹の割に労働法に疎いと思われるこの弁護士さんについては、hamachan先生のところなどでいろいろとおもしろ発言が取り上げられておりまして、相変わらず民間で適用される労働法制も理解せずに俺様解釈のコームイン人事労務管理構想を披瀝されているようです。だいぶ前の記事になってしまいましたが、拙ブログでも議論させていただいたことのある非国民通信さんのところで、この弁護士さんについて大変重要な指摘がされていました。

原発事故後、一夜にして電力会社が憎悪の対象となり「既得権者」に組み入れられてしまったことからもわかるように、何らかの転機があれば「あなたが」既得権者として憎悪の対象とされ、その権利の剥奪をもって改革とされる日が訪れることもある、そのことは心得ておくべきでしょう。一応は橋下の手法に批判的なフリをしている人でも、反原発論を通じて橋下的なロジック(憎悪扇動)を実践してきた人も少なくありません。この橋下的な手法が「あなたに」襲いかかる可能性は着々と増大しています

Hatebreeder(2011-12-01 23:11:52)」(非国民通信
※ 以下、強調は引用者による。


セージシュドーという呪文が唱えられた90年代から、「規制緩和」やら「既得権益の打破」を声高に主張するカイカク派が跳梁跋扈しているわけでして(注:リンク先のエントリでの橋本内閣による消費税率アップの評価については別エントリで反省しております。為念)、「民主主義の学校」ともてはやされるほどに民意至上主義が浸透しやすい地方自治の現場でカイカク派が勢力を伸ばしているということではありますが、その「既得権益の打破」が他人事であるうちは誰もがその威勢の良さに酔いしれるでしょう。しかし、福祉国家と呼ばれる現代日本においては、日常生活の隅々まで規制の保護が及んでいるわけで、別の言い方をすれば誰もが「既得権益」ということもできます。カイカク派が「既得権益の打破」を掲げる以上、一つの「既得権益」を打破してしまえば次々と獲物を見つけていかなければカイカク派の存在が成り立ちませんので、カイカク派が「既得権益なんて自分には関係ない」と思っている方々をターゲットにする日はそう遠くないかもしれません。

まあ、実際のところ、コームインの人件費が国家財政破綻の原因だというのはすでにカイカク派の常識の範囲内であるとしても、記憶に新しいところではJALが経営破綻したときの労働組合や退職者とか、非国民通信さんも指摘されているように原発事故の拡大を防げなかった東京電力とかが「既得権益」扱いされていたりしますし、もっとおおざっぱに世代間格差を煽って「ノンワーキングリッチ」とかいってみたり、社会保障額の絶対額が低いことを等閑視して高齢者に対する相対的な給付の多さを「シルバーデモクラシー」とか言い出して毎日新聞に引用されたりする経済学方面の方々もいらっしゃいます。本来労働者が団結して労働条件や待遇の改善を求める労働組合も昨今の「経営者目線」の風潮ではただの「既得権益」扱いですし、同じ労働者である非正規労働者からですら「正社員組合」と揶揄されて打破すべき対象とされてしまったりしています。さらに、最近では震災の被災者を既得権益扱いするという耳を疑うような物言いもあるわけで、「既得権益」というレッテルは決して他人事ではありません。

社会の構成員がお互いに「既得権益」というレッテルを貼り合う状況というのは、結局のところ何が「既得権益」かというコンセンサスがないことが原因となっているために生じているとも考えられますが、より深刻な問題は「既得権益」というレッテルを貼った後の行動に抑制がきかなくなることではないかと思います。特に原発事故以降では、東京電力の電力を使いながら電気代を払わないことを公言してはばからないアーティストがいたり、原発事故の収束に尽力している東電社員の賃金を引き下げろと迫ったり、挙げ句の果てにはその子息を攻撃するよう扇動するなど、直接的に東電に関係する方を攻撃する言説もありました。東電に対するヘイトスピーチだけではなく、放射性物質に対する恐怖心を煽って被災地に対する偏見を助長する言説も後を絶ちません。こうした状況を見ていて一番落胆するのは、そのようなヘイトスピーチや偏見を助長する言説が一定の知的修養を経ているはずのアカデミズム界隈の方から発せられることです。

「福島の農家はオウム信者と同じ」 群馬大 発言の教授を処分(2011年12月9日 東京新聞朝刊)

