2011年08月26日 (金) | Edit |
経済学者や政治学者の方々はよく「政治主導」という言葉を使われていて、職業政治家の皆さんも今月末にかけて「せいじしゅどう」という呪文を唱え続けるようですが、憲法学の方面からの議論というのも参考にすべきではないかということで、備忘録的に書いておきます。

 さて、古典的な権力分立というと、国家権力を立法・司法・行政の三つに分割した上で、それぞれを別々の機関に担当させることを提唱するものだと思われるかも知れない。しかし、これは、少々単純にすぎる考え方である。モンテスキュー自身は、そうした主張はしていない。
 18世紀前半のイギリスの政治体制をモデルとした彼の権力分立論は、『法の精神』の第2部第11篇で展開されている。同篇のの冒頭で彼は、国家権力を立法・司法・行政の三つに分類した上で、第一に、立法権と行政権を同一の人間ないし団体が持つべきではないとし、第二に、司法権と他の二権のいずれかも分離されていなければならないとし、第三に、同一の人間ないし団体が三権のすべてを独占すべきではないといっている。そうした独占を許すと、法に従った国政の運用が阻害され、自由を抑圧する専制政治が行われることになるからである。立法権と行政権が結びつけば、恣意的な法律を作った者が恣意的にそれを執行することになる

(略)

マディソンが指摘したように、権力分立に関して「モンテスキューが真にいおうとしたことは、……ある部門の全権力が、他の部門の全権力を所有する者と同じ手によって行使される場合には、自由なる憲法の基本原理は覆されるということ以上には出ない」というべきであろう。つまり、立法・行政・司法のうち、二つ以上の権力がすべて同一人ないし同一団体のものとなってはいけないというのが、権力分立論の眼目である。
pp.89-91

憲法とは何か (岩波新書)憲法とは何か (岩波新書)
(2006/04/20)
長谷部 恭男

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※ 以下、強調は引用者による。

もちろん、こうしたモンテスキューの思想までさかのぼって見習えという趣旨ではありません(見習うべき点は多いと思いますが)し、本書でも、イェール大学のブルース・アッカーマン教授の主張を引用して、

 要するに、アッカーマン氏の主張は、権力分立を語る際に、200年以上前のモンテスキューやジェイムズ・マディソンの議論にこだわってアメリカ型の権力分立を推奨するのは控えるべきであるというものである。モンテスキューやマディソンは、たしかにその当時における最新の知見に基づく政治理論であり、憲法理論であった。しかし、彼らは現代のわれわれの置かれている政治状況の分析と問題の解決については、さして頼りにならない。われわれは、現代の最新の政治学の知見に基づいて憲法理論を再構成する必要があるというわけである。

長谷部『同』p.97

とし、結局のところ、最高法規である硬性憲法の下での立法という二元的民主政(二元代表制ではありません。為念)を実現するためには、アメリカ型の大統領制ではなく、ドイツや日本の「制限された議院内閣制」が望ましいというのがアッカーマン教授の主張であると紹介します。

私もその主張にはおおむね同意するところですし、実際に日本国憲法では公務員の身分は政治的に保障されています。その趣旨は、よく誤解されているように公務員の雇用を保障するためのものではなく(結果的に雇用保障的に機能している面はありますが、それは後述のとおり民間の労働法制でも同様にみられる現象です)、立法と行政を同一の団体が支配することを防ぐという権力分立の眼目を確保するために不可欠な措置となっているわけです。

念のため、これも拙ブログでは何度も指摘しています(最近ではhamachan先生のエントリをご参照ください)が、戦前の天皇に奉仕する官吏・公吏を国民に奉仕させるため、現憲法では公務員を全体の奉仕者と規定(日本国憲法第15条第2項)した上で、それぞれ国家公務員法第75条第1項では「職員は、法律または人事院規則に定める事由による場合でなければ、その意に反して、降任され、休職され、または免職されることはない」とされ、地方公務員法では第27条各項で同様の規定が定められています。その目的は政治的・恣意的な処分を防ぐことによって行政の(特に執行の)中立性を保つためではありますが、その一方で、経済的・財政的理由による分限免職ができることもきちんと法律で定められています(国家公務員法第78条第4号、地方公務員法第28条第1項第4号)。この点は民間の労働法制でもほぼ同じ構成となっていて、それぞれ労契法第16条の解雇権濫用法理とその特則である整理解雇の4要件が(結果的に)対応しているわけです。

でまあ、カイカク好きな現政権や地方自治体の首長の皆さんは、「政権交代したら官僚は絶対服従だ」とか「上司の命令を聞かないやつはクビだ」とかおっしゃるわけですが、民間でもそんなことは許されないこととされているのに、公務員の世界では「せいじしゅどう」でそんな道理が通るとおっしゃるなら、その主張の方がよっぽど「公務員の常識は民間の非常識」のような気がします。戦前の諸政党によるカイカク競争で短命政権が続いたあげく、陸軍大臣が政治任用的に重用した一夕会の軍人が開戦を実力行使し、政治不信が広がる中でカイカクの機運に乗った国民がそれを支持したという苦い経験を踏まえて現憲法が制定されたわけで、またぞろ「官僚主導が諸悪の根源」という仮想敵を叩いて「政治主導でカイカクだ!」というのでは、現憲法が人事の面で権力分立を確保した一線をあっさり越えてしまうのではないかと危惧するところです。

(付記)
potato_gnocchiさんのところでも同じような論点のエントリがありました。

公務員組織の大転換。強固な身分保障をあえて捨てられるかどうか。強固な身分保障をなくせば、日本の行政組織は一気に変わる。身分保障以外の条件を引き上げることができる。民間よりきついという世間の常識にすれば、使命感を持った人材が集まる。そして国民が行政に対して一定の敬意を持つ。

(略)

 政治主導なのだから、政治家がなんでも決めていいのだ、なぜならば民意は自分のものだから。という考え方は危険な考え方です。仮に橋下知事はそんなことを毛ほども思わなかったとしても、いつも選挙の当落に汲々としている政治家は、政治的中立を蹂躙することで自分の選挙における立場を強くすることができるという欲望に勝てるでしょうか。あるいは、純粋なる正義感から出ているとしても、特定支持者のためにルールをゆがめたいと言う欲望に勝てるでしょうか。政治的中立と、それを支える公務員の身分保障を、政治主導と称して蹂躙することは、そのような汚れた社会への道を開くことになると思うのです。そして皮肉なことに、そのような汚れ方を嫌う人たちは、今その汚れの根源は公務員にあり、橋下氏はそれを打破してくれる正義の味方だと思って橋下氏を支持しているのではないかと思うのです。でもね、橋下氏の主張する仕組みが出来上がったときに、何が起こるのか、支持者たちは自業自得と思うことがなければ良いのですが

■[政治][行政]橋下知事のツイートに見る、政治主導への思い込み(2011-08-23)」(常夏島日記

人類が営々と築き上げてきた近代国家の基本原則ともいえる権力分立を崩壊させかねないわけですから、橋下府知事が「日本の行政組織は一気に変わる」というのはその通りなのでしょう。potato_gnocchiさんが指摘されるように「橋下氏の主張する仕組みが出来上がったときに、何が起こるのか、支持者たちは自業自得と思う」のを待って、また近代国家からはじめるべく改めて権力分立に取り組まなければならないというのでは、徒労感が募りますね。。。
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