2011年11月27日 (日) | Edit |
(お詫び)
本エントリで取り上げた経済学の先生から「完全に理解し損ねている」「まったく誤解釈して「俺様」解釈をその批判した人は全開。バカか」「なめるなと」と大変お怒りのTwitterが発せられたようです。ご高説を完全に理解し損ねた上に、非専門家として俺様解釈も示していないとのご指摘につきましては、私の本意ではございませんでしたが、専門家である先生にご迷惑をおかけしたことをお詫び申し上げるとともに、私の所業をさらすため該当部分は見え消し修正しました。その他の皆様におかれましても、この点にご留意の上ご高覧いただくようお願いいたします。


拙ブログで継続的に取り上げているCFWについて、永松先生が出演されているということでTBSラジオのDigという番組のPodcastを聞いてみました。まあ、ブログで取り上げているというより私自身がCFWに一部関わっていることもあって興味深く拝聴したのですが、なんというか永松先生の説明されている現地の状況がどこまで伝わっているのだろうかと不安な内容でした。

「失業手当の延長打ち切りへ。被災地の雇用はどうしていけばいい?」
パーソナリティは荻上チキ と 外山惠理

■経済学者で上武大学教授の田中秀臣さんに電話をつなぎ、被災地の景気や雇用の現状、そして「失業保険の期間延長打ち切り」の是非についてお話をうかがいました。

■関西大学教授の永松伸吾さんをスタジオにお迎えし、被災地での雇用を今後どうしていけばいいのか、「キャッシュ・フォー・ワーク」という震災復興の仕組みをふまえお話をうかがいました。

■気仙沼復興協会の事務局長、千葉貴弘さんと電話をつなぎ、「キャッシュ・フォー・ワーク」の具体的な導入事例についてお話をうかがいました。

11月23日(水)「被災地の雇用はどうしていけばいい?」(Dig | TBS RADIO 954kHz)


というのも、番組全体を通して被災された方々の境遇や心情についての配慮があまり感じられなかったからです。特に経済学方面には雇用対策というと単なる失業問題と考えてしまう方が多いように感じますが、この番組の冒頭でも、被災地の景気や雇用の現状について説明されていた経済学者(個人的には独特の経済学史観をお持ちの経済学史学者だと認識していますが)の方は、被災地では県外からの求人がほとんどだから景気が悪くなったら一気に求人がなくなるとか、被災地の製造業の落ち込みが雇用情勢の悪化の要因だからマクロ経済での財政・金融政策が重要だとか、まあリフレ派と呼ばれる一部の方々の通常モードっぷりを発揮されていました。しかし、被災地に隣接する地域に住んで被災地支援に当たっている者として、残念ながら前半のような話は聞いたことがありませんし、後半の話もマクロ経済政策による景気回復の重要性はご指摘の通りでしょうけれど、むしろ被災地に隣接する地域では復興需要も相まって製造業が震災発生前よりも好調なところでして、いったいどこの被災地の話をされているのだろうかと不思議に思ってしまいます。

もしかすると「経済学者」の先生なら地元の下っ端公務員などが知り得ない情報やデータをお持ちなのかもしれませんけれど、この先生は財政・金融政策が大事とおっしゃりながら、所得再分配のような財政政策はほとんど言及せずに金融政策ばかり強調されるので真意を測りかねます。雇用保険の給付日数の延長についても、震災直後に120日延長していたものを10月1日から被災市町村を対象としてさらに90日延長したところで、現地ではいろいろな混乱が生じているわけですが、この先生は「まだまだ半年でも1年でも延長することはかまわない」とかおっしゃっていて、被災地の現状をご存じなさそうな(もしかしたら興味もなさそうな)印象を受けたのは私の気のせいですかそうですか。このような方に「被災地の景気や雇用の現状、そして「失業保険の期間延長打ち切り」の是非についてお話をうかが」おうというのも、パーソナリティのお一人と「αシノドス」でつながっているからなのだろうと理解しております。
(11/28修正)

まあこの点はとりあえず認識の相違ということで済ませておきますが、上記で指摘した「番組全体を通して被災された方々の境遇や心情についての配慮があまり感じられなかった」というのは、タイトルの一部でも「失業手当の延長打ち切りへ。」とされているように、雇用保険の給付日数延長が被災地の雇用問題だと強調されていたことについて違和感を感じたからです。実はこの点について、パーソナリティの荻上チキ氏も被災者が仕事を選んでいるという形で叩かれることの問題点を指摘されていましたが、拙ブログでも指摘したように雇用保険があるから仕事をしないで遊んでいるというのは被災地でもごく一部の方ですし、被災された方がそうした行動をとってしまう理由についても十分な配慮が必要です。

たとえば、先日放送されたNHKの番組では、新潟県中越地震の発生後から現在まで被災された方の心のケアに当たってきた方が、生活再建は心のケアと両立させる必要があることが指摘されていました。

喪失体験に気づき、時間をかけてその悲しみに寄り添い続ける必要があると本間さんは強調します。
「ただの訪問だけ、啓発活動だけではだめで、やっぱり本当にその人の思いを聞ききるということが本当に大切なこと。苦しみ、悲しみ、いろんな思いがあると思います。それを聞ききるということ。それをしないと(心のケアに)つながっていかない」
聞ききること、それを実現するためには何が必要なのか尋ねました。
「やっぱり信頼関係ができて、初めてそういうご自分の本当につらい気持ちを話されると思うんですね。具体的な生活再建を支援しながら、信頼関係を作りながら、本当のご自身のつらい思いがお話しされるようになるんじゃないかと思いますけれどもね」
「たとえば、仕事が見つかったとかそういうことがあれば、心のケアの方にもいい影響ということになる、心のケアにつながるということなんですね」
「そうですね。ですから、両方が、生活再建がうまくいくことが心のケアにつながっていくことでもあると思います」