 短文投稿サイト「ツイッター」で不適切な発言をしたとして、群馬大学は「放射能汚染地図」作製で知られる教育学部の早川由紀夫教授(火山学)を七日付で訓告処分とした。早川教授は八日、前橋市内の同大で会見し「訓告は学問や言論の自由の根幹に関わる。大学の自殺だ」と訴えた。
 早川教授は、福島第一原発事故後に放射性物質で汚染された土壌の危険性を伝える趣旨で、周辺の農家について「セシウムまみれの干し草を牛に与えて毒牛をつくる行為も、セシウムまみれの水田で稲を育てて毒米をつくる行為も、サリンをつくったオウム信者がしたことと同じだ」などと投稿していた。
 会見では、放射性物質の拡散状況をまとめた汚染地図を四月に発表して以降「ツイッターの読者を増やすために意識的に刺激的な発言をした」と認め、「地図を広め、理解を浸透させたかった」と説明した。大学によると、投稿について批判と賛同の両方の意見が学外から寄せられている。


この先生はおそらく本心から放射能におびえてこうした行動を取られたのでしょう。しかし、その行動の代償はその先生当人ではなく、被災地に近いというだけで生産物が売れなくなってしまう農家や酪農家、漁業者が払わなければなりません。地元住民の脅迫的な反対のために花火の打ち上げが中止になるだけではなく、がれきの受け入れ先も限られてしまっています。しかしこの先生は、そんな被災地の状況などには目もくれず、ご自身の「ツイッターの読者を増やすために意識的に刺激的な発言をした」とか「地図を広め、理解を浸透させたかった」というきわめて幼稚な動機でもってヘイトスピーチをまき散らしていたわけです。

ヘイトスピーチで済んでいたからまだマシというわけではありませんが、これが実力行使を伴ったときどのような事態を引き起こすかについては、過激さを増していく反捕鯨運動が参考になります。先日日本の捕鯨調査を行う組織がシー・シェパードに対する妨害の差し止めと調査船への接近禁止を求めて、同団体が本部を置く米ワシントン州の連邦地裁に提訴したという報道がありましたが、それに対するシー・シェパード側の反論をみると、上記の群馬大の先生の論旨と通底するものがあるように感じます。

「日本側の最後のあがき」 シー・シェパード代表が調査捕鯨妨害差し止め提訴に反発(2011.12.9 14:21 [捕鯨])

 日本鯨類研究所などが反捕鯨団体「シー・シェパード」に調査捕鯨妨害差し止めを求めて米連邦地裁に提訴したことについて、同団体代表のポール・ワトソン容疑者は9日、共同通信の電話取材に「提訴は取るに足りない。訴えの内容は真実ではない」と反発した。

 ワトソン容疑者は提訴について「捕鯨産業が衰退する中、日本側による最後のあがきだ」と挑発。「われわれを支援する弁護士らに相談するが、提訴はまったく(妨害)活動に影響しない」と断言した。

 シー・シェパードは、調査捕鯨団が南極海へ向けて既に日本を出発したのを確認したとして、来週中にも計3隻の抗議船をオーストラリア西部や南東部から出港させる方針。同容疑者は「南極海を日本の調査捕鯨船団の侵略から守るため行動する」と強調しており、激しい抗議行動が予想される。(共同)


こうした「自分の目的を達成するためには手段を問わない」という姿勢の方に共通するのかもしれませんが、その攻撃対象も自分と同じ姿勢を取るものと考えるようで、自分が攻撃を受けると即座に陰謀論に持ち込みます。

シー・シェパードが日本の警察を非難…「法律犯していない」(スポニチ Sponichi Annex)
 反捕鯨団体「シー・シェパード」は17日までに、同団体関係者が和歌山県警に16日、暴行の疑いで現行犯逮捕されたのを受け、公式サイト上で「いかなる法律も犯していない」などと逮捕を批判する声明を出した。

 逮捕されたのはオランダ国籍のフェルミューレン・アーフィン・マルコ・ピーター・アド容疑者で、クジラ搬送作業を監視していた会社員に暴行を加えた疑い。

 声明は、同容疑者が自費で日本を訪れているシー・シェパードの支援者であるとした上で「(被害者の会社員の他に)目撃者はいない。逮捕はあらかじめ計画されていたと思われる」などと指摘、日本の警察を非難した。(共同)
[ 2011年12月17日 09:35 ]


ついでに、「自分の目的を達成するためには手段を問わない」という姿勢の方で陰謀論好きといえばこの方ですが、

@hidetomitanaka 田中秀臣

NHKで竹中平蔵氏が頑張ってる。こういうときはもうなんでも総動員w いい悪い、好き嫌いはおいといて、長期停滞を解消する運動(日本銀行法改正でリフレーション)のためには、総力戦でいかないとダメ。リフレをいってくれるなら池田信夫にだってハグしちゃうよ(みえすいた嘘ですw


 NHK見てましたけど、竹中氏だけはだめですって・・・。

(略)

