2011年08月21日 (日) | Edit |
前回エントリの続きになりますが、震災後に膨大な量の事務作業に追われる被災地自治体のみならず、世界でもトップレベルに公務員の少ないこの国で、震災対応は被災自治体ならできるというのチホーブンケン教の方々であって、表向きは構造改革によるシバキ主義を批判しながら自己責任論で増税忌避の隠れ蓑である一部のリフレ派の方々であって、所得再分配による受益と負担の乖離を認めないネオリベな方々なわけです。

正直なところ、政府の復興対策本部で日夜奮闘されている岡本全勝氏をこうした形で取り上げるのは心苦しいのですが、この記述をみたときの落胆といったらありませんでした。いやまあ、「霞ヶ関解体」を目ざす旧自治省官僚で「新しい公共」好きらしい岡本氏がこういうのはある程度予想はできたのですが。。。

(復興の担い手)
今後の被災地での復興の進め方について、誤解をしておられる方が、時々おられます。
例えば、「国に復興本部ができた。さらに復興庁ができたら、大胆な都市計画ができるのでしょうね。関東大震災の時の後藤新平のように。がんがんと、国が線を引いて、事業をして・・」というようにです。
いいえ、町の復興計画をつくるのは、住民であり首長であり、議会です。国の役人がしゃしゃり出て、大胆な計画をつくることはありません

「でも、市役所の職員も亡くなり、まちづくりの能力に欠ける市役所もあります。やはり国が出ていかなければ」とおっしゃる方もいます。
その趣旨は分かりますが、市町村が、県や国に対し「この点について助けて欲しい」と要望してもらわないと。住民や市役所の意向を抜きに、国が絵を描くわけにはいきません。都市計画の専門家が必要なら、送ります。財源が不安ならば、相談に乗ります。規制緩和が必要なら、相談に乗りましょう。それは国の責任です。

また、大胆な都市計画をすれば復興ができる、というわけではありません。その町が今後数十年にわたって、どのような産業で、雇用と賑わいを保っていくのか。教育や福祉など、どのように住民の安心を確保するのか。コミュニティをどのように保っていくのか。インフラ整備以上に、住民の暮らし(雇用と安心)が重要です。立派な道路やビルを造っただけでは、町の復興はありません。
もちろん、市町村長さんたちは、良くわかっておられます。(2011年7月10日)

災害復興1」(岡本全勝のページ


もちろん、市町村長は選挙によって選ばれる選良の方々ですから、選挙を勝ち抜くためには合理的無知を利用した戦術が有効であって、その結果晴れて当選された市町村長がチホーブンケンの旗を降ろすはずがありません。その一方で、そもそも自主財源を大幅に上回る事務を担っている地方自治体が自力で災害復旧できるわけがありませんから、「使い勝手のいい交付金を」などと言い出して、国や都道府県に「使い勝手がいいから少なくてもいいでしょ」という口実を与えてしまっているわけです。さらに、いわば組織の「山頂」にいる首長のいうことだけを聞いて「山に登ったぞ」と言い張るような現地対策本部やらもあるようでして、そんな方々に前回エントリで指摘したような実務上の問題点を伝えたところで「現場の判断を尊重します」と格好良く立ち去るのでしょうね。

このような基礎自治体にすべて任せればすばらしきチホーブンケンが実現するという「補完性の原理」によく似た言葉で、生活保護でいう「補足性の原理」という言葉があります。これも以前指摘したことの繰り返しになりますが、「補完性の原理」という建前がある限り、国も都道府県も一義的な責任を市町村に押しつけ、市町村が白旗を揚げるまで待って「市町村ができないっていうならしょうがねえな」と対応するということが可能になってしまいます。左派系の方がよく「地方分権は地方切り捨てだ。補完性の原理で地方に3ゲン(権限と財源と人間)を与えるべき」とかおっしゃいますが、「地方分権」が問題なのではなくてその根拠となる「補完性の原理」がそもそも自己責任を押しつけるものなわけで、ご自身の主張の矛盾に気がつかないのはまあいつものことですね。