シリーズ東日本大震災 助かった命が なぜ」(NHKオンライン
※ 以下、強調は引用者による。

雇用保険の給付日数の延長によって、パチンコ屋ばかりが混んでいるとか仕事があるのにえり好みしているから求人が埋まらないとか、「識者」と呼ばれる方々からもさまざまな指摘がされているところですが、これまで当たり前に生活していた環境を奪われてその再建から始めなければならない方にとって、雇用保険の給付が受けられる間はまだ見つからない家族を探したり、損壊した自宅や職場の修繕に当たったり、福祉施設が再開するまで家族の面倒を見なければならなかったりと、仕事をする前に「やるべきこと」が山積みの状態です。「やるべきこと」の合間に都合よくパートの仕事があったとしても、パートの賃金では生活できなかったりするわけで、おいそれと手を出すわけにはいきません。中には、そうした膨大な「やるべきこと」を目の前にして途方に暮れてしまったり、逆にこれまで精力的に「やるべきこと」を片付けてきた方がふとその先を考えてふさぎ込んでしまったりという場合もあります。

たとえ短期で以前やったことのない仕事であっても求人があるんだから仕事すればいいというような言い方をされたところで、被災された方々のそうした状況からすれば「いわれなくてもわかってる」話です。仕事をする前に「やるべきこと」が目の前に山積み状態で仕事ができない方、「やるべきこと」があっても震災によって大事な人やものを失った喪失感にさいなまれる方、「やるべきこと」にも生活の再建にも手をつけられずに精神的に追い込まれていく方・・・こうした方々の心情に十分に配慮する必要があると感じます。もちろん、そうした思いを持ちながらも前向きに仕事をしようという方には仕事や雇用の場を提供する必要がありますし、それが被災した地元の復興につながれば、前に進めない方の生活再建への道も近づいてくるはずです。個人的にはもっと直接的に、医療や介護、保育といった社会保障の現物給付を拡充することで、被災された方々の生活を支援しながら地元の復興に取り組む環境を整備することも必要だと考えていますが。

番組の中で永松先生は「被災された方の尊厳のためにも仕事が必要」と指摘されていましたので、現地に入って活動する中でそうした生活再建と心のケアの両方を進めなければならないという事情は認識されているものと思います。個人的には、被災地が着実に復興して生活できる状況になっていくことを実感しながらでなければ、被災された方々の心のケアはおぼつかないものと感じています。私自身、震災直後に被災地に入って目の当たりにした光景や被災された方から聞いた話を思い出しただけで、何ともいえない不安感に襲われることがあります。ましてや、被災された方々がより過酷な状況に置かれていたことは十分に配慮しなければなりません。被災地の方がこのエントリをご覧になることもあるかもしれませんので具体的な引用は控えますが、

遺体―震災、津波の果てに遺体―震災、津波の果てに
(2011/10)
石井 光太

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で克明に綴られている被災地の惨状をなんとか乗り越えて、これから普段の生活環境を取り戻そうとしている方々にとって、どのような生活再建支援策が必要なのかをさまざまな制度の組合せの中で考え続けていかなければならないと思うところです。
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2011年11月17日 (木) | Edit |
海老原さんから新著をご恵投いただきました。毎度恐縮ですが、場末のブログを気にとめていただき誠にありがとうございます。

日本人はどのように仕事をしてきたか (中公新書ラクレ)日本人はどのように仕事をしてきたか (中公新書ラクレ)
(2011/11/09)
海老原 嗣生/荻野 進介

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「名著で読み解く」と副題がついていまして、単なる書評かと思いきや、海老原さんと荻野さんが著者ご本人に書評を送ってそれに対する著者ご本人からの返信を紹介するという構成になっています。時代背景と絡めた書評というのはよくあるパターンですが、著者ご本人からのリプライまで掲載するというのはありそうでなかったパターンではないでしょうか(私が知らないだけかもしれませんが、日経新聞の「あとがきのあと」も著者の一方的なコメントっぽいですし)。

実を言えば、著者との往復書簡自体は、海老原さんが編集されている雑誌『HM mics』で「人事を変えたこの一冊」というコーナーで連載されていたものでしたので、私も一度は読んでいた(はず)と思います。ただし、この本の白眉は、戦後を6つの時代に分けてそれぞれの時代の生々しい状況の「振り返り」が各セクションの冒頭で解説されている点にあると思います。これによって、一度読んでいたはずの往復書簡についてもその時代性を理解することが可能となっています。正直なところ、連載を読んでいたときはピンとこなかった(というより単にその時代背景を理解していなかった)往復書簡についての理解も、この「振り返り」があることで「そういうことだったのか!」と目からウロコ状態でした。

取り上げられている著書はアベグレン『日本の経営』からhamachan先生の『新しい労働社会』まで13冊で、それぞれの著書にも「そういうことだったのか!」はあるのですが、ぶっちゃけた話をすれば、この中でまともに読んだことがあるのは『新しい労働社会』だけという私がそれぞれの往復書簡にコメントできるはずもありません。いやまあ、この本を読んでから取り上げられている著書に直接当たるのが正しい作法なのだとは思いますが、絶版とか市販されていない著書まで網羅されていますので、ありがたく「読んだつもり」の気分にさせていただいております(近年中には手に入るものだけでも読んでみたいと思ってはおりますが)。