 それより田中先生は、宮本氏の言っていることを理解できているのかな。たぶん、できていないでしょうね(汗) ミュルダールを読んでも「金融政策を重視した」とか、そんなまとめになるくらいだから。

ちょっとなあ(2011/12/17(土) 午後 10:46)」(暴言日記


自説に反する物言いはすべて否定しなければ気が済まないほど自説を固く信じている方ですから、自説の通りに世の中が動かなければ陰謀論に落とし込むのでしょうし、宮本先生の言っていることどころか経済学の教科書に書いていないことは理解する気もないのかもしれません。
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2011年12月12日 (月) | Edit |
今日で震災から9か月が経過しました。日曜日ということもあってかいろいろとイベントが組まれていたようで、テレビや新聞でも震災関連のニュースが多く取り上げられていたように思います。先日は復興庁という組織の設置も決まったとのことで、相変わらず総論だけで語る政治部的な社説が出ていました。

復興庁の権限―地方移管へ検討続けよ(asahi.com 2011年12月11日(日)付)
とはいえ、国直轄の事業は国土交通省の東北地方整備局や農林水産省の東北農政局など、各省の出先機関が実施していく。現場では、出先機関の職員が復興局員に併任されるという

 これで復興庁に、どれだけ実質的な権限が渡るのか。野党の修正要求によって、事業の予算要求から各省への配分、箇所づけの権限も与えられ、政府案より権限は強まったというが、本当にそうだろうか。

 出先機関の衣替えに終わらないのか。時間をかけた割には、あいまいな部分が多い。

 ふたつめは、地域主権改革、地方分権の視点がまったく欠落していることだ。

 政府は「自治体の使い勝手がいいように工夫した」と胸を張る。だが、結局は自治体が復興資金を得たり、特区制度を使ったりするには、政府に認められねばならない。これまでの中央集権の構造は何も変わらない。

 野田首相は、政府の出先機関の原則廃止に向け、関連法案を年明けの国会に出すよう関係閣僚に指示している。とはいえ、いざ本格復興に取りかかろうという時に、被災地の出先を全面改編しようというのは現実的ではないだろう

※ 以下、強調は引用者による。

政治部的には、「国直轄の事業は国土交通省の東北地方整備局や農林水産省の東北農政局など、各省の出先機関が実施」というきわめて実務的な対応が「非現実的」に見えて、「地域主権改革、地方分権」という絵空事の方が大事なようです。確かに「本格復興に取りかかろうという時に、被災地の出先を全面改編しようというのは現実的ではないだろう」というのは一面ではその通りだと思いますが、震災復興のために山積みとなった業務を目の前にしている自治体職員に対して、チーキシュケンの名の下にさらに仕事をさせようという社説子の考え方の方がよほど非現実的でしょう。本格復興に取りかかるためには国レベルの所得再分配で財源を確保し、脚光を浴びやすい産業の復興だけではなく地域医療や地域福祉を復興させなければならないわけで、そのために必要なのは権限ではなく、その公的サービスを提供する人員です。公的サービスですから、事業の実施主体が市町村だろうが県だろうが国だろうが、雇われる方が地元の方であれば問題はありません。この期に及んで「国だから中央集権だ」とか「自治体にやらせればチーキシュケンだ」という実務を無視した議論がまかり通ることに脱力せざるを得ません。

こういう政治部感覚全開の社説に比べれば、こちらの社説はまだ実務への配慮が感じられます。

復興庁法案合意 被災自治体の支援を強化せよ(12月7日付・読売社説)
 政府案は、復興庁の役割を政府の施策の総合調整や被災自治体の一元的窓口などに限定し、国直轄事業は国土交通など他省が行うとしていた。野党側は、復興庁を、国直轄事業も担う「スーパー官庁」とするよう主張した。

 だが、各省は既に復興事業を進めている。今さら、各省と出先機関から復興担当の職員と権限・事務を切り離して、復興庁に統合するのは、あまりに非効率だ。

 修正案では、国直轄事業は各省に残すことにした。復興庁には復興予算を一括して要求し、各省に配分する権限や、復興事業全体を統括・監理する権限を与えた。

 これにより、他省に対する復興庁の立場は強化される。現実的で意味のある修正と言えよう
(略)
 特に大切なのは、被災自治体が復興計画作りで直面する膨大な事務作業を、政府が積極的に支援することだ。各自治体では早くも、都市計画などの専門家や技術者の不足を懸念する声が出ている。

 事務作業が滞り、肝心の復興が進まない――。そんな不幸な事態を避けるため、政府は、関係府省などから応援要員を各自治体に派遣し、計画作成作業を初期段階から後押しすべきだ

(2011年12月7日01時20分 読売新聞)