念のため、マーストリヒト条約で脚光を浴びて以来、日本でも金科玉条のごとく信奉されてしまっていますが、キリスト教区の建前である「補完性の原理」なんて言葉は地方自治法のどこにも出てきません。シャウプ勧告で市町村を優先するとされているという主張もありますが、そのシャウプ勧告でも、

3 地方自治のためにそれぞれの事務は適当な最低段階の行政機関に与えられるであろう。市町村の適当に遂行できる事務は都道府県または国に与えられないという意味で、市町村には第一の優先権が与えられるであろう。第二には都道府県に優先権が与えられ、中央政府は地方の指揮下では有効に処理できない事務だけを引受けることになるであろう。

 われわれは、これらの原則を実際に適用するについては困難があることはこれを認める。多くの場合、事務を截然と区別することは賢明でもなく、また不可能でもあろう

 われわれは広汎な研究をすることはできなかったけれども、若干の試案を示して可能な解決方法を説明してみよう。

(略)

3 中央政府は災害復旧に対する財政上の全責任を引き受けてよいであろう。しかし、地方で統制している施設に関係した実際の仕事は地方団体が行うことができよう。現在は、中央政府はこの負担の一部を引き受けているが、都道府県および市町村もまた負担を負うている。天災は予知できず、緊急莫大の費用を必要とさせるものであるから、天災の勃発は罹災地方団体の財政を破綻させることになる。その結果、地方団体は、起債、非常予備金の設定、高率課税および経常費の節減を余儀なくされる。この問題は中央政府だけが満足に処理できるものである

4 中央政府が、補助金を交付したり、しなかったりして、地方当局にその仕事を与える傾向は減ぜられねばならない。(地方財政法第十乃至第二十二条参照)かかる活動の多くは、全責任と共に地方団体に与えるかまたは直接中央政府によって ― ある場合には出先機関によって ― 執行するようにできるであろう。
地方団体が中央政府の代行機関として働く活動範囲を狭めて、国と地方の事務を明確に分離することには大きな利益があるのであろう。たとえば、主として中央政府が引き受けるべき事務は統計作製の事務、または農地調整であり、地方に全面的に委譲できる事務は選挙管理または地方的計画立案である

シャウプ使節団日本税制報告書 付録A D 職務の分掌 (Division of Functions)


というように、災害は中央政府が財政上の全責任を引き受けていいとしているわけです。まあ、地方的計画立案は地方に全面的に委譲できるとしていますが、引用した部分だけでも「多くの場合、事務を截然と区別することは賢明でもなく、また不可能でもあろう」といいながら、「国と地方の事務を明確に分離することには大きな利益があるのであろう」とかいっていて、シャウプ勧告そのものの整合性に疑問が残るところですけども。

自己責任論が世論の支持を得るようになって初めて地方分権の議論が進んだという時代背景を考えれば、チホーブンケンの旗を掲げる限り自己責任論からは逃れられない構図になっているわけで、被災自治体に自己責任を押しつけてしまう現実よりも、チホーブンケンという理想が優先されているのが現状といえそうです。
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2011年08月21日 (日) | Edit |
震災発生後の雇用対策についてはこれまでもいろいろと疑問を呈してきましたが、緊急雇用創出事業では被災地の雇用を十分に創出することはできません。

実務なんぞやったこともない有識者とかいう連中が高邁な提言をしようが、政治家連中が「新しい公共」なんてほざこうが、緊急雇用創出事業は委託事業であって、都道府県や市町村が実施すべき内容でなければ事業立案できないし、事業立案しても委託先が想定されなければまともな積算もできず予算要求は通らないし、運良く予算要求を通っても、委託先を決定するにはよっぽどの理由がなければ随意契約なんかできないし、総合評価方式による入札やら企画競争による選考委員会を開催しなければならないし、そのために膨大な量の資料と関係者の日程調整をして会場を確保してホームページにアップして、説明会やら問い合わせに対応して委託先を決定して、委託先が決定したら契約書を作成して事業の進行管理やら労働者の従事状況の確認をして、年度末にはすべての事業の書類をチェックして完了確認しなければならないんですよ。それをどうやって現存の職員でこなせというのでしょうか?