というわけで、往復書簡についてはこれからの読書の指針とさせていただきたいと思いますが、私の目からウロコを落としてくれた時代背景については、各セクションの表題を並べてみるだけでよくわかります。

§1 戦中~戦後という奇跡的な時代環境が強調経営を形作った
§2 欧米型vs.日本型「人で給与が決まる」仕組みの正当化
§3 「Japan as No.1」の空騒ぎと、日本型の本質
§4 栄光の余韻と弥縫策への警鐘
§5 急場しのぎの欧米型シフトとその反動
§6 雇用は企業ではなく社会が変える

特に§3~5の「振り返り」は、当時の人事、労務政策を知るための一級の解説になっていると思います。繰り返しになりますが、一度往復書簡を読んでいた方でもこの部分を読むだけで本書を買う価値はあると思います。もちろん、そうした時代背景抜きにしても読む価値のある著書が多数取り上げられていて、人事、労務政策は不易と流行の織りなす領域なのだなあと感慨にふけるところですが、中にはそうした時代背景がなければ理解できない著書(の一部の主張)もあります。

本書とは関係ないのですが、こうした時代背景と併せて読まなければ理解できない著書があることと、企業の人事、労務政策という実務の関係を考えたとき、ケインズが警鐘を鳴らしたこの言葉を思い出しました。

でもこういう現代の雰囲気はさて置くにしても、経済学者や政治哲学者たちの発想というのは、それが正しい場合にもまちがっている場合にも、一般に思われているよりずっと強力なものです。というか、それ以外に世界を支配するものはほとんどありません。知的影響から自由なつもりの実務屋は、たいがいどこかのトンデモ経済学者の奴隷です。虚空からお告げを聞き取るような、権力の座にいるキチガイたちは、数年前の駄文書き殴り学者からその狂信的な発想を得ているのです。こうした発想がだんだん浸透するのに比べれば、既存利害の力はかなり誇張されていると思います。もちろんすぐには影響しませんが、しばらく時間をおいて効いてきます。というのも経済と政治哲学の分野においては、二十五歳から三十歳を過ぎてから新しい発想に影響される人はあまりいません。ですから公僕や政治家や扇動家ですら、現在のできごとに適用したがる発想というのは、たぶん最新のものではないのです。でも遅かれ早かれ、善悪双方にとって危険なのは、発想なのであり、既存利害ではないのです。

第 24 章 結語:『一般理論』から導かれるはずの社会哲学について」(YAMAGATA Hiroo Official Japanese Page

人事、労務という実務の世界の話だけに、その実務屋は既存利害よりも強力な「経済学者や政治哲学者たちの発想」には気をつけたいものです。
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2011年11月13日 (日) | Edit |
東日本大震災は1000年に一度といわれる大災害でしたが、その後も台風や大雨で新潟県や紀伊半島、最近では奄美大島でも災害救助法が適用されていて、自然災害の猛威を侮ってはいけないと改めて思うところです。さらに世界に目を向けると、トルコで大規模な地震災害が発生し、支援活動に当たっていた日本人スタッフが犠牲になってしまいました。

訃報
日本時間の10日未明に、トルコ東部で10月23日の大地震の余震とみられるマグニチュード5.7の地震が発生し、難民を助ける会のスタッフ2名が滞在しているホテルが倒壊いたしました。
内1名、近内みゆきは、日本時間の10日午前に救出されましたが、宮崎淳は、大変残念なことに、ワン市内の病院で死亡が確認されました。

トルコ:宮崎淳さんの訃報(2011年11月10日)」(認定NPO法人難民を助ける会

支援の志半ばで命を落とされた宮崎さんに心より哀悼の意を表します。

難民を助ける会は「1979年に日本で生まれた、政治・宗教・思想に偏らない国際NGOです」とのことですが、広く世界各地で活動しているそうで、トルコの震災でもいち早く支援活動に入っていたところ、余震の犠牲になってしまったようです。こうした災害が発生すれば世界各地でこうした活動が必要とされるわけで、NGO(非政府組織)の活躍の場は必然的に災害や政変などで公共サービスが不足している地域ということになります。

ここでトルコの国民負担率を確認してみようとしたのですが、計数が不足しているという理由で財務省の資料には記載されていませんでした。

(注3)エストニア、イスラエル、スロベニア及びトルコについては、計数が足りず国民負担率が算出不能であるため掲載していない。
OECD諸国の国民負担率(対国民所得比)」(財務省

計数が足りないということはあまり国民負担率が高くなさそうな気がしますし、ニュース映像を見ている限りでは、それほど社会資本や社会保障制度が整備されている印象はありません。その前提で話を進めるのは妥当ではないかもしれませんが、政府による救援活動や生活を保障する機能が一時的にせよ不十分な状態にあり、そこにNGOによる支援活動が必要とされる状況があったものと考えられます。

こうして考えてみたとき、日本でNPOなどの民間団体の活動を「新しい公共」という言い方をすることに違和感を感じてしまいます。人類の歴史をさかのぼってみれば、政府という統治機構の形は、特に現代国家の政府として結実するまでに数え切れない戦争や文化の衝突があって、代表制による多数決とその代表制を支える選挙によってそれらの紛争を解決しようとした結果なわけで、政府以外の活動の方が「古い」はずです。おそらくは現代国家ではおよそすべての社会的活動が政府の統治下にあるという認識があって、その範疇から外れたものが「新しい公共」という呼ばれ方をしているのでしょうが、少し歴史のスパンを過去に伸ばしてみれば「新しい公共」と呼ばれているものの方が「古い」のではないかと思うわけです。