震災により2割を超える職員を失った自治体からすれば、専門家や技術者に限らず行政事務そのものを担う職員が不足しているのですが、まずは都市計画や公共事業を円滑に実施できる体制の整備が急務でしょう。つくづく今回の震災が公務員削減が熱狂的に進められた後に起きたことに自然の非情さを感じます。

言うまでもなく、被災地の自治体職員は自らも被災した方がほとんどですが、被災地では、役場の公務員だったかどうかが支援される側と支援する側とを分けているという状況です。昨今の公務員バッシングの中でなかなか意識されませんが、コームインだからといって何か特別な訓練を受けた強化人間でも何でもなく、毎日食事をして活動して寝て起きて…というサイクルの中で仕事をしている普通の人間でして、感情もあれば疲労もします。「被災者」というくくりであれば「支援が必要だ」といわれるわけですが、それがコームインとなった時点で意識されなくなり、むしろバッシングの対象となってしまうという過酷な状況にあるのが被災地自治体の職員の現状といえます。

そうした「支援する側」に回らざるを得ない自治体職員や消防隊員などの状況については、加藤・最相『心のケア』が詳しいです。

日本の保健システムというのは、都道府県が各地域に保健所を置いていて、そこがあるエリアを統括し、その下にある市町村が独自にいろんな地域保健活動をしています。たとえば乳幼児の三ヶ月健診や一歳半健診、などです。それよりもむずかしい、たとえば感染症や難病、精神障害になると、自治体によって違いはありますが、都道府県の保健所が直接担当することもある。要するに、都道府県と市町村でそれぞれ棲み分けをしているんです。それが日本が世界に誇るべき地域保健システムです。これまでの災害はそれを基盤にいろんな保健活動、心のケア活動も支えていくことができたわけです。
(略)
 ところが東日本大震災では、この世界に冠たる日本の保健システムが壊滅的なダメージを受けたわけです。南三陸町などは役場の建物がなくなりましたから、事務的なこと、実際的な保健業務もできなくなっている。うかがった話では、町の職員の方が三割も犠牲になって、かつ年度替わりで退職された方もいるので全体で四割減ぐらいになっているそうです。そのうえ、無事だった方もそれぞれ被災されていますから…
pp.28-29

外部支援者と違って、地元の人たちは一時的にそこにいるわけじゃないですからね。南三陸町では町の職員の方三十人が庁舎の屋上に逃げたのですが、そのうち二十人の方が流されてしまったそうです。目の前で自分の同僚が流されていったから、生き残った人たちはものすごい罪悪感を抱えている。想像もできないくらいの罪悪感だと思います。しかも、自分自身も家族を失い、知人友人もたくさん亡くなっている。そんな状況で役場の仕事をしなきゃいけないわけじゃないですか。よくあることですが、被災された方というのは怒りの矛先がないのでお役所に対してきついことをいうんです。どうにかしてくれと。職員はそれを一身に引き受けなきゃいけない。遺体の処置もやならければいけないし、外部から来る人の調整もしなければならない。そういう状況が長く続くわけです。
p.30


心のケア――阪神・淡路大震災から東北へ (講談社現代新書)心のケア――阪神・淡路大震災から東北へ (講談社現代新書)
(2011/09/16)
加藤 寛、最相 葉月 他

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政治部的感覚とか旧自治省的感覚ではまだまだ仕事をしろといいそうな被災地自治体の職員のこうした状況を考えたときに、権限があったところで手が足りないことは明白なわけで、仕事をよこすなら地元のために働く人を雇わせろというのが被災した自治体の思いではないでしょうか。もちろん、そのときに専門的な知識や経験の豊富な専門家に支援していただくことも重要ですが、復興に必要な人員はそうした高度な専門家ばかりではありません。筆者の一人である加藤医師が阪神・淡路大震災で避難所になった中学校で経験したことだそうですが、

 ぼくが一番ショックだったのは、医師よりも看護職のほうが断然役に立つことです。西市民病院の看護師さんたちは自分たちも被災しているんですが、それでも熱心に非難している人たちの見守りをしているんですよ。あそこの教室のだれだれさんはこんな持病を抱えてはるけど薬がないとか、あのおじいちゃんは夜がちょっと大変で気をつけないとあかんとか、よく知っている。外から来られた保健師さんたちも、トイレの衛生管理をばっちりされていく。さすがだなあと思いました。
 医者はなにもできないから、彼女たちの後ろをついて歩くだけです。

加藤・最相『同』p.108

というように、特に社会保障の現物給付の現場では、そのサービスを受ける住民の情報を持って適切なサービスを提供できる人員に比べれば、いかに高度な専門家であってもできることは限られているわけです。程度の差こそあれ、お役所仕事は全国一律でできる部分ももちろんあるでしょうが、住民にとっての重要なサービスはそれを補完する些細な部分にこそ現れます。だからこそ紋切り型のお役所仕事は批判されるのであって、特に復興期における生活支援で必要なのは、繰り返しになりますが地元で地元の住民に必要な公共サービスを提供する人員なわけです。

