2011年10月01日 (土) | Edit |
いやまあ新刊ラッシュでして、hamachan先生や水町先生の新著も控えているわけですので、備忘録的に手短なエントリとしたいと思います。

NPO法人POSSEには、その発足当時いかにも市民活動大好きな学生運動の匂いを感じていたのですが、『POSSE』にボランティアや新しい公共などに対する批判的な記事も載るようになって、かなり現実路線にシフトしてきたように思います(って、外野から勝手に決めつけているだけかもしれませんが)。で、hamachan先生のブログで「若者の若者による若者のための本」と紹介されていたのに興味を引かれて読んでみました。

ブラック企業に負けないブラック企業に負けない
(2011/09/26)
NPO法人 POSSE、今野 晴貴 他

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サービス残業や退職強要などに対する具体的な対処法が掲載されていて、実用性は高いと思いましたが、中小企業に対するスタンスなどが私が当初感じていた「市民活動大好きな学生運動」に逆戻りしているのではないかという印象です。

本書では明示されていませんが、

最近では就職活動が、学生の高望みのために中小企業やブラック企業に「マッチング」ができていないという議論が多く見られる。ほとんどの論者は、若者が中小企業をはじめから選べばよいと主張する。だが、実際にはこれまで見たような精神改造を経て、はじめて中小企業やブラック企業に入る「心構え」が叩き込まれるのだ。こうした就職活動はミスマッチなように見えて、実は人格競争の末に「マッチングしている14」のだ。これ「競争的再配置」と呼ぶのがふさわしい。こうした不効率・高コストの一方で、若い社員が違法行為すらも耐え抜いてしまうようになる仕組みがつくられているという意味では、働くものを犠牲にした、一部の違法企業にとってだけの「効率」が実現されているといってよいだろう。

14 本当であれば受容しないような労働条件であっても、若者がこれを我慢する理由は、自分が就職活動を失敗したからだ、という自責の念にある。だから、もし若者がはじめから低い労働条件の企業を受けたなら、とうてい納得できない可能性がある。これこそが「マッチング」の実態なのである。

今野・川村『同』p.45
※ 以下、強調は引用者による。


という部分は、海老原さんが前著まで一貫して主張されている「「中小企業=不安定で待遇が悪い」は誤解だ」という指摘に対しての反論ではないかと思います。

この点については、先日のエントリでも、「ところが、ここにも「正社員枠に押し込める」というキャリア教育の影響が現れていると思うのですが、たとえば大学を出たからには正社員でなければ世間体が悪いというような意識を埋め込まれてしまった学生や求職者は、仕事や待遇の中身よりも正社員という枠に魅力を感じてしまいます」と指摘しているとおり、「中小企業でもいいから正社員になるべき」という主張には危険な面があることはそのとおりだと思います。

しかし、両書を読み比べてみたとき意外に認識が一致しているなと思う部分があります。たとえば、海老原さんの著書では、先日のエントリで引用した部分で「「キャリアカウンセリング」などの手法によって、しっかり採用相場を教育すれば、こんなリードタイムは不要になる、などと主張する人も出てきてしまう」と指摘されていますが、そのキャリアカウンセリングによって採用相場を教育する現場では、

 最近流行のキャリア・カウンセラーもこうした流れに一役買っている10学生に「自分が悪い」ことを認めさせ、心理学的手法を用いて精神をコントロールする。「自分を見つめなおす」ことを通じて価値観や人格を「矯正」してゆくのだ。NHKが今年2月7日に放送した「就活なう」というドキュメンタリー作品においても、カウンセラーが学生に「自己分析」を高圧的な態度で迫る様子が鮮烈に描かれている。「お前たちは何も考えていない」という趣旨の物言いにたいし、学生たちが泣きながらその「説教」を聞き入る映像は印象的である。学生といえども、大の大人である。22、3歳にもなりながら、まったくの子ども扱いをされ、泣かされながら自己改革を求められる。

10 もちろんすべてのキャリア・カウンセラーがマイナスの影響を与えているというわけではないし、彼ら自身は悪意があって人格改造に荷担しているわけでもない。人格改造が、たとえブラック企業への入社や、会社での従属を生むことになったとしても、失業者非正規雇用ではない正社員としての就職へいたる道筋だと信じているのだ。