いやもちろん、今や「古く」なってしまった立法・行政・司法による統治機構が扱えないような分野では「新しい公共」が必要とされているのだという議論も一理あると思います。しかし、それは、あくまで人類の歴史の中で多大な犠牲を払いながら少しずつ現在の形に形成された現代国家の不備を補完するものであって、現代国家そのものを否定するものではないはずです。だいぶ前に取り上げた「新しい公共」についての仁平先生の議論ですが、

 多くのNPOは、このような事態を少しでも改善すべく、物資搬送、炊き出し、自宅避難民の把握・支援等に奔走している。官民を超えた連携や役割分担も少しずつでき始めている。
 だが真摯に活動している人ほど、現実の前に強い無力感を感じているのも事実だ。なぜなら、今決定的に必要なのは、安心して尊厳を持って生活できる住居と、生活を支える収入や生計手段、健康を保証する医療・福祉だからである。これらは社会権に属するもので、最終的には国家/自治体が提供すべきものである。医療・福祉にしても、医療関係者やケア従事者たちが、今でも精一杯努力しているが、救えるはずの命が救えない苦しさの中にある。避難生活の中で震災関連しも増えている【注2】。「金と家をよこせ」という声は、文字通り社会権の回復を求める訴えとして聞くべきだろう。そして、健康と安全と尊厳の基盤を提供できるのは、最終的に公的セクターでしかない。

仁平典宏「被災者支援から問い直す「新しい公共」」p.91

POSSE vol.11 〈3・11〉が揺るがした労働POSSE vol.11 〈3・11〉が揺るがした労働
(2011/05/25)
POSSE/高橋哲哉/木下武男/岡田知弘/樋口健二/仁平典宏/斎藤幸平/今野晴貴/本橋哲也/萬井隆令/熊沢誠/後藤和智/川村遼平

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※ 以下、強調は引用者による。注は省略。

本文が書かれたのは今年の5月前後のようですのでフェーズが変わっておりまして、仮設住宅への入居にある程度めどが立った現時点では、「生活を支える収入や生計手段、健康を保証する医療・福祉」という継続的なフロー財源によって賄われる財政面での支援、つまりは税と社会保障による所得再分配が必要な分野に重点が移っています。こうした社会権についての公的セクターによる支援や保護が「財政削減」によって切り詰められて「新しい公共」ばかりが喧伝される状況は、特に「社会的弱者」と呼ばれるような支援を必要とされる方にとって厳しい社会を現出させかねません。再び仁平先生の議論を引用させていただくと、

 だが、そこから、阪神淡路大震災の時のように、「市民活動の足を引っ張る行政」というストーリーに一元化すべきではない。むしろ、市民セクターを生かす形で公的セクターが機能できなかった背景として、地方の公的セクターの損壊という点こそ考慮すべきである。だが、その損壊は津波だけが原因だったのだろうか。

(略)

 阪神・淡路大震災でもそうであったが、今回の災害も社会の弱い層にとってとりわけ過酷なものとなっている。災害時の社会が逆照射するのは、平時の社会が孕んできた矛盾である。「新しい公共」という理念を再構築するなら、まずは社会的に困難を抱える人々が安心して暮らせることを公的・制度的に保障し、その上に市民の創意工夫や直接民主主義的な参加が花開くような、二層的な公共空間であるべきだろう。

仁平「同上」pp.94-95

公務員の人件費カット・人員削減が行政改革の成果ともてはやされる時代に今回の大震災が発生したというのも自然の非情さを感じるところですが、そうであればこそ、公的セクターが担うべき役割、そのために必要な財源調達手段の再構築を考えなければならないと思います。

実を言うと、今回こうしたことを考えたのは、先日地元団体として被災地支援に当たっているNPOの資料にあった言葉が印象に残っていまして、正確な文言はあやふやですが、曰く「行政に民間感覚を求めるばかりでは支援できない。民間団体が被災地支援をするなら、民間が行政感覚を理解しなければならない」とのことで、被災地ではこうした感覚が共有されつつあるのだなと深く感銘したところです。
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2011年11月12日 (土) | Edit |
日付が変わってしまいましたが、昨日で震災から8か月が経過しました。ついこの間までは暑い避難所での熱中症予防などが話題になっていたと思ったら、前回エントリで取り上げたように寒さ対策が当面の課題となっていまして、特に現地で懸念されているのは、外が寒いためにドアを閉め切って家の中に引きこもってしまう方々へのケアです。

仮設住宅で79歳女性が孤独死 岩手県内では初(2011.11.11 00:08 MSN産経ニュース)

 岩手県山田町にある東日本大震災の仮設住宅で、独り暮らしの79歳の女性が死亡していたことが10日、岩手県警への取材で分かった。県内の仮設住宅に入居する高齢者の「孤独死」が明らかになったのは初めてとみられる。

 県警の警察官が先月18日に女性宅を訪れたところ、トイレで死亡しているのを発見した。県警によると死因は病死で、死後約1日が経過していたという。東京都内の娘が女性と連絡がつかなくなったことから警察に相談していた。