そして、前回エントリとも関連しますが、公共サービスを提供する人員は必ずしも短期的にめざましい成果を上げるようなエリートである必要はありません。公共サービスを提供することで「支援する側」に回る人であっても必ず疲れますし、適度に休む必要があります。加藤医師が震災直後に被災地に入ったときの状況ですが、

被災者は疲労困憊している。でも自分たちも疲れている。災害支援では誰もがいわば躁状態だ。交感神経が活発に働き、攻撃的になる。悲惨な場面に遭遇することも多いため、過酷な任務に従事し続ければ脳へのダメージも大きい。救急医療対も通常、二泊三日で交代する。被災地に害を与えず迷惑をかけず、任務を果たし、健康を損なわずに帰還する。そうでなければ次の支援が続かない。支援に必要なのは短期の英雄的行為ではなく、小さなことを細く長く続けること--。

加藤・最相『同』pp.214-215

というように、一つ一つは小さなことかもしれませんが、被災された方々一人一人に向き合って話を聞いていくということの積み重ねが、大局的に見れば被災された方の復興への歩みを進める大きな力となるのではないかと思います。本書の最後のエピソードで語られる加藤医師の次の言葉は、被災地の支援に当たる方々だけではなく、被災地の復興を考えるすべての方にも知っていただければと思います。

「でも想像してみてほしい。学校の屋上で子どもたちがなにを体験したのか。心がうちふるえてあたりまえだと思うし、被災から二ヶ月経ってもいまだに避難所にいるわけでしょう。どこで泣けたんだろう。どこで友達を悼むことができたんだろう。まだなにも喪の作業ができていないのだから、心の中に不安がしみついているのは当然なんですよ。彼らにはまだ被災が続いているんだから
(略)
 被災者は、心を病んだ人じゃないんです。彼らが生活再建に向かってエネルギーを発動するのを手伝い、見守っていくのが本当の支援だと思うよ。」

加藤・最相『同』pp.225-226



(付記)
毎日新聞に被災地自治体の人員不足についてのアンケート記事が載っていましたので引用しておきます。

東日本大震災:きょう9カ月 被災42自治体、3割「事務能力限界」--毎日新聞調査

 ◇復興計画進展に差
 東日本大震災から9カ月を機に、毎日新聞は被害の大きかった岩手、宮城、福島3県の42市町村長を対象に復興の現状アンケートを実施した。最大の課題は「財源」が4割弱で最多だが、3割弱は「事務能力や人員の限界」を挙げた。被災地域の高台や内陸への移転は、4割近くが住民合意が進んでいると答えたものの、半数は合意に至っていない。震災半年時点の調査より復興計画の完了時期が早まった自治体がある一方、遅れる自治体もあり、復興の進み具合に差が出ている

 3県沿岸部の37市町村と、福島第1原発事故の警戒区域や計画的避難区域にかかる5市町村の首長計42人全員から回答を得た。

 最大の障害・課題は15人が「財源」と答えたが、半年時点の26人からほぼ半減。国の第3次補正予算については、35人が「ある程度評価する」と答え、財政面で一定の保証を得たと受け止めている。ただ、税収減や生活保護費の増加、自治体負担事業費の支出などが見込まれるとして、今後の財政状況は半数の21人が「かなり悪化する」、11人が「やや悪化する」と回答した。

 復興の最大課題で11人は「自治体の事務能力や人員の限界」を挙げ、阿部秀保・宮城県東松島市長は「事務量が従来の40倍以上」と回答。福島の7人は「原発事故」と答えた。

 復興計画は、12年6月とした福島県富岡町以外、全て年度内に作成する。計画完了予定時期は震災半年の時点と比べ、同県いわき市など7市町村が前倒ししたものの、岩手県釜石市など6市町は遅れが生じていた。

 一方、沿岸部37市町村の首長には、集団移転計画地域の住民合意について質問。3人が「全地域で」、7人が「多くの地域で」、4人が「半数程度の地域で」、おおむね合意を得ていると答えた。これに対し18人は「住民に説明中」「計画策定中」などと回答。うち4人は復興の最大課題に「住民の合意」を挙げた。残り5人は「計画はない」とした。

 37市町村で集団移転を想定しているのは計約1万7500戸、地盤かさ上げは計約8600戸だった。

 被災地で規制緩和や税制優遇を行う復興特区法が今月7日に成立したが、42人中25人が「具体的に活用する計画がある」、17人が「活用したい」と回答。震災後の人口流出は、「大変懸念している」が17人、「ある程度懸念している」も19人に上った。