今野・川村『同』pp.42-43

ということが行われているわけです。その理由として考えられる点を海老原さんの前著から引用するなら、たとえば、

 学生が中小企業に就職したがらない理由は五つある。その理由を順に挙げながら、私なりに考えてみたマッチングの施策を紹介したい。
 まずは一つ目。学生が中小企業を避ける一番大きな理由は、「わからないから」だ。大企業ならば、消費者の一人としてその会社の製品を使ったことがあったり、テレビCMを見たことがあったりして、どんなビジネスをしているのか想像くらいはできる。また、採用人数も多いため、同じ大学の先輩が就職していたりするので、職場の様子などを聞くこともできる。一方中小企業はとにかく情報がない。どんなビジネスをしているかそうぞうもできない。大学のキャリアセンターの係員も、データがないので企業HPやハローワークの求人票に書いてあるような、あたりさわりのないことしか伝えられない。これではその会社に就職しようと努力する気が起こらないのは当然だ。
pp212-213

就職、絶望期―「若者はかわいそう」論の失敗 (扶桑社新書 99)就職、絶望期―「若者はかわいそう」論の失敗 (扶桑社新書 99)
(2011/09/01)
海老原 嗣生

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という点を挙げられると思います。

つまり、「市場相場に詳しくない駆け出しの大学付きのキャリアカウンセラーが、学生らを説き伏せて、リードタイムを短くすることなど、可能性は0に等しいだろう」(海老原『同』p.79)という状況にあるキャリアカウンセラーからしても、よくわからない中小企業の正社員に学生を押し込めるためには、それでもなお中小企業について詳細を調査するより、目の前の学生の精神をコントロールした方が確実に思えてしまうのではないでしょうか。

この情報不足という点がネックとなって、キャリア・カウンセラーが学生の人格改造に安易に荷担してしまうとすれば、中小企業の職場風土や労働条件を丹念にデータとして蓄積する仕組みが必要となるはずです。この仕組みについては海老原さんの前著で指摘されているところですので、そちらでご確認いただければと思うのですが、そこでは多様な中小企業の姿として、

  • 他社がすべて業態変更した中で、その会社のみが残ったような、古い技術や技能分野での残存企業。もう、他社での技能伝承が途絶えているため、業界は独占状態にあり、立場は逆に強くなり、事業は左うちわだが、後継者がいない。
  • とにかく仕事が楽。それほど儲けるつもりもない会社なので、残業はないし、休日は多い。ただし、給与が安い。
  • 仕事もそれなりにハードでその分、給与もそこそこ良い。ただ、一番の特色は、雰囲気が良いこと。みんな仲良し、家庭的で助け合い精神旺盛。村社会的共同体が好きな人に向く企業。
  • 安定的で長期勤務が売り。浮き沈みがないから、不安はないが、華やかな話もまったくない地味企業。
  • 女性登用が盛ん。採用難で人材不足なため、良い人材は絶対辞めさせない。ということで、ママさん社員もどんどん管理職になっている企業。
  • 若年から人気が薄いため、海外展開やインターネット事業など、「明日を切り開く」人材が薄い。そのため、若手でも早い段階で「海外」「マーケティング」などの仕事に就ける企業。
海老原『同』pp.223-224

という事例が挙げられています。こうした企業を探してくることこそがマッチングの本来の機能であって、そうした企業以外を淘汰することが市場経済だと思うのですが、そうであろうとなかろうと「中小企業をつぶすな!」というのが左派政党だったりするわけで、なかなか頭が痛いですね。

そのような観点で今野・川村書を読んでいくと、ブラック企業と中小企業を一緒くたにして論じている点が気になりました。ただし、今野・川村書でもその点についてのヒントは示されています。

新興産業でとくに激しい逸脱が行われている

 従来型の関係の変化がとくに顕著にみられるのは新興産業においてである。日本型雇用は製造業を中心に発展してきたが、1970年代以降急激にサービス産業化が進展し、そこでも社会化した雇用取引ルールは影響し、日本型雇用の拡大を促すこととなった。
 ところが、90年代に入り、小売・卸売りの展開は鈍り過当競争に入っていく。その結果、既存の人員への圧力が強まっていった。また、新しい業態であるコンビニエンスストアや近年参入した新興の外食チェーン店では、そもそも日本型雇用の規範意識を有していない場合もみられる。サービス産業化が進んでいくなかで、従来の規範にとらわれない新しい産業が登場しているというわけだ。
 さらに、同じく新興産業であるIT企業はこの傾向がより顕著である。IT労働者は「強い労働者」とされることが多いが、実際の労務管理でもアントレプレナーシップ(企業家精神)を要求される。これは労働者にも強く受容されており、企業に生活保障を求める文化は労使双方に乏しい。