 個室居住の仮設住宅は、避難所などに比べて孤立化のリスクが高いとされている。

 今年6月には宮城県塩釜市の仮設住宅に入居していた79歳の男性が病死しているのを仙台市の次男が発見。ほかにも、同県名取市の仮設住宅に独りで入居していた81歳女性の死亡を親族が確認するなど、被災地で高齢者の孤独死が相次いでいる現状がある。

 このため、岩手、宮城、福島の各県警では孤独死を防ぐため、仮設住宅の巡回を続けている。

※ 以下、強調は引用者による。

この記事では高齢者に限定した取り上げ方をしていますが、これからは、仕事をせずに雇用保険を受給しながら生活している中高年男性についても孤独死のリスクが高まることが懸念されます。仕事をしていたり、病院など地域で集まる場があるような方であれば、少々外が寒くても外出して仲間と顔を合わせることもできます。しかし、年金を受給していたり雇用保険を受給していると、現時点でもNGOやボランティアによる支援物資の配給が一部で継続していますので、外出しなくても生活することができてしまうわけで、どうしても周囲の目が届きにくくなってしまいます。

つまり、高齢者が孤独死するというのは、年金を受給している限りは、自ら外出する機会を最低限にして家の中でのみ生活することが可能であるために、周囲の目が届きにくい家の中で体調を崩したりしても誰にも気づかれないことが原因となっているのであって、同じことは雇用保険を受給している方にもいえるわけです。冒頭で引用した記事が高齢者のみを取り上げているのは、こうした年金受給者としての高齢者に特化しているからなのでしょうが、雇用保険の給付期間が延長されている被災地では、特に雇用されていた期間が長く特定受給資格者である中高年の男性についても、長期間にわたって家の中だけで生活ができてしまうことになり、孤独死のリスクが高まってしまうといえます。

実は、この点について先日議論する機会がありまして、正規職員となればCFWの範疇を超えてしまいますが、CFWの出口戦略としてそれを実現させる(要は、役所のコームインを増やす)ことは十分に検討に値するのではないかという話をしたところ、ベーシック・インカム(BI)により現金を給付する方がいいのではと反論を受けてしまいました。雇用の生活を保障する面を強調して話をしたためこのような反論を受けたのかもしれませんが、すでに被災地ではBIが実施されたのと同じような状況が生まれています。被災地では政府(役場)を通じた義援金が支給されているほか、被災前に雇用保険に加入していた方は雇用保険からの給付も受けられます。そうした中で仕事がないとどうなるかというと、一部の方ではありますが、

http://mytown.asahi.com/iwate/news.php?k_id=03000001107200002(リンク切れ)

避難生活が長期化し、盛夏到来で暑い日が続く被災地で、
ひときわ人の集まる場所がある。パチンコ店。「人恋しい」「失業して居場所がない」。
つらさを一時でも忘れたいという切実さが垣間見える。

7月上旬、岩手県大船渡市の郊外にある「大船渡セントラル」。
平日昼にもかかわらず368台のパチンコとスロット台はほぼ埋まっていた
「気晴らしが大切なんだべ」。空き台を通路で待つ陸前高田市の農業の男性(63)は言った。

男性は自宅と約5千平方メートルの畑を津波で失った。3カ月ほど友人宅に身を寄せた。
同居する7人中、自分だけが他人。「話が合わない。先に寝られない。言いたいことも言えない。
孤独だし、窮屈で窮屈で
」。血圧が200に上がった。たまらずパチンコに逃避すると心が和んだ。

6月に妹が仮設住宅の抽選に当たり、母と3人暮らし。壁は薄く会話が隣に筒抜けで
気を遣う生活は続く。「勝ち負けにはこだわらない。やめたいけど、しばらくは無理だね」

同県住田町の女性(66)は「仕事がないし、涼しいから」。
正社員だった水産加工会社が被災し、失業した。この日は2千円を使い「お金もかかる」と苦笑いした。

という方もいらっしゃいます。これに加えて民間企業やNPO、ボランティアによる物資の支給や炊き出しが行われていて、もちろんそうした支援は原則として生活に必要な資金や物資が不足している方を対象としていますが、実際に支援する場でそれを見分けることは実務上困難です。ある地域では、被災直後に地元の有志の方が弁当の配給サービスを始めたものの、活動が長引くにつれて資金が不足するようになり、現時点で本当に必要としている方に絞り込もうとしていますが、結局当事者から「必要だ」といわれればそのまま継続せざるを得ず、すでに配給サービスを辞退した方との間で不信感が募っているという話も聞きます。

BIは給付対象を限定しないで現金を給付するというものですので、被災された方に対する物資の支給や炊き出しを同列に扱うことは適当ではないかもしれませんが、雇用保険の給付日数の延長や物資の支給を被災地で行う場合、慎重に手続きを進めなければ「働かなくても生活できる」というメッセージとなって被災された方に伝わってしまうという点に十分に留意する必要があると思います。まあ、その慎重な手続きこそが「古い公共」たるお役所仕事なわけですが。

これは女川町で被災され、復興に向けて尽力されている方の長めのつぶやきですが、

心の傷を抱えて未だに前へ踏み出せない方もいる中、一方で今働ける環境にあって働かない人がいる
失業手当が延長され続け、仕事を選ぶ余裕や、就労に未だモラトリアムがあると思っているのかもしれない。
ハローワークには長蛇の列、求人もある。
しかし、募集に対し応募が極端に少ない。
被災地企業は深刻な人手不足に悩んでいる。
失業手当はいつまで続くのか。