 42市町村の担当者によると、災害公営住宅(復興住宅)建設は少なくとも計約1万6500戸を予定。がれきの最終処理完了は24自治体が14年3月を予定するが、県外引き受けが決まっているのは7自治体。全261漁港のうち水揚げを再開したのは53%の139港だった。【まとめ・北村和巳、池田知広】

毎日新聞 2011年12月11日 東京朝刊



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2011年12月05日 (月) | Edit |
前回エントリで取り上げた藤井『死体入門』と同じくメディアファクトリー新書から発行されている長谷川『働かないアリに意義がある』がおもしろいと評判で、山形浩生さんが取り上げられていたこともあって読んでみました。

本書のタイトルに対する回答は前半部分で示されていて、社会性昆虫がなぜそのように進化したかという核心部分については後半にいくほど深みのある議論が展開されていきます。ということで「働かないアリ」の意義は核心部分ではないと思いますので引用してしまいますが、

 なぜそうなるのか? 働いていた者が疲労して働けなくなると、仕事が処理されずに残るため労働刺激が大きくなり、いままで「働けなかった」個体がいる、つまり反応閾値が異なるシステムがある場合は、それらが働きだします。それらが疲れてくると、今度は休息していた個体が回復して働きだします。こうして、いつも誰かが働き続け、コロニーのなかの労働力がゼロになることがありません。一方、みながいっせいに働くシステムは、同じくらい働いて同時に全員が疲れてしまい、誰も働けなくなる時間がどうしても生じてしまいます。卵の世話のように、短い時間であっても中断することコロニーに致命的なダメージを与える仕事が存在する以上、誰も働けなくなる時間が生じると、コロニーは長期間は存続できなくなってしまうのです。
 つまり誰もが必ず疲れる以上、働かないものを常に含む非効率的なシステムでこそ、長期的な存続が可能になり、長い時間を通してみたらそういうシステムが選ばれていた、ということになります。働かない働きアリは、怠けてコロニーの効率をさげる存在ではなく、それがいないとコロニーが存続できない、きわめて重要な存在だといえるのです。
pp.74-75


働かないアリに意義がある (メディアファクトリー新書)働かないアリに意義がある (メディアファクトリー新書)
(2010/12/21)
長谷川 英祐

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※ 以下、強調は引用者による。


と説明されていて、拙ブログでも「長期戦となることが避けられないからこそ、平常時の体制で緊急に作業を進めるという難しい舵取りが求められる」と震災から1か月後に指摘していたことがあながち間違いではなかったかなと思うと同時に、被災地の避難所で見た光景を思い出しました。その被災地では、震災直後から役場の職員がそれぞれの避難所に数名ずつ配置されて、役場の災害対策本部と無線でやりとりしながら避難所の運営に当たっていたのですが、主に運営を仕切っていたのが課長クラスの職員で、もう一人年配ではあるものの役職の高くない職員が配置されていました。後者の職員は、昔でいう「窓際族」というか池○先生いうところの「ノンワーキングリッチ」というか、身もふたもなくいってしまえば「無能なコームイン」を絵に描いたような職員に見えましたが、実はその方が見かけによらず(?)避難所に大量に押し寄せる食料品や物資の配給をそれなりに取り仕切っていて、ああ見えてやればできる人なんだなと思ったものです。

ところが、震災から数か月後にその役場に行ってみると、物資の配給を取り仕切っていた職員がいかにもヒマそうにぶらぶらと役場の中を歩いているではありませんか。挨拶をしても要領を得ない返事でどこかへ行ってしまいましたが、今考えてみると本書で言う「反応閾値」が低い人なのかもしれないと思ったりしました。こんなことを書けば「そんな無能なコームインなんか首にしてしまえ」と自治体職員有志の会の皆さんなどはおっしゃりそうですが、あの混乱した避難所を取り仕切っていたのは紛れもなくその「無能なコームイン」に見える職員だったわけです。

震災直後には、在庫を極限まで削減するPOSシステムで物流が「効率化」されていたために極度の物資不足に陥ったことは記憶に新しいことと思いますし、このことも考慮してか「復興への提言~悲惨のなかの希望~(平成23年6月25日 東日本大震災復興構想会議)」でも、

第2章 くらしとしごとの再生
(6) 地域経済活動を支える基盤の強化
① 交通・物流
災害に強い交通網
 生活交通については、少子・高齢化、過疎化等の地域の社会動向を踏まえ、地域の復興方針と一体となり、交通施設に防災機能を付加するなど、災害に強い地域交通のモデルを構築すべきである。
 また、幹線交通網については、今後とも、耐震性の強化や復元力の充実、「多重化による代替性」(リダンダンシー)の確保により防災機能を強化しなければならない

