2011年05月22日 (日) | Edit |
現地にいる者としてはある意味どうでもいい話ではありますが。

万年○○派の評論家は潜在的顧客の頭数を増やすように行動するのではなく、安定的で強力な自分の支持者、信者の獲得を目標にしています。万年○○派の評論家は、同じコールドリーダーでも占い師より新興宗教の教祖に近い技法を駆使していると言ってよいかもしれません。
 顧客の「心に沿う」議論を基本に据えることで、彼らの心を引きつけたならば、続いて行われるのはストックスピールによる信頼の強化です。
p.33

 そして経済評論家、中でも万年○○派の真骨頂は予言の的中にあります。先ほど例に挙げた「いつまでも好況が続くということはない」は必ず正しい主張です。高度成長期にも不況がなかったわけではないことを思い出してください。いつでも景気の悪化を予想してると、いつか必ず当たります。経済評論家が用いる「必ず当たる予言」のコツは、「いつまでに」という期間か、「日経平均で何円程度」という幅のいずれかを曖昧にするところにあります。
 さらには「不況のダメージを小さくするためには、構造改革の成果が、内外の投資家から信頼されなければならない」「不況から脱出するためには、粛々と構造改革を進める必要がある」といった留保条件をつけておくとさらによいでしょう。これならば、少なくともはずれることはありません。「構造改革徹底指数」のような、構造改革の進展そのものを表す客観的な指標はありません。したがって、景気が回復したら「構造改革がしっかりと行われた」、回復しなければ「不十分だった」と言えばよいのです。このような予言を繰り返していれば、たまには当たるでしょうから、その際に「あの先生の予想が見事的中した」という印象を残すことができます。よほどの大はずれでなければ印象深く記憶されることはないでしょう。そして時を経るにつれて、「あの先生の予想が見事的中した」という印象のみが記憶され続けることになるのです。
p.35

 言うまでもないことですが、何ひとつ問題のない社会は存在しません。さらに、バブル崩壊以降の長期低迷によって、少なからぬ人が経済的困難というやっかいな問題に巻き込まれることになりました。長期低迷の問題について、何らかの対策が必要ではないかという意識は、ほとんどすべての日本国民が持っていた(いる)と思います。その意味で、「経済・社会を改革・改善すべし」という主張は多くの日本国民の「心にかなう」ものであると考えられます。
p.37

しかし、「構造改革っぽいものは何となくよい」という考えが定着してしまうと、個別の政策に対して論理的な検証を行う論者は、その分析が構造改革の一部に抵触するという意味で歓迎されず、決して受け入れられることはないのです。
p.40

ダメな議論―論理思考で見抜く (ちくま新書)ダメな議論―論理思考で見抜く (ちくま新書)
(2006/11)
飯田 泰之

商品詳細を見る

※ 以下、強調は引用者による。


その実例は昨年来bewaadさんを巡る騒動の中で見せつけられていましたが、リフレーション政策だけはこの陥穽から逃れることができると固く信じているらしい一部のリフレ派と呼ばれる方々には、この部分の「構造改革」を「リフレ」と読み替えられる可能性には想像がつかないのでしょう。

そして、この状況下でそのコールドリーディングの材料として巻き込まれる思いは、この方々には想像がつくのでしょうか。想像がつかないからこういうことを堂々と書いてしまうのでしょうが。。。

だからこそ私たちは「このままでは震災恐慌がくるぞ!」と、声を大にして訴えます。そのことで、結局恐慌が起こらなかったとしても、私たちはそれが誤った警告だとは思いません。なぜなら、私たちが警告を発しなければ、本当にまた日本は、大きな人災である、経済2次、3次被害を受けることになりかねないからです。

多くのマスコミがこの問題を一切報じない中、不幸にも、政府・日銀自体もこの危機に気づいていないかのような反応で、ほぼ平時と変わらない凡庸な政策を選択しつつあります。だとしたら私たちは、自分の身は自分で守らなければいけません。政府と日銀に、声を大にして正しい復興策を要求し続けなければいけません。

■日本に明るい未来が訪れることを願って 
震災でお亡くなりになられた方々に思いを馳せながら、「震災恐慌がくる!」――。
そう叫びながらも、日本に恐慌がこないことを、そのために、正しい経済復興策がとられることを、そして、日本中が負った震災による心の傷が癒えることを心から願って。
私たちは先人の知恵を借りながら、「震災恐慌がくる!」――そう、声を大にして叫びます。

                                            上武大学ビジネス情報学部 田中秀臣
                                    デフレ脱却国民会議事務局長・経済評論家 上念司

                         ――『震災恐慌! 経済無策で恐慌が来る!』(宝島社)「まえがき」より
このあと日本経済に何が起きるのか?誰も語らない、震災恐慌の怖さ 田中秀臣、上念司(2011/5/19 23:1)」(SYNODOS JOURNAL