続くわけがない。
失業手当が無くなった後はどうするのだろう。
手当が切れるとわかったその瞬間に応募が殺到するのだろうか。
その時に企業に受け入れのキャパシティは十分にあるのだろうか。

「復旧」と「復興」に話を戻す。
極端な例で喩えると、傷ついて飛べない鳥を、家で手当てするのが復旧。ケガが治った鳥を自分の羽で飛ぶように手伝うのが復興。
今もどちらかをそれぞれ必要としている人がいる。
しかし、ケガの治った鳥にまでいつまでもエサを与え続けていたら、飛べる力があっても人はカゴから出て自ら飛び立つだろうか。
「自分で収入を得て自活する」という被災前まで当たり前だった日常を取り戻そうとする意志を物資支援等で結果的に奪うことになってしまっていたら、それは支援者としても本意ではないはず

(略)

実際、女川町内の事業主は悩み、苦しんでいる。
寄付された暖房器具の修理に奔走することになるであろう地元の電気屋さんの気持ちを考えてみてほしい。
目の前で衣類を無償で配られる洋品店店主の心中を察してほしい。
炊き出しの食材と同じものを販売している八百屋、魚屋、スーパー経営者の心情を慮ってほしい。
同じく被災者に物品がわたるにしても、支援物資を外から持ち込めば『復旧支援』であり民業圧迫の恐れがあるが、女川町内で購入すれば経済が回り、一転して『復興支援』との両立をはかることができる。

蒲鉾本舗高政 (@takamasa_net)
Posted Friday 11th November 2011 from Twitlonger
http://www.twitlonger.com/show/e4dt5l

誤解のないように補足いたしますが、現時点で物資や資金面での支援が必要な方はいらっしゃって、行政が対応できていない部分があれば、民間のNPOやボランティアの方に支援していただくことも重要です。この点を掘り下げていけば、政府による所得再分配機能が貧弱であることが震災で露呈した結果ともいえるわけですが、いずれにしても被災地で事業されている方や働き口を探している方の仕事を奪うことのないよう、長期的な取組としての慎重な制度設計が必要だと考える次第です。
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2011年11月08日 (火) | Edit |
当地は着々と冬が近づいておりまして、空には白鳥が飛来するようになりました。まだ雪は降っていませんが、朝晩の冷え込みがだいぶ堪えるようになってきています。震災当日から当地の被災地ではしばらく雪が降り続いたことを考えると、震災当時の気温がかなり低かったことが改めて思い起こされます。例年の3月中ごろの三陸海岸といえば、天気がよければぽかぽか陽気になるくらいに暖かい土地柄なんですが、今年の3月は暖冬続きの近年では珍しく寒かったわけです。

というように、いくら温暖といわれる三陸海岸であっても、急造された仮設住宅では寒さ対策が十分ではないため、外壁に断熱材を付け足したり窓を二重サッシにしたりという追加工事がなければ、寒さに凍えながら冬を過ごさなければならなくなります。しかし、チホーブンケンやらチーキシュケンやらがもてはやされるこのご時世では、そうした冬の寒さ対策までもが地域の判断で行われることとなってしまいます。

 もっとも、災害救助法に基づく支援措置は今回初めて盛り込まれたものではなかった。すでに厚労省は6月21日の通知でも暑さ寒さ対策の実施を促している。岩手県や福島県はこの前後の時期から、すでに対策に着手していた。その反面で、宮城県が大きく出遅れたのはなぜか。

 岩手県や福島県では、仮設住宅の建設だけでなく、その後の追加工事に関しても県が主体的に対応した。これに対し宮城県は仮設住宅の設置者でありながら、その後の管理とともに増改築についても地元の市町に委ねた

 ところが、地震や津波の被害が大きく、職員確保すらままならなかった市町側では住民に対して、「原則として新たな追加工事はしない。住民側で増改築することも禁止する」という姿勢で臨んだ。そのうえで、雨漏りなど最低限の補修工事しか行わなかった。県と市町の役割分担もあいまいだった。

仮設住宅の住環境格差、寒さ対策を怠った宮城県、実施ゼロ%が並ぶ理由(2) - 11/10/27 | 12:18」(東洋経済オンライン
※ 以下、強調は引用者による。

すばらしき地方分権の裏側では、宮城県は被災した地元市町村に仮設住宅の寒さ対策を押しつけることが可能になってしまいます。この記事では、国は対応していたにもかかわらず県の判断で地元市町村に事務が押しつけられたというニュアンスで書かれていますが、もちろん、国の側でも「地元自治体から要望がなければ何もしない」という姿勢であったわけで、宮城県に対して文句を言える立場ではないと思うのですが。

そうした国、県の姿勢によって被災地の現場はどうなっているかというと、

 こうした実態は、行政の機能低下によるところが大きい。津波の被害が大きかった石巻市では、市の職員の多くも被災。震災前からの行政改革で職員数も大きく減っており、住民への対応が困難になっている。市の担当者は「苦情処理に追われ、現地訪問もままならない」と打ち明ける。県による手助けも不十分だ。

 石巻市では仮設住宅への入居を抽選に委ねたため、被災住民が市内各地の住宅にばらばらに入居。コミュニティ形成を阻んでいる。岩手県の宮古市が抽選を行わずにすべての被災住民を地区単位で近隣の仮設住宅に入居させたのとは対照的だ。