復興への提言~悲惨のなかの希望~(平成23年6月25日 東日本大震災復興構想会議)」p.23

と「リダンダンシー」がキーワードとして登場しています。「ムダは削減しなければならない」というそれ自体は反論の余地のないスローガンによって、「ムダなコームインは首にしろ!」「ムダな公共工事は中止しろ!」という「民意」の下で公的セクターのリソースが削減されてきたわけですが、日本型雇用慣行のおかげもあってわずかに残っていた中高年の「無能なコームイン」が今回の震災でその能力を発揮したということは、きちんと記憶されるべきではないかと思います。

本書についてはもう一点とても示唆的な議論がありまして、山形浩生さんも

ちなみに最後(p.184) にある、教科書や本は、何が書いてあるかよりも何が書いていないかを見ないとだめ、という著者の意見にはハゲ同。これは著者のいうような研究者だけでなく、ふつうの本を読む場合でも、それ以外のときでもまったく同様。

■[メディアファクトリー]長谷川英祐『働かないアリに意義がある』(2011-07-15)」(山形浩生 の「経済のトリセツ」  Formerly supported by WindowsLiveJournal

と指摘されていましたが、本書の「終章 その進化はなんのため?」では、短期的な効率化を追求して「リダンダンシー」(という言葉は出てきませんが)を排除することの危険性が議論されていて、専門家と呼ばれる方の中にもこうした姿勢を持つ方がいらっしゃることに安堵を覚えます。というより、社会性昆虫の地道な観察を通じて生物の進化を研究してきた著者からすれば、教科書に書いてあることを金科玉条のごとく持ち出す研究者とか、現代社会が永年の試行錯誤の中で作り出してきた社会的規範を「キセーカンワしろ」などと叫ぶ研究者も、「学者といえども人の子だから」と軽くいなしてしまいそうです。生物学を研究している著者から次のような指摘がさらっと出てくるのも、こうした社会性についての透徹した見方ができているからなのでしょう。

 最近企業は、非正規雇用労働者を増やしたり賃金の上昇率を抑えたりすることで労働生産性をあげることに邁進していますが、こうした対処が労働者の生活基盤を悪化させ、それが一因となって社会全体の消費意欲がさがっています。企業は商品を多く売ることで利益を出し、会社を存続させるのですから、こういう状況が企業の存続に有利なわけはないでしょう。まあ、多国籍企業になったり、労賃の安い海外に工場をつくったり、海外に商品を売ったりして儲ければ、という考え方もありますが、そうすると今度は国内の産業基盤が弱くなり、国が長期的に存続するかどうかが問題になるでしょう。

長谷川『同』p.168

と、社会全体の消費性向を高めるために所得再分配の重要性を説明する議論となっていまして、この必要原則に応じた所得再分配の制度をいかにうまく運用できるかという点こそが、単に生物学的に進化して形成された昆虫の社会と、心情を知性で裏付けながら制度設計を積み重ねてきた人間の社会の違いではないかと思うところです。最近はむしろ社会性昆虫の社会のような「純理論的」社会を理想として議論をされる方が、特に経済学方面とか政治主導方面に多いのが気がかりではあります。

 多くの研究者(プロを含む)は、教科書を読むときに「何が書いてあるかを理解すること」ばかりに熱心で、「そこには何が書かれていないか」を読み取ろうとはしません。学者の仕事は「まだ誰も知らない現象やその説明理論を見つけること」なのにです。優等生とは困ったものだと「変人」である私は思います。私はこれからも変人として、私たちの研究がそのような新たな科学の発展に役立つ一例となるよう、やっていきたいと思うのです。
 生物の世界はいつも永遠の夏じゃなく、嵐や雪や大風の日など予測不可能な変動環境であることが当たり前です。「予測不可能」とは「規則性がない」ということですから、実は数式で表されるものしか理解できない理論体系が、最も苦手とする分野が「生物学」なのかもしれません

長谷川『同』pp.183-184

本書で取り上げられている社会性昆虫よりも高い知性を持つとはいえ、ヒトも社会性を持つ生物であることに変わりありません。数式で表される美しい理論体系で経済政策を語り、教科書に書かれていない現象を現実にまみれながら理解しようとする立場を侮蔑し、教科書に書いてあることでは理解できない現実は政府などの公的セクターの陰謀論と決めつけ、政府・日銀の陰謀論に飽き足らず一般人まで「御用」呼ばわりするような専門家にとっては、ヒトという生物の社会は苦手なのかもしれませんね。
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2011年12月04日 (日) | Edit |
前回エントリの最後に取り上げた石井『遺体』は、エントリの中で直接引用しなかったもののマンマークさんが読まれたとのことでして、マンマークさんも指摘されているとおり、アマゾンのカスタマーレビューに書かれていることがこの本を読む意義をほぼ伝えていると思います。私自身はこの本に書かれているような凄惨な場面には遭遇しませんでしたが、日常生活で見ることのない「死体」がいたるところにあるという状況への対処というのは、震災直後の行政にとって大きな問題になっていたことでした。なにしろ、戦後日本でそんなことはなかったわけですから。