今野・川村『同』pp92-93


この部分を読むだけでも、ブラック企業と海老原さんが例示された中小企業との違いが如実に読み取れると思います。結局のところ、キセーカンワやら新規形態の外食産業やらIT企業などのベンチャービジネスへの礼賛によってもたらされたのは、ブラック企業が易々と労働者を使い捨てることができるという現実だったのではないでしょうか。労務管理の体制をしっかりと構築し、人材の育成に力を入れているような中小企業が旧態依然としたものとして忌み嫌われる一方で、社員全員が「企業家精神」をもって生活なんか顧みないで働くことこそが21世紀型の働き方だと喧伝された結果といえそうです。拙ブログで以前使っていたことばで言えば「経営者目線」を強要されるということですね。

さらにいえば、ここに「新しい公共」たるNPOを加えることもできるように思います。役所のろくに働きもしないコームインなんぞより、民間の自由な発想で柔軟な公共サービスを提供するという美辞麗句の裏側には、コームインよりも安い給料で労務管理も適当にやっておけば、低コストで公共サービスを受けられるという安易な目論見があったことは事実でしょう。その意味では、単にブラック企業というだけではなく、その由来を含めて議論していく必要があるのではないかと愚考するところですね(全然手短にまとめられなかった・・・)。
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2011年10月01日 (土) | Edit |
というわけで、hamachan先生のところでフライング気味にコメントしましたが、海老原さんから新著『仕事をしたつもり』をご恵投いただきました。いつもながら場末のブログを気に掛けていただきありがとうございます。

仕事をしたつもり (星海社新書)仕事をしたつもり (星海社新書)
(2011/09/22)
海老原 嗣生

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hamachan先生のところでコメントしたとおり、本書の結論部分では「安全策」と「奇策」が対比されていて、それぞれに思い当たる節があって考えさせられたのですが、それは本書をお手にとってご確認いただくとして、個人的にツボだったのが「すぐに「みんなで考えよう」と言い出すバカ上司」という部分です。本書では過去の成功体験が本末転倒な「仕事」を作りだしていくというスタンスで論が進められていくのですが、ここでも、以前の日本の組織は上意下達で風通しが悪かっただけに「みんなで考えよう」ということは革新的で効果的な試みだったのが、すでに「みんなで考える」ことが当たり前になっている組織では効果が無いと指摘されています。

 ただ、その成功体験がいつしか鉄則となり、連綿と同じことがくり返されたら・・・。いったい、どうなるでしょうか?
・アイディアなんてそんなにあるわけじゃないから、みんなネタ枯れを起こしている。
・みんなで考えることを強要されるため、自由度がなくなり、かえって閉塞感が高まる。
 このような悪循環が生まれた状態で、「みんなで考えた案」を実行すれば、うまくいかないのは目に見えています
 で、失敗すると、「みんなで考えたことだから、しょうがないじゃないか」となる。
 やっていることは前任者と同じなのですが、今度は「みんなに責任転嫁する卑怯な上司だ」と受け止められかねません。

目的の消失が、このタイプの「仕事をしたつもり」のはじまり

 どうして同じ「みんなで考える」が、こんなにも大きな差を生むのでしょうか?
 前者は、上意下達の風土を壊し、現場にたまった意見を集約する、という明確な目的があり、そのための手段として「みんなで考える」を利用しています。
 対して、後者には目的がないのです。強いて言えば、「みんなで考える」こと自体が目的となってしまっています。でも、みんなで考えたからといって、必ずしも成功はついてきません
 つまり、目的と手段の履き違え。まさに本末転倒です。

海老原『同』pp.110-111
※ 以下、太字強調は原文。太字下線強調は引用者による。


みんなでいいアイデアを出しましょう、というのは政策でもなんでもありません」というのは山形さんの名言ではありますが、政策レベルとはいわずとも、こうした組織レベルのミクロな世界でも「みんなで考える」というのは手段であって目的ではないわけです。結局は、「みんなで考える」という手段が有効な場合とそうでない場合があって、それぞれに応じて使い分けるという至極当たり前のことが、「みんなで考える」ことによる成功体験と、前向きなオーラがまとわりついているその言葉自体に惑わされてしまって、顧みられなくなるのだろうと思います。

ちょっと分野は違うのですが、以前読んだ会計の本でも同じように上司の勘違いが悲劇を生むことが題材とされていました。営業スタイルの違う課長同士がケンカしているのを上司である部長が諫めるというシーンですが、