 自治体の取り組み格差はすでに被災地の住民生活に大きな影響を及ぼしている

仮設住宅の住環境格差、寒さ対策を怠った宮城県、実施ゼロ%が並ぶ理由(4) - 11/10/27 | 12:18」(東洋経済オンライン

という事態に陥っているわけです。チホーブンケン教の方々は「自治体の政策が失敗したら、選挙で首長と議員が落選するから、民意に従って政策は成功に導かれる」というような絵空事を真顔でおっしゃいますが、選挙というのはそう都合よく行われるものではなくせいぜい4年に1回しか行われませんし、こうした非常事態が発生したからといっておいそれと選挙ができるわけでもありません。そもそもコロコロと変わる「民意」なるものが直接政策に反映されることは、制度の予測可能性を著しく低下させて住民の行動規範を失わせるだけではなく、住民のインフルエンス行動にインセンティブを与えて利益誘導型の政治を奨励することになります。

極端な話、選挙に当選した翌日に、選良の方々が失敗することが目に見えている政策を打ち出して実際に失敗しても、4年後の選挙を待たなければその選良の方々を交代させることはできません。リコールだってそんな簡単な手続きではありませんし、リコールとその後の選挙に要する経費や労力を考えれば政策を失敗するたびにリコールする余裕もないはずです。そんなリコールと選挙に費やす経費と労力があれば、少しでも目の前の問題解決に取り組みたいというのは、多くの公務員が考えていることではないかと思います。さらにいえば、リコール運動なんてものが実際に行われると住民同士の見解を二分することになって、地元に深刻な対立を残してしまうこともままあるわけで、そうしたリスクも考慮すべきでしょう。

でまあ、こうした形で市町村や県に対して不満が募ってくると、コストも時間もかかるリコールという正式な手続きに訴えるよりも、市町村や県の職員にクレームをつけるのが手っ取り早いストレス解消法となります。ここで不思議な現象が起きるのですが、被災地の公務員に対して「国民の税金で復興させてもらってるくせに感謝の気持ちがないんだよ!」とか「支援してもらっているうちにそれが当たり前だと思ってんだろ!」などと怒鳴りつける方を最近目にする機会が増えてきたのですが、こうおっしゃるのは被災地支援にいらっしゃっている他県などの外部の方なんですね。チホーブンケンとかチーキシュケンというのは、地元の住民が主体的に行うものかと思っていたんですが、他の地域に住んでいる方ですらも、支援に入った地域でのお金の使い方とか支援方法が気にくわないとクレームをつけるというのはなかなか興味深い現象です。

おそらくは、チーキシュケンの行き過ぎた結末として、その地域に貢献している立場にあればその地域の行政や市民活動に口を出すことができるという考え方があるのかもしれません。「地域のことは地域が決める」ということを突き詰めていけば「地域のために支援してやってるんだから俺の話を聞け」「地域のために支援している俺が「主権者」だ」ということも可能になるというところでしょうか。さらにいえば、このような「支援してやってる」という感覚が広がっていくと、拙ブログでも懸念していたような「そもそも過疎地域なのに税金を投入することが無駄だ」という意見に同調する方が増えてくることも考えられます。

実を言えば、こうしたクレームには対処しにくいことこの上ありません。ご本人は確かに活発な支援活動をされていますし、そのことに感謝している地元住民も多いために、このようなことをいわれてしまうと言いなりにならざるをえない面があります。それもまたチホーブンケンということであれば、「地域のことは地域で決める」というときの「地域」ってのは何なんだろうという疑問がつきませんね。
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2011年11月01日 (火) | Edit |
しばらく間が空いてしまいましたが、だらだらと長引く風邪と仕事の都合で更新できておりませんでした。まあ、前回まで新刊ラッシュに追いつくのがやっとで、ブログ自体のネタとしてはこれといったものがなかったというのも理由ではあります。

というわけで、拙ブログで継続的に取り上げてきている被災地の状況は、市町村ごと、地区ごと、世帯ごとにばらつきが顕著になっています。仮設住宅は基本的に市町村が用地確保から取得までを担っていますので、市町村によっては被災前の地区ごとに仮設団地に入居する仕組みにしていたり、山奥の仮設住宅には健常者や車を持っている世帯を入居させて、市街地に近い仮設住宅には高齢者や障碍者を優先的に入居させていたりという工夫がなされています。

こうして仮設住宅に対するケアがある程度行き渡ってきた現在、現地で問題になっていることは仮設住宅以外の在宅被災者の方々に対するケアです。これは以前のエントリでも自宅避難者について指摘していたことではありますが、仮設住宅だけにケアが集中することによって、もともと車がなければ買い物が難しい地区とか公共交通機関がなかった地区に対するケアが行き渡らなくなっている実態があります。実はこのあたりは評価が難しいところで、急峻な山間に点在する平地が海に面している三陸沿岸部では、浸水部を避けて仮設住宅を設置した結果として、必然的にそういった買い物難所だった地区とか公共交通機関がない地区に仮設住宅を設置せざるを得ません。つまり、仮設住宅が設置されている地区全体が買い物難所であるにも関わらず、その中に新設された仮設住宅にだけ移動店舗が来たりボランティアが物資を提供するということが生じるわけです。

もちろん、仮設住宅に住まざるを得ない方は住居を失った方なので、住居などのストックに被害のなかった方と同列に扱うことは適当ではないでしょう。しかし、特に問題になるのは、家や家族には特に被害がなくても、被災地に所在した勤め先が被災したために収入源が途絶えてしまう方です。地方自治体の実務上、フローの義援金や支援物資といった支給対象となるのは自治体が発行した罹災証明書の交付を受けている方であって、具体的には家が全半壊したり家族が死亡したりという被害があった方に限られます。このため、在宅で被災された方は、自己のストック財産に被害はなくても勤め先が被災してしまって当面の生活資金というフローに窮する可能性があるわけです。