そんな状況で震災後まもなく立ち寄った書店で目に入ったのがこの本でした。

死体入門 (メディアファクトリー新書)死体入門 (メディアファクトリー新書)
(2011/02/28)
藤井 司

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実を言えば、その当時は買って読むまでの気持ちの整理ができず、前半部分をパラパラと立ち読みして安置所で遠目に見た遺体の状況を想像しただけでしたが、石井『遺体』を購入するとき改めて読み直そうと購入してみました。内容とは関係のない話ですが、この本が震災の直前に発売されていたのはタイミングがよかったというべきか、これがもし震災後だったら、連日遺体の状況が報道される中で発売が延期されていたかもしれません。

震災直後には「第2章 人が死ぬということ」で図示されている「九相詩絵巻」で遺体の状況を想像するだけだったのですが、石井『遺体』を読む際にはむしろ「第4章 死体を取り巻く世界」で説明される「変死体」に対する手続きが参考になります。自然災害の場合は「非犯罪死体」とされて警察による「行政検視」が行われ、実際には刑事調査官が代行する「代行検視」が行われること、さらに検視では警察医が立ち会って死因の特定を行い、それを「検死(死体検案)」と呼ぶこと、「検視」と「検死」では発音が同じで紛らわしいため後者を「検案」と呼ぶこと、葬儀の際に葬儀社が「湯灌」を行うこと等々本書で初めて知ることが多くありました。特に湯灌については、石井『遺体』でも遺族から遺体の湯灌を求められて断水のために応じられない安置所担当者の葛藤が描かれており、遺族の思い、担当者の思いがひしひしと伝わってきます。

本書の著者である藤井氏は法医学者ということもあって、本書自体からも死体に対するイメージを見直すべきという強い思いが伝わってきて、遺体の状況を想像していた自分の浅はかさを思い知らされます。

◆愛情と観察力で、死体を読む

「死体は語る」という言葉があるが、死体は「語る」わけではない。生きている人間が「語らせる」のである。
 死体は、その生きた軌跡が刻み込まれた遺品だ。時計や筆記用具、土地や株券といった様々な遺品と同様に、遺族によって大切にされるべきが死体である。
 肝心なのは、生きている人間が死体を見て、その人の生きてきた痕跡に気づけるかどうかだ。死体を見る人間の側に、観察力と愛情が求められる。愛を込めて、その体にどんな変化が起こっているのかを熱心に見つめることが大切なのである。
(略)
p.198

おわりに 死体への興味を育てよう


 死体を扱うに際してしつこく言われ続けるのが、「死者を冒瀆する行為をするな」ということだ。これは、そうした職業に就いた者のすべてが先輩から後輩に伝え続ける鉄の掟である。死体に敬意を払うのは当然だ。それは生きている他人に対する敬意と同様に、重要である
 なのに、死体にかかわる職業人こそが死者を冒瀆していると見られることも多い。死体はすぐ眠らせるべきだ! 切り刻むなどととんでもない! 死体をさらしものにしている! 死体で生活の糧を得るなんてハイエナだ!
 このような主張をする人たちに問いたい。そもそも、あなたたちは死体をどれだけ知っていて、そのように責めるのですか? 誰もが最終的にたどり着く姿であり、ありふれた存在であるはずの死体が徹底的に隠される現状のほうが異常ではないですか
p.203

藤井『死体入門』
※ 強調は引用者による。

正直に言えば、私自身がここまでの覚悟を持って支援に当たっているかと言われると自信はありませんが、死体が一度に大量に発生することは異常であるとしても、誰もがいつかはそうなるのが死体だということも今回の震災で気づかされた事実です。引用部の後半は特に、遺体の報道がほとんどされなかった日本のマスメディアのあり方について考えるきっかけになるかもしれません。現地にいた者だけが直面する状況があって、それを同じ思いを持つ者同士が共有することも重要ですが、日本という国が一つになって(最近はめっきり聞かれなくなった言葉ですが)被災された方々を支援するためには、報道されなかった被災地の状況を同じ国の出来事として他の地域の人も共有することが必要ではないかと思うところです。
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