被災した市町村に他の市町村とか都道府県が支援するという動きももちろんありますが、民間企業でも社内の書類の書式やら決裁ルートやらはそれぞれ独自に設定されているはずですし、地方自治体は地方自治法だけではなく独自の条例や規則などで事細かに事務の進め方が決められているので、自治体職員だからといってすぐに被災市町村の事務ができるわけではありません。長期的に被災市町村へ派遣されているのはごく一部の職員だけで、ほとんどの職員は1週間~1か月程度で交代しますから、予算編成や企画立案のような中核的な事務を支援することは困難です。

いずれにしても、提言して予算を付ければ済む話では決してありません。そうした現状でもできることからこつこつと取組は進んでいますが、被災地の現実はそれを待ってはくれないのです。
hamachan先生経由ですが、そうした「古い公共」の現場を知ってか知らずか、「新しい公共」が現場で活動してそれが奨励されればされるほど、「古い公共」の積極的な雇用政策が顧みられなくなっていく一端が紹介されています。

「どの部屋に誰がいるのかもわからない。
もう久ノ浜には戻れないだろうし、
ここでしばらく生活をしていくわけだから、
久ノ浜の人たちとのコミュニティづくりを、
新たにし直さなきゃと考え、
全世帯のポストにアンケート用紙を配布しようと思っていたんです」

彼は250世帯分のアンケート用紙を持っていた。
ここでの慣れない新生活を互いに支えあうため、、
久ノ浜の人の部屋番号と名前と連絡先を書いた、
名簿を作ろうとしていたのだ。

今、久ノ浜に必要なのは、
また放射能被害や津波被害のある可能性がある、
場所の清掃活動なんかじゃなく、
そこで復興支援の名のもと、花火を上げることじゃなく

いわき市内の中心部に移って、
ここでの暮らしに慣れようとしている被災者の人たちの、
コミュニティづくりを支援してあげることじゃないか


(略)

自分たちは津波被害にあっていなくても、
周囲が津波被害にあってしまえば、
もはや自分たちの生活は成り立たない。
しかし家は被害がないため、
避難所に行くことも、仮設に移ることもできないし、
義援金も津波被害者のようにいっぱいもらえるわけではない。

こうした中途半端な立場に置かれた被災者が、
ボランティアの清掃活動を横目に、
今後の暮らしに希望を見出せず、苦悩しているのだ。

津波被害者だけが被災者ではない。
津波被害地区だけが被災地ではない。


そこを履き違えて、震災から5ヵ月が過ぎた今も、
被災地の“目に見える”支援ばかりしていると、
すぐそばにいる被災者の心の闇を見逃しかねなくなる。

ボランティアが被災者の自立を阻害する?!~震災5ヵ月後のボランティアのあり方を問う(2011年 08月 17日)」(つぶやきかさこ

※ 以下、強調は引用者による。


ボランティアの自己満足によって地元の仕事が奪われていくことや、仕事を失ったにもかかわらず直接被災しなかったために支援を受けられない方の存在についてはこれまでにも指摘してきました。地方公務員としてもそのような状況を把握していないわけではないと思います。ただ、行革に加えて災害で人員の減った中で、これまでは災害復旧や仮設住宅の設置といった緊急避難的な事務にリソースを充てなければならなかったため、上記のような手続を要する事務はどうしても後回しになった点は否めません。仮設住宅の設置がほぼ完了した今後はそうした事務にもある程度のリソースを割り当てることが可能になるでしょうが、絶対的な人員不足の中ではその効果も限定的となるでしょう。