俺は上司としての一番重要な仕事は、実践的な経験を通じて部下に営業テクニックを教えることだと思っている。それで、売上を伸ばす喜びを知れば、部下のモチベーションは上がるし、それについれて給料も増やすことができるはずだ。さらには、礼儀や常識を指導することで、人として大きく成長する手助けをすることも、上司の役目ではないのかな。今の二人のやっていることは、決して人の上に立つ人間としての模範となる行動じゃない・・・俺の言っている意味がわかるだろ?」
「・・・はい」
「今回の一件に関しては、始末書はいらん。すべて、俺の心の中にしまっておく。だから二人とも、今回のケンカのことは笑って水に流して、明日から大人の付き合いで、この第一営業部を支えていってくれよ」
 大塚がそう言うと、二人は「どうもすみませんでした」と言って、それぞれ帰り支度をして、オフィスから出て行った。二人のうしろ姿を見送ると、大塚は「ふぅー」と大きなため息をついて、背もたれに前身をあずけて、どっかりといすに座った。
週末にでも、あいつらと一回飲みに行って、仲直りの場を設けてやるか
 上司としてのひと仕事に納得したのか、ネクタイを緩めると、手をつけていなかった残業に取りかかり始めた。
pp.215-216


会計天国会計天国
(2009/04/21)
竹内 謙礼 青木 寿幸

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引用した部分だけではわかりにくいかもしれませんが、リベートを厚くした薄利多売の営業を得意とする課長と、地道な企画提案を得意とする課長がそれぞれのやり方に不満を持ってケンカし、それを仲裁した部長が実態を把握しようともせず「大人の付き合い」といって仲直りさせたつもりになり、一人悦に入っているという場面です。ここでも、この部長は部下であるそれぞれの課長の異なる意見に対して、「みんなそれぞれに考えているのだから、それでいいんじゃないの」と物わかりのいい顔をしているだけで、それぞれの営業スタイルが実際にどのような利益を上げているかを探ろうとしていません。この部長に対して主人公の経営コンサルタントが「あれは典型的なダメ上司だな」と指摘して物語は展開していくのですが、こうした「物わかりのいい顔」で部下の信頼を得ようというのも「みんなで考える」という手段を目的と履き違えた上司がよくやることですね。

海老原さんの新著に話を戻すと、同じように「みんなが考える」と誰も反論できないことの典型的なものとして、テレビ番組専用のウェブサイトが指摘されています。

「右へ倣え」発生のメカニズム

 なぜこんな無駄が、平気で日々生み出され続けているのか?
 こうした番組サイトを作ることが「普通」になってしまった今となっては、単に「それがあたりまえだから」「習慣だから」としか、制作している責任者も答えることができないのではないでしょうか
 テレビ局では、すでに番組の制作スタッフに加えて、専用のウェブサイトを作るスタッフが用意され、「番組を作る=サイトも作る」という仕組みができあがっています。
 こうなると、無駄を無駄だと疑う余地がありません。
 意味や効用など、考えるまでもないといえるでしょう。

海老原『同』pp.137-138


地方自治体でも「広報が弱い」とか「情報発信がへたくそだ」という指摘が多く寄せられるので、その対応について「みんなで考える」と、手っ取り早い対応として「ホームページを充実させて更新もきちんとしていこう」という提案がすぐに出てきます。しかし、そもそも自治体のホームページを見る人なんてどれだけいるのでしょうか。地道にアクセス数を稼ぐのは日常的に必要な手続を説明したページで、たまにマスコミで取り上げられた問題があるとその部署のアクセスが急激に伸びる程度で、普段から自治体のホームページをチェックしている人なんてほとんどいないはずです。

まあ、ロクな情報が載っていないからチェックしないんであって、役に立つ情報があれば見るぞという方もいらっしゃるでしょうが、役所で「役に立つ情報」というのは結婚とか引越とか事業を立ち上げたとか一大イベントでもない限りそれほどないわけです。それでも「我が課のホームページをリニューアルすればアクセス数が上がって住民が喜ぶはずだ」とかいう意見があれば誰も反論できず、「仕事をしたつもり」のウェブサイトがどんどん増えていくという悪循環が生まれているように思います。まあ、それがなかなかなくなるものではないということは海老原さんも指摘されているところで、折り合いをつけながら「仕事をしたふり」をしていくのが現実的なところなのかもしれません。
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