といった被災地の現状を踏まえたかどうかはわかりませんが、先週「日本は一つ」しごとプロジェクトのフェーズ3が公表されました。PDFでは2ページが一枚にまとめられていますが、関係施策だけで128ページに及ぶというそのボリュームに圧倒されます。

東日本大震災の被災者の就労支援、雇用創出を促進するため、各省庁を横断して総合的な対策を策定し、強力な推進を図るという目的で設置された「被災者等就労支援・雇用創出推進会議」(座長:牧義夫 厚生労働副大臣)は、被災者のみなさんの仕事と暮らしを支えるため、政府をあげて対策の検討を重ねてきました。
 政府としては、これまで、復旧段階における雇用対策として『「日本はひとつ」しごとプロジェクト』フェーズ1・2の取組を推進し、被災3県で6万4千人超の方々を就職に結びつける等の成果をあげてきましたが、長期的な安定雇用の更なる創出を図るため、第三次補正予算・税制改正措置等での対応を行うフェーズ3をとりまとめましたので公表します。
 これによりトータル58万人程度の雇用創出・雇用下支え効果が期待され、今後、さらに確実に就労支援・雇用創出を推進します。

【とりまとめのポイント】

<雇用復興を支える予算措置等による対策>
1 地域経済・産業の再生・復興による雇用創出
  ・国内立地補助、中小企業等の復旧事業等の企業支援
  ・農林水産業支援、地域包括ケアの推進等による地域づくり等
2 産業振興と雇用対策の一体的支援
  ・「被災地雇用復興総合プログラム」の創設
  ・復興特区の創設に伴う法人税に係る措置の創設
3 復興を支える人材育成・安定した就職に向けた支援等
  ・復興に資する産業分野、成長分野等の公的職業訓練等の拡充
  ・新卒者支援の充実など、ハローワーク等による支援の充実強化
  ・雇用保険の給付の延長(90日分)(10月1日より施行済み)

<フェーズ3の雇用創出・下支え効果>
 総額6.1兆円   雇用創出・雇用の下支え効果58万人程度
   (雇用創出効果50万人程度 雇用の下支え効果7万人程度)


『「日本はひとつ」しごとプロジェクト』~被災者等就労支援・雇用創出推進会議 第3段階対応とりまとめ~」平成23年10月25日
※ 強調は引用者による。

本文でも「平成23年度第3次補正予算による措置、税制改正による措置などによる雇用復興に向けた総合的な対応策として「日本はひとつ」しごとプロジェクトフェーズ3を取りまとめた」と書いてあるくらい、「震災」という名目があればとにかく詰め込んだという印象ですが、まあ、雇用対策という問題が厚生労働省の一部局だけの問題ではないということが明確になったということは一歩前進ではないかと思うところです。

ただし、拙ブログでは何度もその事務手続きの煩雑さを指摘している緊急雇用創出事業については、「被災地雇用復興総合プログラム」として、事業復興型雇用創出事業と生涯現役・全員参加・世代継承型雇用創出事業が新たに創設されるとのことですが、特に後者は以前拙ブログで「具体的に何をしようとしているのかさっぱりわかりません」と指摘した例のアレのことのようです。

もちろん、実務面からいえば前者の事業復興型雇用創出事業についても、対象事業の要件として「関係省庁または自治体による事業高度化支援、施設整備補助、融資などの支援策の対象となっており、雇用創出が期待される事業であること」などが挙げられているだけで、具体的にどの事業を対象とするのか、その事業のどの経費を対象とするのか、支援するフレームは事業補助なのか人件費補助なのか運営費補助なのか、あるいは委託なのか助成なのかもよくわかりません。

それに輪をかけて、後者の生涯現役・全員参加・世代継承型雇用創出事業は「高齢者から若者への技能伝承、女性・障害者等の積極的活用、地域に根ざした働き方などができ、将来的な事業の自立による雇用創出が期待される事業を、民間企業・NPO等に委託して行う」という事業概要が示されているのですが、これを実務的にどう判断するのか皆目見当がつきません。おそらくはセージシュドーによって美辞麗句が盛り込まれたのではないかと推察されますが、役所の古くさい手続きとか実務なんていう下々のことなど目もくれず、高邁な理想に燃える「市民目線」で見事選挙を勝ち抜かれた選良の方々の発想はさすがに違いますね。

被災地ではこれからも役所、ボランティア、NPO,NGO、そして住民自らが一丸となって、冒頭で指摘したような生活上のストック財産を失った方、フロー所得の収入源を失った方を支援していかなければなりません。これらの高邁な理想がその支援の活動をどれだけ実効性あるものとするのかは、もちろん地域の現場で仕事をしている地方自治体の執行にも大きく依存します。しかし、自治体の執行が依って立つ制度設計をどれだけ実態に近いものにするかについては、日本という国の制度設計を担う立法府(国会議員)と行政府(霞ヶ関の官僚)が決定権を持っています。セージシュドーとかカンリョー支配の打破とかをスローガンに掲げる政治家が拍手喝采を受ける昨今ではありますが、地に足のついた制度設計ができる環境を整えることは、そのセージシュドーが政治主導として機能するための必要条件ではないかと思うところです。
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