緊急避難的な状況を脱した被災地で生じている現実は、震災前から進められていた「小さな政府」路線の帰結でもあります。社会保障や積極的労働市場政策による所得再分配を担保するため、フロー財源と人件費を確保しなければ「復興」どころか衰退していくのが地方自治の現場であるという現実に、「新しい公共」などという美辞麗句に踊らされることなく目を向ける必要があると思います。

まあ、善意さえあれば正規の手続なんか要らないというのが「新しい公共」ならば、「古い公共」の出る幕はないのかもしれませんが。

「善意の悪用残念」 自称医師事件で関係者困惑 宮城 2011.8.20 02:02 MSN産経ニュース
 医師を名乗ったとして19日、県警生活環境課と石巻署から医師法違反(名称の使用制限)の疑いで逮捕された米田吉誉(よしたか)容疑者(42)には、石巻市内で活動するボランティアらからは困惑する声も上がった。

 米田容疑者が活動拠点としていた同市の石巻専修大で、東京都の音楽家、林真史さん(47)は、「震災当初、ボランティアの間で『病院は被災者のため』という意識があり、医師にかかるには抵抗があった。少しの傷ならボランティア同士で治そうとして、医師を名乗ったのかも」と米田容疑者の心情を推し測った。

 林さんによると、震災当初は大学の広大な敷地がテントで埋まるほど多数のボランティアが集まっていた。

 米田容疑者は逮捕前の産経新聞の取材に「どさくさに紛れて医師を名乗った」と語っている。

 一方で米田容疑者を疑いの目で見る人もいた。石巻市災害ボランティアセンターの受付をしていた神奈川県の抱井(かかい)昌史さん(30)は「(活動拠点の)キャンピングカー内で何をしているか分からなかった。怪しいといううわさはあった」と話した。

 さらに、米田容疑者が代表を務める団体は、日本財団から100万円の支援金を受給している。同財団は「もし容疑が本当であれば、善意のボランティアを支援する制度が悪用されて残念」とした。

これが「古い公共」で起きた事件であれば「チェックの甘さが問われる」とか叩かれるところですが、

県立宮古病院・偽医師事件:「やむをえないリスク」知事が見解 /岩手(2010年5月11日毎日新聞)

 医師と偽った無職の女が県立宮古病院に勤務しようとした事件を巡り、達増拓也知事は10日の定例会見で「医師免許がない人が働くことはあってはならないが、食い止めるチェック機能は働いた」と述べ、県医療局や病院側に問題はなかったとする見解を示した。

 さらに「相手の意向に沿う形でしか交渉できず、今回のようなリスクもやむを得ない」と説明した。

医師不足問題については「全国的に公的に(医師の偏在を)是正する仕組みが必要だ。早く実現するよう政府への働き掛けを強めたい」と語った。また、事件については「県民の期待が裏切られ、非常に残念だ。憤りを感じている」と述べた。【山口圭一】


いやいやいや、自分らの対応のまずさを棚にあげて「問題はなかった」なんて安易な総括をする一方で、さらっとこんなことになるから医師強制配置論実現を政府に迫らなければ!なんて、一体どの面下げて言っているのかという話ですけれども、この場合はさすがに憤りを感じるならまず自分たちの間抜けさ加減に対してであるべきではないんですかね?
逆にここまで抜け穴だらけのずさんな対応をしてきてこれが当たり前のことをやった、何ら問題はなかったと総括されるというのであれば、現行のシステム自体が幾らでも無駄金使い放題を許容しているということになってしまいますけれども、こんな低レベルの相手に毎回200万以上も無駄金を使い込んで平然としていられるほど岩手県の財政も裕福であるとも思えないのですがどうでしょうか?

岩手県立宮古病院、実は意外に斜め上だった(らしい)真相(2010年5月12日 (水))」(ぐり研ブログ


ことほど左様に手続というのは重要であって、それをおろそかにすると大変な問題とされるのですが、石巻の事件で助成金を100万円不正に受け取ったらしい容疑者に対して、東京の音楽家の方は「心情を推し測った」そうで、なんて寛容なのだろうと羨ましくもなりますね。
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