まあ、著者の一人は自慢げにこう公言される方でもありますし。

田中:ほかにいわれなき批判の例としては、リフレ派は構造改革を遅らすというものもある。ぼくたちは自慢じゃないけど、某巨大掲示板では猪瀬直樹閥のエコノミストと呼ばれています(笑)。実際そうかは別として、世間的にみれば構造改革の権化みたいなところからデビューしているんですから、構造改革はどんどんやってください。
p.66

エコノミスト・ミシュランエコノミスト・ミシュラン
(2003/10)
田中 秀臣、野口 旭 他

商品詳細を見る


ついでながら、山形さんは国債の日銀引き受けより市中消化を支持している模様。前回エントリで引用した権丈先生の財源確保の工程案にコンセンサスが得られる流れはできているように思います。

話はこんだけなので、とにかく金出せや。財源は増税か国債か? うるせえなあ、速いほうでやればいいんだよ! 税金なんて集まるのは来年になるんだから、今はまず国債だろ。後代にツケを残す? いま避難所で淀んでる人たちがそのまま腐って年金や失業保険の受給者になるほうが、よっぽど負担で将来のツケだろ。ツケにもいろいろあるが、これはどう見てもむしろ後代にツケを残さないための借金。ホント、国債の額面だけ見てツケだ借金だと騒いでほしくないよな。そういうこと言うヤツは、「どうせ東北の被災者なんて投資しても復興なんかしないで腐るだけ」と言ってるに等しい。東北への投資が、いまの国債金利程度(つまりほぼゼロ)の見返りすらないと思ってるわけだ。バカにしてると思わない? 東北が力強く再生だの復活だのって、ホントに信じてるなら、いますぐ国債発行してお金作って投資すべきなんだ。ぼくはそれを信じてるからこそ、復興支援の義援金をいっぱい出してるんだぞ。第二次大戦後、ピエロ・スラッファは「日本がこのまま潰れるわけない」と日本国債買いあさって大もうけしたんだって。これやろうよ。今更チマチマ義援金集めるくらいなら、東北復興債出してみんなに買ってもらえば? がんがん買うぜ?  (2011/5/16, id)
※ 太字強調は原文。


このエントリーをはてなブックマークに追加
スポンサーサイト

2011年05月22日 (日) | Edit |
ほぼ1か月ブランクが空いてしまいました。某所からご依頼を受けた件でしばらく手が回りませんでした(期限を過ぎてしまい申し訳ございませんでした>某所の皆様)が、やっとそちらも形ができましたので、ぼちぼち再開していきたいと思います。

震災から2か月が過ぎ、多くの被災地はすでに緊急の段階から復興へ向けた具体策を実行する段階に移行していると思います。ただ、津波の被害が臨海部に限られて市街地が機能しているところでは、全体としてみれば通常の生活が戻っているといえるものの、被災された方は未だに避難所生活を余儀なくされており、そのコントラストが微妙な雰囲気となっているところもあります。もちろん、役場をはじめ市街地そのものが被災したところでは多くの方が避難生活を送っており、生活再建などはまだ先の話という状態にあります。そうはいっても、すでに2か月以上が経過している中では、復興に向けて動き出さなければ、現地の疲弊感が募っていくだけではなく、県や国全体の経済活動が滞ってしまいます。

しかし、緊急事態ではそれほど対応に裁量の余地はありませんでしたが、復興を見越した動きが出てくるといろいろな利害関係の対立やしがらみが顕在化してきます。そこで利害調整の専門家たる公務員の本領発揮の場面なんですが、国と市町村の間にあって中途半端な立場にある都道府県にはどうもそうした意識が希薄なように思います。たとえば、宮城県と岩手県がそれぞれ策定した「宮城県震災復興基本方針(素案)」と「東日本大震災津波からの復興に向けた基本方針」を比べてみると、

(5)県全体の復興の方向性
○ 今回の震災・津波被害は甚大で、県民生活全般に極めて大きな影響。
○ このため、県政全般について分野毎の復興の基本的な方向性を示す。
○ 施策を展開する上では、県全体の防災や産業振興のあり方を抜本的に見直し、被災地を中心に、最適な公共施設や設備の配置などの基盤づくりを図る必要がある。
○ 県民生活の復興を図りさらなる発展に結びつけるため、各分野とも、復旧期・再生期・発展期の各段階を踏まえた効果的な施策の展開を図る。
○ 最終的には、本県の長期総合計画である「宮城の将来ビジョン」に掲げた「富県宮城の実現」、「安心と活力に満ちた地域社会づくり」、「人と自然が調和した美しく安全な県土づくり」の政策推進の基本方向に基づき、県民が県勢の発展を実感できる地域社会を実現していく。
① 環境・生活・衛生・廃棄物
② 保健・医療・福祉
③ 経済・商工・観光・雇用
④ 農業・林業・水産業
⑤ 公共土木施設
⑥ 教育
⑦ 防災・安全・安心

資料3-1 宮城県震災復興基本方針(素案)(概要版)」(宮城県震災復興会議-第1回震災復興会議


(3) 復興に向けて取り組む内容
 復興に向けて取り組む内容については、次のように想定していますが、具体的内容については、委員会の意見を踏まえて定めていきます。また、項目の追加や変更もあるものです。
① 市町村行政機能の支援

  • 被災市町村における復興計画策定支援
  • 被災者の生活再建の支援
  • 復興段階を考慮した被災者向け住宅の供給
  • 地域コミュニティの維持・再生の支援 等
② まちづくり
  • ハード、ソフトの両面からの災害に強いまちづくりの推進
  • 故郷への思いを生かしたまちづくりの推進
  • 防災を考慮したインフラの復旧と整備
  • 地域と地域を結ぶ広域的な道路ネットワーク形成 等
③ 水産業等
  • 漁業協同組合機能の回復
  • 水産施設(個人施設を含む)の再建と漁業・流通・加工業の再構築
  • 農林業の生産基盤の再生 等
④ 学校・教育
  • 学校・家庭・地域が一体となった「学びの場」の再生
  • 児童生徒の心のケアへの対応
  • 学校・地域における文化・スポーツ活動の再始動 等
⑤ 医療・福祉
  • まちづくりと連動した保健医療福祉体制の整備
  • 福祉コミュニティの再構築
  • 被災者の心のケアへの対応 等
⑥ 経済産業・雇用
  • 事業所再建と地域産業の事業継続支援
  • 各地域の特色あるものづくり産業の復興と経済産業の基盤構築
  • 科学技術振興やベンチャー支援などによる新産業創出
  • 被災等による離職者の雇用の確保 等
⑦ 観光
  • 観光施設等の再生
  • 風評被害への対応
  • 新たな観光資源の開発
  • 復興のアピールと賑わいの回復 等

東日本大震災津波からの復興に向けた基本方針」(いわて復興ネット


この二つで「宮城県」と「岩手県」を入れ替えても何も問題はありませんね。強いていえば、宮城県よりは岩手県の方が市町村の行政機能の回復に力を入れているといえそうですが、それは宮城県震災復興会議のメンバー岩手県東日本大地震津波復興委員会のメンバーの違いによるのかもしれません。前者は、旧帝大の地元ということもあってか全国的に活躍されている有識者を中心としているのに対し、後者は地元の関係団体の長というある意味無難なメンツとなっており、それが岩手県で市町村の行政機能回復が重要視される理由の一つと考えられます。

ただし、この点を少し掘り下げてみると、両県で市町村の行政機能回復の取組に違いが出るということは、地方が主体となって独自に取り組むべき分野はその程度しかないことの裏返しでもあります。地方分権が行政機能の議論に終始してしまうのも、実務上はそうした行政上の事務の権限移譲でしかないことの現れです。宮城・岩手の両県での「復興に向けた取組」にほとんど違いがないのは、その他の医療・福祉、産業・雇用、教育、都市計画などの分野で取り組むべき課題には、地域によってそれほどの違いがないという実態を反映したものというべきです。

したがって、県レベルでは、県内の業界団体や地域ごとの被災状況、相互支援可能な分野などを調整して、コーディネートしていくことが求められることになります。もちろん、役場機能が失われている市町村については、さらに踏み込んで行政機能の代行や他市町村からの支援のコーディネートも重要な役割となります。その点で、岩手県東日本大震災津波復興委員会のメンバーは無難といえるのですが、そこで出された復興の取組は各団体の関係分野を羅列しただけにみえますので、どこまで利害調整に踏み込んでいこうとしているのか疑問が残るところです。

ところが、この機に乗じて「道州制」とか「特区」というコーゾーカイカク、チホーブンケンチックな言葉が、総務省やら全国知事会方面から声高に主張される事態になっています。拙ブログでは何度も指摘しているとおり、市町村を合併しようが、都道府県を合併しようが、地方支分部局を廃止して道州制に移行しようが、目の前の住民間に歴然と存在する利害対立が消えるわけではありません。その利害調整については、ミクロのものであれば市町村、ミクロだけではしがらみに囚われてしまうものは都道府県、より大規模な利害集団(業者団体、富裕層と貧困層、現物給付を担うマンパワーの養成システム等)のものは国と、それぞれに属する公務員が担うという仕組みができているわけです。

国レベルでは利害関係が巨大になって、傍目から見て利権などの想像が働きやすくなるので、「省庁代表制」とか「省益ばかり考えて国益を考えていない」もいわれてしまうのですが、では、その利害関係をミクロに細分化していって市町村が利害調整できるかというとそんなわけはありません。同様に、現に存在するミクロの利害関係を「道州制」などとマクロな関係の中に埋め込んでいったところで、前述のとおり目の前の利害対立が消えるわけでもなく、むしろそれこそが「中央集権」的な現場を見ない利害調整だったはずです。チホーブンケン教の方々がこのような矛盾しきった主張をするのは今に始まったことではありませんが、未曾有の災害の中でその矛盾を押し通そうということであればまことに憂慮すべき事態だと思います。
このエントリーをはてなブックマークに追加